第20回 ケーキより甘く、針より鋭く
美しい尖塔を持つフリート街の聖ブライド教会は、大建築家クリストファー・レンの作品として知られていますが、ウエディング・ケーキのモデルになったという逸話でも有名です。18世紀中ごろ、近所の菓子職人が丁稚奉公を終えて主人の娘にプロポーズ。2人はめでたくこの教会で挙式し、彼が教会の外観を真似て作った特別なケーキが披露されました。そのケーキは店のヒット商品となり、数段重ねのケーキが広まったというわけです。
ウエディング・ケーキのように見えてくる
この教会、レンが再建したときは約71メートルありましたが、1764年の落雷で2.5メートルほど高さを失いました。古来、教会の尖塔に雷が落ちると「神がご不満である」ことの証と説教されたものですが、18世紀半ばにベンジャミン・フランクリンが避雷針を発明しますと、避雷針の先端を針型にするか、丸型にするかで論争が起きました。ちょうど米国独立戦争と重なる時期でしたので、英国王ジョージ3世は米国独立を支持するフランクリンの発明した針型に大反対します。
英国の科学者は丸型を推奨し、米国植民地側は針型の優越性を譲りません。どちらが優秀なのかは、最近でもまだ科学的に決着していないそうですが、聖ブライド教会は、フランクリンの針型の避雷針を採用しました。この教会は米国と関係が深いというか、王様の意見を気にしないというか、ユニークな歴史的背景を持っています。
かのように 鋭い
英国初の印刷機導入は、15世紀後半、ウィリアム・カクストンの手によりますが、印刷物が流通するようになるのは、彼の弟子、ウィンキン・ド・ウォーデがこの教会の境内の角に印刷所を開設した後です。当時は王様の代理で出版ギルドが著作権を独占していた時代ですので言論の自由はありません。ところが、教会が印刷するパンフレットは例外扱いとされたため、その後の清教徒革命の際には、この境内が政治運動の情報発信地となったのです。
「失楽園」で有名なジョン・ミルトンは、清教徒革命を訴えるたくさんのパンフレットをここで書きましたし、この教会の祭壇には米国へ移住した清教徒たち、ピルグリム・ファーザーズが祀られています。やがてパンフレット作家からジョン・ドライデン、リチャード・ラブレースといった詩人が生まれ、ダニエル・デフォーやジョナサン・スウィフトなどの文筆家や新聞ジャーナリストが育ち、フリート街は「時代のご意見番」として発展していきます。ケーキより甘く、針より鋭いこの教会こそが、彼らの心の故郷なのです。
印刷出版関連の歴史資料が満載