パンクをモードへ転身させた
反逆性とエレガンスに見るヴィヴィアン・ウェストウッドの世界
どこか浮世離れした雰囲気を持つこの女性が、かつて「パンクの女王」と崇拝されていたと、誰が想像するだろう。「パンク」というファッションを創り、36年間のキャリアを経た現在でも奔放な想像力でアヴァンギャルドを突き進むデザイナー、ヴィヴィアン・ウェストウッド。彼女を一躍主流に押し上げたバンド「セックス・ピストルズ」のアルバム発売から30周年を迎える今年だからこそ、彼女の足跡を辿ってみよう。 (本誌編集部:國近絵美)
ブリティッシュ・ファッション・アワードに出席したヴィヴィアン。66歳にして、このカッコ良さ
目次
ファッション・ルーツ
ヴィヴィアン・イザベル・スウェアは、綿工場で織工をしていた母親と、靴職人の家系をバックグラウンドに持つ父親との間に生まれる。物心ついた頃からファッションの虜だったというヴィヴィアンは、10代の頃にフランス人ファッション・デザイナー、クリスチャン・ディオールが「現代女性のための、現代的な服」として確立した「ニュー・ルック」と呼ばれるスタイルに深い影響を受ける。ニュー・ルックに憧れ、ヴィヴィアンは学校の制服をペンシル・スカートに作り変えたり、ロング・ドレスを作ったりしたという。
16歳で私立学校を卒業し、家族と共にイングランド中部からロンドンに移動してハロウ・アート・カレッジに通い銀細工とファッションを学ぶが、「労働者階級の女がどうやったらアートで生活していけるか分からない」との理由でわずか1学期で退学。工場で働きながら、教師になるための勉強をする。
革命児との出会い、そしてデザイナーの誕生
結婚・出産を経験した後で大学に入り歴史を専攻したヴィヴィアンは、この時期にその後私生活と仕事上で長年のパートナーとなるマルコム・マクラーレンに出会う。資本主義に対する怒りを理論化し、都市の再生と創造を目指す無政府主義政治団体、「Situationist International」に属し活躍していたマルコムに影響を受 けたヴィヴィアンは、自身も反体制派の考え方に傾倒していく。彼女は当時を振り返り、「あの頃は空けるべきドアがたくさんあって、マルコムはそのどれにも通じる鍵を持っている感じがした」と語っている。
そして71年、マルコムがロンドン、キングス・ロードにブティックを開くと、ヴィヴィアンは教師を辞め、そこでデザイナーとして活動し始める。当時ファッションはヒッピーが全盛期で、英国のラジオ局ではロック・ミュージックなど流れていなかったが、その時代に逆らうように「Let It Rock」という名で店を構えた2人は、50年代のロック・ミュージックのリバイバルとも言える洋服を扱った。
70s 前半パンクファッションの産声
マルコムとヴィヴィアンは、新しいコンセプトの服を発表する度にブティックの名前や内装を変えていった。「Let It Rock」では当時どこにも売っていなかったスキニー・ジーンズや編み目の粗いモヘアのセーターを、そして「SEX」では店名の通り、ポルノを連想させるデザインや引き裂いたシャツ、チェーンや安全ピンのアクセサリーなどを扱うようになる。SM要素を取り入れたこれらの前衛的なスタイルは、今日にも見られるパンク・ファッションの原点となる。
80s 前半ストリートからキャットウォークへ
ブランド「ヴィヴィアン・ウエストウッド」は瞬く間に英国産アヴァンギャルドの象徴となり、1981年にロンドンのオリンピアで、キャットウォークを使って初のコレクションを発表する。そして翌年1982年10月、マリー・クァント以来2人目の英国人デザイナーとして、コレクション発表の場をパリに移す。
1984年後半、13年間パートナーを務めたマルコムから独立したヴィヴィアンは、東京で行われた「The Best of Five」にカルバン・クラインや森英恵らと共に選ばれ来日、コレクションを発表する。17世紀から使われている英国の伝統的な生地や18世紀のアートにインスパイアされた彼女は、これ以降、ラディカルな思想をファッションに結びつけるだけではなく、アヴァンギャルドと歴史や伝統をミックスする独自の手法を取り入れるようになる。この頃から「伝統を持って未来を創る」という彼女のクリエイティビティーを象徴し、王冠と地球をモチーフにしたブランドのロゴ、Orb(宝珠)が使われるようになる。
80s 後半ファッションに革命を
87年の「ハリス・ツイード」コレクションでコルセットを発表し、世界で初めて洋服の上から、あるいは洋服としてコルセットを着用するスタイルを提案。「自由の達成」と名付けられたそれらは、コルセットが中世から引きずっていた女性の行動を制限、抑制するイメージを払拭し、逆に女性本来の力やセクシュアリティを表現していると絶賛された。
90s 前半タータン・チェックの秘密
スコットランドの伝統をパロディーとしてパンク・ファッションに使用し、それ以後の「パンク=チェック」というイメージを定着させたヴィヴィアン。そして1993年には「Anglomania」コレクションのために独自のタータン・チェックを作製し、これを前年に結婚した夫、アンドレア・クロンザーにちなみ「McAndreas(アンドレアの息子)」と命名した。
通常、タータン・チェックとして正式に認定されるには申請から200年かかるといわれているが、伝統的な生地や技術に再び光を当てた彼女の貢献を称え、スコットランドの「Lochcarron」社が早急に認定したという。同年のコレクションは、スーパー・モデルのナオミ・キャンベルがランウェイで転倒したことでも有名。
右のメンズ・ウェアに使用されているのが、ヴィヴィアン・オリジナルのタータン・チェック「McAndreas」
90s 後半熟年のエレガンス
「印象的な服を着れば着るほど、人は良い人生を送れるの」と断言するヴィヴィアンのデザインは、この頃からフェミニン、かつエレガントなスタイルへ移行する。「思想をファッションに取り入れる」こと自体をポップ・カルチャーに育て上げた彼女にとって、ファッションとは「一度抱いた赤ちゃんを離せなくなるようなもの」なのだという。
94年の「Café Society」コレクションより
'00~ファッションを武器に
「自由を得るために主張することで初めて、人は真の民主主義を手に入れることが出来る」と説くヴィヴィアンは、2005年、人権保護団体「リバティー」に「I AM NOT A TERRORIST, please don't arrest me」のスローガンが入ったTシャツとベビー服、ピンバッジなどをデザインした。また、無実の罪により30年以上経つ今でも米国の刑務所で拘束されている米先住民、レオナルド・ペルティエの釈放を訴えるキャンペーンのデザインも手掛けている。これらは全て、ヴィヴィアンが掲げるマニフェストを特集したホー ム・ページ「Active Residence To Propaganda」で見ることが出来る。
美しいカッティングが多く発表された02年の「Anglophilia」コレクション
'06デイムの爵位を授与
2006年に、Knight(ナイト)の女性版であるDame(デイム)の爵位を授与したヴィヴィアン。無政府主義を謳ったバンドをプロデュースし、多くの若者に反体制派の考えを広めた彼女が王室からこのような賞を受けるのは、皮肉な話に聞こえるかもしれない。しかし「政府を攻撃したところで、マーケティングのアイデアを与えることになるだけだって学んだの。変革を起こしたいなら、プロパガンダに反抗することね」と語る彼女は、意外にも王室制度賛成派だという。この「世間が納得する」爵位の取得をきっかけに、彼女が行っている人権問題に関するキャンペーンがもっと真剣に受け取られるのではないかと期待しているそうだ。
さて、同年6月にバッキンガム宮殿で行われた授与式に、黒のドレスに「Active Residence to Propaganda」キャンペーンのバッジを付けて現れたヴィヴィアン。記者に「今日も下着を着けていないのですか?」と聞かれ「もちろんよ」と答えた。ドレスを着る時は下着を履かないと断言する彼女は1992年、エリザベス女王からOBE(大英帝国勲章)を授与された際に、中庭でくるりと一周してスカートを閃かせ、わざわざ下着を履いていないことを報道カメラマンたちにお披露目した前歴がある。「後で聞いたんだけど、女王は私のパフォーマンス、結構面白がっていたみたい」と語ったが、今回は母親と8歳になる孫娘が同席していたこともあり、下着未着用姿を披露することはなかった。
パンクとデザイナーの育ての親 マルコム・マクラーレン
ハイ・ストリートにフェティッシュ・ウェアを持ち込み、楽器もろくに弾けない若者たちを超売れっ子バンドに仕立て上げた影の立役者、マルコム・マクラーレンの素顔とは?
マルコムがヴィヴィアン・ウェストウッドと出会ったのは、彼が19歳のアート学生だった頃。当時破綻寸前の結婚生活から逃げ出すために、息子を連れて兄の家へ転がり込んだヴィヴィアンは、そこで同居していた7歳年下のマルコムと出会った。
そもそもパンクは米国のニューヨークで、英国以前に発祥している。75年ごろ、マルコムはパンク・バンドの元祖ともいえる「ニューヨーク・ドールズ」のマネージャーを一時期務め、若者たちがパンクに熱狂する様を目の当たりにしていた。一方、当時の英国は不況のどん底。完全にビジネス化してしまったロックは社会に不満を抱える若者にとって身近なものではなく、そんな彼らにパンクを与えてみようと思い立ったマルコムは、当時のブティック「SEX」の常連客や定員をオーディションし、バンド・メンバーを集めていく。
そして集まった若者たちにヴィヴィアンがデザインした過激な服を着せ、反社会的なパンク・バンドとしてデビューさせたのが「セックス・ピストルズ」の始まりだ。やがてバンドがメインストリームに押し上がると共に、ヴィヴィアンがデザインした洋服も社会現象になるほどの人気を博す。しかし、実際にメンバーが着た衣装のほとんどは、自作の安物だったという説もある。いずれにせよ、ボーカルの ジョニー・ロットンだけはガーゼ生地のシャツなど高価な洋服を譲ってもらっていたという。
時代を駆け抜けたカオスの代弁者 セックス・ピストルズ
たった1枚のアルバムで「パンク」の存在を知らしめ、そして未だにパンクの理想像として崇められている伝説のバンド、セックス・ピストルズ。ヴィヴィアンを語る上で欠かせない彼らの活動を、ここでざっくりおさらいしよう。
結成当時のメンバーはジョニー・ロットン(メイン・ボ ーカル)、スティーブ・ジョーンズ(ギター)、グレン・マトロック(ベース)、ポール・クック(ドラム)の4人。敏腕マネージャーであったマルコムの力により、メジャー大手であるEMIと契約、76年にシングル・デビューした。しかしあまりにも歌詞が過激だったため発売と同時に放送禁止となり、各都市での公演も相次いで中止、EMIからも契約を破棄されてしまう。その間にベーシストがマトロックからロットンの幼馴染であったシド・ヴィシャスに代わる。1977年、セカンド・シングルが全英2位の快挙を遂げ、同年、アルバム「勝手にしやがれ」が発売され、パンク・ムーブメントが英国中に巻き起こった。
「パンクの精神」そのものだと称され、ボーカルの ロットンと人気を二分したシド・ヴィシャスは、ベースなど弾けないままバンドに入り、ライブではベースをアンプに繋いでさえいなかったという逸話の持ち主。しかし、フラストレーションや怒りを音楽に変えるというパンク本来のパワーや、過去や未来の存在しない「瞬間」を生きようとする様は誰にも真似出来なかった。78年、バンドが解散した数カ月後、ニューヨークのホテルで恋人のナンシー・スパンゲン殺害の容疑で逮捕され、保釈中にヘロインの過剰摂取により21歳の若さでこの世を去る。
一方、過激で社会風刺の効いた歌詞でピストルズの人気を支えたロットン。しかしアンチ・キリスト発言や痛烈な王室制批判などのせいで、右翼や保守派の人々にとって目の敵となる。後に愛国主義者にナイフで襲われ、この後遺症が原因でギターが弾けなくなったという。パンク精神を体現しようとしたシドとは反対に、ロットンは早くからパンクの限界に気づき、78年の米国ツアー中に早々とバンドからの撤退を表明。これによりバンドはわずか2年余りの活動で事実上の解散となる。
若者たちに宛てた声明文 Active Residence to Propaganda
若い人に何を伝え、どうすれば世界をより良い場所に変えられるのか、という疑問から作られたというヴィヴィアンのマニフェストを紹介する「Active Residence to Propaganda(組織的な宣伝への積極的な抵抗)」と名付けられたホーム・ページ。ここでは「情報が溢れているこの時代、どの情報が正しくてどれが操作されているのか、自分で考え、真実を見極めなくてはいけない」と警告が発せられている。「アートは文化を生み出し、その文化こそがプロパガンダの解毒剤なのだ」という彼女の信念が細かに綴られており、2005年のコレクション「プロパガンダ」で使用したスケッチ、アイデアやグラフィックの他、ヴィヴィアンが定期的に行っているマニフェストの討論会を撮影したビデオ映像も見ることが出来る。
www.viviennewestwood.co.uk4ラインの特徴
Gold Label
デミ・クチュールとも呼べるファースト・ラインで、ヴィヴィアンを象徴するライン。パリ・コレクションで発表される。
Red Label
プレタポルテ・ラインでゴールドよりもデイリーに着ることが出来るデザイン。コレクションは行われていない。
MAN
メンズ・ライン。ミラノ・メンズ・コレクションで発表される。
Anglomania
昔のコレクションを復刻したカジュアル・ライン。キングス・ロードのブティック「World's End」で扱っている。
2008年はハリウッドの動きに注目!
ヴィヴィアン・ウェストウッドの類まれなる半生を振り返る、ドキュメンタリー・タッチの映画が来年ハリウッドで製作されるという噂がある。マルコム・マクラーレンとの恋からセックス・ピストルズとのコラボレーション、そしてアンダーグラウンドの世界からパリ・コレクションへの飛躍を振り返る伝記的映画になる予定で、ヴィヴィアン役には人気女優のキルスティン・ダンストの名前も挙がっているとか。
ヴィヴィアン・クロニクル
結婚、出産、インスピレーションとの出会い、そして数々の賞の受賞。デザイナー・デビューから36年を過ぎた今でも活躍し続けるヴィヴィアンの半生、とくとご覧あれ。
| 1941年 | 4月8日、イングランド中部、ダービシャー地方の街グロソップにてヴィヴィアン・イザベ ル・スウェア誕生。 |
| 1957年 | (17歳)家族と共にロンドンに移動。ハロウ・ アート・スクールに入学するも、1学期で中退。 |
| 1962年 | (21歳)スチュワードを務めるデレク・ウェストウッドと結婚。北ロンドン、ウィルスデンの小学校で教師として働き始める。 |
| 1963年 | (22歳)長男、ベンジャミン・アーサー・ウェストウッドが誕生。 |
| 1965年 | (24歳)ウェストウッドと離婚。当時19歳のマルコム・マクラーレンと出会う。 |
| 1967年 | (26歳)マルコムとの間に次男、ジョセフ・ファーディナンド・コレー誕生。 |
| 1971年 | (30歳)マルコムがブティック「Let It Rock」をロンドン、キングス・ロードにオープン。そこでデザイナーとして活動を始める。 |
| 1972年 | (31歳)ブティックの外観と内装を変え、店名もマルコムによって「Too Fast To Live Too Young To Die」となる。 |
| 1974年 | (33歳)店名が「SEX」へ変わる。 |
| 1975年 | (34歳)マルコムがパンク・バンド「Sex Pistols」を発掘、マネージャーとなり、ヴィヴィアンが衣装プロデュースを担当する。 |
| 1976年 | (35歳)店名が「Seditionaries―Clothes for Heroes」となる。 |
| 1979年 | (38歳)店は新しく「World's End」と名付けられ、現在に至るまで変わっていない。 |
| 1981年 | (40歳)マルコムと共に、キャットウォークを使った初のコレクションをロンドン、オリンピアで発表。 |
| 1982年 | (41歳)コレクションの発表をパリに移動する。マルコムと共にブティックの第2号店 「Nostalgia of Mud」をオープン。 |
| 1984年 | (43歳)「Nostalgia of Mud」を閉店。マルコムから独立し、単身イタリアに移動する。東京で行われたファッション・アワード「Best of Five」に招待され、森英恵らと共にコレクションを披露。 |
| 1989年 | (48歳)「世界の優れたデザイナー」6人のうちの1人として選出される。2月、2年間の契約で「Vienna Academy of Applied Arts」のファッション専攻の教授として教壇に立つ。 |
| 1990年 | (49歳)12月、メイフェアのデイヴィス・ストリートにゴールド・レーベルを扱うショップをオープン。ブリティッシュ・ファッション・カウンシルによって「British Designer of the Year」に選ばれる。 |
| 1991年 | (50歳)2年連続で「British Designer of the Year」に選ばれる。 7月、イタリア・フローレンスにて初めて、メンズ・コレクションを発表。 |
| 1992年 | (51歳)「Royal Colledge of Art」にて名誉奨学研究員となる。ファッション・デザイナーとして始めて世界の時計ブランド「スウォッチ」のデザインを手がける。 12月、エリザベス女王よりOBE(大英帝国勲章)を受賞。 ヴェニスで教師をしている際に出会った元教え子で25歳年下のオーストリア人、アンドレア・ クロンザラーと結婚。 |
| 1993年 | (52歳)秋冬コレクションのために独自のタータン・チェック「McAndreas」を作製。この年から現在に至るまで、ドイツ、ベルリンの「Berliner Hochschule der Knste」においてファッション専攻の教授として教壇に立つ。 |
| 1996年 | (55歳)1月、ミラノで新しいメンズ・ライン「MAN」のコレクションを発表。 |
| 1998年 | (57歳)ヴィヴィアン・ウェストウッド社がエリザベス女王より「輸出部門成長企業会社」として表彰される。9月、最初のフレグランス「Boudoir」がロンドンで発表される。 11月、モエ・シャンドン・ファッション・トリビュート第1回目の受賞者に選ばれる。 |
| 2000年 | (59歳)セカンド・フレグランス「Libertine」 を発表。 |
| 2003年 | (62歳)6月、「UK Fashion Expart for Design」賞を受賞。 |
| 2004年 | (63歳)4月、ロンドンのV&Aミュージアムにて34年間の軌跡を辿る回顧展を開催。08年まで世界各地のミュージアムを周る予定。 |
| 2005年 | (64歳)9月、英国を拠点とする人権保護団体「Liverty」に参加。 |
| 2006年 | 1月(65歳)、英国人デザイナーとして初めて、エリザベス女王よりDameの称号を与えられる。3度目となる「British Designer of the Year」を受賞。3月、ダイアモンド・ライン「Hardcore Diamonds」を発表。コスメティック・ライン「Vivienne Westwood Cosmetics」を発表。 |
| 2007年 | (66歳)キングス・カレッジ・ロンドンの卒業生が着用するガウンをデザイン。2008年の夏に行われる卒業式で、正式にお披露目される予定。 |



在留届は提出しましたか?
71年の「Let It Rock」で発売していた「ROCK」Tシャツ
グルグルと逆回りする時計は、26年前から変わっていない
85年の「Mini Clini」コレクション
初のコレクション「Pirate」から
ボタンやアクセサリーなど、様々なデザインに使われているロゴ、オーブ
ボタンやアクセサリーなど、様々なデザインに使われているロゴ、オーブ
ボタンやアクセサリーなど、様々なデザインに使われているロゴ、オーブ
87年に従来のコルセットの概念を打ち破って以来、毎年のように斬新な、デザインが発表されている
87年に従来のコルセットの概念を打ち破って以来、毎年のように斬新な、デザインが発表されている
同年の「Harris Tweed」コレクションより
89年の「Voyage to Cythera」コレクションでは、モダンと中世のスタイルを斬新にミックス
89年の「Voyage to Cythera」コレクションでは、モダンと中世のスタイルを斬新にミックス










可憐と優美 ─ 将来期待のバレリーナ




退役軍人組織「Ex-Service Action Group」の統計によると、英国全体に存在するホームレスのうち約22%が元軍人。彼らの多くが義務教育を終えた直後に入隊し、以後は軍隊の中でまるで自身の家族を築くかのような生活を送るために、一般社会に出てから自立した生活を営む際に問題を抱えてしまう場合があるという。また戦場という危機的状況には対応出来ても実社会における職業的技術を持ち合わせていないため就職が出来なかったり、場合によっては戦場でトラウマを抱えてしまった者などが除隊後に社会に適応できなかったりしてホームレスになってしまう場合が多い。今ではホームレスのためのチャリティ団体「Crisis」でボランティアとして働くスコットランド出身の64歳、エドウィン・リントンさんもかつてはそのうちの1人だった。
35歳、ニューカッスル出身
ただバスキングをしていた時の方が、日によっては自由に使えるお金が多かった。まだロンドンのウォータールー駅でバスキングを始めたばかりの頃、習いたてのギターではわずか1曲しか弾けなかったにも関わらず、1日で50ポンドも稼いだことがあるという。「でも路上生活していると、食べ物、飲み物も購入しなければならないので結局は高くつきますね。ホステルであれば食事は安く提供してもらえますから」。
1991年に英国で創刊され、2003年からは日本版も発売が開始されたホームレスが販売するストリート・ペーパー、「ビッグ・イシュー」。労働の場を提供することでホームレスの人々に自立を促すことを目的とした同誌では、一部を£1.50で販売、このうち£0.80が販売員の収入となり、残り£0.70がビッグ・イシューの製作費、人件費として徴収される。ホステルなどに住んでいる「見えないホームレス」たちにとっては、住居費などを政府の援助で賄うことが出来るので、売った部数がそのまま収入になる。ビッグ・イシューの販売経験のあるデービッドさんは1日に30部をさばき計£24の収入を得たことがあるようだ。
私たちのチャリティ団体では、ホステルやB&Bなどに住むいわゆる「隠れたホームレス」たちを悪循環から救い、自立した生活を送ることが出来るように働き掛けています。


Illegal Sleep 2007 © Zarina Bhimji. DACS, London 2007
Shadows and Disturbances 2007 Courtesy of the artist and Haunch of Venison, London ©Zarina Bhimji. DACS, London 2007
壁に空いた穴をのぞくと、上の砂漠のような風景が広がる
AMNESIAC SHRINE or Double Coop Displacement, Matt's Gallery, 2006 ©Mike Nelson Courtesy the artist and Matt's Gallery, London.
Mirror Infill, 2006 Commissioned and produced by Frieze Projects ©Mike Nelson Courtesy the artist and Matt's Gallery, London
Sleeper 2004-5
State Britain, 2007 Installation view at Tate Britain ©Mark Wallinger Photo: Sam Drake, Tate Photography
There Will Be No Miracles Here 2006 Courtesy of the artist, doggerfisher and Haunch of Venison, London ©Nathan Coley . Photo: Photography: David Lambert & Rod Tidnam, Tate
Camouflage Church, 2006 ©Nathan Coley Courtesy doggerfisher and Haunch of Venison
左)Hope and Glory 2007 Courtesy of the artist, doggerfisher and Haunch of Venison, London ©Nathan Coley . Photo: Photography: David Lambert & Rod Tidnam, Tate


















F&Mと言えば紅茶にスイーツ。もはや英国みやげの代名詞とも言えるこれらの商品が一同に介するのがGround Floor。以前よりも空間に余裕を持たせ、整然とした配置になっているのが嬉しい。品格漂うダークグリーンの紅茶の定番パッケージが、現在は銀色をメインに、アクセントでブランド・カラーの青みがかったグリーン「Eau de Nil」を使ったニュー・デザインに。年末年始の、いつもとは一味違うおみやげにいかが!?
扉を開けるとまず出迎えてくれるのが、クリスマス・デコレーション。ツリーに馬車、サンタクロース。奇抜なものはないけれど、欧州でこの時期を過ごす喜びが感じられる、伝統的なクリスマスの姿がここにはある。色とりどりのマカロンでつくられたタワーや砂糖菓子のデコレーション・ケーキには子供も大喜び。
そして紅茶と並び、F&Mの主力商品とも言えるハンパー。300周年を迎える今年は特に種類が豊富。全部で38種類のハンパーが、恭しく鎮座している。別欄でご紹介している300周年記念の「The Tercenturian」(2万ポンドなり!)はもちろんのこと、「The Imperial」「The Winsor」など、商品名からして気品漂うハンパーの数々は、購入することはできなくても、見ているだけでもワクワクしてくる。



今回の改装で一番の変化を遂げたのがここ、地階。上から覗き込めば、彩りも鮮やかな野菜や果物が顔を出す。正面奥には高級感漂うデリカテッセンと、肉や魚、チーズのコーナーが。左手にはワイン・コーナー。その隣には創立年を冠したバー、1707ワイン・バーがあり、コーナーにあるどんな商品でも一律10ポンドの持ち込み料プラス小売価格で楽しむことができる。
毎年クリスマスが近付くと人々の話題となるのがF&Mのハンパー。日本で言うならば、年末年始の福袋?今年のハンパーは全部で38種類。その中でも驚きなのが、一つ2万ポンド(約474万円)の「究極」のハンパー、「Tercenturian」だ。3種類の異なるフルーツ・ケーキから成る3段重ねのケーキ、ジェロボーム社のシャンペン、300年記念シャンペン・トリュフ、カシミアのマフラーなどなどが入ったこのハンパー、注文するともれなくF&Mの専用馬車でご配達。包みを開ける前からスペシャルなひと時は始まっているのだ。
F&Mではその昔、すべての届け物を馬と馬車を使って行っていた。その伝統を継承し、F&Mでは今でも希望により馬と馬車を使った配達を行っている。そのお値段は受け取り人一人につきなんと1000ポンド(約23万6500円)! 下手したら買った商品よりも配達料の方がずっと高くつく、さすがの高級サービスだ。
チャールズ・ディケンズと言えば、「オリバー・ツイスト」や「クリスマス・キャロル」など、貧困層の人々の生活を臨場感あるタッチで描くことで知られる大文豪。そんなイメージからすると意外や意外、彼は高級感漂うF&Mの大ファンとしてとみに知られる人物だった。彼は世界的競馬大会、エプソン・ダービーについて、次のように述べている。「ほら、見てごらん。フォートナム・アンド・メイソンが見える。どのハンパーも悠々と広げられていて、芝生の上にはロブスター・サラダが咲き誇っているかのようだ」。ディケンズのほか、米国生まれ英国育ちの人気作家、ヘンリー・ジェイムズなども同様にF&Mのファンだったというから、当時から知的階級に愛される、気品漂うデパートだったのだろう。



伝説のジャズ・シンガー、エラ・フィッツジェラルドの生誕90年を祝い、数々のトリビュート・アルバムも発売されている今年。フェスティバルのオープニングとなるこの日は、国際的に活躍するアーティストが共演、それぞれが持つ「伝説」へのトリビュートを捧げる。今年はロンドン・ジャズ・フェスティバルも記念すべき15周年を迎え、「ダブルおめでた」が重なったことから、実に豪華なプログラムが実現した。参加アーティストは、英国のR&B界を代表する若き実力派歌手のジャメリア、そして「英国ジャズ界のファースト・レディー」と称されるシンガー、クレア・マーティン、3.5オクターブの美声を持つアーモンド・マカモントなど。
米国人トランペット奏者・作曲家のジョン・ハッセルは、エレクトロニクスを積極的に使うことにより「第4世界」と呼ばれる音楽スタイルを創り上げた、ワールド・ミュージック・シーンの立役者だ。米国のミニマリズムの流れを汲んだ、彼独特のハスキーでむせび泣くようなトランペットの音色、そして民族音楽風のパーカッション、さらに「Windows 95」の起動音を作曲したミュージシャン、ブライアン・イーノのシンセサイザーを加えた実験的なアルバムでは、環境音楽をメイン・ストリームに変えるという偉業を成し遂げた。東洋と西洋が溶け合った、音楽というよりも「アート」に近いハッセルの演奏を体験してみよう。
ジョン・ダンクワース 1927~
革新的な音楽性、そして他の追随を許さない演奏技術により、数々の名曲を生み出してきたピアニスト・作曲家のチック・コリア。ジャズを基本に、ボサノヴァ、ロック、クラシックなどの要素を取り入れた演奏が彼の持ち味だ。一方、「ザ・職人技」でバンジョーを自在に操る天才プレイヤー、べラ・フレックは、意外性と想像力で、この楽器の限定されたジャンルを解き放った先駆者である。1994年以降、何度か一緒にステージを踏んで来たこの各界を代表する2人が、 今年初めてデュオ・アルバムを完成させた。ラテン、ゴスペル、ブルーグラス、ジプシー音楽がミックスされたというこのアルバム、2人の超絶技にもだえよう。
チェット・ベイカー 1929~1988
カリブ音楽の発展に大きく貢献したジャマイカ出身の伝説的なギタリスト、アーネスト・ラングリンは、50年代後半にジャマイカで大流行した「スカ」の誕生を導いたキー・パーソンでもある。当時、アメリカン・ジャズの影響を受けたジャマイカのR&Bバンドでシャッフル・ギターを演奏していたアーネストは、ギターのカッティングに一呼吸の間を取り入れ、これがスカの独特のリズムにつながったという。レゲエとジャズを融合させることに成功した稀有なアーティストのライブでは、太陽をたくさん浴びた音に出会えるはず。
米国のサックス奏者・作曲家であるジョシュア・レッドマンは、世界を舞台に活躍するサックス奏者のデューイ・レッドマンを父に持つ、ジャズ界のサラブレッド。91年のデビュー以降、すでにチャーリー・へイデンやチック・コリアなど、数多くの大御所たちとの共演も果たし、現在は2つのバンド・リーダーとしても活躍している。プリンスからビートルズ、はたまたロック、ファンクからエレクトロニカまで、どんなジャンルでも自分色に染めてしまえる若き天才だ。一方、今年デビュー・アルバムを発売し、早くも「ブリティッシュ・ジャズ史上、最も重要なバンドの1つ」と称される若手バンド、エンピリカル。手に汗握るような疾走感、そして独創的なコンテンポラリー・ジャズには、観客もインスパイアされるはず。
英国の若手ジャズ・プレイヤーを発掘し世界に発信するインディペンデント・ジャズ・レーベル「Dune Music」の設立10周年を記念して、2部にわたって行われるコンサート。第1部では、ニューオリンズで活躍するトランペット奏者、アブラム・ウィルソンとロンドン・コミュニティー合唱団が「Roll Jordan Roll」を演奏する。この曲は、テネシー州で開放された奴隷たち11人が集まって結成した「フィスク・ジュビリー・シンガーズ」(コラム「ゴスペル」を参照)の物語を唄ったもの。第2部の「Tighten Up」では、カリブ海出身の先鋭ジャズマンたちが作曲家、ゲイリー・クロスビーにトリビュートを捧げる。豪華なスペシャル・ゲストを迎え、スカ、ブルー・ビート、レゲエが入り混じるスコアを演奏。このジャマイカン・スターたちの豪華共演は、じっと座っていられないほどエキサイティングなものになるはずだ。
もしソニー・ローリンズが存在しなかったならば、現在のジャズは一体どういうものになっていたのだろう。現在の「ジャズ」という音楽、そして演奏スタイルを確立した人物の1人であるサックス奏者のローリンズは、ジョン・コルトレーンやコールマン・ホーキンズと並んで「テナー・サックスの巨匠」と称される生ける伝説だ。40年代後半から、マイルズ・デイビスやマックス・ローチといった偉大なミュージシャンたちとレコーディグをしてきたローリンズが、このライブではビーボップやソウルフルなバラード、カリプソなどを演奏する。77歳になってもエネルギッシュなライブで観客を魅了するローリンズを、生で聴くことが出来る貴重なチャンスだ。
エラ・フィッツジェラルドの生誕90周年を記念したプログラムから始まったこのフェスティバルを締めくくるのは、同じくジャズ界の重鎮で、奇しくも今年生誕90周年を数えるセロニアス・モンクへのトリビュートだ。10日間にわたる熱狂的なジャズの宴のクロージングに相応しく、英サックス奏者、トニー・コフィが率いる7ピース・バンドが3セッション、約6時間というスケールで、モンクの作曲した全70ナンバーを演奏する。モンクが残した即興創作精神を受け継ぐコフィが、その日、その場でしか聴くことのできない魂の音楽を奏でてくれる。

シャーロック・ホームズが活躍する冒険譚は、1887年に発表された「緋色の研究」から1927年の「ショスコム荘」まで、40年にわたり60編(4つの長編と56の短編)が刊行されています。最初の2作「緋色の研究」と「四つの署名」を除く、58作すべてが月刊誌「ストランド・マガジン」に掲載されました。事件の舞台はヴィクトリア女王の大英帝国が最盛期を迎え、それゆえに社会のひずみが犯罪を生み出していた19世紀末。ホームズは1881年に出会った相棒のワトソン医師とともに、ロンドンのベイカー街221Bに拠点を構え、次々と事件を解決していきます。1891年に「最後の事件」で宿敵のモリアーティ教授と決闘して行方不明になりますが、3年後に「空家の冒険」で帰還。1903年に引退してからは、一度だけ第一次大戦前にドイツの諜報網と戦ったのを除き、サセックスの丘で養蜂をしながら暮らしています。
ホームズの生みの親、アーサー・コナン・ドイルは、1859年にエディンバラで生まれ、イエズス会系のストニハースト神学校からエディンバラ大学医学部に進みました。ここで出会ったジョゼフ・ベル博士がシャーロック・ホームズのモデルとなります。父親がアルコール依存症だったため家は貧しく、ドイルは捕鯨船やアフリカ航路の汽船に船医として乗り込んで家計を支えましたが、この時の体験が後の創作に役立ったのです。やがてポーツマスで開業、その傍ら、小説を書き始めます。ホームズが人気を博すと作家に専念するものの、歴史小説家を自認するドイルはホームズが煩わしくなり、決闘させて葬ってしまいます。しかし読者からの激しい抗議、そして出版社の説得によって、しぶしぶホームズを復活させました。ドイルの歴史小説「白衣の騎士団」や「勇将ジェラール」は忘れられ、皮肉にもシャーロック・ホームズやSF「失われた世界」(映画「ロストワールド」の原作)がいまだに読み継がれています。現実社会でもジョージ・エダルジ事件などで被疑者の冤罪を晴らすために、ホームズばりの推理で尽力。晩年は、第一次大戦で息子を失ってから心霊学に傾倒し、1930年に71歳で没しました。
オックスフォード・ペーパーバックスからは、本家英国の知識を結集した「詳注版シャーロック・ホームズ全集」が出ています。物語のすべてのキーワードに註釈がついており、例えば人名や地名が出てくれば、それが実在か架空か、実在ならその説明を、架空なら関連のある候補を、それぞれ詳述しています。またワインや食事が出てくれば、そのヴィンテージや料理法まで紹介されるという具合で、ホームズの世界を身近にリアルに体験することができます。
フランクリン・ ルーズベルト米国 大統領、トルーマ ン同大統領は熱心なシャーロキアンとして有名。SF作家のアイザック・アシモフは「黒後家蜘蛛の会」にシャーロキアンを登場させていますし、現パリ大司教は「ブラウン神父とホームズ」という論文を発表しています。さらに「ナルニア国物語」の作者C・S・ルイスもホームズを愛読していました。また喜劇王チャップリンの初舞台はロンドンで演じられた「シャーロック・ホームズ」です。





2. トレードマークの鹿撃帽とインヴァネス・ケイプの記述は原文にはありません。「ストランド・マガジン」誌に掲載された際に挿絵を描いたシドニー・パジットがつけ加えたものです。
5. 当時のベイカー街は85番地までしかありませんでした。ホームズが住んでいたとされる221番地が登場したのはベイカー街がアッパー・ベイカー街と一続きになった1930年のことです。






排気ガスを排出する車以外の交通手段をもっと利用してもらおうと、ニュー・フォレストでは電車で来た人に様々な特典を与えている。例えばゲストハウス「Rufus House」では、当日付けの最寄駅までの電車切符を受付で見せれば、宿泊費の1割を割引。他にもホテルでのマッサージや、カフェで紅茶1杯を無料で提供するなど、同地では電車利用者に対して様々な特別サービスを用意している。
ニュー・フォレストでは、80以上の宿泊施設が集まって「グリーン・リーフ・ツーリズム・スキーム」と呼ばれる環境プロジェクト・チームを結成。リサイクルの方法などに関する情報交換を行っている。
ニュー・フォレストでは電気自動車の普及にも力を入れている。市内で現在利用されているのは12台。今後はより多くのホテルに専用の充電所を設けることを検討中だという。また低排出ガス車をベースとしたバス交通網の整備や、自転車の貸し出しも行っている。
ニュー・フォレストでは、今では世界規模で流行している エコ運動にもう20年も前から取り組んでいます。ここでは観光が4億ポンド(約880億円)の収入をもたらす、地元最大の産業なんです。そしてだからこそ、観光客と住民、そして地元企業すべてが満足できるような環境政策の仕組みを考案 する必要があります。
ロンドンを始めとする英国内の多くの地域においては、近年までゴミの分別回収が行われていない場所がほとんどだった。英国では日本のようにゴミの焼却処理を行わず、ほとんどの場合がそのまま埋め立て処分となっているため。ただ最近になってロンドンではバーネット区、ハックニー区などそれぞれの行政区が独自にゴミのリサイクルを義務付けた取り決めを実施している。この動きに伴い、それぞれの区は異なる色のゴミ袋やゴミ箱の配布を始めたため、市民の間でもゴミ分別の習慣が浸透してきた。
忙しいパリジャンにとって車は生活必需品。パリでは車の交通量が年々増え続け、排気ガスによる公害が問題視されている。そこで現地では7月から、最初の30分は利用料が無料の自転車貸し出しサービス「Velib」がスタート。天気の良い日には、1日の利用者が10万人を超えるまでに定着した。さらに以前は1乗車1チケットだった路面電車の乗車切符が、乗車後1時間30分は有効となり、利用者は路面電車とバスを使った乗り継ぎ移動することが可能となった。
進行中のグルネル計画
3. コーヒー・タイムには、紙コップではなく、自分のマグカップを持参する。
話題の自転車貸し出しサービス「Velib」についてはもう皆さんご存知だと思います。私はまだ利用したことはありませんが、環境に優しくしかも人間にとっても健康的で、非常に良い企画だと思いませんか。私はパリ郊外に住んでいるのですが、この計画が上手く進み、パリ市内だけではなく郊外にもどんどん広がってくれればうれしいですね。
セーヌサンドニ

再生可能エネルギーの使用を全使用電力の50%とする低エネルギー住宅への改築を計画している場合には、市が最高8000ユーロ(約130万円)の補助金を出している。また暖房の補完などに太陽光発電設備を作る場合も助成される。
CO2の削減が重要な課題であるとして、同市議会はCO2排出量を1992年比で少なくとも30%削減する目標を決議。企業のみならず、家庭から出るCO2量の削減につなげようという「CO2ダイエット計画」を推進している。同プロジェクトは3段階に分かれており、まず①インターネットのサイト上で自分のデータを入力して排出量を算出。傾向を把握したうえで、②CO2削減策が提供され、③さらに気候保護プロジェクトへの参加や出資など、CO2排出量をゼロにもっていくような提言がなされる、という仕組みだ。
フライブルク市は1970年代に原発建設の構想が持ち上がり、 市民運動によって建設をストップさせたドイツで最初の自治体です。それゆえに環境に対する市民の意識は非常に高いのです。
永住権・市民権とは
それでは早速、問題にチャレンジしてみよう。ここでは英国の内務省ほかが発表している例題を掲載した。設問は本番と同じ24問で英語での出題、そして制限時間は45分。それでは、開始!
7. Who is the current heir to the throne?
15. Where is the Prime Minister's official home in London?
19. Which of these statements is correct?
本誌に連載中のコラム「
「裸のランチ」で知られるデービッド・クローネンバーグ監督の新作は、ヴィゴ・モーテンセン(ロード・オブ・ザ・リング)やナオミ・ワッツ(キング・コング)、ヴァンサン・カッセル(オーシャンズ13)らがロンドンの血生臭い闇社会に生きるロシア系マフィアを描く、犯罪スリラー作品。米ローリング・ストー ンズ誌の2005年のBest Filmトップ10で堂々の1位に輝いた前作「ヒストリー・オブ・バイオレンス」に続き、監督とヴィゴが再びタッグを組んでいる。先月行われたトロント映画祭では、最高賞にあたる観客賞を受賞した注目作だ。
米国のアフガニスタン侵攻をめぐり、3つのストーリーが絡み合う社会派映画。主要キャストのロバート・レッドフォード、メリル・ストリープ、トム・クルーズの3人は、計21回のオスカーのノミネートを受け、4回のオスカー受賞経験がある「ザ・ハリウッド」集団だ。
1940年前後、日本軍占領下の上海と香港が舞台となったこの作品は、今年度のベネチア国際映画祭で金獅子賞を受賞した注目のサスペンス・ドラマだ。総制作費40億円、しかも監督は「ブロークバック・マウンテン」でも同賞を受賞、さらにアカデミー賞監督賞も獲得したアン・リーとくれば、かなりのクオリティーが期待できる。
シンガー・ソングライターの神様的な存在、そして「時代の声」と称されたボブ・ディラン。詩人として、ノーベル文学賞にノミネートされたことすらある。才能の多彩さゆえに、カメレオンのように複数の人格を演じてきた、ドラマティックな人生──これは6人のキャストが1人の天才を描く、異色の作品だ。
長編デビュー作「Thank You for Smoking」で抜群の笑いのセンスを見せたジェイソン・ライトマン監督の新作は、10代の少女の妊娠騒動をめぐるブラック・コメディーだ。主人公のジューノ役を務めるのは、「X-MEN: ファイナル・ディシジョン」や「ハードキャンディ」で複雑な役柄を演じ、20歳ながらすでに10年近い演技歴と大物の貫禄を持つエレン・ペイジ。彼女の鮮烈な、そして良い具合に力の抜けた演技は一見の価値有り。
ベン・アフレックが初の監督に挑んだ意欲作。先月フランスでプレミア上映され好評を得たこの作品だが、5月にポルトガルで4歳の英国人、マデリン・マッカーンちゃんが宿泊先から姿を消した失踪事件と内容が酷似しているため、現在、予定されていた英国での公開が配給元の判断により中止されている。
西部開拓時代を生きた伝説の悪党、ジェシーが手下のロバート・フォードに暗殺されるまでの日々、そして彼の生き様とその裏側にある本当の姿を描く西部ドラマ。ブラッド・ピットがカリスマ的な極悪人を好演、ベネチア国際映画祭で主演男優賞を獲得している。
伝記映画「バスキア」で監督デビュー、2002年の「夜になるまえに」では、ベネチア国際映画祭で審査委員グランプリを受賞したジュリアン・シュナベール監督。彼女の新作は、実在したフランス人ジャーナリストの奇跡的な半生を映画化したもの。
オティリアを演じるアナマリア・マリンカは、英国アカデミー賞テレビ部門で主演女優賞を受賞したこともある、注目のルーマニア人女優。この映画で、ルーマニア作品は実に11年ぶりにカンヌ国際映画祭のコンペティションに選ばれ、パルムドール賞を受賞した。
ドキュメンタリーの面白さ、そして何よりも「映画で現状を変えることができる」ということを世界に再認識させたマイケル・ムーア監督。かなりゴリ押しでテイストが強いため、ドキュメンタリーとしては珍しく、そのスタイルにはっきり好き嫌いが分かれるのも事実。しかし、米国の銃社会の真実を追った「ボーリング・フォー・コロンバイン」、そしてイラク戦争に真っ向から反対した「華氏911」の公開後に世界各国の観客が見せた諸問題への危機感と関心の高さから、監督の確かな実力が伺える。全米の医療業界で「マイケル・ムーア対策マニュアル」なるものが制作されたという今回の作品も、米国での公開後、来年の大統領選候補者の多くが「公的健康保険の導入」を公約に掲げ始めたという影響力の強さを見せつけた。
「ザ・ロイヤル・テネンバウムズ」で世界中にコアなファン層を獲得したウェス・アンダーソン監督の新作。大学時代に監督とルームメイトだったというオーウェン・ウィルソンとは、これでコラボ4作目となる。メイン・キャストは他に、エイドリアン・ブロディ(戦場のピアニスト)、 そしてアンダーソン・シュワルツマン(マリー・アントワネット)といった、演技派だけど、かなりアクの強い面々。アンダーソン監督らしい、周りに馴染めない、ちょっと変な人間たちを皮肉を交えながらもコミカルに演じている。脚本はアンダーソン、シュワルツマン、ローマン・コッポラ(フランシス・F・コッポラの息子で、ソフィア・コッポラの兄。シュワルツマンは従兄弟にあたる)の共同執筆というから、それだけで期待大だ。
「暴力映画は撮らない」と宣言してしまったギャング映画専門の監督キタノ・タケシ。なんとか話題作を創ろうと、いろんなジャンルに手当たりしだい挑戦するが、どれもことごとく失敗に終わる。そんな時、開き直ったキタノの脳裏に閃いたのは……?監督の映画に対する愛を盛り込んだ、笑いと衝撃のエンターテインメント作品。
海外映画祭での受賞が相次ぐ映像作家、園子温が作り出す異様な世界と、髪フェチを演じる大杉漣の怪演に釘付けになること間違いなしの、パニック・ホラー映画。ある日、美容師を目指す優子が働く美容室に、奇妙な男がエクステを売りに来る。しかし、そのエクステを身につけた女性たちが、次々と怪死し始め……。
周防正行監督が「Shall We ダンス?」から10年ぶりに制作した待望の新作。フリーターの金子徹平は、朝の通勤ラッシュで混雑する電車に乗り、身に覚えのない痴漢容疑を掛けられる。誰も彼の言葉を信じてくれず有罪判決が下るが、金子は無実を証明するために戦い続ける。第80回アカデミー賞外国語映画部門にエントリーされたドラマ作品。
90年代初頭、とある田舎町・松ヶ根で警察官をしている光太郎は、退屈な町の生活にうんざりしていた。しかしある日、流れ者のカップル、みゆきと祐二が松ヶ根にやってきてから事態は一転する。何か訳ありらしい2人の出現をきっかけに、ひき逃げ、金塊騒動、ゆすり、床屋の娘の妊娠と、町の平和に波風が立ち始める。
「萌(もえ)の朱雀(すざく)」でカンヌ国際映画祭新人監督賞を史上最年少で受賞した河瀬監督は、この作品で今年度の同映画祭にて、審査員特別賞を受賞した。軽度の認知症を患うしげきは、33年前に亡くなった妻の思い出と共に、奈良県の山間地で静かに暮らしている。新しく介護福祉士としてやってきた真千子と次第に心を開き合っていくが、ある日、2人は深い森に迷いこんでしまう。
前作「ピンポン」で独特な映像感覚を見せた曽利監督は、今回「3Dライブ・アニメーション」という世界最先端の技術で映像表現の限界に挑む。2077年、日本がハイテク技術を駆使して鎖国を強行してから10年が経つ。実情をさぐるため、米国特殊部隊のベクシルは日本に侵入するが、そこにあるのは荒涼とした大地だけだった……。全世界129カ国での公開も決定。






