第160回 クリスマス禁止令と七面鳥
シティの街並みはクリスマスの電飾で埋まり、12月25日の本番に向けてまっしぐらです。でももし、クリスマス・ツリーもそのお祝いも禁じられたらどうなるでしょう。実際、戦前のナチス・ドイツやソ連共産党はユダヤ的、ブルジョア的としてクリスマスを禁止しました。実は英国も1647年から1659年までクリスマス行事を厳しく禁止したことがあります。
クリスマス・ツリーも祝宴も禁止された時期が英国にあった
それはオリバー・クロムウェルの共和制の時代。キリスト教の一派、清教徒と呼ばれる人たちは聖書を厳格に解釈し、行動も過激でした。宗教改革前の英国には年間52の日曜日に加えて95もの教会休日がありましたが、聖書に書かれていない出来事を祝うことは神に対する冒涜(ぼうとく)とされ、多くの休日が廃止されました。12月25日のイエス・キリストの降誕も偽りとされ、1647年にクリスマス禁止法が議会で可決し、クリスマスを祝うことが法律で禁止されました。
クリスマスを禁じたオリバー・クロムウェル
国外に出て、米州で新しい国の建設を目指した清教徒たちがいました。米州においてもクリスマスは禁止ですが、秋になると自分たちの存命は神のおかげと感謝祭を行いました。そこで出されたのが現地で捕れた七面鳥で、在英時代にトルコから輸入したホロホロ鳥に似ていたのでターキーと命名されます。ちなみに、秋に行われていた感謝祭を11月第4木曜日に変更したのは南北戦争後の国内団結を図った第16代リンカーン大統領でした。
清教徒は米州を目指してロンドン東部のロザーハイズから出港
一方、お祝いの宴で七面鳥を食べる習慣が欧州大陸にも広がり、クリスマス料理に七面鳥が登場。英国も1660年の王政復古で共和制が終わるとクリスマス禁止令が解かれました。中世のクリスマスなら王室がハクチョウ、庶民がガチョウを食べていましたが、大きくて食べ甲斐のある七面鳥に人気が移行。七面鳥が英国のクリスマスの定番になったのはチャールズ・ディケンズの小説「クリスマス・キャロル」の功績ともいわれています。
七面鳥の丸焼き
ホロホロ鳥と似ている七面鳥
さて七面鳥を英語で「トルコの鳥」と言いますが、トルコ語では七面鳥を「インドの鳥」と言います。独仏蘭など多くの欧州諸国でも「インドの鳥」。ところがインドでは「ペルーの鳥」、アラビア語は「ギリシャの鳥」、ギリシャ語は「フランスの鳥」、マレーシア語は「オランダの鳥」、モロッコでは「ローマの鳥」。七面鳥の名前の混乱の原因はコロンブスがインドの鳥と言って輸入したからともいわれますが、名前がどうであれ、七面鳥はクリスマスが禁止された時代に生まれたかったでしょうね。メリークリスマス! どうぞ良いお年を。