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Fri, 06 February 2026

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上川隆也 インタビュー

俳優上川隆也 あくまで受け身、どこまでも貪欲

演劇輸入大国、日本。近年、日本の作品、演出家が海を越え、ここ英国に渡ってくる数は少しづつ増えているとはいえ、その絶対数はいまだ少ない。そんな現状に風穴を開けるべく、一つの新たな形が提示された。「ウーマン・イン・ブラック」ロンドン公演。今年9月、英国作品の日本版を、そのままの形で本場英国に持ってくるという、挑戦的な企画が実現する。英国人演出家による、英国の物語の日本版上演。ここで問われるのは、何より日本演劇人の「演技」ではなかろうか。その「演技」勝負の芝居に真っ向からチャレンジする俳優の一人、上川隆也が1月末、本公演の記者会見のためロンドンを訪れた。「何を演じていても面白い」と言う根っからの役者上川に、本作品にかける意気込みを聞いた。

(取材・文: 村上祥子)

プロフィール
1965年5月7日、東京都生まれ。中央大学在学時にアルバイトで学校廻りの劇団に所属し、日本各地を巡業する。その後1989年、演劇集団キャラメルボックスに入団。1995年にはNHKドラマ「大地の子」主演で注目を集め、以降は映画・テレビの分野にも活躍の場を広げる。一昨年2006年にはNHKの大河ドラマ「功名が辻」で主演の山内一豊役を演じるなど、舞台、テレビ、映画の各分野で活躍する実力派俳優である。

ウーマン・イン・ブラック ―黒い服の女―

あらすじ
ウーマン・イン・ブラックとある劇場の舞台上。老弁護士キップスが、若い俳優相手につたない口調で自らの経験を語っている。キップスは若い頃、誰にも語ることのできない恐怖の体験をし、それ故に悪夢に悩まされる日々を送っていた。彼は家族らにすべてを語ることで、そんな記憶から解放されようと決意する。その練習を行うため、若い俳優を雇ったのだが、話のあまりの長さとキップスの語りのつたなさに、俳優はある提案をする。俳優が若き日のキップス(ヤング・キップス)を演じ、その時にキップスが出会った人々をキップスが演じるという舞台の形で、この話を語ろうというのだ。かくしてキップスの恐怖の体験が上演されることになった……。

1月25日金曜日、ロンドン中心部にある由緒ある劇場、フォーチュン・シアター。つい先程まで記者会見が行われていた、まさにその舞台上で今回のインタビューは行われた。まっすぐにこちらを見つめる強い視線、眉間にしわを寄せながら答えを探す姿勢、長い間を取ってからゆっくり話し始める独自のテンポ、そして選ぶ言葉のユニークさ。そのどれもが穏やかで誠実な人柄とともに、強烈ではないが独特な「色」と、その奥底に潜む役者としての情熱を物語っていた。

「セットの風景に、既視感を覚えた」

ロンドンに着いたのは前日の木曜日。そのまま夜は本場英国の「ウーマン・イン・ブラック」を鑑賞し、土曜日には日本へ戻る。そんな超の付くハード・スケジュールのなか、上川は「時差ボケは全くありません。日本でもめちゃくちゃな生活ですから」とからっと笑った。

「ウーマン・イン・ブラック」は、今年で19年目のロングランを迎える、英国発ゴシック・ホラーの2人芝居。日本では1992年に初演。大評判を呼び、以降数年ごとに上演回数を重ねている人気作品だ。1999年、2003年と同作品を演じてきた上川にとっては、ロンドン公演を含めた2008年公演が3回目の参加となる。

今回のロンドン公演の話を最初に聞かされたのは、2003年大阪公演の千秋楽の直後だった。演出家、ロビン・ハーフォード氏の送別会をやっている最中に耳にしたが、その時は「単なるリップサービスだと思っていた」という。そして正式に出演依頼がきたのは昨年の秋。その時の心境を尋ねると、長い、長い沈黙の後にこう言葉を紡いだ。

「喜びが無かった訳では、もちろん無いです。凄いと思いましたけれど、正直どこか他人事でしたね。別にナショナリズムがそれほど強い方ではないと自認しているんですが、それでも日本人がフォーチュン・シアターに乗るっていうことには快哉を叫びました。けれどそれが自分だと思うと、振り上げた腕をおずおずと戻さざるを得ないというか(笑)」。

それは恐怖心からくるものなのだろうか。「恐怖心、……というのではなくて……。自分でいいのかなって思うんですよ。それはどんな作品でも。この作品に携わるのが自分でいいのかなって思ったところからが常に出発点なので、今回もロンドンに行くのが俺でいいのかな、という気持ちです。もう来ちゃいましたので、後にも先にも逃げようがないんですけれども」。

自分でいいのか、そんな気持ちを燻(くすぶ)らせていた上川だったが、その思いはフォーチュン・シアターの舞台 に立った瞬間に消え失せた。「この場に立ってみたら、あれって思ったんですよね、現金なもので。この風景に、既視感があるんですよ。ここに立っていた覚えがあるんです。このセットの中に……。で、にわかに『ここでならできる』って思えちゃったんです」。ステージに乗った瞬間、ロンドン公演の話を聞いた時に感じた「意義や意味や重さ」が喜びに転換された。「ここでやったことがあるのかも、という幸せな誤解すら感じた」。今ではこの舞台に立つことが「ちょっと楽しみ」になってきたという。

「シンプルさ故の豊かさ」

英国初演から19年。時代は変わり、テレビや映画のみならず、舞台でさえも最新SFX技術を使った「恐怖」を味わえるようになった。にもかかわらず、簡素な舞台装置、役者は2人きりというシンプルな構成の芝居がいまだに支持される理由は何なのだろうか。演じる側として感じる、この作品の持つ独特の魅力とは。

「シンプルな『ウーマン・イン・ブラック』という入れ物に自分を入れてみると、その度に自分が今、どんな状態でいるのかをあぶり出されるような感じがあるんです」、そう上川は分析する。だから演じるごとに、この物語に対する感じ方は大きく変わるのだという。具体的にはどう変わるのか、と聞くと、「ええ、そうですよね。それを具体的に聞きたいんですよね」と言いながらにやりと笑って次の例え話を聞かせてくれた。

「例えば、初めて行く場所に、自分の家から地図を頼りに出かけて行ったとして、最初はたどり着くことしか考えていないと思うんです。それが2度3度と通って地図を手放せるようになると、今度はその目的地に行く道すがらに目を向けられるようになるんですよ。そうやって出発点と目的地の間の風景を知っていくことができる。さらに、しばらく振りにその道を歩いた時に感じる、風景の受け取り方の差っていうのも、きっとあると思うんです。たどる道は同じで目的地も同じはずなんですけれども、1999年にやった時と2003年にやった時の感慨が違ったのと同じように、今回の2008年にも、きっとそれがより違った形で起こるだろうなという思いがあるんです。でもきっとそれが感じられるのは、自分が変わったからだということの証に他ならないと思うんですね。そういったことをとても強く感じさせてくれる作品なんです」。

今でも新鮮味はあると思うか、そう重ねて問うと、常にゆっくり考えてから言葉を発する彼には珍しく、「新鮮味というよりも普遍性」という答えがすぐに返ってきた。この芝居の魅力、それは何より「シンプルさ故の豊かさ」、そして「イマジネーション」だと上川は言う。そして舞台上に置かれた、芝居の中でさまざまなものに見立てられる大きな籠をポンポンっと叩きながらこう続けた。

籠「この籠だからこそ想像できる馬車や列車がある。400以上の机や汽車や馬車が、お客様それぞれには見えていると思うんです。それはどんなに精緻につくられたハリウッドのCGにも負けていないと思うんですね。そのお客様が頭に描かれたものは、たぶん現実の何よりも豊かなんです。その豊かさ故に、自分自身の今の状況すら浮き彫りしてくれるキャパシティをも持ち得るんでしょうし、そこがお芝居の原点に肉薄しているような感もあって、やる度に楽しいのもそのためなんでしょう」。

共演者との化学反応

今回、上川と共演するのは斎藤晴彦氏。1992年の日本初演以来、すべての公演に出演している日本版「ウーマン・イン・ブラック」の生き字引的存在だ。複数の役者が組み合わさった時に生まれる化学反応次第で、舞台は如何ようにも変わるとはよく言われること。特に出演者は2人だけというこの芝居では、その違いが顕著に現れるのではなかろうか。

「化学変化の中には、きっと『混ぜるな危険』と表示しなきゃいけない化学変化もあると思うんです。……でも斎藤さんとのそれは、どんなに大量投与したところで、安心感しかもたらされないっていう化学変化なんです。ものすごくいい香りが漂ってくるとか、ものすごく栄養素が豊富とか。今回はそれがますます深まりそうな予感がしています。すごくいい香りで体にもいい、おまけに環境にも優しい、みたいな(笑)」。

記者会見共演者の斎藤晴彦氏とともに

上川にとって1999年の初演は、自身の劇団を飛び出し、外部の舞台に初めて出演した記念すべき作品だった。片や相手役の斎藤氏は超ベテラン。老弁護士と若手俳優という舞台上の設定とも相まって、上川の純粋でけれん味のない演技が評判となった。それから9年。上川も各メディアで活躍する実力派俳優の一人と呼ばれるようになった今、2人の関係性も必然的に変わってくるのではないだろうか。この質問に、上川は少し俯いて逡巡した後、ゆっくりと、しかしきっぱりこう言った。「年齢って、何の支えにもならないんです」。

「役者なんて、何をしてきたかでしか問われない生業ですから、40過ぎたからって良い芝居ができるわけでもないですし。(関係性の変化を)感じられるとしたら、それはきっと斎藤さんと僕の2人共が、良い時間を過ごした結果なんだろうと思うんです。だから今回、良い空気を斎藤さんとの間につくれたのだとしたら、僕はこれまでの5年間を、肯定できると思うんです。今の自分が何をできるのか、それを早く見てみたいですね」。

日本ならではの「湿度」

海外でつくられた芝居が日本で上演される場合、日本の文化背景や日本人の感覚に合わせ、演出や脚本を変更することがある。しかしこの「ウーマン・イン・ブラック」は、オリジナル作品の演出家、ロビン・ハーフォード氏が日本における全公演の演出を直接手掛けていることもあり、日英における差異がほぼないことで知られている。しかしだからといって日本人が、英国人がつくった、英国を舞台にした物語を、英国の劇場で演じることに何の障害もないかと言えば、それはまた別の問題だろう。本場に日本版を持ってくることに関して、上川はスポーツに例えて、こう表現した。「スポーツだと、場所が変わっても道具は変わらないですよね。でもこの場合は道具が違うんです」。前夜に英国版を観劇した際にも、やはり大きな違いを感じた。端的に言うならば「ドライだな」と思ったのだそうだ。日本の作品には、もっと「湿度」があるという。

「見終わってすぐ感じたのが『ドライだな』ということでした。これはオーディエンスの反応もしかりなんですけれども。幕が下りた瞬間にワーっとオベーションと拍手があるんですが、でもみんな「面白かったね~」バーっと出て行くんですよ。でも日本の観客の皆さんは、もう少しこの物語や、ドラブロウ家の悲劇や、子を亡くした母親の気持ちにまで思いを馳せて劇場を後にしているような感覚があるんですね。そういった、登場人物に対するとらえ方が全く違うんだなというのも湿度として感じた部分だったんです」。

そしてもう一つ、演じ方にも「ドライさ」を感じた。その昔、恐ろしい体験をした老弁護士キップスの若かりし頃を、若い俳優が劇中劇として演じるこの芝居、上川はその若い俳優の演技に違いを感じた。

「最後、うちひしがれた若かしり頃のキップス(ヤング・キップス)が毛布にくるまれて自分の経験を語る時に、自分が怖かったことを語っているように見えたんです。なんで自分がそんなことを経験しなければならなかったのかって考えているように思えた。その前の打ち明け話に大きく心を動かされているわけではないんじゃないかって感じてしまったんですよ。……だからといって国民性みたいなものに押し込めたくはなくて……。もしかしたら僕と斎藤さんがやっているお芝居が、より湿度の高いものになってしまっているのかもしれない。でも僕自身の気持ちで言うならば、僕はここまでドライにこの物語とは向き合えないっていう気持ちがあるのは確かです」。

だからと言って、どちらの方が良い、という訳ではな い。どちらが正解か、そんなことを考えるのは「むしろ愚か」で「寂しい行為」だと上川は言う。演じる人間の数だけ違う作品が存在する。そこにこそ、この「ウーマン・イン・ブラック」の魅力、19年続いた今でも人々を惹き付けて止まない人気の秘密があるのかもしれない。

「何をやっても面白い」

俳優・上川達也役者として20年のキャリアを誇る上川。その間、演じた役は実に幅広い。時代劇では華麗な殺陣を披露、シリアスな社会ドラマでは世の中の矛盾と戦う役を真摯に演じ、コメディ・ドラマではゲイの役も飄々とこなす。あらゆる役柄を自然に演じきる上川の演技力に、役者としての力量を見ると同時に、彼の作品選びの基準とは何なのか、役者上川隆也としてのこだわりとは何なのかを問いたくなってくる。

「役者で食える人なんていうのは、本当に一握りだと思うんです。それだけでも幸せだと思うんですけど、さらに舞台にもテレビにも映画にも声をかけていただいて……。もったいないじゃないですか、やらないのは」。

こだわりを尋ねた答えがこれである。2006年にはNHK大河ドラマの主役まで務めた役者にしては、あまりに謙虚な言葉だ。こういう役をやりたい、という働き掛けはしないのか、と重ねて問えば、やはりというべきか、「僕は全くもってアクティブじゃないです……」という、あくまで受け身な言葉が戻ってきた。しかし、続く言葉には謙虚さとともに、上川の、演じることに対する自負にも似た強い気持ちが垣間見える。

「よくいらっしゃいますよね、自分でプロデュースまでして、すべて作品をつくりあげていかれる方とか。そういうアプローチが一切できない性質(たち)の人間であるということを自認しておりますので(笑)。お声掛けいただくのを常にお待ち申し上げている次第なんですが。でもだからこそ、掛けていただいた声にはなるべく答えたいと思うんです」。

来るものは拒まず。でも来たものには全力で取り組む。上川にとっては、「何を演じるか」ではなく、「演じるということ」そのものにこだわることこそが、何より大切な役者としての在り方なのではなかろうか。今回、本場で演じることの難しさを尋ねた時の上川の言葉に、「演じること」に重きを置く、もっと言うならば演じられればそれでいいのだという彼のシンプルかつ明確な役者哲学を見た。

「もちろん細かいことを言えば、こんなアジアの人間が、キップスさんだジェロームさんだと呼び合うこと事体が珍妙だと思うんですよ。……でもそれは結局細かいことでしかないのかなという気もしているんです。むしろ、日本のカンパニーをここに乗せてみようと思ったロビンさん始め、イギリスのスタッフの方々の思いの方をありがたいと思いますし、その思いに応えてここで芝居をすることの喜びの方が何よりも上回っています」。

最後に、月並みながらどうしても聞きたかった、こんな質問をした。役者上川にとって、「演じること」とは?

「……一番楽しいことですかね。何年経っても、一番面白いものの座がお芝居ってものから動かないんです。始めてから20年ですけれども、オフの時間の方が楽しくなってしまったなっていう局面が一度も訪れていないんです。どこでやっても、何をやっても面白い。面白いとしか言いようがないですね」。

あくまで受け身、でも演じることにはどこまでも貪欲な役者、上川隆也。きっとこれからもありとあらゆる役柄を真摯に、謙虚に、思う存分楽しみながら演じていくのだろう。

インタビュー中、上川は自らを「演者」と呼んだ。「俳優」でも「役者」でもなく「演ずる者」、「演者」と言った、その真意は分からない。だが、ただ演じることを純粋に楽しむ彼には、似つかわしい言葉のように思える。9月、フィールドも「道具」も違うここ英国の劇場で、それでも思い切り演じることを楽しむ上川の姿が、見えた気がした。

演出家、ロビン・ハーフォード氏に聞く

ロバート・ハーフォード氏もともとは、クリスマスにゴースト・ストーリーを上演しようと考えたのがきっかけでした。新作でも小説の戯曲化でも良かったのですが、予算が1000ポンドしかなかったんです(笑)。スティーブン(・マラトレット。脚色担当)が持ってきたこの小説は素晴らしかったけれど、何と言ってもこの低予算で抑えるには登場人物が多すぎた(笑)。そこでスーザン(・ヒル。原作者)に戯曲化の了承を得た後、登場人物を2人にまで削ることにしたんです。

日本と英国は、片や歌舞伎の国、片やシェークスピアの国ですから、さまざまな面で違いはあります。そこが面白い。本作品は19年間、上演され続けているわけですが、「イマジネーション」を常に新鮮な状態に保つため、キャストは9カ月ごとに変えることにしています。その点では、日本版の制作はまさに「究極のキャスト・チェンジ」と言えますよね。

私は本作品の演出をするために何度か日本を訪れていますが、日本で思ったのは、若い女性が観客のほとんどを占めているということ。個人的には、色々な年齢層の方々に観てほしいと考えています。こちらでは学生席を非常に安価で提供しているので、子供たちがたくさん観にくるんです。難しい言葉を使っている部分があるので、すべては理解しきれないんですが、それでも夢中になって観ている。だから私は劇場側に「いくら高い席があってもいい、安い席さえあれば」っていつも言っているんですよ。

(上川)隆也さんは非常に謙虚で、良い役者だと思います。共演の斎藤さんのことを真摯に信じているのがこちらにも伝わってくる。そうそう、日本で稽古していた時、隆也さんがちょっと用事が……とだけ言って静かに出て行ったことがあったんです。その後テレビを観ていたら、何と華々しい授賞式に彼が出てるじゃないですか。何も言わずに出て行くところが、いかにも彼らしい、と思いましたね。年齢が40歳を過ぎていたって何の関係もない。隆也さんは今でも変わらず若々しいし、ヤング・キップスに見えさえすれば、年齢なんて何歳だってかまわないんです。

日本版「ウーマン・イン・ブラック」
ロンドン公演決定記者会見

記者会見
これまですべての日本公演で制作を担当、ロンドン公演にも企画制作として携わる(株)パルコからは、祖父江友秀氏(写真右)が参加。「怪談好きで、『語り』が成立している英国と日本は近しいから」と、日本における本作品の人気の理由を語った

記者会見
「二度と巡ってこないチャンス。このチャンスを楽しみたい」と身振りを交じえ、真剣に語る上川

記者会見
本公演は、在英国日本国大使館の後援が決定したことに加え、日英交流150周年記念事業「JAPAN-UK 150」の主要イベントの一つとしても実施される予定

ウーマン・イン・ブラック ―黒い服の女―
The Woman in Black

原作: スーザン・ヒル
脚色: スティーブン・マラトレット
演出: ロビン・ハーフォード
出演: 上川隆也、斎藤晴彦
後援: 在英国日本国大使館
企画制作: 株式会社パルコ
制作協力: 株式会社ミーアンドハーコーポレーション

公演日程: 2008年9月9日(火)~13日(土)
場所: ロンドン、フォーチュン・シアター
The Fortune Theatre, Russell Street, London WC2B 5HH
最寄駅: Covent Garden
http://www.fortune-theatre.co.uk/
チケット販売: 3月31日より劇場及びインターネット上でチケット販売開始。
電話予約 0870 060 6626(英語のみ)。
上演3週間前からは、The Ambassador Theatre Groupで 日本語専用ホットラインを設置予定。

* ロンドン公演では、英語字幕あり(Dress Circleのみ)

The Woman in Black
インタビュー写真: Maiko Akatsuka 記者会見写真: Suzan Moor
 

LONDON FASHION WEEK2008 編集部・厳選レポート

London Fashion Week
2月10日から6日間にわたり開催されたロンドン・ファッション・ウィーク(LFW)。54ものブランドがキャットウォークを披露し、ファッショニスタたちを魅了した。2月なのに、もう秋・冬コレクション……?と、いまいちピンと来ないかもしれないが、この美の世界はやはり必見。今年のワードローブを決めるためにも、編集部がピックアップしたアイテムをお楽しみあれ!

秋・冬の傾向

冬の定番といえど、例年以上にアーガイルやチェックが多くのブランドから発表されていた今シーズン。また、裾や 袖が半端な丈のコートやニッ トが多く、そこに差し色を効かせたインナーや小物を合わせた新鮮なコーディネートが目立った。

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London Fashion Week

秋・冬の傾向

200以上もの既製服やアクセサリー・ブランドがずらりと並んだファッション・ウィーク・エキシビションで見つけた、これから要注目のブランドをご紹介しよう。

Wilbur & Gussie
Wilbur & Gussie20年来の友人であるという元ジュエリー・デザイナーのブレットと、元バイヤーであるルーシーがデザインするハンドバッグ・ブランド。パンチが効いた色やモチーフが付いたバッグは、それだけでコーディネートの主役になる。
www.wilburandgussie.com

Zoe & Morgan
Zoe & Morganゾーイとモーガン兄妹によるアクセサリー・ブランドで、東京でも8店舗で扱われているという人気ぶり。最近新たに姉も加わったデザイン・トリオたちによる新作は、古代エジプトや日本の家紋にインスパイアされたそう。
www.zoeandmorgan.com

Feral
Feral若手女性デザイナー、メヘル・カカリアが提案する、個性いっぱいのシュー・ブランド。ヤギや羊の皮を使った靴やブーツは驚くほど柔らかいのに、かなり丈夫。刺繍は全てハンド・メイドだといい、ブーツについたボタンまで、全て手縫いされているそう。
www.meherkakalia.com

教えて!
解剖

MBさん
プロフィール
名前: MB Akinyemi(25)
出身: ナイジェリア生まれオランダ育ち
隔月発行の黒人女性向け英ファッション・ライフスタイル・マガジン「Colures Magazine」でファッション・ライターとして活躍するMB。自分のファッション・スタイルは「気楽、クール、そして人とは違うこと」なのだそう。

ずばり、今年の秋・冬のトレンドは?
明るい色が引き続き流行るみたいね。キャットウォークでは鮮やかな色やプリントのドレスが多くて、秋・冬のコレクションだってことを忘れてしまいそうだったもの。あと、ゆったりめフィットのトップスや、ハイ・ウェストのパンツもまだまだ主流かな。

では、NGなスタイルは?
厚手のニットは押し入れにしまっておいた方が無難かも。今年は軽めの素材で、重ね着がいのち!あと、冬物のハイヒールやフラット・シューズでも、オープン・トゥが流行る可能性があるわね。ワンピースなら、とにかく鮮やかな色で、シフォンやシルクの素材に注目して。

手持ちの服で08年っぽさを出すにはどうすれば?
ハイ・ウェストのパンツと組み合わせたり、大胆な差し色を加えるだけで、ぐっと今年らしくなるはずよ。

そもそも、今年の春・夏のトレンドは何なのでしょうか。
とにかく花柄、フローラルで決まり!シフォン素材で60年代風のデザインとか、いつも以上に「レディー」な雰囲気を演出してみて。

最後に、日本人のファッションについての印象は?
常に最先端!大胆だし、なによりも定番服に「+アルファ」するのが上手。「着ていて自分が心地良い」ファッションを分かっていると思うわ。

最近「ユニクロ」にはまっているというMBさん、どうもありがとうございました。読者の皆さんも、ぜひ参考にしてみて下さい!

 

気になるCMの裏側拝見

気になるCMの裏側拝見

英国のテレビCMが最近、とにかく「魅せる」。主観的な個人の好みを超えて訴える「何か」がぎゅっと凝縮された作品が多いのだ。心を掴む映像美やストーリーはもとより、その影響力の大きさから1つの文化として確固たる地位を築きつつあるこの世界。過去1年間に発表された気になる名作を振り返りながら、その魅力の源に迫ってみよう。(本誌編集部:國近絵美)

大人だからこそ実現できた、無邪気な夢の世界
Škoda: Fabia “Full of lovely stuff ”
Skoda
これが、とっても「ラブリー」な車の仕掛け人たち。台本を読んだ監督が「絶対にムリ!」と
さじを投げそうになった夢の車を、見事に実現してくれた
Škoda: Fabia “Full of lovely stuff ”
Creative Agency: Fallon
Music: My Favourite Things (Julie Andrews)

ストーリー一心に何かを造っている、白い作業着姿の菓子職人たち。次々とスポンジ・ケーキやワッフルが組み立てられていくうち、やがてその「何か」が原寸大の車であることが分かる。最後にアイシングで作られたバッジがフロント部分に取り付けられ、これがシュコダ社の車であるということが判明する。

注目チェコの自動車メーカー「シュコダ」が製造・販売する小型自動車「ファビ ア」。去年5月、競争率の激しい「スー パー・ミニ」業界に新作のファビアを登場させ、その際に放映されたのがこのCMだ。お菓子だけで原寸大の車を造るという子どもの夢を再現したようなこの作品は、見た目や技術はもとより、「本当にやっちゃった!」といういたずら心に溢れている。そして大人をも一瞬にして童心に返してしまうのが、テーマソングとして使用されている、英国人女優・歌手、ジュリー・アンドリュースの歌声。オープニングから視聴者をセンチメンタルで優しい気持ちにさせてくれる、このCMにまさにうってつけの選曲だ。

制作を担当した広告代理店「ファロン」が企画段階でまず注目したのは、買い物袋が倒れないようトランク内部にフックが付いているなど、同車に「あったら便利」な機能が充実していたこと。使う人の気持ちを考えた「素敵なもの」が満載だということを強調するために、老若男女、そして世界共通の「素敵なもの」を考えた際に出てきたのが、このお菓子の車というアイデアだった。

この作品の魅力であるほのぼのとした愛らしさは、役者たちを一切使用せず、実際に現場で菓子類を作った職人たちが車を組み立てる姿を追ったからなのであろう。監督を務めたクリス・パルマーによると、小さなモデルを使って組み立て方を試しただけで、後はぶっつけ本番で撮影が行 われたという。演技ではなく、何かに挑戦する本物の喜びが映し出されているからこそ、視聴者は思わず一緒に祝いたくなってしまうに違いない。

ちなみに気になる撮影後のお菓子の行方はというと、長時間スタジオの照明に当たっていたため傷んでしまい、当初予定されていたチャリティー団体への寄付は断念されたのだそう。しかし、チョコレートでできた速度計とマジパンのサイドミラーは、子孫代々に受け継がせるため、大切に保管されているのだとか。

チョコレート
使用された材料は卵179個、小麦粉とカスターシュガー各100キロ、アイシング272キロ、マジパン200キロにドライフルーツ65キロなど

部品
部品
8人の職人が10日間かけて作った部品たち

エンジン
外部からは見えないエンジンにもこの凝りよう。
マジパンやスポンジで出来ている

エンジンオイル
エンジン・オイルの代わりに、シロップをたっぷり

エンジンオイル
ファビアの定価は、1台7990ポンド(約184万円)。このCMには約50万ポンド(約1億1500万円)が費やされたといわれている

ゼリー
CMの中でプルプル震えるゼリーを見て、
かぶりつきたくなった人も多いのでは?


こんなのあり?老舗が挑んだ衝撃の内容とは
Cadbury: The Dairy Milk “A glass and a half full of joy”
Cadbury ゴリラ
このゴリラ・スーツに入っているのは、米国人俳優のギャロン・マイケル。
若手ながらも、過去に映画「コンゴ」や「ハーモニーベイの夜明け」などでゴリラを演じたベテラン俳優だ。
恍惚とした表情に「本物?」と疑う視聴者もいたとか
Cadbury: The Dairy Milk “A glass and a half full of joy”
Script / Director: Juan Cabral
Advertising Agency: Fallon
Music: In The Air Tonight (Phil Collins)

ストーリーバックミュージックにフィル・ コリンズの「In the Air Tonight(夜の囁き)」が流れるなか、画面にアップで映る一頭のゴリラ。しばらくうっとりと曲に聞き惚れた後、曲に合わせてドラムを叩き始める。

注目「グラス1.5杯の生乳」のキャッチコピーとイラストで有名な、英国王室御用達のチョコレート会社、キャドバリー。この老舗の定番商品「デイリー・ミルク」のCMは、「ドラムを叩くゴリラ」という、チョコレートとは全く関連性のない内容、そして何の説明もない潔さとが相まって、2007年で最も強烈なインパクトを残した作品といえるのではないだろうか。

ゴリラ以外にも印象的なのが、ストーリー展開の遅さ。ドラム・セットが画面に映るまでの時間はおよそ1分で、その間映るのは、自己陶酔に浸るゴリラの顔と商品のイメージカラーである紫の壁だけだ。30秒のCMに慣れている視聴者にとってこの1分は驚くほど長く、そして放映料金を考えてもかなり贅沢な時間の使い方だといえるだろう。

そしてもう1つ重要なのは、なぜドラムを叩くのか、という疑問。脚本・監督を務めたフアン・カブラルは、「チョコレートを食べる幸せを取り上げる企業が多いので、その幸せを表現してみようと思った」と答え、一方、キャドバリーの広報は「自分の時間を持つということ、そしてその瞬間を勝ち得た喜びを表現したかった」としている。デイリー・ミルクは英国だけで1日およそ100万ポンド(約2億3000万円)の売り上げがあり、英チョコレート市場の約7割を占めているという国民的なお菓子。だからこそ、マンネリ化した伝統的な広告ではなく、斬新な案を採用したとカブラルはいう。

当初はこのCMをどう評価して良いかとまどうメディアが多かったが、視聴者の好反応を示す数字が、意外なところで記録されている。英国人アーティスト、フィル・コリンズの1981年のヒット曲「夜の囁き」は、CMがオンエアされた翌週「UK singles chart」の14位に、そして「UK Download Chart」の9位にランクインされたのだ。四半世紀以上も前の曲を再ヒットさせる影響力に、キャドバリーの作戦勝ちがうかがえるのではないだろうか。


「笑い」で視聴者の意識改革に挑戦
Oxfam: Unwrapped
“Give a decent present from OxfamUnwrapped.com”
Oxfam
サカナのおもちゃに笑ってしまうボーナム=カーター。
この自然な笑顔で視聴者と団体の距離がぐっと近づいた
Oxfam: Unwrapped
“Give a decent present from OxfamUnwrapped.com”
Actors: Helen Mirren, Helena Bonham-Carter,
Rob Brydon, Will Young
Creative Agency: Leo Burnett Ltd Director: Jon Greenhalgh

ストーリー女優のヘレン・ミレン、ヘレナ・ボーナム=カーター、俳優のロブ・ブライドンに歌手のウィル・ヤングが登場、過去に経験したクリスマス・プレゼントに関する悲惨な思い出を語る。誰も欲しがらないようなプレゼントを買うぐらいなら、発展途上国の人々に、本当に必要とされる贈り物をしよう、というメッセージが流れる。

注目「英国では毎年何万人もの人々が、いらないプレゼントを貰って苦しんでいるのです……」。深刻な声音のナレーターで始まるチャリティー団体「オックスファム」の作品は、寄付金を募るこれまでのCMにありがちだった「チャリティーっぽさ」を自らパロディーにしている。哀れみを訴えかけるような口調で、期待はずれのプレゼントについて語る有名人たち。色調は白黒やモノトーンに限られ、全体的に悲壮感が漂う。

このキャンペーンをプロデュースした広告代理店は、普段は募金・寄付活動に興味を持たない人たちに「チャリティー=まじめ」という固定観念を捨てさせ、もっと気軽に活動に参加してもらうことを狙ったという。

コメディー・タッチといえど、オックスファムがこのキャンペーンに掲げたプレゼントの目標合計収益額は、1450万ポンド(約33億円)。この「Unwrapped」キャンペーンは、同団体のカタログから好きな品物を買い発展途上国の人々に贈るというシステムで、発足されてから約3年間で、49カ国の人々に120万個ものプレゼントが購入されているという実績もある(2007年11月同団体調べ)。不幸さをアピールして訴える作りではなく、手にしたおもちゃに思わず笑うボーナム=カーターの姿で終わらせているこの作品。視聴者に「同情」ではなく「共感」を求めた団体の、時代に合わせた姿勢の変化が現れている。

ヘレン・ミレン
オスカー女優のヘレン・ミレン。今回登場した歌手や俳優たちは、
無料で撮影に協力したという

ロブ・ブライドン
ロブ・ブライドンとピンクのブタという、世にも稀な光景。
いかにも思いつめた表情がおもしろい

Oxfam
カタログでは、簡易トイレや肥料などが買える


色彩だけで世界をとりこに
Sony: Bravia “Colour like no other”
Sony Bravia
使用された粘土は計2.5トン。
そこから60センチのウサギ189羽や9メートルのウサギなどが生まれた
Sony: Bravia “Colour like no other”
Creative Producer: Juan Cabral (Fallon)
Animation Director: Darren Walsh (Passion Pictures)
Director: Frank Budgen (Gorgeous)
Music: She's A Rainbow (Rolling Stones)

ストーリーマンハッタンの道端に、粘土でできた色とりどりのウサギが現れる。少しずつ大きく、数を増やしながら広場に集まってきたウサギたちは流氷や津波に変わり、そこからクジラが現れる……と思いきや、巨大ウサギに変身。最後に数 十個のキューブに変わり、さまざまな模様を描いていく。

注目サンフランシスコの坂道に25万個のスーパーボールを放ち、その映像美を人々の心に焼き付けた05年制作の「Ball」、そしてスコットランドの高層住宅棟に7万リットルのペンキを噴射させ話題をさらった06年制作の「Paint」。ソニーが販売するフラット型デジタル・ハイビジョン・テレビ「ブラビア」のCMは、世界中から新作を待たれる稀有な存在だ。そして今回の第3弾が、ストップモーション(静止した被写体を1コマずつ撮る撮影法)史上もっとも野心的といわれるこの大作。1つの現場に40人の粘土アニメーターを集結させるという前代未聞の規模をもってしても、4秒の映像を作るのに4時間を要したという手の込みよう。そして何よりも、約10万枚ものコマによって完成したこの60秒には、クリエイターたちの「楽しむ」ことへの情熱が溢れている。

バックミュージックに流れる「She's A Rainbow」の歌詞をそのまま体現したような色鮮やかな映像は、ニューヨークで3週間にわたり撮影された。このシリーズCMに共通しているのは、数あるフラット型テレビとブラビアを差別化する「色の鮮明さ」を強調すること。これを念頭に置きつつ、クリエイティブ・ディレクターのフアン・カブラルは「夢みたいに、意味は通らなくてもいいから楽しいものを作ろうと思った」という。

この作品の魅力はなんといっても「手作り感」だが、その雰囲気を出すため自然光だけを使って撮影を決行。しかし高層ビルが立ち並ぶマンハッタンでは日光はすぐに遮られてしまうため、粘土アニメーターたちは1週間、「寝ていても出来るようになるぐらい」リハーサルを行ったという。 そしてこの作品の主役であるウサギたちは、親しみやすい 「洗練されていない」フォルムにデザインされた。何度も見たいと思わせる映像の裏側には、たくさんの努力と遊び心、そして「ブラビアのCMを作る」という計り知れないモチベーションと自信が隠されているのだ。

業界の常識を変えた名作
「消費者に訴える」よりも「消費者が見たくなる」ようなCMを制作しようとする現在の広告業界の流れを作ったのも、情報過多のこの時代に、あえて企業が長編CMで視聴率の獲得を目指すのも、すべてはブラビアの「Ball」から始まったといっても過言ではない。平均30秒というCM界に、2分半という長さで挑んだこの作品は、放映直後に英国全土にあるブラビアの在庫を売り切るという伝説を作り上げた。そしてこの影響はクリエイターたちにも及び、「Ball」を手がけたフアン・カブラルは弱冠29歳にして、すでに業界で知らない者はいない存在。彼が所属するクリエイティブ・エイジェンシー「ファロン」も例外に漏れず、いまや世界で最も多くの賞を受賞した代理店である。今回取り上げたCM5作のうち、ファロンは3作、カブラルは2作の制作に携わっている。

与えるよりも、考えさせることで伝わるメッセージ
Choice FM: Kill The Gun“Stop the bullets. Kill the guns”
Kill the Gun
Choice FM: Kill The Gun “Stop the bullets. Kill the guns”
Creative Agency: Abbott Mead Vickers BBDO Ltd
Producer: Nicola Sims Director: Malcolm Venville, Sean de Sparengo

ストーリー銃弾が果物やボトルなどを貫いていく様子をスロー・モーションで追う。最後に黒人の少年が現れ、銃が頭に向け発射された瞬間、弾がスローガンの文字に変わる。

注目アーバン・ブラック・ミュージックを配信する、英国最大のラジオ局 「Choice FM」が主催した銃反対キャンペーン用に制作されたこのCM。壮大なオペラをバックに、銃弾の破壊力が恐ろしいほどの美しさと静けさを持って映像化されている。物が儚く散る様子を目撃した後に、本当に発砲されたら少年がどうなるかを想像して、ぞっとしない人はいないだろう。

このキャンペーンは同局がターゲットとしている若者層に、銃の破壊力や、銃による自己防衛が間違っているということを、身近なものを使って認識してもらう目的で行われた。映画やテレビの中で見る「つくられた」ものではなく、本物の銃の威力を認識すること。そして、引き金を引くことがもたらす結果を想像できるということ。映像のインパクトだけではなく、「考える」スペースを若者たちに与えたことにより、より効果的にメッセージが伝わったのではないだろうか。

Choice FM
英国CM界で初となる、1秒間に1万枚のコマを撮影できるカメラを使用

Choice FM
身内を銃犯罪で失った少年が、進んで撮影に参加したという

 

葉加瀬太郎さんインタビュー

葉加瀬太郎さんインタビュー葉加瀬太郎さんインタビュー

曲名も知らない、作曲家名も知らない。でもいつまでも心に残って離れない、そんな曲はないだろうか。バイオリニスト/作曲家の葉加瀬太郎は、そういう曲を生み出すことのできる音楽家だ。代表作の一つ、「エトピリカ」。その曲名を知らなくとも、TBSのドキュメンタリー番組「情熱大陸」 のクライマックスで、すっと始まる一筋の旋律の美しさに、その音色の煌めきに、心奪われた記憶を持つ人は多いだろう。無意識のうちに心に住まう、そんな曲をつくり続ける彼が3月、ロンドンでクラシックの名曲をメインに据えたコンサートを開催する。なぜ今、クラシックなのか。 現在は練習の真っ最中という葉加瀬に、その心境の変化を聞いた。
(取材・文: 村上祥子、写真: Maiko Akatsuka)

葉加瀬太郎  TARO HAKASE

1968年1月23日大阪府生まれ。90年、東京藝術大学在学時にKRYZLER&KOMPANYのバイオリニス トとしてデビュー。96年に解散後はソロとして活躍。同年10月、セリーヌ・ディオンのワールド・ツアー に参加し、世界にその名を広げる。2002年には自身が音楽総監督を務める「アーティスト自身が自由に創作できるレーベル」、HATSを設立。以降はプロデューサーとしても本格的に活動している。代表作にTBS番組「情熱大陸」テーマ曲や、人気ゲーム、ファ イナル・ファンタジーⅦ交響詩「希望」など。

ストライプのスーツにカラフルなポケット・チーフ。そしてトレードマークとも言える個性的な髪型からは、楽しくて仕方がないという風情の笑顔が覗く。真っ白で殺風景な小部屋で行われた今回のインタビュー。葉加瀬太郎はその穏やかな語り口とは対照的に、自らのつくり出す曲同様、色彩鮮やかで幸福感に満ちた強烈なオーラであっという間に部屋の空気を染め変えた。

葉加瀬太郎

ジャンル分けできない音楽

「気が付けばそこにある音楽」。多くの人にとって、葉加瀬太郎の音楽とはそんな存在なのではないだろうか。テ レビをつければ葉加瀬作曲のテーマ曲が流れ、コンピュー ター・ゲームを楽しめば彼の音楽がBGMとしてストー リーに彩りを添えている。我々の日常生活に知らぬ間に浸透している、それが葉加瀬太郎の音楽だ。1990年、当時、東京藝術大学の学生だった葉加瀬はクライズラー&カンパ ニーというバンドでメジャー・デビュー。バイオリン、ベース、キーボードという編成、クラシックの名曲をポップにアレンジした手法、そして派手な衣装とダンスも取り入れた華やかなパフォーマンス。そのすべてが当時は斬新なものだった。

「ジャンル分けができない音楽ってよく言われていましたね。面白いなと思ったのは、色々な人からこれだけバイオリンの音楽がテレビで流れてくる国は日本しかないって言われたんです。僕の今までのキャリアが、それまでなかっ たものをつくり出す力に、少しはなれたんじゃないかという自負はあります」。

「バイオリンでポピュラーなものができるかっていうことに気が付くかどうか」、これがポイントだったと葉加瀬は言う。「日本だとバイオリン・イコール・コンサートホール、クラシックで拍手もしちゃいけないっていう、アカデミックなイメージがあるんだよね。でもヨーロッパだとストリートにもたくさん溢れているし、フォークでも使われているから、また違った側面がある。だからバイオリンという楽器はもっとフレンドリーなものだと伝えたいっていうのは、若い時からずっと考えてきたし、やってきたつも りです」。

バイオリンをもっと身近に感じてもらう。藝大出身、もともとは「アカデミックな」クラシックを学んできたのであろう葉加瀬がこう考えるようになったのは、いつの頃からなのだろうか。

「クラシック界の異端」への道

クラシック以外の世界に目覚めた時、それは18、19歳の頃だった。4歳からバイオリンを始め、お小遣いはすべてクラシックのアルバムに。小さな頃からヘッドフォンでクラ シックを聴きながら宙に向かって指揮をしていたという自称「クラシックおたく」の葉加瀬は、藝大でカルチャー・ショックを受ける。「ロックに出会ってしまったんですよ」。 素人の目から見ると、それこそ藝大イコール・クラシック漬けというイメージがあるが、葉加瀬いわく、「他の音大 だったら、僕の人生は全く変わっていたかもしれない」という。藝大は芸術の総合大学。音楽だけでなく、通り一本隔てたところには美術学部があった。

「油絵、彫刻みたいなファインアートをやってる人たちは筋金入りの音楽しか聴かないのね。分かりやすく言うと、ストーンズかボブ・マーレーかセックスピストルズ。ほかは音楽じゃないっていう世界なんです。そんな彼らと仲良くなって、何しろ『つくり出す』というエネルギーに魅せられた。例えば僕がバイオリンを弾くとすると、バッハとかベートーベンとか、楽譜がないと何もできない。でも彼らは粘土とか木とかキャンバスがあれば「はい、これが僕です」って言えるでしょう? そこに自分のジレンマという か、フラストレーションを感じて。何かつくり出さなきゃなって思わせてくれたのが彼らだった」。

そこから葉加瀬の人生は急展開を迎える。バンドを組み、曲を書き始める。そしてパンクの洗礼を受けて、大急ぎで ビートルズからエルビスまでを「勉強」。「チャイコフスキー・コンクールで1位をとるよりも、オリコンのチャート・インでしょう」と思い、ポピュラーな業界に入るため、バイオリンで出来る、ありとあらゆるバイトをやった。

「一番始めにやったのが、近藤真彦『森の石松』(笑)。明治座、3カ月公演で1ステージ3000円でした。で、次が劇団四季。これは2~3年くらいやったかな。とにかく目立たなきゃと思って。(オーケストラ)ピットって舞台の下 にあるから、目立たないわけです。だからバイオリンのフ レーズがある時には椅子の上に立って弾くわけ。役者さんたちからは、おかしな奴がいるぞってなって、かわいがっていただきました。そこから藝大の変な奴がいるぞ、と色々なところから声がかかるようになって、セッション・ミュージシャンとして働くようになりました。レコ大も紅白も全部やってましたね。とにかく知ってほしいって何でもやりました」。

そしてそんながむしゃらな生活のなかで、偶然とも必然ともいえる出会いがあった。東京都町田市の小さなカフェ。そこでバイオリン、シンセサイザー、ベースの3人でティータイム・コンサートをやっていた時に訪れたのが、後にクライズラー&カンパニーの生みの親となる音楽プロデューサーだった。クライズラーでの日々では、年間平均 100本にも及ぶコンサートで「お客さんの意味というか、力が一番大切っていうのを教わった」という。曲、演奏、そして話術。そのすべてで観客を魅了する葉加瀬のコミュニケーション能力、コンサート・スタイルは、このクライズラー時代に培われたといって良いだろう。

クライズラー&カンパニー時代の葉加瀬
クライズラー&カンパニー時代の葉加瀬

「ロンドンに恋に落ちた」

デビュー後、約6年間の活動期間を経て1996年、クライ ズラー&カンパニーは日本武道館での公演を最後に解散。その直後、葉加瀬の後の人生を左右することになる出来事があった。世界の歌姫、セリーヌ・ディオンが日本でつくった曲、「To Love You More」。日本では連続ドラマの主題歌となり一世を風靡したこの曲の制作段階から関 わっていた葉加瀬は、この年から約3年間、世界中を周る彼女の100回以上ものコンサートに同行した。

「たった1曲だけのスペシャル・ゲストで、毎晩毎晩、仕事は5分くらいしかないんですけど(笑)。アメリカには3カ月、ヨーロッパも主要都市は全部周りました。そんななかで、なぜかロンドンだけに、ものすごく強く惹かれたんです」。

その後、98~99年には再びロンドンを訪れ、今度は2カ月ほど滞在してレコーディング。この時に「この街に恋に落ちてしまった」。それから約10年、やっと念願かない、昨年9月に家族とともにロンドンに居を構えた。ロンドン西部に住み始めて早数カ月。日々生活を送るうえで、この街の持つマイナス面も見えてきたのではないだろうか。

「確かに、日本と比べればそれほど便利じゃないっていうのは皆が言うことで。でも僕らの世代だと、ちょうど小さい頃の便利さ加減っていうのと、それほど変わらないんですよ。僕ら高校生の時には、頑張れば部屋にエアコンが付くんだ! とか、頑張ればお湯が出るんだ! とかさ(笑)、すごく単純な一つ一つの希望があったけど、今東京に出てくる大学生にとっては当たり前のことなんだろうし。今の日本の持つその便利さがいいか悪いかっていうと僕もよく分からないけれども、好きか嫌いかっていったら、あんまり好きじゃなくなってきちゃったのね。今は自分でも『リスタート』ということを考えているので、逆にこのくらいの方が気持ち的に合っているんでしょうね」。

葉加瀬太郎

チャレンジは王道で

ロンドンでの生活を「リスタート」という言葉で表現した葉加瀬。その言葉を端的に表しているのが、3月に予定されている彼のロンドン・デビュー・コンサートのプログラムだ。ヘンデル、べートーベン、そしてブラームス。大作曲家の著名なソナタがずらりと並ぶ構成。これまでポピュラーであることにこだわり続けた葉加瀬にとって、この心境の変化は何なのだろうか。クラシック回帰なのか、そう尋ねると、一言、「僕にとってはチャレンジなんです」 という答えが返ってきた。

「で、チャレンジするなら、この辺の山の裾野のレパートリーじゃなくて、てっぺんからいくしかないと。今回のプログラムっていうのは、実は僕が子供の頃に憧れていた (イツァーク)パールマン*のリサイタルのレパートリーなんです。とにかくパールマンは僕にとっては神様みたいな存在で、小学校4年生の時に聴いて以来、いまだに一番好きなバイオリン弾きなんですね。これだけ(クラシックとかけ離れた)ポピュラーな曲をやっていても、僕はいつでも彼のプレイをイメージしている。自分のクラシカルなミュージシャンとしてのスタートをどこから始めるかっていったら、そこしかないじゃない? だからてっぺんから行こうって。でもすごい大変です」。

すごい大変、そんな言葉とは裏腹に、その表情と声音はあくまで清々しい。クラシックに魅せられ始まった音楽人生。ありとあらゆるジャンルに親しみながらも、やはり葉加瀬の根底には、常にクラシックが流れているのだろう。クラシック・ファンならずとも知っている有名な曲、王道中の王道を持ってくるその潔さ、そして続く彼の言葉に、何よりもクラシックを愛するミュージシャンとしての強い思いが迸(ほとばし)る。

「よくあるクラシックのコンサートで僕が一番嫌いなのは、マイナーな曲を持ってきましたっていうミュージシャンがいっぱいいるところ。みんな批評家なわけじゃないんだから、知らない音楽を聴く意味はなにもなくて。例えばベー トーベンのソナタっていうのは全部で10曲あるんだけど、演奏会でちゃんと成立するのは、僕は2曲しかないと思ってるのね。5番と9番。それ以外は演奏会では弾くべきじゃない。そうやって選んでいくと、バイオリン・ソナタってそんなにないんです。だから今からトライしていくべきソナタっていうのは、数限られている。残していくべき曲は残していかなきゃいけない。それがマスターピースだから。だから結局、王道しかないんだよね」。

今は練習の真っ最中。これまで自分がつくってきた曲は主に5分くらい。コンサートでは数曲やってMCを入れる、そんなテンポでやってきた彼にとって、30分なりの大曲を演奏することは「まるきり違う作業」であるとともに、 「一番面白い作業」でもあるという。

「やっぱりそれほどフレンドリーなものじゃないと思うんです。30分の曲を拍手なしで聴かせるというのは。ただそうじゃなきゃ味わえない感動っていうのが絶対あるんです。自分が小さい頃に、夢中になって行っていたコンサー トの時に、自分がパールマンの演奏を聴いた時に味わった喜びって何だったかなあっていうのを思い出しながらやっている感じです。それが今の一番のテーマかな」。

*パールマン:イツァーク・パールマン。完璧な技巧で世界中を魅了した、20世紀における最も偉大なバイオリニストの一人。クラシック音楽以外の曲も積極的に取り入れるエンターテイナーでもあった

目指す「バイオリン弾き」の姿

葉加瀬の話を聞いていると、今回のコンサートをきっかけに、完全にクラシックの世界へ移行していくかのように思えるが、その一方でプログラムには葉加瀬作曲の曲も数曲、演奏されるとある。その心には、彼が今後目指す「バイオリン弾き」の姿があった。

「ここ50年くらい、演奏家はクラシックしか弾かなくなったんですけど、そのちょっと前、(ヤッシャ)ハイフェッツ*とかフリッツ・クライスラー*の世代まで、バイオリニストは作曲もすれば、好きな曲を編曲してコンサートで弾 いていたりもしたんですね。今みたいにクラシックとポピュラーっていうのが、生来はっきりと分かれてはいなかった。でも今は単純に、テクニックだけを極めていくの がクラシックの世界で、それ以外だとポピュラーの世界しかないでしょ。たった50年しかたっていないのに、みんな作曲とかアレンジすることをやめちゃって。でも普通は弾いてりゃ書きたくなる。それを今まではポピュラーの世界でやってきたけれど、これからはクラシカルなフィールドで、昔、クライスラーがやってきたことを自分の手でやりたいな、と」。

クライズラー&カンパニーのバンド名の由来ともなった世界的バイオリニストにして作曲家でもあるフリッツ・クライスラー。クライスラーは当時、自分で書いた曲を、バロック時代の曲を見つけてきたなどと偽ってはコンサートで弾いていたのだという。批評家たちは「クライスラーは勉強家だ」と大絶賛。それから30年ほど経って自分のキャ リアの絶頂期でその真実を明かし、批評家たちを煙に巻いたのだそうだ。そんな彼のスタイルを「ウィットに富んでいて格好いいよね」と軽く笑いながら言う葉加瀬だが、そんな言葉の節々に、彼の将来に対する決意が見え隠れする。

「そうやって出来た曲が、今となれば僕たちのレパートリーになっている。そういうふうに自分の曲を、これから の世代の人たちが色々な風に弾いてくれるのはとても嬉しいことだし。やっぱり曲を書くっていうのは、自分のためっていうよりも、楽器で演奏できるレパートリーがみんな のために増えればいいってことだから。今はあまりにもクラシックとエンターテイメントの溝が出来過ぎちゃった。 これからの僕の人生では、その溝を埋めていきたい」。

*いずれもパールマンと並び称される「20世紀最高のバイオリニスト」

「音楽ほど楽しいものはない」

インタビュー当日、葉加瀬には一人の同行者がいた。高田万由子さん。言わずと知れた女優であり、葉加瀬の奥様でもある。葉加瀬の音楽の「一番の理解者」である高田さんは、彼の演奏家としての魅力をこう語ってくれた。

「彼のダイナミックな演奏には、聴く人の心を掴む、何か天性の力が込められているんです。今までのコンサートは全部、お客さんが帰り道で『楽しかったね。また来たいね』って話してもらえるものだったんですね。今までがそうだったんだから、クラシックになったからといって別に眉間にしわを寄せるコンサートにはならない、と思います。やっぱり『楽しかった』っていうのは、人間の一番の根本だと思いますので」。

そう、バイオリンを弾いている時の葉加瀬はいつでも本当に幸せそうだ。バイオリンを弾くことは「世の中で一番楽しい」と断言する葉加瀬の、あまりにまっすぐな物言い に、その場にいた全員が思わず「うらやましい」と笑うと、即座にこう畳みかけた。

「本当に。本当に楽しいんだよ。これはねえ、もうねえ、何度生まれ変わってもバイオリン弾きになると思うけど。 こんなに面白いものはない。音楽ほど楽しいことって世の中にはない」。

こちらが照れくさくなってしまうほどに純粋な、音楽への愛に満ち溢れた言葉。活動のフィールドが変わろうと、ジャンルが変わろうと、彼の音楽に対する喜びと強い思い は、これからもきっと決して変わることなく葉加瀬を支え ていくのだろう。

葉加瀬太郎

葉加瀬には2人の子供がいる。8歳の向日葵(ひまり)ちゃんに、1歳半になったばかりの万太郎君。自分の音楽を「生まれた時からすり込んできている」のが功を奏してか、万太郎君は葉加瀬の音楽をかけた瞬間に「パパ、パパ」と言って喜ぶのだとか。一方の向日葵ちゃんは父に倣い、現在はバイオリンを学んでいる。将来の道を選ぶのは子供たち自身。でも「与えなきゃ選べないから、自分が与えられるものはすべて与えてあげたい」と葉加瀬は言う。そして何より与えてあげたいもの、それは「音楽の喜び」だ。「音楽をやっている人とやっていない人の一番大きな違いとして、僕らには何をしている時にも音楽があるんです。音楽がずっと鳴ってるの。こうやってしゃべっていても、寝ていても。 それを伝えてあげたい」。葉加瀬の愛に溢れた音楽は、こ うやって続く世代へと受け継がれていく。

葉加瀬太郎ロンドン初公演葉加瀬太郎ロンドン初公演
The Classical Night

公演日時: 3月6日(木)19:30~
会場: Cadogan Hall, 5 Sloane Terrace London SW1X 9DQ
最寄駅: Sloane Square
チケット料金: 35、25、15ポンド 完売
Box Office: 020 7730 4500
www.cadoganhall.com
【プログラム】
・ヘンデル: ソナタ第4番ニ長調op.1-13
・ベートーベン: ソナタ第5番ヘ長調op.24「春」
・ブラームス: ソナタ第3番ニ短調op.108 ほか

 

BNP ニック・グリフィン党首インタビュー

移民敗訴を打ち出す極右政党のリーダーニック・グリフィン党首インタビュー

世界各国から移民が押し寄せる英国では、国会やニュース番組などの政治的話題を扱う場において、移民問題が論じられない日はない。その中で究極の移民政策である「移民排斥」を掲げるのが英国国民党。「極右」「ファシスト」「人種差別主義者」として各方面からのバッシングを受け続けるニック・グリフィン党首に、英国ニュースダイジェストがインタビューを敢行した。 (取材・文: 長野雅俊 写真: Maiko Akatsuka)

ニック・グリフィン:1959年生まれ、ロンドン北部バーネット出身。保守党員の両親に育てられ、15歳で極右政党である国民戦線の集会に参加するなど青年期から政治活動に従事していた。1995年に英国国民党に入党。1998年に人種間の憎悪を煽った罪で有罪判決を受ける。1999年より同党の党首に。妻と4人の子供がいる。

Public Enemy No1 英国で一番の嫌われ者

テーブルを挟んで目の前に座っているのは、恐らく英国内で最大級に忌み嫌われている男だ。ロンドン郊外ロムフォードの駅前から、タクシーで5分ほどの場所にあるパブの店内。「今日は党員たちと一緒に街頭に出て、ビラを一日中配っていたからね。汗かいたり雨に降られたりで、シャツもこんなによれてしまった」と言って照れ笑いを浮かべる姿を観察しながら、頭の中で彼の経歴についてもう一度整理する。

まず、過去3度にわたって起訴されている。罪状は主にユダヤ系、そしてイスラム系の人種に対する中傷的な発言または記述を理由とするものだった。そのうち一度は有罪判決を受け、9カ月の懲役刑に。また2007年11月にオックスフォード大学において開催された、ナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺の存在を否定する歴史作家との討論会に参加して物議を醸した事件はいまだ記憶に新しい。何よりも、彼が率いる英国国民党(BNP)は、移民排斥を政治方針として掲げてきた極右政党。長年にわたって同党への鋭い批判を繰り広げてきた政治誌「Searchlight」のジェリー・ゲイブル編集長によれば、「ニック・グリフィンを始めとするBNP党員たちの正体は人種差別主義者。政党としての体を成しておらず、むしろマフィアに近い集団」という。

一方で、英国には彼を支持する者たちが少なからず存在する。党員数は一時期6000人以上に達した。2005年に行われた総選挙では、国会の議席獲得には至らずも、全国合わせて約20万票を得ている。それどころか、人種差別発言をめぐる公判を終えて裁判所から出てくる彼を、拍手やガッツポーズで出迎えた人々さえいる。隣のテーブルでビールのグラスを傾けていたかと思うと時折、インタビューしている我々をデジタル・カメラで撮影している強面の党員たちも、きっと 「お出迎え」に出掛けたに違いない。

視線をグリフィン党首に戻すと、パブの店員にガーリック・ブレッドを注文し終えたところだった。

外国人労働者なんて必要ない

ニック・グリフィン党首
30歳の時の事故が原因で失明した左目には義眼が入っている
インタビューを始めてすぐに気付いたのだが、グリフィン党首は右斜めに首を傾けながら話す癖がある。話している間は、こちらに向けた視線をたとえ一瞬たりとも外さない。質問すると、早口でたたみ掛けるように答えを返してくる。「今でこそ様々な問題が噴出してきてどの政党も慌てふためき始めましたが、5年前の時点で移民問題を真剣に論じていた政党なんて我々しかいなかったのですよ。そして今日まで続いた大規模な移民・難民の受け入れと引き換えに、いまや英国の教育制度は完全に崩壊してしまったのです」。そう言い終えると、食べ物を素早く一口だけ口に入れて、またすぐにこちらの目を見据える。

英国への移住者数は、正式に登録されたものだけで1年間に約47万人(OECD調べ)。外国人選手ばかりが上位を独占するようになったテニスの世界選手権にちなんで「ウィンブルドン現象」とまで呼ばれた英国の経済システムは、外資系企業と外国人労働者の貢献によって大きく発展したと喧伝されてきた。

「そのような見方には賛成できませんね。自由市場がきちんと機能することに加えて職業訓練の機会さえしっかりと確保できれば、滅多なことでは労働者不足には陥らないはずなのです。働き手が少なければその業界の賃金が上がり、そうすればより高い賃金が得られる業界へと職業訓練を経た人材が流れるという形で、需給関係のバランスはある程度は取れるはずですから」。ただ、国内では確保しきれない人材が必要だったからこそ、英国は移民の受け入れを行ってきたのではないだろうか。「非常に限定的な範囲における技術、例えば英国では決して習得できない高度な知識を持った科学技術者の招聘といったものにまでは我々は反対しません。でも鉛管工として働いてもらうために、ポーランドやその周辺国からわざわざ移民を呼び寄せなければならない理由はないわけです。そもそも移民労働者を受け入れる条件として政府が指定している「技術職」のほとんどは、英国人の労働力で賄えるはず。「技術職」なんて言葉は、外国人移民を低賃金で働かせて、英国民に適切な賃金を払わずに済ませるための口実でしかないのです」。そう言って、また食べ物を素早く口に入れ込んでからこちらを見据える。

模範とするのは排他的な日本の移民政策

ニック・グリフィン党首外国人移民を低賃金で働かせることで、英国が経済的な恩恵を受けているという構造は確かに存在するだろう。だが現実問題として、その「低賃金で働く外国人移民」がいなくなってしまったら、ただでさえ高いロンドンの物価はどれだけ上昇してしまうのだろうか。「結局、何を優先させるかという問題だと思います。これまで政府が優先してきたのは、目先の利益ばかりを追う、資本主義という名を借りた拝金主義です。でも長期的な視点から見た場合、英国固有の文化を守り、英国人の生活環境を守るために移民の流入は厳しく制限する必要がある。日本だって、そうしながら今まで経済成長を遂げてきたじゃないですか」。

日本人には少し意外に聞こえるかもしれないが、極右政党として恐れられるBNPのマニフェストの1ページ目には、「民間会社の競争力と国内資本を合致させた日本を始めとするアジア諸国の経済モデルを模範とする」との一文がある。さらに言えば、その「排他的な」移民制限は、BNPにとっての鑑(かがみ)にさえなっているのだ。「日本の厳しい制限政策は、非常にシンプルかつ理にかなったものだと思います。緩やかな少子化問題に悩んでいるかもしれませんが、それでも大量で急激な移民の受け入れに比べたらずっとましでしょう。だからあなたたちは世界経済の中心にいながらにして、独特の国民性を保ったままでいられる」。

BNPに限らず、欧州のメディアが日本の入国管理を「排他的」であると表現することは多い。だから彼らが日本の経済モデルと移民制限策を模範として掲げても、なんら不思議はない。ただグリフィン党首から政策論を聞いているだけでは、何だか釈然としない思いばかりが残る。本当に知りたいのはBNPの移民政策ではなくて、彼らが生来的に持っているとされる人種差別主義についてだからだ。

BNP党員
左)取材日にBNP党員たちが配っていたビラ
右)この日はグリフィン党首の他に、複数のBNP党員たちが来ていた

仮面を被った人種差別主義者?

1999年に英国国民党の党首に就任して以来、グリフィン党首が果たした最大の功績とされるのが党の近代化だ。それまではあからさまな人種差別主義者の集団と見なされていた同党のイメージを刷新しながら、少しずつ一般層にまで支持を拡大してきたというのが彼の支持者たちによる見方になっている。そういった意味で、BNPから人種差別主義を排した政治家として彼を評価する声も一部にはある。

「人種差別とは、そもそもロシアの共産主義革命家レフ・トロツキーが政敵を悪者に仕立て上げるために編み出した非常に政治的な用語です」。グリフィン党首は時々、このように突然妙に理屈っぽい話し方になることがある。「ある特定の人種が、他の人種より優れているか、劣っているかを論じたら人種差別でしょう。でも自分たちの国における移民制度のあり方を論じることは人種差別ではない」。

ただ実際のところ、彼らの活動は「移民制度のあり方を論じる」以上のことを含んでいるようだ。2005年にはグリフィン党首がイスラム教を「邪悪で堕落している宗教」と表現している模様をBBCの潜入取材がスクープ。2006年12月には「ガーディアン」紙が、BNPの活動に携わる際には名前を偽るよう、BNP幹部が同党党員らに対して指示していると報じた。

今だって、彼らの人種差別的な一面をこの目で確認することはできる。同党の機関紙「The Voice of Freedom」の2007年11月号を例に取ってみよう。ここには英国のてんとう虫が、アジアから漂着した別種のてんとう虫に駆逐されようとしている状況を嘆いた記事が掲載されているのだが、このアジア生まれのてんとう虫の写真には「不必要な移民」というなかなか不愉快なユーモアを交えた見出しがついている。先述したBBCの潜入取材において、BNP党員が「パキ(南アジア出身の人々への蔑称)を撃て」と発言した件についてグリフィン党首に直接問い詰めると、微笑を浮かべながら「もうちょっとソフトな言い方だったよ」 と余裕たっぷり。さすがに背中に軽く寒気が走った。

Unwanted Immigrant
機関紙「Voice of Freedom」に掲載された、アジア生まれのてんとう虫の弊害について論じた記事

さらに取材班は、2004年11月にグリフィン党首の下で制定されたBNP規約を入手した。その第1部「政治目的」の欄に記された第2条の(b)―「英国国民党は、英国民の国民性と民族性を守るため、英国人と非欧州圏の人々との人種的融合をいかなる形態を以っても認めない。非白人の流入を防ぎ、1948年以前に英国に存在していた英国民の白人気質を取り戻すために全力を尽くす」。これはもう「移民制度のあり方」を超えて白人主義と呼ばれるものだろう。そうグリフィン党首に尋ねても「そんなものあったかな」ととぼけるだけだった。ちなみに同規約は昨年末に、BNPのウェブサイトから削除されている。

党規約
2004年11月に発行されたBNPの党規約。「英国人と非欧州圏の人々との人種的融合を認めない」とある

貧困問題と極右の関係

ニック・グリフィン党首ここで一旦インタビューから離れて、BNPを始めとする英国の極右政党が支持を集める背景について考えてみたい。極右政党の存在は、地方労働者を取り巻く貧困問題と密接に関連しているとよく言われる。その典型的な例とでもいうべき事件が、2001年7月にイングランド中部ブラッドフォードにおいて白人系とアジア系の若者間で繰り広げられた暴動だ。この地域ではかつて繊維産業が勃興したためにアジアからの移民が殺到した。しかし1970~80年にかけて同産業が衰えていくと多くの工場は閉鎖し、失業者が続出。次第に職口や福祉手当の配分をめぐって異なる民族間の対立が深まるようになり、やがて暴動へと発展した。同様の 歴史的背景を理由とする暴動事件は同じく2001年にイングランド北部オールドハム、そしてバーンリーでも発生。そしてこれらの都市ではBNPに対する支持が高くなる傾向にあり、特にオールドハムは、2001年の総選挙でグリフィン党首が出馬し、6500強の票を獲得した場所でもある。

後日「Searchlight」のゲイブル編集長に、この現象についてさらに詳しく話を聞いた。「1980年代のマーガレット・サッチャー政権で英国の労働市場と教育制度が大幅な自由化を遂げて以来、国内の労働力のバランスは崩れ、地方の産業は競争から取り残されていくようになりました。だから、地方の若者が低賃金の単純労働にしか就けなかったり、失業にあえいだりしているという問題があるのは確かに事実なのです。けれども労働党、保守党、自民党という主要3政党は主に都市部の中産階級に絞って選挙運動を展開しているから、地方の労働者たちは自分たちが取り残されてしまったかのように感じている。そういった層が、移民さえいなくなれば本来の生活を取り戻せるというBNPの主張に呼応しやすくなっているのかもしれません。もちろん、地方の貧困問題というのは、移民を排斥すれば片付く問題ではないのですが」。

グリフィン党首は極右のエリート

話をグリフィン党首に戻す。貧困問題を抱えた地方労働者を支持基盤とするBNPの中で、同党首が持つ経歴は異質だ。生まれはロンドン北部のバーネットで、自他共に認める中産階級の出身。ケンブリッジ大学で歴史と法律を学んでいる。「両親が共に保守党員だったのです。だから物心ついた時から親と政治について話していましたね。でも当時の保守党は左翼がかっていて馴染めなかったので、15歳の時に国民戦線と呼ばれる右翼政党に入ることを決めたのです」。

若かりし頃の彼は、どうやって極右思想に惹かれていったのか。「当時の保守党員たちは内緒話をするようにひそひそと「おい、移民をどうにかしないと俺たち困るぞ」と言いながら、公の場に出ると「これからの時代は多文化主義でいきましょう」と話しているような人ばかりだった。いわば偽善者です。でも国民戦線では党員が素直に理想を語り、かつ現実主義を貫いているように思えたのです」。グリフィン党首は「多文化主義」そして「偽善」の2語を盛んに口にする。

「昔、イングランドの片田舎で暮らしていた時があっ たんです。海岸が近くて、英国らしさに溢れた小さな町ですよ。そこの学校がある日突然、七面鳥やろうそくを用意して祝う、英国の伝統的なクリスマス行事を禁止するという決定を出した。近所に別の宗教を持つ住人がいるからというのが理由でした。それで翌年から多文化主義のクリスマスになって、七面鳥の代わりにインド料理が出ることになった。何だそれって思いますよね。今まで現地で代々何百年と住んできた伝統的な家族が、他の宗教を持つ移民が近所に住んでいるからという理由で自分たちのクリスマスを祝えないんですよ。こんな片田舎まで多文化主義のイデオロギーに支配されるべきではないと決意して、BNPに移って政治活動を本格的に始めました」。

英国人の建前と本音

ニック・グリフィン党首グリフィン党首は多文化主義を「建前」とか「全体主義」と呼んで激しく非難する。でも本当のところ、彼はその建前の重さに気付いているはずだ。だからこそ党の近代化と称して、BNPが持つ人種差別的なイメージを少しずつ削ぎ落とそうとこれまで努力してきた。

ここに一つ、興味深いデータがある。市場調査会社「YouGov」が実施したアンケートなのだが、「難民の受け入れを厳しく制限する」といった政策を、一つのグループにはBNPの政策、もう一つのグループには保守党のそれとして意見を募った。すると回答者は、実際は全く同じ政策を見ているにも関わらず、「保守党案」をより多く支持したというのだ。英国人の「建前と本音」が透けて見えるエピソードである。

グリフィン党首が、多文化主義の弊害について語り続ける。「これだけ無責任に移民を受け入れていたら、人種差別は絶対に生まれる。そもそも移民を差別する感情は、人間の本性みたいなものです。でも英国民はそういった感情を絶対に表には出さない。人種差別主義者と呼ばれるのを恐れているからです。この国では、多文化主義と言われたら絶対に逆らえないような空気が存在しているから、皆が一斉に凍り付いてしまう。でも、私はその空気を恐れない」。偽善に打ち克ち、BNPの「移民政策」を実行するためであれば、再び刑務所に戻ることになっても構わないという。

グリフィン党首の言うように、英国人は建前だけで我々のような移民たちと接しているのだろうか。そして心の奥底では、「多文化主義」に対して強い反発を感じているのか。これらの問いに対する一つの回答として、既に71歳になったという「Searchlight」のゲイブル編集長が寄せてくれたコメントを最後に紹介しよう。「どんな人にとっても、異なる人種に対しての偏見を完全に取り払うということはなかなか難しいでしょう。でもだからといって、あなたが人種差別主義者にならなくてはいけないわけではない」。

 

知っているけど知らないロゴのひみつ

知っているけど知らないロゴのひみつ

企業の顔として、商品の顔として、いつの間にか頭の隅にしっかり刻み込まれているデザインたち。しかしイメージを「形」に変え、それで人の心を捉えるというのは、実に難しい作業でもある。普段何気なく眼にしているロゴやマーク、その知られざる裏側に迫ってみよう。(本誌編集部 國近絵美 写真提供: Kayo Hayashi)

HMV

「世界一有名な犬」に見る、キャラクターのブランド力

HMV

テレビCMでは実物(にそっくりの犬)が登場することもある、世界で最も有名な犬、ニッパー。英国人画家のフランシス・バラウドが描いた1枚の絵を基に作られたこのHMVのロゴだが、実はこの原画が出来上がったのは、1899年のこと。そして絵の誕生のきっかけとなったのは、遡ること1884年、フランシスの兄、マーク・バラウドが1匹のジャック・ラッセルを拾ったことに始まる。

訪問客の足に噛み付く(nip)ことから「ニッパー(Nipper)」と名づけられたその犬は、マークが87年に死去した後、フランシスが引き取ることになった。ある日、フランシスが兄の声を吹き込んだレコードをかけると、ニッパーは不思議そうに首をかしげて蓄音機を覗きこんだという。その様子があまりに印象的だったのか、ニッパーの死から3年後の98年に、フランシスは蓄音機を覗きこむニッパーの姿を描くことにした。そして翌年完成したその絵は「His Master’s Voice(ご主人様の声)」と名付けられる。

その年の暮れ、英国で蓄音機の販売を行っていた「グラモフォン・カンパニー」がこの原画を購入し、1900年、少しシンプルに描き直されたニッパーのロゴが同社の広告に登場する。ロゴは客たちに評判が良く、グラモフォン・カンパニーが販売するレコードはいつの間にか絵の題名を略して「HMVレコード」と呼ばれるようになり、正式ではないものの、会社自体も「HMV」と呼ばれるようになったという。

それから数年後、円盤式蓄音機の発明家であるエミール・ ベルリナーが設立した「ビクター・トーキング・マシーン・カンパニー」が、米国でこのロゴの版権を手にする。そのため 「His Master's Voice」のロゴが、国によって全く別の会社に所有されることになった。

現在、ビクター・トーキング・マシーン・カンパニーの後身である「RCAレコード」は、ラジオと蓄音機にしかニッパーのロゴを使用していない。現在も「ビクター」の名で同じロゴを採用しているのは、米ビクターから独立した「日本ビクター株式会社」のみとなっている。というわけで、HMVジャパン社のロゴにニッパーの姿は無く、蓄音機がぽつんとあるだけだ。その愛らしさゆえ、意外と複雑な飼い主事情を持つニッパーだが、現在オリジナルの絵は、グラモフォン・カンパニーの後身である「EMI」社の英国オフィスに飾られているという。

Wedgewood

一文字で高級感を出す、老舗ならではの技

Wedgewood

世界最大級の英陶磁器メーカー、ウェッジウッド社が食器を製造・販売し始めたのは、1759年のこと。「結婚式の引き出物といえばウェッジウッド」という、高級な贈り物のイメージが日本では定着しているが、同社の成功の秘訣は、なんといってもこの「企業イメージ」による他社との差別化に他ならない。そしてそのイメージ戦略としてどこよりも早く社名を「ブランド化」したのがウェッジウッドだった。

創始者であるジョサイア・ウェッジウッドは、当時英国では珍しかった古代ギリシャ・ローマのミステリアスなイメージの名称を商品に付け、高級感を出した。そして、当時は紋章などのマークを陶器の裏にプリントするのが主流であったが、ウェッジウッドは1772年ごろから社名をロゴとして使用。そして1989年にロゴが規格化され、現在の「W」のロゴを印すようになった。

Victoria & Albert Museum

無駄のない美しさで個性を強調

V&A

誕生から30年近くたった今でもモダンな魅力を持つビクトリア&アルバート美術館のロゴは、英国が世界に誇るグラフィック・デザイナー、アラン・フレッチャーによる作品だ。フレッチャーは他にも、英通信社「ロイター」が92年まで使用していた、89個の点からなるロゴも手掛けている。

特別な日には、特別な衣装で

V&A

2007年6月、ビクトリア&アルバート美術館の開館150周年を記念して製作されたロゴ。150人のデザイナーや写真家、建築士などを招き、各々がV&Aへの思いを作品にして1ページずつ収録した「記念アルバム」のようなアート本を作成したという。

London 2012

英国民の心を1つにしたロゴとは?

London 2012

デザイン1つで、人はこんなにも怒れるものなのか……と感心するほどの議論をかもし出したのが、このロンドン五輪のロゴ。大会史上初めてオリンピックとパラリンピックのロゴが統一され、しかも動画での使用を意識した「次世代デザイン」であると大々的に謳われたものの、去年6月に発表されるや否や、国民から厳しい批判が相次いだ。さらには動画版を見た22人がてんかん症状を起こし、その上、制作に40万ポンド(約9000万円)も費やしたことが発覚し、国民の怒りが倍増。ロゴの廃止を求めるインターネット上の署名運動では、2日間で約5万人の署名が集まったという。

2012という数字を基にしたデザインはピンク、青、緑、オレンジのバリエーションを持つ上、確かに従来のニュートラルなデザインと比べると異色の作品であり、ロンドンらしいといえば、そんな気がしないでもない。しかし、オリンピックは世界中の人々を巻き込む、注目の一大イベント。だからこそ、「もう少し老若男女に愛されるデザイン」を英国民は求めたのだろう。

英国民を一夜にして敵にまわした「ウルフ・オリンズ」とは

過去に2004年アテネ・オリンピックのシンボルや「東京メトロ」のロゴを手掛けたこともある、ロンドンを拠点とする超有名ブランド・コンサルタント。かのゴードン・ブラウン首相の妻、サラ・ブラウンが勤めていたこともあり、33カ国にクライアントを持つという。ちなみに、今回制作指揮をとった同社エグゼクティブ・クリエイティブ・ダイレクターのパトリック・コックスは、ロゴの発表から数週間、報道陣から身を隠すために出社を控えていたという。

皆もおなじみ、ウルフ・オリンズの代表作
BT2003年4月、ロンドンに本社を持つグローバル・テレコミュニケーション企業「BT」グループが、12年ぶ りにロゴの一新を行った。これまでの「パイプを吹く人」のロゴはかなり認知度が高かったにも関わらず、 従来の「電話サービス」のイメージが強かったため、 多彩なビジネスを展開するBTによりふさわしいデザインを目指して今回の変更に踏み切ったという。

Unilever基礎化粧品から食品まで、ありとあらゆる業種を傘下に持つ世界最大級の消費財メーカー「ユニリーバ」が、2004年に行った大幅な再ブランディングの際に製作された。同社が所有する多彩な事業や商品ブランドを象徴し、なおかつ1つに統一したいという難しい期待に答えたのが、25個のアイコンからなるこのロゴ。それぞれの意味はウェブサイトでチェック出来る。

Transport for London

ロンドンのイメージを創りあげた巨匠たち

London Transport
London Transport

質の良いデザインは一生もの──そんな言葉がかわいらしく思えるほど長い間愛され続けているのが、ロンドン地下鉄のデザインだ。チューブの路線図、ロゴ、そしてフォントの3つは、単に交通機関のデザインとしてではなく、ロンドンという都市全体のイメージを創りあげることに成功した、初めての公共デザインなのではないだろうか。

1910年代、それまで数社によって運営されていた交通機関が、「ロンドン・トランスポート」という1つの組織として統合される。そこで「ラウンデル」と呼ばれる円形のマークを採用したのがフランク・ピック、そしてシンプルでいて洗練された書体をデザインしたのがエドワード・ジョンストンだ。1916年に完成したフォント「ジョンストン・アンダーグラウンド」は読みやすさ、親しみやすさ、そしてデザイン性の全てに優れており、それ以降、地下鉄に関する表示やデザインは、全てこのフォントが使用されることとなった。

さて、その「ジョンストン・アンダーグラウンド」だが、もともとはディスプレイ用に作られていたため、パンフレットや時刻表などの細かい印刷物を作るには不向きであった。それでも活字を「ジョンストン」のフォントで統一するべきだと考えたロンドン・トランスポートは、1979年、河野英一という印刷専門学校を卒業したばかりの在英邦人デザイナーに「ジョンストン」をベースにした新しいフォントの制作を依頼する。そして河野が完成させたフォント「ニュー・ジョンストン」は、現在でも公共交通機関の駅名や表示、印刷物などに使用されている。このフォントの特徴は「i」と「j」、そして「.」や「,」の点の部分が◆形になっているところだ。

一方、現在使用されている地下鉄の路線図の原型がデザインされたのは、1931年のこと。製図者であったハリー・ベックは従来の地図を簡素化し、8線(当時)が複雑に絡み合った地下鉄システムを洗練された「アート作品」のように変えることに成功した。ベックのデザインした地図と実際の地理とでは距離感がかなり違うが、乗客たちに何よりも「使いやすさ」を提供するという、公共デザインの第一目的を見事に達成している。

Royal Air Force / Mod

空軍? モッズ? 人気マークをめぐる戦いとは

Royal Airforce と The Who
左)Royal Air Force 
右)「The Who」のロゴとターゲット・マークを組み合わせた、
いかにもモッズなデザイン

モッズとは、50年代後半にロンドンから発祥した、ファッションや音楽をベースとしたライフスタイルとその支持者を指し、60年代初期にピークを迎えたサブ・カルチャーのこと。デビュー当時の英バンド「ザ・ビートルズ」も、マネージャーの意向でモッズ・ファッションとヘアスタイルにさせられたというほどの一大ムーブメントだった。そしてそんなモッズたちが好んで使用したのが、この「ターゲット・マーク」 と呼ばれるデザインだ。

もともとは英国空軍のマークで、軍が所有する航空機には現在も必ずこのマークが描かれている。しかし、60年代に英ロック・バンド「ザ・フー」がこれをTシャツやグッズなどに多様したため、モッズも自分たちのファッションに取り入れ始めた。それにより、ターゲット・マークは空軍のマークとして認知される前に、モッズの象徴的なデザインとして世界中に浸透してしまった。

ターゲット・マークは一度も知的財産として登録されたことがなかったため、英国防省は2003年、これを空軍が販売する洋服ラインのトレードマークとして特許庁に申請した。しかし、「トップショップ」などを所有する英国大手ファッション・グループ「アーカディア・グループ」が、このマークはモッズのムーブメントによって公有財産(パブリック・ドメイン)になっていると反対した。そして2004年1月、商標登録所は「ターゲット・マークはモッズたちによって広まり、人々はそのマークがついた服を見ても、空軍を連想することはないだろう」という結論を出した。しかし、服飾以外の物にターゲット・マークを使用する権利は空軍に与えられている。

Royal Airforce
英国空軍の航空機には必ず入っているこのマーク。多くの国が同じ形のマークを航空機に使用し、中の色を変えてそれぞれの国籍を表している
TV channels

地上波5局の「顔」に迫る

TV局ロゴ

長い時間をかけ、少しずつ手直しされてきた各局のロゴたち。企業イメージという資産を守りつつ、視聴者に新鮮さを抱かせるコーポレート・アイデンティティー(CI)やロゴを常に模索しているのが、テレビという媒体ならではの面白さかもしれない。

まず、テレビ界の大御所「BBC」が放送を開始したのは1936年。しかし53年まではロゴらしきものは使用されず、62年に初めて、現在のものに似たボックス型のロゴが作られた。そして90年代より、「チャンネル4」のロゴ・デザインですでに成功していた英デザイン・広告代理店「Lambie-Nairn」にロゴの製作を依頼し、91年にはBBCという企業ブランドを再構築させるため、再び同社にトータル・デザインを任せたという。さらに、97年には約500万ポンド(約11億5000万円)をかけ、3年にわたってロゴと商標を現在のものに変更した。

一方、67年にカラー放送をする英国初のテレビ局となった「BBC2」は、当時は局名よりも「カラーであること」を強調するロゴを採用していた。そして91年、「Lambie-Nairn」からの提案で数字の「2」を定期的に遊び心のあるデザインに変えたことにより、視聴者からの人気が急上したという。デザインが社内チームで行われるようになった現在でも、この手法は用いられている。

6回に及ぶ微かな訂正を加えながらも、55年に制作されたオリジナルのロゴを長年守り続けていた「ITV」。しかし、06年1月に大文字のアルファベットから現在の小文字に変更し、同年11月にはロンドン発のCM製作会社「Blink Production」によって現デザインへと移行した。ロゴ変更当時は、小文字に変わったことでぐっと親しみやすくなったと、視聴者に好評だったという。また、ITVのキッズ専門チャンネルである「CITV」のロゴを手掛けたのも同プロダクション。

現在の「Channel 4」のロゴの原型をデザインしたのは、後にBBCのイメージ・チェンジを成功させたデザイン事務所、「Lambie-Nairn」。5色の積み木のような棒を組み合わせて作った「4」という数字だけで視聴者に同局のイメージを連想させるという革新的なアイデアを実現し、このデザインは96年まで使用された。現在同局のCMでは、建物や風景などを一定の角度から見るとこのロゴに見えるという、斬新な手法がとられている。

97年に開局されたばかりの「Channel 5」が現在のロゴになったのは2002年のこと。経営体制が変わり「Five」に局名が変更されたことに伴い、ホワイトチャペル・ギャラリーや近代美術館「ICA」のロゴ、そして美術館のウェブ・デザインなどを手がけるデザイン集団「Spin」にロゴ制作を任せた。02年までは「⑤」というシンプルなデザインに、背景が5色に塗られた四角いボックス型のロゴが使用されていた。

BP

超大手企業のロゴ革命に学ぶ

BP

ビジネス環境の変化とともに、企業の顔が変わるのは当然 のこと。しかし大企業になればなるほど、ロゴやCIの急激な変化が吉と出るか凶と出るか、賭けの要素が大きくなるのもまた事実。色を味方につけて吉と出た良い例が、英国に拠点を置くエネルギー関連企業「BP」のロゴだ。

1920年代に油田操業を開始して以来、世界100カ国で約10万人の従業員を有するグループへと成長したBPの最初のロゴは、今とは全く違うデザインであった。そして1930代年に新しく採用されたロゴは、なんと社内で行ったデザイン・コンテストで選ばれた、購買部員の作品だったという。翼型の枠にBPのレターを入れただけのこのシンプルなロゴは、内側を赤、青、緑、黄、白に変えられるようにと発案されたが、いつの間にか黄色と緑色が多様され、そのうちこの 2色が同社のシンボル・カラーとして定着したという。

そして2000年、前身の「British Petroleum」から「BP」に正式名を変える際、これまでとは全く違う太陽のマークをロゴとして採用することになった。ギリシャ神話に登場する太陽の神で、エナジーの象徴でもある「ヘリオス」からヒントを得たというこのロゴは、これまでのBPの企業イメージと関連付けてもらえるよう、社のカラーである黄色と緑を強調。印象的でありながら「見慣れた配色」にすることで、マークの変化による違和感を和らげる狙いがあったという。

Google

シンプルなほど「本気」で遊べる

google

グローバルな巨大企業であるほど、シンプルなロゴを使用しているもの。そして世界中で展開している検索エンジン 「グーグル」もその多分に漏れず、この基本となるロゴに国名が入るだけというシンプルなつくりで統一されている。そんなグーグルで抜群の人気を誇るのが、1日限定で発表される記念日のロゴ。著名人の誕生日や没日、祝日などのイメージが、オリジナルのロゴをベースにデザインされたものだ。

中にはほとんど原型をとどめていない作品もあるが、それでもユーザが「グーグル」とすぐに認識出来るということから、同社の共同創立者であるセルゲイ・ブリンによってデザインされたオリジナルのロゴがいかにインパクトがあり、世界に浸透しているのかが分かる。そして何よりも、この遊び心いっぱいのグーグルの経営方針が、いっそうユーザーの心 を捉えるのではないだろうか。

UKネタ満載の限定ロゴ

2000年より記念日ロゴの製作を手掛けている、米グーグル・ウェブマスターのデニス・ホワン。全世界にファンを持つ彼の作品には、 もちろん英国ネタも登場している。

コナン・ドイルの誕生日 2006
BT名探偵「シャーロック・ホームズ」シリーズの生みの親、英作家コナ ン・ドイルの誕生日記念。世界中のファンから「来年も!」との声が寄せられたという。

ルイ・ブライユの誕生日 2006
BT「点字の父」、ルイス・ブライユの生誕を記念して、点字で「Google」と綴った作品。色の配置以外はオリジナルと全く異なるデザインで、同社の遊び心や前衛的なセンスが全面に出ている。

セント・ジョージズ・デー 2006
BTイングランドの守護聖人の祝日は、イギリス人にとっては国民の日。スコットランド人ユーザーから「セント・アンドリューズ・デーのロゴも作って」との声が殺到したという。

ハロウィーン 2005
BT恒例の行事なだけに、毎年アイデアを考えるのに一苦労だとか。記念日ロゴは楽しくハッピーなデザインが多いため、不気味なムード作りに力が入った、本人もお気に入りの作品。

 

百花繚乱の英国小政党

百花繚乱の英国小政党

英国の政党を挙げろと言われて、即座にいくつくらい思い出せるだろうか。労働党、保守党、自由民主党……。政治に興味がなければ、これら3大政党以外には、なかなか出てこないかもしれない。確かに全国区のニュースを騒がせるのは、この3党が中心だ。しかし独立、移民など、英国ならではの問題と直結し、国民の心情をストレートにくすぐるのは、実は小政党だったりする。今回は敢えて3大政党をスルーして、小政党にスポット・オン。小政党を知れば、英国政治の裏側が見えてくる!(本誌編集部: 村上祥子)

個性豊かな英国小政党の面々

お堅く手堅いイメージのある英国政治の世界。ここではそんな固定概念が覆されること間違いなしの、十人十色の個性派政党6つをご紹介しよう。

実は「日本がお手本」です
BNP英国国民党(英国民族党)
British National Party (BNP)

Nick Griffin設立年: 1980年
党派: 極右 (同党は極右であることを否定)
党首: ニック・グリフィン

EU拡大の波を受けて移民数が急増している近年の英国。英国人の潜在意識にある移民に対する複雑な思いを反映してか、じわりじわりと支持を集めているのが移民排斥を掲げる英国国民党(BNP)だ。「人種差別政党ではない」と世間に訴えているものの、2004年にBBCの記者がBNPへの潜入取材を敢行した番組「シークレット・エージェント」では「パキ(パキスタン人)を撃て」「国境を封鎖しろ」などと語る様子を録画され、06年には「ガーディアン」紙の記者が同党に潜入取材、BNPのイメージを向上させるためのテクニックを党員に伝授したり、人種差別的活動を行う際には偽名を使うよう奨励するなどといった党の実態が暴露された。06年の地方選挙では大躍進を遂げた同党だが、07年12月には党首の方針に反発し、約50名の議員らが離党、自らをReal BNPを名乗るという騒動に発展した。また意外と知られていないが、BNPの移民排斥主義は、日本の移民政策をお手本にしているというからオドロキ。

こんな人が党員です!

06年「ガーディアン」紙の潜入取材で世の人をあっと驚かせたのが、イングリッシュ・ナショナル・バレエ団のプリンシパル(最高位ダンサー)、シモーヌ・クラークさんがBNP党員であるという事実発覚だった。その後はクラークさんの舞台出演に反対する人々が劇場の外に集結するなどの騒動も。実はこのクラークさん、当時は同団の中国系キューバ移民の男性ダンサーとパートナー関係にあり、5歳になる子供もいた。この一見矛盾する関係性に「???」だったが、やはりというべきか、07年12月にはBNPのハンサムな若手地方議員、リチャード・バーンブルック氏との婚約を発表。なんでも抗議行動が起こった公演にバーンブルック氏が激励に訪れたのがきっかけだったとか。

イラク戦争反対だけじゃない!
RESPECTリスペクト党
Respect (正式名称: Respect - The Unity Coalition)

ジョン・リーズ設立年: 2004年
党派: 左派
党首: ジョン・リーズ

党名の「リスペクト」とは、Respect, Equality, Socialism, Peace, Environmentalism, Community, and Trade Unionismの頭文字を取ったもの。設立当時はイラク戦争反対の姿勢を全面に押し出したため、特定の課題を達成するため活動を行う「特定問題政党」とも言われたが、現在では鉄道そのほか公共サービスの再国有化や環境保護などを唱えている。同党の支持者には、映画監督のケン・ローチ、ノーベル文学賞受賞の劇作家、ハロルド・ピンターなどの知性派著名人も。ちなみに党名にはちょっとしたいわくが。ロンドンでは市長主催で毎年「Rise」と呼ばれるフェスティバルが開催されているが、実はこのフェスティバル、もともとは「Respect」という名前だった。しかしリスペクト党が同名を名乗ったため、名付け親のケン・リビングストン・ロンドン市長は泣く泣く「Rise」と変更したのだとか。

こんな人が党員でした!

同党の設立メンバーの1人には、2006年1月に人気リアリティー番組「Celebrity Big Brother」に出演、レオタード姿で踊っている姿も記憶に新しいジョージ・ギャロウェイ氏がいる。そんな姿からは想像するのも難Gallowayしいが、真の姿は硬派な反戦主義者。03年、当時労働党の議員だったギャロウェイ氏は、国内で論争を呼んでいたイラク派兵に真っ向から反対し、同党を除名。翌年にリスペクト党を結成した。07年には同党の状態が「あまりに無秩序である」とするギャロウェイ派と、同党と協力体制にある極左の社会主義労働者党派に分かれ対立し、同年11月にはギャロウェイ派が「Respect Renewal」を結成、同党から脱退した。

マジメにくだらなさを追求します
OMRLPオフィシャル・モンスター・レイビング・ルーニー党
Official Monster Raving Loony Party
(OMRLP)

ジョン・リーズ設立年: 1983年
党派: ?
党首: アラン「ホーリング・ロード」ホープ

くだらなさ、皮肉をこよなく愛する政党。設立者はジャック・ザ・リッパーのコスプレなどで注目を集めた長髪ロッカー、スクリーミング・ロード・サッチ。同氏は1999年に死去したが、その精神は今も同党に脈々と受け継がれている。同党のマニフェストには、「亡命者は面白いジョークを言える限りは英国滞在を許可される」「米語のスペルを使用した者は、罰として1週間、オックスフォード英語辞典(大型版)を携帯する」など、一見バカバカしい政策がズラリ。とはいえ「未成年の選挙権獲得」「パブの24時間営業」など、実現してしまったものもあるのが怖いところ。

ロンドナーの悩み、お聞きします
One Londonワン・ロンドン党
One London

ダミアン・ホックニー設立年: 2005年
主義: ロンドン自治体の権限拡大
党首: ダミアン・ホックニー

ロンドン自治体の権限を拡大することを目的とした政党。英国のEU脱退、反移民など過激な主義を掲げる一方で、ロンドンの混雑税廃止、公共交通機関の24時間運営など、ロンドナーとしては気になる政策もチラホラ。ところでこのOne Londonという党名、どこかで聞いたことはないだろうか。05年のロンドン同時多発テロ勃発の際、リビングストン・ロンドン市長は同名のキャンペーンを組み、多民族の団結を訴えた。それが全く違う主義主張を持つ団体に、名前を使われたということで市長はかなりのご立腹だったそう……。

環境に優しい政党は同性愛にも優しい
Green Party of England and Walesイングランドとウェールズ 緑の党
The Green Party of England and Wales
(GPEW)

デレク・ウォール設立年: 1973年
党派: 左派
党首: なし(2008年より選出予定)
プリンシパル・スピーカー: デレク・ウォール、キャロライン・ルーカス

ヨーロッパを中心に、米国、アジアなど世界各国に存 在する環境政党、緑の党。同党の中心政策はもちろん環境保護。そのほか動物実験反対やフェミニズム、同性愛者擁護などの主義を掲げる。なぜエコ政党が同性愛フレンドリーになるのか。一見不可解だが、そのココロは「自由」。社会的弱者や少数派の人権保護を標榜する同党にとって、同性愛者たちの権利を守るのは、当然のことなのだ。

こんな人が党員です!

世界的に有名なゲイ・パレード「Pride」にも毎年参加するという同党、メンバーにはオーストラリア生まれの過激人権主義活動家、ピーター・ギャリー・タッチェル氏の姿も。「デーリー・メール」紙から「同性愛のテロリスト」 と呼ばれたこともあるタッチェル氏は2007年5月、同性愛者に対する風当たりが強く、市より開催を禁止されたロシアのモスクワでの「Pride」に参加、そこでネオナチらから暴行を受けたが、後に「モスクワに戻って活動することにこれっぽっちのためらいもないね」と語っている。 「Green, but not peaceful」と言うこの自然を愛する過激派に、今後も目が離せない。

保守党のオトモダチ
UKIP英国独立党
United Kingdom Independence Party
(UKIP)

ナイジェル・ファラージ設立年: 1993年
党派: 右派
党首: ナイジェル・ファラージ

英国独立党の生命線とも言える最大の主義は英国のEU 脱退。そのほか、英国内における中央集権の強化をうたっており、スコットランド、ウェールズ、北アイルランド議会を廃止し、すべての権限を英国議会へ委譲するよう訴えている。「トーリー(保守党)の圧力団体」とも呼ばれる UKIPは多数の元保守党党員を抱え、某政治ウェブサイトの調査によると、調査対象となった保守党党員の半数近くがUKIPを「最も見解が近い党」と認識しているという。党の規律では人種差別を禁止し、極右関係者の入党を禁じているというが、人種差別、移民排斥との関連性を指摘する声は少なくない。

こんな人が党員でした!

UKIPの名物党員といえば、ロバート・キルロイ=シルク氏。元々は労働党の内政スポークスマンとして活躍していたが、左翼組織から嫌がらせを受け、一旦は政界を引退。その後はBBCで自身の名を冠した番組を持っていたが人種差別発言が元でホサれてしまう。しかしメゲないキルロイ氏、次はUKIPに入党し、2004年の欧州議会選挙で見事当選。欧州議会議員となったあかつきに議会で何をしたいかを問われ、「破壊してやる」と答えた恐るべきタフガイだ。その後の活躍が期待(!?)されたが、同氏は党内の勢力争いに敗れ05年に離党。その後、新政党「ヴェリタス」を結成したが、05年の総選挙で大敗したことを受け、同党党首を辞任、離党している。

2大政党制の中の小政党

英国政治は2大政党制と言われる。確かに英国の政治史を紐解けば、過去にはトーリー党(保守党)対ホイッグ党(自由民主党)、労働党対保守党という2大政党の対立図式が出来上がっていた。労働党と保守党という2大政党に、自由民主党が追随する形の現在。毎日のようにブラウン管を賑わせるこれら3党だが、その政策を見ると、一見、どれがどの政党のものだか区別がつかないほど似通っているものが多いことに気付かされる。その理由としては、一つに「小選挙区制」を採用している英国の政治システム、もう一つに現代英国における階級制度の変遷が上げられる。

小選挙区制
小選挙区制とは、定員と同じ数の選挙区を設置し、1つの区に1人の当選者を選ぶ選挙制度を指す。同制度では、最高得票者しか当選しないため、無駄になる票(死票)が多くなる。そのため、自分の票を無駄にしたくないと考える投票者は、本命が世論で人気があれば自票を投じる必要がないと考え、また人気がなければ投票しても無駄だと思い2番手の候補者に投票する傾向にある。そのため小選挙区制を取り入れている国では1番人気プラス2番人気の2政党が票を集めるという、2大政党制が形成されやすいとされているのだ。こうして野党第一党も政権を握る可能性がある2大政党制を持つ英国では、幅広い層からの支持を得るため、各党が打ち出す政策も現実的で実現可能なものとなる傾向がある。

階級制度の変遷
日本と比べると、いまだ国民の生活の中に「階級」という意識が残る英国。とはいえ、以前と比べれば上流階級と労働者階級の間の差異は狭まりつつある。20世紀後半には、労働・保守両党が、労組重視、福祉国家推進の労働党、規制緩和と民営化を推し進める保守党という、各支持層に訴える個性的な政策を打ち出していた。しかし現在では上流階級、労働者階級と簡単に括ることのできない中間層が増加、その新しい層にアピールするため、労働党ではニューレーバー(新しい労働党)を旗印に党内における労組の影響力を弱め、保守党も近年、環境や医療問題を重視するなど、ともに中道寄りな政策を提唱するようになった。

こうして政権掌握を狙う労働党、保守党と、3党政治を掲げる自民党の3党の政策が必然的に類似してくる一方で、政権を取る可能性の限りなく少ない小政党は、自由に自らの主義主張を打ち出してくる。特に英国では総選挙とは別に、北アイルランド、スコットランド、ウェールズ、ロンドン市議会議員選挙などでは、得票率に合わせて議席を配分するため小政党にも勝算がある比例代表制が採用されているため、小政党の活躍振りを見るならこれらの選挙に注目するとおもしろい。

地方議会で活躍する小政党

大政党の影に隠れて、小政党がなかなか日の目を見ることのない中央政治。 しかし独自の議会を持ち、比例代表制が導入されている北アイルランド、スコットランド、ウェールズでは近年、地方政党が大躍進。ここでは各地方の政治システムとともに、有力地方政党を紹介する。

Walesウェールズ
Wales

1536年、イングランドに併合された後は、イングランドとの統合王国となったウェールズ。スコットランドや北アイルランドとは異なるその背景ゆえか、ウェールズ独自の言語、文化を守り続ける一方で、英国からの独立に対してはそれほど高い関心を持っていなかった。1997年にはウェールズ議会(National Assembly of Wales)の設立が提案され、同年9月に住民投票が行われたが、その際にも賛成50.3%、反対49.7%とかろうじて設立が決定。99年より議員選挙が行われるようになった。

政治システム
英国議会下院では40の議席を割り当てられている。独自の議会を持つが、スコットランド議会(Parliament)と異なり、Assemblyであることからも分かるように、法律を制定する権限は持っていない。ただし、地方自治や農業、教育、環境、文化などの分野における二次的立法権あり。議員の任期は4年。小選挙区比例代表並立制(Additional Member System)。

ウェールズ議会議員選挙の結果
第1回(1999年)      
党名
小選挙区
比例代表
労働党
27
1
28
ウェールズ国民党
9
8
17
保守党
1
8
9
自由民主党
3
3
6
無所属
0
0
0

2007年      
党名
小選挙区
比例代表
労働党
24
2
26
ウェールズ国民党
7
8
15
保守党
5
7
12
自由民主党
3
3
6
無所属
1
0
1

(Source: BBC Online)

ソフトに攻める、イマドキの民族主義
Plaid Cymruウェールズ国民党 (ウェールズ民族党)
Plaid Cymru

ユアン・ウェイン・ ジョーンズ設立年: 1925年
党派: 中道左派
党首: ユアン・ウェイン・ ジョーンズ

なんと発音すれば良いのか見当もつかない「Plaid Cymru」という党名。もちろんウェールズ語で、Plaid=政党、Cymru=ウェールズを指す。ちなみに読み方はプライド・カムリ。設立当初はウェールズの言語と文化の保護が主目的だったが、後に自治政府の設立→ウェールズ独立を目指すようになった。しかしそんな流れと反比例するかのように、党のイメージはソフトなものに。2006年には1933年から使用していた、3つの山にウェールズの象徴であるレッド・ドラゴンを組み合わせたロゴから、温かみのある黄色いウェルシュ・ポピーの花のロゴへと変わり、党名も通称をただ「Plaid」とするようになった。07年5月の議会議員選挙では15席を獲得し、労働党との連立政権を樹立。ユアン・ウェイン・ジョーンズ党首がウェールズ副首相の座に付いた、勢いのある党である。

Scotlandスコットランド
Scotland

トニー・ブレア、ゴードン・ブラウンと2代にわたり首相を輩出しているスコットランド。もともとは地方分権に積極的な労働党支持が強いお国柄だが、近年はスコットランド独立を目指すスコットランド国民党(SNP)の支持率が上昇している。スコットランド議会は1707年、イングランド、スコットランド両王国が合邦したことで一旦閉鎖されたが、98年の「スコットランド法」制定により、翌年より新議会が設立されている。

政治システム
英国議会下院では59の議席を割り当てられている。一方で独自の議会(Parliament)を持ち、所得税率を変更するなど、中央とは別に法令を定めることが出来る(ただし、財政や外交など、全国規模の問題を扱うことは不可)。選挙は4年ごと。小選挙区比例代表並立制 (Mixed Member Proportional Representation System)

スコットランド議会議員選挙の結果
第1回(1999年)      
党名
小選挙区
比例代表
労働党
53
3
56
スコットランド国民党(SNP)
7
28
35
保守党
0
18
18
自由民主党
12
5
17
その他
1
2
3

2007年      
党名
小選挙区
比例代表
スコットランド国民党(SNP)
21
26
47
労働党
37
9
46
保守党
4
13
17
自由民主党
11
5
16
スコットランド緑の党
0
2
2

(Source: BBC Online)

ショーン・コネリーも支持する第1党
SNPスコットランド国民党
Scottish National Party(SNP)

アレックス・サモンド設立年: 1934年
党派: 中道左派
党首: アレックス・サモンド

スコットランドの分離独立を目指す中道左派政党。2007年スコットランド議会議員選挙でついに第1党となり、アレックス・サモンド党首がめでたくスコットランド首相の座についた。00年にはSNP議員2名が、英国、ドイツ、南アフリカを中心に争っていた06年サッカー・ワールド・カップ開催地決定に関する公式ウェブサイト上の投票でドイツを推したことで、トニー・ブレア首相(当時)に「反英国的」と批判されたが、「ウェブ上での投票で反英国的とするのはくだらない」と一蹴した。その一方で昨年8月には英国からの独立を問う住民投票に関する白書を発表するなど、独立を実現するための準備を着々と進めているのがウマイところ。世界的俳優、ショーン・コネリーが長年支持している党としても知られる。

Northern Ireland北アイルランド
Northern Ireland

1960年代、それまで差別を受けてきたカトリック教徒と、プロテスタントが中心となっていた北アイルランド政府が激しく対立する、いわゆる北アイルランド問題が深刻化 した同地域。1972年には英国政府による直接統治が始まり、旧アイルランド議会は消滅した。98年には、英国とアイルランド共和国が北アイルランドの和平に関する合意文書に署名(ベルファスト合意)、同時に議会設置も決定された。それが現議会(Northern Ireland Assembly)である。しかしこの議会も、党派間の対立の激化などにより一時機能停止に。2007年3月、プロテスタント系のユニオニスト *強硬派、民主統一党(DUP) とカトリック系のナショナリスト *強硬派、シン・フェイン党の間で自治復活の合意がなされ、同年5月、4年半振りに自治機能が復活した。
*ユニオニスト(英国との連合維持を支持)、ナショナリスト(北アイルランドの独立を支持)

政治システム
英国議会下院では18の議席を割り当てられている。ウェールズ同様、Assemblyである同議会には自治権が委譲されているとはいえ、英国議会が保持している権限(外交や国防、通貨など)や、後に委譲される可能性があるが、現在は英国議会が持つ権限(警察や郵便)も存在する。任期は4年。比例代表制(単記移譲式比例代表制: Single Transferable Vote System)。

北アイルランド議会議員選挙の結果

※ U: ユニオニスト N: ナショナリスト

1998年    
党名
党派
アルスター統一党
U
28
社会民主労働党
N
24
民主統一党
U強硬
20
シン・フェイン党
N強硬
18
同盟党
6
英国統一党
U
5
無所属
U
3
進歩統一党
U
2
北アイルランド女性連合
2

1998年    
党名
党派
民主統一党
U強硬
36
シン・フェイン党
N強硬
28
アルスター統一党
U
18
社会民主労働党
N
16
同盟党
7
無所属
1
緑の党
1
進歩統一党
U
1

(Source: BBC Online)

武器を捨てた闘士たちの行く末は...... 
Sinn Feinシン・フェイン党
Sinn Fein

ジェリー・アダムス設立年: 1905年 (1970年には党が分裂し、暫定派シン・フェイン
(現在のシン・フェイン党)が設立された)
党派: 極左
党首: ジェリー・アダムズ

アイルランドのゲール語で「我々のみ」という名を持ち、世界中の多くの国からテロ組織として認定されている民兵組織IRA(アイルランド共和軍)暫定派の政治組織であるシン・フェイン。しかし2005年にはIRAに武装解除を勧告し武装闘争の終結を宣言させることに成功、昨年は犬猿の仲であるDUPに歩み寄り、自治復活を実現させるなど、近年ややソフト路線に転じている(ように見える)。一見インテリ学者のような風貌のジェリー・アダムス党首は、捕虜の虐待が明らかにされ問題となったイラクのアブ・グレイブ収容所の惨状を描き出した写真を見ても、「私も拷問写真に写ったことがある」と言ってのけるツワモノ。また北アイルランド議会副首相の座についたマーティン・マクギネス氏は、自治復活時の知的な好々爺といった雰囲気とは裏腹に、IRAのトップにまで上りつめ、「IRAのゴッドファーザーの中のゴッドファーザー」とまで呼ばれたバリバリの闘士である。彼ら過去の武闘派が、平和な北アイルランドの未来を築くことができるのか、今後に注目だ。

プライド・カムリのスポークスマン、
アラン・エヴァンズ氏にインタビュー

── 現労働党政権の強みと弱みはなんだと思いますか。

現政権の強みと言えば、以前まではメディアをコントロールする能力だったと言えるでしょう。とはいえ最近ではなんの強みも見せることができずにいますが。弱みと言えば、すべてを統制したがるという点でしょうか。常に中央政府の権限を強めようとしていますが、彼らにそんな能力などないのです。もっと地方議会に権限を委譲すべきです。

── プライド・カムリと現政権の政策における一番大きな違いはなんですか。

ウェールズ政府と中央政府の違いということで言うならば、ウェールズNHS(国民保険サービス)におけるPFI(公共サービスの提供を民間に委ねる手法)の不採用、農民に対する迅速な支援、公共交通機関の改善、そしてウェールズ語の保護などが挙げられます。我々(プライド・カムリ)の長期的な目標としてはウェールズ独立の実現があります。

── 英国の政治システムは2大政党制と言われます。この点についてどう思いますか。

地域によって変わると思います。ウェールズやスコットランドでは、4党制が確立していますし、北アイルランドでは、政党の様相はそのほかの地域とは全く異なります。ですが原則として英国政治のシステムは2、または2.5大政党制と言って差し支えないのではないでしょうか。その理由は小選挙区制です。もし比例代表制、または単記移譲式比例代表制になるようなことがあれば、議会はより民意を反映するものとなるでしょう。

── 英国は比較的小さな国です。にもかかわらず、ウェールズやスコットランド、北アイルランドの人々が独立を求めるのはなぜでしょう。文化や言語の保護以外に理由はありますか。

独立を求める原動力となっているのは、ウェールズの持つ独自の政治的風土なのです。ウェールズでは伝統的に中道左派政党を支持する傾向にありますが、イングランドにより決められた右派政権に苦渋を強いられることが多々あります。1980年代、90年代の保守党政権は、ウェールズにおいて全く支持を得ることが出来ず、また我々にとっても独自の生活様式が壊滅的状況に追いやられるという事態に陥りました。多くのナショナリストたちは、二度とこのようなことが繰り返されてはならないと決意し、右派寄りの政策から我が身を守るため、ウェールズの自治/独立を求めるようになったのです。

 

日本を愛した15人の英国人たち

日本を愛した15人の英国人たち

1858年に日英修好通商条約が締結され、日英間に初めて正式な外交関係が結ばれてから今年で150周年。この記念すべき年を祝うために、日本では「UK-Japan 2008」と題された催しが企画され、2008年を通じて両国間の交流がこれまで以上に活発に行われることが期待されている。そこで本特集では、これまで日英交流に多大な貢献を果たしてきた親日家の英国人15人を紹介する。(本誌編集部: 長野雅俊)

日英修好通商条約
1858年に日英間で締結された条約。米国のマシュー・ぺリー東インド艦隊長官率いる黒船の到来によって開国した、幕末の混乱期にある日本で締結された。この条約によって函館、神奈川、長崎、新潟、兵庫の開港が決まったが、一方で日本は関税自主権を行使できず、治外法権を認めさせられるといった内容であったために、現在では不平等条約であったと見る向きが強い。同条約によって日英間での正式な外交関係が開始されたと見なされており、150周年となる今年は日本で「UK-JAPAN 2008」と題された催しが1年を通じて行われる。
UK-JAPAN 2008 www.ukjapan2008.jp
 日本に美しき言葉を残した英国人

まだ飛行機やテレビ、インターネットなどといった科学技術が発達していなかった時代。当時日本を訪れた英国人たちは、遠く海を隔てた未知の国の様子を自国の人々に対してやや興奮気味に、または分かりやすく噛み砕くように比喩の形で知らせ、またある者は日本を深く愛するがゆえに日本人に対しての箴言(しんげん)を残した。

ラザフォード・オールコック「日本人の尊敬を得るためには」

ラザフォード・オールコック Rutherford Alcock

初代駐日英国総領事   1809~1897年
ロンドン出身

若くして医師としての実力を買われ軍医としてスペイン、ポルトガルなどに赴任するが、リューマチを患い医師として働くことが難しくなったために外交官へと転身。中国(当時の清国)において上海、広州の領事として勤務した経歴を買われて日英修好通商条約の締結後に初代駐日英国総領事として日本に赴任した。赴任中は当時日本を席巻していた「尊王攘夷」という外国勢力への反発に対して心労を重ねていたとされ、やがて長期休暇に入る。この休暇中に「大君の都」という本を著し、その中で「日本の政府と人民の尊敬を得るためには、何ら武力を示す必要はないのだ」と書き残した。富士山に登った初めての外国人とも伝えられている。

イザベラ・バード山形県を「東洋のアルカディア」と評した

イザベラ・バード Isabella Bird

旅行家   1831~1904年
ヨークシャー出身

幼少時から病弱だったために、23歳の時に療養のために米国の親戚を訪れる。その時の様子をまとめた本 「The Englishwoman in America」を出版した後は旅行作家としての地位を築きやがて中国、ベトナム、シンガポール、そして日本と東アジアを訪れるようになった。日本では1878年に東京、日光、新潟、そして北海道といった日本各地を訪問。その中でも特に山形県置賜地方の赤湯温泉での湯治風景に感銘を受け、同地の風景をギリシャ南部ペロポネソス半島中央部の丘陵地帯になぞらえて「東洋のアルカディア」と評した。後に神戸や京都、大阪、伊勢といった西日本も訪れ、それらの様子は「Unbeaten Tracks in Japan」と題された紀行文として残っている。

ハリー・S・パークス「人間の仕業ではない」と感嘆の声を上げた

ハリー・S・パークス Harry Smith Parkes

外交官   1828~1885年
スタッフォードシャー出身

アヘン戦争後の中国での貿易問題をめぐり発生した、アロー号事件で発揮した外交的手腕を買われて上海領事となる。1865年より日本駐在となり、以後18年間にわたって外交官として日本に滞在。当時の首相ウィリアム・グラッドストンの指令で和紙についての研究を行い、この文書は現在でもロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館と王立キュー植物園に残されている。また当時はまだ女人禁制だった富士山に夫人を伴って登頂し、女人禁制解除の流れを作ったなどの逸話も。日本では1871年に廃藩置県の実施という大改革が行われたが、その際に反乱が起きなかった様子を観察して、「欧米でこのようなことを行えば数年戦争が起きる。人間の仕業ではない」と漏らしたと伝えられている。

バーナード・ハウェル・リーチ「日本には日本がない」と苦言を呈した

バーナード・ハウェル・リーチ Bernard Howell Leach

陶芸家   1887~1979年
香港生まれ

祖父が住む日本の京都で幼少期を過ごした後、父の転勤に伴い香港やシンガポールなど各地を転々とした。ロンドンに戻り現地の美術学校で勉学中に、詩人で彫刻家の高村光太郎と知り合い日本への興味を強め、日本へ移住し白樺派と呼ばれる芸術運動に参加。以後は美術評論家の柳宗悦などと交遊を深めた。自身が33歳の時に日本人陶芸家の濱田庄司を伴い英国に戻り、コーンウォール地方のセント・アイブスにおいて日本の伝統的な登り窯を開いている。日本美術を高く評価し、「日本にはあらゆるものがあるが、日本がない。今、世界で最も反日なのは日本人なのだ」という言葉を残すなど、西洋を崇める日本人に警鐘を鳴らした。

 お雇い外国人として訪日した英国人

明治初期に日本が近代化を果たすために欧米諸国から招聘した各分野の優秀な人材を「お雇い外国人」と呼ぶ。産業革命をいち早く成し遂げた英国はまさに日本にとっては近代化のお手本のような国であり、同時期にお雇い外国人として日本の土を踏んだ約1800人のうち、その7割以上が英国人だったという。

バジル・ホール・チェンバレン「日本研究家」の草分け

バジル・ホール・チェンバレン Basil Hall Chamberlain

日本研究家   1850~1935年
ポーツマス出身

若かりし頃は英国において銀行業に携わり、23歳の時にお雇い外国人の1人として来日。海軍兵学校で英語を教えた後に、東京帝国大学の教授として勤務することになった。同大学で研究者としての才能をいかんなく発揮し、後に「ジャパノロジスト(Japanologist)」と呼ばれる日本研究家の草分け的存在に。俳句や古事記の英訳を手掛けたほか、アイヌや琉球の文化を含む日本文化全般についての研究を行い数々の著作を残した。後に日本人に帰化し小泉八雲となったアイルランド人作家のラフカディオ・ハーンとも親交を温めたとされるなど、彼の周りには幾人もの「日本ファン」が集まったという。

ウィリアム・ゴーランド日本考古学の父

ウィリアム・ゴーランド William Gowland

化学兼治金技師   1842~1922年
タイン・アンド・ウィア出身

30歳の時に当時の大阪造幣局によってお雇い外国人として招聘される。同局では自身の専門であった反射炉の築造や鎔銅作業の指導を担当し、日本における科学技術の近代化に大きく貢献した。また多趣味な人物として知られ、業務の合い間には日本絵画の収集に励んだり、英国の伝統的なスポーツであるボート競技の漕法を伝えるなどして日英の文化交流の促進に寄与した。特にまだ当時の日本ではあまり発達していなかった考古学の分野においては、日本各地にある古墳について非常に高い学問 水準の研究成果を残したために、後に「日本考古学の父」 と呼ばれるなど、日本文化に関する全てを愛した稀有なお雇い外国人であった。

ヘンリー・ダイアー日本を「東洋の英国」と呼んで愛した

ヘンリー・ダイアー Henry Dyer

工学者   1848~1918年
スコットランド出身

学生時代は「機械の都」と呼ばれたグラスゴーで勉学に励み、大英帝国の産業革命を支えた科学技術に関する知識を身に付けた。また幕末期に英国に密航した「長州ファイブ」と呼ばれる留学生の1人であった山尾庸三と一緒に学んだことから、日本についての見聞を広げたと伝えられている。グラスゴー大学を卒業後、お雇い外国人として招聘され、25歳の時から9年にわたって東京大学工学部の前身である工部省工学寮の教頭として勤務。日本を「東洋の英国」と名付けて、英国に帰国後も教育者として日本の文化を紹介するなど、日英交流の発展に大きく貢献した。電話機やサッカーを日本に伝えた人物としても知られている。

ヘンリー・ダイアー日本名を誇りとした

アーネスト・メイソン・サトウ Ernest Mason Satow

外交官   1843年~1929年
ロンドン出身

「Satow」というスラブ系の名字を持つスウェーデン人の父と、英国人の母との間に生まれる。18歳の時に英国の外務省に入省し、19歳で来日。通訳官を経て書記官となり、生麦事件、薩英戦争と日本が近代化を成し遂げるまでの激動の時代を見守った。タイ、ウルグアイ、モロッコ駐在を経て、52歳の時に再び日本に赴任。赴任中はもともと日本に馴染みのある「さとう」という名字に漢字を当てた日本名である「佐藤愛之助」を愛用し、また書道を始めとする日本文化に対しても深い理解を持つ親日家として、日本人との交遊を深めた。東京都千代田区の英国大使館前にある桜並木の植樹は彼が始めたものであり、この桜並木の景色は現在に至るまで残されている。

 日英修好通商条約締結後の日英史概略
1858年 日英修好通商条約を締結
1861年 水戸藩浪士14名が東京都港区東禅寺にある英国公使館を襲い、英国人2名が負傷(第一次東禅寺事件)
1862年 信濃松本藩浪士が東禅寺にある英国公使館を襲い、英国人2名を刺殺(第二次東禅寺事件)
1862年 生麦村大名行列を横切ろうとした乗馬中の英国人を薩摩藩士が切りつける生麦事件が発生
(写真右:事件が起きた生麦村)
1863年 生麦事件をめぐって鹿児島湾で砲撃事件が発生(薩英戦争)
1869年 エディンバラ公が来日
1873年 岩倉使節団岩倉使節団が訪英
1902年 日英同盟を締結
1910年 大日英博覧会がロンドンで開催
1921年 日英同盟の廃棄について合意
1961年 アレキサンドラ王女が訪日
1975年 エリザベス2世が日本を公式訪問
1987年 語学指導を行う英国人などを日本に招致するJETプログラムが開始
1998年1月 ブレア首相が来日
2001年 日英間でワーキング・ホリデー制度発足
2003年4月26日 ブレア首相と小泉首相ロンドンで小泉首相とブレア首相が日英首脳会談
2003年7月18日 ブレア首相が来日
2007年1月9日 ロンドンで安倍首相とブレア首相が日英首脳会談
2008年1月~ 日英交流150周年を記念して各地で記念イベントを開催
 現代日本を愛する英国人たち

「侍」や「浮世絵」といった、かつて外国人を惹き付けた文化が歴史の表舞台から消え去ってしまった現代日本の新たな一面を愛する英国人も多く存在する。テレビ司会者、スポーツ選手、文学者、そして起業家と、異なる分野でそれぞれ違った日本像が描かれているのも興味深いところだ。

フレディ・マーキュリー伊万里焼の収集家

フレディ・マーキュリー Freddie Mercury

ミュージシャン   1946~1991年
ザンジバル出身

伝説的なロック・バンド、クイーンのボーカル。ファンの間では広く親日家として知られていたが、そもそも彼の日本への興味を焚きつけたものは何と伊万里焼。収集のためにお忍びでの訪日もあったという。またソロ・アルバム収録曲「La Japonaise」では日本語での歌唱を披露。日本公演のMCも流暢な日本語でこなしていた。

ギャリー・リネカー実は日本語がかなり流暢

ギャリー・リネカー Gary Lineker

元サッカー選手   47歳
レスター出身

1993年の日本でのJリーグ開幕に合わせて名古屋グランパスエイトに入団。当時最高年棒の3億円で契約するも、怪我のために目立った活躍が出来ないまま2年目に引退した。このためファンから強い批判を浴びたが、意外にも日本滞在中は日本語の学習を熱心に行っており、帰国から10年が過ぎた今でも流暢に話すことが出来るという。

ジョナサン・ロス自他共に認める日本オタク

ジョナサン・ロス Jonathan Ross

テレビ司会者   47歳
ロンドン出身

トーク番組や映画紹介番組の司会での軽妙な語り口が人気のテレビ司会者。BBCの人気ドキュメンタリー番組「Panorama」をもじった「Japanorama」という番組の司会を務めながら、マンガやゲーム、オカルトといった日本の現代文化を紹介している。日本映画についての造詣も深く、過去に北野武や宮崎駿といった日本人映画監督へのインタビューを行っている。

デビッド・ボウイ現役知日派の代表格

デビッド・ボウイ David Bowie

ロック歌手、俳優   61歳
ロンドン出身

大島渚監督の「戦場のメリークリスマス」で北野武や坂本龍一といった日本人アーティストと共演を果たしたことで日本の芸能界にも広い交遊録を持っており、また日本人デザイナーの山本寛斎がデザインした衣装を好んで自身のコンサートでもしばしば使用している知日派。一時は京都に別荘を購入したとの噂が週刊誌などで取り上げられたこともあった。

デービッド・ベッカム来日で20億円稼いだ

デービッド・ベッカム David Beckham

サッカー選手   33歳
ロンドン出身

日本では「ベッカム様」との愛称を持つほどの人気を誇る、恐らく日本で最も愛される英国人。その人気に応えるかのように、ソフトバンクモバイルや明治製菓、NTTドコモなどといった日本の企業テレビCMに頻繁に出演している。2003年の来日では「日本が大好き」とコメントして拍手喝采を浴びた。またこの来日では10日間の滞在で20億円のギャラが発生したと伝えられている。

C.W.ニコル日本の自然を誰よりも愛する

C. W. ニコル Clive Williams Nicol

作家   68歳
ウェールズ出身

元々は空手を習うために来日するも、日本における急速な地域開発の現状に危機感を抱いて日本における自然保護運動を開始。現在では長野県黒姫山の土地4万5000坪を購入して出来た「アファンの森」の運営などの自然保護プロジェクトを実施している。1995年には日本国籍を取得。「生物と文化の多様性を持つ日本が一番好きな国」として日本での生活を謳歌している。

サイモン・ウッドロフ日本文化でビジネスする英国人

サイモン・ウッドロフ Simon Woodroffe

起業家   54歳
エセックス出身

回転寿司チェーン「Yo! Sushi」やカプセル・ホテル「Yotel」を経営するなど、現代の一風変わった日本文化を次々と取り入れたビジネスを英国で展開し、日本を「最後のオリエンタル・ミステリー」と呼ぶ起業家。かつてはロッド・スチュワートなどの大物ミュージシャンの舞台芸術に携わっていた。また日本の人気番組「夜のヒットスタジオ」の制作などに関わっていたこともある。

 

北京五輪金メダル候補 キャサリン・グレインジャー選手

2008年五輪開催記念 金メダル候補にインタビュー

北京五輪の開催年となる2008年。ニュースダイジェストの新春第1号では、欧州各国で発祥したスポーツの現役第一人者たちにインタビューを試み、それぞれの競技が持つ歴史や五輪に対する意気込みを聞いた。英国から紹介するのは、ボート競技。今大会の金メダル最有力候補とされる女子チームとインタビューを行った。

Kathrine Graingerキャサリン・グレインジャーさん
Kathrine Grainger
1975年12月11日、スコットランド北部アバディーン生まれ。身長182センチ、体重80キロ。1997年の世界選手権のエイト(8人乗り)で銅、2003年に舵手なしペア(2人乗り)で金メダル獲得。2005年からはクオドルプルスカル(4人乗り)で3連覇を達成した。五輪ではシドニーでクオドルプルスカル、アテネでは舵手なしペアでそれぞれ銀メダルを獲得し、北京ではクオドルプルスカル女子チームの一員として金メダル最有力候補となっている。競技生活の傍ら法学の研究を続けながら学士号と修士号を取得しており、現在もロンドン大学キングス・カレッジの博士課程で刑法を専攻している。

レースが佳境に入ると、肺が破裂しそうになってアドレナリンが噴出します

まずは代表チームの構成とご自身のポジション、そしてチーム内での具体的な役割について教えていただけますか。

私は「クオドルプルスカル」と呼ばれる4人乗りボート競技チームの一員です。他にフラン・ホートン、デビー・フラッド、アニー・ヴァーノンという3人の選手と合わせて1つのチームを構成しています。

その中で私は船尾に最も近い位置に座る「ストローク」と呼ばれるポジションを担当しています。選手たちはボートの進行方向とは逆を向きながらオールを漕ぐことになるので、残りの3人は皆、私の背中を見ることになりますよね。だから彼女たちは私がオールを漕ぐペースに合わせる取り決めになっているんです。つまり、皆が私の真似をすれば一番でゴール出来るような、「勝つためのリズム」を作り出すのが私の大事な仕事です。

最後尾のグレインジャー選手
ボートの最後尾でオールのリズムを作るグレインジャー選手
© GB Rowing

北京五輪では金メダル最有力候補とされていますね。

チームとして脂の乗り切ったこの時期に、英国代表チームの一員として五輪に参加できることを誇りに思っています。北京に向けての期待感は段々と高まっていて、チーム全体としても「絶対勝つ」という断固たる決意を共有しています。

代表選手の活躍に加えて、皆さんを指導するオーストラリア人コーチのポール・トンプソンさんは今年、世界ボート連盟からその功績を評価されて「コーチ・オブ・ザ・イ ヤー」賞を受賞しました。

ポールは細かい点にまで本当によく目が行き届くコーチな んだと思います。特に私たちにとっては最も大切な「どうやって水をかいたらボートをより速く進ませることが出来るのか」ということについての知識を驚くほどよく持っていて、コーチとしての能力には時々圧倒されてしまいます。

英国といえば、サッカーのフーリガンに代表されるよう に熱烈なサポーターがいることで有名ですが、ボート競技においてはどうですか。

ボート競技の世界にも、私たちを応援するために世界中どこへでも駆けつけてくれる熱烈なサポーターたちがたくさんいます。彼らはあくまでも英国代表の一員として私たちと一緒にレースに参加することに喜びを感じてくれる人たちです。そんな彼らの応援は確実にチームのエネルギーへと転化しています。

優勝を決めた直後
2007年にドイツのミュンヘンで行われたボート世界選手権で
優勝を決めた直後の女子チーム© GB Rowing

緊張感なしでは、 世界最高レベルで戦うだけの力を発揮できない。

金メダルを意識する余り、重圧を感じたりしませんか。

精神的重圧は、外的要因ではなくいつも自分たちの内側から生まれるものだと考えています。最高の結果を出したい、自分が持つ能力を最大限発揮したいという気持ちが緊張を生むのです。

この種の緊張は、正直なところ耐え難く感じることもあります。精神的重圧にさらされている時は、安らぐことが全く出来ないですからね。ただ、たとえ苦しみを経なければいけないとしても、緊張感なしでは世界最高レベルで戦うだけの力を発揮できないのです。さらに言えば、それほどの重圧を感じることって、誰もが経験できるわけではない。非常に特別で貴重な体験として捉えようとも思っています。

北京五輪では、どのチームが最大のライバルになると思われますか。

私たちが参加するクオドルプルスカル女子においては、これまでドイツ代表チームが五輪を制覇してきました。だから彼女たちが最大のライバルになると思っていいでしょう。また最近では中国が力をつけてきていて、特に今回は地元開催となるので手強い相手となりそうです。

2005年8月に日本の岐阜でボートの世界選手権が開催されましたが、日本という国についてはどんな印象を持たれましたか。

このボート世界選手権で私たちは優勝することが出来たので、日本については良い思い出ばかりが残っています。現地の人たちは皆私たちを歓迎してくれて、いつも親切に対応してくれたので感謝しています。レース当日に日本人の観客の皆様が送ってくれた声援もとても嬉しかったです。

シドニーオリンピックでは銀メダル
2000年に開催されたシドニー・オリンピックでは銀メダルを獲得した。
右から2番目がグレインジャー選手
Neal Simpson/EMPICS Sport/PA Photos

講義室と水の上に浮かぶボートという2つの空間を行き来できることに幸福を感じていた。

ボート競技を始めたきっかけは何ですか。

実はボートを競技として始めたのは法学を勉強するために大学に入ってからなんです。最初は本気で取り組むつもりはなかったのですよ。でも当時から十分な背丈がありましたし、体もある程度鍛えてあったので是非ボート・チームの一員に、と勧誘されて始めることになりました。

でも結果的にそこで素晴らしい友人たちと出会うことが出来たので、ボートを始めて良かったと思っています。大学時代は大学の講義室と水の上に浮かぶボートという2つの大好きな空間を行ったり来たりできることに、ただただ幸福を感じていました。

今でも刑法の勉強を続けていると聞きましたが。

スポーツとは別の何かを学ぶのが単純に好きなんでしょうね。いつもとは違ったように頭を使って、ボート競技生活の中では知り得ない別の世界を知ることが出来る。もちろん、今では競技生活を最優先していますが、学業も疎かにはしていないつもりです。大学時代から二足の草鞋を履いていたので、私にとっては競技と勉強の2つのバランスを取ることで、お互いが相乗効果を発揮してより上手くいくような気がするんです。あとはやはり、それぞれ別の世界で全く考え方の異なる友人たちと話し合える機会を作るのが楽しいのだと思います。

キングスカレッジ
グレインジャー選手が刑法の研究を行っている
ロンドン大学キングス・カレッジ

普段はどこで練習を行っていますか。

ロンドン近郊レディングにある湖か、テムズ河の上流。後者の場合は、イングランド南部にあるマーロー地区まで出掛けることが多いです。

ボート競技を全く知らない人にその魅力を教えるとすれば、どのようなことを伝えますか。

ボート競技の魅力は、やはりレースです。普通にボートに乗っているだけでも、オールが水の中を滑っていく感覚を味わったり、またオールが水をかく音を聞くだけでとても心地良い気持ちになれます。でもレースになると、これに加えてボートを進める自分の脚力の強さを感じたり、自分の心臓が高鳴る音を聞いたりすることが出来るのです。

レースが佳境に入ってくると、今度は筋肉が痛みを感じたり肺が破裂しそうになったりしながらアドレナリンがどんどん噴出してきます。言い換えると、自分の体が何だかよく分からないけれどとっても活発に動いていることを自覚する。そして自分はこれまでに経験したことのない、とてつもなく素晴らしい何かに挑戦しているような気持ちになるんです。そんな感覚を味わえるスポーツが、ボート競技なんだと思います。

ボート競技の中にも色々と種目がありますね。グレインジャ ーさんは前回のオリンピックでは舵手なしペアで銀メダルを獲得されていますが、種目によって異なるアプローチを取られるのでしょうか。

技術の違いよりも、ボートの広さから生まれる気持ちの持ち方とその対応の違いの方が大きいと思います。ペアだとボート内は非常に狭い空間になり、2人だけですべての責任と課題を分け合っていかなければならないので、時にこの責任感がストレスになります。4人乗り、8人乗りとなるとスペースがもっとゆったりして責任も分散される一方、全員が同じ考えを共有するために努力する必要が出てくるためコミュニケーションを取る重要性が増してくる、といった具合です。

良いチームを作るためには何が一番必要でしょうか。

代表チームのメンバーは誰もが非常に強い個性を持っているので、やはりコミュニケーションを頻繁に取ってお互いに対する理解を深めるようにしています。チームワークにはやはり円滑なコミュニケーションが不可欠だと思いますし、時には他人に対して我慢することも必要です。

特に我々は多くの時間を、大きな精神的重圧を受けながら過ごすことになります。そういった環境の中でチームとして最大限の力を発揮するためには、チームワークをどれだけ維持できるかが鍵になると思って毎日の練習に取り組んでいます。

ボート競技競技解説
オールを使って漕ぐボートの速さを競う競技。国際大会では2000メートルの距離を争うことが多い。漕ぎ手の足はボートに固定されており、座席が前後に動くようになっている。競技者の人数に応じてシングル(1)、ペア(2)、フォア(4)、エイト(8)に分かれており、種目によってはオールを持たずに指示を出す舵手の有無によって区別があり、さらには漕ぎ手1人につき1本のオールを持つ「スウィープ」、オールを左右それぞれの手に1本ずつ持つ「スカル」という2つの形式に分かれる。近代ボート競技の起源は1716年にロンドンのテムズ河で行われた「ドゲッツ・コート・アンド・バッジ・レース」と言われている。

フランスフェンシング 
フランス代表有力候補 エロワン・ル=ペシュー インタビュー

ドイツハンドボール 
ドイツ代表選手 ヘニング・フリッツ インタビュー

 

2007年ハッピーニュース総ざらい!

2007年ハッピーニュース総ざらい!

今年も残すところあと10日。泣いても笑っても2007年も終了です!みなさん、どんな1年でしたか?世界では、戦争、テロ、殺人と相変わらず暗いニュースばかりが続きますが、だからこそニュースダイジェストでは、英国の「ハッピー」なニュースだけをピックアップ!笑顔で1年を締めくくり、まっさらな気持ちで新たな1年を迎えましょう。2008年の幕開けが、みなさんにとって幸せに包まれますように。

社会
ますますパリが近くなった
ユーロスター、 新ルート・オープン!

ユーロスター英国と欧州大陸を結ぶ高速鉄道「ユーロスター」が11月14日、英国内に新設した専用軌道での運行を開始。時速約300キロでの走行が可能となり、ロンドン―パリ間はこれまでより20分早い2時間15分、ロンドン―ブリュッセル間は1時間53分で結ばれる。ロンドンのターミナルは、ウォータールー駅からセント・パンクラス駅に移った。新ターミナルからは同日午前11時すぎ、ブリュッセル行きの「一番列車」が出発した。

ひとこと
この記念すべき日を盛大に祝うはずだったのだが、当日のフランスは交通ストまっただ中。それどころじゃない。フランス側の電光掲示板も、なぜか終点がウォータールのまま。1等車両の食事は、20分短縮されたせいなのか、なぜか1品少ない。とはいえ総合点では良。ロンドン市内へのアクセスは格段に良くなりました。
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政治
「影の功績」がついに認められて
ゴードン・ブラウン新内閣誕生

ブラウン内閣誕生10年間にわたり長期労働党政権を率いてきたトニー・ブレア首相の任期途中での辞任に伴い、6月28日をもって労働党のゴードン・ブラウン新党首が戦後第13代の首相に就任、同日中に新内閣が発足した。ブレア政権下ではナンバー2として財務相を務めながら、国内の好調な経済を長期にわたって維持してきたブラウン氏。ブレア氏よりいずれ首相の座を譲り受けるとの取り決めがあるとの噂が度々流れていたが、政権奪取後10年目にしてようやく首相の座を射止めた。

ひとこと
上品な英語で、目をキラキラと輝かせながら演説するブレア前首相に憧れて渡英したので、なんだか顔に「ザー」って影が走っているようなブラウンが首相になった日には鬱寸前。が、首相就任当初は支持率が非常に高くて、たとえ性格が地味でも、見る人はちゃんと見ているんだなって嬉しくなりました。
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王室
60年間続く愛もある!
英国王室初のダイヤモンド婚

ダイアモンド婚エリザベス女王(81)と夫のフィリップ殿下(86)が11月20日に結婚60年のダイヤモンド婚を迎え、前日の19日には、ロンドンのウェストミンスター寺院で記念式典が行われた。バッキンガム宮殿によると、ダイヤモンド婚を迎えた英君主は史上初めて。夫妻にとって、同寺院は結婚式を挙げた思い出の教会。長男のチャールズ皇太子と故ダイアナ元妃をはじめ、離婚が続いた英王室で「互いを支え合うエリザベス女王夫妻の仲の良さは際立つ」とは外交筋のコメント。

ひとこと
おっとりとした女王とアグレッシブな殿下。お互いにないものに惹かれたカップルと言われていますが、ある占術から見ると、この2人の性格は見た目とは逆。女王は、行動派。殿下はゆっくり型。「お互いにないもの」とは、実はお互いに「本当の自分」を持っているからなのかもしれません。
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社会
しょせん、他人のラッキーだけど……
史上最高、宝くじで85億円の大当たり!

宝くじで大当たり!8月11日、数字選択式宝くじで英国史上最高額となる3540万ポンド(約85億円)の当たりくじが出た。この確率は7600万分の1で、1995年6月に出たこれまでの最高額、2250万ポンドを一挙に抜き去った。当選者は、スコットランドに住む郵便会社勤務のアンジェラ・ケリーさん。夫と別居中で長男ジョンさん(14)と2人暮らし。宝くじは1.5ポンドで購入し、これまでの年収が2万1000ポンドだったことを明かし「当選を知った時は手が震えました。まだ動揺して実感がわきません」と話した。英紙によると、当選は秘密にするつもりだったが、職場内でうわさが広まり、会見することにしたという。

ひとこと
昔、近所のおっちゃんが宝くじで大当たりしました。が、いきなり大金が転がり込んだ彼は、人生を狂わせてしまいました。宝くじ当選と聞くと、いまだにその話を思い出します。アンジェラさんのその後が気になります。
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社会
「地獄の16週間」を生き抜いて
ガザでBBC記者解放 「世界中の人に感謝したい」

BBC記者解放パレスチナ自治区ガザで武装集団に拉致、拘束されていたBBC放送のアラン・ジョンストン記者(45)が7月4日未明、事件発生から約3カ月半ぶりに無事解放された。同記者は解放後、ガザ市でイスラム原理主義組織ハマス幹部のハニヤ前自治政府首相らとともに記者会見し、「人生で最悪の16週間だった。携帯していたラジオでわたしの解放を求める世界各地の人々の支援を知っていた。感謝したい」と述べた。ジョンストン記者は主要欧米メディアでガザに常駐する唯一の外国人記者。3月12日、銃を持った集団に拉致された。

ひとこと
今年も、この手の事件が目立ちました。アフガニスタンで韓国人ボランティア23人が拉致され2人が犠牲に、ミャンマーでも日本人の映像ジャーナリストが射殺されました。そんな中で、無事釈放されたのは、本当に良かったです。
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歴史
英国史に新たな記録が刻まれるか
ストーン・ヘンジで積年の謎を解く大発見!

ストーンヘンジ世界七不思議の候補ともされる英南西部の巨石遺跡群ストーンヘンジの近くで、同遺跡群を造った人々の集落の一部とみられる新石器時代(紀元前2600年ごろ)の住居跡を発見したと英大学の発掘チームが1月30日、発表した。研究者の1人は「ストーンヘンジは当時としては最大の埋葬地で(住居跡などを含む)巨大な複合施設の一部だったと考えられる」と述べ、諸説あるストーンヘンジの目的を解き明かす貴重な発見だと強調した。確認された住居跡は8棟で、それぞれ広さ約5メートル四方。最大で100棟あった可能性もある。

ひとこと
一口に紀元前2600年と言いますが、よく考えるとすごいですよねー。同じ場所から箱型ベッドや木製の棚があったことを示す跡も見つかったそうですが、今からざっくり4600年前。そんな時代に人がいたのでしょうか。不思議。
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スポーツ
300億円の男
英国のスーパースターは、やっぱりベッカム!

ベッカム英国一のフットボール選手であり、その私生活 の一挙手一投足まで注目される、デービッド・ベッカムが8月、米プロ・リーグ、MLSのロサンゼルス・ギャラクシーに移籍した。その契約金は、なんと、5年で総額2億5000万ドル(約298億円)!スポーツ専門テレビ局のESPNは、ベッカムの「金のために米国に行くと世間は言うだろうが、そうではない。才能ある選手とともにギャラクシーを新しいチームにつくり変えることは、とても楽しみだ」というインタビューを繰り返し放送した。

ひとこと
300億円って、もうなんだかよく分かりひとことませんが、ベッカムにとっては現実的な数字?英国の代表メンバーにも復活できたし、結婚生活も順調だし、彼にとって今年は何だかんだ言いながらハッピーな1年だったと言えるのでは?
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スポーツ
日本選手だって負けちゃいない!
中村俊輔が、栄えある賞をダブル受賞

中村俊輔スコットランド・サッカー記者協会は5月2日、今季の年間最優秀選手にセルティックのMF中村俊輔を選出。中村はプロ選手協会からも年間最優秀選手に選ばれており、ダブル受賞となった。欧州主要リーグで、日本人としての年間最優秀選手は初。同協会のブラック会長は「中村は見ていて楽しい選手。欧州チャンピオンズ・リーグのマンチェスター・ユナイテッド戦での2本のFKと、プレミア・リーグ優勝を決めたキルマーノック戦でのFKは彼を集約している。重圧の中で輝く瞬間を生み出せる」と評した。

ひとこと
スポーツ選手にとって、海外でプレーすることだけでもすごいことなのに、なんと2つの賞まで取ってしまった俊輔くん。「日本人の誇り!」。その一言に尽きますね。これからも、さらなる活躍を見せて欲しいです。
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スポーツ
「F1界のタイガー・ウッズ」「褐色のベッカム」
大型新人、ハミルトンが大活躍

ハミルトン今年一番の注目レーサーといえば、ルイス・ハミルトン。カリブの血を引き褐色の肌を持つことから、「F1界のタイガー・ウッズ」「褐色のベッカム」など、一躍時の人となった。実際、今年1年間の記録といえば、「デビュー6戦目で栄冠の初優勝」「米国グランプリで連勝」「ハンガリー・グランプリで優勝」「日本グランプリ優勝」とそうそうたるもの。年間ランキングでは惜しくも2位と敗れたが、今季の主役だったことに間違いはない。デビュー戦から9戦連続で表彰台に上がり、F1記録を大幅に更新。新人では歴代最多に並ぶシーズン4勝をマークした。

ひとこと
今年は本当にハミルトンの名前をよく聞きました。年間王者こそ逃したものの、「頭を高く上げて来季に向かう。そして今季の経験を土台に、もっと強くなってより良い仕事をしたい」 と誓った弱冠22歳。将来が楽しみですね。
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今年のニュース

ロンドン塔に、史上初の女性衛兵デビュー
「ビーフイーター」(牛肉を食べる人)の通称で知られる英国のロンドン塔の衛兵に、スコットランド出身のモイラ・キャメロンさん(42)が9月3日、女性として初の任務についた。500年以上の歴史の中で、女性の登場は初めて。キャメロンさんはこの日、濃紺地に赤いラインの伝統の制服を着用。メディアの取材に「とても名誉に思う」と笑顔で応じた。
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ヘレン・ミレンが主演女優賞を受賞
ヘレン・ミレン英国で最も権威ある映画賞、英国アカデミー(BAFTA)賞の授賞式が2月11日開催され、「クイーン」でエリザベス女王役を演じ、下馬評の高かったヘレン・ミレンが主演女優賞を受賞した。一方007シリーズのボンド俳優としては初のノミネートとなった俳優、ダニエル・クレイグは惜しくも受賞を逃したが、ボンド・ガールを演じた仏女優、エヴァ・グリーンが新人賞を獲得した。
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スパイス・ガールズ再結成
スパイス・ガールズ1990年代に活躍した英国の人気女性歌手グルー プ「スパイス・ガールズ」が、今年6月に再結成を発表。本当に?4人は実は仲が悪いんじゃないの?など世間ではまだまだ疑いの感があったが、表明通り、12月2日カナダでツアー初日を迎えた。約2時間のコンサートでは計22曲を熱唱、ガールパワー健在ぶりを見せつけた。
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ロッド・スチュワートロッド・スチュワート3度目の結婚
恋多き男でバツ2の英ロック歌手、ロッド・スチュワート(62)と「長身のブロンドが好き」という彼のタイプにぴったりハマッたモデルのペニー・ランカスター(32)が、6月16日イタリアで結婚式を挙げた。5年にわたる交際を経てのゴールイン。スチュワートの私生活はさておき、世界のロック界で認められている彼の実力は本物。今度こそ、3度目の正直になるよう穏やかな愛を育んで欲しい。
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ジョージ・マイケル、ロシア史上最高額のギャラをゲット!
ロシアのウラジミール・プーチン大統領(54)は、新年を祝うべく英国歌手ジョージ・マイケル(43)をモスクワ郊外にある彼の豪邸へと招待したという。昨年15年ぶりにツアーを再開したマイケルには、150万ポンド(約3億4500万円)の報酬が支払われたとされ、ロシアの歴史上、最高額のギャラを受け取った有名人になるとか。
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鉄の女のブロンズ像「鉄の女」が ブロンズ像に
英国初の女性首相として1979年から90年まで保守党政権を担い、「鉄の女」と評されたサッチャー元首相(81)のブロンズ像が完成し、議会で2月21日、除幕式が行われた。生存中に元首相の像が作られるのは、長い歴史を誇る英議会でも初めて。政界を事実上退いているサッチャー氏は、久しぶりに元気な姿を見せ「大変な光栄だ」と演説。「鉄で作った方が良かったかもしれないけど、さびないからブロンズがいいわ」とのジョークも交え、参列者の笑いを誘った。
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