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Fri, 19 December 2025

LISTING イベント情報

パリ、のみの市パラダイス

偉大なるムダを求めて パリ、のみの市パラダイス

食の都、芸術の都 ── フランス、パリを形容する言葉は数多い。
パリを訪れたら、美術館に行って、おいしいレストランで食事をして、と
あれこれ欲張ってしまいがちだけれど、
たまにはちょっと毛色を変えて、
のみの市巡りをしてみるのはどうだろう。
骨董品は、人生で必要不可欠ではないかもしれない。
ガラクタは、生きる上で不必要かもしれない。
でもそんな物たちや、それらに情熱を注ぐ人たちとの出会いは、
心を彩ってくれるかもしれない。
ロンドンから列車や飛行機でたったの数時間。
のみの市の楽園パリで、
たまには人生を豊かにするムダ時間に迷い込んでみませんか?
(文・写真 : Ren Izuta)

のみの市の楽しみ方

世界一の規模を誇るサントゥーアン(Marché aux Puces de St-Ouen)と、典型的な古物商のいるヴァンヴ(Marché aux Puces de la Porte de Vanves)を歩いてみよう。サントゥーアンには1500人、ヴァンヴには400人のディーラーがいる。自分のペースで好奇心に身を任せて歩くのが一番だが、いくつかのポイントとなる店を紹介しよう。

サントゥーアン(クリニャンクール)のみの市 
Marche aux Puces de St-Ouen

最寄駅: ポルト・ド・クリニャンクール
(Porte de Clignancourt: 地下鉄4番線)
開催日: 土 9:00-18:00、日 10:00-18:00、月 11:00-17:00
www.parispuces.com

サントゥーアン(クリニャンクール)のみの市

ヴァンヴのみの市 
Marche aux Puces de la Porte de Vanves

Av Marc Sangnier / Av Georges Lafenestre 75014 Paris
最寄駅: ポルト・ド・ヴァンヴ(Porte de Vanves: 地下鉄13番線)
開催日: 土・日 7:00-13:00
(Av Georges Lafenestre の一部店舗は15:00頃まで)
http://pucesdevanves.typepad.com

ヴァンヴのみの市

antiques

見るサントゥーアン(別名クリニャンクールのみの市)には美術骨董品からガラクタまで様々な物が並ぶ。どんな代物と出会えるか。物と同時に出会うのは、骨董品の陰からぬっと現れる店主。楽しみは尽きない。

30年前からジュークボックス専門店を営むのは、アデルさん1とセルジュさん(ポール・ベール通り23番地)。自慢の品は1956年米国Seeburg 社製V200モデル2。スイッチを押すと一枚ずつレコードを選択する様子が見える。70年代製以降は中の機械仕掛けが見えなくなるため、それ以前の物の価値は非常に高い。

60年前からジャン=ピエールさんが構える Docks de la Radio(ジュール・ヴァレス通り34番地)は、アナログの音響機器と映像に関わるすべての部品、機械を扱う店だ3 。蓄音機やモールス信号の機械、ミニテルなどが所狭しと並ぶ。

1 アデルさん 2 Seeburg 社製V200モデル 3 ジャン=ピエールさん

マルシェ・ポール・ベールには有名な台所用品専門店Bachelier Antiquitesがある。店主のフランソワさんお勧めは、1900年前後に作られたブナ材の肉切り台4。当時は仕事に誇りを持つ肉屋の大将が、他店と差をつけようと、とびきりの備品や家具をあつらえた。

マルシェ・セルペットではライター専門店Stand très à l'Etroitへ。猫の毛を入れて静電気で火を付ける18世紀のライターや、クルミ材の胴体にブロンズのカタツムリの装飾がついた見事なライター。そして火打石で火を付ける銀糸で編んだ19世紀の火打ち袋。子供の頃から収集していたというアランさん5は、奇妙奇天烈、もしくは美しい調度品のライターを扱う。

続いてフランス最大級の古書店Librarie d'Avenue(ルキュイエ通り31番地)。600㎡の広さに15万冊の本が並ぶ店内では、パリ生まれの画家、トポールのイラスト本から17世紀の料理本、19世紀のスイス人外交官の日本旅行記など珍しい本にたくさん出会える。「出版されたすべての本を救う」をモットーにベリエさん6 が営むこの巨大古本屋は、今年50周年を迎える。


1 フランソワさん 5 アランさん 6 ベリエさん

老舗中の老舗、サントゥーアンのパッサージュで祖母、母に続きビンテージの洋服を扱う3代目サラの店(Chez Sarah)では、1930年のBroderie de Lunévilleと呼ばれるドレスを着た美人のマネキンが出迎える。

ヴァンヴのマルク・サンニエ通りにも専門家は多い。その昔、市場で果物やコーヒーなどを販売するときに使っていた袋を売るMissy。20世紀前半の大衆芸術と奇妙な骨董品を扱うモーリスさんの店では、1920、30年代に使われていた手錠を発見7!モーリスさんいわく「鎖部分の職人技が最高」。他にも1920年代のビー玉の目が光る猫の形をした鳥よけや、同じく20年代の洗濯道具などが並ぶ。

インテリア・デザイナーでもあるジェラールさんのデッサン原本専門店はエリザベス・アーデンのショーウインドー用デザイン原画などレアものがいっぱい。ヴァンヴのディーラーのまとめ役はこの道40年のジョスリンヌさん。テキスタイル専門店Amélie Textilesを営む彼女のお勧めは1940年代の毛糸の手編みのビキニ8

午前中が主体のヴァンヴでは、足しげく通うとコレクターとも顔なじみに。趣味が高じて展覧会まで開いたという、フランス随一のボタン収集家アリオさんもその1人。彼いわく「ボタンの中に宇宙がある」。

のみの市探訪は実に深い。人間の歴史をひも解く考古学や文化人類学のようだ。


7 モーリスさん 8 ジョスリンヌさん

食べる美しい物や人、奇妙な物や人を見た後には、うまいものが食べた くなる。カフェやレストランが多いサントゥーアンで、質、量と価 格のバランスがいいのがレバノン料理屋Elissar。Formule Elissar 9は鳥、子羊、ひき肉の串焼き盛り合わせが気前のいい量で登場だ。 タブレなどの前菜もおいしい。手早く済ませたい人にはハンバーガーやクラブ・サ ンドイッチを出すAu Roi du Café がお勧め(昼時は混み合うので注意)。骨董品同 様、本物志向の人は、レストランLe Biron でポトフの骨髄添えをどうぞ。

一方、午前中にほとんどの店が閉まるヴァンヴでは、行商人が活躍する。舞台女 優でもあるダンさん10は、手作りのカヌレやサンドイッチなどを売って歩く。ピス タチオとフランボワーズのフィナンシエがお勧め。

9 Formule Elissar 10 ダンさん

Elissar
11 Rue Lécuyer 93400 St-Ouen
Tel: 0033(0)1 40 11 35 56

Au Roi du Café
32 Rue Paul Bert 93400 St-Ouen
Tel: 0033(0)1 40 12 47 33

Le Biron
85 Rue des Rosiers 93400 St-Ouen
Tel: 0033(0)1 40 12 65 65

photos ①〜⑩ : ©Ren Izuta


聴くサントゥーアンには音楽の伝統が生きている。ジャズ・マヌーシュ とガンゲット(キャバレー音楽)だ。 創業50年以上のカフェ・レ ストランLa Chope des Puces(ロジエ通り122番地)はジャズ・ マヌーシュの殿堂。ジャズにロマ音楽を取り入れたマヌーシュ・ス ウィングの生みの親ジャンゴ・ラインハルトゆかりの場所でもある。親子3代、こ の店でジャズ・マヌーシュを演奏するガルシアさん11の演奏を聴こうと、土日は 14時になると人でごった返す。

スイングの次は、ディープなシャンソンを。レストランChez Louisette(マルシェ・ ヴェルネゾン内)は1930年代から続く老舗。ここでピカソは店の紙ナプキンに鳩 を描き、ジャン・マレーやゲンズブールなど多くの有名人も訪れた。50年代のシャ ンソンのレパートリーの数々を「生きるモニュメント」の異名を持つ看板歌手マヌ エラさん(芸術文化勲章受章)がまったりと聴かせる12


11 Formule Elissar 12 Formule Elissar

La Chope des Puces
122 Rue des Rosiers 93400 St-Ouen
Tel: 0033(0)1 40 11 02 49

Chez Louisette
136 Avenue Michelet 93400 St-Ouen
Tel: 0033(0)1 40 12 10 14


ババさん
13

達人編かなり上級者の歩き方を挙げよう。まず、週末の早起きは必須。 3時、4時に活動を開始する。 サントゥーアンならばジャン=アンリ・ ファーブル通りからスタート。数件あるDebarras(納戸一掃の店) には相続の品や引っ越し、物置一掃などで回収された中古の品が無 造作に置かれてあり、とんでもない宝が出ることもあるという。ファーブル通りで 28年間スタンドを開くババさん13は、このエリアで知らぬ者はいない人物。銀の フォークやナイフ、陶器などあらゆるものをテーブルに広げており、目利きが必ず チェックする場所だ。目利きの勝負は薄暗い週末の丑三つ時。週末の早起きは得す ることもあるらしい。

古物商とは過酷な仕事。平日は休みなしで必死に商品を探し回る。オークションや 個人宅、古い家の売却など、どこにでも飛んでいく。商品のメンテナンスや搬出・搬入 など、体力勝負の仕事でもある。毎週のように収集家でにぎわうのも、彼らあってこそ。

photos ⑪ 〜⑬ : ©Ren Izuta


のみの市の歴史

20世紀初頭のサントゥーアン
1420世紀初頭のサントゥーアン

フランスでは、14世紀からくず物屋(chiffonnier, biffin)など中古品を扱う商売が法制化されていた。パリの随所にあった、くず物屋や古物商(brocanteur)によるボロ市も、17、18世紀と度重なる警察の検閲でパリを締め出され、郊外に避難する。今では世界一ののみの市サントゥーアンも20世紀初頭までは雑草に覆われた荒れ地だった。19世紀末より、個人宅から中古の家具や古布やシーツなどのテキスタイルなどを買い付ける古物商や、古着など捨てられた廃品を回収するくず物屋がぞくぞくと集まる。誰が呼び始めたかは不明だが、「のみの市」と呼ばれた市は「marché à la ferraille(くず鉄の市)」とも言われていた。

現在のサントゥーアン
15現在のサントゥーアン

20世紀最初に整備されたのは、サントゥーアンのマルシェ・ヴェルネゾン。9000㎡の土地の地主、ロマン・ヴェルネゾンが古物商やくず物屋にバラック小屋を貸し出した。まもなくアルバニア人のカフェのオーナー、マリック・ハジュルラックが3000㎡の土地を購入し、100軒程のバラックを立て古物商に賃貸する。定着場所を求める古物商たちは協同組織を作り、隣接する野菜畑の地主と交渉し200軒の骨董商が誕生、マルシェ・ビロンとなる。一方、パリの南西の入り口、ポルト・ドゥ・ヴァンヴには1920年頃からのみの市が始まった。

ポール・ベールに仲間入り
162010年9月、ポール・ベールに仲間入りした24歳のエリーズさんと32歳のジャン=ノエルさん

第二次大戦中のサントゥーアンは、陶器のティー・セットと引き換えにジャガイモ1袋というように闇市と化し、物々交換が行われていた。ユダヤ人商人はドイツ軍占領下で財産を没収され、迫害された。  パリと同時期に開放されたサントゥーアンは戦後復興する。1946年にポール・ベール、70年代にセルペット、近年では89年にマラシ、91年にドーフィンヌといった市場が相次いでできて、世界最大の広さを誇るのみの市となった。

大規模になったのみの市は、現在では管理会社が統括する場合が多い。80年代の栄華を経た後、21世紀になると米国人顧客が減り、金融危機のあおりを受け不況で店を閉める人もちらほら。そんな中、救世主となるのは最近増え始めた20代、30代の若いディーラーだ。インターネットなど時代の手段を駆使し営業力を発揮しつつも、やはり大先輩たちのような膨大な知識の生き字引になりたいと、修行の日々を送っている。

photo⑭: Restaurent Le Paul Bert ⑮: ©www.parispuces.com ⑯: ©Ren Izuta

 

ロンドンの変な通りの名前ベスト10

奇妙な名前に隠れた意外な歴史の数々
ロンドンの
変な通りの名前ベスト10

ロンドン在住者ならば、住所を調べたり、郵便物の宛名を記す際に
いつも読んだり書いたりしているロンドンの通り名。
普段は特に注意を払うことはないけれども、
よくよく目を凝らして見ると、へんてこな名前がかなりある。
そんな、言わば「ロンドンの変な通り名」のベスト10をイラストとともに一挙紹介。
さらにその名前が付けられるに至った理由を合わせて知れば、
このロンドンという街をもっと深く知り、そしてもっと好きになること間違いなし。
(本誌編集部: 長野雅俊、イラスト: 近藤陽子、写真: 小暮恭大)

Ha-Ha Road

笑ってる場合じゃないよ Ha-Ha Road SE18

何とも豪快な笑い声の響きを彷彿とさせる「Ha-Ha」は、実は英語で「隠し垣」という、あまり聞き慣れない代物を指す言葉。牧場などでは通常、家畜を囲い込むために木を植えて生垣を作るが、景観を崩すなどの理由で、植木を嫌がる向きもある。そこで見通しを妨げないようにと下部に溝を掘ることで作った垣根が、「隠し垣」つまり「Ha-Ha」。ロンドン南東部にある「Woolwich Common」という広場の北端の輪郭をなぞるように作られた隠し垣に沿った道だから、「Ha-Ha Road」と名付けられたというわけ。その隠し垣は、今でもしっかりと残されている。

Ha-Ha Road
Woolwich Common北端にある「Ha-Ha」

訛ったせいで腐っちゃった Rotten Row SW1

Rotten Row SE1「腐った小道」と訳すことのできる「Rotten Row」は、ロンドン中心部にある巨大な王立公園ハイド・パークの中にある。Hyde Park Corner駅を出てすぐに見える、公園内の各所に敷かれた乗馬用の土道の一つがそれ。

17世紀のイングランド王ウィリアム3世が、セント・ジェームズ宮殿とケンジントン宮殿の間を行き来しやすいようにと造らせたもので、かつてこの場所は英国貴族の社交場として栄えたという。そこで当時の王族たちが流暢に操ったフランス語で「王の道」を意味する「Route de Roi」と名付けたところ、ときを経るとともに英語風に訛り、「腐った小道」になってしまった。

Rotten Row
左)ハイド・パーク内にある「Rotten Row」 右)19世紀後半の様子を写した写真

お湯が出なくなったの? Coldbath Square EC1

お湯が出なくなったの?

ロンドン中心部を通る、Gray's Inn Roadという大通りの近くにある場所の名前。まさしくその名が示す通り、この場所にはかつて公衆の水風呂が存在していたことから付けられた。

17世紀後半にこの地で発見された湧き水が、神経系の病気の治療に効くとの評判を呼んだことで、この界隈はいわゆる湯治スポットとして知られるようになる。入浴料2シリング(10ペンスに相当)で、毎日早朝5時から午後1時の間に利用できる公衆浴場として営業されていたのだという。浴場が廃業してからは、この敷地に刑務所が置かれていた。今は郵便局の仕分所になっている。

Coldbath Square
通りから覗く郵便局の仕分所

夜中には通りたくない Bleeding Heart Yard EC1

ブリーディング・ハート直訳すると「心臓が血を流している庭」になる、何とも恐ろしい通りが、「Bleeding Heart Yard」。ホラー映画もびっくりのこのおぞましい名前が付けられた経緯については諸説ある。一つは、17世紀前半にこの地区で起こったある貴族女性の殺人事件が関連しているというもの。

手足を切り刻まれた揚げ句に、動いたままの心臓が放置されていたとか。さらには、カトリック教会から独立して英国国教会が立ち上げられた宗教改革の際に近くのパブに掲げられた絵が発端という説も。そこには、カトリックの象徴である聖母マリアの心臓に5つの剣が刺された絵が描かれていたという。

Bleeding Heart Yard
左下)19世紀後半当時の「Bleeding Heart Yard」 右)現在では、敷地内に「Bleeding Heart」という名のレストランが

この辺りは治安が良いはず Amen Court EC4

この辺りは治安が良いはず英国王室メンバーの結婚式や葬儀の式場になることの多いセント・ポール大聖堂の近くにあるのが「Amen Court」。中世においては、祭礼などの際に教会へと向かう行列が、「アーメン」と言って祈りを捧げた場所だという。

カトリック教会からの独立後に英国国教会が初めて建てた大聖堂であるセント・ポール大聖堂は、ロンドン市民たちにとっては当時から街を象徴する存在だった。「Ave Maria Lane」「Bishops Court」「St Paul's Church Yard」といった通り名が周囲に多数あるのも頷ける。ちなみに、劣悪な環境で悪名高いニューゲート監獄がこの通りのすぐ近くに置かれていた。

Amen Court
左、中央)近辺では、セント・ポール大聖堂に関連した通り名を見かける 右)Amen Courtから見えるセント・ポール大聖堂の眺め

駄洒落なのでしょうか Bear Gardens SE1

駄洒落なのでしょうかテムズ河の南岸でシェイクスピア劇を演じるグローブ座近くにあるのが「Bear Gardens」。夏になると屋外でビールを提供する「ビア・ガーデン」と、ちょっと響きが似ている。

「Bear」とはもちろん、熊のこと。17世紀のイングランドでは、日本語で「闘熊」と訳される「Bear-Baiting」という遊びが流行していた。スペインなどでは今も闘牛の文化が残っているが、いわばその熊バージョン。観客が見守る中で、犬と熊の殺し合いが行われていたという。ヘンリー8世やエリザベス1世も闘熊の大ファンであったとか。その舞台となった「Bear Gardens」が、この場所にあったというわけ。

Bear Gardens
17世紀のイングランドで流行した闘熊

決戦の金曜日 Friday Street EC4

決戦の金曜日毎週金曜日に魚市場が開かれていたからという理由で、「Friday Street」と名付けられたというこの通り。カトリック教会においては、イエス・キリストが受難を受けたという聖金曜日に鳥獣の肉を食べてはいけないという戒律がある。そこで英国のカトリック信者たちは、聖金曜日を迎えると、代わって魚を買いにこぞって出掛けたものだった。この習慣を反映してか、英国内には金曜日に魚市場が開かれる場所が数多いという。「Friday Street」と名付けられた通りは、ロンドン郊外サリー州、イングランド東部サフォーク州、同南部のサセックス州にもある。

Friday Street

早歩きしてくださいQuick Street N1

早歩きしてください速足で歩かなければいけない通りなのかな、と思わせる通り名。実は、ジョン・クイック(John Quick)という名の喜劇役者の名前から取られている。産業革命の真っ只中にあった英国を統治し、アメリカ独立戦争に敗れた英国王として知られるジョージ3世の大のお気に入りだったというクイック氏は、18~19世紀にかけて主にロンドンのコベント・ガーデンの劇場に登場する舞台俳優として人気を博した。引退後は、イズリントン地区に構えた家で老後を静かに過ごしたという。近所のパブにもよく顔を出したという彼は、同地区の名士として地元民に記憶されている。

Quick Street
周囲は閑静な住宅街となっている

7つじゃなくて本当は6つ

7つじゃなくて本当は6つSeven Dials WC2

ロンドン中心部コベント・ガーデンの裏手に、「Seven Dials」と呼ばれる交差点がある。「Dials」とは日時計のことで、つまるところ「7つの日時計」。さて、何を意味するのか。実はこの交差点の真ん中に記念柱が立っていて、その上部には日時計が取り付けられている。ところが数えてみると日時計の個数は6つしかなく、謎は深まるばかり。種明かしをすると、当初はこの交差点は6本道に分かれるはずだったのが、後に道の数は7本へと変更された。合わせて道の名前も「Seven Dials」になったが、どうやら記念柱の日時計の数だけは変更がきかなかったということらしい。

Seven Dials, WC2
Seven Dials の中央に置かれた補修工事中の記念柱

怪我人たちが集う場所Recovery Street SW17

怪我人たちが集う場所ロンドン南部ワンズワース地区のトゥーティングにある通り。同地区のカウンシルの広報課にその名前の由来を問い合わせても、「さっぱり分からない」との答えが返ってくるのみ。誰がいつどんな理由で付けたのか分からない、そんな地名もある。

Recovery Street

ロンドンにあるそのほかの主な通り名の由来

Black Prince Road SE1

エドワード3世が息子のエドワード黒太子(Black Prince)に贈与した荘園があった

Cloth Fair EC1

中世にバザーが開かれた場所

Chancery Lane EC1

かつて政府の高官たちの住宅が並んでいたことから「Chancellor's Lane」と呼ばれていた通り名が基になっている

Half Moon Street W1

近隣にあった宿屋の名前から取られた

Hanway Street W1

当初は女性のみが使用していた傘を男性としては初めて差したと言われるジョーナス・ハンウェイ氏が在住していた

Holland Street SE1

同地区でエリザベス・ホーランドという名の女性が高級売春宿を経営していた

King’s Cross N1

駅前の交差点(Cross)にジョージ4世(King)の像が建てられていた

Oxford Street W1

イングランド中部オックスフォードへと続く道

Piccadilly W1

近所の仕立て屋で「Piccdil」と呼ばれるネッカチーフが作られていた

Romilly Street W1

軽犯罪に対する死刑の適用への反対運動を展開した弁護士サミュエル・ロミリーが生まれ育った

 

大人のためのカクテル・ラウンジへ in ロンドン

格別なときを約束する 大人のためのカクテル・ラウンジへ

英国と言えばパブ。週末、いつものパブで仲間とワイワイ飲んで騒げば、日頃の鬱憤(うっぷん)もあっという間に飛んでいってしまう。けれどもたまにはしっとりと、カクテル片手に洒落た時間を過ごしてみたい。今回はそんな願いを叶えるため、格別なときを約束してくれるカクテル・ラウンジを、厳選してご紹介。 友人と、恋人と、あるいは一人で。こだわりのカクテルが注がれたグラスを、ゆったり傾けてみるのはいかが?

Bourne & Hollingsworth
ティー・ブレイクならぬカクテル・ブレイクを

Bourne & Hollingsworth

オックスフォード・ストリートを挟んだソーホー地区の北、バーやレストランで栄えるノーホー地区にあるこちらは、同業者も立ち寄る、カクテル好きには名の知れたイングリッシュ・バー。小ぢんまりとした部屋に花柄の壁紙、テーブルは白いクロスと花で飾られ、ぱっと見はさながらティー・ハウスだ。メニューを覗くと、「ティー・タイム・カクテル」なる項目が。中から「ガーデナーズ・ティー・ブレイク」というカクテルを頼んでみると、可愛らしいティー・カップに入ったカクテルに、なんと一口サイズのサンドイッチまで付いてきた。ジンをベースに、キュウリ、レモンの果肉、グリーン・ティー・Gardener's Tea Break £7シロップがミックスされ、仕上げにフレッシュ・ミントが飾られた、すっきりとした一品。確かに、庭仕事の合間のリフレッシュに最適だ。時折、手作りのお菓子もバーに並ぶのだとか。週末にはDJが入り多くの客で込み合うので、このバーの良さをじっくり楽しむのなら、平日または週末の早い時間に訪れるのがお勧めだ。

住所 28 Rathbone Place W1T 1JF MAP
TEL 020 7636 8228
営業時間 月〜水 17:00-0:30 木〜土 17:00-1:00 日休
アクセス Tottenham Court Road/Goodge Street駅から徒歩5分
ウェブサイト www.bourneandhollingsworth.com

取材: Azusa Ogawa

Artesian
ラムで世界旅行を楽しめる贅沢な空間

Artesian

中国風のモチーフを施したチッペンデール様式のインテリアに、ライラックのアクセント・カラーが効いた「ザ・ランガム・ホテル」併設のバー、「アーティザン」。世界中の銘柄を集めた約50種のラムをベースに使ったカクテルが人気だ。アイコニックな一杯を選ぶとすれば、やはりバーの名前を冠した「アーティザン・パンチ」だろう。2種類のダーク・ラムと、リンゴの蒸留酒カルバドス、洋梨のブランデー、そして搾り立てのパイナArtesian Punch £16ップル・ジュースをステアした、香りの良い、さわやかなカクテルだ。仕上げにライムの上に載せた角砂糖に火を点けると、青い炎に包まれた甘いライム・ジュースがゆっくりとグラスの中へと落ちていき、一段と洗練された味を楽しむことができる。メニューにはフレーバー・マップなるものが添付されており、軽いものからリッチなもの、またフルーティーからフル・ボディまで細かく分布されている。カクテル初心者にも、気分に合った一杯を選んでもらおうという気配りだ。

住所 The Langham London
1c Portland Place, Regent Street W1B 1JA MAP
TEL 020 7636 1000
営業時間 月〜金 16:00-0:00 土・日 12:00-0:00
アクセス Oxford Circus駅から徒歩3分
ウェブサイト www.artesian-bar.co.uk

取材: Sayaka Hirakawa

Hawksmoor Seven Dials
ツボを押さえたプレゼンテーションに感激

Hawksmoor Seven Dials

元々は醸造所だった建物を改装して作られた「ホークスモア」は、高級なステーキ・ハウスであると同時に、歴史のあるクラシック・カクテルを揃えるバーとして人気を誇る。ダーク・ウッドを用いた落ち着いた店内は、科学研究所で使われていたハイ・スツールや、ロンドン地下鉄駅構内で使用されていたタイルで個性的に味付けされている。ビジュアルを楽しむことへのこだわりは、カクテルにも共通する。「マンハッタン」をオーダーしてみると、アンティーク・シルバーのトレイの上に、古ぼけた紅茶の缶でクーラーしたカクテル、オレンジ・ピール、砂糖漬けのチェリーと、思わず歓声を上げてしまいそうな一式が登場。自分の好Bottle of Manhattan (For 2) £16み通りにカクテルを完成させる楽しさがあり、さらに独特の重量感で手になじむクリスタル・カット・グラスなどの小物が、ラグジュアリーな気分を盛り上げる。フードのオーダーが必須ではあるが、意外にも、バーガーとバーボンの組み合わせが人気なのだそう。

住所 11 Langley Street WC2H 9JG MAP
TEL 020 7856 2154
営業時間 Lunch 月〜土 12:00-15:00 日 12:00-16:30 
Dinner 月〜土 17:00-22:30
アクセス Covent Garden駅から徒歩3分
ウェブサイト www.thehawksmoor.co.uk

取材: Sayaka Hirakawa

Lounge Bohemia
粋な大人の夜遊びに

Lounge Bohemia

英シェフ、ヘストン・ブルーメンタールの活躍で、ここ数年、にわかに注目され始めた「分子料理法」。料理の質感や風味を科学的に捉え、自由に再構築することで、従来の見た目と味の組み合わせを根底から覆すのをその神髄とする。そんな遊び心にあふれる品を、洒落た空間でカクテルとして楽しめるのが、夜遊びのメッカ、ショーディッチに位置する「ボヘミア」だ。9割がオリジナルというカクテルの中でも特に人気なのは、キューバをイメージした「オールド・カストロ」。グラスにふわりと浮かんだ綿菓子に、葉巻の香りを浸透させたラムを注ぎ、シナモン・スティックでスOld Castro £14テアする。まろやかな甘みにスパイスと葉巻の風味が絡み合う、大人のための逸品の完成だ。メニューのユニークさもさることながら、その媚びないスタンスにも注目したい。電話予約必須/スーツ着用不可/10人以上のグループお断り。すべては、訪れた客に心ゆくまでくつろいでもらいたいからこそのこだわり。いつもと違う、粋な夜遊びに、ぜひ。

住所 1E Great Eastern Street EC2A 3EJ MAP
TEL 07720 707 000(完全予約制)
営業時間 月〜土 18:00-0:00 日 18:00-23:00
アクセス Shoreditch High Street駅から徒歩3分
ウェブサイト www.loungebohemia.com

取材: Shoko Rudquist

Mark’s Bar at HIX
ナイト・シーンを牽引する伝説のバーテンダーここに

Mark's Bar at HIX

1990年代初頭より、ロンドンのクラブやバーで活躍した伝説のバーテンダー、ニック・ストレンジウェイがコンサルタントを務める「マークス・バー・アット・ヒックス」。「このバーのカクテルは、(併設された)ヒックス・レストランのフードと同じテーマ。英国の味を大切にすること。そして季節の味をふんだんに取り入れること」とは、ストレンジウェイ氏の言葉。今の季節なら、ルバーブのホームメイド・シロップを使ったカクテルを勧めてくれる。「ベルガマイスター」は、今なお、ロンドンで蒸留される「ビフィータ・ジン」がベース。ベルガモット・レモンのシャープなBergameister £9.75(左)Freddy Parker Bowles£11.50(右)香りを、十分にシェイクされた卵白が程よく和らげる。隠し味はもちろんルバーブだ。クラシカルな絨毯とモダンな家具、そこにさりげなく置かれたダミアン・ハーストやサラ・ルーカスなど、著名なアーティストたちの作品。ソーホーらしい、一分の隙もないスタイリッシュで豪奢な空間は、背伸びをしてでも一度は訪れてみたい。

住所 66-70 Brewer Street W1F 9UP MAP
TEL 020 7292 3518
営業時間 月〜土 12:00-1:00 日 12:00-22:30
アクセス Piccadilly Circus駅から徒歩3分
ウェブサイト www.marksbar.co.uk

取材: Sayaka Hirakawa

Barts
隠れバーでティー・セットを囲んで

Barts

所は、とある集合住宅。バーの看板や表札は見当たらず、ポーターに尋ねると、奥の黒い扉だと教えられる。扉を開けるとスイッチが。恐る恐る押せば、中の人が小さな隙間から訪問者を確認、そして、バーの扉がやっと開かれる──。実はここ、禁酒令が発令された1920年代米国の、「隠れバー」を再現していたのだ。中へ入ればもう安心、ハンチング帽にサスペンダーといった当時のニューヨークの労働者コスチュームを纏ったスタッフが、陽気に対応してくれる。それほど広くはないアットホームな空間に、モナリザの絵やチャップリンの写真、ナンバー・プレートなど、ありとあらゆるPurple Prohibition–Tea pot £45物が飾られ、そばに置かれた箱には、誰でも自由に試着できるファンシー・ドレスがいっぱいに詰まっている。お勧めドリンクを頼むと、出てきたのは大きなティー・ポットにカップ & ソーサー。ポットから注がれるのは、ウォッカ・ベースのオリジナル・カクテルだ。ユニークなバーで、秘密の時間を楽しもう。

住所 Chelsea Cloisters, Sloane Avenue SW3 3DWMAP
TEL 020 7581 3355
営業時間 月〜木 18:00-0:30 金・土 18:00-1:30 日 18:00-23:00
アクセス South Kensington/Slone Square駅から徒歩10分
ウェブサイト www.barts-london.com

取材: Azusa Ogawa

The Connaught Bar
特別な夜は最高級を味わう

The Connaught Bar

瀟洒なメイフェア地区の一角にそびえる、優雅な5ツ星ホテル「ザ・コンノート」。かつてはドレス・コードがあり、女性のズボンでの入館は禁止されていたという(現在はスマート・カジュアルであればジーンズの着用もOK)。2008年にリニューアルしたバーは、レザーのシートに大理石の床、シルバー使いのインテリアで、高級感あふれる空間。ヘッド・バーテンダーのアゴスティーノ氏は、「世界チャンピオン」の称号を持つバー・マンだ。「ザ・コンノート・バー」は彼を獲得するために、数年間アプローチをかけたのだとか。こちらのスペシャルはマThe Connaught Martini £17ティーニ。マティーニ専用のトロリーが客席を回り、リクエストに合わせて調合してくれる。ベースとなるお酒と、風味を付けるビターとの組み合わせで、何種類ものオリジナル・マティーニができあがるという。ビターは自家製、氷は通常の10分の1の速さでゆっくりと溶ける特殊なものを使用している。特別な夜に、最高級の時間を過ごしてみたい。

住所 Carlos Place, Mayfair W1K 2AL MAP
TEL 020 7314 3419
営業時間 月〜土 16:00-1:00 日休
アクセス Green Park/Bond Street駅から徒歩8分
ウェブサイト www.the-connaught.co.uk

取材: Azusa Ogawa

Purl
地下室でプライベートなひとときを

Purl

賑やかなマリルボーン・ハイ・ストリートから脇道に逸れ、地階に下りてバーの入り口を開けると、古びた地下室が現れる。ピアノやアンティーク小物が飾られ、ろうそくの灯が揺れるひっそりとした空間だ。さらに進んでお店の地下に下りると、洞窟のような穴に、独立したテーブル席。どこに座ってもプライバシーを保てるように配慮されている。立ち飲み禁止で、席が空いていなければ入店できない、というルールがあるので、混み過ぎることなく、いつでもゆったりとした空気が保てる。こちらのオリジナル・カクテルがとてもユニークで、例えば「ハイド氏のボロ家」という名Mr. Hyde's Fixer Upper £10のラム&コークも、ただのラム&コークとは大違い。「ロンサカパ23」という種のラムに、自家製のコーラ、そこにオレンジ・ビターが加わって、深い味わいのカクテルであるのはもちろんのこと、なんとガラスのフラスコに入り、もくもくとあふれ出すドライアイスの煙とともに頂くという洒落た演出付きだ。日曜にはジャズ・ピアノの生演奏も。

住所 50-54 Blandford Street, Marylebone, W1U 7HX MAP
TEL 020 7935 0835
営業時間 月〜木 17:00-23:30 金・土 17:00-0:00 日 17:00-22:30
アクセス Bond Street駅から徒歩8分
ウェブサイト www.purl-london.com

取材: Azusa Ogawa

Lonsdale
親密な時間の流れる、大人のための隠れ家

Lonsdale

お洒落なショップの立ち並ぶ、ウエストボーン・グローブの裏道にひっそりとあるバー。知る人ぞ知る、隠れ家的な存在だ。「カクテルは、結婚に似てハーモニーが大切。バランスが取れていて、お互いの良さが引き出される関係であるべき」とオーナー。その自慢のカクテル・リストは、1831年から続くレシピで作られる「クラシック・パンチ」や、英国で名の知れたバーテンダーであり、かつてはこのバーで働いていたというディック・ブラッドセル氏が考案したオリジナル・カクテルなど、新旧の味を揃えている。「金色の夜明け」という名前Summer Gin Punch £7(左)The Golden Dawn £7.50(右)の美しいカクテルは、リンゴの蒸留酒カルバドスとアプリコット・ブランデーのほどよい甘さが女性に好評。ビーカーにフレッシュ・フルーツを次々と搾り、ビフィータ・ジンやソーダとステアする「サマー・ジン・パンチ」は、ドライ・ジンとさわやかなフルーツの爽快感が絶妙で、季節を問わず人気がある。ゆったりとしたロマンティックな店内で、恋人たちの時間を過ごすのはいかが。

*このお店は閉店しました

住所 48 Lonsdale Road, Notting Hill W11 2DE MAP
TEL 020 7727 4080
営業時間 火〜木 18:00-0:00 金・土 18:00-1:00 日・月休
アクセス Ladbroke Grove駅から徒歩10分
ウェブサイト www.thelonsdale.co.uk

取材: Sayaka Hirakawa

 

ロンドン・オペラ・デビュー 木下美穂子/田村麻子インタビュー

木下美穂子/田村麻子インタビュー 2人の蝶々夫人がロンドン・オペラ・デビュー

蝶たちは歌という羽で海を渡り、ロンドンに舞う
── ロンドンのロイヤル・アルバート・ホールにて、
今月24日より英語版「マダム・バタフライ」の上演が始まる。
タイトル・ロールに抜擢された、米国を拠点に活動する
2人の日本人オペラ歌手が、稽古の合間を縫って
インタビューに応じてくれた。
(取材・文: 木暮 恭大)
マダム・バタフライ

マダム・バタフライ(蝶々夫人)

2010年2月24日(木)~3月13日(日)
料金 £21.50~65.00


Royal Albert Hall
Kensington Gore London SW7 2AP
TEL: 0845 401 5045(Box Office)
最寄駅: South Kensington駅
www.royalalberthall.com

※タイトル・ロールはトリプル・キャスト

あらすじ
「椿姫」「カルメン」と並び、世界三大オペラの一つにも数えられる「マダム・バタフライ」は、プッチーニ(伊)作曲のオペラ。舞台は明治時代の長崎。米国海軍士官ピンカートンは現地妻として、没落藩士の娘で芸者の蝶々さんを娶る。純真な15歳の少女はこの結婚を永遠のものと信じ、心から喜ぶが、それも長くは続かず、夫は彼女を置いて本国へ帰ってしまう。周囲は彼のことを忘れるよう諭したが、蝶々さんは2人の間に生まれた子供を抱え、夫の帰りを疑おうとしない。しかし、彼はそんな彼女を尻目に本国で新たな幸せを手にしていた。そして3年の月日が流れ……。

ロイヤル・アルバート・ホール
Royal Albert Hall

ビクトリア時代に建てられた、ロンドン中心部に位置する円形の演劇場。1871年3月29日の開場以来、コンサートを始めとする様々なイベントが行われる多目的ホールとして使用されている。毎年夏に開催される、世界最大規模のクラシック音楽祭BBCプロムナード・コンサート(プロムス)の会場でもある。


木下美穂子インタビュー


鹿児島県出身。大分県立芸術短期大学卒業。武蔵野音楽大学卒業。同大学院修了。2001年に日本三大声楽コンクールすべてを一年で制する快挙を成し遂げ、その後、国内外に活躍の場を広げている。世界中で「マダム・バタフライ」のタイトル・ロールを演じる度に高い評価を受け、「蝶々夫人」が彼女の代名詞にもなっている。現在、米ニューヨーク在住。

略歴
2001年 第70回日本音楽コンクール声楽部門第1位
第37回日伊声楽コンコルソ第1位
第32回イタリア声楽コンコルソ第1位
2002年 イタリア・サンタマルゲリータ・オペラ・フェスティバル「蝶々夫人」でヨーロッパ・デビュー
2007年 リチーア・アルバネーゼ・プッチーニ国際声楽コンクールで第1位
ベルディ「レクイエム」にて、米国デビュー
2008年 ウィグモア・ホールで行われたショルティ没10周年メモリアル・コンサートでロンドン・デビュー
ボルティモア・オペラで米国オペラ・デビュー
ミシガン・デトロイト・オペラ「蝶々夫人」出演
2010年 バンクーバー・オペラ「蝶々夫人」でカナダ・デビュー

オペラを始められたきっかけは?

最初は憧れのようなものでした。幼い頃、華やかな歌のコンサートを聴いて、私もこんな風になれたらと。本格的に声楽を習い始めたのは15、6歳のとき。プロのオペラ歌手になろうと決心したのは、大分の芸術短大から、武蔵野音大の第3学年に編入し、上京した頃ですね。大学のオペラを観るのはもちろんのこと、地方にいた頃はCDでしか聴けなかったようなオペラやコンサートが、東京文化会館などでやっていて、生で観られるわけです。あの空気に触れた瞬間に、なれるとか、なれないとかそういうのは別として、絶対オペラ歌手になりたい!と思いました。それからはオペラ一筋で、他の道を考えることはなかったですね。

海外でご活躍されるきっかけとなったのは?

学生の頃から既に海外で歌いたいと思っていました。日本ではオペラ歌手というのは、学校の先生をやりながらオペラを歌うといった形が一般的で、なかなかオペラだけに集中するという環境が整わないため、職業として成立しにくいという現実があります。つまり、オペラ歌手になるためには、必然的に海外に出るしかないので、常に目は外に向いていました。国内で賞を受賞し、奨学金を頂いて、イタリアのローマに留学したのが、海外に出るきっかけになりましたね。

木下さんは蝶々夫人がご自身の代名詞となっているほどに、これまで世界中でこの作品を演じられ、素晴らしい評価を受けていらっしゃいますが、木下さんからみてどのような作品ですか?

海外でのオペラ・デビューもイタリアなのですが、そのときに歌ったのがこの蝶々さんで、それからも何度も歌ってきているので思い入れは強いですね。

この作品の一番の魅力は音楽そのものにあり、ソロもアンサンブルも本当にどこを取っても美しいのです。一方で蝶々さんというのは、イタリア・オペラの中でも1、2を争うほど危険な役でもあります。観てもらえば分かると思うのですが、2時間ほとんど歌いっぱなしで、舞台に上がったら終幕まで降りることができません。

また、日本が舞台になっていることもあり、歌うときには責任感も感じています。やはり日本人として、あまりにも違和感を覚えるような所作があってはならないですから。とはいえ、あくまでイタリア・オペラですから、ある意味では欧米的な感覚も持ち合わせていないと、このオペラに合致したキャラクターは演じられず、そういう意味でも神経を使いますね。

通常イタリア語で歌う「マダム・バタフライ」を英語で行う点についてはどう思われますか?

もともとイタリア・オペラが専門である私にとって初めての英語のオペラなので、稽古は人一倍苦労しています。また英語で演じるとはいえ、音楽はプッチーニが書いたもので、もともとイタリア語を想定して作曲されていますから、それを英語で書き換えること自体、並大抵のことではなかったでしょうが、アマンダ・ホールデンという素晴らしい翻訳家によって違和感のない仕上がりになっています。

既に、アルバート・ホールと同様の舞台装置で練習されているということですが、今回の舞台の特徴について教えてください。

アルバート・ホールは円形状で、客席が舞台を取り囲むような配置になっています。つまり360度、あらゆる位置からお客さんに観られていることになります。これは斬新な試みですね。プロデューサーのデービッド・フリーマンも舞台に合わせた演技指導を行っています。正直なところ練習が始まったばかりの頃はデービッドが何を求めているのか分からなかったのですが、2週目に入ってようやく、それがつかめるようになりました。そもそも、我々オペラ歌手というのは、一方向に対して演技することに慣れ過ぎているのですが、彼が求めるのは、より映画的な、つまり舞台だからとかではなく、リアルに人がとり得るリアクション。これが、なかなか難しいのですが、音楽と噛み合えば、素晴らしいものになると確信しています。

このオペラの中で一番好きなシーンは?

音楽的に好きなのは圧倒的に第3幕。あの緊張感が何とも言えないです。最後に自分の子供と別れるシーンで歌うアリア「かわいい坊や」は、まさにここが歌いたかったの! といった感じ。

演技の面では、第2幕の駐日領事シャープレスとの食い違ったやりとりをする場面ですね。天真爛漫でチャーミングな彼女の性格をめいっぱい表現できて、演じていて一番幸せ。この場面を書いてくれたプッチーニに感謝したいです。

オペラ「蝶々夫人」

 

田村麻子インタビュー


京都府出身。国立音楽大学声楽科卒業。東京藝術大学大学院修士課程オペラコース修了。ニューヨーク・マネス音楽院首席卒業。英国の批評家、グレアム・ケイから「輝く宝石」の声と評された国際的ソプラノ歌手。ルーマニア国立歌劇場でドゼニッティ作曲「ランメルモールのルチア」のタイトル・ロールを務め、ヨーロッパ・デビュー、その後も各地で同役を演じた。「蝶々夫人」のロール・デビューとなったウルグアイでは、同公演が国内で放映され、大成功を収める。日本国内でも、朝日新聞主催のリサイタル・シリーズ「田村麻子が歌う愛のテーマ」では、8回の公演がすべて完売するなど、話題を呼んでいる。ニューヨーク在住。

略歴
1997年 ドミンゴ主催「オペラリア」国際コンクールに最年少で入選
2001年 コネチカット・オペラ・ギルド・コンペティション優勝
2002年 FIFAワールド・カップ決勝戦前夜祭「三大テノール・コンサート」にてドミンゴ、故パバロッティ、カレーラスと共演
2003年 ジュゼッペ・ディ・ステファノ国際コンクール優勝 ハンガリー国立歌劇場「ランメルモールのルチア」にて、ラモン・バルガスと共演
2004年 イタリア、カリアリ歌劇場において「ランメルモールのルチア」にて、マリエッラ・デビーアとダブルでタイトル・ロールを務める
2005年 ファースト・アルバム「Asako Tamura sings Opera Arias」をリリース
2006年 フロリダ、サラソタ・オペラ「群盗」アマーリア役 テキサス、エルパソ・オペラ「椿姫」ビオレッタ役
2007年 カーネギー・ホール及びリンカーン・センターにてデビュー
2008年 ウルグアイ、ソリス歌劇場「マダム・バタフライ」蝶々夫人役

オペラを始められたきっかけは?

歌は幼い頃から好きでしたが、もともとは国際的なピアニストを目指していました。しかし、大学のピアノ科の試験を受けようとしたところ、私の手の大きさでは弾けないような課題曲が選ばれてしまって……。どうしても音楽の方に進みたかったので、周囲に才能があると言われてきた歌手としての道を選ぶことに。

当時は、ミュージカルとか楽しそうだな、音大に行くなら歌でもいいかな、なんて軽い気持ちで考えていたので、いざ歌のレッスンを本格的に始めたときに、これは思っていたより大変だと気づきました。そんな折に「ランメルモールのルチア」をテレビで観て大変感動し、オペラにのめりこんでいきました。それが直接のきっかけと言えるかもしれません。

ピアニストを目指しておられたのが、急に声楽家へと方向転換されて、戸惑ったりされたことは?

3 、4歳からピアノを始めて最初に叩き込まれたのが、楽譜に忠実にということと、作曲家に対するリスペクトの2つでした。例えば、バッハの楽譜を練習していると、ある部分に注釈が付いていて、「この箇所はオリジナルの楽譜の記号がシャープなのかナチュラルなのか判別できないため、半世紀以上、学者の間で議論が続けられている」とか書いてあったりして、半音違うだけで!と、幼い私は衝撃を受けたものです。そういうわけで、楽譜に書いてあること以外やらないというのは絶対でした。

一方、オペラの場合は、作曲家が歌手と一緒にオペラの稽古に立ち会って、歌手の様子を見ながらこの音はこうやって変えちゃおうと言いながら変更を加えたり、カデンツァ(見せ場)を勝手に歌手の方が変えてしまうなど、楽譜を変えることに対する抵抗が少ないんですよね。これは始め、私にとって全く信じられないようなことでした。

海外でご活躍されるきっかけとなったのは?

1997年に、世界三大テノールの一人、プラシド・ドミンゴさん主催の国際オペラ・コンクール「オペラリア」に最年少で入選した際に、ドミンゴさんが「麻子はまだ海外で勉強したことがないのかね?早く行きなさい」と言って下さったのです。私はそのとき、ロータリー財団の奨学生としてイタリアで勉強することが決まっていたのですが、ドミンゴさんの「米国に行きなさい。国際的な歌手になるのだったら、英語は絶対必要だし、米国は素晴らしい教育をしているから」というお言葉に従い、留学先を急遽米国に変更しました。マネス音楽院というニューヨークにある大学に入学しまして、それ以来、ずっとニューヨークを拠点に国際的に活動しています。

「マダム・バタフライ」を歌われるのは2008年のウルグアイのソリス歌劇場以来だそうですが、このオペラは田村さんにとってどのような作品ですか?

「マダム・バタフライ」の公演自体まだこれが2回目なんです。実は私がニューヨークで活動し始めた頃、バタフライを歌わないかと誘われたことがあったのですが、その当時は、プッチーニはヘビーな声の人を想定して曲を書いているのに、決してヘビーな声とは言えない私が歌うのは、作曲家に対する大冒涜(ぼうとく)だとさえ思い、即お断りしました。その後も何度もオファーはありましたが、私には、自分が日本人だからという安易な考えでオファーが来ているように思われ、歌の先生も、まだ早すぎるとおっしゃっていたので、ずっと歌わずにきていました。

ただ2008年のウルグアイのときは、先方がオーディションなども抜きで、ぜひ私に演じてくれとのことでしたし、私もそろそろ歌ってもいい頃かもしれないと思い、ついに挑戦しました。そして予想以上に歌えることに気がついたんです。大変でしたが、非常にやりがいのある役でした。

数々のオペラを演じてきましたが、役というものは、回数を重ねるほどにそれに対する解釈や共感が深まります。今回のバタフライはまだ私にとって2回目ですので、まだこの場面はこうあるべきといったキャラクター像が固まりきっていません。だからこそ、この役を演じること自体が新鮮で、私の蝶々さんのイメージとデービッド・フリーマンの提示する像とをブレンドさせつつ理解を深めるという過程を楽しんでいます。

このオペラの中で最も好きなシーンを教えてください。

第2幕ですね。花の二重唱と呼ばれる直前の箇所。3年間ずっと待っていたピンカートンの船の煙を海の向こうに見つけ、「愛する人がついに私のもとへ帰ってきた、やはり信じていてよかったんだ」と感激するシーンです。実際には彼女は勘違いをしていて、ピンカートンは彼女のために帰ってきたわけではないのですが、ここが劇中、彼女にとって一番幸せな瞬間なのです。音楽との相乗効果で、演じている私自身もうれしくなりますし、お客さんからも拍手が湧き上がりやすいシーンです。

オペラ「蝶々夫人」

 

響 HIBIKI: Resonances from Japan - キングス・プレイスがつなぐ東洋と西洋

HIBIKI: Resonances from Japan - キングス・プレイスがつなぐ東洋と西洋

3月3日(木)から5日(土)まで、キングス・プレイスで箏(こと)や笙(しょう)、津軽三味線といった日本の伝統的な和楽器が織り成す音楽をテーマにしたイベント、「響 HIBIKI: Resonances from Japan」が開催される。東洋と西洋、伝統と革新が共鳴する3日間。キングス・プレイスならではのユニークな音楽空間に、ゆったりと身を委ねてみよう。

Box Office: 020 7520 1490
www.kingsplace.co.uk

3月3日(木)
Pre-Concert Talk with Mayumi Miyata

ウラディーミル・アシュケナージ指揮チェコ・フィルハーモニー管弦楽団、小澤征爾指揮タングルウッド音楽センター管弦楽団といった著名オーケストラと共演するなど、世界的にも注目されている笙奏者、宮田まゆみが、古典と現代音楽の融合について語る。

Hall One 18:00 無料
(同日のコンサート・チケット購入者)

Shō: The Sound of Eternity

笙世界最古の楽器の一つとされる笙。日本の宮廷音楽、雅楽の中で脈々と受け継がれてきたこの楽器を世界に知らしめた第一人者、宮田まゆみ。ヨーロッパの前衛音楽シーンでも注目を集める宮田が、「ロンドン・シンフォニエッタ」とともに、伝統的な雅楽に加え、武満徹など著名な現代作曲家の作品を演奏する。

Hall One 19:30
£9.50~£29.50

3月4日(金)
Pre-Concert Talk with Shunsuke Kimura

笛、津軽三味線など様々な和楽器の奏者であるだけでなく、作曲及び編曲も手掛ける木村俊介によるプレ・コンサート・トーク。

St Pancras Room 18:00 無料
(同日のコンサート・チケット購入者)

Tsugaru-Shamisen: Sheer Wind from the North

津軽三味線

津軽三味線奏者、木村俊介と小野越郎のデュオは、北日本に伝わる神楽や祭礼の旋律を西洋のブルースのリズムと掛け合わせることで、前例のない準即興スタイルを見事に完成させている。これまでも国内外を問わず、多くの人々を魅了してきた、ダイナミックでありながら、非常に繊細なメロディーは必聴だ。

Hall One 19:30
£9.50~£29.50

3月5日(土)
Pre-Concert Talk: Music in Manga

演歌歌手や三味線奏者から、ロック・シンガー、クラシックの巨匠に至るまで、いかに日本の漫画がバラエティーに富んだ音楽的テーマをその題材として取り上げてきたかを、「500 Manga Heroes and Villains」などの著書を持つHelen McCarthyが語る。

St Pancras Room 17:00
£6.50
(同日19:30からHall Oneで開催の 「Tradition & Exploration」のコンサート・チケットと同時予約の場合は£4.50)

Foyer Performance ‘i.Ro.Ha’

津軽三味線、和太鼓、バイオリンに演歌スタイルのボーカルという一風変わった組み合わせで、日本の伝統的民族音楽に新たな地平を見出す音楽家集団「i.Ro.Ha」。ロンドンを拠点に活動する、才能あふれる若き音楽家たちによるパフォーマンス。

Foyer 18:15
無料

Tradition & Exploration:
The Koto of Michiyo Yagi’

最も革新的な箏奏者の一人と評され、伝統音楽はもちろん、ジャズやロックまで幅広いレパートリーを持つ八木美知依と、即興演奏で定評のある英サックス奏者、エバン・パーカーとの共演が実現した貴重なコンサート。

Hall One 19:30
£9.50~£29.50


*イベントの詳細は直前になって変更されることがありますので、お出掛け前に再度確認されることをお勧めします。

ピーター・ミリカン氏に聞く

 

複合施設キングス・プレイスCEO - ピーター・ミリカン

複合施設キングス・プレイスCEO - ピーター・ミリカン
ビジネスとアートの融合空間を創造する

ビジネスとアート、そして地域コミュニティーが出会う場所。
そんな空間をつくりたいと長年願ってきた一人の男性が
数年前、ロンドン中心部、キングス・クロス地域に、
ある建物を誕生させた。
当時、英国のクラシック音楽業界に新風を巻き起こす存在として
メディアを騒がせたその男性、ピーター・ミリカン氏に、
彼のつくり出した理想郷とでも呼ぶべき存在、
キングス・プレイスについて話を聞いた。

(本誌編集部: 村上 祥子)


Kings Place 波打つガラスの外壁
キングス・プレイス Kings Place
ロンドン中心部キングス・クロス地域に位置する、オフィス、コンサート・ホール、アート・ギャラリー、レストランなどを網羅した複合施設。2008年10月1日オープン。「ガーディアン」紙やネットワーク・レイル、グローバルIT企業のロジカなどの企業に加え、ロンドン・シンフォニエッタとエイジ・オブ・インライトゥンメント管弦楽団という2つのオーケストラが入居している。
90 York Way London N1 9AG
Tel: 020 7520 1490(Box Office)
www.kingsplace.co.uk
Peter Millican
Peter MIllican1949年生まれ。イングランド北東部ノーサンバーランド在住。同北西部リバプールで薬局を営む父親の下に生まれる。ダラム大学でビジネスを学んだ後、検眼士として働き始める。同北東部タインサイドでメガネ屋のチェーン店を展開。その後、店舗を売却して不動産開発業者となる。主に同北部、北東部でオフィス・ビルの開発を行っていたが、1999年、ロンドンのキングス・クロス地域の倉庫ビルを購入。2008年、同地にオフィスとアートの複合施設、キングス・プレイスをオープンさせた。

リージェンツ運河に面したガラス張りのレストラン。
スタンド・カラーのストライプ・シャツをカジュアルなズボンにきっちりと入れこんだ一人の男性が、目の前で微笑んでいる。
まるでハリー・ポッターのような真ん丸のメガネの奥には、
優しい光を湛えた双眸(そうぼう)。
外見で職業を判断するとしたら、
世俗にまみれたことのない学者、といったところか。
しかし現実の彼は、数年前、ロンドンのメディアを騒がせた
一人の実業家なのである

「すさまじい様相」の倉庫ビル

2008年10月、英国内の各メディアに、丸メガネを掛けたその男性の姿が踊った。彼の名前はピーター・ミリカン。ミリカン氏が注目された理由、それはロンドンでは1982年にバービカンがオープンして以来初となる、新たなコンサート・ホールを生み出した人物であることによる。

ロンドン中心部キングス・クロス。かつては治安の悪い売春街として知られたこの地域に、ミリカン氏はコンサート・ホールやアート・ギャラリー、オフィスなどが入った大型複合施設、キングス・プレイスを誕生させた。ガラス張りの近代的な建物、5日間で100のコンサートを開催するという華々しい幕開けとともに、メディアは彼の経歴にも注目した。不動産開発業者であるミリカン氏は、無類の音楽好きであるという以外、これまで仕事としては音楽と全く無縁の人生を送ってきたからだ。

「建築物を創造する人間として、私にはオフィスのテナントだけでなく、その建物の近隣のコミュニティーにとっても『良い建物』をつくるという目的がありました。多くのオフィス・ビルは閉ざされた、私的な空間となっています。だから私は、オフィスとアートが融合した空間をつくりたかったんです」。

それにしても、今でこそ再開発地域として注目されているキングス・クロスだが、さかのぼること10年以上前、ミリカン氏がこの不動産を購入した際には、まだ寂れた空気が漂っていたはずだ。なぜ、この地域にコンサート・ホールを建設しようと思い立ったのだろう。

「一番大きな理由は、駅の隣にあるということ。ビルというものは、交通網に近いところにあるべきだと思うのです。私がこの土地を購入したちょうどその頃、セントパンクラス駅がユーロスターの発着駅になることが決まりました。この駅が大規模な交通拠点になるのは確実だったんです。といっても、その頃はまだそんな感じではなかったですが(笑)。でもそうなると信じていました」。

1980年代に建設されたという「すさまじい様相」の倉庫ビルを購入した際には、「誰もこのまま建物を残したいと思う人はいなかった」から、新複合ビル建設に対しては、多くの地元住民からのサポートを得られたと言う。

ホール1
日本のコンサート・ホールを手本にしたというホール1

地下に広がる音楽の世界

国際高速列車、ユーロスターの発着駅として、いまや欧州大陸との掛け橋の役割を担うキングス・クロス駅。構内を出てすぐ、駅に沿うように伸びる大通りを真っすぐ行くと、古びたレンガ造りの建物の先に、異彩を放つ波打つガラス張りの建物が目に入る。一歩中に足を踏み入れれば、吹き抜けになった高い天井の明かりに照らされたロビーに、どっしりとしたソファと巨大なクッションが余裕をたっぷりもたせて配置され、上階部分にはオフィスが、地階部分にはアート・ギャラリーとコンサート・ホールが連なる。ロビーには、頭を突き合わせてラップトップを眺めているビジネスマンたちがいるかと思えば、その隣では譜面に鉛筆をさらさらと走らせる音楽家らしき男性の姿が見える。一言でこういう建物、と言い表すことの難しい、整然かつ混沌とした空気が、辺りを包む。

キングス・プレイスの設計を請け負ったのは、これまでロイヤル・オペラ・ハウスの改装やナショナル・ポートレート・ギャラリーの増築など、数々の芸術施設を手掛けてきた建築事務所、ディクソン・ジョーンズ。開放感に溢れる一方、きちんとした住み分けがなされているこの建物は、ミリカン氏の意向に則り、外壁に採光に優れ、熱利得を減らすことのできる波型ガラスを採用するなど、環境にも留意したつくりになっており、エネルギー消費量は通常のオフィス・ビルの2分の1ほどに抑えられているという。しかし、何と言っても目を引くのは、やはりコンサート・ホールだ。

地下に広がる音の世界。座席数420、壁の内装材にはドイツの樹齢500年のオークを使ったホール1と、座席数220、座席を取り払い330の立見席を設置することもできるホール2、特にホール1は、ミリカン氏が「宝石箱」と呼ぶ自慢の空間だ。厳しい景観規制が敷かれたここ、ロンドンでは、建築物に高さ制限が設けられている。しかしその一方で地下に掘り進める分には問題がない。「地下建築というのは、面白いコンセプトですよ。都市部でスペースをつくり出したいと思うのならば、上同様、下にも着目せざるを得ない。コンサート・ホールの場合には、自然光も必要ありませんから、地下にホールを設けるというのは理に適っていると言えます。脳に対し、地下にいると認識させないスペースをつくり出す方法は、いくらでもあるんです」。確かに、ホールが設置されている地下2階のロビー部分はさほど広くはないものの、大きな吹き抜け部分から差す明かりと、ゆとりを持って展示されたアート作品の数々が、その場にいる者に全く圧迫感を覚えさせない。

コンサート・ホール設計に当たり、多方面の人々に相談したミリカン氏は、建築家やエンジニアを引き連れ、日本へも赴いた。「コンサート・ホールをつくるなら、日本のホールを見ておくべきだ、と皆が口を揃えたからね」と言いつつ、こちらの驚く反応を見て、うれしそうに笑う。

日本では、自分たちが建設するホールの規模に合わせ、大きなホールは除外して、座席数が1000程度のホールを12カ所、見て周った。「日本のホールの多くは1980年代につくられているようだが、その理由は?」と尋ねてきたことからしても、当時、かなり詳しく日本のコンサート・ホール事情を調べたことが伺える(ちなみに調べてみたところ、実際に日本のコンサート・ホールの70%弱が80年代につくられている)。

明るいロビー
自然光がたっぷり差し込む明るいロビー

音楽監督なきコンサート・ホール

キングス・プレイスのコンサート・ホールは、その最新の音響設備に加え、プログラムのユニークさでも特異な存在感を放っている。通常、プログラムを決める上で大きな権限を持つ音楽監督が、いないのだ。ここでは、あえて音楽監督の座を設けず、毎週異なるキュレーターを招き、水曜日から土曜日までの4日間、統一テーマに基づいてプログラムを構築していく。そのほか、毎週月曜日にはコンテンポラリーとジャズ、金曜日にはフォーク、そして日曜日にはロンドン室内音楽ソサエティーによるコンサートが開かれる。

手元にあった1月から4月までのイベントを網羅した冊子をやおら繰り始めたミリカン氏は、「このモーツァルトのプログラムはね……」「彼女はすごいチェリストなんだ」など、一つひとつのイベントや演奏者について詳しく語り出した。それまでは自信に満ちた表情で冷静にインフラ設備の説明をしていたミリカン氏の顔が純粋な喜びに彩られ、その口調が熱を帯びる。クラシック音楽のみならず、ジャズやコンテンポラリーに至る様々なジャンルの音楽に対する造詣の深さを垣間見て、思わず、「自分ですべてを決めたくはならないのですか」という問いが口を出た。

「自分の仕事は、様々なキュレーターと会って、関係を構築すること。キュレーターを誰にするかは私が決めます。彼らと話し合うことはありますが、決定権を持つのはキュレーターたち。私は、彼らの判断を信頼しているのです」。そう言って間接的に否定の答えを返しつつ、「人は、自由を与えれば、熱心に取り組むようになる」と続けた。ミリカン氏にとって大切なこと、それは「音楽のレベルを高く保つこと」、そして「音楽において新しいアプローチを提示すること」。現在は、もちろん、週によって質にばらつきはあるものの、「多様性」を生み出すことには成功している、そう満足そうに話してくれた。

検眼士からホールのオーナーへ

「不動産開発業者がコンサート・ホールのオーナーに」̶̶ キングス・プレイスのオープン時には、その業界の壁を越えた動きにメディアの注目が集まったミリカン氏だが、実はそのキャリアのスタートは検眼士という、これまた全く毛色の異なる職業だった。検眼士から不動産開発業者、そしてコンサート・ホールのオーナーへ。なぜ、こうも業種の異なる職業を選んできたのか、疑問に思うところだが、ミリカン氏に言わせると、彼にとっては至って自然な流れだったらしい。

イングランド北西部リバプールで薬局を経営していた父の下に生まれたミリカン氏は、ビジネスの学位を取得後、同北東部タインサイドで検眼士として働き始める。その後、同地でメガネ店のチェーンを展開、その店舗を売却した後に不動産開発業者となった。

「小売に携わっているときに、不動産業と関わりを持つようになった。小売業者として、長年、不動産を学んでいたわけです。不動産は面白いな、と思いますよ。リスキーだし、ストレスも溜まる。でも無から何かを創造することができるのです。何もない場所に、自分の人生よりもはるかに長い年月、存在し続けることになる何かを生み出すことができるんですからね。もちろん、金銭面でも成功できればそれに越したことはないですが、知的好奇心を刺激する、非常に面白い業界だと思います」。

キングス・プレイスを建設するまでは、主にイングランド北部や同北東部で数々の不動産開発に取り組んできたというミリカン氏。やはり長年、人生の基盤としてきた同地方には、特別な愛着を感じているようだ。現在でも彼はノーサンバーランド州に家を構え、週2~3日だけロンドンのフラットを訪れるという生活を送っている。インタビュー当日、ミリカン氏は、朝に列車でニューカッスルからロンドンまで来て、夜にはスコットランドのグラスゴーへ向かうという多忙ぶりだった。「でもノーサンバーランドからは列車でたった3時間。おまけにここは、何と言っても駅のすぐそばですからね」そう言いながら、したり顔で笑ったミリカン氏は、密かに愛すべき故郷とキングス・プレイスを結び付ける、あることを実践している。ノーサンバーランドで経営している農場の牛肉とラム肉を、キングス・プレイスのレストランとカフェで提供しているのだ。ロビーにあるカフェ「Green & Fortune」には、確かに「Roast cut of beef or lamb from our farm in Northumberland」といったローカル色の強いメニューが並んでいる。不動産開発業者としてプロの視点で建築物を語る一面と、愛する音楽と故郷の味を自身の城に組み込んでしまう無邪気な一面。話しているうちに、朴訥とした笑みを浮かべるミリカン氏からは、様々な顔が見えてくる。

補助金に頼らない運営

最新設備を誇るコンサート・ホールと、バラエティー豊かなプログラム。音楽を語る上で、もう一つ、避けて通れないのが資金面だ。キングス・プレイスでは、この資金面でもユニークな方針を掲げている。英国において、芸術関連施設にとってはもはや前提条件とも言える国からの補助金を一切受け取っていないのである。収入源は、チケット販売と、会議やイベント用のホール・レンタル料。「ガーディアン」紙やナショナル・レイル、IT企業のロジカなど、上階に入居している企業のオフィス賃貸料が屋台骨を支えているのかと思いきや、こうした賃貸料はホール運営費には含まれないと言う。

「正直を言うと、まだ黒字にはなっていない状態。現在でも多少の持ち出しがあります。でもあと数年後には黒になると見込んでいます」。

なぜ、公的補助金を受け取らないのか。そう尋ねると、「もう芸術に多額の補助金が下りる時代は終わっていますからね」という端的な答えが返ってきた。確かに、ありとあらゆる業界が不況の影響を受ける今、芸術の置かれている状況は決して楽観できるものではない。「まあ、でも我々の場合はスタートの時点がそもそも不況の只中でしたからね。悪い状況しか知らないわけです。これをうまく切り抜けることができれば、後はうまくいくと思いますよ(笑)」。不況時というのは、ある意味、ビジネスを始めるのに良いタイミングだとミリカン氏は言う。「不況というのは、人を注意深くさせます。ビジネスの仕方にも、お金の使い方にも慎重にならざるを得なくなりますからね」。でも実際に不況をビジネス・チャンスと捉えられる人はそういないのでは……と言いかけると、「でもまあ、そう考えられる人は少ないでしょうね」と言って豪快に笑った。

今はまだ、潤沢な個人資産に頼らなければならない部分がある。しかし、地域に溶け込み、ビジネスと共存したこのキングス・プレイスのコンサート・ホールが、独立した資金体系を確立できたそのときには、この泰然自若とした実業家が、「新たな音楽のあるべき姿」を英国のクラシック音楽界に提示した人物として、その名を残すことになるのかもしれない。

「次の計画はありません」。
最後に次の目標を尋ねたところ、こんな意外な言葉が
ミリカン氏の口を突いて出た。
「こうした建物をつくるのには、
10年から15年ほどの年月を費やさねばなりません。
人生の中でも、かなりの時間です。
私は楽しみながらこのキングス・プレイスをつくり出しました。
もう恐らく、こうした建物をつくることはないでしょう」。
音楽を愛し、建築を愛する一人の実業家の
人生をかけた夢の結晶、
それがこのキングス・プレイスなのだ。

響 HIBIKI: Resonances from Japan

 

ロンドンのマニアックな博物館

英国人はコレクションがお好き
ロンドンのマニアックな博物館

ロンドンには、驚くほど多くの博物館が存在する。ロンドン在住者であれば、世界に名だたる大英博物館を始めとする主要な施設は、既に訪れたことがあるだろう。ただ騒がしい観光客が殺到するこうした場所では、本当の意味で博物館めぐりを楽しむことができないかもしれない。浮世の出来事をしばし忘れて、希少なコレクションの世界に没頭することこそ、博物館を訪れる最大の醍醐味なのだから。そこで今回は、マニア心をくすぐる博物館の数々を紹介。英国特有のどんよりしたお天気の日には、とっておきのお出掛け先となるはず。(本誌編集部: 長野雅俊)

秘密結社の秘密を一般公開?
フリーメイソン博物館

フリーメイソン博物館
フリーメイソン博物館
フリーメイソン博物館

映画や推理小説の世界などで、しばしば秘密結社として登場する「フリーメーソン」と、その秘密を一般公開する「博物館」。でも公開しちゃったら秘密じゃなくなるのでは……と、館名そのものの中に究極の二律背反を示す言葉が含まれているのが、「フリーメーソン博物館」だ。同館は、驚くなかれ、「グランド・ロッジ」と呼ばれる、いわばフリーメーソンの総本山の内部に置かれている。しかも入場料は無料。「中世の職人組合を起源とする友愛団体フリーメーソンの実態は、いまだ秘密のベールに隠されたまま」なんていうありきたりの言説なんか、木端微塵に打ち砕いてくれるのだ。おまけに館内のショップでは、フリーメーソンが扱う独特のシンボル・マークの関連グッズや会報誌を販売。さらにご丁寧なことには、フリーメーソン会員による無料ガイド・ツアーまで行われている。周辺のパブやレストランでは、会員バッジを付けた人々が飲み食いしている光景を頻繁に見られるなど、映画や小説の世界とは全く違った彼らの姿を知ることができる貴重な場所だ。

Freemasons'Hall
60 Great Queen Street London WC2B 5AZ
020 7395 9257
月〜土 10:00-17:00 
Covent Garden 駅
無料
www.freemasonry.london.museum

600個の時計が「カチカチ」しています
クロックメーカー博物館

クロックメーカー博物館
クロックメーカー博物館

平日に訪れたならば、恐らく、ほかに入館者なんていない。その閑散ぶりが、マニアな心を刺激する。あなた一人を取り囲むのは、大量の時計たち。静寂の中で耳をすませば、いくつもの時計が「カチカチ」と針を進める音が響いている……。ロンドンの金融街シティ地区に位置する、クロックメーカー博物館のことである。ほんの一部屋分しかスペースがない館内にある時計の数、実に600個以上。通称「おじいさんの時計」と呼ばれる大きなのっぽの古時計から、懐中、ぜんまい式、デジタル式まで種々の時計がずらりと並んでいる。歩を進める度にまた次の「カチカチ」が聞こえてくるので、軽度のノイローゼになってしまいそうなほど。ちなみに、かつて時計作りとは、王から許可を得た職能集団だけに許された営みだったという。中世に活躍したある職能集団が拠点を置いたことから、近代的なビルが立ち並ぶシティ地区に、この何ともアンティークな博物館ができてしまったとのこと。時計に関する文書だけを集めた図書館も併設されている。

The Clockmaker's Museum
www.clockmakers.org
*2015年にサイエンス・ミュージアムの2階に移転
Science Museum
Exhibition Road Kensington London SW7 2DD
10.00-18.00
South Kensington 駅
無料
http://www.sciencemuseum.org.uk

シャーロキアンにとってのワンダーランド
シャーロック・ホームズ博物館

シャーロック・ホームズ博物館
シャーロック・ホームズ博物館

俗にマニアと称する人間は、しばしば想像と現実との境目があいまいになってしまう。英国が世界に誇る探偵シャーロック・ホームズのファンを見よ。スコットランド生まれの作家コナン・ドイルが生み出した架空の人物との認識だけでは、マニアにはなれない。まるで実在していたかのように語ってこそ、シャーロキアンなのである。例えば、このシャーロック・ホームズ博物館は、ホームズが友人のワトソン医師とともに居を構えた家と同じである、ベイカー・ストリートの221bを住所とする。博物館が実際に位置しているのは239番地であるらしいのだが、そこを突くのは野暮というもの。小説に記されている通りに、同館の玄関前にある階段は17段となっているし、「ホームズ自筆」の日記帳まである。さらには、化学実験に明け暮れていたホームズが使用した器具の数々、トレードマークとなっている鹿撃帽も展示。物語の中に出てくる、本の中に仕込まれた銃や、塩漬けにされた人間の耳まで用意されている。シャーロキアンにとっての、魅惑のワンダーランドだ。

The Sherlock Holmes Museum
221b Baker Street London NW1 6XE
020 7224 3688
9:30-18:00
Baker Street 駅
£15(子供£10)
www.sherlock-holmes.co.uk

改築マニア垂涎のからくり屋敷
サー・ジョン・ソーン博物館

サー・ジョン・ソーン博物館
サー・ジョン・ソーン博物館

日本であれば、忍者の住み家といったところか。サー・ジョン・ソーン博物館とは、詰まるところ、からくり屋敷である。隠し扉に凸面鏡、太陽の光を変化させる色付けされた天窓。様々な仕掛けが施されているこの建物は、イングランド銀行オフィスの設計などを手掛けた英国の偉大な建築家、サー・ジョーン・ソーンの個人宅として利用されていた。ソーンは王立芸術学校の教授に就任してから、建築に関連したあらゆる資料の収集活動を始め、これを同校の生徒たちに余すところなく公開したという。何でも、彼と自身の2人の息子との関係が長らくギクシャクしていたというのがきっかけ。代わって愛情を注いだのが、彼の講義に通う若い学生たちだった。研究活動に役立ててもらおうと、ポンペイ遺跡から出土したブロンズ像や欧州各国のステンド・グラスといった超一流のコレクションを自宅に集めてしまったのだ。からくり仕掛けの数々も、建築に関する教育活動の一環というわけ。収集家たちにとっては、憧れの存在となっている家。

Sir John Soane's Museum
13 Lincoln's Inn Fields London WC2A 3BP
020 7405 2107
火〜土 10:00-17:00
Holborn 駅
無料
www.soane.org

まさにおもちゃの玉手箱
ポロックおもちゃ博物館

ポロックおもちゃ博物館
ポロックおもちゃ博物館

フィギュア人形、模型、ぬいぐるみ。何といっても、おもちゃ収集こそマニアになるための王道だ。ということで、古いおもちゃばかりを集めたのが、このポロックおもちゃ博物館。「ポロック」とは、19世紀後半のヨーロッパで流行していた「トイ・シアター」というおもちゃの生産を専門としていた印刷会社の経営者の名前。日本でいうところの立体紙芝居のようなこのトイ・シアターを買ってもらった当時の子供たちは、客席やオーケストラが外枠に描かれた小さな「劇場」の中で、針金が取り付けられた紙人形を操って遊んだ。同館は、このトイ・シアターのコレクションが充実しているのはもちろんのこと、それ以外でも世界中から様々な種類のおもちゃを集めている。モノポリー、パズル、ぬいぐるみ、鉄道模型、兵隊フィギュアが所狭しと並ぶ様は、まさにおもちゃの玉手箱。中には日本のゼンマイ式ミサイル・ロケットなんていう変わり種もある。薄汚れたパッケージに入れられたおもちゃを置いているところも、マニア心をくすぐる。

Pollock's Toy Museum
1 Scala Street London W1T 2HL
020 7636 3452
月〜土 10:00-17:00(日、バンクホリデーは休み)
Goodge Street 駅
£6(子供£3)
http://pollockstoys.com

世界中の鉄道マニアを引き付ける
ロンドン交通博物館

ポロックおもちゃ博物館
ポロックおもちゃ博物館

毎日の通勤における交通手段としてしか関心のない大部分の人々にとっては想像さえつかないかもしれないが、鉄道やバスといった乗り物は、マニアを熱くする。ロンドン中心部のコベント・ガーデンにある交通博物館は、乗り物を愛する子供たちと、童心を忘れない大人たちにとっての聖地。遅延、ストライキ、信号機故障と、確かに英国の交通機関は今や不満の種となっているかもしれない。ただ、かつての英国は、鉄道や地下鉄を世界に先駆けて開発した乗り物王国だった。ロンドン交通博物館が人気を集める理由は、乗り物の展示品の多くが、原寸大で復元されている、という点。大型馬車からトロリー・バス、ロンドン名物の2階建てバス、鉄道、そして世界初の地下鉄の車両の中に実際に座ってみることができるのだ。さらには、古い制服を着用した運転手や、顔に煤を付けながら地下鉄工事を行う人もいたりして、さながらテーマ・パークのよう。もちろん、館内ショップでは、鉄道模型やロンドン・バスのミニ・カーなどを販売している。

London Transport Museum
2 Covent Garden Piazza, London WC2E 7BB
020 7379 6344
日〜火 10:00-18:30 / 水・木・土 10:00-19:00 / 金 11:00-19:00
Covent Garden 駅
年間チケット:£17.50(18歳以下の子供は無料)オンライン割引あり
www.ltmuseum.co.uk

軍事マニアのパラダイス
国立陸軍博物館

 国立陸軍博物館
 国立陸軍博物館

日本では何だか肩身の狭い感のある軍事マニアにとって、英国はパラダイスだ。まず、ロンドン南部ランべス地区には、ゼロ戦や戦車が威風堂々と展示されている帝国戦争博物館がある。さらに、そんなおどろおどろしい名が付けられた博物館だけでは飽き足らず、この国立陸軍博物館まであるのだから。4月の結婚を控えて昨今話題を振りまいているウィリアム王子などが卒業した王立陸軍士官学校によって1960年に開館されたこの博物館は、日本人にとってはあらゆる意味で規格外。まずは、洗練された高級ショッピング街として知られるスローン・スクエア地区にあるという立地条件。次に、入場料無料という敷居の低さ。極め付けは、ユニークな企画展の数々。人気オーディション番組のタイトルにかけて、「果たして誰がX Factorを持っている?」とのキャッチフレーズとともに偉大な軍人たちの紹介を行うマニアなセンスに脱帽。一方で、戦場の再現シーンや、ナポレオンが使用した馬の頭がい骨といったリアルな題材も当然扱う。戦勝国の凄味を感じることができること、間違いなし。

National Army Museum
Royal Hospital Road London SW3 4HT
020 7881 6606
10:00-17:30(毎月第一水曜日は20:00まで)
Sloane Square 駅
www.nam.ac.uk
無料

日本人も知らないマニアな楽しみ
扇子博物館

扇子博物館
扇子博物館

マニアの興味は、概して、一般大衆があまり関心を注がない何かに対して向けられる。例えば扇子。日本であればともかく、ここは英国。クーラーさえ十分に普及していないこの国に、世界中から3500以上もの扇子を集めた博物館が存在している。博物館の解説によれば、18~19世紀の英国を含む欧州諸国では、東洋の文化への憧れを基としたオリエンタリズムが流行した。この期間に、インド、中国、日本といったアジア諸国から、あくまでも美術品として、扇子の文化が流入したという。そのコレクションを集めたのが、この扇子博物館というわけ。博物館というよりは、ごく普通の家の外観。館内では扇子の歴史を解説する展示物が設置されているのに加えて、専門家の指導による、扇子作りのワークショップが開催されている。また日本庭園を思わせるガーデンも併設されていて、ここでアフタヌーン・ティーを嗜むこともできるという風流さ。扇子は、暑い日にあおぐだけのものではない。日本人が知らない、そんな扇子の魅力があることを教えてくれる場所だ。

The Fan Museum
12 Crooms Hill, Greenwich London SE10 8ER
020 8305 1441
火〜日 11:00-17:00(日のみ12:00-)
Greenwich / Cutty Sark 駅
£4(子供£3)
www.thefanmuseum.org.uk

マニアと言えばやはりこれ
グリニッジ旧王立天文台

グリニッジ旧王立天文台
グリニッジ旧王立天文台

マニアの世界では最もメジャーな勢力となっている感のある天文マニア。ロマン溢れるその好奇心を満たしてくれるのが、グリニッジ旧王立天文台だ。天文台としての機能そのものは、空気の汚染などを理由として既に停止させてしまったが、天文博物館としての魅力はピカイチ。というのも、英国は、かつてこの分野において世界をリードする、いわば天文学先進国だったからだ。その証拠の一つに、グリニッジが「経度0度」に設定されているという事実がある。なぜそのような設定になったかという理由については、館内を訪れてからのお楽しみ。さて、同館にある展示物の内容は、大きく分けて「時間」「経度」「航海」の3つ。これらが、「天体観測」というキーワードの下に語られていく。さらには、17世紀後半から実際に天体観測が行われていたという「オクタゴン・ルーム」の見学はもちろんのこと、最新技術を搭載した天体望遠鏡も展示されている。隣にはプラネタリウムが併設されていて、天文マニアの壮大なロマンを満たしてくれること請け合い。

Royal Observatory
Blackheath Avenue London SE10 8XJ
020 8858 4422
10:00-17:00 
Cutty Sark 駅
£9.50(子供£5)
www.rmg.co.uk/royal-observatory


 

剣道道場「無名士」主催者 テリー・ホルトさん

剣道を通じて己を解放し、己が自由になる - 剣道道場「無名士」主催者 テリー・ホルトさん

世界における認知度が高まる一方で、いまだ国際大会では日本人選手の強さが目立つ剣道。1960年代に剣道を始めたテリー・ホルトさんは、数々の国際大会で入賞する一方、英国の剣道人口拡大に努めてきた。ホルトさんの元を巣立った教え子たちは、世界各地で道場を設立。3人の子供、7人の孫、9人のひ孫を持つ大家族の長は、いまや海外剣道という「家族」の大黒柱となっている。
(Text: Shoko Murakami)
テリー・ホルトさん
Terry Holt
Terry Holt1939年3月29日、ロンドン西部生まれ。10歳で柔道を始める。15歳で学校教育を終えた後、電気技師として働く。18歳から2年間、軍隊に入隊。20歳で結婚。26歳のときにロンドン最古の剣道道場「念力道場」に通い始め、68年にミドルセックスで新たな道場(後の「無名士」道場)を設立する。これまで数多くの国際大会に出場。74年には欧州剣道選手権で団体1位、79年の世界剣道選手権では団体5位に入賞している。99年、7段位を取得。

剣道を始めたきっかけを教えてください。

剣道を始めたのは26歳のとき。今から45年ほど前のことです。それまでは柔道をやっていました。サッカーには全く興味を持てない子供で、10歳の頃、近所の学校で行われていた柔道のクラスに通い始めたのです。柔道をやっているときには怪我が絶えず、金銭的にも大変だったので、道場で稽古を見る機会のあった剣道を始めることにしました。

近年、柔道人口は世界的に増えていますが、剣道はまだマイナーというイメージがあります。その違いは何だと思いますか。

伝統と礼儀作法を重んじるという点で、元々は違いがないと思います。ただ、柔道はオリンピック種目になってから、伝統の持つ比重が低下し、純粋なスポーツになっていったのではないでしょうか。剣道もオリンピック種目になるよう働き掛けるべきか、剣道関係者の間では意見が真っ二つに割れています。難しい問題ですが、現実的に考えれば、剣道も伝統さえ守られればもっと前に進むべき。競技人口を増やしたいのならば、スポーツの要素を強めてもいいのでは、とは思います。

剣道を始められた当時は防具を揃えるのも大変だったのでは。

その頃は、日本から取り寄せるしかなかったですからね。当時の価格で防具一式30ポンド、ひと財産です。竹刀を長く持たせるために、油やアルコールに浸したり、自転車のチューブを被せたり。確かに長持ちしましたが、とても重かった(笑)。

無名士道場で
無名士道場で後進の指導に当たるホルトさん

剣道をやる上で、一番つらかったことは何ですか。

1975年、日本で初めて、外国人向けの剣道の稽古会が開催され、参加する機会に恵まれました。16日間、休憩を挟んで一日9時間、毎日剣道漬けの日々を過ごしましたね。教える側も初めて、教わる側も初めての経験。日本人の先生たちは、「やってあげよう」という気持ちが強かったのでしょう、凄まじい稽古となりました。体調を崩す参加者が続出、私は元気は元気だったのですが、体重はがくんと落ちました。

剣道をやっていて、一番うれしかったことは何ですか。

今から11年ほど前、7段の昇段審査に受かったことですね。当時は日本でしか受けることができなかったので、日本に赴き実技審査を2回、筆記試験も受けた上で、合格することができました。現在は8段に挑戦中。これまで2度失敗していて、今年の11月に3度目のチャレンジをします。

スポーツと武道の間に違いはあると思いますか。

確実に違いますね。スポーツはアクティビティー、楽しむことが一番。武道では、礼儀を重んじ、広い心を保つ。生き方そのものが問われてくるのです。もちろん、剣道でも楽しむことは大事ですが、楽しみから多くのことを学び取ることが必要となります。

剣道を通して、自分自身、そして他人の人生に心を開く。なぜなら剣道では、相手を知る前にまず自分自身を理解しなければならないからです。自分自身の弱さを知れば、相手の弱点も分かる。これが剣道の哲学だと思います。そしてその極意を知るためには、一生懸命、稽古に励まなければなりません。稽古を通じて己を解放し、己が自由になるのです。

剣道を続けていく上での目標は。

これまで通り、死ぬまで世界中に剣道を広めていきたいですね。剣道は社会に広く門戸を広げたフリーメイソンのようなものだと思うのです。竹刀を合わせれば、一生友情は続いていく。

今から2年前、道場の創立40周年の記念パーティーを東京で行いました。その席上で20代の若者10人ほどを紹介され、「彼らを知っているかい?」と聞かれたのです。「いや、知らないな」と答えると、彼らが「ハロー、センセイ!」と口々に言うではないですか。すっかり成長していて分からなかったのですが、その昔、ロンドンの道場で剣道をやっていた教え子たちだったのです。とても幸せなひとときでした。

あとはやっぱり、8段に合格できれば最高ですね(笑)。

孫のオーウェン君と
孫のオーウェン君も子供部門のクラスに通う

大会情報

● オックスフォード・ケンブリッジ大学対抗戦
(ケンブリッジ大学)

オックスフォード大学とケンブリッジ大学の間で行われる対抗戦。ホルトさんは審判長として参加予定。
3月5日(土)

● 欧州剣道選手権(ポーランド)
3年に2回開催されている大会。欧州剣道連盟が主催している。
5月5日(木)


フランス柔道・柔術・剣道等連盟会長 ジャン=リュック・ルージェさん

ドイツ弓道連盟名誉会長 フェリックス・F・ホフさん

 

身も心も温まる本場英国のガストロ・パブへ

身も心も温まる本場英国のガストロ・パブへ

ようやく山場は越えたというものの、まだまだ続く英国の長い冬。
あまりの寒さに家にこもりがち、という人も多そうだ。
もちろん、くつろいで家で頂く食事も良いけれど、たまには素敵な外食も楽しみたい。
そんな人にぜひ試してもらいたいのが、ここ英国が本場の「ガストロ・パブ」だ。
今回は、パブならではの飾らないおもてなしはそのままに、
食事にうんとこだわった、お勧めのお店を厳選取材。
英国の冬は、心のこもった温かい絶品パブ料理で乗り越えよう!

*表記してある時間は、食事のオーダーが可能な営業時間


The Bull & Last

The Bull & Last

250年の歴史が交錯する、モダン・ブリティッシュ・フード

ハムステッド・ヒースの南に位置し、250年の歴史を持つ「ブル & ラスト」。ドアを開けるとバー・カウンターの向こうにある、3頭の牛の頭の剥製に迎えられる。昔ながらの伝統的な雰囲気を残した居心地の良いインテリアと、若く実力のあるオーナー・シェフの斬新なフードが評判だ。「食のルネッサンス」をテーマに、ウサギや鹿など、英国の食卓から遠のいていた季節の野生動物を使ったメニューが多く見られる。中でも、臭みの少ないさっぱりとした味わいの鹿肉のローストに、パースニップスとビートルートを添えた一皿は感激のおいしさ。プロシュート、テリーヌ、ムース、タン・フライとあらゆる部位を無駄なく使ったダックの盛り合わせ、「シャクートリー・ボード」は、前菜としてもつまみとしても大満足だ。また、どんなにお腹がいっぱいになっても、ブルーベリーとチーズケーキのアイスクリーム・サンデーは外せない。アイスクリームを作るのがダックの盛り合わせ£10大好きなシェフの、自慢のデザートなのだそう。

写真)Homemade Duck Charcuterie Board (Prosciutto, Liver Parfait, Wild Duck & Pistachio Terrine, Rillettes, Fried Tongues, Pickles, Remoulade & Toast) £10

*2018年11月現在、改装のため閉店しています。再オープンについてはウェブサイトをご確認ください。

店名 The Bull & Last
住所 168 Highgate Road NW5 1QS 地図
TEL 020 7267 3641
営業時間 月〜金 12:00-15:00/18:30-22:00    
土 12:30-15:30/18:30-22:00 日 12:30-15:30/18:45-21:00
アクセス Gospel Oak駅から徒歩5分
Website www.thebullandlast.co.uk

取材:Sayaka Hirakawa


The Princess of Shoreditch

プリンセス・オブ・ショーディッチ

プリンセスと一緒に、こだわりのダイニングを

大きな格子窓やアンティークのランプが、どこかロマンティックな印象を醸す「プリンセス・オブ・ショーディッチ」。その名に因み、2階のダイニング・ルームには世界各国のプリンセスのポートレートが飾られている。温か味のある、大きさもデザインもバラバラの木製テーブルや椅子からは、第2の我が家にいるようにくつろいで欲しいというオーナーの思いが伝わってくる。可能な限り英国産の食材を使用し、英国料理に少しだけフレンチの要素を取り入れた繊細なメニューが並ぶが、中でもお勧めなのは、伝統的な一本釣りの手法で釣った北海のシーバスを、魚介類のスープで炊いたリゾットと砂糖漬けのレモンとともに頂く一皿。生きたままの魚を捕る一本釣りは、上質の食材を厳選するためにも、乱獲を防ぎ環境へ配慮するためにも欠かせシーバス£15ないこだわりなのだとか。1階部分ではカジュアルな、けれども心のこもったパブ料理が、2階ではバラエティー豊かなダイニング・メニューが楽しめる。

写真)Seared Sea Bass over Bisque Risotto, Candied Lemon, Micro Cress £15

店名 The Princess of Shoreditch
住所 76-78 Paul St, London EC2A 4NE地図
TEL 020 7729 9270
営業時間 月 12:00-15:00/18:30-21:00
火〜金 12:00-17:30/18:30-22:00  
土 12:00-16:00/18:30-22:00 日 12:00-22:00
アクセス Old Street駅から徒歩7分
Website www.theprincessofshoreditch.com

取材:Sayaka Hirakawa


The Pig's Ear

ピッグス・イア

フレンチ・ブラッスリーと英国パブの掛け合わせ

キングス・ロードから脇道に入った高級住宅地にあるこちらは、フレンチ・スタイルのガストロ・パブ。天井が高く、大きな窓が壁一面を占める店内は明るく開放的で、斬新な絵画や昆虫の標本など様々なものが飾られたファンキーな空間に、シンプルなテーブルと椅子が並ぶ。昼間はゆったりとランチを楽しむ落ち着いた時間が流れるが、夜になると若者たちが溢れ、大いに盛り上がるのだとか。ただし2階にはクロスが敷かれたテーブル席が用意されるので、安心してディナーを楽しむことができる。高級レストラン「ル・カプリス」で修行した腕のあるシェフが、フレンチ&モダン・ヨーロピアンを手掛け、日替わりのオリジナル・レシピにおなじみのフレンチ・フードと、幅広いメニューを用意する。クロックムッシュにステーキ・タルタル、濃厚に煮詰まったオマッシュルームとチーズとポーチドエッグ£11.50ニオン・スープは、ずっしりとした食べ応えがあるふくよかな味。パブに居ながらフレンチ・ブラッスリーにいる気分が味わえる場所だ。

写真)Backed Field Mushroom, Chanterelles, Soft Poached Egg, Sharpham Cheese, Parmesan Crisp £11.50

店名 The Pig's Ear
住所 35 Old Church Street SW3 5BS 地図
TEL 020 7352 2908
営業時間 月〜土 12:00-15:30/19:00-22:30 日 12:00-16:30
アクセス South Kensington駅から徒歩17分
Sloane Square駅からバス
Website www.thepigsear.info

取材:Azusa Ogawa


The Harwood Arms

The Harwood Arms

ミシュラン星が輝くブリティッシュ創作料理

外観は、特に変哲のない普通のパブ。しかし一歩中に入ると、ここはパブなの?と疑いたくなるおもてなしが待っている。それもそのはず、こちらはロンドンで唯一、ミシュランの星を持つガストロ・パブなのだ。英国産の食材のみを使い、クラシックとモダンを掛け合わせたこだわりの創作料理を提供。その人気はとどまるところを知らず、週末は1、2カ月先まで予約が一杯だ。今回のチョイスは、口いっぱいに海の香りが広がる特製マヨネーズと頂く、柔らかく揚げたカキフライ、マッシュ・ポテト添え。そして、カナガシラのフライ、サフラン・マヨネーズ添え。付いてくるマッシュ・ピーは、小エビ入りだ。どれも洗練された盛り付けで、うっとりするおいしさ。デザートには、プルーンの入ったアールグレイ・ティー・アイスクリームとバニラ・ドーナツの組み合わせや、カリッと焼いた薄いパンカナガシラのフライ、サフラン・マヨネーズ添え£16に挟まれたトフィー・アイスクリームを。何を試しても、これぞグルメと納得のオリジナル料理がそろう。

写真)Whole Breaded Tail of Gurnard with Brown Shrimp and Split Green Peas, Buttered Leeks and Saffron Mayonnaise £16

店名 The Harwood Arms
住所 27 Walham Grove SW6 1QP 地図
TEL 020 7386 1847
営業時間 月 18:30-21:00 火〜土 12:00-15:00/18:30-21:30
日 12:30-16:00/19:00-21:00
アクセス Fulham Broadway駅から徒歩7分
Website www.harwoodarms.com

取材:Azusa Ogawa


Bacchus

Bacchus

フレンドリーなサービスで、ストリートの「顔」的存在

ゆで卵をひき肉で包んで揚げた、子供のこぶし大ほどもあるきつね色のスコッチ・エッグは、ナイフを入れる前から香ばしさが立ち上る。その豊かなフレーバーの秘密は、ひき肉にブレンドした、スコットランドの伝統羊肉料理「ハギス」。オーナーは、「うちで一番大切にしているのは、どんなささやかなディテールにも注意を払うことだよ」と語る。食材への豊富な知識と繊細な心使いが、料理を一層おいしくしているようだ。歴史の古いホクストン・ストリートに位置し、コミュニティーの中心として愛される「バッカス」は、細やかでフレンドリーなサービスも魅力の一つ。常連客には料理の感想を欠かさず聞き、その意見を参考にメニューを組み立てることも多い。目下の一番人気は10オンスのサーロイン・ステーキ。国産ハギス・スコッチエッグ£5.50ハーフォード牛をメインに、低高温を巧みに使い分け、3度に分けて揚げたチップスと、付け合わせにまでこだわった、確かなホスピタリティーを感じる一皿だ。

写真)Haggis Scotch Egg, Mustard Mayo £5.50 Potted Ham Hock & Pig's Cheek, Piccalilli, Whole Toast £5.50

*このお店は閉店しました

店名 Bacchus
住所 177 Hoxton Street N1 6PJ 地図
TEL 020 7613 0477
営業時間 月〜土 12:00-22:00 日 12:00-21:00
アクセス Hoxton駅から徒歩3分
Website www.bacchus-restaurant.co.uk

取材:Sayaka Hirakawa


The Holly Bush

The Holly Bush

歴史の重みに浸りながら伝統料理で温まる

ハイストリートを外れ、坂を上って行くと、ポツンとパブが現れる。この立地では地元の人しか辿り着けないのではと尋ねると、評判を聞きはるばるやってきた客が、ようやく見付けて感動しながら入ってくることも多いのだとか。200年以上も前からこの地に根付く店舗は、エッチングが刻まれたガラスや木製の内装の一部が当時のままだというから驚きだ。店内は意外と広く、いくつかの部屋に分かれ奥へと続く。元々は英国伝統料理のパイのみを扱っていたが、最近はバラエティーに富んだメニューを提供しており、中でもレモン・マヨネーズで頂くエビが人気。でも、大きなサクサクとしたパイ生地に、端までギッシリと中身が詰まった昔ながらの手作りパイを求めてやってくる客も、やはり後をビーフ&エール・パイ£12絶たないのだとか。マスタードの入ったマッシュ・ポテトも、パイのお供にぴったりだ。また、できるだけ多くのメニューにオーガニック食材を取り入れているとのこと。ほっこり温まるにはぴったりの、落ち着いた空間だ。

写真)Beef & Ale Pie £12

店名 The Holly Bush
住所 22 Holly Mount NW3 6SG 地図
TEL 020 7435 2892
営業時間 月〜金 12:00-15:00/18:00-22:00 
土 12:00-16:00/18:00-22:00 日 12:00-17:00/18:00-21:00
アクセス Hampstead駅から徒歩5分

取材:Azusa Ogawa


The Cow

The Cow

居心地の良いアイリッシュ・パブで新鮮なシーフードを

ノッティングヒル地区の瀟洒(しょうしゃ)なショッピング・スポット、ウェストボーン・グローブから北へ外れた、庶民的な一角にあるアイリッシュ・パブ。店内に入ると、スコッチ、アイリッシュ・ウイスキー、バーボン、ブランデーなどが多数並び、ビールやエールが主体の英国のパブとは、少し様子が違うことが分かる。店内は、アイリッシュ・パブならではの、どことなくアットホームな小ぢんまり感が心地良く、新鮮なアイルランド産カキや英南部ドーセット産のカニがカウンターに山と盛られた様子は壮観だ。メニューは、貝類の盛り合わせやカキとギネス・ビールのセット、アイルランド産の牡蠣£9.50フィッシュ・シチューなどシーフードが中心だが、マッシュ・ソーセージやステーキなどの肉類も。メイン・コースの一部は月~金曜までの日替わりで、デザートには、アッ プル・シュトゥルーデルにジンジャー・アイスクリームなど、季節にぴったりのメニューがそろう。この冬は、アイリッシュ・フードで温まってみては? 

写真)6 Irish Rocks £9.50

店名 The Cow
住所 89 Westbourne Park Road W2 5QH 地図
TEL 020 7221 0021
営業時間 月〜日 12:00-15:00/18:30-22:30
アクセス Westbourne Park駅/Royal Oak駅から徒歩5分
Website www.thecowlondon.co.uk

取材:Azusa Ogawa


Britannia

Britannia

季節のおいしさを、家族でゆっくり楽しみたい

東ロンドン最大の公園、ビクトリア・パークの外れにあるこちらは、公園をのんびり散歩した後に立ち寄るのに絶好のロケーション。広々としたガーデンがあり、夏場はバーベキューやシネマ・ナイトなど、様々な楽しい催しが企画される。旬の食材を多く取り入れたメニューは、毎週少しずつ変わっていき、元フード・ライターという経歴を持つオーナーの食材へのこだわりや、質の良い供給業者との交流が生かされたメニューになっている。「今の季節なら野鳥のパートリッジがお勧めだよ。野生だから脂身が少なくて、筋肉がしっかりついているのを、じっくり時間をかけてローストしているんだ」。ほろほろとやわらかい根菜が入ったワイン・ソースも、引き締まった肉をバランス良く引き立てる。日曜日は、家族でシェアでパートリッジのロースト£15きるサンデー・ローストが大人気。大きなロースト・ビーフを家族に切り分けるお父さんたちが何とも微笑ましい。子供も犬も大歓迎のパブなので、ぜひ家族そろってどうぞ。 

写真)Whole Roast Partridge, Creamed Savoy Cabbage & Bacon, Salsify & Shallots £15

*このお店は閉店しました

店名 Britannia
住所 360 Victoria Park Road E9 7BT 地図
TEL 020 8533 0040
営業時間 火〜金 16:00-22:30 土 18:00-23:00 日 12:00-22:30
アクセス Homerton駅から徒歩12分、またはバス388
Website http://thebritanniapub.co.uk

取材:Sayaka Hirakawa


The Cadogan Arms

The Cadogan Arms

飲んで遊んで、そして食事を堪能

チェルシー地区の目抜き通り、キングス・ロードに堂々と立つこちらは、ロンドンで高級パブやレストランを展開するETMグループの一つ。パブ、ビリヤード・ルーム、ハイ・スタンダードなサービスを重視したレストランという飲んで食べて遊べる3部屋に分かれている。動物の剥製や薪の積まれた暖炉に、まるで英国の田舎家にいるような気分にさせられるレストランで振舞われるのは、素朴な創作料理。特に、定番のフィッシュ & チップスとステーキに加えて用意される、約2カ月毎に変わる季節のメニューはとてもユニークだ。例えば、前菜には意外とあっさりとした味の、ハトとウサギ肉のテリーヌ。メインには、ブレッド・ソースで頂く脂身の少ないヨークシャー産ヤマウズラの丸焼きなど、レアな食材を使ったメニューヨークシャー産のパートリッジ、イングリッシュ・ベーコンなど£18.50が並ぶ。またこちらでは、フランスのワイン畑に足を運んで、様々な料理に合うオリジナルのワインをプロデュースしている。軽すぎず、そして深すぎない口当たりの良い味、ぜひ食事のお供に。

写真)Whole Yorkshire Partridge, Bread Sauce, Smoked English Bacon, Hunter's Potato, Braised Red Cabbage, and Juniper Jus £18.50

*このお店は閉店しました

店名 The Cadogan Arms
住所 298 Kings Road SW3 5UG 地図
TEL 020 7352 6500
営業時間 月〜金 12:00-15:30/18:00-22:30 
土 12:00-22:30 日 12:00-21:00
アクセス South Kensington駅から徒歩15分
Sloane Square駅からバス
Website www.thecadoganarmschelsea.com

取材:Azusa Ogawa

 

不可解な景観規制は何のため?

不可解な景観規制は何のため? - ここが変だよ英国人

英国暮らしを送っていると、外国人である私たちには不可解に思える習慣や決まりに戸惑うことがある。その一つが、建築物における、俗に「景観規制」と呼ばれるもの。この規制があるがために、テレビの日本語放送を観るためのパラボラ・アンテナ一つ自宅に取り付けることができないなどの不便を強いられている人も少なくないはず。また賃貸しているならともかく、自分が購入した家の改築さえ認められないという納得できない事例も多い。一体何のために、ときに理不尽とも言える景観規制が英国には存在するのか、果たしてそうした規制は本当に必要なのか。日本と英国で活動する識者の意見を聞いた。

London

英国の巷でよく聞かれる「景観規制」の事例

1. 商店の看板が出せない

個人で起業して、ようやく念願の店舗を出すことができた。ところが、景観規制によって看板を店の前に掲げることができない。だから店の存在すら、いまだ地域の人々に認知してもらっていない。

2. パラボラ・アンテナが 付けられない

英国で日本のテレビ番組を観るためには、パラボラ・アンテナを設置しなければならない場合がある。このパラボラ・アンテナの設置に対して、「景観を乱す」との理由で、カウンシルからの許可が下りない。

クーラー室外機3. オフィスに冷房を設置できない

大都市とされるロンドン市内でも、室内に冷房が設置されていないオフィスはいまだに多い。そこで新しく大型の冷房装置を設置しようと思ったが、外部に設ける排気口が景観を乱すとして許可されなかった。

テラス禁止4. テラスを設置することができない

遂に英国で念願のマイホームを購入。ベランダやテラスを設置して、その空間で毎朝コーヒーを飲むのが夢だったのに、許可が下りないことが分かった。なぜ自分で購入した家を改築できない?

内装工事禁止5. 内装工事さえも禁止された

オフィスにエレベーターを設置することもできないと言われた。内装工事なのに、「景観規制」と一体どういう関係があるの? どうも「リスティッド・ビルディング」* だからというのが理由みたいだけれど……。

セントポール大聖堂の見晴らし6. セント・ポール大聖堂の見晴らしを妨げてはならない

グリニッジ展望台などロンドン市内の見晴らしの良い場所からは、セント・ポール大聖堂がいつでも見られるような視界を確保しなければならない。その視界のライン上には、高い建物を建設できないとか。

*リスティッド・ビルディング
歴史的価値を有するなどの理由で、保護対象として認定された建築物のこと。認定されると、その建築物を破壊、拡張、改築する際には、特別な許可を得る必要がある。「Grade I」「Grade Ⅱ*」「Grade Ⅱ」の3段階に区分けされている。

英国の「景観規制」とは?
各地域の景観を守るために定められた規制のこと。新築及び改築などを計画する当事者は、その内容によって、事前に居住地域の地方自治体に開発許可(Planning Permission)を提出しなければならない定めとなっている。

建物
鶴田 太郎さん

1968年5月4日生まれ、大阪市出身、ロンドン在住。
The Architectural Association School of Architecture(AAスクール)卒。マイケル・ホプキンス & パートナーズ(現ホプキンス・アーキテクツ)、エリック・パリ・アーキテクツなどロンドンの主要設計事務所に勤務後、ツルタアーキテクツを設立。王立英国建築家協会の資格を保持する日本人建築家としてロンドンで活動している。
www.tsurutaarchitets.com

大規模な開発だと政治的要素が強くなります

英国の景観規制は、どのように策定されているのですか。

景観規制と言うよりも、私たちは開発規制と呼びます。開発を行うには、開発許可(プランニング・パーミッション)を地方自治体から得なければなりません。建物の持ち主が代わっても、建物は残る。管轄地域に価値のある建物があれば、それを残すのが義務、というのが開発規制を支える一つの考え方です。

具体的には、どのような建物が規制の対象となりますか。

景観保護の面では、まず「コンサベーション・エリア」という指定地区があります。開発許可のほかにも更なる許可が必要になるなど、より多くの制約が出てきます。また各地方自治体は、コンサベーション・エリアを指定する法的義務を負っています。よって歴史的、建築的な意義のある建物群が少ない地域では、価値がそれほどないのにコンサベーション・エリアに指定されている場所もあるのです。逆に多数の歴史的建築物を有するケンジントン・チェルシー地区などは、全体の約7割がこのエリアに該当します。

またリスティッド・ビルディングと呼ばれる、イングリッシュ・ヘリテージ(政府公認の保護団体)を介して守られている建物もあります。それらの建物に手を加えるには、地方自治体に加えてイングリッシュ・ヘリテージを説得する必要があります。

開発が困難な建物に対して、建築家はどのようにしてプロジェクトを進めるのですか。

基本的にグレードの高いリスティッド・ビルディング以外ならば、開発は不可能ではありません。私の携わったプロジェクトの中にも、リスティッド・ビルディングのGrade Ⅱに指定された建物がいくつかあります。その中の一つに、「価値のある部分以外は取り壊せる」という許可が出たにも関わらず、近隣住民による反対運動が展開されたことがありました。開発が進むことで近隣地域にある物件の価値が下がることを懸念したようです。彼らは取り壊す許可が出た部分をも保護対象に加えるようにとの申請をイングリッシュ・ヘリテージに出しました。そして、後にその部分もリスティッド・ビルディングとして指定されたのです。ただ、最初に出た許可が覆されることはなく、開発は進みましたが。

開発の規模によっても事情は変わってきます。大規模なものの場合、政治的要素が強くなり、建築家の知名度も決定を左右します。そうしたときに建築家は、地方自治体の開発規制を取り扱う部署の署長や、CABEと呼ばれる開発計画の質を審査する機関などと折り合いをつけることになるのです。一方、規模の小さいリスティッド・ビルディングでは政治的要素が小さくなり、地方自治体はマニュアル通りに事を進めるので、許可を取るのが困難になるということがよくあります。

公聴会議に、反対派のロビイストがいました

地方自治体以外の機関が決定に関わることも多いのですね。

リスティッド・ビルディングの増改築や取り壊しに関しては、イングリッシュ・ヘリテージからの推薦(実質は許可)と地方自治体からの許可、規模が大きくなるとCABEからの推薦も必要です。開発許可申請の過程としては、まず申請書を出すと、近隣所に通知をしたり街頭に掲示をしたりして、開発事業に対する一般からの意見を募ります。そこで一般からの反対が出なければ、地方自治体の開発規制部署が申請の可否を決めます。もし反対が一般から4つ以上寄せられるも、地方自治体が賛成した場合は、申請は地方自治体の公聴会議に掛けられ、カウンシラー(地元の町会議員)などが議論して可否を決めます。逆に許可が下りない場合、申請者は地方自治体から切り離された国の機関に異議を申し立てることができます。

地方自治体や公聴会議の判断は、妥当なものだと思いますか。

私も開発案を設計した建築家として、公聴会議にて反対意見への応答をしたことがあります。あるときは、カウンシラーの中に反対派のロビイストが2人いました。この会議は夜7時くらいから行われたためにカウンシラーの中には疲れている方もおられ、計画案を理解しないまま、その2人のロビイストに全体が流されているとの印象を受けました。民主主義のあり方に疑問を持ちましたね。こうした事例は決して特殊なものではありません。

景観規制自体ではなく、その運営のされ方に問題がある

交渉や圧力によって、景観規制の対象になるかどうかが決まることがあるのですね。

開発許可の申請を専門の仕事とする人たちもいます。地方自治体の開発規制の部署で過去に働いていた経験を持つ人が多いようです。彼らは各地方自治体における開発規制の政策に通じており、規定や政策が書かれた文書の言い回しを深く解釈した上で、開発の正当性を論理的に主張します。

さらに、彼らは申請の異議申し立てを嫌う地方自治体の体質をもよく理解しています。その意味では、彼らの力が申請の可否を左右する場合もあるとも言えます。

煩瑣(はんさ)かつ、ときに政治的なこうした規制は必要ないと思いますか。

景観規制を含めた開発規制は必要です。私も仕事柄、土地開発業者の方々とのお付き合いがありますが、中には景観やら安全面などに気を払わず、とにかく安く建てることしか考えていない業者もいますからね。だから、住民はもちろんのこと、建築家が規制によって守られている部分もあるんですよ。

問題があるのは規制そのものではなく、その運営のされ方です。例えば、地方自治体の職員の中には、図面さえ読めない人がいます。公聴会議にロビイストが紛れ込んでいるというのも問題でしょう。

建物
妹島 和世さん
妹島 和世
1956年生まれ、茨城県出身、日本女子大学大学院卒。95年に同じく建築家の西沢立衛氏と共に、建築家ユニット「SANAA」を設立。現在、慶応義塾大学教授。2010年には、建築界のノーベル賞と言われる「プリツカー賞」を受賞。同年、ベネチア・ビエンナーレ建築展の総合ディレクターを務める。ロンドンでは、09年にサーペンタイン・ギャラリーが開催する建築プロジェクト「サマー・パビリオン」を手掛けた。

写真: ロンドンのサーペンタイン・ギャラリー前に設営したパビリオンの前で写真撮影に応じる妹島氏(写真右)


www.sanaa.co.jp

集まって暮らすには何らかのルールが必要

英国では建築物に対して厳しい景観規制が敷かれていますが、このような規制は必要だと思いますか。

人間は、一人では生活することができませんよね。だから集まって暮らすことになります。ところが集まって生活すると、今度は色々な問題が生じてくる。集まって暮らすには何らかのルールは必要だろうと思います。

だから、一般論として、ある程度の景観規制は必要だと私は思います。ではどんな規制をどのくらいかけるべきかとなると、これは難しいです。実際に景観規制の対象となった家に住んで不便を強いられている人の話によると、随分と大変だと聞きますからね。ただ何かを「守る」ということは大切だし、不便も強いられるし、お金もかかるということだと思います。

景観に対する意識が低い東京の方が例外的だと思います

「景観を大事にする」という考え方は、実際にその場所に住んでいる人の利便性よりも、「美しい景色を守りたい」という、観光客や通行人の願いの方を尊重しているという意味で理解できない部分も多いのですが。

ただ、その「住んでいる人」も、やはりきれいな景観で生活することができるわけですから。景観に対する意識が比較的低い東京のような都市の方が、むしろ例外的なのだと思います。というのも、東京の住宅は、一つひとつの部屋の作りがとても狭いですよね。それなのに地価は高い。どうしても、内側のスペースをどう有効に使うか、ということだけに意識が向いてしまいます。だから住宅を作るときにも、それぞれの部屋の中に何が欲しいかという形で、家の内側の要求条件ばかりを考えがちです。

でも、どんなに小さい家でも、一人の人間の体よりは大きいものですからね。それだけの大きさのものが、街というさらに大きなものを構成していると考えれば、やはり景観について考えることは必要なのだろうな、と思います。

建築家としては、景観規制が少ない日本の方が自由な建築活動を行うことができると思いますか。

建築規制そのものは、形を変えて、どの国にも存在します。例えば英国に比べると、日本では景観上の規制が少ないという印象を持ちますが、でも日本は高温多湿でものすごく雨が降って、さらには地震もあってという国ですから、そういう意味では厳しい規制がかけられているわけです。もし、英国で長年にわたって建築家として働いてきた方が急に日本の建築物を手掛けることになったら、耐震力とか耐風圧の規制の厳しさに驚くのではないでしょうか。

一方で、日本ではまだ、エネルギー効率などの面においては、欧州諸国に比べて遅れている部分があるかもしれません。日本でも最近厳しくはなってきていますけれどもね。エネルギー規制が厳しい国や地域の住宅では、熱を逃さないために気密性を高くしようとして、扉が重くしっかりと閉まるように設計されているんですよね。でも私の体格は日本人の中でも小柄な方だから、あんな重い扉を開けるだけで一苦労してしまうんです。日本であんなものを作ったら、「開かない扉なんか作るな」というクレームがくると思いますよ。昔ながらの日本での暮らしというのは、気密性よりは、むしろ風が自在に通り抜けられるようにとの考え方から、扉の開け閉めが軽くできる作りを好みましたからね。つまりエネルギーを大切にすることは重要ですが、それぞれの場所でのより良いやり方を考える必要があるのだと思います。

英国の方が、建築そのものに興味を持っている人が少し多いかも

ほかに建築に関して、日本と英国の違いを感じますか。

英国ではサーペンタイン・ギャラリーでのパビリオン建設の仕事しか手掛けたことがないので、日本と英国の違いといったことについて、はっきりとしたことは言えません。ただ本当に大雑把な印象を言うと、日本よりも英国の方が、建築そのものに興味を持っている人が少しだけ多いというか。特に日本の若い人たちは、建物の中身、つまりどの場所で何が食べられる、どんなエンターテイメントを観ることができるということは常に話題にしているけれども、何かの建物そのものを観るために遊びに出掛けることは少ないんじゃないかな。一方で、ロンドンでは観光客でなくとも、建物めぐりをする人が多くいらっしゃいますよね。

あとはやはりロンドンの街の作りが好きです。東京に比べれば、スケールが小さいじゃないですか。親しみを覚えやすいと思うのです。また現在の街の形ができあがった時期が、東京よりも早くて、イタリアの古都と呼ばれるような地域よりは遅い。世界の中でも特別な街を作り上げていると思います。

サーペンタイン・ギャラリーのパビリオンの話が出ましたが、振り返ってみて、どのような仕事でしたか。

一番大変だったのは、やはり制作の時間が限られていたということですね。その他の面では、色々な場所で組み立て可能であることと、公園の中に設置できることというのがほぼ唯一の条件みたいなものでしたから。例えば音楽ホールを作るということになったら、音響とかその他の性能とか色々な注文があるけれども、あのパビリオンは、そうした機能的な制約はほとんどない。自由であるという意味で、楽しい仕事でした。

話は変わりますが、英国人は日曜大工を好むことで知られています。わざと古い家を買って、改築を楽しむ人さえいるほどです。ご自身が設計した家を好き勝手に変えられてしまうことについては複雑な思いを抱きませんか。

いや、むしろ私はそういった試みに対して大変な興味を持っています。ある建物の中で暮らす人がどういう使い方をするかを考えながら設計するのが好きだし、それと矛盾するけれども、建築家が精一杯考えた形とは全く別の使い方を、その建物を使う人々が考え出す、という過程にも大変興味があります。そしてまた新しいものが作り上げられるのだろうと思います。

 
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