ブランド創立50周年伝統+遊び心=ポール・スミス
The Joy of Individuality
1970年、ノッティンガムに自分の店を持ったポール・スミス
伝統とモダンを融合させた独創性の高いデザインで、英国のファッション界をけん引するポール・スミス。1970年に英中部ノッティンガムで自身の名を冠したブランドを立ち上げ、以来、色鮮やかなストライプや写真プリントの布地など、ひねりの効いた遊び心にあふれるデザインで世界中のファッショニスタの心をつかんできた。今回は、10月9日にブランド創立50周年を迎えたポール・スミスの、デザイナーとしての心意気とその哲学を紹介しよう。
文: 英国ニュースダイジェスト編集部
自転車レーサーになりたかった少年時代
ポール・スミスは1946年7月5日、英中部ノッティンガムのビーストンに生地販売業者の息子として誕生。11歳の誕生日にロード・バイクをもらって以来、地元の自転車クラブに入会するなどし、ツール・ド・フランスに出場するようなプロの選手になることを夢見た。人生のこの時期、まだファッションへの興味は薄かったようで、「スポーツに見た目は重要ではない、などと言うつもりはないが、見た目よりも遠くを見ることの重要性を学んだ時期だった」と2016年のバイク雑誌の取材に答えている。当時入会していたクラブにいた2人の少年を回想し、「完璧なサイクリング用具一式を持っていた少年より、当時のクラブでは誰も履いていなかった黒いソックスに、だらしない格好をした少年の方が良い選手だった」「人生の成功にとって着飾ることが重要なわけではないと教えてくれた」。デザイナーとして一見逆説的ともいえる言葉だが、「見た目は中身が伴ってこそ」という、サイクリングを通して養われた、地に足の着いたポールの美学が垣間見られる。
15歳で学校を自主退学し衣料品の倉庫で働きだしたが、自転車レーサーになる夢は捨てきれず、仕事の合間、日々練習に励んでいた。ところが、17歳のときに交通事故に遭う。3カ月近く入院する大けがで、これをきっかけに自転車レーサーの夢は手放すことになった。しかし入院中に知り合った新たな友人を通じ、アート・スクールの学生たちと出会い大きな影響を受ける。生涯にわたる、デザイン、音楽、ファッションの発見と探求の旅が、ここから始まった。
1970年、ノッティンガムにオープンした「ポール・スミスの紳士服」(Paul Smith Vêtements Pour Homme)で働くポール・スミス
パートナーとの出会い
ファッション・デザインに目覚めたポールは、テーラリングの夜間クラスに通い、布の裁ち方といった初歩から、洋服の仕立てを学んだ。修了後は、ロンドンのサヴィル・ロウにあるオーダーメードの高級紳士服店「リンクロフト・クロージング」(Lincroft Clothing)でテーラリング販売の代理店として働いた。このころ、長年のビジネス・パートナーであり、現在の妻でもあるポーリーン・デニア(Pauline Denyer)と出会う。当時、ロイヤル・カレッジ・オブ・アートの学生だったポーリーンは、ポールがビジュアル・アートや映画といった教養に触れるきっかけを作った。ポールは「(ここに至るまでの)全てはポーリーンがいなければ実現できなかった」と語る。ポーリーンの存在は、ポールのデザインや制作技術の向上にも大きな貢献を果たし、以来、二人三脚での活動が始まった。
2016年、デザイン・ミュージアムのオープニング・パーティーに現れた、ポール・スミスと妻のポーリーン・スミス
1970年、24歳のポールは、故郷ノッティンガムに自分の店「ポール・スミスの紳士服」(Paul Smith Vêtements Pour Homme)をオープン。ケンゾーやマーガレット・ハウエルなど、当時名の知られ始めたブランドのアイテムとともに、ポールが自身でデザインした商品を販売した。ショップはわずか3メートル四方の広さで、窓がなく、開店は金曜日と土曜日のみ。ポールはそこで、文字通りの対面販売をした。色や柄による鮮やかな裏地やコントラストのある袖口、珍しいボタン使いなど、今でこそ紳士服に定着しているデザインの多くは、このころのポールが、ポーリーンと一緒に編み出したものだった。
1976年にパリで最初に行ったショーの様子
来日回数はこれまでに100回以上
ポール・スミスのキャリアを語るうえでたびたび引き合いに出されるのが「日本での成功」だ。現在ポール・スミス ブランドは、世界70カ国以上の国と地域で取り扱われ、そのうち150店以上が日本に集中している。ポールへのインタビューの際に、なぜ日本人はそんなにポール・スミスが好きなのか、と尋ねるメディアも少なくない。
ポールが初めて日本を訪れたのは1982年、1979年にロンドン1号店を出したわずか3年後だった。当時バブル経済期の真っただ中だった日本は、欧米から多くのデザイナーを招へいし、ブランド・ビジネスの展開を始めた時代。ポールは日本や日本の文化に造詣が深いわけではなかったが、持ち前の好奇心で日本を訪ねた。まだ海外ブランドとのビジネスに不慣れな日本と、英国のブランドとして始動したばかりのポール・スミス。両者は互いに手探りで日本進出に向かって歩み始めた。このころのポールは年4回、それぞれ2週間ずつ日本に滞在しては、日本人向け商品の開発を行っている。ポールの明るい性格とユーモア、そして実直で礼儀正しい人柄は日本のビジネス界での信用獲得につながった。1984年には伊藤忠商事と契約し、日本に正式進出を果たす。ポールはインタビューで、「日本でのビジネスの仕組みは、ほかとは全く異なる。金銭だけではなく、信頼関係を大切にする」「日本人は私と長期のビジネス関係を結び、私が市場を理解する時間を与えてくれたんだ」と語っている。
2017年のロンドン・ファッション・ウィーク
英国のメンズウエアを軽やかに
ポール・スミスのデザインを語る際、鮮やかな色、花柄、あるいはマルチカラーのストライプといった表面的な特徴が取り上げられることが多い。しかし、最大の特徴はそのシンプルさだといえる。郵便局員のワーク・コートやノッティンガム地方のツイード・ジャケットなど、ポールが少年時代に接した伝統的な英国のメンズウエアに触発された、シンプルでクラシックな仕立てこそが身上だ。ポールは自分のデザインを「良質で、シンプルなカットで、面白い生地で、着心地が良い」と説明する。カジュアルなファッションに押されて売り上げが低迷し、古色蒼然とした堅苦しい印象を与えがちだった英国の伝統的なメンズウエアに、明るさと軽やかさを加え、その魅力を世界に再認識させた功績は大きい。
そうしたポールの感性は、「クール・ブリタニア」のムーブメントともマッチし、「ニュー・レイバー」(新しい労働党)を旗印にしたトニー・ブレア元首相もポール・スミスのスーツを愛用した。2008年からは、マンチェスター・ユナイテッドFCの公式スーツもデザインしている。さらに2011年には、映画作品のクリエイティブ・コンサルタントとして参加するなど、軽やかにジャンルの境を超え続けているポール・スミス。ブランド創立50周年を迎え、今後はこれまでにも増して、率先して若い才能を迎え入れる方針だという。新たなファンの獲得はもちろん、昔からのファンをもニヤリとさせる、ひねりの効いた作品がこれからも生み出されることだろう。
ポール・スミスの歩み
- 1970
- ノッティンガムに初のショップを開店
- 1976
- パリで初のメンズ・コレクションを発表
- 1979
- ロンドンのコベント・ガーデンにロンドン1号店を開店
- 1984
- 東京に初のショップが開店
- 1987
- 米ニューヨーク5番街に路面店が開店
- 1993
- 初のウィメンズ・コレクション「ポール・スミス ウィメン」を発表
- 1994
- エリザベス女王から大英帝国勲章(CBE)を与えられる
- 1995
- デザイン・ミュージアムで、創立25周年記念のエキシビション「トゥルー・ブリット」を開催
- 2000
- エリザベス女王からナイト(Sir)の称号を与えられる
- 2004
- オンライン・ショップを立ち上げる
- 2010
- 子ども服 「ポール・スミス ジュニア」を発表
- 2013
- ロンドンのメイフェアに旗艦店を開店
- 2013
- デービッド・ボウイのアルバム「ネクスト・デイ」のためのTシャツを製作
- 2014
- デスク・ランプ「アングルポイズⓇ」(AnglepoiseⓇ)とのコラボレーションを開始
- 2018
- トラベルケースの老舗「グローブ・トロッター」とのコラボレーションを発表
- 2020
- 創立50周年を迎える
デザイン照明の老舗「アングルポイズⓇ」社とのコラボレーション・デスクランプ
2013年にデザイン・ミュージアムで開催された「ハロー・マイ・ネーム・イズ・ポール・スミス」展では、あらゆるモノであふれかえる、ポール・スミスのオフィスのレプリカが展示された
ポール・スミス創立50周年を記念するアイテム
Paul Smith Celebrates 50 years
書籍
ポール・スミス創立50周年を記念し、ポールにインスピレーションを与えた50のモノをフィーチャーした書籍、「ポール・スミス」(ファイドン社刊。日本語版は青幻舎より11月発行)を出版。形に残るものが欲しいというポールの意向から生まれたこの本は、友人でありTC &フレンズ(TC & Friends)の創業者兼クリエイティブ・ディレクターでもあるトニー・チェンバースが編集。アップルの元CDO(最高デザイン責任者)、ジョナサン・アイブが序文を寄せている。1976年にパリで行われた最初のファッション・ショー、アイコニックなストライプ柄が進化していく様子、最新のコレクションのラインナップ紹介、友人や仕事仲間として交流してきた、マノロ・ブラニク、ジェームズ・ダイソン、マーティン・パー、ジョン・ポーソン、アリス・ローソーンなどから送られた手紙やドローイング、写真なども収められている。ファン必読の1冊だ。

Paul Smith
Phaidon Press Limited
£49.95
264頁(270mmX205mm)
https://uk.phaidon.com
カプセルコレクション
ポールは1980年代、メンズウエアに写真プリントを初めて取り入れたデザイナーの1人で、プリント・デザインのパイオニアとしての評判を確立した。50周年を記念したカプセルコレクションでは、1988年から2002年までのグラフィックを復活させ再編集。これまでの歴史に新たな息吹を吹き込んだ。コレクションは、メンズとウィメンズのカジュアル・ウエアを中心に構成。ジャージ、ボンバー・ジャケット、シャツ、スニーカー、バッグ、革小物などが並ぶ。

メンズ・ジャケット 「SEED PACKET」
1988年春夏コレクションで発表。ロンドンのコベント・ガーデンにあった老舗園芸店で購入した花の種のパッケージがインスピレーションとなったプリント。上品な小花柄が主流であった当時、鮮やかでヴィヴィッドなメンズのためのフローラル・プリントはかなり斬新なものだった。

メンズ・ウォッチ 「Archives」(日本限定販売)
アーカイブ・モデルのカラーリングを復刻した新作メンズ・ウォッチの裏蓋には、1970年にデザインされたブランド最初のロゴが刻印されている。これは、初めて開いたノッティンガムのショップで、当時キャッシュ・レジスターとして使用していた、アンティークのシガレット・ケースのデザインがインスピレーション源となっている。
ポール・スミス店舗情報
ポール・スミスのロンドン店舗は路面店だけでも10店。旗艦店のNo.9 アルバマール・ストリート ショップは、メンズ、ウィメンズ、アクセサリー、シューズを扱うほか、ギャラリー・スペース、世界中から集められた貴重な家具のショー・ルームも備えている。
No.9 アルバマール・ストリート ショップの外観
ロンドン旗艦店
Paul Smith Flagship Shop
9 Albemarle Street, London W1S 4BL
Tel: 020 7493 4565
Piccadilly Circus駅
月~土 11:00-18:00
www.paulsmith.com



在留届は提出しましたか?
ロンドン西部のタワー・ブロック、トレリック・タワー
Open House London
かつての悪名高いスラムが落ち着いたエリアに
インパクト大の無機質なフォルム
まるで一つの町のような迫力の520戸
鮮やかな赤は、1954年のオリジナル・カラーを2014年に復元したもの
近隣の住民からは「戦艦」と呼ばれる公営住宅
ノッティング・ヒル・ゲートに近く立地もよい
外観はクリーム色に塗られるはずが、自治体の資金不足で図らずもブルータリズム風になったという逸話も
向かい合わせの長屋のようなスタイル
1946年2月、ピカデリー・サーカス駅から護衛警官によって持ち出される美術品
1948年、ようやく地上へ出たエルギン・マーブル
1940年のヘンリー・ムーアの作品「Women and Children in the Tube」
1940年、エレファント&キャッスル駅の構内。多くの人がプラットフォームに直接寝転がっている
1940年9月7日、ロンドン東部のワッピングとアイル・オブ・ドッグス上空を通過し、爆撃に向かう独空軍のハインケル He 111
シティのモニュメント付近の様子。建物自体は残っているものの、ガラス窓は全て吹き飛んでしまっている
「ミッキーマウス」と呼ばれた2~4歳半用の子ども用ガスマスク。臭くて蒸れて息苦しいものだった。見た目のおかしさから笑いを誘ったという(帝国戦争博物館所蔵)。
この中で一晩を過ごすこともざらだった
写真中央にあるのがモリソン・シェルター。この家庭では卓球台として活用していた
駅構内だけでなく、駅のエスカレーターも避難場所に利用された
2019年、バンクシーが製作した防刃チョッキを着てグラストンベリー・フェスティバルに臨んだストームジー。英国の黒人アーティストとして史上初のヘッドライナーを務めた
第22回MOBOアワーズで最優秀女性アーティストに輝いた英ラッパーのステフロン・ドン。
2010年、「ティーンエイジ・キャンサー・トラスト」のコンサートに参加したスペシャルズ
ジェネラル・リーヴィ(写真左)。右はレゲエDJのアパッチ・インディアン
パイレーツ・ラジオ局で出会い、トリオとなったドリーム・チーム
「
思わず踊りたくなるような曲を生み出し続けるJ・ハス
スケプタやドレイクともコラボしたことのあるHeadie One

ミニチュアとはいえ、本格的な走りを見せる蒸気機関車。約10両だが、前方の車両にいる乗客たちは皆、煙でいぶされてしまう
客層は家族連れやカップル、年配の英国人も多い。車椅子用の車両もあり、ペットもOK。この日は大小の犬が5頭ほど乗車していた
幼いころから園芸家に憧れていたというデレク・ジャーマン
ジャーマンによって植えられたラベンダーやポピー。自生はしない
石ころの浜辺には何隻も船が打ち捨てられており、あらゆるものが錆びている
荒野のような風景のむこうに英仏海峡が見える
家の外壁は黒いタールで塗られているが、1900年当時からこの姿だった
ダンジェネスには2つの灯台があるが、こちらは現在使われているもの
遠方にうっすら見えるのが原子力発電所。夜になると緑色のライトが浮かび上がり、ジャーマンはこれを(「オズの魔法使い」の)「エメラルド・タウン」と呼んだ
幼いころから園芸家に憧れていたというデレク・ジャーマン
TOWER BRIDGE
EMIRATES AIR LINE
BATTERSEA PARK
CANARY WHARF
THE THAMES BARRIER
海外の有名アーティストのコンサート会場になるO2アリーナ
アイランド・ガーデンズから眺めたグリニッジの旧王立海軍学校
ナショナル・トレイルを示すどんぐりのマーク







ロンドン北東に生息していたオーロックスの頭部
まだ陸続きだったブリテン島
50万年前から現代までの地球の気温の推移
ロンドン北東部から出土した象の足とロンドン中心部から出たカバの歯
英国人の最古の祖先チェダーマンは約1万年前に生きていた(自然史博物館蔵)
シェパートン・ウーマンの復元像
農耕に使われた磨製石器
ビーカー人の青銅器や鐘状陶器
黄金製リラトン・カップ(大英博物館蔵)
ケルト人のウォータールーかぶととバターシー盾(本物は大英博物館所蔵)
現在のロンドン博物館から見えるローマ帝国時代の壁
フリート川とテムズ川の合流区が感潮域
ロンドンにあふれたローマ帝国からの輸入品
クラシキアヌス地方官の墓(本物は大英博物館所蔵)
ローマ街道は縁石や排水溝のある舗装道路(断面図)
ノルマン人の鎖帷子(くさりかたびら)
ゲルマン人はストランドに交易港のルンデンウィックを建設(6世紀)
西サクソン王国はシティを奪回し、砦を意味するルンデンブルグを建設(9世紀)
税金は敵に襲われたときに宥和のために使われる(黒ずんだ銀貨)
サクソン人のおのとバイキングの長剣
受胎告知の屏風(1500年ごろ)
初代シティ市長のヘンリー・フリッツ=アーウィン
聖ポール大聖堂は604年に建設。写真は旧聖ポール大聖堂(1314~1666年)
1215年5月のロンドン憲章
カンタベリー巡礼バッヂ(テンプル教会資料)
1666年のロンドン大火
1665年のロンドン・ペスト時、原因がノミと分からず戸口に十字架を記した
クロムウェルのデスマスク
シティの中枢、イングランド銀行
17世紀ロンドンの人口は約50万人、現在は約900万人
チェスターフィールド卿のサロンを訪問したジョンソン(画面中央左)
英北西部マンチェスターのチェタム図書館に所蔵されている

ザ・ブリッツ(ロンドン大空襲)の激しい空爆から生き残った建物だ
(写真左)台座にはQRコードがついており、スマホで読み取ってみると……






