いよいよ屋外で過ごす時間が楽しい季節になってきた。こんな時こそ、色とりどりの花を見たいという気持ちになることはないだろうか。本特集ではそんな時にもってこいの、バラから熱帯植物まで世界中の花や植物を見ることが出来る王立植物園、キュー・ガーデン及びロンドン近郊で花を楽しむための編集部とっておきの情報を紹介する。
年間100万人以上の訪問客
世界に知られる国立博物館 キュー・ガーデン
ROYAL BOTANIC GARDENS, KEW
03年にユネスコの世界遺産跡に指定されたキュー・ガーデン。正式名を「王立植物園、キュー」とし、広大な敷地は約120ヘクタールの面積を誇る。
温帯や熱帯など世界各地の気候を再現した温室ではありとあらゆる植物標本が見られ、久しぶりに内部を公開するパゴダをはじめとする文化財としての指定建造物が40も建っている。収集や展示だけでなく、敷地内には植物学を学ぶ3年制の学校があり、テレビでおなじみのアラン・ティッチマーシュなど多くの著名人を輩出している。傍には植物の分類と識別やDNA分析など科学的調査を行う研究所があり、20世紀初期にここで世界で初めて合成繊維のナイロンが作り出されたという知られざる事実も。
キュー・ガーデンはこのようにして植物の保護管理そして環境の維持と開発に取り組む植物の専門機関なのである。
KEW GARDENS
Royal Botanical Gardens Richmond, Surrey TW9 3AB
Tel: 020 8332 5655
www.kew.org
オープン:12月24日、25日を除く毎日開園
開園時間は季節により異なります。
入場料、開園時間など詳しくはこちら
まずは温室巡りから

ガラスと鉄製のビクトリア朝建築
パーム・ハウス
PALM HOUSE
今回、入り口として使ったのは、地下鉄キュー・ガーデンズ駅から徒歩5分のところにビクトリア・ゲート。循環バス「キュー・エキスポローラー」の線路の奥に見えるのが、19世紀に建てられたパーム・ハウス。扉を開けて入るとむっとした空気に迎えられ、絶滅の危機に瀕しているというヤシ科の品種や、ソテツ科の植物の数々を見学出来る。これらは皆、地理上の分布を意識して展示されている。
写真上)屋内では熱帯雨林に限りなく近い状態を保っている
写真下)上を見上げると、チョコレートの原材料であるカカオ豆が!
胡蝶ランの展示を見るならココ
プリンセス・オブ・ウエールズ・コンサーバトリー
PRINCESS OF WALES CONSERVATORY
三角形の屋根が連なる建物の内部では、コンピュー タ制御により気温を調節し、熱帯乾燥地方と湿潤熱帯 地方を中心とする10の気候帯を再現している。見所は、 同一品種でも気候帯別にまったく異なる顔を見せるランの数々。毎年2、3月に「オーキッド・フェスティバ ル」が開催され、大勢の人でにぎわいを見せる。
写真)87年夏、故ダイアナ妃が開館式に立ち会った植物標本室
ランチはエレガントな1級建築にて
オランジェリー・レストラン
THE ORANGERY RESTAURANT
レストランとして機能するこの建物は、1761年当時、オーガスタ妃のために柑橘系植物の展示室として建てられた「オランジェリー」。フランス語でオレンジ畑を意味する名前だ。その後博物館やミュージアム・ショップという変遷を経て現在の姿に改装、公開されたのは02年のこと。しっかり食事をしたい時、またはコーヒーで一息つきたい時にも最適。
写真)87年夏、故ダイアナ妃が開館式に立ち会った植物標本室
エリザベス女王80歳の誕生日パーティー会場
キュー・パレス
KEW PALACE
昼食後は、いよいよ屋外を中心に散策を開始!このキュー・パレスは1631年に建設された、キュー・ガーデンの中では最古の建造物。今年は10年ぶりに期間限定で一般公開中。内部にはキュー・ガーデンをこよなく愛したジョージ3世やシャーロット女王と家族達の暮らしぶりを知ることが出来る展示がある。今年4月、厳重な警備のもと、エリザベス女王の80歳の誕生日パーティーが行われ、英国王室の面々が勢ぞろいしたことでも話題になった。
写真上)2006年9月30日(土)まで一般公開中の
キュー・パレス
写真下)エリザベス女王=写真中央=の80歳を祝福して打ち上げられた花火を見上げるロイヤル・ファミリー
01年開催の日本フェアの際に寄贈された
民家
MINKA HOUSE
テムズ川沿いを約15分歩くと、竹林の合間からヌッと出てくるのが日本の民家。01年、ロンドンを中心に行われた日本文化の紹介イベント「Japan2001」の際、岡崎市にあったこの民家が寄贈されることになり、日本で解体後、キュー・ガーデンに移築された。枠組みは日本人大工が、泥壁と茅葺き屋根はシェークスピア・グローブ座の職人が手掛けるという分担作業が行われた。
知られざる保全地区
コンサベーション・エリア
CONSERVATION AREA
さらに遊歩道を行くと、指定自然保護地区である保全地区が見えてくる。この中に、1761年に行われたシャーロット女王の結婚を記念したコテージが建つ(開館時期不定期)。その後1898年に、可能な限り自然に近い状態で保存するという条件付きで、周辺の15ヘクタールと共にこの一帯の権利がキュー・ガーデンに譲渡された。現在では夜間にアナグマやフクロウ、昼間にはキツツキも見ることが出来る、野生動物や野鳥の楽園となっている。

253段の階段を登ろう!
パゴダ
PAGODA
建設された1752年当時、ヨーロッパにおける最大の中国式建築だったのが、このパゴダ。今まで固く閉ざされていたこのユニークな建物の内部が、今夏からオープンする。頂上からはバタシー発電所やロンドン・アイ、カナリー・ワーフまで見渡せる。 オープン:2006年5月27日(土)~9月24日(日)まで(入場料あり)
現存する唯一のガラス製ビクトリア朝建築
テンペラート・ハウス
TEMPERATE HOUSE
パーム・ハウスを手掛けた建築家バートンによる設計のテンペラート・ハウス。1859年に着工、途中政府による資金援助が滞るなどトラブルに見舞われ、完成までに実に30年もの月日を費やした。パーム・ハウスの2倍の面積(4800平方メートル!)を誇り、温帯植物を中心に展示している。
写真)温帯に生息する奇妙な植物が
見られるテンペラート・ハウス
最後はアフタヌーン・ティーでホッと一息!
パビリオン・レストラン
PAVILION RESTAURANT
パゴダを登った後は、かなり足が棒になっている方も多いのでは。そんな時にはパビリオン・レストランでのアフタヌーン・ティーや ケーキがおすすめ。セルフ・サービス制になっていて、家族全員で気楽に楽しめる。

キューに見る日本 その1
盆栽ハウス
BONSAI HOUSE
広大な敷地の片隅にひっそり佇む、盆栽ハウスの内部。キュー・ガーデンと交流の深かったオーナーが高齢のため世話をしきれなくなり寄贈した、10あまりの盆栽を展示中。まだまだ規模は小さいが、今後は点数を増やしていく予定。

2006年3月にオープン
デイビス・アルパイン・ハウス
DAVIS ALPINE HOUSE
高山植物の展示が斬新なデザインの温室内に登場。あっという間に通り抜けてしまう程小さいが、本来の生息環境とはまったく異なる気候条件の英国でも見事な高山植物を見られるので、お見逃しなく。
写真)背が低く色とりどりの花が美しい、高山植物

キューに見る日本 その2
勅旨門
JAPANESE GATEWAY
保全地区を離れてさらに行くと、京都西本願寺にある唐門の5分の4サイズのレプリカである勅旨門が。これは1910年にロンドンで開催された日英同盟記念親善博覧会のために作られ、キュー・ガーデンで再建されたもの。その後、度重なる修復作業を経て現在に至っている。周辺には乾山水などがあり、英国にいながらにして日本の情緒に浸ることが出来る。

素通りするのはもったいない!
マリアン・ノース・ハウス
MARIANNE NORTH HOUSE
ここに到達する頃には建造物はもうたくさんという気にもなるが、それでも見逃したくないのがこのマリアン・ノース・ハウス。マリアン・ノースは30代後半の時に病気の父親の最期を看取った後、1890年の彼女自身の死まで植物画を描く
ことに没頭した女流画家。北南米、インドや日本など世界中を旅し、過酷な自然にさらされつつも描き続けた。彼女が依頼し作らせたギャラリー内に、その油絵画832点が常設されている。
写真)日本の風景もあるので 探してみよう!

地下もお見逃しなく!
水族館
AQUATIC DISPLAY
パーム・ハウスとプリンセス・オブ・ウエールズ・コンサーバトリーの地下にはなんと水族館が。ナマズやタツノオトシゴが君達を待っている。
写真)階段を下りた先にある、魚達による別世界

遊びながら植物について学ぼう!
クライマーズ・ アンド・クリーパーズ
CLIMBERS AND CREEPERS
屋内外に設置された、子供のための遊び場。ここでトンネルをくぐりながら、植物の受粉について学ぶなど、インタラクティブな遊びを通じて植物について学べる仕組みになっている。
写真)残念ながら大人は立ち入り禁止、遊びのエリア「クライマーズ・アンド・クリーパーズ」
人間サイズのアナグマの巣で遊ぼう!
アナグマの巣
BADGER SETT
保全地区に生息する夜行性動物、アナグマの巣を人間が探検できる大きさに拡大して作ったのがこれ。二股に分かれた入口から入ると中は薄暗い、土のトンネルになっている。
夏といえばカブトムシ!
カブトムシ養殖所
STAG BEETLE LOGGERY
シャーロット女王のコテージの更に奥は、カブトムシの養殖が盛んに行われているエリアが。全長5センチにも成長するカブトムシの生態をここで観察しよう。
毎年、夏になると各地で大小の花関連のイベントが開催される。ここでは今からでもチケット入手が間に合う「ハンプトン・コート・パレス・フラワー・ショー2006」と、英国におけるガーデニングの歴史を学べる博物館と、英国人の庭には欠かせないキャラクター達を紹介する。
毎年恒例、世界最大のフラワー・ショー
ハンプトン・コート・パレス・ フラワー・ショー2006
HAMPTON COURT PALACE FLOWER SHOW 2006
2006年7月6日(木)~9日(日)
毎年7月の1週間だけ、ハンプトン・コート宮殿の敷地内を舞台に開催される「ハンプトン・コート・パレス・フラワー・ショー」。世界各国から参加申し込みが殺到し、700以上の出品者が自慢の花や植物を展示する。新人ガーデン・デザイナーによる展示を見たり、新種の苗を実際に買ったりするのも楽しみのひとつ。
HAMPTON COURT PALACE
East Moseley Surrey, KT8 9AU
Tel: 0870 906 3791 Hampton Court駅
www.rhs.org.uk/hamptoncourt
毎年人気の部門
ウォーター・ガーデン
WATER GARDEN
ここでは水をテーマにした庭ばかりを集めた「ウォーター・ガーデン」が見られる。質の高い入選者が毎年腕を競い、最優秀賞が選ばれる。また、専門家による水生植物の直売もあるので興味がある方はお見逃しなく。
写真)05年のショーで最優秀賞を受賞したウォーター・ガーデン。
日本がテーマのこの庭の名は「英雄のための休憩所」
2006年初登場 小さなスペースの有効活用法を競う
インスパイアリング・スペーシズ
INSPIRING SPACES
初お目見えの部門「インスパイアリング・スペーシズ」では、日当たりの悪い場所や狭い前庭、またはバルコニーといった小さな空間にいかに手を加えて最大の効果を出すかという課題に挑戦。12のプロの園芸集団がそれぞれに与えられた2平方メートルの空間に取り組み、その成果を発表する。
英国ならではの花といえば
バラの祝宴
FESTIVAL OF ROSES
最高品種のバラの数々が一堂に集う「フェスティバル・オブ・ロージズ」。くらくらするような花の香りに包まれた展示会場では、毎年発表される新種のバラの中から年間最優秀賞「ローズ・オブ・ザ・イヤー」が選ばれる。今年は一体、どんなバラが登場するのだろうか? また、バラの手入れ法を伝授するトークやデモンストレーションも同時開催される。
視点を広げて、ガーデニングの歴史を考える
ガーデン・ミュージアム
GARDEN MUSEUM
花や植物を見るだけでなく、その背景にある英国のガーデニングの歴史に興味がある方には、「ガーデン・ミュージアム」がおすすめ。博物館自体はランベス・ブリッジ橋を南に渡ってすぐのところに建つ、セント・メアリー・アット・ランベス教会内にあり、そのいきさつがユニークだ。
一時期朽ち果てて崩壊寸前だったこの教会の敷地内で、ある時、16世紀から17世紀に かけて活躍したチャールズ1世の庭師、ジョン・トラデスカントとその息子の墓が発見された。この発見がきっかけとなり、1977年、この教会を舞台に世界に類を見ないガーデニングの歴史を専門とする博物館が誕生。現在では、裏庭が17世紀に人気を得たノット・ガーデン様式を模った装飾庭園になっており、憩いに訪れる人々の目をなごませている。
写真)中央に見えるのがノット・ガーデン。都会のオアシスのような場所

左写真)内部はステンド・ガラスが見下ろす、美しい展示室
中央、右写真)国内で見かけるのは珍しい、セイヨウカリンの木と花。実を結ぶのは秋頃とのこと
GARDEN MUSEUM
Lambeth Palace Road London SE1 7LB
Tel: 020 7401 8865
最寄駅: Lambeth North / Westminster 駅
www.gardenmuseum.org.uk
オープン: 毎日10:30-17:00
入場料: £5.00
英国人の庭は不思議がいっぱい
ガーデン・ノーム人形 GARDEN GNOMES
英国の田舎へ行くと、道路沿いに建つ家々の前庭に、奇妙な人形がいるのを見かけたことはないだろうか。これが英国で長く愛されてきた、ガーデン・ノーム人形。映画「フル・モンティ」でも登場した、愛すべき庭のアクセサリーだ。
過去の栄光の日々もいまや……
ガーデン・ノーム人形は元はドイツで発祥し、19世紀後半に英国に輸入されたもので、原型は粘土などで作られ彩色を施し、とんがり帽に白いあごひげをたくわえたおじいさんの形をしていた。しかし1960年代になると、プラスチック製で絵の具の塗りも粗雑な、質の悪いものが出回るように。それが原因でガーデン・ノーム人形は下品で趣味が悪いというイメージが付いてしまった。つい10年程前までは英国中の庭に500万体ものノーム達が見られたが、今となっては380万体に減少。売上げもブームの頃と比べて3分の1の年間300万ポンドに落ち込んでいる。現在ではデザインがハイテクであったりセクシーであったりとバラエティーに富んでいるが、よほどリバイバル・ブームでも起きない限り、売上げの減少傾向はさらに続くとのこと。 


在留届は提出しましたか?




ご存知英国の第73代首相。まだ若々しさを十分に残していた41歳の時に労働党党首に任命され、その3年後に政権を奪取。以来、9年間にわたって首相として君臨している。彼の特徴として、「神がかった」という表現が似合うほどのパフォーマンスの上手さが挙げられる。日本の政治家ではめったにお目にかかれない、凛々りりしくスマートないでたち。上品な言葉遣いと流暢な話し方に加えて、敵陣さえ笑いに誘う抜群のユーモアのセンス。そして何よりも、政策を訴える際に眩いばかりにキラキラと輝く両目。思わずうっとりして彼が何を言っても信じてしまいそうになる。
近年の英国経済の安定は、ブラウンの功績による部分が大きい。国債の発行を制限する緊縮財政で財政管理し、公定歩合を設定する権限を中央銀行に与えて市場の信頼を勝ち得た。さらにはアフリカ諸国への援助金捻出に奔走するなど、政治的貢献も果たしているのに、妖怪ぬりかべみたいなダミ声を出すものだから陰湿なイメージがまとわりついてヒーローになり切れない。
メディアからは「ブルドッグみたい」と形容される政界のお騒がせ男、ジョン・プレスコット。学生時代は落第したこともあり、政治家になる前は船乗りだったという異色の経歴を持つ。議員デビュー当時から破天荒な言動で物議を醸していたが、高齢になってもそのはみ出しぶりは衰えず、今でも国会の壇上に上れば文法一切無視の不明瞭な演説を行って、周りからの嘲笑の的となっている。ブレア首相が話している間も平気で居眠りこき、抗議目的で卵を投げつけた市民をグーで殴りつけて逆襲したこともある。こんな人が副首相なんていう肩書きを持てる英国の政治の世界って本当にすごい。そんな荒らくれ者のイメージばかりが強調されるが、実は分裂しがちな労働党を上手にまとめる親分として厚い信頼が寄せられているプレスコット。人災を起こすほど荒れたり、時には温かく党員を包み込んだり、ともかくとっても器の大きな海の男なのだ。
今、最も注目を浴びる女性政治家。イタリアのベルルスコーニ元首相の汚職事件に夫が関係していたとの報道で、一斉に脚光を浴びた。政治家としての立場も危うくなり「苦渋の選択」の末に、彼女は結局その夫と別れることを選んでひとまず解決。ああ、女にとって夫の存在ってそんなものか、と英国中の既婚男性に深い溜息をつかせた一件であった。メディアも汚職問題にかこつけて報道していたが、実際のところこの夫婦の愛憎劇の方に興味津々だったのだ。本業では2012年に開催されるオリンピックの開催地としてロンドンが選ばれたことで、オリンピック大臣にも任命されている。しかし競技場建設の深刻な遅れなどの問題が再三にわたって指摘されており、開催日が近付くにつれて今後猛烈に叩かれること間違いなし。その時に夫が再び現れて彼女を支える、なんて話も興味がある。
1997年に当選してからスピード出世を果たし、2004年暮れに教育相に任命され女性としては最年少で入閣を果たした。しかしその後まもなくして国内の学校に性犯罪の前科を持つ者が職員として多数採用されていた事実が発覚し、事態は急展開。憧れの内閣デビューを飾った途端に性犯罪者の対応に追われた。ここぞとばかりに野党やメディアは政府の管理責任を激しく追及。田舎臭さが漂うもっこりした髪に、バリトン並みの低い声を持つがゆえ不器用に映る彼女をここぞとばかりに叩きに出た。しかし彼女は毅然とした態度で記者会見に臨み、国民の理解を得ることに成功する。市民に卵を投げつけられても、ブレア首相が推進する教育改革で大忙しの毎日でも文句言わずにひたすら働く彼女。どんなにしごかれても明日へ向かって生きていく、そんな前向きな新入生を思い起こさせる。
インテリじみた話し方が少し気になる男。内相時代に犯罪者に対する厳重な取り締まりを掲げ、それまでの犯罪に甘い労働党、というイメージをうっちゃった。細身の体ながらも強気で威張っているストローだが、何せ明晰な頭脳を持つがゆえに市民の間ではすこぶる評判が良いという。イラク情勢やイランの核開発問題など、英国を悩ます中東問題が議題に上ると、ガサガサと昆虫みたいにしゃしゃり出てきては、記者会見上で顔の表情ひとつ崩さず対応する。それだけに、どうしても冷徹なイメージが付きまといやすいことも確かである。
剛毅な印象を与える北部独特の訛りと睨みを利かせた顔はやくざである。かつては共産党員だったこともあるほど豊富な経験を持つ彼には、保健相という意外な職歴がある。同ポストに任命された瞬間「保健相なんてやってられるか」と叫んだという逸話が残っており、きな臭い今のポストの方が似合うことは十分自覚しているのだろう。戦闘的なイメージばかりが際立つが、実は経済史の分野での博士号を持っている知性派。知識と風格、そしてファイティング・スピリットの3拍子揃った僧兵のような彼に集まる信頼は厚い。
雅で人畜無害なオバサマに見えて、実はかなりやり手の政界大ベテラン。かつてブレアそしてプレスコットと共に労働党党首の座を争ったこともあり、割と権力志向の強いタイプなのかもしれない。また大学時代には鉱石から金属を取り出して精製する過程を調べる冶金学者としての資格も取得しているという、根っからの地学オタクでもある。エネルギー源不足に悩む英国で再燃している原子力発電利用について論じる際に度々メディアに登場し、是非を問わない玉虫色の発言に終始してはお茶を濁している。
とっておきのいじめられキャラ。155センチの低身長に顔の面積の約3分の1を占める大きなメガネ。何を話しても必死で言い訳しているように聞こえる口調。挙げ句の果てに「無任所」なんて曖昧で中途半端な肩書きを持つ彼、もう一つのポストである労働党委員長なんて、他に誰もいないから無理やりやらされているという構図がはっきりと見て取れる。が、15歳でストライキを指揮したという実績を持つ彼を侮ってはいけない。決して人々の信頼を裏切らない彼がいるからこそ、現内閣を支援するという議員も多数いるのだ。
かつて家庭生活を優先したいがために議員デビューを遅らせたことがあるという、オヤジたちが泣いて喜びそうなエピソードを持つヒューイット。さらに保健相とくれば柔和なイメージばかりが膨らむが、実は札付きの剛腕フェミニストでもある。男性の部下をクビにして無能な女性を雇い、男女差別法に触れると訴えられて敗訴したこともあるくらいだ。また国家破壊活動に従事しているとの疑いで国内の諜報機関MI5に追跡されたこともある。現政権では吹けばほこりが飛び散る国家医療制度(NHS)について弾劾追及される毎日を過ごしている。
仙人のような白い口ひげが特徴の舌鋒家。テロ問題で揺れる英国の治安対策では、その強気な姿勢が功を奏している。というのも、2005年の同時多発テロ発生以降、IDカード導入や反テロ法成立など国家の管理強化に危機感を強めるリベラル知識人が数多くいる中、彼らを「害毒」呼ばわりして蹴散らしているからだ。かと思えば、国外追放の対象である外国人犯罪者が内務省の不手際で大量に釈放されていたことが判明し、各方面から糾弾されると結構しどろもどろだった彼。所詮は空威張りしていただけなのかもしれない。




ロンドン地下鉄駅などで配布している無料紙。1999年の創刊後、都市に住む若い人たちの間で人気を博し、今では12都市で170万部の部数を誇るようになった。地下鉄利用客が電車の中で楽しめるようにと、20分で全ページを読み通せるぐらいの平易な文章で記事が書くのがモットー。英国での出来事を浅く広く押さえるには最適の媒体。
書籍や雑誌の保存なら世界一を誇る大英図書館の一部であり、新聞に特化した資料館がここ。英国内にある新聞資料はとにかく何でも揃えてあって、調査活動には最適。館内には研究室のような暗い部屋で、マイクロフィルムに保存された過去の新聞を見つめる人たちがいっぱいいる。日曜日を除く日の10~17時開館。
金融街シティと劇場が立ち並ぶエンターテイメントの聖地コベント・ガーデンの間にある道。近年までこの通りに多くの大手新聞社がオフィスを構えていた。近くには「Printer's Devil」などという看板を持ったパブがあり、当時は飲んだくれ、かつ気骨のある新聞記者たちの溜まり場になっていたという。
プレゼントとしての新聞を扱うユニークな機関。異なる年代におけるそれぞれの日付を持った新聞をもれなく保存しているので、例えば友達の誕生日に発行された新聞をここで購入してプレゼントすることができる。自分が生まれた日に英国ではどんな出来事があったのか、誰が死んだのかなど、興味をそそられるはず。
スコットランド
スコットランド出身の有名人と言えばずばりこの人、ユアン・マクレガー。いまや英国を代表する人気俳優ユアンはスコットランド出身であることに誇りを持ち、映画のプレミアに民族衣装のキルト(お馴染みのタータンチェックのスカートである!)を着てくるほど。言葉の節々にスコットランド訛りも健在だ。一方、元祖スコットランド出身俳優と言えばショーン・コネリー。彼の場合はどんな役を演じていてもアイルランド訛りが残ってしまうということで、映画専門誌「エンパイア」の「訛りの下手な俳優」アンケートでは、栄えある1位に輝いている。
北西部
北西部にはリバプールが含まれている。こう言えば誰もが思い出すのがリバプール出身のビートルズだろう。意識的に訛りを取ろうと努力していたポール・マッカートニーに対し、ジョージ・ハリソンはかなり長い間リバプール訛りが抜けなかったようだ。ボーカルを取った時でも訛りは全開だったというから、北西部訛りを勉強したいならジョージの歌を聞いてみては?
北東部
英国内で爆発的人気となった映画「リトル・ダンサー」。この映画の主人公、ビリーを演じたのは、役柄同様北東部ビリンガム出身のジェイミー・ベル。現在は俳優の仕事で米国に滞在することも多く、かなり米語のアクセントも会話に混じるようになった。一方、先日オリビエ賞を受賞し、目下ウエスト・エンドで人気ナンバー・ワンとなっているミュージカル版では、現在も北東部訛りがしっかりと受け継がれている。映画の監督も務めた演出家のスティーブン・ダルドリーいわく、ビリーを演じる上で「完璧な北東部訛りは必須」。いかに訛りが北部の生活を描く上で大切な要素なのかがうかがえる。
北中部
上流階級臭をぷんぷん漂わせているサッチャー元首相。実は彼女、北中部リンカンシャーの労働者階級の出身だった。学生時代に徹底的に発音の特訓を受け、見事RPを話すようになったのだが、議会でも激昂するとつい本来の北部訛りが出てしまい、冷笑されていたとか。
ウェールズ
ご存知BBC1の大人気コメディ「リトル・ブリテン」。その中の人気エピソードに、自分が町で唯一のゲイであることを誇りに思い、他のゲイをどうしても認めようとしないダフィドという人気キャラがいる。このダフィドが住んでいるのがウエールズの「フランデュイ・ブリッフィ」(Llanddewi Brefi)という町なのだ(ちなみにこのllの発音はウエールズ語でも最も難しいらしい)。ウエールズ出身の有名人で、世界的に有名なのは、アンソニー・ホプキンスやキャサリン・ゼタ・ジョーンズ。両者に共通しているのは、さまざまな訛りを使い分けて英国のみならず米国でも活躍していること。自分たちの訛りに誇りを持っているはずのウエールズ人が、華麗に訛りを使い分けるというのも面白い話だ。

英国サッカー界の貴公子、ご存知ベッカム。マンチェスター暮らしが長い彼だが、ロンドンの労働者階級出身のベッカムが話す英語はコックニーだ。独特の高音ボイスと相まって、実に味のある英語となっている。彼のインタビューを聞くと、確かに「three」が「free」、「another」が「anover」と聞こえる。米国映画「メリー・ポピンズ」では、コックニー を話す煙突掃除人バートの役を米国人のディック・バン・ダイクが演じた。演技自体は絶賛を浴びたのだが、訛りに関しては非難轟々。ショーン・コネリ-が1位だった「エンパイア」誌の「訛りの下手な俳優」アンケートでは、第2位に選ばれてしまった。
美しく正しい英語と認識されているだけに、テレビや映画で活躍する英国の有名人の多くがこの容認発音を使っている。昔ながらの美しい発音で言うならば、アカデミー賞女優のエマ・トンプソン。シェイクスピア作品にも数多く出演している彼女の発音は、まさに正統派クイーンズ・イングリッシュ。一方ポッシュな中にも現代的な雰囲気を漂わせているのはヒュー・グラント。もともと上流階級出身の彼はインタビューの際、皮肉たっぷりにスタッカートを聞かせて口撃してくるのでよく知られている。また米国人俳優が英国アクセントを話すことにあまり好意的でない英国人だが、「スライディング・ドア」のグイネス・パルトロー、「ブリジット・ジョーンズの日記」のレニー・ゼルヴィガーの発音は、なかなかというお墨付きをもらったようだ。
完全な河口域英語ではないが、言葉の端々にそのアクセントがみられたのが、故元ダイアナ妃。上流階級出身の彼女の英語は基本的にはRPだったのだが、「t」がなくなってしまう癖があったようで、エリザベス女王もそれにはお冠だったとか。また明晰な発音をすることで知られるブレア首相。彼はスコットランド出身だが、幼い頃から英才教育を受け、オックスフォード大学で学んだため標準的な英語を話す。通常なら完全なRP、と思いがちだが、一般市民の味方、労働党党首として会話のところどころに河口域英語を取り混ぜている。さすがは政治家、アクセントも選挙活動のうち!?









英国で最も偉大な作家の1人として、今も文学界に燦然と輝くシェークスピアの存在。シェークスピアがここまで英国人に愛される理由は何だろうか。劇作家としての彼を、演劇という側面から探ってみよう。


RSCは、シェークスピアの生誕地、ストラトフォード・アポン・エイボンにある3つの劇場、ロイヤル・シェークスピア、スワン、ジ・アザー・プレイスを拠点に活躍する、英国を代表する国立劇団。設立は1879年、その後1960年に現在のRSCが形成された。現在ではあくまでシェークスピアを中心にしながらも、その他の古典や現代作品も幅広く扱っている。
RSCより正式招待を受け、日本を代表する演出家、蜷川幸雄が本フェスティバルに参加することが決定! 上演作品は「タイタス・アンドロニカス」。シェークスピア全作品の中でも最も残酷と言われている戯曲だ。ローマ時代に帝位継承権を巡って争う人々の姿を描いたこの復讐劇は、これまであまり上演されていないが、人種差別や人の欲望、絶えることのない争いを赤裸々に描いたこのストーリーは現代社会にも通じるものがあると蜷川は語っている。日本人演出家と役者がつくり出すシェークスピア劇。本場ストラトフォードで観られるこの機会、是非お見逃しなく!
人気テレビ・シリーズ「スタートレック」の船長で日本でも人気のパトリック・スチュワート。実は彼、元々RSC出身。RSCで培われた惚れ惚れするような姿勢の美しさと、正統派の発声は、シェークスピアを演じる上での必須要素と言える。演じるのは「アントニーとクレオパトラ」と「テンペスト」。特にテンペストはシェークスピア晩年の作にして最後の戯曲と言われている傑作の1つ。この機会にチャレンジしてみては?
映画「恋に落ちたシェークスピア」でエリザベス女王を演じ、アカデミー賞助演女優賞を獲得した名優ジュディ・デンチ。実は彼女もここRSCの出身者の1人なのだ。今回彼女が演じるのは、何とミュージカル版「ウィンザーの陽気な女房たち」。軽妙に歌って踊る彼女が観られるのだろうか? 乞うご期待。
そしてもう1人のRSC出身の大物、ガンダルフことイアン・マッケランも今回「リア王」に出演することが決まっている。リア王と言えば、シェークスピアの四大悲劇の中でも特にスケールが壮大なことで知られる名作。かつての暴君が老い、裏切られ、絶望の淵に追いやられる様を、マッケランはどのように演じてくれるのだろうか。




飲茶名人 パトリックさん
飲茶の習慣の始まりは定かではありませんが、一説によるとシルクロードだと言われています。まず、長旅に疲れた旅人のための休憩所ができ、そこでお茶が振る舞われたようです。しばらくすると、その近辺に暮らす農夫たちもお茶を楽しむために休憩所に集うようになりました。賑やかになったその休憩所で、お茶だけでなく軽食も出し始めたのが飲茶の原点と伝えられています。
点心師 Po Ming Hoさん















GHOST
JOHN ROCHA
香港に生まれ、アイルランド在住のジョン・ロシャのデザインは、黒とクリーム色がキーカラー。新作もこれら2色をベースに、差し色として赤が使われていた。
PAUL SMITH WOMEN
MANISH ARORA
インド出身のアロラは、植物や天使、ハートなどを模った多くのモチーフを刺繍とタペストリーで表現。エキゾチックな配色でキャットウォークを賑わせた。
UNCONDITIONAL
新人フィリップ・スティーブンズが作る、アンコンディショナル。厳寒下で身を守ることを念頭に、カシミア、メリノ毛糸、シルク・カシミア、綿絹の4種類を使ったニットが特徴。
BASSO & BROOKE
英国人ブルックとブラジル出身のバッソによるユニット。新作はロココ朝やビクトリア時代などにヒントを得て、肩幅の狭いジャケットなどの現代的なシルエットに。
AVSHALOM GUR
公式スケジュールとは別に行われた非公式スケジュール「OFF」で33のデザイナーが新作コレクションを発表。その中の一人、アブシャロム・ガーの新作は放浪生活をするベドウィン族に発想を得て、布を多用し造形に配慮したデザインが目立った。
インタビュー中にも国籍のさまざまな知人達が、コシノさんのショーの成功を祝いに、どんどん声を掛けて来る。そんな姿に、自分自身をしっかり持ち色々な価値観の人たちとかかわっていく彼女のクリエーティブなエネルギーの源を見たような気がした。
午前中の穏やかな天気が午後になって一転、吹雪まで降った2月のある日、ロンドン北西部の閑静な住宅街に建つ家に到着。家主の女性に迎えられ、案内されたのは新人デザイナー、ルベックセン・ヤマナカのスタジオ。ユニットを組んでから6コレクション目、ロンドン・ファッション・ウィークの「OFF」スケジュールに参加するのは3回目という彼らに今の生活について伺った。
在学中は一緒に作業をした経験はなかったが、山中さん(Y)があるニットのコレクションを手がけることになり、たまたまヒルダ(H)さんにパターン引きを頼んだのがデザイナー・ユニット誕生のきっかけに。「とりあえず作ってみようか」と秋冬の新作がわずか十数点しかなかった頃、突然バーニーズ・ニューヨークから50ピースの大口のオーダーが入った。工場の手配ややり取りも手探りだった2人だが、なんとか無事に納品。そして次の作品を見せて……としているうち、次第にオーダーが来るようになった。
ルベックセン・ヤマナカは、ギャラリー「リビングストン・スタジオ」内のスタジオで製作している。ギャラリーは一般の方に公開しており、見学自由。美しいアール・ヌーボー朝の文字が目印。
山中朋子さん(写真左)……日本では会社員生活を送り、趣味として編物にかかわる。ご主人の仕事の関係で渡英後は、チェルシー・カレッジ・オブ・アートでファッションのBA(修士号)を取得、ロイヤル・カレッジ・オブ・アートでニットウェアMA(文学士号)を専攻、02年卒業。
湖水地方の北部に位置するアルズウォーター湖。この湖のほとりで、ワーズワースが名作「水仙」を詠んだと伝えられている。ここでボートを運転する船長のロバート・ファラムさんは、船長室から覗く景色を指差しながら、まるで彼がその姿を実際見たかのように、ワーズワースが散策したコースをこと細かく教えてくれた。「ワーズワースが歌に詠んだ湖で船を運転する気分というのは、とにかくもう夢心地だね。たまに自分の頬をつねって、どれだけ自分が幸せかって言い聞かせてやるようにしているんだ」と嬉しそうに話すファラムさん。湖水地方を語る上で、ワーズワースの存在は非常に大きな意味を持つようだ。
アルズウォーター蒸気船 
ライダル・マウント
ブラックウェル館
趣味としての旅行が始まったばかりの頃、「クライフ・ステーション」と呼ばれる展望台が湖水地方に建てられた。1773年に発行された旅行ガイドに同展望台に関する記述があるというので、その歴史はかなり古い。まだ写真が普及していなかった時代、当時の旅行者たちはこの高台の上で、色セロハンを通して異なる季節ごとの景色を想像したり、鏡に反射させることで切り取った風景を脳裏に刻んで思い出に残したという。
英国内の各都市がさらなる発展を遂げるなか、1895年に自然保護団体「ナショナル・トラスト」が設立される。この組織への多大な貢献を果たしたのが、湖水地方の絵本作家ベアトリクス・ポターである。
これらの活動を通して得たお金で、ポターは盲目的といっていいほどに湖水地方の膨大な土地を買い集め、そして自ら環境保全に努めた。そして死後は4000エーカー(約480万坪)にも及ぶ土地をナショナル・トラストにすべて寄付し、湖水地方の英雄となった。これが絵本作家ポターのもう1つの顔である。ピーター・ラビットの物語を再現した「ベアトリクス・ポターの世界」のリチャード・フォスター館長は「ポターは彼女の不動産購入の手続きを請け負った事務弁護士と結婚して、ヒル・トップの農場からキャッスル・コテージと呼ばれる場所に移り住みます。しかし作家としてインタビューに応じる時は、いつも必ずヒル・トップに戻っていた。当時の人々は、絵本作家のポターと、地域発展のための活動家としての彼女が同一人物ということさえ知らない人も多かったんじゃないかな」と振り返る。
ベアトリクス・ポターの世界
ナショナル・トラストの管理人として区域内の森林を見守るファリントンさんは、環境に配慮した管理を行っている。そのうちのひとつが「ヘッジレイング」と呼ばれる手法。羊、牛など野生の動物を放し飼いで飼育するには生垣を作る必要があるが「ヘッジレイング」は、言わば天然の生垣を作るための伝統的な農法なのである。まずは木を根っこから切り取り、次々と地面の上に重ねる。次にそれぞれの枝を結ぶことで木々を束ね、木くぎで止めて野生の生垣を作る。まだ針金やコンクリートがなかった時代に生まれた、環境に優しい歴史の知恵である。野山に住む小鳥たちはこの木々の下に巣を作り、ネズミやヤマアラシなどの隠れ家にもなるというわけだ。
イングリッシュ・レイクス・ホテル
リンデス・ハウ・カントリー・ハウス
マウンテン・ゴート
湖水地方の最高峰に位置するパブの主人
タクシー運転手
湖水地方を管轄するナショナル・パーク・オーソリティー
ヒル・トップにあるおみやげ屋さん
ホテルに併設されたパブ、部屋には木製の家具、笑顔を絶やさず親しげに接してくれるスタッフと、暖かく庶民的な雰囲気を持つホテル。また週末には、地元の人も集うというレストランでの食事はお勧めで、特に湖水地方の地場ものであるラム肉は絶品。
ワーズワースやポターらも招待されたという荘園領主の邸宅。かつて奴隷売買のの舞台にもなったという地下室は今はワイン倉庫となっており、格調高い内装のレストランでの食事はまさに最高の贅沢。また湖を見渡すホテルからの眺めは圧巻。
湖水地方で癒しのひとときを、英国で最も美しい湖畔にある美しい低塩で、のどかで静かにお過ごし下さい。
森林に面した、見晴らしのよい小高い丘の上に立つゲストハウス。近年まで英国紳士が住んでいたというだけあって、アンティーク家具に囲まれたそれぞれ個性豊かな部屋が用意されている。
森林に面した、見晴らしのよい小高い丘の上に立つゲストハウス。近年まで英国紳士が住んでいたというだけあって、アンティーク家具に囲まれたそれぞれ個性豊かな部屋が用意されている。
湖水地方では唯一、日本語による解説付きツアーをアレンジ。料金には全ての入場料及び、クルーズ代が含まれている。

四方を海に囲まれた島国、英国。そんな土地柄、魚介類に恵まれているはずなのに、英国のスーパーで見る魚は、種類は豊富ではないし、新鮮さも疑問。そしてお値段も決して安くはない(涙)。そこで、この「魚三重苦」を乗り越えるべく、魚恋しい日本人が期待を胸にビリングズゲート・フィッシュ・マーケットへ行ってきました。今回は、英国の築地(?!)とも言われるビリングズゲートを中心に、英国のサカナ事情をお届けします。
東ロンドンに位置する魚卸市場。ロンドンで流通している魚介類のほとんどはここで仕入れられていると言われている。英国内では最大の魚卸市場で、年間平均2万5000トン(内40%は輸入物)の魚介類がここで取引される。大量に買わないといけなかったりするが、基本的に一般人でも購入可能。
今では、フィッシュ・マーケットとして知られるビリングズゲートだが、当初はとうもろこし、石炭、鉄、ワイン、塩、陶器など様々なものを扱う卸市場だった。しかし1699年に、どういったことかビリングズゲートを魚に特化したマーケットとする決議書が国会を通過し、以後、ビリングズゲートと言えば魚という公式が出来上がっていったのだ。そんなフィッシュ・マーケットでも取り扱いが禁止されていたものがあった。それは、ウナギ。当時ウナギの売買は、オランダ人漁師の専売物だったのだ。これは1666年のロンドン大火災時に、オランダ人漁師たちがロンドナーたちに食料を提供したお返しとして与えられた特権だった。
値段が表示されていないのがマーケット初心者には怖い所だが、お店の人は親切に正直に教えてくれるのでご安心を。ちなみに、1月31日時点での平均価格は下記表の通り。ビリングズゲート・マーケットは、誰でも入場可能で、一般人でも商品を購入できるが、初めての時は魚に詳しい人と行くのがコツ。魚の見方がわからないと少し古い魚をつかまされることもあるとか(それでももちろん食べられますが)。必然的に購入単位が大きくなるので、友達や御近所の人を誘って買い出しに出掛けよう。
T&S Enterprises (London) Ltd. 
このレシピは、あたりやアクトン店のMawjuthさんに聞きました。「マリネ液には、お好みでお酒(大さじ2が目安)やおろししょうがを加えても美味しいですよ。」
③を②のたれに漬けて、
もうすぐやってくる、イースター・ホリデー。今年は4月14日(金)のグッド・フライデーから、17日(月)のイースター・マンデーまでの4日間がそれに当たる。せっかくの4連休なのだから、ユーロスターを利用してベルギー旅行としゃれ込むのはいかが?おいしいビールを飲んだりダイヤモンドを買ったりなど、ニュースダイジェストが提案する、ブリュッセル・ブルージュ・アントワープの楽しみ方をご紹介!
いつも人の山に囲まれている、小便小僧。
1つの建物の中で、15世紀から17世紀にかけてのフランドル派およびオランダの作品などを所蔵する古典部門と、19世紀から現在に至る作品を集めた近代部門に分かれている。それぞれ内部でつながっている。※3月17日(金)から7月23日(日)まで、20世紀初頭のアール・ヌーボーをテーマにした大展覧会「L'Art Nouveau,La Maison Bing」を開催予定。
王立美術館の真向かいに建つ、楽器博物館。建物自体がアール・ヌーボー建築として卓越しており、所蔵している楽器の数は6000点を超える。最上階にあるレストランからは、ブリュッセル市内の絶景が見渡せる。
ブリュセル市内の繁華街に建ち、1912年の創設以来、安定した人気を保つレストラン。テノール歌手、プラシド・ドミンゴも訪れたことがある。ムール貝のほか、帆立貝などのシーフード、チーズ・フォンデューなど多彩なメニューが自慢。予約がオススメ。
20世紀初期に一世を風靡した芸術様式アール・ヌーボー。その代表的建築家といわれるビクトル・オルタ(1861-1947)が自ら建築し家族とともに生活した館が現在美術館となって公開されている。一歩中に入ると、階段の手すりからドアノブまですべてに草木をモチーフにした曲線的デザインでインテリアが統一されており、気分はまるで別世界。
ベルギーを旅行中に一度は注文したいのがこのクワック・ビール。アルコール度が高いエールの部類に入り、底が丸い独特の形のグラスで飲むのが特徴。このデザインは、18世紀当時、宿屋に立ち寄った駅馬車の運転手達が手袋をはめたまま取手つきのマグからビールを飲む姿を見た、宿屋の経営者がひらめいたもの。おかげで手袋のままでも持ちやすく、また駅馬車のあぶみの上でもゆっくり飲めるように。先見の明があった経営者の名前P・クワックがそのままビール名になった。






