第151回 聖ポール大聖堂と画竜点睛
聖ポール大聖堂を西口正面から見ると堂々としたドーム、美しいツイン・タワーと10組20本の厚いコリント式円柱が見事に調和しています。そのように説明していたらツアーの参加者から質問が出ました。「正面向かって左の塔にある大きな穴は何ですか」。え、穴? ツイン・タワーは対照的に作られていますのでそこに穴は、あら、確かに開いてますね……。偉大な建築家クリストファー・レンは左の塔に時計を据えるのを忘れたのでしょうか。
時計のない西北塔
時計のある西南塔
西口正面からみた聖ポール大聖堂
調べてみますとそこには複雑な経緯がありました。1675年にチャールズ2世の許可を受けた最初の設計図にはツイン・タワーがありませんし、ドームも変な形です。ところが建築工事が始まって10年後の1685年、次の王様のジェームズ2世が建設予算を3倍以上に増額したことから、西口の設計図にはツイン・タワーや円柱が加わり、ドームも現在の形に変わりました。ただ、この時点で時計を据える予定はありませんでした。
建設許可を受けた最初の設計図
ところが1698年の火災でウェストミンスター宮殿の鐘塔の建て替えが必要になり、次の王様ウィリアム3世がそこにあった英国最大の鐘、グレート・トムを聖ポール大聖堂に移すことを決定します。当時、時計先進国だったオランダから来たウィリアム3世は時計の設置を好み、1700年には聖ポール大聖堂の鐘塔に時計を据えることが新聞で報道されます。こうして急きょ、ツイン・タワーに時計と鐘が備えられることになったのです。
西南塔に据えられたグレート・トム
既に建設が始まっていたツイン・タワーには抜本的な変更が必要になりました。当時の時計は振り子時計ですから大きな時計を動かすには巨大な振り子が必要です。でも塔内には巨大な鐘が据えられるので、もう振り子のスペースがありません。そこで時計の振り子を塔の頂きから吊るすという裏ワザを使って無理やり時計を据えます。当然、時計の振り子は吹き抜ける風のせいでよく機能せず、聖ポール大聖堂の時計は頻繁に止まりました。
1711年、聖ポール大聖堂の完成が正式に発表されました。その5年後にレンは高齢を理由に引退しますが、時計は正しく動かないまま。結局、1893年にスミス・オブ・ダービー社が新時計を据えるまで改善されませんでした。一方、左の塔には1878年、12個の鐘が搬入されましたが時計の失敗に懲りたのか、時計のための穴は開いたままです。それでは画竜点睛を欠くと思うかもしれませんが、そうではなく、穴のお陰で鐘の音が遠くまで響くのです。