曲名も知らない、作曲家名も知らない。でもいつまでも心に残って離れない、そんな曲はないだろうか。バイオリニスト/作曲家の葉加瀬太郎は、そういう曲を生み出すことのできる音楽家だ。代表作の一つ、「エトピリカ」。その曲名を知らなくとも、TBSのドキュメンタリー番組「情熱大陸」 のクライマックスで、すっと始まる一筋の旋律の美しさに、その音色の煌めきに、心奪われた記憶を持つ人は多いだろう。無意識のうちに心に住まう、そんな曲をつくり続ける彼が3月、ロンドンでクラシックの名曲をメインに据えたコンサートを開催する。なぜ今、クラシックなのか。 現在は練習の真っ最中という葉加瀬に、その心境の変化を聞いた。
(取材・文: 村上祥子、写真: Maiko Akatsuka)
1968年1月23日大阪府生まれ。90年、東京藝術大学在学時にKRYZLER&KOMPANYのバイオリニス トとしてデビュー。96年に解散後はソロとして活躍。同年10月、セリーヌ・ディオンのワールド・ツアー に参加し、世界にその名を広げる。2002年には自身が音楽総監督を務める「アーティスト自身が自由に創作できるレーベル」、HATSを設立。以降はプロデューサーとしても本格的に活動している。代表作にTBS番組「情熱大陸」テーマ曲や、人気ゲーム、ファ イナル・ファンタジーⅦ交響詩「希望」など。
ストライプのスーツにカラフルなポケット・チーフ。そしてトレードマークとも言える個性的な髪型からは、楽しくて仕方がないという風情の笑顔が覗く。真っ白で殺風景な小部屋で行われた今回のインタビュー。葉加瀬太郎はその穏やかな語り口とは対照的に、自らのつくり出す曲同様、色彩鮮やかで幸福感に満ちた強烈なオーラであっという間に部屋の空気を染め変えた。

ジャンル分けできない音楽
「気が付けばそこにある音楽」。多くの人にとって、葉加瀬太郎の音楽とはそんな存在なのではないだろうか。テ レビをつければ葉加瀬作曲のテーマ曲が流れ、コンピュー ター・ゲームを楽しめば彼の音楽がBGMとしてストー リーに彩りを添えている。我々の日常生活に知らぬ間に浸透している、それが葉加瀬太郎の音楽だ。1990年、当時、東京藝術大学の学生だった葉加瀬はクライズラー&カンパ ニーというバンドでメジャー・デビュー。バイオリン、ベース、キーボードという編成、クラシックの名曲をポップにアレンジした手法、そして派手な衣装とダンスも取り入れた華やかなパフォーマンス。そのすべてが当時は斬新なものだった。
「ジャンル分けができない音楽ってよく言われていましたね。面白いなと思ったのは、色々な人からこれだけバイオリンの音楽がテレビで流れてくる国は日本しかないって言われたんです。僕の今までのキャリアが、それまでなかっ たものをつくり出す力に、少しはなれたんじゃないかという自負はあります」。
「バイオリンでポピュラーなものができるかっていうことに気が付くかどうか」、これがポイントだったと葉加瀬は言う。「日本だとバイオリン・イコール・コンサートホール、クラシックで拍手もしちゃいけないっていう、アカデミックなイメージがあるんだよね。でもヨーロッパだとストリートにもたくさん溢れているし、フォークでも使われているから、また違った側面がある。だからバイオリンという楽器はもっとフレンドリーなものだと伝えたいっていうのは、若い時からずっと考えてきたし、やってきたつも りです」。
バイオリンをもっと身近に感じてもらう。藝大出身、もともとは「アカデミックな」クラシックを学んできたのであろう葉加瀬がこう考えるようになったのは、いつの頃からなのだろうか。
「クラシック界の異端」への道
クラシック以外の世界に目覚めた時、それは18、19歳の頃だった。4歳からバイオリンを始め、お小遣いはすべてクラシックのアルバムに。小さな頃からヘッドフォンでクラ シックを聴きながら宙に向かって指揮をしていたという自称「クラシックおたく」の葉加瀬は、藝大でカルチャー・ショックを受ける。「ロックに出会ってしまったんですよ」。 素人の目から見ると、それこそ藝大イコール・クラシック漬けというイメージがあるが、葉加瀬いわく、「他の音大 だったら、僕の人生は全く変わっていたかもしれない」という。藝大は芸術の総合大学。音楽だけでなく、通り一本隔てたところには美術学部があった。
「油絵、彫刻みたいなファインアートをやってる人たちは筋金入りの音楽しか聴かないのね。分かりやすく言うと、ストーンズかボブ・マーレーかセックスピストルズ。ほかは音楽じゃないっていう世界なんです。そんな彼らと仲良くなって、何しろ『つくり出す』というエネルギーに魅せられた。例えば僕がバイオリンを弾くとすると、バッハとかベートーベンとか、楽譜がないと何もできない。でも彼らは粘土とか木とかキャンバスがあれば「はい、これが僕です」って言えるでしょう? そこに自分のジレンマという か、フラストレーションを感じて。何かつくり出さなきゃなって思わせてくれたのが彼らだった」。
そこから葉加瀬の人生は急展開を迎える。バンドを組み、曲を書き始める。そしてパンクの洗礼を受けて、大急ぎで ビートルズからエルビスまでを「勉強」。「チャイコフスキー・コンクールで1位をとるよりも、オリコンのチャート・インでしょう」と思い、ポピュラーな業界に入るため、バイオリンで出来る、ありとあらゆるバイトをやった。
「一番始めにやったのが、近藤真彦『森の石松』(笑)。明治座、3カ月公演で1ステージ3000円でした。で、次が劇団四季。これは2~3年くらいやったかな。とにかく目立たなきゃと思って。(オーケストラ)ピットって舞台の下 にあるから、目立たないわけです。だからバイオリンのフ レーズがある時には椅子の上に立って弾くわけ。役者さんたちからは、おかしな奴がいるぞってなって、かわいがっていただきました。そこから藝大の変な奴がいるぞ、と色々なところから声がかかるようになって、セッション・ミュージシャンとして働くようになりました。レコ大も紅白も全部やってましたね。とにかく知ってほしいって何でもやりました」。
そしてそんながむしゃらな生活のなかで、偶然とも必然ともいえる出会いがあった。東京都町田市の小さなカフェ。そこでバイオリン、シンセサイザー、ベースの3人でティータイム・コンサートをやっていた時に訪れたのが、後にクライズラー&カンパニーの生みの親となる音楽プロデューサーだった。クライズラーでの日々では、年間平均 100本にも及ぶコンサートで「お客さんの意味というか、力が一番大切っていうのを教わった」という。曲、演奏、そして話術。そのすべてで観客を魅了する葉加瀬のコミュニケーション能力、コンサート・スタイルは、このクライズラー時代に培われたといって良いだろう。

クライズラー&カンパニー時代の葉加瀬
「ロンドンに恋に落ちた」
デビュー後、約6年間の活動期間を経て1996年、クライ ズラー&カンパニーは日本武道館での公演を最後に解散。その直後、葉加瀬の後の人生を左右することになる出来事があった。世界の歌姫、セリーヌ・ディオンが日本でつくった曲、「To Love You More」。日本では連続ドラマの主題歌となり一世を風靡したこの曲の制作段階から関 わっていた葉加瀬は、この年から約3年間、世界中を周る彼女の100回以上ものコンサートに同行した。
「たった1曲だけのスペシャル・ゲストで、毎晩毎晩、仕事は5分くらいしかないんですけど(笑)。アメリカには3カ月、ヨーロッパも主要都市は全部周りました。そんななかで、なぜかロンドンだけに、ものすごく強く惹かれたんです」。
その後、98~99年には再びロンドンを訪れ、今度は2カ月ほど滞在してレコーディング。この時に「この街に恋に落ちてしまった」。それから約10年、やっと念願かない、昨年9月に家族とともにロンドンに居を構えた。ロンドン西部に住み始めて早数カ月。日々生活を送るうえで、この街の持つマイナス面も見えてきたのではないだろうか。
「確かに、日本と比べればそれほど便利じゃないっていうのは皆が言うことで。でも僕らの世代だと、ちょうど小さい頃の便利さ加減っていうのと、それほど変わらないんですよ。僕ら高校生の時には、頑張れば部屋にエアコンが付くんだ! とか、頑張ればお湯が出るんだ! とかさ(笑)、すごく単純な一つ一つの希望があったけど、今東京に出てくる大学生にとっては当たり前のことなんだろうし。今の日本の持つその便利さがいいか悪いかっていうと僕もよく分からないけれども、好きか嫌いかっていったら、あんまり好きじゃなくなってきちゃったのね。今は自分でも『リスタート』ということを考えているので、逆にこのくらいの方が気持ち的に合っているんでしょうね」。

チャレンジは王道で
ロンドンでの生活を「リスタート」という言葉で表現した葉加瀬。その言葉を端的に表しているのが、3月に予定されている彼のロンドン・デビュー・コンサートのプログラムだ。ヘンデル、べートーベン、そしてブラームス。大作曲家の著名なソナタがずらりと並ぶ構成。これまでポピュラーであることにこだわり続けた葉加瀬にとって、この心境の変化は何なのだろうか。クラシック回帰なのか、そう尋ねると、一言、「僕にとってはチャレンジなんです」 という答えが返ってきた。
「で、チャレンジするなら、この辺の山の裾野のレパートリーじゃなくて、てっぺんからいくしかないと。今回のプログラムっていうのは、実は僕が子供の頃に憧れていた (イツァーク)パールマン*のリサイタルのレパートリーなんです。とにかくパールマンは僕にとっては神様みたいな存在で、小学校4年生の時に聴いて以来、いまだに一番好きなバイオリン弾きなんですね。これだけ(クラシックとかけ離れた)ポピュラーな曲をやっていても、僕はいつでも彼のプレイをイメージしている。自分のクラシカルなミュージシャンとしてのスタートをどこから始めるかっていったら、そこしかないじゃない? だからてっぺんから行こうって。でもすごい大変です」。
すごい大変、そんな言葉とは裏腹に、その表情と声音はあくまで清々しい。クラシックに魅せられ始まった音楽人生。ありとあらゆるジャンルに親しみながらも、やはり葉加瀬の根底には、常にクラシックが流れているのだろう。クラシック・ファンならずとも知っている有名な曲、王道中の王道を持ってくるその潔さ、そして続く彼の言葉に、何よりもクラシックを愛するミュージシャンとしての強い思いが迸(ほとばし)る。
「よくあるクラシックのコンサートで僕が一番嫌いなのは、マイナーな曲を持ってきましたっていうミュージシャンがいっぱいいるところ。みんな批評家なわけじゃないんだから、知らない音楽を聴く意味はなにもなくて。例えばベー トーベンのソナタっていうのは全部で10曲あるんだけど、演奏会でちゃんと成立するのは、僕は2曲しかないと思ってるのね。5番と9番。それ以外は演奏会では弾くべきじゃない。そうやって選んでいくと、バイオリン・ソナタってそんなにないんです。だから今からトライしていくべきソナタっていうのは、数限られている。残していくべき曲は残していかなきゃいけない。それがマスターピースだから。だから結局、王道しかないんだよね」。
今は練習の真っ最中。これまで自分がつくってきた曲は主に5分くらい。コンサートでは数曲やってMCを入れる、そんなテンポでやってきた彼にとって、30分なりの大曲を演奏することは「まるきり違う作業」であるとともに、 「一番面白い作業」でもあるという。
「やっぱりそれほどフレンドリーなものじゃないと思うんです。30分の曲を拍手なしで聴かせるというのは。ただそうじゃなきゃ味わえない感動っていうのが絶対あるんです。自分が小さい頃に、夢中になって行っていたコンサー トの時に、自分がパールマンの演奏を聴いた時に味わった喜びって何だったかなあっていうのを思い出しながらやっている感じです。それが今の一番のテーマかな」。
*パールマン:イツァーク・パールマン。完璧な技巧で世界中を魅了した、20世紀における最も偉大なバイオリニストの一人。クラシック音楽以外の曲も積極的に取り入れるエンターテイナーでもあった
目指す「バイオリン弾き」の姿
葉加瀬の話を聞いていると、今回のコンサートをきっかけに、完全にクラシックの世界へ移行していくかのように思えるが、その一方でプログラムには葉加瀬作曲の曲も数曲、演奏されるとある。その心には、彼が今後目指す「バイオリン弾き」の姿があった。
「ここ50年くらい、演奏家はクラシックしか弾かなくなったんですけど、そのちょっと前、(ヤッシャ)ハイフェッツ*とかフリッツ・クライスラー*の世代まで、バイオリニストは作曲もすれば、好きな曲を編曲してコンサートで弾 いていたりもしたんですね。今みたいにクラシックとポピュラーっていうのが、生来はっきりと分かれてはいなかった。でも今は単純に、テクニックだけを極めていくの がクラシックの世界で、それ以外だとポピュラーの世界しかないでしょ。たった50年しかたっていないのに、みんな作曲とかアレンジすることをやめちゃって。でも普通は弾いてりゃ書きたくなる。それを今まではポピュラーの世界でやってきたけれど、これからはクラシカルなフィールドで、昔、クライスラーがやってきたことを自分の手でやりたいな、と」。
クライズラー&カンパニーのバンド名の由来ともなった世界的バイオリニストにして作曲家でもあるフリッツ・クライスラー。クライスラーは当時、自分で書いた曲を、バロック時代の曲を見つけてきたなどと偽ってはコンサートで弾いていたのだという。批評家たちは「クライスラーは勉強家だ」と大絶賛。それから30年ほど経って自分のキャ リアの絶頂期でその真実を明かし、批評家たちを煙に巻いたのだそうだ。そんな彼のスタイルを「ウィットに富んでいて格好いいよね」と軽く笑いながら言う葉加瀬だが、そんな言葉の節々に、彼の将来に対する決意が見え隠れする。
「そうやって出来た曲が、今となれば僕たちのレパートリーになっている。そういうふうに自分の曲を、これから の世代の人たちが色々な風に弾いてくれるのはとても嬉しいことだし。やっぱり曲を書くっていうのは、自分のためっていうよりも、楽器で演奏できるレパートリーがみんな のために増えればいいってことだから。今はあまりにもクラシックとエンターテイメントの溝が出来過ぎちゃった。 これからの僕の人生では、その溝を埋めていきたい」。
*いずれもパールマンと並び称される「20世紀最高のバイオリニスト」
「音楽ほど楽しいものはない」
インタビュー当日、葉加瀬には一人の同行者がいた。高田万由子さん。言わずと知れた女優であり、葉加瀬の奥様でもある。葉加瀬の音楽の「一番の理解者」である高田さんは、彼の演奏家としての魅力をこう語ってくれた。
「彼のダイナミックな演奏には、聴く人の心を掴む、何か天性の力が込められているんです。今までのコンサートは全部、お客さんが帰り道で『楽しかったね。また来たいね』って話してもらえるものだったんですね。今までがそうだったんだから、クラシックになったからといって別に眉間にしわを寄せるコンサートにはならない、と思います。やっぱり『楽しかった』っていうのは、人間の一番の根本だと思いますので」。
そう、バイオリンを弾いている時の葉加瀬はいつでも本当に幸せそうだ。バイオリンを弾くことは「世の中で一番楽しい」と断言する葉加瀬の、あまりにまっすぐな物言い に、その場にいた全員が思わず「うらやましい」と笑うと、即座にこう畳みかけた。
「本当に。本当に楽しいんだよ。これはねえ、もうねえ、何度生まれ変わってもバイオリン弾きになると思うけど。 こんなに面白いものはない。音楽ほど楽しいことって世の中にはない」。
こちらが照れくさくなってしまうほどに純粋な、音楽への愛に満ち溢れた言葉。活動のフィールドが変わろうと、ジャンルが変わろうと、彼の音楽に対する喜びと強い思い は、これからもきっと決して変わることなく葉加瀬を支え ていくのだろう。

葉加瀬には2人の子供がいる。8歳の向日葵(ひまり)ちゃんに、1歳半になったばかりの万太郎君。自分の音楽を「生まれた時からすり込んできている」のが功を奏してか、万太郎君は葉加瀬の音楽をかけた瞬間に「パパ、パパ」と言って喜ぶのだとか。一方の向日葵ちゃんは父に倣い、現在はバイオリンを学んでいる。将来の道を選ぶのは子供たち自身。でも「与えなきゃ選べないから、自分が与えられるものはすべて与えてあげたい」と葉加瀬は言う。そして何より与えてあげたいもの、それは「音楽の喜び」だ。「音楽をやっている人とやっていない人の一番大きな違いとして、僕らには何をしている時にも音楽があるんです。音楽がずっと鳴ってるの。こうやってしゃべっていても、寝ていても。 それを伝えてあげたい」。葉加瀬の愛に溢れた音楽は、こ うやって続く世代へと受け継がれていく。
葉加瀬太郎ロンドン初公演The Classical Night
公演日時: 3月6日(木)19:30~
会場: Cadogan Hall, 5 Sloane Terrace London SW1X 9DQ
最寄駅: Sloane Square
チケット料金: 35、25、15ポンド 完売
Box Office: 020 7730 4500
www.cadoganhall.com
【プログラム】
・ヘンデル: ソナタ第4番ニ長調op.1-13
・ベートーベン: ソナタ第5番ヘ長調op.24「春」
・ブラームス: ソナタ第3番ニ短調op.108 ほか



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外国人移民を低賃金で働かせることで、英国が経済的な恩恵を受けているという構造は確かに存在するだろう。だが現実問題として、その「低賃金で働く外国人移民」がいなくなってしまったら、ただでさえ高いロンドンの物価はどれだけ上昇してしまうのだろうか。「結局、何を優先させるかという問題だと思います。これまで政府が優先してきたのは、目先の利益ばかりを追う、資本主義という名を借りた拝金主義です。でも長期的な視点から見た場合、英国固有の文化を守り、英国人の生活環境を守るために移民の流入は厳しく制限する必要がある。日本だって、そうしながら今まで経済成長を遂げてきたじゃないですか」。


ここで一旦インタビューから離れて、BNPを始めとする英国の極右政党が支持を集める背景について考えてみたい。極右政党の存在は、地方労働者を取り巻く貧困問題と密接に関連しているとよく言われる。その典型的な例とでもいうべき事件が、2001年7月にイングランド中部ブラッドフォードにおいて白人系とアジア系の若者間で繰り広げられた暴動だ。この地域ではかつて繊維産業が勃興したためにアジアからの移民が殺到した。しかし1970~80年にかけて同産業が衰えていくと多くの工場は閉鎖し、失業者が続出。次第に職口や福祉手当の配分をめぐって異なる民族間の対立が深まるようになり、やがて暴動へと発展した。同様の 歴史的背景を理由とする暴動事件は同じく2001年にイングランド北部オールドハム、そしてバーンリーでも発生。そしてこれらの都市ではBNPに対する支持が高くなる傾向にあり、特にオールドハムは、2001年の総選挙でグリフィン党首が出馬し、6500強の票を獲得した場所でもある。
グリフィン党首は多文化主義を「建前」とか「全体主義」と呼んで激しく非難する。でも本当のところ、彼はその建前の重さに気付いているはずだ。だからこそ党の近代化と称して、BNPが持つ人種差別的なイメージを少しずつ削ぎ落とそうとこれまで努力してきた。





2003年4月、ロンドンに本社を持つグローバル・テレコミュニケーション企業「BT」グループが、12年ぶ りにロゴの一新を行った。これまでの「パイプを吹く人」のロゴはかなり認知度が高かったにも関わらず、 従来の「電話サービス」のイメージが強かったため、 多彩なビジネスを展開するBTによりふさわしいデザインを目指して今回の変更に踏み切ったという。
基礎化粧品から食品まで、ありとあらゆる業種を傘下に持つ世界最大級の消費財メーカー「ユニリーバ」が、2004年に行った大幅な再ブランディングの際に製作された。同社が所有する多彩な事業や商品ブランドを象徴し、なおかつ1つに統一したいという難しい期待に答えたのが、25個のアイコンからなるこのロゴ。それぞれの意味はウェブサイトでチェック出来る。




名探偵「シャーロック・ホームズ」シリーズの生みの親、英作家コナ ン・ドイルの誕生日記念。世界中のファンから「来年も!」との声が寄せられたという。
「点字の父」、ルイス・ブライユの生誕を記念して、点字で「Google」と綴った作品。色の配置以外はオリジナルと全く異なるデザインで、同社の遊び心や前衛的なセンスが全面に出ている。
イングランドの守護聖人の祝日は、イギリス人にとっては国民の日。スコットランド人ユーザーから「セント・アンドリューズ・デーのロゴも作って」との声が殺到したという。
恒例の行事なだけに、毎年アイデアを考えるのに一苦労だとか。記念日ロゴは楽しくハッピーなデザインが多いため、不気味なムード作りに力が入った、本人もお気に入りの作品。



しいが、真の姿は硬派な反戦主義者。03年、当時労働党の議員だったギャロウェイ氏は、国内で論争を呼んでいたイラク派兵に真っ向から反対し、同党を除名。翌年にリスペクト党を結成した。07年には同党の状態が「あまりに無秩序である」とするギャロウェイ派と、同党と協力体制にある極左の社会主義労働者党派に分かれ対立し、同年11月にはギャロウェイ派が「Respect Renewal」を結成、同党から脱退した。
オフィシャル・モンスター・レイビング・ルーニー党
ワン・ロンドン党
イングランドとウェールズ 緑の党
英国独立党

ウェールズ国民党 (ウェールズ民族党)











大名行列を横切ろうとした乗馬中の英国人を薩摩藩士が切りつける生麦事件が発生
岩倉使節団が訪英
ロンドンで小泉首相とブレア首相が日英首脳会談














競技解説
英国と欧州大陸を結ぶ高速鉄道「ユーロスター」が11月14日、英国内に新設した専用軌道での運行を開始。時速約300キロでの走行が可能となり、ロンドン―パリ間はこれまでより20分早い2時間15分、ロンドン―ブリュッセル間は1時間53分で結ばれる。ロンドンのターミナルは、ウォータールー駅からセント・パンクラス駅に移った。新ターミナルからは同日午前11時すぎ、ブリュッセル行きの「一番列車」が出発した。
10年間にわたり長期労働党政権を率いてきたトニー・ブレア首相の任期途中での辞任に伴い、6月28日をもって労働党のゴードン・ブラウン新党首が戦後第13代の首相に就任、同日中に新内閣が発足した。ブレア政権下ではナンバー2として財務相を務めながら、国内の好調な経済を長期にわたって維持してきたブラウン氏。ブレア氏よりいずれ首相の座を譲り受けるとの取り決めがあるとの噂が度々流れていたが、政権奪取後10年目にしてようやく首相の座を射止めた。
エリザベス女王(81)と夫のフィリップ殿下(86)が11月20日に結婚60年のダイヤモンド婚を迎え、前日の19日には、ロンドンのウェストミンスター寺院で記念式典が行われた。バッキンガム宮殿によると、ダイヤモンド婚を迎えた英君主は史上初めて。夫妻にとって、同寺院は結婚式を挙げた思い出の教会。長男のチャールズ皇太子と故ダイアナ元妃をはじめ、離婚が続いた英王室で「互いを支え合うエリザベス女王夫妻の仲の良さは際立つ」とは外交筋のコメント。
8月11日、数字選択式宝くじで英国史上最高額となる3540万ポンド(約85億円)の当たりくじが出た。この確率は7600万分の1で、1995年6月に出たこれまでの最高額、2250万ポンドを一挙に抜き去った。当選者は、スコットランドに住む郵便会社勤務のアンジェラ・ケリーさん。夫と別居中で長男ジョンさん(14)と2人暮らし。宝くじは1.5ポンドで購入し、これまでの年収が2万1000ポンドだったことを明かし「当選を知った時は手が震えました。まだ動揺して実感がわきません」と話した。英紙によると、当選は秘密にするつもりだったが、職場内でうわさが広まり、会見することにしたという。
パレスチナ自治区ガザで武装集団に拉致、拘束されていたBBC放送のアラン・ジョンストン記者(45)が7月4日未明、事件発生から約3カ月半ぶりに無事解放された。同記者は解放後、ガザ市でイスラム原理主義組織ハマス幹部のハニヤ前自治政府首相らとともに記者会見し、「人生で最悪の16週間だった。携帯していたラジオでわたしの解放を求める世界各地の人々の支援を知っていた。感謝したい」と述べた。ジョンストン記者は主要欧米メディアでガザに常駐する唯一の外国人記者。3月12日、銃を持った集団に拉致された。
世界七不思議の候補ともされる英南西部の巨石遺跡群ストーンヘンジの近くで、同遺跡群を造った人々の集落の一部とみられる新石器時代(紀元前2600年ごろ)の住居跡を発見したと英大学の発掘チームが1月30日、発表した。研究者の1人は「ストーンヘンジは当時としては最大の埋葬地で(住居跡などを含む)巨大な複合施設の一部だったと考えられる」と述べ、諸説あるストーンヘンジの目的を解き明かす貴重な発見だと強調した。確認された住居跡は8棟で、それぞれ広さ約5メートル四方。最大で100棟あった可能性もある。
英国一のフットボール選手であり、その私生活 の一挙手一投足まで注目される、デービッド・ベッカムが8月、米プロ・リーグ、MLSのロサンゼルス・ギャラクシーに移籍した。その契約金は、なんと、5年で総額2億5000万ドル(約298億円)!スポーツ専門テレビ局のESPNは、ベッカムの「金のために米国に行くと世間は言うだろうが、そうではない。才能ある選手とともにギャラクシーを新しいチームにつくり変えることは、とても楽しみだ」というインタビューを繰り返し放送した。
スコットランド・サッカー記者協会は5月2日、今季の年間最優秀選手にセルティックのMF中村俊輔を選出。中村はプロ選手協会からも年間最優秀選手に選ばれており、ダブル受賞となった。欧州主要リーグで、日本人としての年間最優秀選手は初。同協会のブラック会長は「中村は見ていて楽しい選手。欧州チャンピオンズ・リーグのマンチェスター・ユナイテッド戦での2本のFKと、プレミア・リーグ優勝を決めたキルマーノック戦でのFKは彼を集約している。重圧の中で輝く瞬間を生み出せる」と評した。
今年一番の注目レーサーといえば、ルイス・ハミルトン。カリブの血を引き褐色の肌を持つことから、「F1界のタイガー・ウッズ」「褐色のベッカム」など、一躍時の人となった。実際、今年1年間の記録といえば、「デビュー6戦目で栄冠の初優勝」「米国グランプリで連勝」「ハンガリー・グランプリで優勝」「日本グランプリ優勝」とそうそうたるもの。年間ランキングでは惜しくも2位と敗れたが、今季の主役だったことに間違いはない。デビュー戦から9戦連続で表彰台に上がり、F1記録を大幅に更新。新人では歴代最多に並ぶシーズン4勝をマークした。
英国で最も権威ある映画賞、英国アカデミー(BAFTA)賞の授賞式が2月11日開催され、「クイーン」でエリザベス女王役を演じ、下馬評の高かったヘレン・ミレンが主演女優賞を受賞した。一方007シリーズのボンド俳優としては初のノミネートとなった俳優、ダニエル・クレイグは惜しくも受賞を逃したが、ボンド・ガールを演じた仏女優、エヴァ・グリーンが新人賞を獲得した。
1990年代に活躍した英国の人気女性歌手グルー プ「スパイス・ガールズ」が、今年6月に再結成を発表。本当に?4人は実は仲が悪いんじゃないの?など世間ではまだまだ疑いの感があったが、表明通り、12月2日カナダでツアー初日を迎えた。約2時間のコンサートでは計22曲を熱唱、ガールパワー健在ぶりを見せつけた。

ブリティッシュ・ファッション・アワードに出席したヴィヴィアン。66歳にして、このカッコ良さ
71年の「Let It Rock」で発売していた「ROCK」Tシャツ
グルグルと逆回りする時計は、26年前から変わっていない
85年の「Mini Clini」コレクション
初のコレクション「Pirate」から
ボタンやアクセサリーなど、様々なデザインに使われているロゴ、オーブ
ボタンやアクセサリーなど、様々なデザインに使われているロゴ、オーブ
ボタンやアクセサリーなど、様々なデザインに使われているロゴ、オーブ
87年に従来のコルセットの概念を打ち破って以来、毎年のように斬新な、デザインが発表されている
87年に従来のコルセットの概念を打ち破って以来、毎年のように斬新な、デザインが発表されている
同年の「Harris Tweed」コレクションより
89年の「Voyage to Cythera」コレクションでは、モダンと中世のスタイルを斬新にミックス
89年の「Voyage to Cythera」コレクションでは、モダンと中世のスタイルを斬新にミックス
右のメンズ・ウェアに使用されているのが、ヴィヴィアン・オリジナルのタータン・チェック「McAndreas」
94年の「Café Society」コレクションより
美しいカッティングが多く発表された02年の「Anglophilia」コレクション











可憐と優美 ─ 将来期待のバレリーナ




退役軍人組織「Ex-Service Action Group」の統計によると、英国全体に存在するホームレスのうち約22%が元軍人。彼らの多くが義務教育を終えた直後に入隊し、以後は軍隊の中でまるで自身の家族を築くかのような生活を送るために、一般社会に出てから自立した生活を営む際に問題を抱えてしまう場合があるという。また戦場という危機的状況には対応出来ても実社会における職業的技術を持ち合わせていないため就職が出来なかったり、場合によっては戦場でトラウマを抱えてしまった者などが除隊後に社会に適応できなかったりしてホームレスになってしまう場合が多い。今ではホームレスのためのチャリティ団体「Crisis」でボランティアとして働くスコットランド出身の64歳、エドウィン・リントンさんもかつてはそのうちの1人だった。
35歳、ニューカッスル出身
ただバスキングをしていた時の方が、日によっては自由に使えるお金が多かった。まだロンドンのウォータールー駅でバスキングを始めたばかりの頃、習いたてのギターではわずか1曲しか弾けなかったにも関わらず、1日で50ポンドも稼いだことがあるという。「でも路上生活していると、食べ物、飲み物も購入しなければならないので結局は高くつきますね。ホステルであれば食事は安く提供してもらえますから」。
1991年に英国で創刊され、2003年からは日本版も発売が開始されたホームレスが販売するストリート・ペーパー、「ビッグ・イシュー」。労働の場を提供することでホームレスの人々に自立を促すことを目的とした同誌では、一部を£1.50で販売、このうち£0.80が販売員の収入となり、残り£0.70がビッグ・イシューの製作費、人件費として徴収される。ホステルなどに住んでいる「見えないホームレス」たちにとっては、住居費などを政府の援助で賄うことが出来るので、売った部数がそのまま収入になる。ビッグ・イシューの販売経験のあるデービッドさんは1日に30部をさばき計£24の収入を得たことがあるようだ。
私たちのチャリティ団体では、ホステルやB&Bなどに住むいわゆる「隠れたホームレス」たちを悪循環から救い、自立した生活を送ることが出来るように働き掛けています。







