英国に住んでいると、世界中の国の人々と共に生きていることを日々実感するのでは。その中でもインドでは1947年の独立まで約200年間、英国の支配が続いた関係で、多くのインド人たちが英国に移住して暮らしている。彼らの歴史は21世紀の今日に至るまで、社会のあらゆる面において見ることができる。この特集では現在の英国社会においてインド出身の人々がいかに活躍しているのか、探ってみたい。
20世紀も続いた、英国への移住
教育やキャリアに可能性を見出したインド系移民
独立後の1950年代以降も、多くのインド人が就職や結婚など様々な理由で、景気の見通しが上向きであった英国に移住した。当時、英国政府は移民の管理に懸命に務めたものの、61年にはすでに10万人以上のインド人や隣国のパキスタン人が定住していた、と記録に残っている。彼らの多くは英国にすでに移住している同郷人が親族を呼び寄せるという「連鎖移住」の制度を利用した。現在、英国に住むインド出身の人々は西ロンドンのサウソール、ウェンブリー、ハウンズロー、バーネット、クロイドン、郊外では東西ミッドランズ、マンチェスターそしてレスターにコミュニティーを作っている。
非白人人口としては圧倒的!
100万人を超えるインド系人口
01年に行なわれた国勢調査によると、英国の総人口は約5420万人で、そのうち白人は92.1パーセント。残る7.9パーセントに当たる460万人がエスニック・マイノリティーと呼ばれる非白人人口になり、中でもアジア及びアジア系英国人は5割を占めている。その内訳は、インド人約105万人、パキスタン人約75万人、バングラデシュ人約28万人、その他のアジア人約25万人となっている。在住邦人数が約2万5000人(外務省調べ)であることを考えると、日本人1人に対しインド人が42人いる勘定になる。
仕事と家庭の両立が可能に
ニュースエージェントとインド人店主の関係
英国で生活をする上で必需品が欲しくなった時便利なのが、ニュースエージェント。コーナーショップとも呼ばれるこの種の店では、なぜかインド系の人達が店番をしていることが多い。これは偶然なのだろうか? 昨年、全国小売ニュースエージェント協会の会長を初のインド出身者として務めたメハンドラ・ジャデージャ氏に話を伺った。
独立後のインドでは暴力が横行し、社会問題となっていました。それを逃れるため、1950年代と60年代に多くのインド人が英国に渡ってきました。慣れない国で生計を立てていくには、作業そのものが難しくないニュースエージェント業が最適でした。店舗の多くは上の階に住空間があり、通勤に時間を取られることがない。仕事と家族を養うことが両立できて一石二鳥です。インドにいたら働くことなどなかった女性も、英国では生活のために働かなくてはなりません。ニュースエージェントであれば、店の繁忙時に上の階にいる女性を呼び、男性の役に立つことが出来ます。つまり共稼ぎを実現するには、ニュースエージェントが一番都合が良かったのです。現在ではニュースエージェント経営者のうち半数以上がアジア人、さらにその3割をインド人が占めています。
2代目インド人達の思いは……
ニュースエージェント業も、最近の社会の移り変わりを反映し、営業時間を延長する必要が生じてきました。いまや午前5時に始まる早朝勤務となり、夕方7時頃に終えることも珍しくありません。しかし、60年代に英国に来たインド人の世代は、自分達が経験した苦労や長時間労働を次の世代に受け継がせたくないと考えます。彼らの子供達も、親のように大変な生活ではなく、9時5時の定時で勤務したいという考えを持つようになり、大学へ進学する若者達が増えました。もともと勤勉であるという性格も手伝い、いまや2代目インド人の多くは医師、エンジニア、教授、公認会計士や弁護士などの職に就いています。

「ニュースエージェント業とほかの職業を掛け持ちする人は意外と多い。そこがキーポイントです」と話すジャデージャ氏
| 1950年 | インドに生まれ、土木技師として学ぶ ドバイ政府に1年勤務 |
|---|---|
| 1975年 | 結婚を機に渡英 |
| 1978年 | 家電製品会社コメット入社 |
| 1980年 | 当時賃貸していた北ロンドンの住宅を大家から買い上げ、後に250万ポンドで売却 |
| 1985年 | コメット退社した後、ニュースエージェントを開始 |
| この頃から、午前6時半から午後6時半までニュースエージェントの営業と同時に、不動産業にもかかわるという、2足のわらじ生活に | |
| 2005年 | 初のインド出身者として全国小売ニュースエー ジェント協会会長を1年間務める |
渡英後、生活の基盤を安定させることを優先してニュースエージェント業を開始。今では、店の日常的な運営は家族に任せている。ご本人は、より利益が大きく、以前から興味があった不動産業を始め、両方の職業を掛け持ちしている。
National Federation of Retail Newsagents
英国全土とアイルランドにおける2万軒弱のニュースエージェントを代表、この種の組織としては欧州一の規模を誇る同業者組合。「英国でニュースエージェントを経営する日本の方がいらっしゃいましたら、ぜひ 会員になって組合を利用してください」とはジャデージャ氏のメッセージ。www.nfrn.org.uk
各業界で頭角を現す
メディアに見るインド人の活躍ぶり
今ではすっかり英国の生活に溶け込んでいるように見えるインドの人達。ここでは、ビジネス、映画、テレビ、文学の分野において彼らがいかに活躍しているかを紹介する。
第1位! 想像を絶する大富豪
鉄鋼のラクシュミ・ミッタル氏

極めて思い切った行動に
出るタイプ?大富豪の
ラクシュミ・ミッタル氏
世界最大のアジアン・ラジオ局「サンライズ・レディオ」が集計した「アジアン・リッチ・リスト」の第1位に輝いた、ラクシュミ・ミッタル氏(55)。彼は毎年「タイムズ」紙が集計するリッチ・リストの06年版でも1位を飾っており、正真正銘の英国一のリッチマンだ。ミッタル氏が社長を務める鉄鋼会社ミッタル・スティールはもともと世界一の規模を誇っていたが、今年1月、鉄鋼業世界第2位であるアルセロール社の競売劇で127億ポンド(およそ2兆5000億円)の入札額を提示して、業界関係者の度肝を抜いた。
本人は自身を「ラジャスタンの砂漠の息子」と形容するのを好むものの、実のところ、カルカッタでビジネスと鉄鋼業界について学んだ現実派。鉄鋼業を営む父の援助で80年代半ばに鉄鋼プラントを買い上げ後、みるみる頭角を現し95年にロンドンに移住。今では高級住宅街であるビショップス・アベニューに、900万ポンド(約18億円)の豪邸を所有するまでに出世した。さらに、04年7月には娘の結婚式のために3000万ポンド(約60億円)を散財している。
全部で148億ポンド(約3兆円)の価値があるといわれるミッタル氏のビジネス。アルセロール社をものにすれば、さらに富み栄えることとなるだろう。
ほぼオール・インド人キャストで構成
「グッドネス・グレーシャス・ミー」&
「ザ・クマ-ズ・アット・ナンバー42」

「ザ・クマ-ズ・アット・ナンバー42」のキャスト。 おばあさん役を演じるM・サイアル=写真左端=と S・バスカール=写真中央=は05年、極秘のうちに結婚した。
96年にラジオ・ドラマとして登場した「グッドネス・グレーシャス・ミー」はインドの伝統文化と英国の現代的な生活の間で起こる確執を4人のインド人キャストが面白おかしく演じ、瞬く間に人気を得た。98年にはテレビ・シリーズ化され、02年2月まで3シリーズと2回の特別編が放映された。毎回、レギュラー陣と共に新顔キャストが登場し、コントを次々と披露。中でも「英国のものは何でもインドから来てるのだ!」とうそぶく男性が、次々と例を挙げていくうちについには「ロイヤル・ファミリーもインド人だ!」と発言するコントは好評を得た。この番組はターゲットであったインド人視聴者の枠を越え、幅広い層に受け入れられた点で画期的だった。
その後「グッドネス・グレーシャス・ミー」で注目された俳優2人が、01年「ザ・クマ-ズ・アット・ナンバー42」というコメディー・トーク・ショーを開始。インド人4人からなるクマ-ズ一家に招待されたセレブ・ゲストに、家族全員が質問攻撃をするという内容。最初に放映された2シリーズは高い評価を受け、翌年の国際エミー・ポピュラー・アーツ賞を受賞した。現在、シリーズ6が放映中。
アジア人俳優専門の劇場
タマシャ・シアター

左)98年「Fourteen Songs, Two Weddings and a Funeral」に出演した、パーミンダ・ナーグラ=左
右)映画にもなった「イースト・イズ・イースト」
89年ロンドンを拠点に設立されたタマシャ劇団は、インドや隣国のパキスタン出身者から成るアジア人俳優を専門とし、国内外にて公演を果たしている。古典文学、即興コメディーやミュージカルまで、表現形態にこだわらない活動が特徴的。特に話題になったのは96年上演の「イースト・イズ・イースト」。英国人の妻との間に生まれた7人の子供達をイスラム教の教えに従って育てようとするパキスタン人の父親に対し、子供達がそれぞれに反発し、家庭崩壊寸前までいく様子を描いた。99年には映画化もされている。
このほか代表作は、98年初演、01年に再演されたミュージカル 「Fourteen Songs, Two Weddings and a Funeral」。この作品に出演した若手女優パーミンダ・ナーグラは2代目インド人。後に映画「ベッカムに恋して」に主演、米ドラマ「ER-緊急救命室」に出演するという大出世を遂げている。
世界一の映画産業
ボリウッド
ボリウッド映画とは、ボンバイ(現ムンバイ)と米国の映画産業の中心であるハリウッドから来た造語。ついハリウッドと比較して亜流に思われがちなボリウッドだが、実は世界で年間最多の作品を作り出している巨大な業界なのである。英国では、インド人コミュニティーがある街にボリウッド映画を専門に上映する映画館が存在し、最も商業的に成功を収めているのは西ロンドンのハウンズロー地区フェルタムにあるシネワールド映画館である。
ボリウッド映画の特徴として、「女性の理想は母となること」、また「男性は家族を守ることが使命」、などといった伝統的な倫理観が描かれている点が挙げられる。また、真の愛情で導かれたカップルが、立ちはだかる数々の困難を乗り越えつつハッピーエンドを迎えるというストーリーも多い。
8月11日(金)から公開される「カビ・アルビダ・ナー・ケーナ(英語タイトル:ネバー・セイグッバイ)」。それぞれ倦怠期を迎えている2組の夫婦。互いに全く面識のなかった彼らが、ある時、運命の十字路に迷うことに……
小説「ブリック・レーン」 映画化に住民、怒る!

英国には、インドの隣接国、バングラと呼ばれるバングラデシュ人も多く住んでいる。彼らが経営するレストランが軒を連ねることで知られる東ロンドンのブリック・レーンは、03年にブッカー文学賞候補になった同名小説の舞台でもある。最近この小説が映画化されることになり、実際のブリック・レーンを舞台に撮影する話が進んでいるが、これに対し現地の住人達の怒りが爆発。というのも、この小説はお見合いのためロンドンに送り込まれるバングラデシュ人女性を主人公としているが、その描写がバングラ・コミュニティーを侮辱しているというのが理由。ブリック・レーン・ビジネス協会会長は「作者のモニカ・アリさんはコミュニティーの一員ではない。だから彼女は想像でこの本を書いている。映画制作についても、住人達の許可は得られていない。ブリック・レーンで撮影する権利は何もない。けしからんことだ!」と撮影禁止を訴える意向を示しており、今後の発展が注目される。
英国に見るインドの伝統
結婚と食事情
英国に生まれ、すっかり西洋風の生活になじんでいるかに見える2代目インド人でも、結婚と食に関してはインドの文化を守っている場合が多い。ここでは、結婚と食の面から英国において見ることの出来るインドの伝統を探ってみる。
柔軟になりつつあるインドの結婚事情
インド本国においては、今もって残るカースト制により、身分の異なる者同士の結婚に周囲が眉をひそめる場合もあるという。英国におけるインド人コミュニティーの中でも、確かに出身地や考え方などが似通っている家族同士の結婚を望む伝統派も存在する一方で、若い人の間では自分が選んだ人と結婚したいという、西洋的な考え方も浸透しつつある。
女友達と独身最後のドンちゃん騒ぎ
花嫁と女友達が主役のヘンナ・ナイト
英国には結婚を控えた女性が女友達と独身最後の夜を過ごすヘン・ ナイトという習慣があるが、インドでも似たような「ヘンナ・ナイト」と呼ばれる習慣が。その特徴は、ヘンナという植物から取った染料を用いて花嫁の手足に凝ったデザインを施す、メーンディを行なうこと。 時間が経つにつれ染料が濃く染まり、翌日、挙式の時間には花嫁の手足に美しい模様が際立っているという仕組み。仕上がったデザインは約1~2週間で徐々に消えるそう。
左)ヘンナで施した繊細なデザインが花嫁の手を彩る
中、左)伝統的な花嫁のドレスは、絢らん豪華な赤とゴールド!
写真提供: www.theindian
weddingcompany.co.uk
英国生まれの「インド」・カレー
チキン・ティカ・マサラ

辛さ控えめで口当たりがマイルドな、チキン・ティカ・マサラ・カレー
英国各地にインド・レストランが点在することからも分かるように、英国人は大のインド・カレー好き。中でも、トマト味をベースにしたチキン・ティカ・カレーは、01年当時の外務大臣、故ロビン・クックによって「もはやチキン・ティカ・カレーは国民的料理となった」と称されたほど英国人の生活に根付いている。この発言の背景には外国の食習慣を英国流に取り込んでしまうという英国人の性格を、この一品の存在が端的に表しているという氏の考えがあった。
しかし、この料理は元々インドには存在しない。50~70年代のある日、英国北部(おそらくグラスゴー)のカレー・レストランで、一人の頑固な客が炭焼きのタンドーリ・チキンに英国の調味料、グレービーをかけるよう注文してきた。対応に困ったシェフが、うっかりキャンベル社のトマト・ソースとスパイス一つまみをチキンにかけてしまったことから誕生した、偶然の産物という説が有力だ。
英国初のインド・レストラン
べーラスワーミー Veeraswamy
いい香り!料理で使用されるスパイス。 写真はそのごく一部。
写真の上にマウスを当てるとスパイス名が表示されます。
1926年、インド人のお姫様と結婚したエドワード・パーマーという英国人男性が、本物のインド料理を英国で味わいたいと企画、誕生したのが高級インド・レストラン「べーラスワーミー」。ロンドンのメイフェア地区の一角に建つこのレストランは今年で開店80周年を記念し、英国に現存する最古のインド料理レストランだ。店内のイメージを一新させるため、去年から改装工事を開始。天井を高くするなど1920年代風の装飾をよみがえらせ、先日オープンした。
このレストランの料理は、クラシックなものや郷土料理を中心に、インド各地から選りすぐりの品を出している。一押しの料理は、ロブスター・マラバー・カレー。ちなみに、チキン・ティカ・マサラは出されていますか? と聞くと、間髪入れずに「ノー」という返事が返ってきた。

左)ナツメグの仮種皮を乾燥させたメース。26年の開店当初 から定番メニューの鍋料理、ハイデラバード・ラム・ビリヤーニに使われている。
中)豪華さ満点の店内。奥の壁にはユーモラスな絵画が掛かっている。
右)ターメリック、ココナッツ、マンゴーから作ったソースが絶品! おすすめ料理のロブスター・マラバー・カレー
| VEERASWARMY | |
| 住所 | 99 Regent Street London W1B 4RS MAP |
|---|---|
| TEL | 020 7734 1401 |
| 営業時間 | 月~金: 12:30-14:15、17:30-22:30 土〜日: 12:30-14:30、土17:30-22.30、日18:00-22:00 |
| 最寄り駅 | Piccadilly Circus |
| Website | www.veeraswamy.com |
新発見!スパイスががん予防に?
カレー成分と結腸がんの関係
カレーに使われるスパイスと玉ねぎの成分が、結腸がん予防に 役立つ可能性があるとの研究結果が発表された。医学の研究で名高い、米国のジョンズ・ホプキンズ大学の調査チームが、カレーのスパイスであるターメリックに含まれるクルクミンという成分と玉ねぎのクェルセチンという酸化防止成分を組み合せて作った錠剤を、結腸がんになる可能性のあるポリープを発症した患者5人に対し投与。6カ月に及ぶ治験の結果、患者達のポリープの数と大きさが共に著しく減少したことが分かった。今回の発見を裏付けるため、今後さらに大きな規模の治験を行なっていく。出典: 06年8月1日"Chemicals in Curry and Onions May Help Prevent Colon Cancer"
ジョンズ・ホプキンズ大学、米国



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英国人にとってウォーキングとは、なくてはならない生活の一部。都市部でのお手軽な散歩から、本格的なトレッキングまで、 さまざまなウォーキングを楽しむ英国人の支えとなっているのがフットパス(歩道)だ。英国中を縦横無尽に走るこのフットパス、実は法律によってその定義が明確に定められている。
無数の海鳥の生息地として名高いウエールズ、スコマー島。ウエールズ南西部野生トラストが管理しているこの島は、4月1日から10月31日までの期間(月曜日休)のみ一般開放されている。主な島のルートは十字型に広がっていて、短い距離の散策から島の沿岸部のほとんどを踏破する周回コースまで選択の幅は様々。ヨーロッパ北西部でも屈指の海鳥観察スポットなので、是非とも珍しい野生動物を見てみよう。
海鳥たちの宝庫として知られるスコマー島だが、見どころは鳥だけではない。アザラシを見たいのならば、9月は特にお勧めの季節。北端のGarland Stone(ガーランド・ストーン)では、白い毛皮に覆われたかわいらしい子アザラシの授乳シーンを観察できる。そして、島の中心にある農場は1800年代初頭に建てられたという歴史的なもの。情報集めのほか、宿泊施設としても利用できる。
ここの松林はすばしっこいマツテン(イタチ科の動物)の住処。マリー湖西部には他にもヤマネコやカワウソが生息している。また、湿地では多くのトンボが観察できる。その中には希少価値の高い種も。
大人気の映画、ハリー・ポッター・シリーズでホグワーツ魔法魔術学校として登場し、その悠々たる姿には覚えがある人もいるだろうアニック城。本コースでは、この中世の城から出発し、13世紀の姿を今に残す小さな修道院跡や公園の静寂の中をゆっくりとたどっていく。また、カントリー・ライフを特集する雑誌の調査で「英国で一番住みやすい場所」に選ばれたこともある美しい街も見どころの1つだ。
南ウエールズに広がるブレコン・ビーコンズ国立公園。1800メートルの山脈が悠々と連なり、数多くの滝や渓流、鍾乳洞が点在している夏場にもってこいのウォーキング・ポイントだ。心洗われるような水音を聞きながら歩けば、日頃のストレスもいつのまにか解消されているはず。
















英国ゴースト研究家
離婚して新しい妻を娶るために英国の宗教まで変えてしまったヘンリー8世の2番目の妻。取り立てて美人ではないが、きらきら輝く漆黒の魅力的な瞳にヘンリー8世が夢中になったと言われている。1533年ヘンリー8世と結婚し王妃の座に就くも、わずか3年後の1536年には不倫の濡れ衣を着せられロンドン塔に幽閉され、同年5月19日に斬首刑に処された。アンの幽霊は、処刑の翌日から目撃されるようになった。首のない4頭の馬に引かれた馬車の中には首から上のないアンが座っていたり、誰もいないはずの礼拝堂の明かりをつけ部屋を徘徊している姿が報告されている。約450年も前から、ロンドン塔の勤務簿にはアンの幽霊の出没記録が細かく記録されているのだが、特に斬首が行われたロンドン塔内のタワー・グリーンで目撃されることが多い。
アン・ブーリンの従姉妹で同じくヘンリー8世の妻(5番目)。1540年ヘンリー8世に見初められ結婚した後も、前の恋人との付き合いが終わることはなく、1542年、ついに王の怒りを買いロンドン塔に幽閉される。処刑の際、キャサリンは恐ろしいほどの力で処刑人たちの手を振りほどき、髪を振り乱し叫びながら処刑場の中を逃げ回ったそうだ。処刑人は大斧を振りかざして王妃の後をどこまでも追いかけ回したが、3 度大斧を振り下ろすも失敗に終わり、ようやく4度目にして王妃の首をたたき切ったと言われている。キャサリンの亡霊が頻繁に目撃されるのは、ヘンリー8世と暮らしていたハンプトン・コート・パレス。許しを請いながら、廊下を引きずられて行く姿や宮殿内ロイヤル・チャペルのドアをバンバンと叩く姿が目撃されている。






ライムハウス地区に出来た1955年当時のチャイナタウン(写真左)、

在英中国人にとっての心のよりどころに
早い、うまい、安いがウリ!
チャイニーズ・エルビスとはこれいかに

1955年生まれ。長崎県出身。東京大学在学時に劇団「夢の遊眠社」を結成。92年、劇団解散後に文化庁芸術家在外研修員として1年間のロンドン留学を果たす。翌年93年に帰国後は、企画・製作会社「NODA・MAP」を設立。以降、プロデュース公演形式で数々の作品を発表し続けている。


THE BEE
舞台は70年代の日本。平凡なサラリーマン、イドは自分の留守中、こともあろうか脱獄犯に妻子を人質に取られてしまう。途端に騒ぎ立てるマスコミや警察。彼らの高圧的な態度、欺瞞に満ちたその本質に触れたイドは、次第に常軌を逸していく……。




スタッグ・ナイトとは、結婚を間近に控えた男性が、友人たちと開く独身最後のパーティーのこと。一方のヘン・ナイトは女性のみのパーティーを指す。四六時中コッコとやかましいニワトリの名を取っていることからもわかる通り、時には警察沙汰になるほどの大騒ぎとなる。このパーティーの費用を出すのは友人たち。結婚後も変わらぬ友情と、男性の場合は今後奥さんに財布の紐を握られてしまう新郎への労わりを示しているんだそう。


婚約と婚約指輪の起源は中世英国にまでさかのぼる。先程も説明した通り、中世英国の一般家庭において、独身女性は大切な働き手だった。その貴重な人材を失ってしまう家族に対して、新郎は対価を支払わなければならなかった。その対価を支払う期間が「engagement」だったのである。当時、金の指輪は通貨として使われていたため、金の指輪が対価として新婦側の両親に送られたという。これが婚約指輪の始まりと言われている。
日本では常に悩みの種となるご祝儀。そんな風習のない英国では、その代わりに新郎新婦が欲しいものを自分たちでリスト・アップし、招待客にはその中から選んでプレゼントしてもらうという習慣がある。それが「ウェディング・リスト」。英国には専門店も数多くあり、お祝いを贈る人は指定されているお店へ出向き、リスト・アップされているものの中から自分の予算に合ったものを選ぶことができる。このウェディング・リスト、予算によってピンキリで、上流階級の人たちはハロッズやセルフリッジ、お金に余裕のない場合にはなんとテスコのトイレット・ペーパー1年分、なんていうのまであるらしい。
日本では天井まで届きそうな巨大なウェディング・ケーキを見かけることもあるけれど、ここ英国のケーキは極めてシンプル。基本は3段重ね。一番下は結婚式に出席した人が食べる用、真ん中は出席できなかった人に贈る用、そして一番上は最初の子供の洗礼式まで取っておく。子供が生まれるまでという長期計画だから、日持ちするようにスパイスたっぷりのフルーツ・ケーキを使うのが英国流。日本人にはちょっと甘すぎるくらいだけど、英国人はみんなこのケーキが大好きなんだそう。
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1. 教会での結婚式
戸籍制度のない英国では、重婚を避けるために、まずは自分が独身であるという証明を役所に提出する必要がある。その上で誰も異論がなければ婚姻許可証を受け取ることができるのだ。その後挙式するのが結婚に至るまでの基本パターン。もともとローマ・カトリックを信仰していた英国が、英国国教会という独自の宗派を立ち上げたのは、時の国王ヘンリー8世が王妃と離婚するため。こんな背景を持つお国柄だけあって、他のキリスト教国と比べると、日常生活におけるキリスト教の浸透度はそれほど高くはない。また多民族国家である英国では、インド風の結婚式や、新郎と新婦の手を固く縛り付ける、ハンドファスティングというケルト起源の結婚式もある。最近は海外挙式を行う人も増えるなど、結婚式の多様化が進んでいるが、その一方で、やはり結婚式は教会でと考える人も多い。挙式と入籍が別々の日本とは異なり、挙式の瞬間が入籍となる英国では、結婚式はやはり神聖なもの。神の前で愛する人と誓いを交わしたいと思うのももっともかもしれない。

クリブデン - Cliveden
◆Hiromi Cherryさんウェディング・プロデュース会社
ハートウェル・ハウス - Hartwell House
ハイクレア・カッスル - Highclere Castle











コンサベーション・エリア



パーム・ハウスを手掛けた建築家バートンによる設計のテンペラート・ハウス。1859年に着工、途中政府による資金援助が滞るなどトラブルに見舞われ、完成までに実に30年もの月日を費やした。パーム・ハウスの2倍の面積(4800平方メートル!)を誇り、温帯植物を中心に展示している。







毎年7月の1週間だけ、ハンプトン・コート宮殿の敷地内を舞台に開催される「ハンプトン・コート・パレス・フラワー・ショー」。世界各国から参加申し込みが殺到し、700以上の出品者が自慢の花や植物を展示する。新人ガーデン・デザイナーによる展示を見たり、新種の苗を実際に買ったりするのも楽しみのひとつ。
毎年人気の部門
英国ならではの花といえば
花や植物を見るだけでなく、その背景にある英国のガーデニングの歴史に興味がある方には、「ガーデン・ミュージアム」がおすすめ。博物館自体はランベス・ブリッジ橋を南に渡ってすぐのところに建つ、セント・メアリー・アット・ランベス教会内にあり、そのいきさつがユニークだ。
英国人の庭は不思議がいっぱい
ガーデン・ノーム人形は元はドイツで発祥し、19世紀後半に英国に輸入されたもので、原型は粘土などで作られ彩色を施し、とんがり帽に白いあごひげをたくわえたおじいさんの形をしていた。しかし1960年代になると、プラスチック製で絵の具の塗りも粗雑な、質の悪いものが出回るように。それが原因でガーデン・ノーム人形は下品で趣味が悪いというイメージが付いてしまった。つい10年程前までは英国中の庭に500万体ものノーム達が見られたが、今となっては380万体に減少。売上げもブームの頃と比べて3分の1の年間300万ポンドに落ち込んでいる。現在ではデザインがハイテクであったりセクシーであったりとバラエティーに富んでいるが、よほどリバイバル・ブームでも起きない限り、売上げの減少傾向はさらに続くとのこと。 
ご存知英国の第73代首相。まだ若々しさを十分に残していた41歳の時に労働党党首に任命され、その3年後に政権を奪取。以来、9年間にわたって首相として君臨している。彼の特徴として、「神がかった」という表現が似合うほどのパフォーマンスの上手さが挙げられる。日本の政治家ではめったにお目にかかれない、凛々りりしくスマートないでたち。上品な言葉遣いと流暢な話し方に加えて、敵陣さえ笑いに誘う抜群のユーモアのセンス。そして何よりも、政策を訴える際に眩いばかりにキラキラと輝く両目。思わずうっとりして彼が何を言っても信じてしまいそうになる。
近年の英国経済の安定は、ブラウンの功績による部分が大きい。国債の発行を制限する緊縮財政で財政管理し、公定歩合を設定する権限を中央銀行に与えて市場の信頼を勝ち得た。さらにはアフリカ諸国への援助金捻出に奔走するなど、政治的貢献も果たしているのに、妖怪ぬりかべみたいなダミ声を出すものだから陰湿なイメージがまとわりついてヒーローになり切れない。
メディアからは「ブルドッグみたい」と形容される政界のお騒がせ男、ジョン・プレスコット。学生時代は落第したこともあり、政治家になる前は船乗りだったという異色の経歴を持つ。議員デビュー当時から破天荒な言動で物議を醸していたが、高齢になってもそのはみ出しぶりは衰えず、今でも国会の壇上に上れば文法一切無視の不明瞭な演説を行って、周りからの嘲笑の的となっている。ブレア首相が話している間も平気で居眠りこき、抗議目的で卵を投げつけた市民をグーで殴りつけて逆襲したこともある。こんな人が副首相なんていう肩書きを持てる英国の政治の世界って本当にすごい。そんな荒らくれ者のイメージばかりが強調されるが、実は分裂しがちな労働党を上手にまとめる親分として厚い信頼が寄せられているプレスコット。人災を起こすほど荒れたり、時には温かく党員を包み込んだり、ともかくとっても器の大きな海の男なのだ。
今、最も注目を浴びる女性政治家。イタリアのベルルスコーニ元首相の汚職事件に夫が関係していたとの報道で、一斉に脚光を浴びた。政治家としての立場も危うくなり「苦渋の選択」の末に、彼女は結局その夫と別れることを選んでひとまず解決。ああ、女にとって夫の存在ってそんなものか、と英国中の既婚男性に深い溜息をつかせた一件であった。メディアも汚職問題にかこつけて報道していたが、実際のところこの夫婦の愛憎劇の方に興味津々だったのだ。本業では2012年に開催されるオリンピックの開催地としてロンドンが選ばれたことで、オリンピック大臣にも任命されている。しかし競技場建設の深刻な遅れなどの問題が再三にわたって指摘されており、開催日が近付くにつれて今後猛烈に叩かれること間違いなし。その時に夫が再び現れて彼女を支える、なんて話も興味がある。
1997年に当選してからスピード出世を果たし、2004年暮れに教育相に任命され女性としては最年少で入閣を果たした。しかしその後まもなくして国内の学校に性犯罪の前科を持つ者が職員として多数採用されていた事実が発覚し、事態は急展開。憧れの内閣デビューを飾った途端に性犯罪者の対応に追われた。ここぞとばかりに野党やメディアは政府の管理責任を激しく追及。田舎臭さが漂うもっこりした髪に、バリトン並みの低い声を持つがゆえ不器用に映る彼女をここぞとばかりに叩きに出た。しかし彼女は毅然とした態度で記者会見に臨み、国民の理解を得ることに成功する。市民に卵を投げつけられても、ブレア首相が推進する教育改革で大忙しの毎日でも文句言わずにひたすら働く彼女。どんなにしごかれても明日へ向かって生きていく、そんな前向きな新入生を思い起こさせる。
インテリじみた話し方が少し気になる男。内相時代に犯罪者に対する厳重な取り締まりを掲げ、それまでの犯罪に甘い労働党、というイメージをうっちゃった。細身の体ながらも強気で威張っているストローだが、何せ明晰な頭脳を持つがゆえに市民の間ではすこぶる評判が良いという。イラク情勢やイランの核開発問題など、英国を悩ます中東問題が議題に上ると、ガサガサと昆虫みたいにしゃしゃり出てきては、記者会見上で顔の表情ひとつ崩さず対応する。それだけに、どうしても冷徹なイメージが付きまといやすいことも確かである。
剛毅な印象を与える北部独特の訛りと睨みを利かせた顔はやくざである。かつては共産党員だったこともあるほど豊富な経験を持つ彼には、保健相という意外な職歴がある。同ポストに任命された瞬間「保健相なんてやってられるか」と叫んだという逸話が残っており、きな臭い今のポストの方が似合うことは十分自覚しているのだろう。戦闘的なイメージばかりが際立つが、実は経済史の分野での博士号を持っている知性派。知識と風格、そしてファイティング・スピリットの3拍子揃った僧兵のような彼に集まる信頼は厚い。
雅で人畜無害なオバサマに見えて、実はかなりやり手の政界大ベテラン。かつてブレアそしてプレスコットと共に労働党党首の座を争ったこともあり、割と権力志向の強いタイプなのかもしれない。また大学時代には鉱石から金属を取り出して精製する過程を調べる冶金学者としての資格も取得しているという、根っからの地学オタクでもある。エネルギー源不足に悩む英国で再燃している原子力発電利用について論じる際に度々メディアに登場し、是非を問わない玉虫色の発言に終始してはお茶を濁している。
とっておきのいじめられキャラ。155センチの低身長に顔の面積の約3分の1を占める大きなメガネ。何を話しても必死で言い訳しているように聞こえる口調。挙げ句の果てに「無任所」なんて曖昧で中途半端な肩書きを持つ彼、もう一つのポストである労働党委員長なんて、他に誰もいないから無理やりやらされているという構図がはっきりと見て取れる。が、15歳でストライキを指揮したという実績を持つ彼を侮ってはいけない。決して人々の信頼を裏切らない彼がいるからこそ、現内閣を支援するという議員も多数いるのだ。
かつて家庭生活を優先したいがために議員デビューを遅らせたことがあるという、オヤジたちが泣いて喜びそうなエピソードを持つヒューイット。さらに保健相とくれば柔和なイメージばかりが膨らむが、実は札付きの剛腕フェミニストでもある。男性の部下をクビにして無能な女性を雇い、男女差別法に触れると訴えられて敗訴したこともあるくらいだ。また国家破壊活動に従事しているとの疑いで国内の諜報機関MI5に追跡されたこともある。現政権では吹けばほこりが飛び散る国家医療制度(NHS)について弾劾追及される毎日を過ごしている。
仙人のような白い口ひげが特徴の舌鋒家。テロ問題で揺れる英国の治安対策では、その強気な姿勢が功を奏している。というのも、2005年の同時多発テロ発生以降、IDカード導入や反テロ法成立など国家の管理強化に危機感を強めるリベラル知識人が数多くいる中、彼らを「害毒」呼ばわりして蹴散らしているからだ。かと思えば、国外追放の対象である外国人犯罪者が内務省の不手際で大量に釈放されていたことが判明し、各方面から糾弾されると結構しどろもどろだった彼。所詮は空威張りしていただけなのかもしれない。




ロンドン地下鉄駅などで配布している無料紙。1999年の創刊後、都市に住む若い人たちの間で人気を博し、今では12都市で170万部の部数を誇るようになった。地下鉄利用客が電車の中で楽しめるようにと、20分で全ページを読み通せるぐらいの平易な文章で記事が書くのがモットー。英国での出来事を浅く広く押さえるには最適の媒体。
書籍や雑誌の保存なら世界一を誇る大英図書館の一部であり、新聞に特化した資料館がここ。英国内にある新聞資料はとにかく何でも揃えてあって、調査活動には最適。館内には研究室のような暗い部屋で、マイクロフィルムに保存された過去の新聞を見つめる人たちがいっぱいいる。日曜日を除く日の10~17時開館。
金融街シティと劇場が立ち並ぶエンターテイメントの聖地コベント・ガーデンの間にある道。近年までこの通りに多くの大手新聞社がオフィスを構えていた。近くには「Printer's Devil」などという看板を持ったパブがあり、当時は飲んだくれ、かつ気骨のある新聞記者たちの溜まり場になっていたという。
プレゼントとしての新聞を扱うユニークな機関。異なる年代におけるそれぞれの日付を持った新聞をもれなく保存しているので、例えば友達の誕生日に発行された新聞をここで購入してプレゼントすることができる。自分が生まれた日に英国ではどんな出来事があったのか、誰が死んだのかなど、興味をそそられるはず。






