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Fri, 06 February 2026

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俳優 市村正親 インタビュー

俳優 市村正親 インタビュー

昨年9月、英南東部ケントで、日本と縁の深い一人の英国人を記念する
フェスティバルが開催された。
日本の伝統文化も紹介される毎年恒例のこのイベントの存在を、
一体どれほどの人々が知っていただろうか――江戸時代初期、
旗本として将軍徳川家康に仕えた英国人、三浦按針(ウィリアム・アダムズ)と
彼を取り巻く人々の半生を描いた日英合作舞台
「Anjin: The Shogun and The English Samurai(邦題: 家康と按針)」が
間もなくロンドンで上演される。
作品の核となる人物、家康を演じるのは、日本演劇界を代表する俳優、市村正親。
現代の日英両国の人々の記憶から薄れつつある、はるか昔の日本の権力者と
一英国人の絆を、この地でどのように表現するのか。
東京公演真っ最中の市村に電話インタビューを行った。
(本誌編集部: 村上 祥子)

市村正親(いちむら まさちか)
1949年1月28日生まれ。埼玉県出身。舞台芸術学院を卒業後、俳優西村晃の付き人に。1973年、劇団四季の「イエス・キリスト=スーパースター(現「ジーザス・クライスト=スーパースター」)」でデビュー。翌74年に同劇団へ入団。「エクウス」や「オペラ座の怪人」など多数の作品で主役を演じた後、90年に退団。その後は「ミス・サイゴン」や「屋根の上のヴァイオリン弾き」といった舞台で活躍するとともに、映画やNHK大河ドラマ、連続ドラマなど映像分野にも進出し、幅広い活動を行っている。


「家康が僕じゃなくても」大丈夫

「家康が僕じゃなくても、作品がしっかりしているわけだから、そこに描かれた家康を演じてさえいれば、家康と按針との友情は表現されると思いますね。俳優とはそういう職業ですからね。うん」。

俳優、市村正親。「オペラ座の怪人」「ウェスト・サイド物語」「ミス・サイゴン」「スウィーニー・トッド」「屋根の上のヴァイオリン弾き」――彼がこれまで演じてきた舞台作品のタイトルの数々を並べれば、それはそのまま日本演劇の発展の記録になるといっても差し支えないだろう。ときに役がその身に乗り移ったと言われるほどに演技にのめり込むことで知られる市村の口から出た、台本さえきちんとしていたら誰が演じても同じ、とも受け取れるこの言葉は一体、何を意図しているのか。

1月31日、ロンドン北部のサドラーズ・ウェルズ劇場で、舞台「Anjin: The Shogun and The English Samurai(邦題: 家康と按針)」の幕が開く。約400年前の日本を舞台に、江戸幕府中興の祖、徳川家康と、彼に仕えた英国人の侍、三浦按針(ウィリアム・アダムズ)の交流を描いたこの日英合作作品は、近年多く見られる「合作もの」の中でも異色の存在と言える。

英国きっての老舗劇団、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーの頂点に立つ芸術監督の座に昨年就任した演出家グレゴリー・ドーランが、以前日本でツアーを行っていたとき、1600年に船が難破し、日本に漂流した英国人の話を聞いたのが、この芝居が生まれたそもそものきっかけ。シェイクスピアと同時代に極東の地に生きた同胞の数奇な人生に興味を抱いたドーランは、日英の脚本家及び俳優たちとともにゼロからこの作品を作り上げていった。日本の舞台作品に外国人演出家を招聘したり、日本人俳優たちの中に数人の外国人俳優が共演していたりといったものとは一味違い、両国ががっぷり四つに組んで作り出した作品だ。初演は2009年。昨年12月の神奈川、東京公演を経て1月末、ロンドンにやって来る今回は、一部キャストを変更しての再演となる。市村が演じるのは、初演に引き続き徳川家康。一方、家康と交流を深めていく按針役や、2人の間を取り持つ通訳を務める宣教師ドメニコ役など、キーパーソンを含む共演者数人は、今回からの初参加組だ。

俳優とは「孤独」な職業

按針役のスティーブン・ボクサー始め、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーから今回加わった英国人俳優たちは、「日本人俳優とは違い、基礎をしっかり積んでいるからセリフがダイナミック」。セリフを謳い上げるように発声する英語独特のリズムはスケールが大きく、そのダイナミズムは日本語のセリフではなかなか実現できないと市村は言う。また、再演に際しては、言葉を変えることなく、「演技の細かいタッチ」で権力者家康が抱え持つ孤独と、英国に妻子がいるにもかかわらず日本でその生涯を終えることになった按針の孤独が出合う様を色濃く出していくが、これは3年の月日を経てある程度英語を理解しながらコミュニケーションを取れるようになった自らの変化とともに、「日本語をよく研究していて、このセリフのときにはこう反応したい」と細部にまでこだわりを見せるボクサー演じる按針が相手だからこそ成し得るものと語るその自信に満ちた口調からは、再演ならではの細やかな心遣いと意気込みが感じられる。

いまや日本演劇界の押しも押されぬ第一人者。出演する作品では、座長としての役割ももれなくついて回る。昨年11月、「Anjin」の稽古のために一人渡英したドメニコ役の古川雄輝は、以前別の作品で共演した市村を「自分とは関係のないシーンでも皆のセリフを聞いて、考えて、皆に平等にアドバイスをくれる」人と評し、演技がうまくいけば、本番中でも舞台裾で無言のまま親指を立てて励ましてくれる、それがありがたかったと感謝の気持ちを表した。一方、古川の印象はと市村に尋ねてみると、「英語を武器としている俳優さんなので、英語ではのびのびと芝居をしていますね」。しかしその後に茶目っ気たっぷり、日本語での演技は「俺の目からするとまだ60点。足りない点は人生でしょうね。人生観。イマジネーション! まあ、そんな簡単にできちゃったらこちらも困りますよ。うん! まだ大作を演じるのは2回目なのに。苦労してもらわないと!」と豪快に笑った。行動と言葉が示す包容力と厳しさは、まさしく作品の屋台骨を支える座長としての立場を体現したものだと言えよう。だが、常に大黒柱的な役割を求められる立場というのは、市村ほどのベテランをもってしても、決して楽なものではない。

「第一人者と呼ばれようと、新しいお芝居に入るときはゼロからですからね。逆に周りが第一人者だと思っている分だけ、期待度が高いからこちらもそうとう作りこまないといけない。そういう意味では、家康のセリフじゃないですけれど孤独ですよ。今回のような再演作品だといくらかは出発地点はゴールに近くなりますが、舞台とはそういうものですね。毎回毎回、ゼロからです」。

僕は「日本国内で十分だと思っている俳優」

市村が思い描く、今回演じる家康の人物像は、「夢を求めていたにもかかわらず、生まれが生まれなゆえに、育った場所が育った場所ゆえに、生きた時代が時代なゆえに、外に出ることはかなわなかった。しかし非常に好奇心旺盛で、夢に向かって色々なものを吸収する、まるでスポンジのような吸収力を持った人間」。海外進出する日本人俳優が目立つようになった昨今、日本の中であらゆる役柄をこなしてきた市村本人にもつながる部分があるように感じるが、「確かにそれはあるかもしれませんね」と言う一方で、「僕は別に外国でお芝居をしたいという人間じゃない、日本国内で十分だと思っている俳優」だと明快に言い切った。その言葉を聞いて、英国での評価も高い人気演出家にして俳優の野田秀樹がかつてロンドンで語ってくれたエピソードが去来する。海外で作品を生み出す自らの苦しみを語るとともに、先日他界した親友の歌舞伎俳優、中村勘三郎を例にとり、常に新しいものに挑戦し、苦労を重ねて日本でトップを走り続けることの厳しさも訴えた野田。市村にしても野田にしても、活躍する場を問わず、一つの世界でプロとして第一人者であり続けることの厳しさを、骨の髄まで知っているからこそ滲み出る実感なのだろう。

市村は2003年、蜷川幸雄演出「ペリクリーズ」のロンドン公演に参加している。演じる上でロンドンならではの難しさとは何かを尋ねたとき、「あのね、難しいなんて思ってたら何もできないですよ」と言い含めるようにゆっくりと言葉を運んだ後、「日本でつくったものを、今、毎日演じているものを、今、東京でやっているのと同じ気持ちで、ロンドンでもやる」だけと断言した。ロンドンや米ニューヨークなど、演劇の聖地と言われる場所でも数々の舞台を観てきたが、「ロンドンだってブロードウェーだって日本だって、だめな芝居はだめ」とあっさり言い切る辺りもまた、演じられる舞台の場所が日本だろうが海外だろうが、ただ日々の芝居を最高のものにすべく己を切磋するだけという俳優としての姿勢がうかがえる。市村にとって冒頭の言葉は、まずは作品ありきであるとする、演じる者としてのエゴを捨てたプロ意識と、俳優とは替えの効く職業であるからこそ、常に自らを追い込み自らにしかできない役づくりをしなければならないのだというストイックさを示すものだったのではないだろうか。

何より「好きで、一生懸命」

ミュージカル「オペラ座の怪人」の怪人役や、「ミス・サイゴン」におけるフランス人とベトナム人の混血のキャバレー経営者役など、癖のある役柄を当たり役とする一方、シェイクスピア作品で悲劇を演じ、テレビや映画では現代ものから時代劇までこなす市村。自分の発言を反芻し納得しつつ話しているかのように語尾に「うん、うん」と挟み込みながら、セリフのごとく朗々とリズミカルに言葉を繰り出す低めの声は、たとえ電話越しであっても、人生の大部分を舞台という板の上で過ごしている人間ならではの凄味を感じさせる。数ある持ち役の中でも自分に合う役柄はあるのか尋ねてみると、「まあ普通の役は合わないみたいだね」と冗談めかして笑った。「オペラ座だとかミス・サイゴンだとか、シェイクスピアだってリチャードにしてもハムレットにしても、みんなどこかにおかしい、強烈な部分がありますからね。強烈な役が面白いなと思います」。

これまで多くのメディアで語っているが、市村が俳優を志すようになったのは、高校時代に劇団民藝の「オットーと呼ばれる日本人」で滝沢修が舞台上で生きた「激しい人生」に魅せられたから。その後、俳優西村晃の付き人を経て劇団四季に入団。1990年に同劇団を退団した後はさらに活躍の場を広げ、デビュー以来40年近くにわたり、数えきれないほどの舞台に立ち続けてきた。星の数ほどもいる俳優たちの中で、なぜこれだけの年月を最前線で走ってこられたのだろう。「手前味噌になってしまいますが、『元気がもらえる』とおっしゃるお客さんが多いですね」。元気がもらえる、それは何故だと思うかと続けて聞いたら、返ってきたのは、「僕が、好きで、一生懸命演じているからじゃないでしょうか」という極めてシンプルな一言だった。

年月を重ね、役を重ねた。今後はアーサー・ミラーやサルトルの戯曲に出てくる登場人物のような、「若い役じゃない、大人でなければできない役との出会いができれば」と語る。しかし年を経た上での俳優としての変化を尋ねると、これまで打てば響くようにポンポンと答えてきた市村が少し、口ごもった。「自分が変わったかどうかはお客さんが判断すること。お客様が『今日の芝居はこう変わったな』とか、『役者がこういう風に変わったな』と判断してくれるのが良いのであって、僕が『こういうところが変わっただろ! 』と言うのはおこがましいような気がします」。俳優が、その内面を言葉で説明するべきではない。俳優が自分をさらけ出すのは舞台の上。好きで、一生懸命演じている人間から、観ている者が元気をもらう。この至って単純な図式を理解するには、舞台に立つ市村の姿を観るよりほかになさそうだ。「300年以上にわたって続く平和の時代の礎を築いた将軍家康が劇場でお迎えしますので、楽しみにしていてください」と語る市村家康の生き様を、舞台の上でとくと見せてもらおう。


Anjin The Shogun and The English Samurai 「家康と按針」
Sadler's Wells
Rosebery Avenue, London EC1R
1月31日~2月9日
月~土 19:30(水・土は14:30もあり)
料金: £16~48
Tel: 0844 412 4300
www.sadlerswells.com
 

誕生から150年以上 ロンドンの地下鉄、その歴史に迫る

ロンドン

1月10日(木)に開業150周年を迎えるロンドン地下鉄。遅延やストライキ、週末の補修工事に値上げなど様々な問題を抱えながらも、ロンドン市民たちを運ぶ公共交通機関として長い歴史を築いてきたロンドン地下鉄にクローズアップしてみた。
取材・文/長野 雅俊

人込みと臭いにまみれた都市、ロンドン

ロンドン ここは産業革命を経て、「世界の工場」として君臨する大英帝国の首都、ロンドン。1851年の時点で230万人余りの人口を抱え、街は既に飽和状態にあった。

混雑した道路を、せわしなく行き交う馬車が残していく大量の馬糞と、それに飛び交うハエ。飲料水、下水の区別なく使われていたテムズ河を渡る蒸気船は河水の汚染を一層すすめ、あまりの臭いに橋を渡る人々はハンカチで鼻を被うほど。また、乱立する家屋やオフィスは新たな鉄道の建設を阻み、郊外からの交通費さえ払えない労働者達の生活環境は、都心部にスラムを生んだ。これらの都市問題を解決する、何か決定的な対策が必要なのは誰の目にも明らかだった。

数々の斬新、奇抜なアイデア登場

派手なデザインで知られた庭師、サー・ジョセフ・パクストンはその名も「グレイト・ビクトリアン・ウェイ」というショッピング・アーケードを作り、その上をガラス張りにして電車を走らそう、なんて企画を出した。ちなみに予算はしめて3400万ポンド也。他にもいくつか似たようなものがあったが、財布の紐の固い当時の政府の了解を得ることはなかなか難しかった。

しかし1852年、ランベス地区の下院議員で、事務弁護士でもあったチャールズ・パーソンが提案した「アーケード・レイルウェイ」は議会の承認を得て、これが現在の地下鉄の原型となる。「スラムを排し、郊外の安価な労働力をロンドン中心に集めよう」という彼の主張が多くの投資家達の心をつかんだからだ。

建設スタート。続出する不満、批判

そして早速メトロポリタン・レイルウェイという民間会社が設立され、1860年にはついに着工。工事にはカット&カバーと呼ばれる工法が用いられた。これはその名の通り道路をまず深く掘り下げ、線路を敷いてから蓋を閉めるように塞いで屋根を覆うというもの。

ちょっとここで想像してみて欲しい。大型機械を携えた労働者達が、「これから地下に列車走らせるんだ」と家の前の地面を掘っていく光景。現代の、ちょっとした道路の補修工事だけでも結構な渋滞や不満が生まれるのに、当時の混乱は計り知れない。

実際、なんの馴染みもなかった「地下を走る列車」に懐疑的な人は少なくなかった。

タイムズ紙はこの計画を「空飛ぶ自動車と同じくらい馬鹿げた、常識外れなユートピア」と呼び、「この不潔なロンドン地下の暗闇を、一体誰が喜んで旅しようと思うであろうか」と痛烈に批判。さらに伝道者であったドクター・カミングは、「悪魔が住みつく地獄の地底を掘り起こすことで、世界の終末は一層早められるであろう」と警告を発している。

そして世界初の地下鉄完成

工事開始から3年、様々な批判や中傷、苦難を乗り越え、世界初の地下鉄はついに完成。1863年1月9日のお披露目会では700人のゲスト達に迎えられる。その招待リストの中には、時の首相であった79歳ロード パーマストンの名も含まれていたが、「わしはもうちょっとだけ地上での生活を楽しみたいのじゃ」とのコメントと共に辞退。また企画者のチャールズ・パーソンは完成を見る前に既にこの世を去っていた。

翌日の10日には一般市民に開通。その物珍しさから、初日だけで3万3千人もの利用客の大盛況。始発駅であるパディントン駅とファーリンドン駅で既に満員になってしまい、途中駅からの乗車は全くできないほどだったという。

当時の工事現場は‘過酷’そのもの

「地下深く潜るシールド工法での地下鉄建設は、多大な犠牲を生みました。工事中の度重なる事故で、指を切断されたり、肩を砕かれたり、時には死んでいく労働者達さえたくさんいたのです。また地下特有の地質から発生する汚れた空気を吸って、肺を患う人は特に多かったようです。さらにトイレ代わりに使ったバケツの周りを何十匹ものネズミが駆けずり回る中で1日12時間、週6日働く環境は、たとえ給料が良かったとはいえ過酷そのものでした。現在のロンドンの地下鉄は、そんな彼らの労働の上に成り立っているのです」。
ロンドン交通博物館 ジョン ハートランドさん


工事現場を再現した人形に混じり、当時の様子を語ってくれる

煙だらけのトンネル

多くの人の驚きと興奮でその登場を迎えられた地下鉄は、同時にいくつもの深刻な問題を抱えていた。

まずはカット&カバーと呼ばれる開削式による工法。地中にはガス、電気を通すパイプが引かれており、掘れるスペースには限りがあった。また誤って水道管を切ってしまい、洪水になることもしばしばあったという。

さらに地上から掘り起こさなければならないため、立ち退きや土地の買収問題には常に悩まされた。穴を埋めた後は、その地域一帯の補償に関する訴えが待ち構えていた。

そして当時はまだ蒸気機関車の時代。トンネルの中では煙だらけで信号機が見えなくなる時もあるほどだったという。そこで考え出されたのが、シールド工法と電気機関車であった。

ロンドン地下鉄開通当時の車内
地下鉄開通当時の車内/ロンドン交通博物館

いよいよ、チューブの誕生

シールド工法とは、シールドと呼ばれる筒状の掘削機を、地中に押し進めながら土砂を掘り出し、トンネルを組み立てていくというもの。その結果断面は円形になり、いわゆる「チューブ」が出来上がる。この方法はロンドン特有の柔らかく、湿った土を支え、路上の生活を乱すことなく地下鉄建設を進めることを可能にした。

また列車の電気化のため、自前の発電所を始発駅であったストックウェルに設立。これは当時の英国で最大のものだった。

こうして1890年、シティから南にテムズ河を潜り抜けるシティ・サウス・ロンドン・レイルウェイが開通。人々に新たな科学技術の成果を見せつけた。

こうやって、現在もチューブの呼び名で親しまれている、新しい地下鉄の時代が幕を開けた。

長い歴史の合間の1コマ

ロンドンでの地下鉄が誕生するまでの物語は、日本での幕末期に重なる。黒船来航、安政の大獄、薩長同盟など、国が大きく揺れ動いている時代であった。

やがて時は流れて世界は2つの大戦を迎えることになる。第1次大戦時の空襲の際には政府が禁止したにもかかわらず、防空壕として30万人もの人が一夜を明かすことがしばしばあった。

第2次大戦の折には、地下へと避難する市民の混乱を避けるためチケット制を取ったが、ダフ屋が横行するほどまでの盛況ぶりだった。地下鉄構内には図書館が設置され、200にも及ぶ社会人講座が開かれ、演奏家がどこからか運び込まれたピアノを弾き、ダーツ選手権まで開催された。また医者を始めとした周りの人に見守られながら、出産を迎える婦人も少なからずいたという。

さらにチャーチル首相はドイツのスパイを避けるため、会議に地下鉄の駅を使ったとの記録も残っている。

地下鉄内の様子

そして現在へと続く問題

戦後、ロンドンの地下鉄はすぐに国有化された。しかし長い期間をかけ、地味な成果しかあがらない整備に政府の関心はなく、地下鉄の設備は悪化の一途を辿った。現在はそのツケを払わされているといってもいいだろう。また実はチューブはその歴史上、経済的な成功を謳歌した時期はほとんどない。

2003年からは、ロンドン地下鉄の運営形態がパブリック・プライベート・パートナーシップ(PPP)へと移行。地下鉄の運営を公共事業に位置付けながらも、整備、資金調達などの仕事は民間会社に振り分ける方式であったが、やがてこれら民間会社がロンドン交通局の管理下に置かれるなどして、現在ではこのPPPは形骸化している。

そして、例年通り、2013年の年明け後に再び実施された運賃の値上げ。地下鉄の遅れは今でも頻繁に生じているとの印象も拭い切れない。現代のロンドン地下鉄を取り囲む環境が改善されるには、まだまだ時間がかかりそうだ。

遠くに見える駅の明かりは、まるで天国への道

「トンネルの中ってね、とっても暗いの。そんな中、1日中1人っきりで運転しているから寂しい気持ちになることもよくあるわ。光るものは信号機だけしかない暗闇をずっと走っていると、突然遠くの方に駅の明かりが見えるの。まるで天国に続く道かと思うくらい感動するわよ。あとね、いくつかのポイントで、今は使われていない昔の駅とかが見えたりするの。長く働いている先輩達がどんな風だったか話してくれるのを聴いたりすると、つくづく地下鉄の歴史を感じるわよね。電車が遅れているとき、よく“信号機故障”ってでていると思うけど、実際は換気装置の故障だったり、その他トンネル内での不備だったり…。様々な角度からの問題解決が要求されるわ。基本的にその時私は運転席で、コントロール室からの指示を待っているしかないの。とにかくすごく複雑なシステムを管理している彼らには頭が下がるわ」。
ノーザン線の運転手 ジャクリーン・キャンベルさん


地下鉄は最高のステージ!

「ロンドンの地下鉄っていいね。地下で歌うとうまいこと音が響いてとっても具合がいいんだ。それとやっぱりたくさんの人が毎日通っていくからね。多くの人の前で大好きな歌を披露し、気に入ってもらえればお金をもらえる。絶好のステージってわけさ。
そんな俺を追い出そうとする構内放送が時々流れるけど、まあ気にしちゃいないね。だって駅員の中でも俺の歌のファン、いるんだぜ。
稼ぎはどうかって?そうだな、数年前のクリスマスに1日で£60稼いだことがあったな。でも家に帰るまでの電車賃さえ集められない日もたくさんあるよ。よくこの辺りで歌っているから、また会いに来てくれよ」。
ピカデリー・サーカス駅で歌っていたボブさん


ロンドンの地下鉄
その頃の日本の出来事
チャールズ・パーソン、「アーケード・レイルウェイ」を提案 1852年  
  1853年 アメリカの海軍提督ペリー、黒船を率いて浦賀に来航。
現在のメトロポリタン線とハマースミス&シティ線にあたる、世界初の地下鉄がパディントン駅〜ファリンドン・ストリート駅間に開通。 1863年 前年に起きた生麦事件を発端とした、薩英戦争勃発。
  1867年 大政奉還が行われる。
現在のディストリクト線にあたる鉄道がサウス・ケンジントン駅〜ウエストミンスター駅間に開通。 1868年  
  1871年 廃藩置県が行われる。
当初歩行者通路だったテムズトンネルを利用して、現在のイーストロンドン線にあたる鉄道がショーディッチ〜ニュークロス間に開通。 1876年
犬猿の仲にあったメトロポリタン線とディストリクト線が協力し、現在のサークル線にあたる環状線を完成。 1884年  
  1889年 大日本帝国憲法発布。
現在のノーザン線にあたる、初のチューブがキング・ウィリアム・ストリート駅〜ストックウェル駅間に開通。 1890年
ウォータールー&シティ線開通。 1898年  
現在のセントラル線にあたるチューブがシェパード・ブッシュ駅〜バンク駅間に開通 1902年 日英同盟が締結される。
現在のベイカールー線、ピカデリー線にあたるチューブが開通。 1906年  
第1次世界大戦。一晩で30万人もの市民が防空壕として利用する。 1914-18年  
1927年 浅草〜上野間2.2キロ(東京地下鉄道株式会社)に現在の銀座線にあたる日本初の地下鉄が開通。
第2次世界大戦。防空壕として利用する市民の混乱を避けるため、チケット制が取られる。 1939-45年
  1964年 東京オリンピック開催。
ヴィクトリア線開通。 1969年  
ジュビリー線開通。 1979年  
ドックランズライト・レイルウェイ開通。 1987年  

行ってみよう! ロンドン交通博物館

乗合馬車に始まるロンドンの交通全般を扱ったこの博物館では、地下鉄関連の展示もたくさん。歴史を映し出す貴重な写真だけでなく、実際使われていた列車が丸ごと展示されていて、鉄道ファンならずとも舌を巻くはず。

London's Transport Museum
Covent Garden Piazza
London WC2E 7BB
Tel: 020 7379 6344
最寄駅: Covent Garden
開館時間: 10:00‐18:00(金は11:00から)
料金: £18.50(年間チケット)
www.ltmuseum.co.uk

(本誌2003年9月4日号掲載、一部改訂)

 

建築家ウィル・オルソップ氏インタビュー

新春号 仏・英・独 3国特集 街並みに新たな息吹をもたらす建築家にインタビュー

ウィル・オルソップ - 美しい場所であれば、人はその場所に出掛けます

日本人が憧れを抱く、英国を含む欧州各国の古い街並み。
だがその風景も日々変化している。
そこで本誌新春号では、英国、フランス、ドイツの
街並みに新たな息吹を吹き込む建築物を生み出した
建築家にインタビュー。
まずは奇抜なデザインと歯に衣着せぬ発言で
英国の建築界に一石を投じる、
ウィル・オルソップ氏に話を聞く。

Will Alsop ウィル・オルソップ
1947年12月12日生まれ、イングランド中部ノーサンプトンシャー出身。英国建築協会付属建築学校卒。1981年に友人とともに建築事務所を開業。2011年に現職である「オール・デザイン」のダイレクターに就任。仏南部ブーシュ=デュ=ローヌ県県庁舎、独北西部ハンブルクのフェリー・ターミナル、ロンドン大学ゴールドスミス・カレッジのキャンパスに加えて、ロンドン五輪会場の最寄駅となるノース・グリニッジ駅とストラトフォード駅の建設プロジェクトなどを手掛ける。2000年に開館したロンドン南東部のペッカム図書館が高い評価を受け、同年には王立英国建築家協会がその年に最も偉大な貢献を果たした建築を設計した建築家に贈るスターリング賞を受賞した。 www.all-worldwide.com 

近年、ロンドンの街並みが目まぐるしく変わっています。現在のロンドンにおける再開発計画のあり方をどう捉えていますか。

第二次大戦中にロンドンはひどい爆撃を受けました。だから1950~60年代にかけて、この都市を急速に再生する都市計画が進められたのです。ただ、それらの計画は一方で新たな都市問題を生み出しました。90年代、そして21世紀に入って、戦後に生まれたそうした問題をいかに解決するかを考える作業が始まったわけです。

私が手掛けたペッカム図書館が立つ地域周辺の都市状況を例として挙げましょう。ロンドン南東部ペッカムは戦後著しい成長を遂げた地域です。50~60年代に中南米やアフリカ地域の移民が押し寄せ、地域の文化を変えました。異なる文化背景を持つ人々が一度にたくさん集まったことで、暴力や犯罪といった都市問題も生まれました。そこでそれらの問題をいかに解消するか、という課題が立ち上がったわけです。

ペッカム図書館はそのデザイン性だけでなく、街の活性化に貢献したとして建築界だけでなく地域社会からも評価されています。ご自身ではこの建築物をどのように評価されていますか。

ペッカム地区を管轄するロンドン南部サザークの自治体が、街の中心にスイミング・プールや図書館を作るという構想をまとめ、私が図書館の設計を請け負うことになりました。完成してから、同地区における図書館の利用率が3倍に増えたと聞いているので、まあ私の仕事はきちんとやりましたよ、という感じでしょうか。街の中に新たな市場を作ったようなものです。あの建物が触媒となって、街に自信が芽生えたのでしょう。地元の人々が、あの建物に呼び寄せられた中産階級の人々と触れ合うようになったのです。その結果、より面白く、より安全な地域になったと思います。

オルソップ氏の代表作であるペッカム図書館
オルソップ氏の代表作であるペッカム図書館。
L字を傾けた形態が特徴的

ロンドンの都市再開発プロジェクトとしては、やはりあなたが手掛けたロンドン大学ゴールドスミス・カレッジのベン・ピムロット・ビルディングも有名です。

大きい建物にも関わらず、非常に低予算のプロジェクトでした。ゴールドスミス・カレッジの芸術部門は、国際的に高い評価を得ています。だから、たくさんの海外留学生が興味を持ってこの大学について調べてみる。すると、実際にはロンドン中心部から数十分でアクセスできるにも関わらず、その立地は「ロンドン郊外」と位置付けられているという情報を見つけてしまう。海外の留学生は「なんだ、ロンドンではないじゃないか」と思いますよね。

進学先を選ぶ条件として、授業の質と立地を挙げる学生は非常に多いと思うのです。ゴールドスミス・カレッジでの授業の評価は既に高いし、そもそもその良し悪しは建築家である私がどうこうできるものではない。そこで目を付けたのが立地という課題です。私はキャンパスの上階に大きなテラスを作ることにしました。テラスから国会議事堂やセント・ポール大聖堂といったロンドンの名所がくっきりと見えるからです。あの景色を眺めれば、誰だって「自分はロンドンのど真ん中にいる」と実感するでしょう。

ロンドン大学ゴールドスミス・カレッジのベン・ピムロット・ビルディング
ロンドン大学ゴールドスミス・カレッジの
ベン・ピムロット・ビルディング

他人の依頼に応える割合が圧倒的に多いのが建築家という職業です

ある一つの建築物を建てることで社会問題が解決されるということはあり得ると思いますか。

建築は社会問題を解決できることもあるし、できないこともある、というのが持論です。何か一つを変えることで、それに関わるそのほかのすべてが変わるということはあり得るでしょう。また良きにつけ悪しきにつけ、建築という概念の中には社会的影響も含まれていると思います。ただ都市開発において肝心なのは政治的な枠組みです。「ここに建築物を作ればこの街はこう良くなる」と偉そうに言う建築家がいますが、そういう輩には「お黙りなさい」と言ってやりたい。社会問題とは、まずは政治が解決すべきものです。その上で、一定の政治方針を建築が具現化するということはできると思います。

その意味において、自分の思い云々と比べて、他人の依頼に応える割合の方が圧倒的に多いのが建築家という職業です。もちろん「いつかこうしたことができたらな」と夢見ることはいつだってできますがね。

日本では地方の商店街が衰退し、「シャッター通り」と呼ばれる現象が起きています。あなたならそうした街をどう再生しよう とするでしょうか。

「シャッター通り」が魅力的に見えますか。美しいですか。美しくない。ならば、人はそこには行かない。シャッター通りの多くがアーケードで覆われているけれども、日本の天気ってそんなに悪いわけじゃないでしょう。少なくともロシアほど寒いわけじゃない。屋根を作ることで、買い物客が濡れないように、寒くないようにという配慮は理解できるのだけれど、あれでは外界との接点が奪われてしまう。

インターネットが普及してオンライン・ショッピングという形態が浸透するに伴い、旧来の商店街もその役割を変化させつつあります。わざわざスーパーマーケットまで出掛けなくとも買い物ができる、というのは確かに魅力的ですしね。そうであれば、商店街を賑わせるためにはどうすればいいのか。簡単には解決策は見つからないでしょう。ただ私が提示できる答えがあるとすれば、美しい場所であれば、人はその場所に出掛けるということです。ひどいくらいに単純なことですが、これが真実。人は美しいものに惹かれる。では美しさの定義とは何か、と聞かれたら私は答えられないのだけれど。

日本の街作りや、そのほかの文化についてはどのような印象を持っていますか。

年齢と経験に対して敬意を表す文化であるという点は大好きです。米国では45歳以上だと「失せろ」って言われてしまいますからね。英米の銀行業界も見習うべきですよ。なぜ銀行は問題を起こし続けるのか。投資銀行で働く人々って、30代前半で巨額のお金を動かしますよね。建築界では、その年齢で信頼を得ることはできません。何か大切なものが欠けていると判断されるからでしょうね。特定の技術に秀でていても、その特定の価値観や建築スタイルにおいてのみ優秀であると思われてしまう。

逆に日本、とりわけ東京の問題は、あれだけ大きい街なのに日本人ばかりということではないでしょうか。日本に日本人が多くいること自体は何の不思議もないですが、ただ外国と相互作用する余地が少ないように感じます。東京で暮らしているのは良い人ばかりで、技術的にも非常に進歩した街なのに何でだろう。頼むよ日本、もっと融和してくれよ。

ロンドン五輪会場の最寄駅の一つともなったノース・グリニッジ駅
ロンドン五輪会場の最寄駅の一つともなった
ノース・グリニッジ駅もオルソップ氏の手によるもの

不況は大好き。金融危機が大変だなんて言う奴はくそ食らえ

五輪という大きなイベントを境として、ロンドンの街並みが大きく変わったと思いますか。

ロンドン五輪の要点は、五輪パークの建設云々よりも、街全体で楽しんだということです。テムズ河に架かるウォータールー・ブリッジの真ん中から東西を見渡すと面白いんですよ。40年前は存在しなかった建物が視界に飛び込んできますからね。五輪の準備期間に限った話ではなく、ここ30~40年間でロンドンには新しい建物が次々と建てられているのです。

我々はかつて大英帝国という非常に古臭い価値観の中で生きてきましたが、さすがに今では英国が世界を支配するという傲慢な考え方は持っていません。その代わり私たちは、ロンドンを国際的なハブ都市にしようと考えています。そのためには、できるだけ早く空港を建てないといけない。この前も中国に行こうとしたら、飛行機は予約でいっぱい。もう需要が空港の収容力を超えてしまっているんですよ。また政治問題についての話になってしまったけれども。

それでは、建築的な観点からロンドンは今後どう変わっていくと思いますか。

より多様な建築物が並び立つ都市となるでしょう。一つの規格に収まらない、色々な違いを持つ建物がある街。言い換えると、多様性を誇りとする街。世の人々は、不変性や一貫性よりも、多様性と変化を好みます。また特定のコンセプトに沿って街を作るには、独裁者が必要です。しかも退屈な街になります。パリを見てください。パリは素晴らしいけど退屈な街です。どこに行っても同じ街並みで困惑します。ロシアのサンクトペテルブルクなども建築規制だらけで、歴史に囚われて身動きが取れなくなった街という印象を持っています。

オルソップ氏の建築事務所の地階には落書きができるよう黒板が取り付けられたバーなどがある
オルソップ氏の建築事務所の地階には
落書きができるよう黒板が取り付けられたバーなどがある

チャールズ皇太子を始めとする英国の保守派は、あなたが仰るような「多様な建築」をあまり好みませんよね。

チャールズ皇太子が建築について語ることは歓迎します。様々な人々が建築に関する議論を持つことにつながりますからね。ただ新しく建てる建築物は歴史的な関連性を持たなければいけない、という彼の意見には賛成しません。現代社会においては、彼が気に入るような歴史的建築物を建てる資金などないのです。そして、学校であれ、住宅であれ、一つの建物にどれだけのお金を費やすべきかを決めるのは、王室でも建築家でもなく、社会が決めることです。

それでは、あなたにとって好ましくない建築物とはどのようなものですか。

利益を追求することだけを目的とした建築には賛成できませんね。英国には合併を繰り返すことで成長を果たしてきた建築事務所がたくさんありますが、会社の資産価値だけを見て建築ビジネスを運営するのは私に言わせれば犯罪でしかない。病気や薬に一切の興味がなく、お金稼ぎのことしか頭にない医者にはかからないでしょう。心がなければ魔法は生まれない。建築家は、労働を、心を、情熱を、自分のすべてを建築に注ぐべきです。

現在の経済状況においては、建築家たちは様々な制約を強いられているのでしょうか。

私は不況が大好きなのです。今よりも良いものをいかに生み出すかと改めて考えるきっかけになりますから。より充実した時間を過ごすために仕事をし、アイデアを出してそれを実行していけば皆が幸せになるはずです。「金融危機で大変だ」なんて言う奴らはくそ食らえ!


 

演出家/劇作家/俳優 岩井秀人氏 インタビュー

演出家/劇作家/俳優 岩井秀人氏 インタビュー

引きこもりから俳優、そして演出家/劇作家へ……。16歳から4年間、引きこもり生活を送っていた男性が、10数年の月日を経て、自作の戯曲を引っ提げロンドンにやって来た。英訳された戯曲を英国人俳優らが朗読する「リーディング」上演。自身の身の回りで起こった出来事を戯曲化することで知られる演出家/劇作家/俳優の岩井秀人氏が今回、リーディング上演に選んだ作品は、自らの家族の人間模様を描いた代表作「て」だった。個人から大勢の観客へ、そして日本から英国へ。ミクロの世界からマクロの世界へ伝えたいものとは何なのか。リーディング上演直前に話を伺った。(本誌編集部: 村上祥子)

岩井秀人(いわい ひでと)
1974年生まれ、東京都出身。16歳から20歳まで引きこもり生活を送る。その間に観た多数の映画やゲームに影響を受け、俳優になることを決意。桐朋学院大学演劇科に進学する。卒業後、2003年に劇団「ハイバイ」旗揚げ。全作品の作・演出を担当する。テレビ・ドラマの脚本も手掛けており、2012年にはNHKハイビジョン特集ドラマ「生むと生まれる それからのこと」で第30回向田邦子賞を受賞。

実体験を戯曲化することが多いそうですが、それは岩井さんにとってどのような意味を持つのでしょう。

僕にとって演劇とは、かしこまったものではなくて、根本的には落語のようなもの。そして落語の根本というのは、居酒屋で「今日ひどい目にあったんだ」という話をして、それを笑ったり泣いたりして皆で共有するということだと思うんです。これこそが会話のスタートだし、演劇の根源。だからこそ、これが一番自然なやり方だと考えています。自分の体験を自分で台本に書いて、自分で演出して、自分が出演する、それをお客さんと共有するわけです。劇団の旗揚げ作品「ヒッキー・カンクルートルネード」は、僕が引きこもりだったときの話で、発表したのは28歳のとき。「10年前、自分はこんなすごくヘンな状況にいたんだけど、ちょっと聞いてくれる?」みたいな感じで、対人恐怖とか、家から出られないけれどもプライドだけは異常に高い、という自分の様を笑ってもらい、自分もその体験を共有する。発表することによって、自分自身の過去と決別し、また一方で過去を可愛らしいものとして捉え直せる、そういう感覚ですね。

認知症の祖母をめぐって、支配的な父親とそのほかの家族の間で繰り広げられるぎくしゃくしたやり取りを描いた「て」は、かつての岩井さんのご家族のあり方を基にされているそうですね。今の岩井さんにとってご家族とはどういう存在ですか。

今は結婚して子供もいるので、家族と聞いて真っ先に思い浮かぶのはそちら。以前は錘(おもり)のような存在だったけれど、今は生きる糧というか、安らげる場所ですね。だから今の家族を演劇にするということにはならないでしょう。今回の「て」なんて、シンプルに言うと、家族全員のストレスが一箇所に集まって、仲悪いのが仲良くしようとして前より仲悪くなるという話ですから(笑)。なかなかそこまで好条件な悪条件というのはそろわないですよ。結婚したのもきっかけだったとは思いますが、ずっと自分自身の体験を戯曲化していたら、自分のことはもういいやという心境になったんですね。それで次に、ほかに生きている人はどうしているんだろうと思うようになった。今は様々な人に取材をして、自分の目を通した誰かの生活、生き方を描いている感じです。

16歳から20歳までの4年間、引きこもり生活を送り、その後、演劇の道に進まれました。いわば他者を拒絶する生き方から、他者がいなければ存在しない生き方に転身されたわけですが、そのきっかけは?

一番気にしていて、気にしすぎているものって、怖いじゃないですか。それが僕にとっては他者の視線だった。それを詳しく見にきた、聞きにきたということだと思うんです。皆が自分のことをどう捉えているのか、自分が感じたことを表現したときに正確に受け止めてもらえるのか。僕は対人恐怖、視線恐怖だったんですが、想像上の恐怖だった他者の意見を具体化していく、僕にとっての演劇はそういう作業なんです。

恐怖をさらけ出す恐怖は感じませんでしたか。

どこかではあったと思いますが、一番つらくて怖いのは、一人で妄想しているときなんです。無限にいけるじゃないですか。それよりは初めて会った人に、「僕、おかしくないですかね」って聞いた方が絶対に楽なことなんだということが、恐る恐る外に出て、色々な人とちょっとずつ関わっていきながら徐々に分かってきたし、何より急速に慣れたのは、演劇をやってからですね。一度お客さん全員に、どうやったらこの劇は面白くなりますかというアンケートをとったことがあるんですが、まあ皆、好きなように書くわけです。その劇中、3分間くらいの暗転の中で、童貞と処女が、わけが分からないまま裸になって何かをしようとするという、自分としてはすごく感動的なシーンがあったんですが、3分も暗いなんてありえないという感想と、もっと長くて良いし、何て素晴らしいシーンなんだっていう感想をもらったんです。そのときに、まずは自分が本当にやりたいことをやらないと意味がないんだなって感じました。誰にとっても面白いものを作ろうとどこかで思っていたけれど、そんなものはこの世に存在しないんだ、と。まずは自分が信じることをやる。その上で伝わるか伝わらないかを見ればいい。怖いというよりも、そこに興味がいったんです。

今回のリーディング上演が実現するまでの経緯を教えてください。

もともと、好意で「て」を訳したいという人がいて、その人が訳してくれた英語版をインターネット上に置いていたんです。それをクリスさんの友人が読んで、今回の主催者である国際交流基金に勧めてくれたそうで。僕は引きこもりから外に出たときに、映画に出るという夢を持っていて、それが叶えられちゃった瞬間に次の夢をつくっておこうと思ったんですね。それが「て」を多人種で上演すること。一つの家族の話なんですが、孫がアジア人だけど親は黒人で、みたいに人種を混ぜたときに、それがどれだけ一つの家族に見えるのかを試してみたくて、いずれは海外に持っていきたいと思っていたんです。

英国人俳優たちはこの日本のとある家族の物語をすんなり理解できたのでしょうか。

「て」を翻訳した際、アメリカ人にネイティブ・チェックをしてもらったんですが、お姉さんが末っ子の妹に対して「もう家族全員カラオケで歌った、歌っていないのはあなただけよ、ねえ歌いな」って語りかけるシーンがあって、その論理が分からないと言われたんです。確かにこの論理ってすごく日本的じゃないですか。日本人としては、皆歌ったんだよって言われたら、どれだけ嫌でもやらなきゃいけない。ロンドンに来てこの部分について説明したら、イギリス人には「これ、余裕でロンドンにはある」って言われて、ああそうなんだ、って思いました。今回のリーディングでは、国による文化の違いを共有したいというよりは、例えば家族における父の存在のような、コミュニティーの中で、何らかの理由でトップにいたけれど、よく考えてみたらおかしいぞ、ということに周りが気付いてしまったときに、そのコミュニティーがどうなるのかという点に着目してもらいたいですね。家族問題は普遍的なものだから、父親は絶対いつか誰かに超えられる、とか、そういう会話をしにロンドンまで来たという感じがしています。

ぜひ次は「て」を演技付きの本公演で観てみたいですね。

そうなったら面白いですよね。今回、稽古を通して、この作品は広く伝わるんだな、と感じました。演じている人たちの表情を見ていてもすごく分かる。同じ時間を異なる視点で2周するという仕組みの台本で、1周目はどういうやり取りなんだろうっていう手さぐりの感じが見えていたんですけども、2周目になって種明かしのようになっていく辺りから俳優さんたちも乗り気になりましたし。家族間における、母親や父親に対する感覚が兄弟ごとに違ったり、次男と母親では長男の見え方が全然違っていて、そのことにより摩擦が生じたり、といったことを、イギリスの俳優さんたちは理解できていて、日本の中でしかできない話ではないんだということがすごく良く分かりました。だからぜひ、本公演もやってもらいたいですね。

クリス・ジェームズ氏: 新進作家の作品を取り上げることで知られるロンドンの小劇場、ロイヤル・コート劇場の国際プロジェクト・マネージャー

 

写真で振り返る2012年ロンドン五輪&パラリンピック

写真で振り返る2012年ロンドン五輪&パラリンピック

ロンドン五輪

日本

レスリング

女子55キロ級の吉田沙保里と同63キロ級の伊調馨が五輪3連覇を達成。そのほか、同48キロ級の小原日登美、男子フリースタイル66キロ級の米満達弘が金メダルを獲得した。


レスリング女子55キロ級の吉田沙保里


レスリング女子63キロ級の伊調馨

体操

男子団体総合決勝で一旦は合計得点で4位となったものの、競技終了後に日本チームが抗議。その結果、2位に繰り上がり、銀メダル獲得。同個人総合では内村航平が同種目で28年ぶりとなる金メダルを獲得し、雪辱を果たした。


体操男子個人総合の内村航平


体操男子団体総合

柔道

女子57キロ級の松本薫が金メダルを獲得したものの、男子は史上初の五輪での金メダルなしという結果に。

サッカー

日本女子代表「なでしこ」が決勝で米国に2対1で敗れ、惜しくも銀メダル。男子代表も4強入りし、男女ともに快挙を成し遂げる。


サッカー日本女子代表「なでしこ」

そのほかの競技

• ボクシング、男子ミドル級の村田諒太が日本人48年ぶりとなる金メダル獲得。
• 競泳男子、平泳ぎの北島康介は400メートル・メドレー・リレーで銀メダル。
• 卓球女子団体が銀メダル。同種目でのメダル獲得は実施競技になって初。
• バレーボール女子が28年ぶりの銅メダル獲得。

英国

陸上

陸上男子の5000メートル及び1万メートルで英国のモハメド・ファラが金メダルを獲得。


モハメド・ファラ

自転車

自転車男子でクリス・ホイが今大会で2個のメダルを獲得、英単独最多となる金メダル通算6個に。


クリス・ホイ

そのほかの競技

• テニス男子シングルスで英国のアンディ・マリーが悲願の金メダル。
• 女子七種競技のジェシカ・エニスが金メダル。
• 自転車男子個人ロード・タイム・トライアルでブラッドリー・ウィギンスが金メダル獲得。

世界

陸上

陸上男子、ジャマイカのウサイン・ボルトが100メートル、200メートルの両種目で金メダルを獲得し、2大会連続で2冠を達成。400メートル・リレーの決勝でもジャマイカが世界新記録で優勝。


 

そのほかの競技

• 水泳男子、米国のマイケル・フェルプスが今大会で金メダル4個を獲得、通算で18個の金メダル。

金メダル獲得数・国別ランキング

順位
国名
金メダル
銀メダル
銅メダル
総合
1米国462929104
2中国38272388
3英国29171965
4ロシア24263282
11日本7141738
参考: BBCほか

ロンドン・パラリンピック

日本

車いすテニス

車いすテニス、男子シングルスで国枝慎吾が2連覇を達成。

そのほかの競技

• ゴールボール女子、日本は中国を破り金メダル。
• 柔道男子100キロ超級で正木健人が初出場金メダル。
• 競泳では、女子100メートル背泳ぎで秋山里奈、男子100メートル平泳ぎで田中康大が金メダルを獲得。

英国&世界

競泳

競泳女子で英国のエレノア・シモンズが400メートル自由形及び200メートル個人メドレーにおいて世界新記録で金メダル獲得。


エレノア・シモンズ

そのほかの競技

• 陸上男子で英国のデービッド・ウィアーが今大会4個の金メダルを獲得。
• 陸上男子100メートルで英国の19歳ジョニー・ピーコックが南アフリカのオスカー・ピストリウスを破り、金メダル獲得。

金メダル獲得数・国別ランキング

順位
国名
金メダル
銀メダル
銅メダル
総合
1 中国 95 71 65 231
2 ロシア 36 38 28 102
3英国 34 43 43 120
4 ウクライナ 32 24 28 84
5 オーストラリア 32 23 30 85
24日本 5 5 6 16
参考: ロンドン・パラリンピック公式ウェブサイトほか
 

英国のクリスマス・マーケット

日照時間が極端に短く、ときには肌に痛みを感じるほど冷え込む英国の冬は、外出する機会が減りがち。気分も塞ぎ込みがちになるこの冬に、私たちを明るくそして温かい気持ちにさせてくれるのがクリスマス・マーケットだ。出掛ける、食べる、飲む、話す、温まる、買う、遊ぶ。幸せを感じる瞬間がいっぱい詰まった、英国各地のクリスマス・マーケットの中から特にお勧めのものを紹介する。

ハイド・パーク冬の一大エンターテイメント!
Hyde Park Winter Wonderland


平日でも多くの人が集まるハイド・パークのクリスマス・マーケット

春は草花が生い茂り、夏には絶好の日光浴スポットに、秋は落ち葉が舞う散策コースとなるハイド・パークが、今や「ワンダーランド」に変身している。英国各地で開催されるほかのクリスマス・マーケットとの一番の違いは、エンターテイメント施設の充実ぶり。敷地内に突如としてアイススケート・リンクや観覧車が設置されて、巨大遊園地になったかのよう。絶叫マシーンや射撃ゲームも用意されているので、丸一日を飽きずに過ごすことができるはず。もちろん食べ物や飲み物のストールも豊富。家族連れに最適だ。

(写真左)目玉の大観覧車。(写真右)英国では珍しい大ジョッキで飲むビールの味は格別。

Bavarian Village
敷地内の中央にある木組みの小屋周辺のスペースは、クリスマス・マーケットの本場、ドイツはバイエルン州の村をイメージしたもの。入場は無料で、ここで大きなジョッキを傾けながら、DJの音楽に合わせて歌えや踊れやの野外パーティーが開かれる。

1月6日(日)まで(12月25日は休み) 
10:00-22:00
Hyde Park London W2 2UH
最寄駅: Hyde Park Corner
www.hydeparkwinterwonderland.com

 

サウスバンク英国における冬の食材にこだわるなら
Real Food Christmas Market


魅力的な通常のマーケット

テムズ河岸のサウスバンクで開かれるクリスマス・マーケットは冬の風物詩。ただ意外にあまり知られていないのが、今年は12月14日~16日と20~23日のみ開催されるこの「リアル・フード・マーケット」だ。普段は毎週金曜日から日曜日にロイヤル・フェスティバル・ホールの南側出口で開催されているこのマーケットがクリスマス特別仕様になる。仲介業者を通さないことで、生産者から直接、手軽な価格で購入できるよう運営されているこのマーケットでは、クリスマス料理に欠かせない七面鳥や、2週間かけて丁寧に処理されたガモン(塩漬けされた豚肉)などが店頭に並ぶ。

(写真左)青く光るロンドン・アイの界隈にクリスマス・マーケットが広がる
(写真右)食にこだわった「リアル・フード・マーケット」は特にお勧め

Choir Performance
サウスバンクのクリスマス・マーケットでは、毎日午後1時半と7時半に聖歌隊による合唱が行われる。マーケット以外にも文化施設やレストランなどが立ち並ぶこの一帯に、お昼休みや仕事の帰り道にでも立ち寄ってみようかな、という人たちにお勧め。

Real Food Christmas Market
12月14日(金)~16日(日)、20日(木)~23日(日)

木 12:00-20:00 金・土 12:00-20:00 土 11:00-20:00 日 12:00-18:00

Southbank Centre Christmas Market
12月24日(月)まで

11:00-22:00 土日 10:00-22:00
Southbank Centre
Belvedere Road, London SE1 8XX
最寄駅: Waterloo
www.southbankcentre.co.uk

 

リンカーンクリスマス・マーケットで町興し
Lincoln Christmas Market


夜空の下でライトアップされたリンカーン大聖堂のすぐ近くで
クリスマス・マーケットが開かれる

日本人の間では聞き慣れないイングランド中東部リンカーンは、実はクリスマス・マーケットが代名詞となっている街。そもそもつい最近まで、クリスマス・マーケットと言えばドイツを始めとする欧州大陸のものだった。しかし今から数十年も前に、ドイツ西部にある姉妹都市ノイシュタットを視察したリンカーンの地方議員が英国に「輸入」。今ではストール数が250、人口の約2倍となる15万人の来客数を誇る英国最大級の催しを作り上げてしまった。つまりクリスマス・マーケットを使っての町興し。夜空に輝く大聖堂の前に多くのストールが並ぶ姿は圧巻だ。

(写真左)250以上のストールが出店するその規模は英国最大
(写真右)気軽に話に応じてくれるお店の人々との出会いもマーケット散策の楽しみの一つ

Park and Ride Service
車でお出掛けの人は、マーケットから少し離れた駐車場へ行くことを誘導される。そこからシャトル・バスを利用して、マーケットが開かれている市内中心部へと向かう。本サービスを利用するための前売り券は12ポンド。

12月9日(日)まで
リンカーン市内一帯
ロンドンから電車で約2時間
詳細は下記ウェブサイトを参照。
http://lincoln-christmasmarket.co.uk

 

エディンバラ冬にエネルギーを爆発させる街へようこそ
Traditional German Christmas Market

なぜ寒い季節により寒い北方のエディンバラへと向かうのか。その理由は、エディンバラには寒さを吹き飛ばすほどのたくさんの楽しみが待っているからだ。市内にはサンタ宛ての手紙専用の郵便ポストが設置されていて、サンタが一日に2回、手紙の収集にやって来る。さらに街の中心部には本物のトナカイの姿も。本場ドイツのものを再現したクリスマス・マーケットに加えて、週末はファーマーズ・マーケットを含むいくつものストールが並ぶ。そして大晦日にはストリート・パーティーに野外コンサート、花火と盛りだくさんの内容となっている。


凍てつくような寒さの中でも賑わうクリスマス・マーケット。
寒い地域だからこそ味わえる温もりがある

The Lost Elves on Rose Street

エディンバラ市内中心部にあるローズ・ストリートを出発点とし、迷子になったサンタの小人を探しに出掛けるという企画。12月24日までの11:00-17:00に随時参加可能の無料イベント。小さなお子さんと一緒にエディンバラの市内散策を楽しみたいという方はぜひ。

12月24日(月)まで
Mound Precinct, Edinburgh
ロンドンから電車で約4時間半
詳細は下記ウェブサイトを参照。
www.edinburghschristmas.com

● Santa's Postbox
12月9日(日)~24日(月) (サンタの登場は11:00、16:00)
East Princes Street Gardens
● Reindeer in St Andrew Square
12月9日(日)、14日(金)~16日(日)、21日(金)~23日(日)
St Andrew Square
● 大晦日にエディンバラで行われるイベント
www.edinburghshogmanay.com

 

映画監督 西川美和 インタビュー

小説、漫画、テレビ・ドラマなどのヒット作の映画化が主な潮流となりつつある日本の映画業界にあって、オリジナル脚本で勝負をし続ける西川美和監督。独特の作品世界を生み出すこの稀有な才能に、カンヌ、トロント、そしてロンドンなど海外の国際映画祭も注目している。かつての黒澤明や小津安二郎作品のように、邦画がその作品性において再び世界の脚光を浴びる日は来るのか。10月に開催されたロンドン・フィルム・フェスティバルへの参加のために渡英した西川監督に話を伺った。

西川 美和(にしかわ・みわ)
1974年7月8日生まれ、広島県出身。早稲田大学第一文学部卒。大学卒業後、是枝裕和監督の映画「ワンダフルライフ」の製作に参加。2002年に「蛇イチゴ」で監督デビューを果たす。2006年に発表した「ゆれる」がカンヌ国際映画祭に出品。長編第3作となる「ディア・ドクター」は、ブルーリボン監督賞を始めとする映画賞を多数受賞した。小説の執筆も手掛けており、2009年に刊行した「きのうの神さま」は直木賞候補に。ロンドン・フィルム・フェスティバルでの最新作「夢売るふたり(Dreams for Sale)」の上映に合わせて10月に渡英した。
Photo by Shinotsuka Yoko

「海外での上演はいつもハラハラするんです」

監督としては初参加されたロンドン・フィルム・フェスティバル(LFF)についての感想をお聞かせください。

欧米では、つまらないと思うと上映中でも席をお立ちになってしまう方が結構いらっしゃるので、海外での上映ではいつもハラハラするんです。ロンドンの方は最後までじっくり観ていただけるお客さんがほとんどでほっとしました。LFFでは舞台挨拶の機会もあったのですが、観客の皆様はシャイで礼儀正しい方たちが多くて、日本人と共通している部分が少なくないのかなという印象を抱きましたね。

過去に観客としてLLFに参加されたことがあったと伺いましたが、そのころから本映画祭への参加を思い描いていたのでしょうか。

師匠である是枝裕和監督の「誰も知らない」がLFFに出品された際に、たまたま観光でロンドンを訪れていたので、その上映を一人の観客としてというか、ほぼ野次馬のような感じで観ていました(笑)。当時の私は監督デビュー作「蛇イチゴ」を撮り終えたばかりで、かたや「誰も知らない」はカンヌ国際映画祭で最優秀主演男優賞を獲得するなどして話題を集めていたので、是枝監督や、同監督と同じように世界各地の国際映画祭に出品している関係者の方々と自分が同じ土壌にいるとは到底思えなかったです。ただ是枝監督の映画がLFFで上演されているのを観たことで「確かな実績を築き、キャリアを積んでいけば、いつかは呼んでいただける映画祭なんだろうな」とは漠然と思いました。だから今回ロンドンにご招待いただいて、「ついにロンドンに呼んでもらった」というちょっとした感慨はありましたね。

この度LFFで上演された「夢売るふたり」の主な舞台として使われている居酒屋のシーンを見て、日本への憧憬を膨らませた英国人もいたのではないかと想像します。

「大衆的で、敷居が高くなく、どこにでもあるお店」という設定で居酒屋というシチュエーションを選びましたし、実際にほとんどの日本人観客にとっては居酒屋とはそういう存在なので、日本での上映であの場面設定について感想をいただくことはあまりないんです。ところがLFFでもトロント国際映画祭でも、あの居酒屋の風景に関しての感想だとか「食べ物がすごくおいしそうだった」と仰る方が結構いらして「へー、そこに反応するんだ(笑)」と意外な思いでした。

私自身は日本の風光明媚な風景や伝統文化を映画のセールス・ポイントにしているつもりはありません。むしろそうした風景や文化の中で暮らしている人々の生活や人生をしっかりと書いていくことができれば、周りの風景はどんなものでもいいとさえ思っているんですけれども。ただそうした人々の生活を描くために綿密な取材を行ったり、取材で集めた材料を映像の中に入れようとすると、自ずと風景のディテールが画面に映り込みますよね。結果的に、海外の観客の皆様には物珍しいとか日本的であると感じられる映像になるのかなあと思っています。

「夢売るふたり」の英題が「Dreams for Sale」に決定するまでの経緯を教えていただけますか。原題の中から「ふたり」が抜け落ちたのはなぜでしょう。

まず「夢売る」という言葉がそもそも本来の日本語としては存在しない言い回しですよね。何となく違和感を覚える表現というか。また同時に「夢見る」とか「夢得る」といった言葉をも潜在的に喚起するような、不思議なニュアンスのタイトルだと自分では認識しているんです。

ただ言語が外国語になった時点でそうしたニュアンスを厳密に再現するのはほぼ不可能です。それならば「夢売るふたり」というタイトルを逐語訳するよりも、そのタイトルが持っていた効果というかインパクトを同じような形で与える表現を英題にしたいと考えました。英語で「~ for sale」という言い回しが頻繁に使われていると思うのですが、本来は「dreams」と合わせては絶対使われない表現ですよね。その辺りのどこか不思議な言葉の組み合わせが醸し出す違和感が、「夢売るふたり」という原題のそれとつながると感じたので、このタイトルを採用することにしました。

「『映画の循環』の流れになりたいと願っています」

西川監督にとって日本国外の観客とはどのような存在ですか。

私自身が外国の映画をたくさん観て育ってきたこともあって、映画というのは字幕や吹き替えさえ付ければ容易に国境を超えて交換できる文化だと信じています。そうやって自分の知らない地域の価値観、歴史、文化を知ることで日々を豊かにしていくことができるというのが映画の素晴らしさだと思っていますので。そうした「映画の循環」とでも呼ぶべき現象を止めることなく、その循環の流れの一つになりたいという願いはずっと持っています。私は知らない国の映画を観たいと常に思っていますし、自分の映画がその国名を聞いたことさえないような国で上演してもらえたらそれほどうれしいことはありません。

映画を製作する上で、日本人だけが観るのであれば必要ないけれども、海外の観客を意識するのであれば必要となる工夫などあるのでしょうか。

日本で映画をヒットさせたいということだけを考えるとなると、国内で知名度のある人を優先してキャスティングすることになると思います。ただそれは実は海外の人にとってはほとんど意味のないことですよね。例えば「夢売るふたり」に、ウェイトリフティングの競技選手という役があります。この役には、知名度のある体格の良いタレントさんにちょっとトレーニングして出てもらえれば、日本国内での展開においてはありがたいという考え方もあるんです。でも「そういうことではないだろう」という思いが自分の中にはあるので。だから、この役については一からオーディションさせていただきました。そうした判断も「映画はグローバルに広がっていくものだから」という考え方から生まれたものなのかもしれません。

世界的にいわゆる単館映画館が減少し、ロンドンにおいても欧州諸国や日本の映画作品を映画館で観られる機会が随分と減ったような印象があります。このような状況において、映画製作者には何が求められていると思いますか。

 「映画製作者には何が求められているのか」というのは今でも日々考え続けていることなので……。ただ映画界において「新しいものを作るんだという意思」よりも「絶対に失敗しないものを作りたいという要請」の方が強くなっているという現状は確かにあると思います。そうした状況とどう戦っていくのかは、現在、映画を作ろうと思っている世界中の作家が共通して抱える悩みなのではないでしょうか。

私の場合は「作りたいものを作らせてくれる人が集まるまでは作らない」という方針を持っているので(笑)。自分が納得できるストーリーを書き上げられるまでは映画を撮り始めちゃいけない。そうした方法をずっと続けられる保証はないけれども、今後もそのスタンスは維持できたらと思っています。

「嘘をどれだけ跳躍させるかが勝負のしどころ」

前作の「ディア・ドクター」では、無医村医療の実態を調べるために泊まり込みの取材なども行っていたと伺いました。そうした綿密な取材活動を行われている一方で、西川監督の作品はそのフィクション性を高く評価されています。ご自身では現実とフィクションのバランスをどのように取ろうと意識されていますか。

私は映画を作る上で「嘘」をすごく大事にしています。もちろん現実の方がずっと過酷で、生々しくて、エキサイティングであるということは十二分に分かっているんですけれども、一方で嘘だけが人間が作れるもの。物語の中で嘘をどれだけ跳躍させることができるかという点が、作り手の勝負のしどころだと思うんですよね。現実世界への取材活動というのは、すればするほど発見が出てきますが、どれだけ取材を重ねても、それは創作物ではなくて単なる取材に過ぎないので。取材をしているとすごく仕事をしている気になってしまうのですが、その気持ちに溺れないように気を付けています。すべての材料がそろったときに、机の上で一人でじっと考えてふっと浮かんでくる「嘘」が一番大事。現実とフィクションの配分というものを計算したことはないですが、6対4でも5.5対4.5でもいいから、嘘の世界の方が分量が多くなっていなければいけないと思っています。

ご自身よりずっと年輩の役者さんや男性スタッフに指示を与えなければならない映画監督という立場を務めることでのご苦労も多いのではないかと察します。

20代で監督デビューを果たしたころは、男性の先輩ばかりを相手に仕事していたので、「穴があったら入りたい」という気持ちをずっと抱えながらやっていました。まあ、今も身の縮むような思いというのは全く変わらないんですけれども。ただチームの皆さんというのはプロの集まりですし、仕事というのは、他人が努力して培ってきた経験や知識をお借りしながら進めていくもの。俳優に対してもスタッフに対しても、相手への敬意というのが大切だと思っています。相手のキャリアと存在に対して常に敬意を払いつつ、一緒に前を向いていくにはどうしたらいいか。それは監督だけが示すことができる、その作品に対する確かなビジョンでしかないと思うのです。私の場合は自分で脚本を書いているので、その作品の本来のあるべき姿や目指すべき形を自分だけが知っているという確信を持つことができます。そこを頼りにしている部分があるので、逆に言うと自分で脚本を書かなくなると寄る辺がなくなってしまうのかもしれません。

世の中には男女両方の性別が存在するのが現実ですし、ありとあらゆる世代が共存しているというのが私たちが生きるこの世界ですよね。そういう環境で色々な意見を交換しながら、ぶつかりながらも助け合って、力を貸して、お互いを思いやるってすごく良い体験だと実感しています。その体験を味わいながら、楽しんでやっているつもりです。

西川美和「夢売るふたり(Dreams for Sale)」

 

俳優・古川 雄輝 インタビュー

ときは江戸時代。偶然が呼び寄せた一人の日本人と一人の英国人の絆を題材に、日英の制作陣がゼロからつくり上げた2009年の合作舞台「ANJINイングリッシュサムライ」が、「家康と按針」と名を変えて来年1月、ロンドンにやって来る。11月初旬、演出を手掛けるロイヤル・シェイクスピア・カンパニーの芸術監督、グレゴリー・ドーランや英俳優らとロンドンで稽古に励んでいたのは、徳川家康と英国人侍、三浦按針の通訳であるドメニコを演じる古川雄輝。海外生活は長いが英国は初めていう彼が、日英の橋渡し役として輝くべく稽古に勤しむリハーサル・ルームを訪ねた。

古川 雄輝 Yuki Furukawa
1987年12月18日生まれ。東京都出身。7歳からカナダで暮らし、高校入学時に単身、米ニューヨークへ。慶応義塾ニューヨーク学院を経て慶応義塾大学理工学部に進む。2010年、芸能界デビュー。以降、舞台、映画、テレビ・ドラマとジャンルを問わず幅広い活躍をみせる。2013年1月~2月、ロンドンで上演される「家康と按針」において、宣教師ドメニコ役を演じる。


今回に先駆け、8月にも来英されたそうですね。

僕はカナダで育って、ニューヨークの高校に通ったので、アメリカの英語しか話せなかったんです。舞台の時代背景は1600年代なので、登場人物がアメリカ英語を話していたらおかしいということで、イギリス英語の勉強のために来ました。あとは演出のグレッグ(グレゴリー・ドーラン)とお会いして役について話したり。

今回の滞在で、実際に英国人キャストとの稽古が始まったわけですね。日本との違いは感じますか。

日本人キャスト抜きで一通り稽古したんですが、稽古場の雰囲気というのがやはり違いますね。例えば皆で本読みをするときも、日本だったら主役はここ、その後は役の順に座って、というように場所が細かく決まっているんです。でもこちらでは、座りたいところに座ればいいじゃん、みたいな。あとは本読みしながらクッキーやリンゴ、オレンジを食べていたり(笑)。本読みのときに演出家の前で食べ物をばくばく食べるなんて、日本だったらありえない光景なので、そういう意味では自由だな、と思います。演技の面でも、今回は再演になるんですけれども、再演の場合は、前やったときはこうだったからこうしよう、とビデオを観ながら細かく決める演出家の方もいらっしゃると聞きますが、グレッグの場合は、新しい2人だから好きなようにやってみせてくれ、と言って、実際に僕たちがやってみてから考えて、演出してくださいました。

イギリス英語には慣れましたか。

少しは。完全になるまでにはもう少しですね。でもグレッグとも話をしていて、100% 完璧なイギリス英語でなくても大丈夫みたいです。キャラクター的にも、ドメニコは日本人なので、アメリカ英語に聞こえるよりは、日本語英語に聞こえた方がいいということで、とにかくR やL を巻き過ぎてアメリカ人っぽく聞こえないようにしなくては、と思っています。セリフもイギリス英語バージョンをiPhone に入れていつでも聞けるようにしています。

英国でも指折りの名演出家、ドーラン氏との稽古はいかがですか。

まず最初にお会いしたときに、僕の生い立ちについて詳しく話をし、そこから「じゃあ、その経験はドメニコにどう繋がるかな」というように、まず僕とドメニコの共通点を一緒に探して役作りをしていきました。なので、ドメニコという役にすごく自然に入り込んでいけました。ただ少し戸惑うのは、外国の方って「That was great!」とか「Brilliant!」といつも褒めてくれるんです。でも、本当はそうではないのでは?、とも思ってしまいます。マナーとして褒めている、そういう部分があるんじゃないかと(笑)。「今のはグレートだった」って言った後に、役の心情について説明をするんですよ。だからこそより一層、役について常に深く考えていないといけないなと感じます。

日本を代表する俳優、市村正親さんが徳川家康を演じられますが、以前も舞台「エンロン」で共演されたそうですね。

市村さんは色々とアドバイスをしてくださるんです。本来ならば僕の方から「このセリフが分からないので教えてください」と言うべき立場なんですが、市村さんは僕に限らず若い役者さん皆に平等にアドバイスしてくださる。非常にありがたいことだと思います。僕は「エンロン」が初めての大きな舞台だったので、本当に色々教えていただきました。本番中にも舞台裏ですれ違うと、うまくいった日には、良かったよっていう意味で指をGood! ってやってくださるんです。しかも無言で、ちょっと笑って。それを見て、今日はうまくいったんだな、と。市村さんがグーってやってくださるときには、ほかのスタッフさんからも「今日は良かったよ」って言っていただけるんです。そうやって本番が始まってからもたくさんアドバイスをくださって。一つGood! をもらえると、次に市村さんが「そこは良くなった、じゃあここはこうしてみたらどうだ」と言ってくださり。それで次の日に試してみると、また新たな課題を……というように、毎日こちらを気にかけてくださる、そういう方ですね。

今回演じられるドメニコという役は、初演では藤原竜也さんが務められたわけですが、初演はご覧になりましたか。

初演はDVD で観ました。僕には役者を始めたときから海外の作品に携わりたいという思いがあって、「Anjin」という作品があると聞いて、どうしても観てみたくて、役が決まる前に観ていたんです。なので役が決まったと聞いたときにはすごくうれしかったです。ただ、竜也さんの演技を真似しようとしてもできないですし、僕は竜也さんではない。だから竜也さんの真似をするというよりも、今の自分の味を出すというか、自分らしいドメニコをやれるように、と思っています。

デビュー作を含め、数本の舞台に立たれていますが、古川さんにとって舞台とは?

生の反応が分かるというのが良いですね。舞台は役者にとって一番成長できる場所だと僕は思っているんです。映像だと監督とコミュニケーションを取る間もなく、あっという間に撮影が終わってしまう。撮影に行くのも自分が出番のシーンだけですから、ほかのシーンのキャストの方と会わないうちに終わってしまうことも多々あります。だから舞台から始められて良かったなと思うのは、何も分からない状態でこの世界に入って、演出家の方が演技というのはこういうものなんだと細かく教えてくださり、作品全体をキャスト全員で時間をかけて作るところからスタートできたこと。そして今では、自分が成長できる場だからこそ、舞台をやりたい。最低でも年に1本は舞台をやれる役者になりたいと思っています。

最後に読者に向けて一言、お願いします。

日本を舞台にした作品ですが、日本人とロイヤル・シェイクスピア・カンパニー(RSC)のキャストが合同でやるというのはなかなかない機会ですし、グレッグがRSC のトップになって初の日本との共同作品です。あとは僕個人的に、海外でも働きたいという思いがある中、初めて英語で演技をするということで、自分にとっては確実にすごく大事な作品になると思います。僕のことをこの舞台で知っていただくとともに、この舞台は色々なことを感じていただける作品ですので、一人でも多くの方に観に来ていただきたいですね。

「家康と按針」の演出を手掛ける
ロイヤル・シェイクスピア・カンパニー芸術監督

グレゴリー・ドーラン氏に聞く

ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーのツアーで日本に滞在していた際、1600年にウィリアム・アダムズという英国人が日本に漂流したという話を聞きました。私は長年、英国でシェイクスピアが活躍していた時代に、世界のその他の国々でどのようなことが起こっていたのかという点に興味を抱いていたので、この話を日英の俳優たちとともに舞台化できないかと思ったのが「Anjin」のきっかけ。両国の脚本家たちと共同で作業を進め、2009年に東京で初演を迎えました。

この物語には、実に魅力的な人物が大勢出てきます。アダムズはもちろんのこと、将軍徳川家康や、豊臣秀頼の母である淀殿。中でも淀殿の気性の激しさは、シェイクスピアの「ヘンリー6世」に出てくる王妃マーガレットを彷彿とさせますね。

日本と英国が共有する歴史を、日英の俳優たちと一緒に探る作業はとても魅力的です。ドメニコを演じる古川雄輝さんは、好奇心旺盛で柔軟に物事を受け入れる姿勢が魅力的な俳優。再演ということで重責だとは思いますが、やり遂げてくれることと信じています。

Anjin: The Shogun and The English Samurai
Sadler's Wells
Rosebery Avenue, London EC1R
2013年1月31日~2月9日
Tel: 0844 412 4300
www.sadlerswells.com/shogun
 

フォトコンテスト2012 受賞者発表!

受賞者発表!フォトコンテンスト2012 英・独・仏ニュースダイジェスト主催

昨年、英・独・仏の3カ国から多数の写真作品が集まった英・独・仏ニュースダイジェスト主催フォトコンテスト。今年は「私の好きなもの / こと」をテーマに、また数多くの個性的な作品が寄せられました。英・独・仏それぞれの国ならではの景色を切り取ったもの、どこの国にも共通する、身近な人や日常の風景を写し撮ったもの ── 作品の数だけある、千差万別の「好きなもの / こと」を、受賞者、審査員のコメントとともにご覧ください。

*写真をクリックすると拡大します

マチュア部門大賞

フランス 「夏のサン・マルタン運河沿い」
受賞者:金子 孝佑さん(27歳)

夏のサン・マルタン運河沿いこの写真は、ある日の昼下がり、散歩の際に撮影しました。僕は出掛けるときにカメラを持ち、あてもなく歩き回るのが好きです。この写真を撮影した日は天気も良く、暖かかったので、たくさんの人たちがパリのサン・マルタン運河沿いに腰掛け、楽しそうに過ごしていました。曲線を描く運河や空、水に映る人々と木々。上下左右の構図が面白い、良い写真が撮れたと思っています。今回は大賞を頂き、とてもうれしいです。これからも、何げなく気ままに、良い写真を撮っていけたらなと思っています。

審査員のコメント
レベルの高い候補作が並ぶ中、この作品は早い段階で良いなと感じたものの一つです。まず、何より構図が素晴らしい。非常によく練られていますね。蛇行する川のライン、水面に反射する木々や建物……。大勢の人々の姿が収められているのに、静けさが漂ってきて、穏やかな雰囲気に満ちた作品になっていると思います。あえて受賞者にアドバイスをするならば、空の部分が少々白飛びしているので、もう少し露出を抑えた方が良かったかもしれませんね。 by Canon Europe


キッズ部門大賞

ドイツ 「金五郎」
受賞者:加藤 トーマス・麗聖(らいぜ)くん(10歳)

雲の絨毯ぼくの作品が選ばれたって聞いたとき、「俺の金五郎がかわいいからや!」って金五郎を抱きしめたよ。いつもママの古いデジカメで、サッカーの試合で優勝したときのメダルとか、部屋に飾っているガンプラとか、自分で作ったおもちゃやロボットとか、好きなものを色々と撮ってるんだけど、この写真を撮ったときは、やっぱり金五郎が一番かわいいな~って思った。金五郎は、ぼくがママのお腹にいるときにママが買った、ぼくの一番好きな宝物だから、いっぱい撮ってるよ。

審査員のコメント
この作品からは、受賞者が今回のテーマである「私の好きなもの / こと」を撮影しているのだということが非常に強く感じられます。被写体のぬいぐるみが、持ち主である撮影者にとても愛されているのだということが伝わってくるのが良いですね。構図的にも、被写体を真ん中に据えるのではなく、片側に寄せているのがユニークですし、かなり被写体に寄りつつも、ブレずにピントもちゃんと合っているのが素晴らしいと思います。 by Canon Europe


マチュア部門入賞

英国 「古本市」
受賞者:安達 真一さん(27歳)

安達 真一さん撮影前回、応募した際には次点だったので、今回は入賞できてうれしく思います。この写真はロンドンのサウス・バンク地区で日曜日に出る古本市を捉えたもので、週末に写真を撮りに出掛ける際には必ず通るようにしています。この日はあくまで普通のロンドナーの姿を撮りに行ったので、本の目線で本を選ぶ人々の写真を撮ってみました。普段は一眼フィルム・カメラを首からぶら下げてロンドン中の「人」を撮影しています。これからも「人」をテーマに、生き生きとした写真を撮っていきたいと思います。

審査員のコメント
入賞、おめでとうございます。この作品は、たくさんの古本が置かれた台と同じ高さのアングルから撮影されていて、本から見た目線で人々を捉えている点が素晴らしいと思います。写真から、人々が各々興味のある本に注意を注いでいる様子が実に良く伝わってきますね。また、カラーではなく、モノクロで撮影されているというのが、新品の本ではなく「古本」をテーマとしている点と良く合致しているな、とうならされました。 by Buckinghamshire Golf Club


マチュア部門入賞

ドイツ 「シャボン玉」
受賞者:高橋 著さん(48歳)

高橋 著さん撮影これは、ニュルンベルクへ旅行した際に撮った写真です。ある日の夕刻、多くの人で賑わう中央広場で、数人の幼い子供たちが自分の体くらい大きなシャボン玉を作っては追いかけて、無邪気に遊んでいました。その姿をファインダー越しに追っていると、自分まで童心に返るようでした。この女の子は、シャボン玉を作ろうと一生懸命に挑戦し、父親の助けも得て、ついに大きなシャボン玉を作ることができたのです。そのときに見せた、うれしさと驚きが入り混じったあどけない表情が印象的でした。

審査員のコメント
入賞、おめでとうございます。画面いっぱいに広がる、七色に輝く大きなシャボン玉に、少し驚きながらも喜ぶ女の子の顔。この子の歓声が聞こえてきそうなショットですね。今にもシャボン玉を触ってしまいそうな右手や、きっと微笑んでいるであろう周りの人々の姿までを想像させる楽しい一枚で、何回観ても飽きません。この女の子がシャボン玉遊びが大好きであることが伝わってきて、今回のテーマ「私の好きなもの / こと」にもぴったりだと思います。 by Steigenberger Frankfurter Hof


マチュア部門入賞

フランス 「ひとときの風」
受賞者:大貫 マチューさん(26歳) 

大貫 マチューさん撮影できるだけ自然に、その場、そのときにしかない大切な瞬間を絵に収めるのが生きがい。この一枚に写っているのは91歳のおじ、オリビエです。彼の姿を写真に収めたいと前から思っていました。今年の夏、カンヌで暖かい光と風に包まれながら読書をしている彼の姿を見て、走ってカメラを取りに行き、気付かれず撮ることができました。彼の人生がこの瞬間に詰まっていると私は思います。毎朝、彼の安らかな姿を見ると嫌なことを忘れて心が落ち着きます。これからも元気でいてくれることを願ってやみません。

審査員のコメント
夏といえばバカンス。そしてバカンスといえば家族とともに過ごす時間が多いものですが、夏の太陽に照らされ、テラスで一人、心ゆくまで読書にふける老人の姿に、南フランスで過ごすもう一つのバカンスのスタイルを知ることができます。日の長い夏の一日、雑音も雑事もない環境でゆったりとした静かなときが流れ、時間を気にせず好きなことに没頭できる彼をうらやましく思います。 by Hanawa


キッズ部門入賞

英国 「雨上がりのバラ」
受賞者:阿部 咲也香さん(5歳) 

阿部 咲也香さん撮影お花の写真を撮ることが大好きで、ロンドンに来てからお散歩をしながら小道やお庭に咲いているお花を撮っています。今回の写真は雨の日が続いた後の晴れ間に、大喜びして外にお散歩に出たときに近所の庭先で撮りました。バラの花びらに雨のしずくがのっていて、お日様でキラキラしてきれいだな~と思ったので、しずくがきれいに撮れるように気をつけました。これからはイギリスのお城に咲いているお花を撮ったり、フラワー・ショーに行ってきれいなお花の写真を撮りたいです。

審査員のコメント
お子さんでも大人でも、風景写真を撮る際には、美しい景色すべてをカメラに収めたくて、つい引き気味に撮って焦点がボケてしまい、出来上がった作品を観るとあのときの風景とは似ても似つかない、とがっかりしてしまうことが多いのではないでしょうか。この作品は一輪のバラのみを切り出すように映し出すことで、花の持つ美しさを十二分に引き出しています。花びらに光る雨の粒が、花、そして作品全体に生命感を与えているようで素敵ですね。 by JP Books


キッズ部門入賞

ドイツ 「帰り道」
受賞者:吉岡 二郎くん(12歳) 

吉岡 二郎くん撮影父と一緒に自宅から約9キロ離れた湖に自転車で行くのが、ぼくの休日の楽しみ。行きは早く遊びたいので超特急で漕ぎますが、帰り道は違います。夕日になる前の眩しい太陽に照らされたひまわり畑や麦畑、小川などは「どれも絵になるな~」と思いつつ、少し進んでは止まり、また少し進んでは写真を撮る。そんなときの、父の自転車と太陽を撮った写真です。絵になるシーンを逃さないよう、いつも首からカメラをぶら下げています。入賞はとてもうれしく、もっと色々な写真を撮ろうと思います。

審査員のコメント
観ていると、とても心が和む美しい写真ですね。太陽、青空、緑の森や畑、自転車と、写真に収められたそれぞれの要素の調和が大変良く取れていると思います。自転車から延びる影も、なかなか面白い形をしていますね。ここから、写真が撮られた時間のみならず、その瞬間の気温や空気の匂いまでが感じ取れるようです。きっと楽しい小旅行だったんだろうなと想像させてくれる、心地良い一枚です。 by Feiler


キッズ部門入賞

フランス 「ブドウ畑」
受賞者:ゆうさん(11歳)

ゆうさん撮影フランスには、ブドウ畑がたくさんありますが、そのブドウは食べるためではなく、ワインを作るためのものらしいです。私が見つけたブドウも、すごくおいしそうなのに、やっぱりワイン用で、そのまま食べたほうがおいしそうなのになぁ、と思いました。私は自分のカメラを持っていないので、普段はお母さんのiPhoneのカメラで写真を撮っています。家でも外でも、面白いものを見つけるとすぐに撮れるので、とても楽しいです。

審査員のコメント
季節を感じさせるとともに、遠近感を強調した一枚。右上にのぞく真っ青な空と光の具合が収穫の秋を思わせ、また、ブドウという対象物のみずみずしさがよく伝わってきます。ワインの産地で実った、まるまると大きい粒のブドウ。手を伸ばしたら今にもつかめそうな臨場感溢れる写真に、「撮影者は本当にブドウが好きなんだな」と感じられ、観る側もこのブドウに愛着を覚えずにはいられない、そんな素敵な写真です。 by Paris Miki


[審査員総評]

コンテストで受賞作品を選ぶというのはいつも困難を伴います。今回もクオリティーの高い候補作が多く、選考には時間がかかりました。今年度の特徴の一つとしては、白黒写真が多く見られましたね。白黒写真を撮る上で大切なのは、コントラストをはっきりとつけること。さもないとグレーがかった、暗い写真になってしまう危険性があります。何を写真に入れて、何を入れないのかを考えつつ構図を決め、観る者の視点を導き、写真にストーリーを語らせることが大切です。ポートレート写真には子供の表情がよく捉えられているものなど、目を見張る作品もありましたが、フォーカスが被写体の目に合っていないなどの理由で残念ながら受賞には至りませんでした。ポートレートを撮る際には被写体の「目」が重要となることを念頭に置くと良いでしょう。また、風景を撮るときには、地面と空の割合をどうするかがポイント。もし空が印象的ならば上部2/3を空が占めるように、といったようにメリハリを付けた構図にしてみてください。
by Canon Europe

[ダイジェストからのコメント]

今回は、英・独・仏ニュースダイジェスト主催フォトコンテスト 2012に数多くのご応募をいただき、誠にありがとうございました。昨年、大好評をいただいたこのコンテストも第2回目を迎え、昨年以上にバラエティーに富んだ作品の数々が集まりました。  

前回同様、当選までの流れといたしましては、まずはニュースダイジェスト社内で一次選考を実施。各国各部門10点の作品を選んだ後に、審査員による最終選考が行われ、入賞作品、及び大賞作品が決定しました。  

今回は「私の好きなもの / こと」がテーマだったこともあり、撮影者の皆様の個性が感じられる作品が多かったように思います。やはり家族、動物、風景の作品が数多くみられましたが、広大な光景を白黒で表現することにより寂寥感を強めたり、人物の周りの風景をあえて抽象的にすることでまるで映画のひとコマのようなインパクトをもたらしたりと、一捻りが加わったものが目に付きました。キッズ部門では、ただ写真を撮るのではなく、どんな瞬間を撮りたいのかという撮影者の意図が明確に見えるものがあり、驚かされました。  

[受賞者と賞品]

マチュア部門
大賞 金子孝佑さん Canon Europeより
デジタル 一眼レフカメラ EOS 650D
英国入賞 安達真一さん Buckinghamshire Golf Clubより
2ボールプレー券 (有効期限2013年3月31日)
ドイツ入賞 高橋著さん Steigenberger Frankfurter Hof より
「ホフガルテン」のブランチ券4名様分
フランス入賞 大貫マチューさん レストランHanawaより
献立コース、 ペアお食事券(飲み物込み)
キッズ部門
大賞 加藤トーマス・麗聖くん Canon Europeより
コンパクトデジタルカメラ IXUS 240
英国入賞 阿部咲也香さん JP Books より
バウチャー50ポンド相当
ドイツ入賞 吉岡二郎くん Feilerより
シュニール刺繍の子供用タオル
フランス入賞 ゆうさん Paris Mikiより
Ray Ban Juniorのサングラス

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次のページでは、今回、惜しくも受賞を逃したものの、
第一次選考において高い支持を得た次点作品をご紹介。
次点作品紹介

 

フォトコンテスト2012 受賞者発表! - フォトギャラリー

受賞者発表!フォトコンテンスト2012 英・独・仏ニュースダイジェスト主催

昨年、英・独・仏の3カ国から多数の写真作品が集まった英・独・仏ニュースダイジェスト主催フォトコンテスト。今年は「私の好きなもの / こと」をテーマに、また数多くの個性的な作品が寄せられました。英・独・仏それぞれの国ならではの景色を切り取ったもの、どこの国にも共通する、身近な人や日常の風景を写し撮ったもの ── 作品の数だけある、千差万別の「好きなもの / こと」を、受賞者、審査員のコメントとともにご覧ください。

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フォトコンテスト2012

今回、惜しくも受賞を逃したものの、第一次選考において高い支持を得た次点作品をご紹介。

英国 英国の次点作品

英国 ドイツの次点作品

英国 フランスの次点作品


受賞作品をまとめてもう一度




フォトコンテスト受賞者の言葉、審査員総評などはこちら

 
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