スコットランドの首都エディンバラ。エディンバラ城、ホリールード宮殿、ロイヤル・マイルを中心としたオールド・タウンなど、世界遺産に指定されたその美しい街並みに惹かれてこの街を訪ねた人は多いことだろう。さらに毎年夏に開催されるエディンバラ・フェスティバルには、はるばる日本からも多くの観光客が押し寄せる。でも英国に住んでいる私たちは、せっかくだから数日滞在するだけの観光客が知らないエディンバラを見つけたい。そこで、今回は、エディンバラにまだまだ沢山ある魅力あるスポットやエピソードを紹介。何度訪れても楽しめる街であることがわかるはずだ。(野口大輔)
エディンバラの忠犬ハチ公 グレーフライアーズ・ボビー
Greyfriars Bobby
エディンバラを訪れた多くの人が知らないうちに通り過ぎている、グレーフライアーズ・カークヤード(Greyfriars Kirkyard)のすぐそばに立つ犬の銅像。グレーフライアーズ・ボビーと呼ばれるこの犬は、実はエディンバラ版の「忠犬ハチ公」なのである。
時は19世紀中頃。犬のボビーはエディンバラ市警察に勤めるジョン・グレイという名の男に飼われていた。ジョンが夜勤の時にはボビーも一緒に見張りをする良きパートナーで、いつも一緒だったのだ。だが、この友情も長くは続かなかった。それから2年ほど後の1958年2月15日、主人であるジョンが結核のため他界してしまったからだ。彼は、オールド・タウンにあるグレーフライアーズ教会の敷地内にあるグレーフライアーズ・カークヤードに埋葬された。
それでもボビーは、主人であるジョンの死を知ってか知らずか、ジョンの墓の脇に座り続けた。食事の時や寒い冬の日以外は、決してその場を離れようとはしなかった。そして以後はずっとジョンの墓のそばで暮らしたという。
1867年には野良犬を一掃すべきという提案が市より出され、全ての犬に対して飼い犬としてライセンス取得が義務付けられることになり、飼い主を既に亡くしていたボビーの身の安全が心配された。だが、当時の市長ウィリアム・チャンバース卿がライセンス費用を負担。エディンバラ市民から愛されていたボビーの命は救われたのである。
1872年1月14日、ボビーは帰らぬ「犬」となった。結局、約14年間にわたって主人の墓を守り続けたのであった。そしてボビーはグレーフライアーズ・カークヤードのゲートのすぐそばに埋葬されることになった。
川沿いの散歩道ウォーター・オブ・リース・ウォークウェイ
Water of Leith Walkway
エディンバラの街の喧騒に疲れたら、ちょっと足を伸ばしてウォーキングに出かけるのはどうだろう。そこでお勧めなのがウォーター・オブ・リース・ウォークウェイと呼ばれる川沿いの遊歩道。エディンバラを経由して海まで続いている長い道になっている。今回取り上げるのは、エディンバラ市街からスコットランド国立近代美術館とディーン・ギャラリーへと向かうルートだ。 ウォーキングはニュー・タウンの北西から始めるのが良いだろう。この遊歩道に足を踏み入れると、石造りの街並みが続くエディンバラ市街とはうって変わり、自然の息吹が感じられる。そして上流に向かって進んでいくと、川沿いに立ち並ぶ古い建物群が視界に入ってくる。ここはディーン・ビレッジ(Dean Village)と呼ばれる、穀物製粉の村として800年以上も続いた由緒ある歴史的な集落。絵のように美しい光景は、格好の写真撮影スポットだ。さらに川のせせらぎを聞きながらのんびり先へと歩いていくと、スコットランド国立近代美術館にたどり着く。川沿いのウォーキングはここで終了。
国立近代美術館の庭には「Landform Ueda」という小さな丘と三日月形の池からなるランドスケープ・アートがあって、その人工的な造形が興味をそそる。ディーン・ギャラリーは、国立近代美術館とは道を隔てた向かい側にある、こちらも魅力的な美術館。何はともあれ、とりあえずは展示室に入る前に美術館のカフェで一服して一息入れるのがいいだろう。そして、美術館に展示されている素晴らしい作品の数々を堪能しよう。
帰りは同じルートを引き返してもいいし、足が疲れたのでここから歩いて帰るのはちょっと、という人には市街までシャトルバスがあるので、それを利用してもいい。
グレーフライアーズ・カークヤード
ここには小説家のアラン・ラムゼイやニュー・タウンの街路を設計した建築家ジェイムズ・クレイグといった、エディンバラゆかりの名士たちの墓が数多くある。
| Greyfriars Tolbooth & Highland Kirk | |
|---|---|
| 住所 | Greyfriars Place Edinburgh EH1 2QQ |
| Tel | 0131 226 5429 |
| 開館時間 | 月~金10:30‐16:30、土10:30‐14:30 |
| Website | www.greyfriars.org |
スコットランド国立博物館
独自の歴史や文化を誇るスコットランドを様々な展示を通して紹介している博物館。スコットランドの「生き字引」を目指す人は、この博物館を訪れることから始めよう。
| National Museum of Scotland | |
|---|---|
| 住所 | Chambers Street Edinburgh EH1 1JF |
| Tel | 0131 247 4422 |
| 開館時間 | 毎日10:00 -17:00 |
| 入場料 | 無料 (一部の特別展は除く) |
スコットランド国立近代美術館
スコットランドの現代美術の殿堂。ここではピカソやマティス、モンドリアンなど現代美術の巨匠たちの作品やスコットランドのアーティストの作品を鑑賞することが出来る。
| The Scottish National Gallery of Modern Art | |
|---|---|
| 住所 | 75 Belford Road Edinburgh EH4 3DR |
| Tel | 0131 624 6200 |
| 開館時間 | 毎日10:00 -17:00 (8月4日から9月1日までは10:00 -18:00) |
| 入場料 | 無料(一部の特別展は除く) |
ハート・オブ・ミドロジアン
ハート・オブ・ミドロジアンは、ロイヤル・マイルにあるセント・ジャイルズ教会(St GilesCathedral)の西側のドアのそばにある舗道に施されたハート型のモザイク模様。この場所にはかつてTolbooth of Edinburghと呼ばれる建物があった。ここはかつてエディンバラの政治の中心であった一方で、牢獄もあり、公開処刑が行われたいわくつき場所でもある。
さて、ここではこのハート・マークに向かって唾を吐いている人を見かけるかもしれない。どうやら「幸運になれますように」という、おまじないみたいなものらしい。かつて牢獄に入れられる悪人がTolboothのドアに向かって唾を吐いた、という言い伝えから発している風習だという。
ちなみにエディンバラを本拠地とするプロ・サッカー・チーム「ハーツ」の正式名称も、ハート・オブ・ミドロジアンFCである。こちらはスコットランドの小説家ウォルター・スコットの同名小説に由来して名付けられたダンス・ホールの名前から取られたらしい。唾を吐いている人の中にはハーツのライバル・チームのファンがいるという噂も。
| St Giles Cathedral | |
|---|---|
| 住所 | Royal Mile Edinburgh EH1 1RE |
| Tel | 0131 225 9442 |
| 開館時間 | 月~金9:00‐19:00、土9:00‐17:00、日13:00‐17:00 |
| Website | www.stgilescathedral.org.uk |
スコットランド議事堂
エディンバラというと英国を代表する古都だけに、どうしてもホリールード宮殿やエディンバラ城といった歴史的なスポットに足が向きがちになるのはやむを得ないところ。しかし今、エディンバラは大きく変わりつつある。その変化の一番の象徴として挙げられるのが、スコットランド議事堂だ。この建物は、1997年にスコットランド自治の象徴として議会の開設が認められたことにより建設されることになった。そういう意味では、スコットランドの人々にとって最も重要な建物といえるのではないだろうか。
この現代的かつ奇抜なデザインは、バルセロナ生まれの建築家エンリック・ミラージェスによるもの。建設の過程で、一番の非難の対象となったのは、4000万ポンド(約96億円)と見積もられていた建設費用が最終的に約10倍にまで膨れ上がったこと。とても見積もりをしたとは言えない気もするが……。スコットランドのアイデンティティや文化、自然を反映したというデザインに疑問符を付けたくなるが、これまでのエディンバラの雰囲気とはまったくかけ離れた建物は、新しいスコットランドの躍動を表現しているともいえる。とにかく、一見の価値はある。
| The Scottish Parliament | |
|---|---|
| 住所 | Edinburgh EH99 1SP |
| Tel | 0131 348 5000 |
| 開館時間 | 9:00-19:00(議会開会中)、10:00-18:00(4月~10月)、10:00 -16:00(11月~3月)10:00 -16:00(週末および祝日) |
| Website | www.scottish.parliament.uk |
エレファント・ハウス
エレファント・ハウスは、エディンバラにあるカフェ。このカフェを特に有名にしたのは、ハリー・ポッターの作者として知られるJ・K・ローリングが、シリーズの第1作「ハリー・ポッターと賢者の石」の原稿をこのカフェで書いたと言われているからである。
エレファントというその名の通り、店内にはたくさんの象が飾ってある。窓からはエディンバラ城も見える、とても気持ちのいいカフェ。ローリングはエディンバラ城でも眺めながら、コーヒーを片手に小説を書き上げたのだろうか。そんな物思いにふけりながら、コーヒーをすするのもいいかもしれない。
ローリングは、ニコルソンズ・カフェ(Nicolson's Cafe)という別のカフェでも小説を書いていたそうである。残念ながら、こちらは中華料理店になってしまったらしい。
| The Elephant House | |
|---|---|
| 住所 | 21 George IV Bridge Edinburgh EH1 1EN |
| Tel | 0131 220 5355 |
| Website | www.elephant-house.co.uk/elephant.htm |
ロスリン・チャペル
映画「ダ・ヴィンチ・コード」の舞台の一つともなったロスリン・チャペル(Rosslyn Chapel)。500年以上にも及ぶ歴史を持つこのチャペルは、他の教会とは全く異なる雰囲気を醸し出している。バラ十字団のシンボルであるバラと十字架で装飾されたこのチャペルで、特筆すべきは、内外に施された彫刻である。キリスト教から異教に至るまで、その彫刻の精巧さ、多様さは見るものを圧倒する。
この教会は、テンプル騎士団とのつながりを持つシンクレア家によって建てられたが、それはコロンブスの新大陸発見(1492年)より前のことである。にもかかわらず、とうもろこしやサボテンといった北アメリカの植物の彫刻が存在している。また、キリスト教に関する重大なものがこのチャペルに保管されている、といった伝説もある。「ダ・ヴィンチ・コード」の著者ダン・ブラウンが、このチャペルを訪ねてインスピレーションを得たというのもうなずける。本当に謎に満ち溢れているこの教会。実際に訪ねてみると、あなたも何かを感じられるかもしれない。
| Rosslyn Chapel | |
|---|---|
| 住所 | Roslin Midlothian EH25 9PU |
| Tel | 0131 440 2159 |
| 開館時間 | 月~土9:30-18:00、日12:00-16:45(4月~9月)月~土9:30-17:00、日12:00-16:45(10月~3月) |
| Website | www.rosslynchapel.org.uk |

渡英を控え予習をたっぷり行った日本在住の知り合いから「エディンバラについて教えて」と聞かれたら、たじろいでしまう人は多いのではなかろうか。ここでは、在英邦人としてそんな好奇心に溢れた日本人観光客を知的に満足させるためのエディンバラにまつわるウンチクをご紹介しよう。
ウンチク その1
世界初のクローン羊がスコットランド国立博物館にある
世界初のクローン羊として1996年に誕生し、話題となった「ドリー」のことを覚えているだろうか。遺伝子研究の最先端の成果として、全世界に衝撃を与えたあのクローン羊である。2003年に死んでしまったドリーだが、実はそのドリーの剥製をエディンバラで見ることができるのだ。それは現在スコットランド国立博物館にあって、とても人気のある展示の1つとなっている。博物館を訪ねたら、忘れずに見学しておこう。
ウンチク その2
ウェスト・プリンスィズ・ストリート・ガーデンにある花時計は世界で一番古い
ウェスト・プリンスィズ・ストリート・ガーデンにある有名な花時計。この花時計、動いているものとしては、世界で一番古いと言われている。現在は電気で動いているが、1973年までは1日に1回ネジを巻く必要があったそうだ。何千もの花々で装飾されたその姿はとても美しく、見るものを楽しませてくれる。花時計に連動した機械仕掛けのカッコウが1時間ごとに時を告げるのも一興。
ウンチク その3
H形の真鍮ブロックは最後の公開絞首刑が行われた場所を示している
ロイヤル・マイルには、歩道に埋め込まれているH形の真鍮ブロックがある。注意していないと決して気付かずに通り過ぎてしまうこのブロック。実は、エディンバラで最後の公開絞首刑が行われた場所なのだ。グラス・マーケットはかつての死刑執行場だったとか、多くの牢獄の存在など、何かと暗く血塗られたエピソードが多いこの街。暑い夏ならば、背筋の寒くなる歴史的な場所を訪ね歩くのも悪くないだろう。
*場所: ロイヤル・マイルの南側、George IV Bridgeと交差するあたり
ウンチク その4
ペイズリー・クロースの胸像は建物の崩壊を生き延びた少年である
1861年11月24日、ロイヤル・マイルに面していた築250年の長屋が突然崩れた。その長屋に住んでいた35人の住人が死んでしまうという悲劇だった。ところが、建物の残骸を片付けていたところに崩壊した建物の間から、少年の叫び声が聞こえた。「Heave awa' chaps, I'm no'dead yet".」彼は無事に救出され、崩壊した場所にあたるペイズリー・クロース(Paisley Close)には少年の胸像と言葉が残された。
ウンチク その5
シャーロック・ホームズ像が立っている場所は作者コナン・ドイルの出生地である
シャーロック・ホームズの作者コナン・ドイルがエディンバラ出身で、エディンバラ大学で医学を学んだことはよく知られるところ。さて、ロンドンのベーカー・ストリートと同様に、ここエディンバラにもシャーロック・ホームズの銅像が建っている。実はその銅像の建っている場所は、ドイルの出生地のすぐそば。近くには「コナン・ドイル」と名づけられたパブもあり、地元出身の名士を称えている。
住所: Picardy Place Edinburgh EH1 3JT
ウンチク その6
エディンバラの街は火山の上に作られている
その独特の景観で知られるエディンバラの街。この場所は、実は3億年以上前には活火山だった。そのためにこのような特異な地形が残されたのである。
例えば、エディンバラ城は、3億年以上前に火山の爆発によってできた丘の上に建てられている。またロイヤル・マイルから見える、標高250メートルのアーサーズ・シート(Arthur's Seat)と呼ばれるこの丘もかつては火山だった。
ウンチク その7
発明家グラハム・ベルはエディンバラ出身だった
電話を発明したことで名高いグラハム・ベル。エジソンと並んで世界最高の発明家と称されるベルだが、彼のことを生粋の米国人だと思い込んでいた人は多いのではないだろうか。実は、彼はエディンバラ出身の英国人。24歳の時に英国を離れてカナダ、米国に移住した。そして世界最初の電話機を発明したわけなのだが、彼が米国に帰化するのは、その発明から約6年後のことであった。
ウンチク その8
エディンバラで浜松の大凧が舞う
エディンバラ市郊外にあるローリストン城(LauristonCastle)。ここには、エディンバラと京都の友好の証として作られた日本庭園がある。今回、この日本庭園の完成5周年を記念して、日本祭が開催。そのイベントの一つとして、はるばる日本からやって来る浜松の大凧がエディンバラの大空に舞い上がる。スコットランドでの浜松の大凧の勇姿をぜひ期待しよう。
日時: 2007年9月2日(日)
会場: Lauriston Castle
住所: 2a Cramond Road South Davidson's Mains, Edinburgh EH4 5QD
問い合わせ先: 0870 033 9577(渋谷)
ウンチク その9
メンデルスゾーンのスコットランド交響曲はホリールード宮殿で生まれた
結婚行進曲でよく知られるドイツの作曲家のメンデルスゾーン。彼は1829年に旅行で、エディンバラを訪ねた。その際にホリールード宮殿内にある廃墟となっていた礼拝堂跡を訪れたメンデルスゾーンは、スコットランド女王メアリーにまつわる悲劇の物語の数々に思いをめぐらした。そして、まさにその場所で「スコットランド交響曲」の始まりの旋律を思いついた、と手紙に書き残している。
住所: Holyrood Palace Royal Mile Edinburgh EH8 8DX
Tel: 0131 556 5100
Website: www.royal.gov.uk
ウンチク その10
エディンバラ国際フェスティバル
ツアー観光客が知らない、エディンバラの奥深さを紹介してきた今回の特集。でも夏のエディンバラといったら、誰もが知っているエディンバラ国際フェスティバルはやっぱり外せない。フェスティバルが開催されている期間には、人口が約2倍に膨れ上がるとか。今年も世界中から一流のアーティストがこの街に大集結。約3週間にわたってオペラ、ダンス、クラシック・ミュージックそして演劇などの様々なイベントが目白押しだ。
開催期間: 2007年8月10日(金)~9月2日(日)
Tel: 0131 473 2000
Website: www.eif.co.uk



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オーガニックを選ぶ理由
オーガニックを選ばない理由
1946年に創設された英国で最も古い認証団体。EUの規定を上回る独自の厳しい基準を設定しており、国内のオーガニック製品のおよそ80%を管理している。公認チャリティー団体として、個人の寄付や団体の負担金で賄われており、オーガニック農法への転換のサポートや、農場検査、学校給食の見直しプログラムを考案するなど、オーガニックの普及に大きく貢献している。

英国を始め欧米では、オーガニックの概念が普及していて、体や環境に良いものを求めていますが、日本では、オーガニックに対する知識がまだまだ浅く、全体的に品質よりも価格が重視される傾向がありますね。個人主義と集団主義の違いもあるのかもしれません。欧米人は良いと思えば1人でも始めるけれど、日本人はみんながやらないと、なかなか始めないところがありますから。
私は、いつの日か一般の食卓にオーガニック食品が当然のように並べば良いなと思っているんです。需要が増えれば、オーガニック農場も拡大しますし、子孫に美しい自然環境を残すことにつながりますからね
英国では、80年代後半の狂牛病(BSE)、さらには2001年の口蹄病の流行により、食の安全性に対する関心が一気に高まった。2006年の売上高は前年比30%の成長。値段よりも質を重視する消費者の最近の傾向を受け、年々オーガニック専門店が増えている。
英国人歌手スティングの邸宅「Lake House」の約60エーカー(24万平方メートル)の敷地では、オーガニック野菜や果物の栽培のみならず、豚や魚などを飼育し、チーズや蜂蜜も作られているという。約半年は、家族6人が自給自足で生活できるほどだとか。スティング夫妻は、農薬が自然環境に悪影響を及ぼしていること、またその毒性が消費者にほとんど知らされていないことを懸念してオーガニックに興味を持ち始めたという。妻のトルーディー・スタイラーさんは「Cooking from Lake HouseOrganic Farm」という本を出して、自らのオーガニック生活と様々なレシピを紹介している。

1981年に当社が、英国初のオーガニック成分を配合したコスメ商品を販売し始めました。まだその時代は、オーガニックという言葉ほとんど知られておらず、周囲の反応は薄かったですね。1992年に、ソイル・アソシエーションが初めてオーガニックの認定基準を設けましたが、対象となったのはエッセンシャル・オイル(精油)のみ。その後、2002年にようやくクリームなどのコスメも対象とした基準が作られ、商品が認証されると一気に知られるようになりました。他社に関しては、ここ5年以内くらいにできた新しい会社が多いです。
合成の化学薬品には発ガン性物質が含まれているものもあり、実際に見た目には分からない有害性があります。化学調味料と人工添加物だらけの食事と無農薬で作られた安全な食事、どちらを選ぶかということと同じだと思うんです。また、1つ1つのコスメに関しては実験が行われていても、複数を同時に使用した時に人体にどのような影響がでるかは、分かっていないのです。
オーガニック・コスメのお店は、女性客が大半を占めるが、よくよく見てみると、シェイビング・クリームやビタミンを配合した石けんなど所狭しと男性コスメもしっかり並んでいる。何でも、最初は彼女や奥さんに連れられて来店する男性が多いようだが、そのうち1人でも買いに来る人が結構いるそう。ハリウッド・スターたちの間でもオーガニック・コスメは愛用されていて、ジョニー・デップやロビー・ウィリアムズなどがニールズ・ヤードレメディーズのお得意様だとか。

綿花栽培は多くの途上国で、人々の重要な収入源となっています。しかし、一般の綿花の栽培には、大量の農薬が使われ、そのため年々土壌が弱ってしまうんです。収穫量を減らさないためには、さらに多くの農薬を購入せねばならず、そのせいで借金地獄に陥いり、地域によっては多数の自殺者が出ているのです。オーガニック農法を促すことは、そういった人々を救えると同時に、水質汚染なども防いで環境保全にも役立ちます。
日本には、ものを粗末にすることに罪悪感を抱く「もったいない」という概念が根付いていますし、健康や環境に良いライフ・スタイルに移行しつつありますね。一方英国では、この数年、特に環境問題への意識が強く、企業はそうした問題への配慮なくしてビジネスを行うのが難しいほどです。
一般のコットン栽培には、大量の農薬が必要とされると言われているが、それでは農薬を使わず、代わりにどのような手法によってオーガニック・コットンが作られるのか左記の図で比較してみた。
少し前まで、パジャマや肌着、ベビー服と商品があまり選べなかったオーガニック・コットンだが、有名デザイナーとのコラボレーションで発売されたTシャツなどが話題を集め、一般に知られるようになった。例えば、ピープル・ツリーでは、東京、原宿とロンドンのオックスフォード・ストリートにあるTOPSHOPなどで、機能性だけでなくデザインも優れた商品を展開するなど、オーガニック・コットンは新しいファッション・トレンドになりつつある。



ジェレミー・パックスマン
「視力を失ったのは、30歳になってからなんです」。低音でよく響く声が受話器の向こう側から聞こえてくる。声の主は、マイルズ・ヒルトン・バーバーさん、58歳。職業、冒険家。BBCはかつて彼を「世界で最も勇敢な全盲の冒険家」として取り上げたことがある。実際、その経歴たるやすごい。イギリス海峡を横断飛行した初めての全盲パイロット、視覚障害者として初めて2万フィートの高度を突破、さらには南極大陸をソリで横断、ウルトラ・マラソンと呼ばれる過酷な砂漠レースに出場、そしてアフリカ大陸の最高峰キリマンジャロ征服などなど。「目が不自由な」という枕詞なくしても、聞く人が十分感嘆してしまうだけの冒険を重ねてきた人物だ。
マイルズさんの冒険家デビューは、50歳と遅咲きである。それまでは、英国に留学したり、故郷ジンバブエに戻って化学薬品会社の営業部で働いていたりしていた。一般の社会人がそろそろ定年を意識し始める年齢で、なにゆえに冒険家になったのか。その理由は時を同じくして視力を失った、兄のジェフリーさんが大きく関係している。
いくつもの冒険を成功させているうちに、やがてパイロットになりたいという、幼い頃の夢が甦ってくる。そもそも、日本などで利用されている最新航空機の運転は、その大部分がコンピューター管理によって行われている。彼がEメールを読むように高度や燃料メーターなどの記録を音声化し、航空機の運転を管理できる機能さえあれば、目が見えなくても空を飛べるはずだと思った。
約2万1000キロに及ぶ今回の飛行旅行についての思い出話が始まると、口調が極端に早くなる。冒険家特有の武勇伝の数々が、非常に爽快に流れていく。「マレーシアで暴風雨に吹かれて、地上数百メートルまで急降下したことがあったんです。肝心の視覚障害者用コンピューター・プログラムが雨でびしょびしょになってしまい動かなくなってしまった。雨が顔に激しく打ち付けて、そりゃもう大変でしたよ」。声のトーンで判断する限り、大変そうというよりはとっても楽しそうである。
今回の旅には、機内の音声機能が故障した場合に備えて、文字通り自分の目となってくれる仲間が同乗していた。ロンドンからキプロスまでと、そしてキプロスからオーストラリアまでそれぞれ1名。彼らが、コックピットから何が見えるかをマイルズさんに教えてくれた。どんな風景が見えて何を感じるかを、空の上で仲間と話し合う。そんな毎日を過ごしたマイルズさんを、空の下では子供たちが待っていた。「インド、パキスタン、バングラディッシュでは、目の不自由な子供たちがたくさん私のことを待ち受けていました。まるで空から降りてくるサンタクロースになったような気分でしたね」と、照れるように言った。
さて、マイルズさんは冒険家としてだけでなく、ビジネス・コンサルタントとして企業向けに講演活動も行っている。そこで彼は「Never give up」「Think big to achieve big」といった言葉を使って、聴衆を鼓舞している。正直なところ、ちょっと気恥ずかしい言葉だと思う。でも、こちらが気後れするぐらい前向きで、しかも強い意志を持つ彼のことだ。自分の信念について、ちっとも疑いを持っていないのだろう。
東京に本社を置く日系電気メーカーで欧州担当を務めている高田さんは、今年4月から英国支社に赴任。現在は専業主婦の妻と地元の小学校に通う娘2人と共に、ロンドン西部イーリングに在住している。正式な駐在期間は未定だが、恐らく3~5年となる予定。日本では株売買などをしたこともあり、英国の金融商品に興味あり。また日本には預金が2000万円ほどある。
日本の大学を卒業してすぐに、英語とモダン・アートを学ぶために渡英した山口さん。日本で大学生だった時に一生懸命貯めた100万円の留学資金と、実家から入金される毎月10万円の仕送りを使ってロンドンでの限られた時間を精一杯満喫しようとしている。少なくともビザが切れるまでの1年間は英国に滞在する予定。
日本からのポンド建て送金は、円からポンドへの為替レートと手数料によりコストが決定されます。為替レートは公示仲値
日本で数年のキャリアを積んだ後にロンドンに渡英し、半年間のバイト期間を経てついにフルタイム採用となった田口さん。労働者ビザを取得したため、最低5年間は英国に滞在する予定で、場合によっては永住者ビザに切り替えて今後の人生を英国で過ごすことも検討している。英国と日本に貯金が少々あり、日本で加入した生命保険にまだ入っている。
当初は大学院生として渡英した信子さんは、その後ロンドンの証券会社で数年のキャリアを積んだ後、20年前に職場で出会った英国人と結婚。現在はフリーランスの通訳として活躍する一方、18歳の息子と15歳の娘を持つ主婦の役目もこなしている。在英25年、持ち家に住んでおりその住宅ローンは夫が毎月返済している。今後は英国に永住する予定。

英国並びに英連邦の元首にして、英軍、英国国教会の長。国会の開会や新たな法律を裁可する権限も(形式上とは言え)持っているし、クリスマスだって、あの毎年恒例のメッセージがなければとりあえず英国のクリスマスとは言えない(?)。そう、無表情で冷たい印象だとか、声が素っ頓狂とか洋服と帽子の色がまぶし過ぎるだとか何だかんだ言われつつも、英国のトップの座に君臨し、今でも多くの国民にとって心の支えになっているのがエリザベス女王なのだ。「ストイック」と形容できるほどの仕事に対する強い義務感と、その存在が醸し出す風格で、「エリザベス女王がいたからこそ、チャールズ皇太子やアンドリュー王子の離婚などでスキャンダルまみれだった時期も王室は威厳を保つことができた」と言われるほど。高齢のため公務はチャールズ皇太子とカミラ夫人にかなり任せるようになっているものの、周囲のスタッフによると、「生存中の退位は全く考えていない」という。そんな女王が若き日に恋に落ち、わずか21歳で恋愛結婚したのがフィリップ殿下。ギリシャ及びデンマークの王家であるグリュックスブルク家出身で、女王のはとこに当たる。「失言殿下」の異名を取り、中国訪問時に英国人留学生に向かって「これ以上長く滞在していると、目が細くなっちゃうよ」と言ったのを始め、オーストラリアのアボリジニの人たちに「まだ、槍投げてるの?」と質問するなど、世界各地で放言しまくっていることでつとに有名。数年前マンチェスターに行った際は、宇宙飛行士になりたいというちょっと太めの13歳の少年に対し、「痩せればなれるよ」と言って泣かせたとか。横で赤くなっていた女王の顔が目に浮かぶようだ。
不倫、離婚、元妻の死で奈落の底に落ちたイメージも近年はかなり改善した感のある還暦間近の王子様。環境、有機農業、代替医療、建築、若者の教育などに強い関心を持ち、様々な形で活動。自然食品ブランド「ダッチー・オリジナルズ」や、若者の起業を支援する財団「プリンスズ・トラスト」などは高く評価されている。ダイアナ元妃死亡時は毛虫のように嫌われていたカミラ夫人(コーンウォール公爵夫人)も最近はすっかり国民に受け入れられているが、この2人に関する(恐らく)最も有名なエピソードは、皇太子がその昔、カミラさんに電話で「タンポンになって君のパンティの中に住みたい」と言ったというもの。次の英国王とその妻としてはちょっと悲しい。
ティーンの頃は母・故ダイアナ元妃の面影を残すキュートなルックスで世界中の女の子のハートを鷲づかみにしていたものの、近頃は頭頂部を含め容貌が全体にオッサンじみてきたと評判の未来の国王。ケイト・ミドルトンさんとの破局を巡っては、「王子が関係にコミットするのを嫌がった」「4年間付き合ったあげく携帯電話で別れを告げた」「破局の直前、ナイトクラブで女性の胸をもんでいた」など良からぬ噂が飛び交い、少々株を下げた模様。現在は英南西部ドーセットにある陸軍の基地で訓練を受けているが、英軍の長でもある王になるための準備として、今後空軍、海軍にもかかわると考えられている。身長191センチと体格は立派。私服のファッション・センスはヤバい。
飲酒、淫行当たり前、未成年時から大麻は吸うわ、パーティーにはナチスの制服姿で現れちゃうわ、王族ながらもう何でもアリの醜聞の百貨店。Aレベルの課題を先生が手伝ったなんて疑惑もあったっけ。最近は軍隊や慈善活動で頑張っているけれど、先日も確か、ナイトクラブから出てきたところを撮ろうとしたパパラッチに襲いかかって、「サン」紙のカメラマンから「ヘンリー王子は英国にとって当惑の種になっている」なんて言われてたはず。交際歴3年のチェルシー・デイビー嬢は、兄ウィリアムの気取った元カノとは対照的なビッチ風で超お似合い。実は本当の父親は故ダイアナ元妃の元愛人、ジェームス・ヒューイット氏じゃないかってずっと言われてるけれど、真相は闇の中だ。
ヨット好き、ゴルフ好き、女好きと、道楽息子ぶりがしばしば非難の的となる女王の次男坊。1996年の離婚以来、付き合った女性は少なくとも15人に上るそうで、タブロイド紙が付けたあだ名は「RandyAndy(好色アンディ)」。どこへ行くにも飛行機を使い、その費用が年間32万ポンド(約7651万円)にも上ることが判明した際には、「Air Mile Andy(エア・マイル・アンディ)」とのニックネームを頂戴した。海軍で22年間務め、フォークランド紛争にも従軍し、現在は英国貿易・投資局(UKTI)の広告塔として世界各地を飛び回っているが、こうした活躍ぶりが話題になることは殆どない。元妻のセーラ・ファーガソンさんとは今でもとっても仲良しなんだとか。
「エリザベス女王の子供の中で唯一のスキャンダル未経験者」と言われる、地味で大人しい末っ子。兄アンドリュー王子に苛いじめられ続ける幼少期を過ごし、大学卒業後は海軍に入隊するも、訓練の厳しさに耐えられず除隊、「弱虫」とのそしりを受ける。演劇、メディアへの関心が強く、1993年に自身のテレビ番組制作会社を設立するが、めぼしいヒットを生み出せず、多額の借金も抱えて経営不振に。同社スタッフがマスコミと王室の協定を無視して大学入学直後のウィリアム王子を大学敷地内で撮影しようと試み、大ひんしゅくを買ったこともある(2002年、公務に専念するため同社社長職を辞任)。結婚は35歳と遅めだったため、同性愛の噂も耐えなかった。
女教師のごときルックスが醸し出すお堅い印象は単なるイメージにあらず。毎年何百もの公務をこなすエリザベス女王の長女にして唯一の娘は、その勤勉ぶりから「最も働き者の王族」と賞賛されつつも、時に「厳格過ぎる」との批判も受けている。モントリオール・オリンピックに馬術の英国代表として出場したという実績も、その真面目ぶりの賜物と言えよう。23歳で結婚するも、夫の浮気などが原因で19年後の1992年4月に離婚、8カ月後に海軍中佐ティモシー・ローレンス氏と再婚。凶暴な飼い犬(ブルテリア)が何度か事件を起こしており、2003年には、女王の犬(コーギー)に噛み付き、重症を負った女王の犬が安楽死させられたこともある。
舌ピアスや大胆なドレスをまとってのパーティー通い、ボーイフレンドと公衆の面前で殴り合いのケンカと、ロイヤル・ファミリーにあるまじき振る舞いで「王室の反逆娘」との異名を取ったのも今は昔。母アン王女と同じく乗馬の道に進み、昨年は馬術の欧州選手権と世界選手権で共に個人優勝という快挙を達成。BBCのスポーツ・パーソナリティー・オブ・イヤーに続いてMBE(大英帝国5等勲章)まで授与され、反逆児どころかすっかり世界的な一流スポーツ選手の仲間入りを果たした。2008年北京オリンピック出場と共に、恋人のラグビー選手マイク・ティンドールさんとの結婚の可能性も囁かれており、実は今、最も注目の王族メンバーと言えるかも?
エリザベス女王の本当の誕生日は4月21日。しかし毎年、6月の第1、2、3土曜日のいずれかに「公式誕生日」が設けられる。この伝統は、誕生日が11月だったエドワード7世(1841~1910)が、寒さや悪天候に野外の祝賀行事が影響される恐れがあるとして、温暖な5月か6月に「公式誕生日」を設定、パレードなどを行うようになったのが始まり。当日は、ロンドンのホースガーズ・パレードで軍旗敬礼分列式が行われるほか、42発の礼砲が鳴らされ、政府関係の建物には英国国旗が掲げられる。また叙勲者リストもこの日に発表される。
イングランドの再拡大を狙い、周辺諸地域への侵攻を積極的に試みていたエドワード1世(1239~1307)は1301年、ウェールズ大公ルウェリン・アプ・グリフィズを倒し、ウェールズを制圧。この際、イングランド王家がウェールズを支配することを明確に示すため、息子エドワード(後のエドワード2世)に「プリンス・オブ・ウェールズ」の称号を与えた。これが、英国皇太子に「プリンス・オブ・ウェールズ」の称号を授与する慣わしの始まりで、被征服者にとっては屈辱的な習慣であるが、今日まで伝統として残っている。
愛する女性のため王位を捨てたのがエドワード8世(1894~1972)。名うてのプレイボーイだった彼は、30代後半で米国人シンプソン夫人と出会い、恋に落ちる。しかし夫人は外国人で平民である上に、離婚歴があり、2度目の夫とまだ結婚している身。このため、エドワードは1936年1月に41歳で独身のまま即位したものの、夫人を王妃として迎え入れることには、王室、政府のみならず、世論も猛反発した。王冠か恋かの選択を迫られたエドワードは、即位からわずか1年で退位し、1937年6月に結婚(この時点までにシンプソン夫人の離婚手続きは終わっていた)。王位は弟ジョージに譲られ、エドワード夫妻は英国を逃れてフランスへ移った。
ヨーク朝(1461-1485)
テューダー朝(1485-1603)
スチュアート朝(1603-1714)
ハノーヴァー朝(1714-1901)

世界の第一線で活躍する日本のスペシャリスト集団、バッハ・コレギウム・ジャパンを、音楽監督として同集団を率いる鈴木雅明が指揮する。オリジナル楽器のオーケストラと、透明で劇的な表現力が特徴の合唱団が、魅惑的で変化に富んだバッハ作曲の教会カンタータを奏でる。
ピュリッツァー賞受賞の米国西海岸の異端児集団、サンフランシスコ交響楽団を鬼才マイケル・T・トーマスがまとめ上げる。米国を代表するソプラノ歌手デボラ・ヴォイトが、復讐に燃え性に乱れたサロメを演じるのも見どころ。
約2カ月にわたり繰り広げられるプロムス最後の夜、最高の盛り上がりをみせ、ロンドンに夏の終わりを告げるのがザ・ラスト・ナイト。「これぞ英国」という内容でヒューバート・パリーの「エルサレム」英国国歌など愛国的な演目が続く。
The Music of Motown-Dancing inthe Streets
Party! Battle Abbey
Lemar and Beverley Knight
Sweto Gospel Choir
世界中から観光客を集めるロンドン塔で、2005年にスタートしたイベント。ロンドンを外敵から守る要塞として11世紀に建設され、のちに監獄や処刑場としても使われた歴史深いロンドン塔をぐるりと囲んだ高い壁の下で、オペラやポップ・ミュージックを始め、モデルによるファッション・ショーなど充実した公演が予定されている。偉大なロック歌手エルヴィス・コステロや癒しの歌声として知られるキャサリン・ジェンキンスが出演。
KATHERINE JENKINS



Lauren Child
Martin Rowson: Satireand Offence
Wole Soyinka

TOKYO
The Bacchae「バッコスの信女」
BAVARIAN RADIO SYMPHONY ORCHESTRA 
Cosi
fan tutte「コシ・ファン・トゥッテ」
The
Turn of the Screw「ねじの回転」(英語)


Ojos
De Brujo
Orchestral
Suite by William Orbit
The
Pianist
Carlos
Acosta 


Expressions!
York
Roman Festival
York
Festival of Food & Drink 
Admiral
Cardiff Big Weekend

グリーンピースUK 海洋キャンペーン担当
International Fund for Animal Warfare (IFAW)
国際捕鯨取締条約第8条には「科学的研究のために捕獲したクジラは可能な限り加工して利用しなければならない」ことが定められています。同条約を日本政府はクジラ製品を販売すべき、と解釈しているようですが、これは間違っています。確かにクジラを加工処理してよいし、製品を分配することも許されています。しかし販売することまでは認められていない。IWCで定められた「調査捕鯨」の目的とは、何千頭ものクジラの殺戮を許可することではなくて、最低限必要なサンプルを採取して、そしてそれらのサンプルを決して無駄に扱ってはならない、ということなんです。
IFAWはここ20年間にわたって、クジラの生態調査を行うための新たな科学技術開発の第一線に携ってきました。なぜならば、死んだクジラを解剖する「調査捕鯨」で集められる情報量には、限界があるためです。とりあえず倫理的な観点は一切排したとしても、科学者の間では「調査捕鯨」という研究方法は評価が非常に低く、学術誌上で取り上げられることもほとんどありません。
World Society for the Protection of Animals (WSPA)
実際、そのような方法の開発は難しいでしょうね。クジラというのは海面を出たり入ったりしているところを狙いを定めて撃つのです。しかも食用となる部分は残そうとするから、体のごく一部分だけを撃つことになる。だからポイントを外した時にクジラが長時間苦しみもがくことも多いのです。








チェルシー・フラワーショー
造園建築のプロたちが、自らのオリジナル・アイデアを展示するガーデン部門。お城の中庭のような豪華なものから、「こんな庭が自宅にあったら」と思わせる素朴なものまで、アーティストたちが独自のコンセプトを盛り込んで生み出す空間は、とても刺激的だ。ガーデン部門は、「庭園」と呼ぶにふさわしい豪華なショー・ガーデン部門と、限られた空間の中で展開される4種のスモール・ガーデン部門に分かれている。






ランドスケープ・アーキテクト
日本で9年間景観設計の仕事に関わり、1997年渡英。2001年グリニッジ大学ランドスケープ・アーキテクチャー修士課程を卒業後、ロンドンのランドスケープ事務所に勤務。2006年自らのスタジオSTUDIO LASSOを設立。国内外のデザイナー、アーティスト、建築家とのコラボレーションを数多く手がけ、空間デザイナーとして幅広く活躍している。
The Regent's Park
St James's Park

Colombia Road Flower Market






