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映画「キッド」にまつわる6つのストーリー - 公開から100周年

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6つのストーリー

映画「キッド」の主役、チャーリー・チャップリン(写真左)とジャッキー・クーガン(同右)映画「キッド」の主役、チャーリー・チャップリン(写真左)とジャッキー・クーガン(同右)

喜劇王チャールズ・チャップリンが手掛けたサイレント映画「The Kid」(邦題「キッド」)が、米ニューヨークのカーネギー・ホールで1921年1月21日に公開されてから今年で100年を迎えた。故郷の英国を離れ、米国を拠点に活躍していたチャップリンは、本作公開前も一定のヒット作品を出していたが、「キッド」はそれまでの映画史を大きく変えるマイルストーン的作品となった。自身初となる長編喜劇映画の監督として、また脚本、製作、約50年後のサウンド版の音楽にいたる全てを自身で徹底して作り込んだわけだが、天才が作る作品には一般人には想像できないさまざまなエピソードが付随している。今回は、数あるその中から英国との接点や、ハリウッドらしい名声や富にまつわる印象的なエピソードを6つ紹介しよう。(文・英国ニュースダイジェスト編集部)

参考: Charlie Chaplin(Official representative of Charlie Chaplin)、University of Southampton Special Collections、Encyclopædia Britannica ほか

1笑って泣ける作風は実生活から生まれた

「キッド」が生まれる前まで、サイレント映画業界では、「コメディー」「ドラマ」など、基本的には1作品に対し一つのジャンルに絞られていた。2つ以上の要素が入ってしまうと、ストーリーに一貫性がなくなる、というのが当時の映画業界における共通認識。また、すでに映画が一大産業として発展していた米国では、コミカルな動きで視覚的に笑わせる「Slapstick comedy」(ドタバタ喜劇)が1920年代の流行りだった。しかし、その常識は本作によって突如打ち破られることになる。

人生に浮き沈みがあるように、ドラマとコメディー要素を自然に織り交ぜることで、笑って泣けるストーリー展開に仕立てた本作は映画史における革命だった。情景描写が妙にリアルで、観客の感情に直接訴えてくるストーリーは、チャップリンの実生活におけるさまざまな体験に基づいて作られた緻密なものであった。例えば、「(チャップリン扮する)リトル・トランプが捨てられた子ども(キッド)の父親になる」という大まかなプロットは、1人目の妻、ミルドレッド・ハリスとの間にもうけた男の子が生まれて3日で亡くなり、埋葬されたわずか10日後に完成した。また、孤児院の職員がキッドを施設へ無理やり連れて行こうとする描写は、同じように幼少時代に母親から引き離され、孤児院での生活を余儀なくされたチャップリンの辛い記憶にリンクしている。

撮影期間は数週間の休みを除き約9カ月。チャップリンは各シーン納得がいくまでリテイクを重ね、結果的に上映68分の映画に対し、50倍以上ものフィルムを回し続けた。

チャーリー・チャップリン(写真左)とジャッキー・クーガン(同右)チャーリー・チャップリン(写真左)とジャッキー・クーガン(同右)

1922年に撮影されたチャーリー・チャップリン。その素顔は青い目をしたチャーミングな顔立ちの男性だった1922年に撮影されたチャーリー・チャップリン。その素顔は青い目をしたチャーミングな顔立ちの男性だった

2天才子役、ジャッキー・クーガン

母親に捨てられ、リトル・トランプに拾われる孤児を演じたジャッキー・クーガン(John Leslie Coogan, 1914~84年)とチャップリンの出会いは諸説あるものの、とても運命的だったと言われている。

「キッド」に出演する前から生後18カ月にしてサイレント・コメディー映画「スキナーズ・ベイビー」(1917年)に出演していた。クーガンの父親もまた舞台で活躍するコメディアン兼ダンサーで、その公演を偶然見に来ていたチャップリンに息子を引き合わせた。

クーガンはチャップリンの軽快な動きを完璧にコピーすることができた。驚きを隠せないチャップリンは、クーガンに職業を尋ねると、「僕は早業の世界の手品師なんだ」と即答した。ウィットの効いた返答にチャップリンは胸を打たれ、この時5、6歳のクーガンを次作の子役に抜擢した。ダンスの才能はもちろんのこと、クーガンは子どもながら目元に悲しみをたたえた印象的な顔でも皆を魅了した。映画のプロットに合わせ、「キッド」は別名「The Waif」(浮浪児、顔色の悪い子ども)とも呼ばれた。

2人は約50年後の1972年、米ロサンゼルスで再会を果たしている。この時の様子についても、いろいろなエピソードが残されているが、「チャップリンがクーガンに『誰よりも会いたかった』とささやいた」「クーガンとの再会を喜び、同席していたクーガン夫人に、『あなたの旦那は天才だ、これだけは決して忘れてはいけないよ』と伝えた」など、総じて心温まるものである。

1920年ごろに撮影されたジャッキー・クーガン1920年ごろに撮影されたジャッキー・クーガン

3離婚騒動で秘密裏に行われた編集作業

「ミルドレッドは息をのむ(美しさ)というのではなく、かわいらしかった」。チャップリンは後の妻となるミルドレッド・ハリス(1901~44年)に出会った瞬間をこのように回想している。1918年、映画プロデューサーのサミュエル・ゴールドウィン主催のパーティーで初めて会ったとき、チャップリンは29歳、ハリスは16歳。ハリスもチャップリン同様、若くして俳優キャリアをスタートさせていた。

同年、ハリスから突然妊娠を知らされたチャップリンは大慌てで結婚することを決める。しかし初めこそ良かったものの、互いに相手の人物像を大きく勘違いしており、特に若いハリスは夫の並外れた才能やそれによる劣等感など、複雑な思いを抱えていた。無論結婚生活は長続きせず、「キッド」の撮影中に離婚訴訟が進む。ハリスの弁護士らが映画の製作を妨害するのではないか、と考えたチャップリンは、編集前のフィルムをコーヒーの缶に詰め、信頼できる製作メンバーと共に米西部ソルトレイクシティのホテルとニューヨークの匿名スタジオへ飛び、秘密裏に編集を進める羽目になった。

チャップリンの最初の妻であるミルドレッド・ハリス。「キッド」の撮影期間と離婚訴訟がまるかぶりで、チャップリンは公私ともに忙しかったようだチャップリンの最初の妻であるミルドレッド・ハリス。「キッド」の撮影期間と離婚訴訟がまるかぶりで、チャップリンは公私ともに忙しかったようだ

4一躍スターになった子役クーガンの功罪

世界恐慌の真っ只中の当時、ハリウッドでは子どもが親のために金を稼ぐ手段になることに疑問を抱く者はいなかった。本作で一大子役スターになったクーガンは、その後も数々の映画に出演し、週に2万2000ドル(現在で32万1200ドル、日本円で約3351万円)を稼ぐ超売れっ子になったが、母親と元マネージャーの継父(実の父親は離婚後、1935年に自動車事故で他界)の金銭の管理はずさんだった。数百万ドルはあるはずだった財産は、ギャンブルなど2人の浪費によって、ほとんど手元に残っていなかったのだ。これをきっかけに、1939年、子役の収益の一部を本人に残すよう義務付ける「クーガン法」がカリフォルニア州で成立。「子どもは楽しんで撮影しているから」という親の言い分は法をもって阻止できるようになった。近年は映画子役のみならず、YouTubeで子どもを使って金を稼ぐ親が増えているため、何かと引き合いに出される法律となっている。

5「キッド」の裏で公開されなかったもう一つの作品

米国を拠点に活躍していたチャップリンには、英国に意外な交友関係を持っていた。その人物とは、フィリップ殿下の叔父にあたる、ビルマの初代マウントバッテン伯爵ことルイス・フランシス・アルバート・ヴィクター・ニコラス・マウントバッテン(1900~79年)だ。詳細は語られていないものの、ミルドレッド・ハリスを通して出会ったとされている。

1922年、マウントバッテン伯爵はエドウィナ・アシュレイ夫人とハネムーンでハリウッドを訪れる。伯爵がハリウッドにいる間、チャップリンは結婚のお祝いとして短編映画「Nice and Friendly」(「ナイス・アンド・フレンドリー」)を即興で製作。これはアシュレイ夫人の真珠のネックレスをめぐり、さまざまな人物がそれを盗もうとする物語で、新婚2人のほか、チャップリン、ジャッキー・クーガンなど「キッド」のキャスト、ワシントンDCの英国大使館スタッフなど、周囲にいた人物を役職関係なく巻き込んだ豪華なホーム・ムービーだった。撮影は米俳優ダグラス・フェアバンクス、元妻のメアリー・ピックフォードが住む邸宅の庭で行われた。

ルイス・マウントバッテン伯爵(写真右)とエドウィナ・アシュレイ夫人(同左)。ハネムーンで米ニューヨークも訪れたルイス・マウントバッテン伯爵(写真右)とエドウィナ・アシュレイ夫人(同左)。ハネムーンで米ニューヨークも訪れた

6独特の山高帽スタイルは米国生まれ

チャップリンのトレードマークである、山高帽にちょび髭、ぶかぶかのズボンのキャラクターは米国で誕生し、「トランプ」「リトル・トランプ」と呼ばれ親しまれ、「キッド」を含む一連の作品に登場した。そもそもチャップリンはどのような経緯で米国へ拠点を移したのだろうか。

チャールズ・チャップリン(Charles Spencer Chaplin, 1889~1977年)の俳優キャリアは英国で始まった。1889年4月16日、歌手で俳優の両親のもとに、ロンドンで生まれたチャップリンは、両親の離婚後、幼くして母親に引き取られた。しかし後に母親が精神病に侵されてしまったため、異父兄のシドニーと共に孤児院を転々とする困窮した生活を強いられる。しかし、両親の才能を受け継いだチャップリンが、ライブ音楽を提供するミュージック・ホール(ヴォードヴィル)でデビューを飾るのに時間はかからなかった。

転機となったのは、コメディー劇団として有名だったフレッド・カーノー(1866~1941年)率いるファン・ファクトリー(the Fun Factory)への入団だった。当時、ミュージック・ホールでの演目がそのままサイレント映画になることもあり、舞台と映画は強固な関係で結ばれていた。

「Jimmy the Fearless」(「ジミー・ザ・フィアーレス」)など、数々の演目で活躍し、注目を浴びたチャップリンは、1910年に同劇団の海外巡業で米国を訪問する。この公演が大成功に終わり、1913年に公演のため再び米国を訪れた際、現地の映画プロデューサーに声を掛けられたことをきっかけに、活動の拠点を米国に移したのだった。

チャップリンは英国の映画界への直接的な貢献はないに等しかったものの、「キッド」の成功で英国へ凱旋帰国した際は、市民から熱烈な歓迎を受けた。

チャップリンがこの扮装で初めてスクリーンに登場したのは映画「Kid Auto Races at Venice」(「キッド・オート・レーシーズ・アット・ヴェニス」)(1914年)だと言われているチャップリンがこの扮装で初めてスクリーンに登場したのは映画「Kid Auto Races at Venice」(「キッド・オート・レーシーズ・アット・ヴェニス」)(1914年)だと言われている

フレッド・カーノーチャップリンの世界的な活躍を後押ししたフレッド・カーノー。チャップリンは、世話になったカーノーが晩年借金で困窮したときに資金援助を惜しまず、カーノーの葬儀には「深い同情を込めて」と感謝の言葉をおくったという

The Kid

貧しそうなシングル・マザーが置き手紙を添えて、男の赤ちゃん(ジャッキー・クーガン)を道に停めてあった高級車に置き去りにする。しかし泥棒が車を盗み、赤ちゃんを路上に残してしまう。通りかかったトランプ(チャーリー・チャップリン)は、その子を自身で引き取り育てることにする。そして5年の月日が流れ子どもはたくましく育ったが……。

The Kid

(U)68分
監督: Charles Chaplin
出演: Charles Chaplin, Jackie Coogan, Edna Purviance ほか
1921年1月21日米国プレミア公開
(1972年サウンド版リリース)

 

ポストEU時代の英国 - 何が変わった? これからどうなる?

ポストEU時代の英国何が変わった? これからどうなる? ポストEU時代の英国

ポストEU時代の英国

2020年12月31日、ブレグジットに伴う移行期間が終了した。当初、同年6月までに交渉を進めるという予定が組まれていた離脱交渉は、英EU双方の姿勢の違いや新型コロナウイルスの流行が響き、延期や中止を繰り返した。一時は「合意なき離脱」の可能性も浮上したものの、同24日に駆け込み合意が成立。英国は27年ぶりに、EU法に従わない完全自立の地位を取り戻した。英国に住む日本人にとっても人ごとではないブレグジット。EU離脱の影響で、私たちを取り巻く環境には、どのような変化が起きていくのだろうか。今回は、2020年の離脱交渉の流れや重要な議題を中心に、ブレグジットの「これまで」をおさらいし、2021年から新たに変化するポイントを含めた「これから」の予想図を見ていこう。

(文: 小林恭子、英国ニュースダイジェスト・ドイツニュースダイジェスト編集部)
参考: 英国政府ホームページ、Jetro(日本貿易振興機構)、BBC、「Guardian」紙、Reuters、Deloitteほか


離脱の背景に歴史あり
そもそもなぜブレグジットに至ったのか

英国は1973年、単一市場への参加という主として経済的な理由から欧州連合(EU)の前身、欧州共同体(EC)に加盟。しかし、1993年にECがEUとして発展し、政治的統合への道を歩みだすと、国内ではEUへの懐疑感情が高まった。2004年、旧東欧諸国を中心とした10カ国が一挙にEUに加盟。英国内ではEUからの移民が増加し、国民は雇用、教育、公的サービスを含む生活面で圧迫感を抱くようになった。こうした国民感情を背景に、EUからの離脱を求める英国独立党(UKIP)が欧州議会で議席を増やし、強力な政治勢力として成長。保守党のEU懐疑派議員らからの圧力もあり、当時のデービッド・キャメロン首相は、EUからの離脱を問う国民投票の実施を決定した。2016年に行われた国民投票では僅差で離脱派が勝利し、2020年1月末、英国はEUから離脱した。

(文・小林恭子)

一筋縄ではいかなかった……
国民投票以降、離脱日を2度も延期!

2016年6月
EU離脱を問う国民投票実施、離脱派が勝利
2017年3月
テリーザ・メイ首相がEU条約第50条を発動、交渉期間の開始
2018年11月
英政府とEU間で離脱協定案と政治宣言案に合意
2019年3月
離脱協定案を英下院が否決
2019年4月
EU首脳会議開催、離脱日を10月31日まで延期
2019年7月
ボリス・ジョンソン首相就任、離脱に関する法案を見直し
2019年9月
離脱日を2021年1月31日まで延長する法案を可決
2019年10月
ジョンソン首相が離脱協定案を提示、離脱日延長

(英国ニュースダイジェスト編集部作成)

ポストEU時代の英国2020年 英EU間の離脱交渉を振り返る

2020年1月31日にブレグジット・デーを迎え、同年3月からはいよいよ本格的な離脱交渉が開始。しかし、新型コロナウイルスの影響も受け、交渉はことごとく中止や合意期限延長を余儀なくされた。ジョンソン首相率いる英国政府は、一方的な離脱協定ほご法案の提出など、からめ手を繰り出し、EU側は「国際法違反だ」と猛反発。交渉は双方が互いに譲らない膠着(こうちゃく)状態に陥った。世論をひやひやさせた一連の交渉が決着したのは12月24日。「クリスマス・ホリデーまでの合意を」という双方の意思に基づき、落とし所を見つける形での合意となった。ここでは、離脱交渉で特に重要視された議題について、交渉結果の概要を紹介する。また、2020年中から制度変更が進んでいる5つの分野に関しても、説明していこう。

離脱交渉の流れ

   協議会    意思決定期限    英国のアクション

2020
Jan
1月31日
英国のEU離脱
Feb
Mar 3月2〜5日
英EU合同協議会 第1ラウンド
→離脱交渉が本格的にスタート
Apr 4月20〜24日
第2ラウンド
→漁業権、公平な競争に関する交渉が難航
May 5月11〜15日
第3ラウンド
→目立った進展なし
Jun 6月2〜5日
第4ラウンド
→FTAに関する交渉が難航
  6月30日
移行期間延長の決定期限
→年末での移行期間終了が確定
  6月29日〜7月2日
第5ラウンド
→FTAの月内合意を断念
Jul 7月20〜23日
第6ラウンド
→双方歩み寄らず
Aug 8月18〜21日
第7ラウンド
→交渉姿勢の違いが際立つ
Sep 9月8〜10日
第8ラウンド
→協定ほご法案の影響で対立悪化
  9月9日
英政府、「離脱協定ほご法案」を下院に提出
  9月29日〜10月2日
第9ラウンド
→モノの貿易など一部で
交渉進展
Oct 10月15日
FTA交渉期限
→合意ならず 
年末の発効を目指す
  10月22〜28日
第1回再開後交渉
→漁業権、公平な競争条件(レベル・プレイング・フィールド)で解決に至らず
Nov 11月9日〜12月
第2回再開後交渉
→ほご法案の実質破棄、公平な競争条件など、一部歩み寄り
Dec 12月24日
英EUが交渉合意、
自由貿易協定(FTA)を締結
  12月31日
移行期間終了

結局どうなった? 離脱交渉の重要議題

(文・小林恭子)

ビジネスFTA締結により関税ゼロをキープ

英国とEUは自由貿易協定(FTA)を締結したため、モノの貿易は従来通り関税ゼロ、割り当てなしのルールが継続する。しかし、新たに通関業務が行われるようになったため、国境での流通が滞る可能性は懸念として残る。金融を含むサービス業については、英国はEU市場への自動的なアクセス権を失い、活動が制限されることに。医師や建築家をはじめとする英国の専門職資格は、これまでEU加盟国でも自動的に認可されてきたが、今年からはこの制度がなくなり、サービス提供のハードルが高くなった。

公平な競争条件独自の基準規程で合意

「公正な競争条件」(レベル・プレイング・フィールド)とは、英EU間で2019年に合意した「将来に関する政治宣言」の中で定められていた、公正で開かれた競争を実現するための条件を指す。今回の離脱交渉でEU側は、政府補助金、競争法、社会・雇用規制、環境基準、気候変動、租税の分野で英国がEUと共通の規則・基準の採用することを求めたが、最終的には譲歩。英国とEU両者が独自に規定することで合意した。また、公正な競争が阻害された場合は、両者が対抗措置を発動できるルールを盛り込むことでも合意に至った。

北アイルランド国境物理的な国境は設けず

EU加盟国であるアイルランド共和国と、英国領北アイルランド間での貿易や人の移動に関する取り決めでは、ほかの重要議題に先駆けて合意が成立した。「アイルランド/北アイルランド議定書」は、アイルランド共和国と北アイルランドの間に物理的な国境を設けない旨を規定。EU加盟国と北アイルランドの間での物品取引には、通関手続きや管理が適用されない方針が決まり、北アイルランドは実質的にEU単一市場に留まることとなった。今回の議定書の適用継続に関しては、4年後に北アイルランド議会が改めて議論・決定する予定だ。

英海域での漁業権英国側が大きく譲歩

これまでEUが管理していた英海域での漁業は、今年から英国による独自管理に戻った。従来はEUの共通漁業政策に基づき、EU加盟国も漁獲上限に達しない限りは英国の排他的経済水域(EEZ)で操業できていた。しかし今回の合意により、EU側は今後5年半で英海域での漁獲量を段階的に25%削減することが決定。5年半経過後は、毎年英国側と漁獲量を交渉する必要がある。また、英EU両者は漁業管理についての情報を共有し、漁業委員会を設置して話し合いの機会を持つことでも合意した。

最後の最後まで議論がもつれた英国領海での漁業権最後の最後まで議論がもつれた英国領海での漁業権

将来関係のガバナンス紛争発生時の対応方針を決定

英EU間において、将来発生する紛争の解決方法を定めることも、重要論点の一つとされた。離脱交渉の結果、紛争発生時にはまず当事者同士の交渉による解決を試み、解決しない場合は事案ごとに設置される独立裁定機関に判断をゆだねる旨の方針を決定。独立裁定機関は各案件に対し、160日以内に判断を下す必要がある。英EUのいずれか一方が独立裁定機関の判断に従わない場合は、貿易協定が停止される可能性もある。なお今年より、英国はEU司法裁判所の介入を受けない立場となった。

2020年から制度変更が始まった5分野

(文・小林恭子)

1 移民労働許可にポイント制を導入

2020年2月18日に発表された新移民制度が今年1月1日に施行され、EUとそれ以外の国の市民との区別がなくなった。新制度では複数項目から成るポイント制を導入し、合計70ポイント以上で労働許可の申請対象となる。また、科学や人文、デジタル・テクノロジーなどの分野で高いスキルを持つ人材を受け入れるため、内務省認定団体が承認した人物であれば求人がなくても労働許可が申請できる「グローバル・タレント」枠を導入。今夏までに英国の高等教育機関の学位を取得した留学生は、「卒業生ビザ」を取得すれば2年間の労働許可が得られる。

2 関税独自制度「英国グローバル・タリフ」を導入

英国は独自の関税制度である「英国グローバル・タリフ」(UKGT)を導入した。英国と自由貿易協定を結んでいる国からの輸入品、一般特恵関税制度の対象となっている国からの輸入品、一時的な免税措置の対象となっている輸入品などを除く、各種物品に対して適用する。UKGTの関税分類品目は計1万1830品目。全体の34%は従来の税率を維持、無税となる品目は27%から47%に増加した。具体的には、従来の関税が2%未満の物品、英国製造業による生産工程が入った物品、グリーン成長産業に貢献する製品などが無税対象となっている。

3 旅行EU加盟国への入国条件が変更に

2021年1月1日以降、英国パスポート保持者がEU加盟国に旅行する場合、パスポートの有効期間が最低半年以上残っていること、10年以内に発効されたものであることが必要になる。アイルランドへはこれまで通りに英国パスポートでの旅行が可能。英政府発行の欧州健康保険証はEU内で継続して使用可能だ。EU加盟国のほとんどに加え、スイス、アイスランド、リヒテンシュタイン内で英国の運転免許証が通用するが、一部の国では国際運転免許証が必要になる場合も。EU、アイスランド、リヒテンシュタイン、ノルウェーで英国の携帯電話を使う場合、ローミング料金がかかる。

空港での入国審査でも、英国市民とEU市民は別々に空港での入国審査でも、英国市民とEU市民は別々に

4 教育EUの留学制度が利用不可に

昨年末時点でEU加盟国に居住している英国籍の留学生は学業を継続できるが、教育受託機関に在留資格や学費変更の有無について再確認が必要。今年から留学する場合、教育受託機関や大学入試機関「UCAS」に要相談となる。EUの高等教育交流プログラム「エラスムス+」が利用不可になり、英国独自の留学資金援助策「チューリング・スキーム」が開始される。昨年末以前から英国に居住するEU加盟国、アイスランド、リヒテンシュタイン、ノルウェー、スイス国籍の学生は「EUセトルメント・スキーム」に申請し、在留資格を得る必要がある。

5 貿易EU以外の国・地域と協定発効

EU加盟時は、70カ国以上と約40の貿易協定を締結していた英国。今年1月からは60の国・地域(1月13日現在)との貿易協定が発効した。競争力低下を懸念した英国は、EU外の主要国との貿易促進を狙い、昨年10月には日本と日英包括的経済連携協定(日英EPA)を締結。工業製品の関税を撤廃、日本ワインの英国への輸入規制を撤廃するなどした。女性労働者や事業経営者の能力向上に関する活動でも協力する。2019年の日英貿易総額は316億ポンド(約4兆4368億円)、英国の貿易総額の2%を占める。英国政府は、日英EPAが長期的には英国のGDPを0.07%上昇させると予想した。

さらばEU! 2021年、英国の未来はいかに?

2020年12月24日、離脱交渉合意の連絡を受け喜ぶジョンソン首相2020年12月24日、離脱交渉合意の連絡を受け喜ぶジョンソン首相

合意は火種含み。取り戻した「主権」で何をするかが課題に

今年1月1日から、英国と欧州連合(EU)の関係は大きく変わった。

英国はEUとの自由貿易協定(FTA)を成立させ、EU非加盟国でありながらモノの貿易には関税がかからず、数量制限も課されない独自の立場を獲得した。また、EU司法裁判所の管轄には入らない方針を死守し、EU単一市場から抜け出したことで、離脱志向を加速化させる一因となったEU移民の無制限流入にも歯止めをかけた。ボリス・ジョンソン首相が繰り返した「英国を国民の手に取り戻そう」というスローガンをひとまずは実現させた形と言えよう。取り戻した「主権」で何をどうするのか。ジョンソン政権は未来図を描く必要に迫られている。

一方、失ったものも少なくない。金融、建築業、会計などのサービスを提供する企業はEU市場に自動的にアクセスする権利を失った。安全保障にかかわるEUのデータへの自動アクセスもできなくなった。また、FTAは締結されたものの、検疫や原産地証明の確認といった税関手続きが新たに必要となるため、物流に一定の混乱が出ることも予想される。今後、細かな点は随時アップデートされていくが、EU加盟国と同等の扱いになるかどうかは不透明だ。

離脱はスコットランド地方の独立機運を高めるとも言われている。EU離脱を問うた2016年の国民投票で離脱票が残留票を上回ったのはイングランド地方のみ。スコットランド、ウェールズ、北アイルランド地方では残留派が勝利した。北アイルランドでもアイルランド共和国との統一を求める声が強まりそうだ。

政治統合の深化に向かうEUに背を向けた英国。その代わり、米国や英連邦諸国、日本を含むアジア各国と関係を深める方向に向かうという見方が強い。日英包括的経済連携協定(日英EPA)はその一歩ともいえる。

英国がジョンソン政権の宣言どおりこれまで以上に繁栄していけるのか、ここからの動きに引き続き要注目だ。

(文・小林恭子)

EU加盟国はブレグジットをどう見たか

EU諸国では、ブレグジットをどのように受け入れたのだろうか。実は、新型コロナウイルスの感染拡大でそれどころではなかった、というのがEU市民の本音かもしれない。それでもFTAの合意期限が迫るにつれて、EU離脱関連のニュースが各国紙面のトップ・ニュースに上がるようになった。

EU加盟国はブレグジットをどう見たか

EUのリーダー的存在ドイツとフランスの反応

独「ハンデルスブラット」紙の報道によると、12月までEU議長国を務めたドイツはウルズラ・フォンデアライエン欧州委員長と非常に密接な関係にあり、フランスの協力も得て、12月24日にFTA合意を導いた。アンゲラ・メルケル首相は声明のなかで、この合意を「歴史的に重要」として歓迎の意を表明。締結内容は結果的にEU、とりわけ輸出経済に強いドイツにとって有利となり、特に自動車業界がいち早くこの合意を祝福したのは偶然ではないという。またドイツは親EU派が多く、「シュピーゲル」紙(オンライン)の政治部編集者ケヴィン・ハーゲン氏は、「歴史的な誤りにして自己破壊行為」などとブレグジットを痛烈に批判している。

一方のフランスでは、漁業権をめぐる交渉が最も注目を集めていた。英海域には豊かな漁場があり、フランスやオランダなどの漁業関係者にとっては死活問題だ。2022年に再選を狙うエマニュエル・マクロン大統領は、10月に行われたEU首脳会議の前に「漁師たちをブレクジットの犠牲にすることはできない」と表明。良い条件で合意することができなければ、譲歩せず承認を拒否するとみられていた。その後、ジョンソン首相は交渉決裂を回避するため、土壇場でEUに大幅譲歩。EUの漁業者は今回の合意に胸をなで下ろした。マクロン大統領は大晦日のTV演説で、フランスは今後も英国との協調関係を重要視しつつ、欧州と共に歩むことを明言した。

さらなる離脱国は現れるのか?

ほかのEU加盟国もこの合意を「欧州の力」の表れであるとして歓迎。イタリアのジュゼッペ・コンテ首相は、英国は引き続き主要なパートナーであり同盟国であると述べた。また長い間論争の的となっていた、北アイルランドの国境管理について、アイルランドのミホル・マーティン首相は、お互いに良い妥協点を見つけられたと好意的に受け取っている。

一方で、英国に次いでEUを離脱する国が現れるのではないかという危惧もある。例えば、ポーランドやハンガリーでは近年、強権的な政権の下で司法などの独立が脅かされている。EUは、経済回復のためのコロナ復興基金を設立し、その分配条件として権力の乱用を法で縛る「法の支配」の順守を加盟国に求めていたが、上記二国は反発。一時は年内の予算成立もあやぶまれたが、最終的には合意に応じた。

英国のEU離脱という重要課題に終止符が打たれ、EU諸国もまた束の間の安堵を得ているかもしれない。しかし、新型コロナウイルス対策や経済復興策などの立ちはだかる大きな壁に、連帯を強めることができるのか、あるいは分断が進んでしまうのか。EUとしての結束力が、引き続き問われている。

(文・ドイツニュースダイジェスト編集部)
参考:Handelsblatt「Deutschland hat seine Ziele erreicht – mit Pragmatismus und Hartnäckigkeit」、tagesschau.de「Merkel nennt Einigung "historisch"」、Der Spiegel「Warum wir uns niemals an den Brexit gewöhnen dürfen」、France TV3「Brexit & pêche. 25% de perte d'activité pour l'Europe: quelles aides pour les pêcheurs et mareyeurs bretons?」、Deutsche Welle「EU-Rechtsstaatsstreit: Polen und Ungarn erklären sich zu Siegern」

 

ソーシャル・メディアとうまく付き合うためのQ&A - つながりっぱなしの世界、どうやって過ごす?

ソーシャル・メディアとうまく付き合うためのQ&Aつながりっぱなしの世界、どうやって過ごす?

今日、大量の情報やその中に紛れているフェイク・ニュースが多くの人を悩ませている。コロナ禍でも「お湯を飲むと予防効果がある」、「感染者が空港から脱走した」などの偽情報がソーシャル・メディア上をかけめぐったのは記憶に新しいだろう。本特集の最後に、そんな情報過多社会においてどのように情報と付き合うべきか、ソーシャル・メディア論の専門家である藤代裕之さんにお話を伺った。

ソーシャル・メディアとは

インターネットを介して、誰でも情報を発信・受信し、双方向的なやりとりができるメディア。代表的なものとして、ツイッターやインスタグラムをはじめとするソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)、ユーチューブなどの動画共有サイト、ブログ、ラインなどのメッセージング・アプリなどがある。

お話を聞いた人

藤代裕之さん Hiroyuki Fujishiro

法政大学社会学部メディア社会学科教授、ジャーナリスト。徳島新聞社で記者として、司法・警察、地方自治などを取材。NTTレゾナントで新サービスの立ち上げや研究開発支援担当を経て現職。日本ジャーナリスト教育センター(JCEJ)代表運営委員。専門は、ジャーナリズム論、ソーシャル・メディア論。

Q. スマートフォンは生活に欠かせないのに、ずっと一緒は疲れる……これって現代人共通の悩み?
A. スマートフォンは「便利でやや不快なもの」

スマートフォンが手放せない理由の一つは、ずばり「身体的・物理的な距離の近さ」。テレビや新聞などのマスメディアの時代には、特定の場所や時間において情報に触れることが一般的でしたが、スマートフォンならベッド、風呂、トイレ……いつでもどこでも持ち歩けます。

日本人のメディア接触時間は、2019年時点で1日当たり400分を超える日本人のメディア接触時間は、2019年時点で1日当たり400分を超える

一方でNHK放送文化研究所の調査では、日本に住む18~69歳の回答者のうち、およそ8割が「情報が多すぎる」と回答。マスメディアが主流の時代、「ニュースを読む・見る」ことは、新聞を取りに郵便受けに行ったり、テレビのチャンネルを選んだりと能動的な行動に紐付いたものでした。しかしスマートフォンは常時ネットに接続されており、一日中アプリからのプッシュ通知が届きます。この大量の情報に受動的に接し続けなければならない状況が、いわゆる「情報疲れ」や「スマホへの不快感」の原因に。とはいえ、人間は1度手に入れた便利なものからなかなか離れられないので、メディアに対する意識と現実の間で、あらゆる世代の人が揺れ動いているのが現状です。

Q. ネットによって視野が狭くなっている若者が多いと聞きますが、実際のところは?
A. 実は中高年世代よりも若者の方が「合理的かつ冷静」に情報に触れている

「フィルター・バブル」(泡のフィルター)という、ネットの検索結果が利用履歴などをもとにカスタマイズされ、各ユーザーにとって心地良い情報ばかり入ってくる現象があります。それによって利用者の視野が狭まり、似た意見がつながりやすくなるというのですが、これはインターネット黎明期からずっと議論されてきました。

従来、ソーシャル・メディア上の不確実な情報を鵜呑みにするのは若者だといわれてきました。ところが最近の10~20代のメディア接触の仕方は、合理的かつ冷めたものだということが明らかに。彼らの検索行動を調べると、グーグルなどの検索サイトではなくソーシャル・メディアでの「ハッシュタグ検索」を多く利用しています。ハッシュタグ検索では、アルゴリズムを使った検索結果の順位付けもなく、極端なものも含めた意見の「相場観」を知ることが可能。日本の若者が突出することを嫌う傾向にあることから、まんべんなく全体の意見を知ろうとする検索態度が垣間見られます。

一方、中高年世代はメディアに対して「正しさ」や「真実」を求める傾向が強いです。かつて、テレビや新聞は取材から配信まで一貫して行い、間違った場合はその媒体自ら訂正しました。そのため、基本的に「情報」は信用できるものとして受け取られていたのです。それゆえ彼らが当時の感覚でスマートフォンを使用すると、自分の意見に近い不確実な情報に接触し、フェイク・ニュースに騙される……なんてことも起きています。

インターネットの閲覧履歴に基づくレコメンドの認知

Q. 昨今、世界的にマスメディアへの不信が広がっています。その理由は何でしょうか?
A. 誰もが発信者になれるというメディア環境の変化

元来マスメディアやジャーナリズムは、政府や公権力の監視、あるいは社会的な弱者への眼差しとして、社会の中でも非常に重要な役割を担うものです。昨今のメディア不信の背景には、マスメディア側にも誤報や不祥事などの問題はもちろんありますが、ソーシャル・メディアの発達によって誰もが発信者になれるといった環境変化があるでしょう。

例えば2016年の米大統領選で、トランプ氏がソーシャル・メディアを巧みに利用して勝利したことは有名です。同氏は、「ニューヨーク・タイムズ」紙やCNNのような大手メディアによる情報を「フェイク・ニュース」と攻撃し、支持者と反トランプ派の亀裂を深めました。大手メディアはそういった政治家への有効な対抗策を見いだせないまま、「トランプ氏が○○とツイートした」といった取材や調査を必要としないニュースを流すなど、むしろ世論の分断を助長する面もあります。

無数のユーザーが発信できる今、伝統的なメディアには、しっかりとした調査に基づいた良質な情報発信が求められています。一方で、紙面販売や広告収入の減少など、経済的な苦境を抱えているのも現実。マスメディアが「誠実にいい記事を作ろう」というだけでは解決しません。情報が拡散されることによってアクセス数や広告収入を稼いでいるインターネット・メディアや、ツイッター、インスタグラムなどのプラットフォームなど、「偽情報でもアクセス数が伸びればそれでいい」というビジネスが成立する仕組み自体を変える必要があります。

質の高いニュースほど制作費がかかる一方で、フェイク・ニュースはコストが安い上に拡散力も高いというジレンマがある

Q. 「メディア・リテラシーを身に付けることが大事だ」といわれますが、それがあれば「フェイク・ニュース」を見抜けるのでしょうか?
A. 個人のメディア・リテラシーだけでなく、ソーシャル・メディア環境の整備が急務!

玉石混交の情報を見分けるには、「誰がどんな意図で書いているか」を批判的に考える力、つまりメディア・リテラシーが必要だと、いろいろなところでいわれています。もちろんそれは大切なことですが、メディア・リテラシーがあれば偽情報を見抜けるかというと、私は懐疑的です。

ソーシャル・メディア環境を車社会に例えてみましょう。昔より今の方が、圧倒的に事故数って少ないですよね。道路の整備、車体の安全性能の向上、シートベルトの義務化など、さまざまな理由があります。その上で私たちは「安全に車を運転する方法」を知る必要がありますが、これがメディア・リテラシーに当たる部分です。しかし、今のメディア環境で私たちに求められるのは、「時速300キロの車が走る道で、故障車を見破って事故を防ごう」というくらい難しいもの。

そんな状況下ではまず、情報を売っているメディアや、拡散しているプラットフォームの責任を問うべきでしょう。例えばツイッター社は昨年の米大統領選に際し、誤情報の拡散防止や、情報拡散のスピードを緩めるため、一部仕様を変更しました。まだ実施されていないだけでシステム的・技術的に可能なことや、法整備が必要なことは数多くあります。そうした基盤が整うことで初めて、私たちは「情報を読み解く」ことが可能になるのではないでしょうか。そのため残念ながら、今のところ「誰でもフェイク・ニュースを見抜ける方法」は存在しません。逆に言えば、今のままではメディア・リテラシーがうまく機能しないこと、そのためにプラットフォーム運営者や政策が何をすべきかを言い続けることが、私自身の仕事かなと思っています。

これから求められるのは「生活に根ざしたメディア」

大量の情報に溢れる現在、多くの人がメディアとの付き合い方を見直し、どんなメディアを選択するかについて意識的になっている。だからこそ、良質なメディアからフェイク・ニュースを発信するメディアまで、あらゆる新しいメディアに均等にチャンスがあるだろうと、藤代さんは語る。藤代さんが特に可能性を感じているのが、「地に足の着いた、生活に根ざしたメディア」だ。正しさについて論評するばかりではなく、身の回りのもっと違った価値に目を向けら れるメディアが、どの情報を信じていいか分からない時代において、人々の支えとなるのかもしれない。ニュースダイジェストは2021年も引き続き、読者の皆様に寄り添った誌面作りを目指したい。

もっと知りたい人におすすめの書籍

「コロナの情報に疲れた」、「若者の話が分からない」……そんな悩みを抱える人も少なくないだろう。本書では、ソーシャル・メディアが広く普及した後の世界(=アフター・ソーシャル・メディア)で、人々がどのように情報接触を行っているかについて、さまざまな調査データをもとに分かりやすく解説し ている。情報過多社会を生きる私たちにとって、多くの発見が得られる一冊だ。

多すぎる情報といかに付き合うかアフターソーシャルメディア多すぎる情報といかに付き合うか
アフターソーシャルメディア

著者:藤代裕之ほか
発行元:日経BP 2020年6月刊行

 

英独仏三国の識者に聞く - 新聞の強みと日本のジャーナリズム

Web限定インタビュー!英独仏三国の識者に聞く新聞の強みと日本のジャーナリズム

ニュースダイジェスト2021年新年号では、英独仏のメディア事情に詳しい3名の識者に、各国新聞の特徴についてうかがった。ここでは、紙面では語り尽くせなかったインタビュー内容を、余すことなくご紹介する。三つの視点から浮かび上がった、「新聞メディアの強みと、日本のジャーナリズムの課題」とは?

お話を聞いた人

英国

小林恭子さん Ginko Kobayashi

在英ジャーナリスト。英国をはじめとした欧州のメディア事情、政治、経済、社会現象を複数の媒体に寄稿。英国ニュースダイジェストでは毎号「英国メディアを読み解く」を執筆。

ドイツ

熊谷徹さん Toru Kumagai

在独ジャーナリスト。過去との対決、統一後のドイツ、欧州の政治・経済統合、安全保障問題を中心に取材、執筆を続ける。ドイツニュースダイジェストでは毎号「独断時評」を執筆。

フランス

フィリップ・メスメルさん Philippe Mesmer

ジャーナリスト、ニュースキャスター。Le MondeとL’Expressの在東京コレスポンダントとして活動中。École Supérieure de Journalisme 修士課程修了。

新聞の強みはどのような点にありますか。

小林さん「規制に縛られない自由な報道」

時間をかけて、自分のペースでじっくり集中して読めることでしょうか。また、(英国の)テレビやラジオの報道は、放送網を利用するために英国情報通信庁(Office of Communications)による監査を受けていて、内容の中立性を順守する必要がありますが、新聞にはそのような特定の法律的縛りはありません。事実と情報を流すだけではなく、論説や分析なども多いので、ニュースの背景についてより深く知ることができる点も、新聞の強みだと思います。

熊谷さん「思いがけない情報に出会える」

印刷された新聞の利点は、デジタル化されたメディアよりも、情報を早く吸収できることにあると思います。物理的にページをめくっていくことによって、新しい情報を見つけやすいんですね。

もちろん、デジタル・メディアの場合は、検索すれば知りたい情報がすぐに出てくるという利点がありますが、逆に言えば、検索しない情報は見つけにくい。紙媒体を最初から最後まで読んでみると、あっと思うようなニュースが見つかったということが、これまでに何度もありました。

メスメルさん「読者の知性に訴える『確かな情報』」

新聞の持つ真面目なイメージは、ほかのメディアにない強みだと思います。特に、ソーシャル・メディアや個人ブログなどによる情報発信が増えた結果、フェイク・ニュースが問題になっている現在においては、「信頼に足る情報」を確実に届ける新聞の存在意義が大きいといえるでしょう。

新聞記者は、見聞きした情報を丸ごと信じることはありません。手掛かりとなる情報をもとに、取材やリサーチを通じて深堀りし、ファクトを確かめます。このプロセスが重要であり、オンライン・メディアなどにはない特徴です。

現在はビジュアルの時代ともいわれており、写真や動画といったイメージがニュース視聴者に与えるインパクトが大きいですが、私はこの傾向にも懐疑的です。

私の通ったジャーナリズム学校の講師が言ったことで、印象に残っている言葉があります。「イメージは感情に訴え、言葉は知性に訴える」というものです。言葉を用いて情報発信する新聞は、読者が冷静に状況を把握し、判断を下すために重要な存在だと考えています。

日本の新聞に必要なことは何でしょうか。

小林さん「権力との距離を保ち、市民の側に立った報道を」

新聞の役割は民主主義を守ることなので、日本の新聞はもっと市民の側に立った報道が必要です。そして権力に対する監視をもう少し厳しくしていただきたい。政治家に「メディアは怖い、用心しなくては」と思わせ、緊張感を持たせるような記事を書かなければいけません。昨今の日本の政治を見ていても、もしこれが英国であれば、菅政権はもうとっくにメディアからボコボコに叩かれているはずです。

英国の新聞の特徴は、思い思いの政治的見解を展開することですが、日本の新聞は不変不動、つまり報道の中立性を重視していますね。偏向報道をしないように作る側が心掛けているし、読むほうもそれを期待している。ですから日本ではよく「偏った報道だ」という言い方で批判が起こります。しかしその分、紙面はどっちつかずになり目立った意見が掲載されないともいえるかもしれません。

英国では、政府が政策を発表すると、新聞は市民の視点から報じます。「市民の生活にとってその政策はどうなのか」と、必ず批判的に物事を見ています。これは例えば性犯罪の報道などでも同じで、被害者の側に立った記事になり、「被害者にも悪い点があったのでは」などという、公平を装った報道にはならないわけです。

また、日本のメディアは、大企業について「企業の言うことにも一理あるのではないか」という姿勢で報道することがありますが、英国では、政治家や大企業などの権力者の言うことは最初から「おかしいことがあるかもしれない」と疑った目で見ている。権力の監視を役割としているのです。

取材方法も、日英で大きく違います。2011年に東日本大震災で原発事故が起きたとき、日本の新聞界は「危険だから行ってはいけない」という政府の言葉を守り、現場に足を踏み入れませんでした。しかし英国のチャンネル4などは行ってしまった。これは、与えられたものを報道するだけではなく、一歩踏みこんで自分たちで判断するということを意味します。人種差別に関する問題なども、当事者に話を聞くだけでは分からないことは、潜入取材で自らが当事者になることで記事を書く。公益のためにはかけ引きや危険も辞さず、情報をもぎ取るくらいのやり方です。それに比べると日本はおとなしいですね。特に政治に関しては、日本は政権がなかなか変わりませんから、一定の政党、政治家と仲良くなることで情報を流してもらう形になってしまいがちです。

熊谷さん「複雑な出来事を解説するクオリティー・ペーパーを」

日本にもドイツのような高級紙(クオリティー・ペーパー)ができてほしいですね。これは、日本のマスコミ関係者や新聞記者の間でもよく話されています。

ドイツ語の動詞に「einordnen」という日本語には訳せない言葉があります。これが意味するのは、出来事や事件を解析して、さらにそれにどういう意味があるのかを解説すること。ドイツでは、新聞を読んで単に新しい情報を入手するだけではなく、「einordnen」することが新聞の一番重要な機能なのです。日本の新聞には、この「einordnen」が足りないと感じています。

日本では事実を中立的に報道し、あとは読者が判断するというスタンスが基本です。しかしながら、この世の中には複雑な出来事が多すぎるため、事実を提示しただけでは一般の人が判断できないことが多いんですね。ドイツ人は理論性を好む傾向にあるので、一般の人が理解できるように出来事の歴史的・政治的背景を解説してくれることを新聞に望んでいます。昨今、世界では右派ポピュリズムが勢力を拡大しています。特に若者たちがその主張の問題点を自分の頭で考えられるようにするには、やはり「einordnen」が重要だと思います。

日本の新聞記事に比べて、ドイツの記事は圧倒的に長いです。日本では、できるだけ記事をコンパクトにしないと受け入れられないと思うのですが、ドイツの新聞ではよく取材したものに関しては丸1ページを割いており、記者の取材力と筆力を感じますね。また、一流の経済学者や歴史学者、政治学者が一面を使って評論を書くこともあります。ホットな話題でなくても、例えば第一次世界大戦や第二次世界大戦が現代の政治に及ぼしている影響といったトピックも。ちょっとした本を読むくらいの内容量があり、読むのは大変なのですが、非常に勉強になります。

今の日本には高級紙と呼べるものはありませんが、月刊誌「FACTA」など一般的な新聞には載らないような内容を伝える雑誌が発行されています。現在は関心のある人だけがそういった雑誌を購読しているような状況ですが、時間と費用をかけてでも物事の背景をきちんと解説するような高級紙が、これからの日本に必要だと思います。

メスメルさん「独立独歩の姿勢で、市民の意見形成に貢献を」

日本の新聞は、もっと独立した存在であるべきです。今の新聞は、政府をはじめとする権力からの干渉を許し過ぎています。官邸での記者会見などを見ていると、政府側の誘導に従って、当たり障りのない質問をしているだけで、突っ込んだ質問をする記者はほとんどいません。メディアの経営層が政府に取り込まれているからだと思いますが。ジャーナリストらしい取材をしていると思えるのは、東京新聞の望月衣塑子記者くらいですね。

紙面を見ても、一面を飾るニュースはほぼ横並びで、各紙の特色が見えません。まるで同じ新聞を読んでいるような気になります。もっと自由に取り上げるネタを選んでもいいと思いますね。紙面上でもっと活発な議論を展開することも必要でしょう。新聞が読者に対して具体的な「イデア」(考え方)を提供し、「こうあるべきだ」という提案をするべきです。読者が自分なりの意見を形成するための助けにならなくてはいけません。民主主義国家の言論機関として、それこそが新聞の使命なのですから。

最近は、ソーシャル・メディア上でマスメディアを「マスゴミ」と呼ぶような風潮もありますが、これはマスメディアの記者たちが積み重ねている地道な取材・調査活動のような舞台裏が、一般の人たちに知られていないからという面もあると思います。

これに対しては、米「ニューヨーク・タイムズ」紙が良い試みをしてます。トランプ政権によるマスメディア攻撃が始まっていた2018年、自社の記者たちの日常を映したドキュメンタリー番組である「ザ・フォース・エステート」(The Forth Estate)を公開したのです。「新聞記事が多くの時間と労力をかけ、時には命の危険を冒して作られているという事実をきちんと説明してこなかったことが、信頼不足につながっている」という反省のもとに制作された番組で、視聴者からは「記者たちが地道な取材活動や真剣な議論を繰り返し、悩む様子を観て、彼らも私たちと同じ人間なのだということが分かった」といった感想も出ています。日本の新聞社も、もっとありのままの姿を見せ、等身大の存在として理解してもらう試みをしてみるといいのではないでしょうか。

マスメディアは、市民に寄り添うパートナーとしての情報提供を

お三方のインタビューを通して、新聞やジャーナリズムにとって欠かせない、いくつかの共通ポイントが見えてきた。

まずは、権力との適切な距離を保ち、民主主義国家における「第四の機関」としての役割を果たすことだ。その時その時の政権や大企業と癒着することなく、主権者である市民の利益を考えた報道をすることが求められる。それに伴っては、独立した報道機関の存在意義をしっかりと示し、「新聞が権力批判をするのは政治家叩きがしたいからではなく、民主主義国家を構成する機能としての役割を果たすためだ」という事実を、丁寧に伝えていくことも必要だろう。

また市民の利益を考えるにあたっては、複雑な事象や問題を中立的に報道するだけでなく、背景なども含めて分かりやすく説明し、市民生活にはどのような影響があるのか、といった解説を提供することも重要だ。

メディアは、権力の暴走を食い止め、私たち一人ひとりの手から主権が奪われることを防ぐための重要なツールだ。ソーシャル・メディアを利用したポピュリズムが蔓延する現代こそ、「一般の人々に寄り添うパートナー」としてのマスメディアの在り方が、ますます求められている。

 

皮肉とユーモアたっぷりのカリカチュア

ニュースを視覚的に読み解く皮肉とユーモアたっぷりのカリカチュア

欧州の新聞には、社会や個人の過失、欠陥などを批判した風刺画「カリカチュア」の掲載が多く見られる。ニュースの詳細が分からなくても、一目で万人に理解させるこの手法は、描き手のシニカルな態度と卓越したユーモアがあってこそなせる技。ここでは欧州におけるカリカチュア事情を簡単に紹介しよう。

皮肉とユーモアたっぷりのカリカチュア英国の「ガーディアン」紙に掲載された、スティーヴ・ベル氏による作品。2020年4月、英国内で増え続ける新型コロナウイルスの感染者数に対し、政府ができるソーシャル・ケアの最終プランを描いた。同氏は、ボリス・ジョンソン首相の顔をお尻の形に描くことで有名だ
参考:https://www.belltoons.co.uk/bellworks/index.php/leaders/2020/4488-150420_SOCIALCAREPLAN

皮肉とユーモアたっぷりのカリカチュアドイツでは毎年カリカチュア大賞を開催しており、2020年の金賞はヴォルフ=リューディガー・マルンデ氏が受賞。洗車やヴィーガン・スナックの販売で生き残ろうとするガソリンスタンドを通じて、ドイツの車社会の危機を描いている

参考:caricatures&caricature「Political Caricature and International Complications in Nineteenth-Century Europe」、visual-arts-cork.com「Caricature Art」、BBC「Political cartoons: Britain's revolutionaries」、Political Cartoon Gallery「The Greatest British Political Cartoon of All Time」、Deutschlandfunk「Deutscher Karikaturenpreis 2020 Weniger ist mehr」

美術界から生まれたカリカチュア

カリカチュア(Caricature)の始まりは、「実在の人物の特徴を誇張して描いた肖像画」で、美術分野に限られた手法だった。語源はイタリア語の「Caricare」(誇張する)。1590年代のイタリア人画家アンニーバレ・カラッチが、誇張して描いた肖像画のスケッチに対して、最初にこの言葉を使っている。当時のイタリア美術界では、人体比や色彩を誇張した技巧的表現を特徴とするマニエリスムが展開していた。それまでの盛期ルネサンスで到達した「調和のとれた表現」を、ユーモアをもって分解していく作業がカリカチュアだったのだ。

この手法が欧州各地に広まり、18世紀後半から19世紀半ばにかけて、英国ではジェームズ・ギルレイ、トマス・ローランドソン、ドイツではヴィルヘルム・ブッシュ、フランスではシャルル・フィリポンなど、日常生活や政治を風刺する画家が次々に誕生する。テレビやラジオがない19世紀の欧州で、カリカチュアは識字率の低い貧困層にとって情報源になった一方、政府にとっては脅威の存在でしかなかった。特に自国で他国を嘲笑する風刺画が出回ることは、外交上の不都合以外の何ものでもない。各国で対応にばらつきはあるものの、1815~1914年の間、政治批判のカリカチュアは英国を除くほとんどの国で政府による検閲の対象になった。

独自路線派、慎重派、そして過激派

2020年は新型コロナウイルスを扱うカリカチュアが多数登場した英独仏の3国。しかしカリカチュアの扱いは、近隣国同士でありながら大きく異なる。

まずは、英国のカリカチュア。前述の通り英国ではこれまで政府の検閲が行われなかったが、その理由は人々が自国の支配者を笑うことで政治への不満を抑え、社会を安定させることを狙った政府の戦略にあった。そのような基盤の上に成り立つカリカチュアは、政治家を知るのに「(公式の肖像画より)よっぽど有用だ」とされ、むしろ題材になることを名誉に感じる政治家もいるほど。

対するドイツは、掲載内容に関してはかなり慎重派。政治家、移民問題、環境問題などを積極的に取り上げる一方、イスラムを題材にした作品は、2015年にパリで起きたシャルリー・エブド襲撃事件以降、避けられがちに。また、教育関係者の中には、生徒たちにムハンマドのカリカチュアは見せたくないと考える人も多い。

この路線と真逆を行くのがフランスだ。カリカチュアは同国における言論の自由、議論の自由、表現の自由の象徴の一つとして揺るぎない地位を確立している。また、新聞や雑誌に関しては、「皮肉な表現方法も、思想や意見を話し合うための手段」と考えることから、表現の自由が尊重される傾向がある。ただし、その自由は無制限ではなく、特定の人を中傷することや差別的発言、戦争犯罪を称賛することは法的に禁止されている。

 

英国・ドイツ・フランスのメディア解剖 - コロナ時代の「情報力」を身に付ける

コロナ時代の「情報力」を身に付ける 英国・ドイツ・フランスのメディア解剖

欧州では長い歴史の中で、新聞社や公共放送がメディアの中心的存在を担ってきたが、昨今、私たちを取り巻くメディアの様相は大きく変化している。特にコロナ時代になり、情報を意識的に取捨選択することがますます必要になった。2021年最初のニュースダイジェストでは、英独仏の新聞やカリカチュア、さらにはソーシャル・メディアの視点から、今日のメディアのあり方を徹底解剖! 情報とうまく付き合い、困難な時代を生き抜くためのヒントを探る。(文:英国・ドイツ編集部)

全ての「メディア」はローマに通ず
紀元前ローマから始まった新聞

世界最初の「新聞」を発行したのは、共和政ローマ期の政治家カエサルだといわれる。元老院の議事録を中心に、催事やよもやま話も織り交ぜたこの新聞は、掲示板に張り出される形だった。その後、手書きのニュースレターは存在していたが、新聞といえるものの登場は印刷技術の発明まで待たなくてはならない。

活版印刷技術が早く実用化したドイツでは、世界で1番に週刊紙「リレーション」(Relation)(1605年)を発行。フランス初の定期発行された新聞は「ラ・ガゼット」紙(La Gazett)(1631年)、英国ではオランダから輸入された英字新聞が1620年代にあったものの、最初の英国新聞として知られるのは「オックスフォード・ガゼット」紙(Oxford Gazette)(1655年)だ。ドイツの新聞が他国より先に発達したのは、技術的な理由だけでなく、国家が分裂状態にあり、印刷物への検閲が緩かったためだといわれている。この時代、各国では王室や国王を攻撃する新聞などは処罰の対象になった。

報道の自由を求める闘いは17世紀に始まり、最終的に英国では1695年に「権利の章典」として実を結ぶ。フランスではヴォルテールらの啓蒙思想が広まり、フランス革命へと発展。ナポレオンが「新聞によって王朝が終結した」と語ったほど、この時期には次々と新聞が誕生し、世論形成に大きな役割を果たしたのだ。新聞の基本的な役目は19世紀まで変わらなかったが、印刷技術の発達によって大量印刷が可能に。やがて、マスメディアに進展していくのだった。

参考:European History Online http://ieg-ego.eu MITTELDEUTSCHER RUNDFUNK www.mdr.de 小糸 忠吾『新聞の歴史―権力とのたたかい』 (新潮選書)

世界報道自由度ランキング2020
欧州は比較的メディアの自由度が高い!

世界報道自由度ランキング2020※数値が小さければ小さいほど自由度は高くなる。

出典:国境なき記者団「2020 World Press Freedom Index」

世界報道自由度ランキングとは

世界のジャーナリストたちによって構成されるNGO「国境なき記者団」が2002年から毎年発表しているランキング。世界180カ国と地域を対象に、メディアの独立性、多様性、透明性、自主規制、インフラ、法規制などについて、専門家へのアンケートや各国のデータを組み合わせた独自の評価基準と数式によって評価値が算出される。

三国の新聞比較

英国・ドイツ・フランスとも、報道の自由度が比較的高いことで共通しているが、各国のメディアを比較してみると、それぞれお国柄が表れていることが分かる。そんな三国の新聞がどのような視点で世の中の出来事を報道しているのか、各国のジャーナリストにお話を聞いた。

権力に対し健全な批判を展開する英国 権力に対し健全な批判を展開する英国

指導者層の愛読紙からタブロイド紙(大衆紙)に至るまで、英国で発行されている新聞の根本にあるのは「批判精神」。テレビやラジオが英国情報通信庁(Office of Communications)による監督を受け、中立性を順守しているのに比べ、新聞には特定の法律的縛りはない。そのため左派も右派も権力の監視塔としての役目を果たすべく、論鋒鋭く問題に切り込んでいく。保守であっても政府の広告塔ではなく、その新聞の立ち位置であるに過ぎない。それでも過激に走り過ぎず、一定の自主規制の下で報道するところは英国らしいといえる。

お話を聞いた人

小林恭子さん Ginko Kobayashi

在英ジャーナリスト。英国をはじめとした欧州のメディア事情、政治、経済、社会現象を複数の媒体に寄稿。英国ニュースダイジェストでは毎号「英国メディアを読み解く」を執筆。

英国を代表する新聞

冷静な視点は指導者層が愛読
The Times
タイムズ紙

保守中道の全国紙。政治家、大企業の経営者などの指導層が愛読する。常に冷静な視点から報道し、偏りの少ない公正な論調が基本。先ごろの米大統領選では、他紙がバイデン氏の勝利を大々的に報じていたのに対し、軸足をトランプ大統領側に置いた冷静な見出しを掲げたのも、その表れといえる。

1785年に創刊された英国の老舗メディアの一つであり、「ニュースペーパー・オブ・レコード」、つまり「正式な記録を残す新聞」としての権威がある。2010年からはオンライン版の有料化に踏み切るなど、長い伝統を持ちながらも、常に先手を打って英国の新聞業界を牽引する存在。ポッドキャストにも力を入れ、「ストーリーズ・オブ・アワ・タイムズ」では、米大統領選からシリアの情勢まで、毎日1本、政治や文化を中心に一つのトピックを掘り下げる。姉妹紙には「サンデー・タイムズ」がある。

権力を監視する英国の良心
The Guardian
ガーディアン紙

左派・リベラル系。知識層やアーティスト、中産階級が主な読者。民衆弾圧事件「ピータールーの虐殺」を機に1821年に創刊され、1959年に全国紙となった。営利主義を拒否し、オンラインで全記事が無料で読める数少ない高級紙。基本的に労働党支持だが、かつて労働党のブレア元首相が参加を決断したアフガニスタン侵攻や、イラクでの戦争には猛反対を示し、人々の良心に訴えた。

権力を監視する、積極的な取材に定評がある。NSA(米国国家安全保障局)による国際的監視網「PRISM」の実在を告発したエドワード・スノーデンから託された資料を調査・掲載するなどし、2014年にはピューリッツァー賞を受賞した。ポッドキャスト「トゥデイ・イン・フォーカス」は、ニュースをより深く理解するために週5日さまざまなトピックを解説する。姉妹紙に日曜版の「オブザーバー」がある。

扇動的な見出しで庶民の心をつかむ
Daily Mail
デーリー・メール紙

英国のタブロイド紙としては最も古い保守系右派の新聞。反権力の名の下に庶民の立場から報道するものの、扇動的な見出しが多く、内容が事実と異なることがある。そのため、ウィキペディアは同紙を情報源として引用することを禁止したほど。政治的には、移民や難民の受け入れ反対派。英国の欧州連合からの離脱を決める国民投票の際には、当時の首相デービッド・キャメロンが苦情を訴えるほど、大々的に離脱キャンペーンを行った。

読者層は平均年齢が58歳、「中産階級のやや下」(Lower Middle Class)の女性という結果が出ている。ほかのタブロイド紙同様、王室ネタ、有名人ネタなどのゴシップ記事が豊富で、一面を飾ることも多い。英国は概してタブロイド紙間の競争が激しく、特ダネ記事をめぐる熾烈な争いが展開されており、メーガン妃が悩まされたのもこの点だったといわれている。

ほかにもユニークな視点の新聞

サーモンピンク色のフィナンシャル・タイムズ紙(Financial Times)は、保守中道派の経済紙。国際報道では高い情報力と信頼を得ている。現在オンライン版のみのインディペンデント紙(The Independent)は、1986年発刊の比較的新しい一般紙。ガーディアン紙よりも左派・リベラルで、ジョンソン政権の新型コロナ対策に強く反対するなど、メッセージ性の強い紙面構成が特徴。エコノミスト誌(The Economist)は雑誌の外見をとるが、れっきとした週刊新聞。国際政治と経済を扱い、科学技術系にも強い。記者は完全匿名性で、「本誌は」などの一人称を用いることで知られる。左にも右にも寄らない中道を標ぼうするが、その主張の多くはリベラルな左派といっても良い。

ニュースの背景や影響を徹底解説するドイツ ニュースの背景や影響を徹底解説するドイツ

ドイツでは、日本のように新しい事実をいち早く伝える特ダネは重要視されていない。どのような背景から事件が起きたのか、今後それが社会にどう影響するのかを解説することが、新聞の大きな役割と考えられている。各分野に精通した専門記者が多数活躍しており、報道自体が政治や社会を大きく動かすことも。また、報道自由ランキングで上位になる理由は、ナチス政権時代の反省から言論や報道の自由を重視していることにある。さらにナチスドイツの歴史を繰り返し報道することで、若い世代に伝えていくこともドイツのメディアの使命といえるだろう。

お話を聞いた人

熊谷徹さん Toru Kumagai

在独ジャーナリスト。過去との対決、統一後のドイツ、欧州の政治・経済統合、安全保障問題を中心に取材、執筆を続ける。ドイツニュースダイジェストでは毎号「独断時評」を執筆。

ドイツを代表する新聞

政治家や官僚が毎朝必ず読む
Frankfurter Allgemeine Zeitung
フランクフルター・アルゲマイネ紙

フランクフルター・アルゲマイネ紙(F.A.Z.)はドイツを代表する高級紙。政治家や企業の取締役、研究者など、ドイツのかじ取りをする人にとって必読紙であり、中央官庁の官僚たちは毎朝必ず読むという。その理由は、ほかの新聞にはない圧倒的な質の高さにある。良質な記事に丸1ページを割いていることから、F.A.Z.の記者には取材力と筆力が感じられる。読者は中道右派が多い。

また、F.A.Z.の社説は政治にも影響力を持つことで知られる。1990年代に旧ユーゴスラヴィアで内戦が起きた際、東欧情勢に詳しいヨハン・ゲオルク・ライスミュラー記者が「クロアチアがユーゴスラヴィアから独立したら、ドイツはクロアチアの独立を承認すべきだ」と社説で論じた。実際にドイツは非常に早い段階で独立を承認し、独政界ではこの社説が当時のコール政権の政策に大きな影響を与えたといわれている。

調査報道に強い元祖リベラル
Süddeutsche Zeitung
南ドイツ新聞

南ドイツ新聞(SZ)の特徴は、独自の取材・調査によって問題を掘り起こす調査報道の強さにある。2016年に世界を揺るがしたパナマ文書(租税回避に関する機密文書)のスクープは、このSZの調査報道によるものだった。多数の政治家やビジネスマンなどのオフショア資産口座の実態を暴露した報道をきっかけに、パナマ文書のデータを持つ人物がSZにコンタクトし、その存在が明るみに出たのだという。特ダネから次の特ダネにつなげることも、SZの強みである。

国際的なジャーナリスト機関とデータを共有するというネットワークの広さも自慢で、お金と時間と人手が必要な調査報道を国内の他メディアと協力して行っている。調査報道に強い記者が多くそろっており、昨今ではIT テクノロジーを駆使し、膨大な量の文書を分析して記事を執筆。リベラルな論調のため、読者層は中道左派が多い。

政界も揺るがすタブロイド紙
Bild
ビルト紙

ビルト紙は、ドイツで唯一100万部以上を発行するタブロイド紙。スキャンダル報道も多いが、面白いことにドイツの政治家は同紙を非常に重視している。ドイツの政治家は社会に向けて重要なメッセージを発信するとき、一紙のみのインタビューを受けることがあるが、その媒体としてよく選ばれるのがビルト紙なのだ。その理由は、ずばり広く読まれているから。

また、2010年にドイツ連邦軍の指示で起きたアフガニスタンでの爆撃について、ビルト紙の報道が注目された。当時のユング国防相は、死亡したのはテロリストのみであると発表していたにもかかわらず、実は市民も犠牲になったという事実を隠ぺいしていたことを同紙が明らかにしたのだ。ユング国防相はこのスキャンダルにより辞任。ビルト紙の報道があながちばかにできないことを象徴する出来事だった。

ほかにもユニークな視点の新聞

週刊新聞のツァイト紙(Die Zeit)の読者は、社会民主党(SPD)や緑の党を支持しており、圧倒的に中道左派が多い。その論調は非常に穏健で、経済的な利益よりも人権保護や環境問題などに重点を置く。さらにリベラル派には、ベルリンのターゲスツァイトゥング紙(taz)が読まれている。一方、ハンデルスブラット紙(Handelsblatt)は、調査報道を重視する経済新聞。最近ではフォルクスワーゲンの不正排ガス事件やワイヤーカードの不正会計事件など、厚みのある記事を多く発表している。また、地方紙がよく読まれていることもドイツの大きな特徴だ。地方分権が進んでいるため、地域の出来事を重視する人が多く、全国紙より地方紙を読んでいるということも珍しくない。

報道にも思想を求めるフランス 報道にも思想を求めるフランス

フランスの新聞の特徴は、思想的立ち位置が明確なこと。コンテンツ作成の際は、「ファクトよりもイデオロギーに重点を置くべき」という観念があり、事実報道の記事にも、各紙の論調に基づく独自の「アナリシス」が添えられていることが一般的だ。新聞が「何が正しくて、何が悪いのか」をはっきりと主張する傾向が強く、読者は個々の思想信条に沿って、自分の読む新聞を決める。そのため、新聞によって、一面に掲載されるニュースが大きく違うことも少なくない。「新聞報道は中立的でなくてはならない」という常識がある日本とは、全く異なる文化といえるだろう。

お話を聞いた人

フィリップ・メスメルさん Philippe Mesmer

ジャーナリスト、ニュースキャスター。Le MondeとL’Expressの在東京コレスポンダントとして活動中。École Supérieure de Journalisme 修士課程修了。

フランスを代表する新聞

知識層に愛される国際派新聞
Le Monde
ル・モンド紙

1944年に創刊されたル・モンドは、「地球」を意味する紙名に象徴される通り、伝統的に国際情勢を重視する傾向にあり、国際ニュースが一面を飾る頻度も高い。思想的には中道左派で、創刊当時は反植民地主義を唱えるプログレッシブな新聞という立ち位置だった。

現在では、主にパリを中心とする都市部の知識層から支持され、親EU(欧州連合)主義、LGBTの権利の容認など、国際協調や人権主義を基本とした論説を唱える。アナリシスの分量とクオリティーにこだわり、記事の本数を絞ってでもアナリシスに注力するという編集スタイルが特徴的だ。大手新聞の中では最も早い1995年に電子版を発行し、オンラインでの読者獲得と囲い込みに成功。デジタル面での施策に積極的で、2018年には大量の有料記事を無償解放し、会員登録者数を20パーセント以上増やしたことでも話題になった。

カトリック系富裕層からの厚い支持
Le Figaro
ル・フィガロ紙

1826年に初めて発行された、フランスでは最も古い歴史を誇る新聞。「フィガロ」という名称は、モーツァルトのオペラでも知られるボーマルシェの戯曲「フィガロの結婚」に由来している。伝統的にカトリック系のブルジョア層を主な読者とし、資力は抜群。現在、フランスの日刊紙の中では最も発行部数が多い。

思想的には中道右派としてスタートし、第二次世界大戦後はド・ゴール政権を支持する立場を取っていた。2004年に航空機製造企業を起源とするコングロマリット、ダッソー社がオーナーに就任して以降は、右派系の新聞として認知されている。現在の紙面は、反移民主義、自由貿易主義、同性婚への反対など、保守的な論調が強い。2006年には、イスラム教を批判する記事を掲載したとして、エジプトとチュニジアの政府が国内でのフィガロ紙購読を禁止するという事件も起きた。

哲学者サルトルが創設した活動家の愛読紙
Liberation
リベラシオン紙

1973年、実存主義で知られる哲学者ジャン=ポール・サルトルが中心となって創刊。当時は編集長から清掃員までが同じ給料を受け取るという、階層を排除した社会主義的な運営スタイルをとった。伝統的にフランスにおける左派の論壇として知られ、急進左派的な新聞として認知されていたが、2005年にロスチャイルド家が上場株の37パーセントを取得。編集長が解任されるなど社内紛争が起こり、一時ストライキにまで発展した。

現在のリベラシオンは中道左派にシフトし、移民保護、同性婚容認、人工授精の権利拡大などを促進する論調を展開。社会活動家を後押しする新聞としても知られる。業界関係者からは、タイトル・センスの良さ、ユーモアのある文章、高品質な報道写真など、アーティスティックな部分への評価が高く、哲学や精神世界をフィーチャーしたコンテンツにも特徴がある。

ほかにもユニークな視点の新聞

「人道」を意味する名前を持つ、左派系の日刊紙リュマニテ(L’Humanite)。1904 年、フランス社会党の党首だったジャン・ジョレスによって発行され、1921 年からはフランス共産党の機関紙としての役割を果たした。2001年に民営化したが、論説面では変わらず共産主義的な視点を保っている。各地にネットワークを持ち、全国的には知られていない社会現象を取り上げるなど、大手新聞では読むことができない独自の記事を掲載。取材力の高さやユニークな切り口で、ジャーナリストからの評価が高い。庶民の生活に密着した社会問題を取り上げる点は、日本の「赤旗」と似たところがある。株式の60パーセントを読者や著者らが保有し、毎年9月に読者が集まる「ユマニテ祭」を開催している。

 

イングランド国教会とクリスマス

知っているようで知らない イングランド国教会とクリスマス

英南部ワイト島にあるイングランド国教会の聖トマス教会とクリスマス・ツリー英南部ワイト島にあるイングランド国教会の聖トマス教会とクリスマス・ツリー

現在の英国の国教であるイングランド国教会(Church of England)。ローマ・カトリックやルター派のプロテスタントと異なり、国家元首を首長とする、キリスト教のなかでも特殊な教派だ。ロイヤル・ウェディングや女王の即位記念式典など、華やかな式典においても重要な役割を果たしているイングランド国教会。とはいえ、「カトリックやほかのプロテスタントと何が違うのか」といった疑問を抱く人も多いだろう。今回は、イングランド国教会の成り立ちや特徴、伝統的なクリスマスの過ごし方について紐解いてみよう。(文・英国ニュースダイジェスト編集部)

イングランド国教会を知る4つの基礎知識

1成り立ちの歴史ある王様のわがままが始まりだった

イングランド国教会は、チューダー朝の第2代国王、ヘンリー8世の離婚騒動をきっかけに成立した。カトリック教徒であったヘンリー8世は、新興貴族の娘アン・ブーリンと結婚するため、妻であるキャサリン・オブ・アラゴンを離縁しようと試みる。ローマ教皇クレメンス7世に婚姻無効の宣言をするよう求めたものの、認められなかった。

業を煮やしたヘンリー8世は、英国国内における教皇の霊的首位権を否定し、国王こそが宗教的な首長であるという主張を展開した。参謀であったケンブリッジ大学の教授、トマス・クランマーをカンタベリー教会の司教に任命し、アン・ブーリンとの再婚を実現したが、結果としてローマ・カトリック教会から破門されてしまう。これを受けたヘンリー8世は1534年、国王至上法(首長令)を発令し、イングランド国教会の礎を築いた。

イングランド国教会が正式にローマ・カトリックから独立したのは、エリザベス1世時代の1559年だ。英国議会が国王を「信仰の擁護者」として認め、首長令を採択。ついに英国国教としてのチャーチ・オブ・イングランドが誕生した。

イングランド国教会成立のきっかけを作ったヘンリー8世イングランド国教会成立のきっかけを作ったヘンリー8世

2主な教派さまざまな考え方を受け入れる柔軟性

現在のイングランド国教会は、「国教会」と「非国教会」の2種類に大別される。国教会のなかには、カトリック的な伝統を重んじる「ハイ・チャーチ」と、聖書の内容のみを信仰の柱とする「ロウ・チャーチ」の2派があるが、明確な組織として分かれているわけではない。

非国教会は、「ピューリタン」(清教徒)の呼称でも知られ、清教徒革命のきっかけになった「独立派」と、経験豊富な信徒を教会の導き手として選出する「長老派」の2派に分かれている。そのほか、さらに「クエーカー」、「メソジスト」なども生まれたが、英国国内での弾圧をきっかけに、米国をはじめとする世界各国に散らばっていった。

日本国内では、英国海軍の宣教医師だったバーナード・ジャン・ベッテルハイムが、1846年に沖縄で布教を開始。1887年に日本聖公会が設立され、立教大学や桃山学院大学などをはじめとする教育機関も開校した。上皇の教育役として来日した米国人司書、エリザベス・ヴァイニングも、熱心なクエーカーであったことが知られている。

清教徒革命の様子を描いた「ネイズビーの戦い後の風景」清教徒革命の様子を描いた「ネイズビーの戦い後の風景」

3特徴カトリックとプロテスタントのいいとこ取り?

ローマ・カトリック教会から独立したイングランド国教会は、理論的にはプロテスタントに該当する。とはいえ、実質的にはカトリックの伝統を踏襲している点が特徴。聖書のみを信仰の対象とし、教会を権威とみなさない一般的なプロテスタントとは異なり、「聖書の内容と矛盾しない限りは、カトリックの伝統も容認する」という、中道的な立場を取っている。一般的なプロテスタントでは禁止されている偶像崇拝やマリア信仰も、イングランド国教会では許容されている。

また、国家元首であるイングランド国王を宗教的首長とし、上院には聖職者議員が所属するといった、政教不分離の体制も独特だ。

近年注目されているマイノリティーへの対応については比較的寛容で、2010年には女性叙任者の人数が男性のそれを初めて上回った。同性婚に対しては、表向きは反対の姿勢をとっているものの、個別の教会においては同性同士の結婚式を執り行っているところもあるなど、裁量に任せられている。

同性婚の式を行う教会もある同性婚の式を行う教会もある

4代表的な教会ロンドン市内ならここが有名

ロンドン市内にある、イングランド国教会に属する代表的な教会といえば、チャールズ皇太子と故ダイアナ妃の結婚式でも有名な聖ポール大聖堂だろう。ロンドン教区の主教座聖堂であり、聖ポール大聖堂の主教は、聖職貴族(Lord Spiritual)の地位を与えられている。現在の主教はデイム・サラ・ムラーリー。前職は国民保険サービス(NHS)のイングランド主任看護師というユニークな経歴の持ち主で、2018年に主教に任じられた。

ロンドン西部のスローン・スクエアにあるホーリー・トリニティー教会も、イングランド国教会に属している。19世紀から20世紀にわたって英国で一斉を風靡したアーツ・アンド・クラフト運動の影響を受けた建築が特徴で、エドワード・バーン・ジョーンズやウィリアム・モリス、ウィリアム・ブレイクなど、当時活躍したアーティストが手掛けた、壮麗なステンド・グラスを見ることができる。

聖パウロを祭る聖ポール大聖堂聖パウロを祭る聖ポール大聖堂

イングランド国教会の司祭に学ぶ
クリスマスの伝統的な祝い方

日本人にはなかなか馴染みのないイングランド国教会。教徒たちは、どのようにクリスマスを祝っているのだろうか。ロンドン西部のホランド・パーク地区の教会区司祭、ジェームズ・ハード氏にお話をうかがった。キリスト教徒ではない日本人がイベントに参加するときのアドバイスもご紹介しよう。

ジェームズ・ハード司祭ジェームズ・ハード司祭

Revd Dr James Heard
Vicar, United Benefice of Holland Park

ホランド・パーク周辺にある聖ジョン・ザ・バプティスト教会と聖ジョージズ教会で司祭を務める。チェルシーの聖ルーク教会の教会区副司祭を経て2013年より現職。2教会は、16年にユナイテッド・ベネフィス・オブ・ホランド・パークとして共同活動を行っている。

聖ジョン・ザ・バプティスト教会St John the Baptist

Holland Road, London W14 8AH
Tel: 020 3602 9873

St George’s Church

Campden Hill, London W8 7JG
Tel: 020 3602 9873

https://hollandparkbenefice.org

イングランド国教会のクリスマスにとって最も重要なこととは何でしょうか。

イングランド国教会のクリスマスの精神は、基本的にはカトリックやほかのプロテスタントのそれと大きく変わらないと言っていいでしょう。つまり、神が私たちと一緒にいるために、人の姿で地上に生まれてくださったことを喜び、祝うことです。また、神が人間のために与えてくださった愛、共感、寛容の精神を思い出し、それを自分もほかの人に対して分け与える、ということも、重要な要素です。クリスマスの慈善活動や募金などは、この精神に基づいています。

特に、ホームレスの人や、貧困に苦しむ人へのクリスマス・チャリティーが多いのは、イエス・キリストが、何も持たない貧しい難民の両親の子として生まれたことに意味があると考えるためです。最も弱い者の形で地上にもたらされたイエス・キリストの誕生を祝い、「私たちは神に愛されている」ということを再認識し、その愛を人にも分け与える。それが、教会が大切にしているクリスマスの心だと言えると思います。

クリスマス礼拝のポスター。幼子イエスの絵が描かれているクリスマス礼拝のポスター。幼子イエスの絵が描かれている

国教会のクリスマスならでは要素はありますか。

アドベントやクリスマス礼拝など、基本的な儀式は、カトリック教会とほぼ同様だと言えます。リースやツリーなどのクリスマス・デコレーションは、教派というよりも、各教会によって違いますね。私たちの教会は建物自体が比較的豪華なので、派手な飾り付けはほとんどしていませんが、イエス・キリストの誕生の場面を表現した「クリブ」と呼ばれる人形飾りを、教会内に出しています。

教徒に定着している民間の慣習としては、アドベントの前の日曜日にクリスマス・プディングを作る、「スター・アップ・サンデー」が挙げられます。「混ぜる」を意味する「Stir」と「星」を意味する「Star」が掛かっており、クリスマス・プディングのタネをかき混ぜるごとに、心にクリスマスの星を灯していく、という意味合いがあるのです。家族がキッチンに集まって、交代でプディングを作り上げる、だんらんの機会でもあります。

教会での催しとして独自なものは、「ナイン・レッスンズ・アンド・キャロルズ」。クリスマス・イブの礼拝で、聖書の9つの箇所を読み上げ、9つの聖歌を歌うイベントです。19世紀に英南西部コーンウォールの教会で始まり、今では全国的に広まっています。ケンブリッジ大学のクリスマス礼拝で行われるものが特に有名ですね。

スター・アップ・サンデーに作るクリスマス・プディングスター・アップ・サンデーに作るクリスマス・プディング

洗礼を受けていない日本人がクリスマス礼拝に参加しても大丈夫ですか。どんな準備をしたらいいでしょうか。

教会にもよると思いますが、私たちを含む教会ネットワーク「インクルーシブ・チャーチ」に参加しているところでは、あらゆる人種、性別、文化的背景の人を歓迎しています。ロンドンには、世界各国から人が集まります。そんな人たちが、「安全な場所」として訪れられる教会であることを目的としているためです。

イングランド国教会の礼拝では、参加者に「サービス・シート」と呼ばれる小冊子を配っています。進行プログラムや聖歌の歌詞はもちろん、どこで立つ、どこでひざまずくなど、詳しい案内も書かれているので、初めて参加する人でもサービス・シートにならって行動すれば大丈夫です。ですので、礼拝が始まる10分前くらいに到着して、席に座り、サービス・シートを確認することをお勧めします。座る席は特に決められていないので、好きな場所を選んで構いません。とはいえ、ソーシャル・ディスタンシングにだけは気を付けてくださいね。

礼拝の途中に聖餐式がある場合、すでに洗礼を受けた人だけがパンとぶどう酒をもらうことができます。もし洗礼を受けていない人が何らかの形で参加したいと思うなら、聖餐の代わりに「祝福」(ブレッシング)を受けるのもいいでしょう。司祭の前に出たら、胸の前で両手を交差させ、お辞儀をすることで、祝福を求めているというサインになります。

読者の皆さんへのメッセージをお願いします。

メリー・クリスマス! 教会のイベントは誰でもウェルカムです。ルールが厳しいのではないか、失敗したらどうしよう、などと怖がらずに、気軽に訪ねてくださいね。クリスマス・キャロル・コンサートなどは、自宅から参加できるオンライン・ストリーミングも予定しています。

新型コロナウイルス流行の影響で、引き続き大変な1年になりました。さまざまな理由でクリスマス礼拝に来られない方々にも、「素晴らしいクリスマスをお過ごしください」とお伝えしたいです。全ての方々が、心安らかに、温かいクリスマスを過ごすことができるよう、心から祈っています。

イエス・キリスト誕生の場面を演じる子どもたちイエス・キリスト誕生の場面を演じる子どもたち

 

ビッグ・ベン今昔物語

ビッグ・ベン2021年に改修完了英国で最も愛される
時計塔にまつわる知られざる苦難
ビッグ・ベン今昔物語

英国、と聞いて世界中の誰もが真っ先に思い浮かべる風景、それはテムズ川のほとりに佇むビッグ・ベンの雄姿なのではないだろうか。

2012年、エリザベス女王のダイヤモンド・ジュビリーを記念し、「エリザベス・タワー」(Elizabeth Tower)と名を変えたビッグ・ベンは、現在約8000万ポンド(約11億円)をかけた大規模な改修の真っ最中。4年以上にわたる工事期間を経て、ついに足場が撤去され始めた。お披露目となる2021年を前に、今一度ビッグ・ベンの歴史をなぞってみるのはいかがだろうか。工事前に参加した時計塔ツアー体験のレビューも合わせてどうぞ。

現在の内部の様子や工事状況は こちら から

HPソースも足場付きの限定ラベル仕様に

HPソースビッグ・ベンの工事は、単に老朽化した塔の保全作業ではない。文字盤と針を紺青色に塗り直し、調査によって明らかになった1859年当時の色合いを蘇らせるほか、メンテナンス、緊急時の作業を行うためのリフトを新たに設置するなど、さまざまなお直しが含まれているのだ。工事期間中は、第一次、第二次世界大戦でも止むことのなかった鐘も、特別な日を除き一旦お休み中。

足場で姿が見えず、鐘の音も聞こえない。人々の心からその存在が薄くなりつつあった2019年、ビッグ・ベンはひっそりと誕生160周年を迎えた。これを記念して、英国の家庭で欠かせないブラウン・ソース「HP ソース」のラベルは、足場付きのデザインに様変わり。この仕様は、ビッグ・ベンが2021年に再始動するまで使われるそう。

改修期間も長いが、建設はもっと大変だった......威風堂々とそびえ立つこの世界一有名な時計塔、実は日の目を見るまでには涙ぐましいまでの紆余曲折を経てきたのだ。まずはこのビッグ・ベン建設にまつわる苦労話をご紹介しよう。

(取材・文: 村上祥子)※本記事は2007年に掲載された特集をアップデートしたものです。

始まりは大火から

チャールズ・バリー今や世界で最も有名な時計塔として名を馳せるビッグ・ベン。その誕生のきっかけとなったのは、1834年10月16日にウェストミンスター宮殿(現在の国会議事堂)を襲った大火だった。この火事で建物のほとんどが焼失。その結果、同じ場所にゴシック様式の新しい建物を建設することになったのである。

公開コンペにより97のデザイン案が審査された結果、見事栄冠を勝ち取ったのは、チャールズ・バリー。彼がビッグ・ベン生みの親となったのだ。

バリーのデザインで特に異彩を放っていたのが時計塔だった。関係者らはその斬新な提案に感動し、「ウェストミンスターの偉大な時計」 と呼んでその誕生を待ち望んだ。とはいえ当時すでに建築家として名を馳せていたバリーも、時計や鐘に関してはずぶの素人。そこでバリーが呼んできたのが友人であり、女王の時計職人だったベンジャミン・ルイス・ブリアミーだった。かくして長年に及ぶ時計塔建設の幕が開いたのである。

ターナー 英国を代表する画家、ターナーの描いた大火

なんでビッグ・ベンって呼ばれているの?

今や世界中の人々からビッグ・ベンと呼ばれ親しまれている国会議事堂の時計塔。実は「ビッグ・ベン」という名称は、時計塔に設置されている5つの鐘のうち、1番大きな鐘の愛称であり、元来は時計塔そのものを指しているわけではなかった。ちなみに鐘の正式名称は「グレイト・ベル」。つまりビッグ・ベンという現在の呼び名は厳密に言うと、二重の意味で正確ではないのである。

では何故この鐘がビッグ・ベンと呼ばれるようになったのか。それには2つの説がある。

1つは、時計塔建設の工事責任者で国会議員のベンジャミン・ホール卿の名をとったとする説、そしてもう1つは当時人気のあったボクサー、ベン・カウントにちなんだとする説だ。いずれにしろ英国を代表する建造物の名となった2人のベンさん、さぞや鼻も高いことだろう。

ビッグ・ベン受難の歴史 ― 時計編

コンペの期間は何と7年!

ジョージ・エイリー卿
コンペの審査員を務めた、
ジョージ・エイリー卿

時計塔建設は始めから前途多難だった。英国で最も重要な時計となる「ウェストミンスターの偉大な時計」のデザインに、さまざまな時計学者らからの横槍が入ったのである。そこで1846年、委員会は限定コンペの開催を決定。審査員で英国王立グリニッジ天文台長でもあったジョージ・エイリー卿は、①1時間ごとに鳴らされる鐘の第1打の誤差は1秒以内、②時計の動き具合を1日に2回、確認のためにグリニッジ天文台に打電する、などといった条件、計15項目を提示したため、審査は難航。何と7年にわたって論議が繰り広げられた。 最終的に時計のデザインを任されることになったのは、エイリー卿の共同審査員を務めた、弁護士でアマチュア時計デザイナーのエドマンド・ベケット・ デニソン。彼のデザインを基に、有名時計学者のE・J・デントが実際の建設を請け負うことになった。契約が結ばれたのは1852年、2月25日のことである。

え、時計が大き過ぎて入らない!?

これでようやく工事がスタート、と思いきや、またしても大きな問題が彼らに降りかかった。何と時計塔のスペースが、デニソンのデザインした時計を置くには小さすぎたのである。塔の建設を担当したバリーに非難が寄せられたが、当のバリーはデニソンに 対し、デザインする前に寸法を確認していなかったデニソンのミスだと反論。結局100ポンド(当時)をかけて時計を作り直すことになった。1854年には、無事時計の製造が完了。しかしこの時計を塔に設置することはできなかった。何故なら今度は塔の建設工事が遅れていたからである。かくして塔の工事が終了するまでの5年間、時計はデントの工場で保管されることになったのだった。

ケガの功名-正確なのは遅延のおかげ!?

そんなこんなでなかなか落ち着くことのできない時計だったが、それがプラスに働くことも。たっぷりある待機時間に、多くの改良を重ねることができたのだ。なかでも偉大な発明とされるのが、「Double Three-Legged Gravity Escapement」と呼ばれる脱進機*。この脱進機のおかげで、風や雪などの外部からの圧力が時計針にかかる影響を、振り子にまで及ばないようにすることが可能になった。ちなみにこの仕組みは現在でも、多くの時計で利用されている。

*脱進機: 振り子の特性を生かして、歯車を一定速度で回転させる仕組み

ビッグ・ベン受難の歴史 ― 鐘編

ロンドンまでの長い長い旅

時計塔の鐘が最初に鋳造されたのは、1856年8月6日のこと。イングランド北部ストックトン・オン・ティーズのワーナーズ鋳造所でつくられたこの鐘の重さは約16トン、当時では国内最大の鋳造物だった。この鐘が無事塔に収まるまでには、また別の長い苦労話がある。

まず大変だったのがロンドンまでの長旅だ。北東部のウェスト・ハートルプールまで列車で運び、その後ロンドンまでは船で運搬。船に運び込まれた時には甲板に激しい損傷を与え、船旅の途中では嵐に巻き込まれてあわや海の藻屑となって消えるところだったという。

ロンドンに着いてからは特別仕立ての16頭立て馬車でウェストミンスター・ブリッジを渡り、ようやく目的地である時計塔に到着した。

ワーナーズ鋳造所での鋳造過程ワーナーズ鋳造所での鋳造過程

鐘にひびが!

その後は宮殿の北側にある庭、ニュー・パレス・ヤードの台に吊るされ、テストを受ける日々。鐘に「ビッグ・ベン」の愛称が付いたのはこの頃である。

そんなビッグ・ベンに1857年10月、悲劇が起こった。テスト中の鐘の表面に1.2メートルほどのひびが入ってしまったのである。その原因に関しては、さまざまな意見が飛び交ったが、製作者のワーナーズは、設計者のデニソンにより鐘の舌(ハンマー)の重さが当初の355キロから660キロに増やされたからだと弁明した。

原因は何であれ、こうしてひび割れたビック・ベンは一旦壊され、再鋳造されることになった。ワーナーズがあまりに高額の費用を請求したため、今度はロンドンにあるホワイトチャペル鋳造所が製造を担当することに。1858年4月10日のことであった。

ホワイト・チャペル鋳造所ホワイトチャペル鋳造所で再鋳造される

受難は1回では終わらなかった……

同年10月、ついに新しい鐘が完成した。直径2.7メートル、高さ2.2メートル、そして重さは13.5トン。生まれ変わった新ビッグ・ベンは万全を期して塔に運ばれることになった。しかし、困難はまだ終わらなかったのである。

今回の問題は、鐘の口だった。大きすぎて、塔のエレベーターに入らなかったのである。しかし1人の関係者が閃いた。「鐘を横たわらせて吊り台で引っ張り上げればいい」。かくして30人がかりで鐘楼まで運び上げられたビッグ・ベンは無事、在るべき場所に収まったのである。

再鋳造されたビッグ・ベン再鋳造されたビッグ・ベン

沈黙するビッグ・ベン

しかし、鐘と時計を襲う災難は、まだまだ続く。第一に、時計が動かない。これは鋳鉄製の分針が重すぎたためで、銅製に変えることによって解決した。第二の問題は、 1859年、ビッグ・ベンがついに動き始めたのと同時に発生した。鐘の音がうるさすぎると議員たちから苦情が寄せられたのである。そして極めつけがひび。新しい鐘にも前回同様、ひび が入ってしまったのだ。

ひびのせいでビッグ・ベンはその後4年間、沈黙を余儀なくされ、その間はビッグ・ベンの周りに設置されている4つの鐘がその役目を果たしていた。解決法が見付かったのは1863年。ひびの入っていない面に舌が当たるように鐘を1/4回転させ、ひびがこれ以上広がらないように、小さい四角形の穴を開けたのである。そして舌の重さも330キロから200キロへと減らされた。こうしてビッグ・ベンは再びその役目を取り戻し、今日ある「世界一の時計塔」としての役割を果たすようになったのである。

ウェストミンスター・ブリッジから望む時計塔ウェストミンスター・ブリッジから望む時計塔

苦労はいまだ続く…… 時計塔がその動きを止める時

長い長い困難の歴史を経て1859年5月31日に動き出した時計塔。第二次大戦中にはドイツ空軍による数々の爆撃にも負けず、ひたすら時を刻み続けてきた。しかし、戦争にも耐えたこの時計は、これまで思わぬ出来事により何度かその動きを止めたことがある。

1. 年に2回の恒例行事 これはハプニングではなく、年に2回訪れる、英国の夏時間の始まりと終わりの調整作業。この際には部品の補修工事なども合わせて行われる。

2. 「ビッグ・ベンを止めた男」 1922年、塗装業者たちが時計塔の内部の塗装作業を行っていた。ある朝、時計面の裏側の部屋で作業をしていた作業監督が、はしごを時計の針を回転させる軸に立てかけたまま、外へ出てしまう。しば らくしてその作業監督が地上から時計を見上げてびっくり! なんと正確なことでは他に類を見ないはずのビッグ・ベンの時計が止まっているではないか。原因を作り出した当の作業監督、G・F・ウィード氏は、「もちろん、私は非難されたよ。でもどうやって分かるっていうんだい? 私は時計職人じゃないんだよ」と弁明。翌日の新聞には、「ビッグ・ベンを止めた男」として大々的に取り上げられたとか。

3. そのほかのハプニング 1949年 ムクドリの群れが時計の分針に止まり、4分30秒の間、時計が止まる。
1962年 大雪の影響で、新年の鐘が10分遅く鳴る。
1976年 時計装置が金属疲労により故障。再び時計が動くまでには3週間を要した。
2005年5月28日22時7分に分針が突如止まる。やがてゆっくりと動き出したが、22時20分に再び動かなくなり、約90分間静止していた。異常の原因は不明だったが、この日は気温が31.8度に達しており、気温上昇のため、という見解がなされた。

そのほか2000年9月には、地下鉄ジュビリー線の拡張工事による振動を遮断するため、時計塔の地下に何百トンものグラウト材(地盤の強度を高めるもの)が運び込まれるなど、世界一の時計塔は正確な時間を刻むため、地味で堅実な努力を続けているのである。

ビッグベンを間近に見るチャンス!時計塔ツアー体験

子どもの頃、ピーターパンの映画でピーターと子供たちがビッグ・ベンの周りを飛び回るのを見て、うらやましいなと感じたことはないだろうか。実はこの時計塔、我々でも登ることができるのだ。現在は改修中のため、ツアーは休止中。2021年の再開時にルート変更の可能性はあるものの、塔の内部をより快適に見学できるはずだ。ここでは改修前のルートに沿いながら、その見どころを予習してみよう。

※本文は2007年取材時の順路。

時計塔ツアーに参加するには… まずは自分が住んでいる地区の国会議員(MP)を探す。ちなみにMPは国会議事堂のウェブサイト(www.parliament.uk)内で検索することが可能。ツアーに参加したい旨、Eメールか電話で連絡する。聞かれる内容は名前、住所、電話番号、生年月日と生まれた場所など。あとはMPの方でツアーの日時をアレンジしてくれる。

※再開後の方法はウェブサイトで最新の情報を参照
www.parliament.uk/visiting/visiting-and-tours/tours-of-parliament/bigben

ビック・ベン

0スタート 
まずはボディ・チェック

集合場所は、大通りを隔てて国会議事堂と向かい合う議員会館(Portcullis House)。まずは入り口で念入りにボディ・チェックを受ける。建物内を巡回する警備員の手には大きな銃。見学時にはすべての写真撮影を固く禁止すると告げられる。やがて2人のツアー・ガイドが到着。ガイドさんに連れられ、建物内を横切って時計塔まで向かう。

1階段を登る 
体力に自信のない方はご遠慮ください

いよいよ登頂開始。「体力に自信のない人は言ってくださいね」と冗談交じりに話すガイドさん。それもそのはず、塔にはエレベーターなどの昇降機がないので、階段を登らなければならないのだ。ちなみに階段数は鐘楼までが334段。狭く殺風景な塔の中央に鎮座する螺旋階段をひたすら、ひたすら上っていく。

2プリズン・ルーム
実は刑務所だった!

参加者がみな疲れきって無口になった頃、ようやくとある小部屋に到着。室内には、絵画や建設工事の際に使われた工具などが陳列されている。ガイドさんの説明によれば、実はこの部屋、昔は独房として使われていたというから 驚き! 何でも国会の両院で野次を飛ばすなどしてディベートを妨害した議員が 収容されたのだとか。公式には残りの国会開催期間中、ずっと拘束できることになってはいたが、実際には1日以上閉じ込められた人はいなかったらしい。

3クロック・ルーム
これが時計を動かしているの?

プリズン・ルームの説明が終わると、また階段。もくもくと上り続ける。そして到着したのがクロック・ルームだ。ここには時計装置が設置されている。4.7メートル×1.4メートル、重さ約5トンというこの仕掛けは、とてもあの巨大な時計を動かしているとは思えないほどの大きさ。剥き出しに置かれていて、埃や塵などで歯車が詰まってしまわないのか、こちらが心配になるほどあっさりとした管理にさすがは英国、と何となく納得。

クロック・ルーム

4鐘楼
いよいよビッグ・ベンとご対面

クロック・ルームそしていよいよビッグ・ベン、すなわち鐘とのご対面。外気に面した鐘楼には、4つの鐘に囲まれたビッグ・ベンが。「間近で聞くとすさまじい音だから」ということで一人ひとり前もって渡された耳栓を装備、爆音に備える。待つことしばし。ついにビッグ・ベンが鳴り出した。とにかく大きな硬質な音で、美しいかどうかなんて考える余裕もない。耳も慣れてきたようなので、最後くらい実際に聞いてみようかと思い、耳栓を外した途端にすさまじい音が……。最後まで耳栓は外さない方が良さそうだ。鐘の音を堪能した後は、ビッグ・ベンに今もなお残るひびと四角い穴を確認。ひびが入ったまま100年以上もの間働き続けているのだからたいしたものだ

 

5時計面の裏側
時計の裏は意外とシンプル

時計面の裏側は、人ひとりがようやく歩けるくらいの細いスペースになっている。白っぽいガラスをつなぎ合わせている時計の裏面の向こう側 には、うっすらと透けて見える針。自分が今、時計塔のまさに中心部にいるのだという実感が湧いてくる。逆側の壁には裸電球が。夜になると幻想的に光り輝く時計は、何と裸電球が照らしていたのだ。1つの時計面に対し、使われる電球は27個。「この55ワットの電球は低エネルギーでエコ・フレンドリーなのよ」というガイドさんの生活感溢れる言葉には感動すればいいのやら、がっかりすればいいのやら……。

6ツアー終了
再び地上へ

狭くて長い螺旋階段を今度はもくもくと下りる。次第に目が回ってきて、みんな心なしか言葉少な。ぐるぐるぐる……。そしてようやく地上に到着。これで時計塔ツアーは終了だ。

夜のビッグ・ベン

ガイドさんのビッグ・ベン秘話 1

最後に拘束されたのは?
1ペニー硬貨

1880年、無神論者の議員、チャールズ・ブラッドローが聖書宣誓を拒否し、このプリズン・ルームに一晩拘束されたのが最後。ところでこのプリズン・ルーム、プリズンとは呼ばれていても、実際は家具などがすべて揃った快適な部屋だったらしい。それじゃ拘束する意味なんてないのでは!?

ガイドさんのビッグ・ベン秘話 2

微調整はペンス硬貨で!
1ペニー硬貨

正確さにおいては折り紙付きのこ の時計。その正確さを守っているのは何とペンス硬貨なのだ。時計の振り子の重しをよく見てみると、その上には、数枚のペンス硬貨が置かれている。2週間に1度行われるチェックで、時計の針の進みが速ければコインを取り、遅いようなら追加する。1枚追加することによって24時間につき0.4秒、進みが速くなるのだとか。

ガイドさんのビッグ・ベン秘話 3

小さなパネルは取り外し自由
時計面

小さな白ガラスをはめ合わせている時計面。 実は1カ所だけ、裏側から簡単に取り外せるようなつくりになっている部分がある。これは大雪が降るなどして時計の針に異常が発生した時にヒョイヒョイ、と手直しできるようにするためなんだとか。

ガイドさんのビッグ・ベン秘話 4

旗の大きさはテニス・コート!
ビッグ・ベン

旗の大きさはテニス・コート!時計塔のてっぺんに明かりが灯る時、それは下院で会議が行われていることを意味する。国会議事堂では、会議が行われているのか否か、一目で分かるある方法を使っている。議事堂内で、時計塔と対を成しそびえるヴィクトリア・タワーの頂上に、旗が掲げてあれば会 議中、なければ会議はしていない、という仕組みになっているのだ。地上からこの旗を見上げると小さめに見えるが、その大きさは何とテニス・コートほどにもなるというからすごい。

ガイドさんのビッグ・ベン秘話 5

ヴィクトリア女王に幸あれ!

各時計面の下側には、なにやら文章が刻まれている。発案者は時計塔の共同設計者、オーガスタス・W・N・ピュージン。ラテン語で、「Domine Salvam fac Reginam nostrum Victoriam primam 」と彫ってあるのだが、意味としては 「O Lord, save our Queen Victoria the First」となる。何でもピュージンはヴィクトリア女王の信奉者で、国会議事堂のさまざまなところにこの文章を入れているというから恐れ入る。

ヴィクトリア女王に幸あれ!

数字で見るビッグ・ベン

時計塔 高さ: 96メートル
ランタン(頂塔)までの階段数: 399段
(見学者は鐘楼まで登ることが可能。鐘楼までは334段)
時計 時計面数: 4つ
直径: 7メートル
時計面に使われているガラス数: 一面につき324個
時計針: 短針-2.7メートル、重さ300キロ
長針-4.2メートル、重さ100キロ
時計装置 重さ: 5トン
振り子 長さ: 4.4メートル | 重さ: 310キロ | 打数: 2秒毎
鐘(ビッグ・ベン) 直径: 2.7メートル | 高さ: 2.2メートル
重さ: 13.7トン | 舌の重さ: 200キロ
 

英国の調味料 - 英国式・世界の調味料

知っているようで知らない 英国の調味料。

スーパーマーケットの棚に、茶色系の瓶入り調味料がずらりと並ぶ英国。その多くが調理の際に使うものではなく、食べる人が自ら、出来上がった料理に付けたりかけたりする商品だ。その昔、塩やコショウなどが貴重品だった英国では、ゲストを食事に招待した際、客人の前に大盛りの塩が入った器を置くことがもてなしの一つだったという。そんな中世の風習が残ってしまったのかどうかは分からないが、英国では今も、一般家庭ばかりではなく、一定数のレストランのテーブルに塩とコショウ、場所によってはケチャップやビネガーなども並び、各自による味付けのDIYが行われている。この特集では、身近なものから見たことはあるけど使ったことのないものまで、昔から英国で愛されている伝統的な調味料を改めてご紹介。簡単な利用法も記したので、これを機会に手に取ってみてはいかがだろうか。いざ、奥深き英国調味料の世界へ。
(文:英国ニュースダイジェスト編集部)

知っているようで知らない、英国の調味料。

uk伝統的な英国の調味料

数ある調味料の中から12の代表的なものを厳選した。どれもスーパーマーケットで手軽に購入できる商品ばかり。 長年培われた英国人の味覚の原点に迫ってみよう。
*価格はTescoのオンライン・ショップを参照(マッシュルーム・ケチャップはWaitrose & Partners)

BistoBisto
ビスト

1908年の誕生以来、英国で愛され続けている顆粒状グレービー・ソースの素。お湯で溶いてローストビーフやチキン、マッシュド・ポテトなどにかけるほか、カレーや炒飯の隠し味にも良い。「Aah! Bisto」がキャッチフレーズで、伝統的な家庭料理には欠かせない存在。ビーフをはじめ、チキン、ベジタブル味など各種展開している。主成分は小麦粉や片栗粉。

£1.30 / 170g
www.bisto.co.uk

HP Brown SauceHP Brown Sauce
HP ブラウン・ソース

英国家庭の食卓には必ず1本あると言っても過言ではないブラウン・ソース。パッケージには国会議事堂の絵が描かれており、HPはハウス・オブ・パーラメント(国会議事堂)の略だとされている。トマト、デーツ、タマリンドなどが主成分で、ケチャップの代わりにベーコン・サンドイッチに使うのが英国風。アレンジすればお好み焼き用ソースにも。

£1.00 / 255g
www.hpsauce.co.uk

Oxo CubesOxo Cubes
オクソ・キューブス

煮込み料理にと何かと活躍するストック・キューブは、言ってみればキューブ状だしの素。1910年の発売以来、なくてはならない存在として、各家庭で重宝される定番商品になった。ハーブ、スパイス、粉末グレービー、小麦などが原料で、オリジナルのビーフ味以外にも、チキン、ベジタブル、ハム、ラムがあり、減塩バージョンやグルテン・フリー・タイプも存在する。

£1.30 /12個(71g)
www.oxo.co.uk

Worcestershire SauceWorcestershire Sauce
ウスターシャー・ソース

日本でいうウスター・ソースの原点となるのがこの商品。1837年に英中部ウスターシャーの薬剤師2人によって生み出された。主な原料はモルト・ビネガー、野菜や果物のほかに、各種スパイス、タマリンドやアンチョビも使われている。英国ではチーズ・トーストに振りかけるのが定番。カレーの隠し味やハンバーグを練りこむ際に使うとコクと深みが加わる。

£1.70 / 150ml
www.leaandperrins.co.uk

Maldon Sea SaltMaldon Sea Salt
マルドン・シー・ソルト

英南東部エセックスで200年以上にわたり生産されているフレーク状の塩。今も海水を平窯で煮詰める伝統的な製造法を守っている。使う際は、料理中に食材に混ぜ込むのではなく、食べる前の一振りに使うのが効果的。ステーキやサラダなどにかけることで、マイルドな旨味やサクサクした食感が楽しめる。スモークド・ソルトもあり、こちらは魚介類に。

£2.10 / 250g
www.maldonsalt.co.uk

Salad CreamSalad Cream
サラダ・クリーム

サラダ・クリームは1914年に英国で生まれた、他国ではあまり見かけない調味料。味としてはマヨネーズとドレッシングの中間に位置し、砂糖やマスタードが多く含まれている。英国ではサラダ・ドレッシングというよりも、サンドイッチに塗るものとして位置づけられており、卵サンドの際にマヨネーズの代わりに入っていることが多い。

£2.00 / 425g
www.heinz.co.uk

Colman's MustardColman's Mustard
コールマンズ・マスタード

1814年に英東部ノリッジで創業したコールマン社の粉末マスタード。原料となるマスタードの種は近隣のからし菜栽培農家が手掛ける。利用方法はそのまま肉やハム、サラダなどに振りかけるほか、自家製マスタードを作りにも。同社の瓶やチューブ入りイングリッシュ・マスタードには、21パーセントの粉マスタード、小麦粉、ターメリック、水などが加えられている。

£1.35 / 57g
www.colmans.co.uk

Malt VinegarMalt Vinegar
モルト・ビネガー

1794年にロンドン東部ショーディッチで創業したサーソン社が作り続ける、麦芽を原料にした茶色いビネガー。フィッシュ&チップスにたっぷりかける、英国らしい調味料として、国内外に定着している。通常の酢よりまろやかでコクがあり、フライや炒め物などに似合う。ピクルド・オニオン(小玉ねぎのピクルス)、コールスローを作る際にも活躍。

£0.80 / 250ml
www.sarsons.co.uk

Mushroom KetchapMushroom Ketchap
マッシュルーム・ケチャップ

ケチャップの歴史は非常に古く、中国の魚を発酵させて作った調味料「ケ・ツィアプ」が元祖。17世紀に欧州に渡ってケチャップになり、魚介類だけではなくきのこや果物のケチャップも登場した。マッシュルームはもっともポピュラーで、ヴィクトリア朝の英国で重要な調味料の一つとなった。ウスター・ソースに似ており、パイやローストの隠し味に使われる。

£1.35 / 190ml
www.geowatkins.com

PiccalilliPiccalilli
ピッカリリ

調味料というより保存食の一種であるピッカリリは、英国らしからぬ名前と不穏な色合いを持った野菜のピクルス。植民地時代に南アジアのピクルスが英国に伝わり、アレンジされ定着した。主な具材はカリフラワー、小玉ネギ、ガーキンで、マスタードとターメリックが入り酸味も強い。次で述べるブランストン・ピックル同様、パンやハムのお供に。

£1.90 / 400g
www.haywardspickles.co.uk

Branston PickleBranston Pickle
ブランストン・ピックル

ニンジンや玉ねぎなどを細かく刻んだ野菜のチャツネ。モルト・ビネガーやトマト・ピューレー、デーツ・シロップなどで甘酸っぱく味付けされている。チーズ・サンドイッチとの相性が良く、英国らしい味わい。1922年に英中部スタッフォードシャーのメーカー、ブランストンで発売されて以来、変わらぬレシピで英国の定番になった。

£1.50 / 360g
bringoutthebranston.co.uk

MarmiteMarmite
マーマイト

塩分が強く独特の臭気があることで、英国人でも好き嫌いがはっきり分かれるマーマイトは、ビールの醸造後に残る酵母を使った食品。トーストやクラッカーに伸ばして食すほか、スープに溶かすなどの利用法もある。ビタミンB12成分が高く、認知症の予防に良いと言われることも。また、近年ではベジタリアン食品としての需要が高まっているという。

£2.69 / 250g
www.marmite.co.uk

uk英国式・世界の調味料

自国の食を自慢することが少ない代わりに、英国人たちが誇るのが、この国では世界各国の味に出合えるということ。このページでは、アジアから中近東、アフリカまで、英国で作られている世界の伝統的な調味料をご紹介する。

Belazu Rose HarissaBelazu Rose Harissa
ハリッサ

モロッコやチュニジアなど北アフリカで日常的に用いられる唐辛子ペースト。クスクスやタジン鍋の際に添えて食す。本品は、パプリカやガーリック、バラの花びらなども入ったマイルドな辛味で、バーガーや卵料理、ヨーグルトと和えてマリネ液にするのも良い。1991年に2人の幼なじみが立ち上げた、オリーブ・オイルの輸入会社から発展し、今や大手スーパーも扱う食品メーカーに。

£4.35 / 170g
www.belazu.com

Red KimchiRed Kimchi
キムチ

ロンドン東部レイトンで手作りされているキムチ。ピクルスや発酵食品作りに対する愛が高じ、ダルストンの自宅で手作りキムチ教室を開催していたというジェームズさんが、友人からのリクエストに応える形で自身のキムチを商品化。「食のオスカー」とも言われる権威あるグレート・テイスト・アワードで星2つを獲得した。ロンドン東部の野外マーケットやオンラインで購入可能だ。

£6.00 / 350g
www.shedletskysdeli.com

Jerk Barbeque SauceJerk Barbeque Sauce
ジャーク・ソース

カリブ海の島国ジャマイカの郷土料理、ジャーク・チキンを作るためのスパイシー・ソース。主原料はオールスパイスや唐辛子スコッチボネットで、チキンだけではなくポークや海老などにも合う。バーベキューの際に人気の1本となりそうだ。英国生まれのブラウン氏が、ジャマイカ出身の母親の味を基にジャーク・ハウス・シリーズを編み出した。

£6.00 / 555g
www.marshallandbrown.co.uk/the-jerk-house

Organic TahiniOrganic Tahini
タヒニ

塩分ゼロのヘルシーなギリシャ風白ゴマ・ペースト。通常のものより香ばしさが感じられるのは、ゴマを石臼でひく前に丁寧に炒っているから。中東料理のフムスやファラフェル作りはもちろんのこと、練りゴマとして扱えば和風、中華風とさまざまに使える。元教師のイリアナさんがギリシャ人の祖母の故郷を旅したことが商品開発のヒントになった。

£3.99 / 350g
www.grecious.co.uk

VFISH Fishless Fish SauceVFISH Fishless Fish Sauce
フィッシュ・ソース

昨年発売されたばかりの、魚介類が全く入っていない、昆布とワカメが原料のヴィーガン用フィッシュ・ソース。醤油、米酢をベースに、トマト・ペースト、シイタケなども使われているので旨味成分が強く、日本食との相性もよさそうだ。英南西部ポーツマスのクラフト系チリ製品を扱うショップが開発したもので、ヴィーガンでなくとも満足できそう。

£5.99 / 150ml
onestopchillishop.co.uk/product/vfish

英国人の味覚に変化?

マヨネーズ・ブームの謎

ここ数年、英国ではマヨネーズ・ブームが続いているという。「英国人の1番好きな調味料」のランク付けで初めて、トマト・ケチャップを抜いてトップの座に躍り出たのが2017年。同年の調査記録によれば、ケチャップの売り上げが2.7パーセント低下したのに比べ、マヨネーズのそれは6.9パーセントも増加。

専門家によると、この変化は英国人の味覚が昔ながらの調味料から新しいテイストへと移行していることの表れだという。消費者がペリペリ・ソースやチリ・チャツネなどの、味によりパンチがある珍しい商品に目を向けるにつれて、ケチャップの売り上げが低下。

一方でマヨネーズは原材料にフリーレンジの卵を使い、人工着色料や防腐剤を除去するといった方法で健康志向の消費者を取りこんだほか、さまざまなフレーバーの商品も開発されるなど、より魅力的な商品になっていったのが原因だそう。

 

ウィズコロナ時代を生きる英国市民たち

ウィズコロナ時代を生きる英国市民たち

ウィズことな時代を生きる英国市民たち

暮らしに見える7つの変化

新型コロナウイルスが世界中に広まり、誰も想像しなかったパンデミックに突入して半年以上が経過した。国家統計局が集計したグラフからは、夏以降、人々が再び外出を控えるようになったことが読み取れる。数値に反映されない、英国の市民の生活は実際どうなっているのだろうか。
今まで着けたこともなかったマスクが必需品になったように、新型コロナと共に生きるウィズコロナ時代の新しい生活様式を、戸惑いながらも受け入れている。見通しの立たない状況に奮闘する市民たちの姿や、新型コロナによる社会への影響をまとめた。
文: 英国ニュースダイジェスト編集部
参考: BBC、The Guardian、Big Hospitalityほか

社会的な交流パターンの推移

新型コロナウイルスによって、
国内で7つの大きな変化が生まれた。

フード・デリバリー事業の発達 フード・デリバリー事業の発達

英国では、新型コロナウイルスの蔓延を防ぐため、3月23日のロックダウン以降、多くの企業が一時閉鎖することを義務付けられた。特にパブやカフェなどの飲食業は、7月に再開が認められたものの、10月から再び限定的な営業となり、厳しい状況におかれている。

この状況下で伸びてきた分野がフード・デリバリー事業だ。消費者データを扱うマーケティング会社スタティスタのレポートによると、英国のデリバリー市場はパンデミック前の2018年から19年にかけて81億ポンド(約1102億円)から85億ポンド(約1157億円)に市場価値を上げており、ロックダウン前から成長の受け皿が整っていたことが分かっている。「週末のごちそう」の位置付けだったフード・デリバリーが、ロックダウンによって曜日、時間帯を問わず利用されるようになった。その結果、フード・デリバリー・サービスのデリバルー(deliveroo)には、3月以降、約1万1500店舗が新規に登録。配送員も2万5000人から5万人以上に増やし、爆発的な需要拡大に対応している。また、利用者が配送員への感謝の気持ちを込めて、直接チップを払える機能を新たに搭載し、デリバリーをレストラン感覚で利用できるシステムを整えた。

新ビジネスの誕生 新ビジネスの誕生

「ロックダウンで公共交通機関が使えなくなり、職場に通えなくなった」「一時閉業に追い込まれ、雇用の余裕がなくなった」などの理由で、新しい職場への就職や新事業の立ち上げが反故になってしまい、夢を一瞬にして失った市民も大勢いる。メディアでは、そうした個人事業主に起こった苦労話や、規模の小ささを生かしてその後成功したビジネスの例を頻繁に紹介している。

フリーランスのヘア・スタイリストであるモニーク・マーフィーさんは、自分が住むエリアにアフロ・ヘアーを扱えるヘアサロンがないことに注目し、自分のサロンを立ち上げた。カフェの経営者であるエミリー・ファーフィーさんは、ロンドンから思い切って英南部フォークストンに拠点を移し、ソーシャル・ディスタンスを確保できる広々とした空間のカフェをオープンした。「再出発するなら人々に今求められているものを提供するのがいいのではないか」。機転を利かせたアイデアがヒットし、新たな仕事と共に生活を送っている。

不動産事情の変化 不動産事情の変化

2020年10月末時点で、ロンドン在住の会社員は、できる限り自宅で働くよう推奨されている。自宅がオフィスになるという新しいライフスタイルがいつまで続くか見通しが立たないため、庭付きの戸建てや、緑豊かな公園がそばにある物件の人気が上昇している。

英大手不動産ポータルのライトムーヴによると、この秋、市場に出回っている住宅の平均提示価格は過去最高を記録しており、不況に突入しているにも関わらず、購入者は昨年の同時期に比べ5.5パーセントも高い住宅購入を検討していることが分かった。夏以降に住宅事業が活発化している理由は、今年7月、「最大50万ポンド(約6807万円)で販売された住宅までは、住宅購入時に課せられる印紙税を無料にする」、というスキームが発表されたことによる。同スキームは来年3月31日までイングランドと北アイルランドで適用される。

環境問題の改善 環境問題の改善

第1回目のロックダウンは英国経済にとっては痛手だったものの、公共交通網が止まり、飛行機の移動も大幅に制限されたことで、7月時点で大気汚染や温室効果ガスが昨年に比べ激減したという、予想外の朗報がもたらされた。

人々の移動パターンのデータを扱うストラヴァ・メトロによると、ロンドンでの新規自転車利用者数の上昇率は5月でピークに達し、前年比119パーセントの増加が見られた。理由としては移動の手段がほかにない、人の往来が減って走りやすい、などの要因が挙げられている。現在自転車の走行車数は減少傾向にあるものの、電動自転車や電動スクーターなど新たな移動手段の需要は高まってきているという。また、自転車利用者数の増加に伴い、自転車修理の請負サービスがロンドン各地に新設、電動自転車の共有サービスの拡大など、環境に優しい新たな雇用の創出も加速している。

市民による医療従事者への支援が盛んに 市民による医療従事者への支援が盛んに

もともとチャリティー活動に熱心な英国市民。パンデミック以降は、医療従事者への支援が一段と目立った。歩行器を使って自宅の庭を100回往復するチャレンジで、約3200万ポンド(約43億円)の寄付を集めた退役大尉のトム・ムーアさんをはじめ、自らデザインしたマスクの売り上げ金2475ポンド(約33万円)を寄付したバスのオペレーター、ロックダウン中の6カ月間、1日約5キロメートル走り、1000ポンド(約13万円)以上を集めたティーンエイジャーなど、さまざまな形でチャリティーを行う市民が後を絶たない。

また、チャリティー以外にも、NHSスタッフを対象としたカフェやショップの割引制度の開始、NHSスタッフに感謝の気持ちを込めて木曜日の夜に拍手をするイベント「クラップ・フォー・アワ・ケアーズ」(Clap For Our Carers)、雨の後に出る虹を希望に見立て、メッセージを添えた虹の絵を窓に貼る運動なども実施された。

ファッションの変化 ファッションの変化

不織布マスクが高値で売買され、一時期マスクが手に入らない状況となったのは英国も日本も同様だ。現在は洗える布製のマスクが主流となっており、ファッション感覚で着けられるおしゃれなものや、顔とマスクの間に空間を設け、呼吸がしやすいスポーツ用など、使用目的に合ったマスクが販売されている。中でも、このコロナ禍で売り上げが跳ね上がったのは、手作りのファッション・アイテムを販売するオンライン・サイト「ディーポップ」(Depop)だ。さまざまな人種の肌トーンに合うような豊富なカラー・バリエーションのマスクを取り扱い、ファッションに関心の強い若者を中心に人気を博している。

また、通勤など自宅勤務で確保できた時間をエクササイズに充てる人が増え、トレーナーなどのカジュアルな服やスポーツ・ウエアの売り上げが昨年比で17パーセント増加。ファッション業界の業績不振は顕著だが、一方で恩恵を受けているブランドも一部あるようだ。

オーガニックな暮らし オーガニックな暮らし

ロックダウン当初に起こった買い占めでスーパーマーケットでの品薄が問題になり、食料品の調達ルートにも変化が見られた。今まであまり利用することのなかった地元の個人商店で食品を購入する人や、地元の農産物などに関心を向ける人が増加。また飲食店が一時閉業になったことで、良質な食材が地元の商店へ流通するようになった。そのほかにも、在宅勤務で荷物の受け取りがスムーズにできることから、新鮮野菜の配送サービスを利用する人も増えた。

ロックダウン中にガーデン・センターが飲食店より早くオープンしたことで、都市部を中心に、家庭菜園を始めた人も。地方では、近所の農場から堆肥を分けてもらい、本格的な野菜作りに挑戦する、鶏小屋を自ら作り、ニワトリを飼育するなど、自給自足とまではいかないものの、新たな趣味の一つとして、自家栽培を楽しむ人が増えた。


次世代へ記憶をつなぐ

増え続ける感染者、愛する人の死、経済的な打撃、友人との交流の制限など、新型コロナウイルスが市民に与えた影響は、挙げればきりがない。
「2020年は失われた年」だと囁かれているなか、この異例の事態を何らかの形で残そうとする動きがある。あとで振り返って笑えるようになるまで、まだまだ時間はかかりそうだが、この出来事を未来へ伝えるさまざまな活動を紹介しよう。

「コロナ・アート」の誕生

ロンドン博物館(ミュージアム・オブ・ロンドン)では、パンデミック時のロンドン市民の生活を後世に残すため、関連のオブジェを4月から公募している。ロックダウンで自宅が活動の拠点に変わり、ライフスタイルが変化していく様や、一連の出来事が若い世代にどのような影響を与えたかを、市民の記憶とともに紹介する予定だ。

また先月、毎年デザイン・ミュージアムで開催される、過去12カ月で制作された革新的なデザインに贈られる国際的な賞「ビーズリー・デザインズ・オブ・ザ・イヤー」(Beazley Designs of the Year)のノミネート作品が発表された。新型コロナウイルス感染症の原因となるウイルスSARS-CoV-2のグラフィックや、3D プリンターで作ったフェイス・シールドなど、新型コロナにまつわる作品が数多く選出された。

ビーズリー・デザインズ・オブ・ザ・イヤーにノミネートされた「3D rendering of SARS-CoV-2」 ビーズリー・デザインズ・オブ・ザ・イヤーにノミネートされた「3D rendering of SARS-CoV-2」

新型コロナをテーマにした創作活動は、市民にも影響を与えている。ロンドン在住のエリザベス・キュエストレットさんは、3月から8月にかけて感じたパンデミックに対する怒りや怖れ、またそれを受け入れていく様子をイラストで表現した「My Grief - life during lock down 2020(auto-bio comic)」を制作。マーク・ビーチルさんは、ロックダウン中に、気が滅入り、家にあった果物に顔を描き始めたことがきっかけで、街中にあふれる「顔」を撮影したミニ写真集「lockdown faces」を出版した。自分なりの方法でロックダウンを記憶する自主制作も盛んに行われている。

ミニ写真集「lockdown faces」 ミニ写真集「lockdown faces」

新型コロナウイルス関連の単語がオックスフォード辞典に掲載

新型コロナウイルスにより、日常生活で使用する言語にも変化があった。4月、オックスフォード現代英英辞典に、新型コロナウイルスにまつわる用語が新たに追加された。

例えば「コヴィディオット」(Covidiot)という名詞。意味は「新型コロナウイルスの蔓延を防ぐために作られたソーシャル・ディスタンスの規則に従うことを拒否することで、他者を悩ます人」のことだ。こういった造語の他にも、「COVID- 19」、「Social distancing」(感染症の蔓延を防ぐため、自分と人との間に安全な距離を保つこと)、「Elbow bump」(自分の肘と相手の肘をタッチさせてする挨拶)、「WFH」(Work From Homeの略で、自宅勤務)など、ニュースで頻繁に聞かれるワードを中心に採用された。

なお、今後の情勢次第では、ワクチンや治療薬など、医学的、科学的な専門用語などが追加される可能性があるようだ。

叙勲リストに戦う市民の名が連なる

10月、エリザベス女王の誕生日を記念する叙勲リストが発表された。そこには、スーパーの店員や配達員、看護師、パブのオーナーなど、新型コロナウイルスの流行を食い止めるために立ち上がった、一般市民たちの名前が並び、1495名のうち、414人が新型コロナウイルス関連で活躍した人物だった。

英中部ケンブリッジシャーのスーパーマーケットで働くジェフ・ノリスさんは、免疫力がないため、気軽に外出できない高齢者のために、買い物しやすいシステムを独自に構築し、休みを返上して買い物を代行した。また、看護師のアシュリー・リンズデルさんは、医療現場で使用する医療用ガウン不足を補うため、自費で布を買って同僚のためにガウンを作った。さらにこの活動をSNSで拡散し、英国各地にガウン作りのボランティア・グループを作り、多くの手作りガウンやマスクを医療現場の最前線に届けた。なお、「市民による医療従事者への支援が盛んに」で紹介したトム・ムーアさんはナイト爵位を与えられている。

エリザベス女王からナイト・バチェラー(勲爵士)に任命されたムーア退役大尉 エリザベス女王からナイト・バチェラー(勲爵士)に任命されたムーア退役大尉

 
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