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Fri, 06 February 2026

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テロリストと呼ばれた女性たち - サフラジェットが戦い、遺したもの - イギリス女性参政権運動の歴史

サフラジェットが戦い、遺したもの - テロリストと呼ばれた女性たちサフラジェット

今でこそメイ首相を始め、政界で活躍する女性も多くみられる英国だが、そこに至るまでの道のりは長く険しかった。20世紀の始め、参政権獲得のためには戦闘的な示威運動も躊躇せず、文字通り命をも掛けた女性たちがいた。今回は、3月8日の国際女性デーに向けて、「サフラジェット」と名乗った彼女たち女性社会政治連合(WSPU)メンバーを中心に、女性運動家たちの活動をQ&A方式で紹介しよう。

参政権を求めて女性たちが立ち上がるまで

英国で男女(21歳以上)に等しく選挙権が認められたのは1928年。1832年以前は特権階級のみに与えられていた選挙権は、5回にわたる選挙法改正により段階を追って身分と財産の制限が緩和されていき、1884年には成年男子の2/3が選挙権を得るまでになった。この時点で選挙権のない国民は、貧困者、召使い、犯罪者、精神異常者、そして女性。「父親や夫に面倒を見られている身なのに、なぜ選挙権が必要なのか」といった意見が、女性に参政権を与えない理由の一つとして堂々とまかり通っていた。当時はまだビクトリア朝の旧弊な価値観を残しつつも、マルクス主義の影響で労働組合運動が盛り上がりを見せ始めた時代でもあり、女性たちは権利を求めて声を上げ始める。

女性社会政治連合(WSPU)とは?
Women's Social and Political Union

1903年にマンチェスターで結成された女性参政権を求める女性団体。「言葉より行動を」(Deeds not Words)を合言葉に、ハンガー・ストライキや爆破など過激なまでの示威行動を行い、国内に賛否両論を巻き起こした。保守的な政治家は彼らを「テロリスト」と呼んで非難。結成当初は女性労働者を対象にした団体だったが、1905年に本拠地をロンドンに移してからは、上流・中流階級の女性も加入。100カ所以上に事務所を持つ大規模な団体に発展した。保守大衆紙「デーリー・メール」は、参政権を意味する「Suffrage」をもじり、彼女たちを「サフラジェット」と呼んで茶化すが、逆にWSPUはそれを自分たちの名称として使用。1914年に勃発した第一次大戦では戦争協力に力を注ぎ、1917年に解散した。

エミリー・デービソンの葬儀 1913年、エプソム・ダービーで、コース内に身を投げ死去したエミリー・デービソンの葬儀に出席するサフラジェットたち。「戦い続ける」とバナーを掲げている

Q なぜ石を投げることになったのか?
WSPUが戦闘的な行動を取るに至った理由

1860年代には、既に様々な女性参政権運動が各地で行われ、集会の開催やチラシの配布、国会への嘆願書提出が行われていた。にもかかわらず女性参政権に関する法案は常に否決され、一般国民や政府にとって彼女らの運動は見慣れた行事のようなものでしかなかった。だが1905年に風向きが変わる。

WSPUのメンバー2人が、マンチェスターで開催された自由党の集会に出向き「政権を取ったら、女性に選挙権を与えるのか」などと大声で叫び妨害。取り押さえた警官に唾をはきかけるなどして逮捕・投獄された。各新聞はこの「女性らしからぬ」事件を大きく報道。地方の一団体でしかなかったWSPUと、進展の見込みのなかった女性参政権運動は一躍脚光を浴びた。選挙権がない女性が政治に対して意見を言う方法は、もはや直接行動のほかにないとWSPUは考えた。こうして彼女たちは次々に過激な運動を展開するようになる。

サフラジェットのデモ1912年、ハイド・パークのデモで逮捕されるサフラジェットたち

サフラジェットによる直接行動の数々

投石
1908年6月のデモ行進時、警官たちの暴力に怒ったメンバーが首相官邸の窓を破る。メアリー・リーとエディス・ニューはこれにより2カ月間、ホロウェイ刑務所に服役。その後も政府機関への投石が続くが、1911年以降は「デーリー・メール」紙などの新聞社やウェスト・エンドのショーウインドーも標的に。バーバリーやリバティーなどの英系ショップが狙われた。

ハンガー・ストライキ
1909年7月、器物破損の罪で刑務所に服役していたマリオン・ウォレス・ダンロップは、91時間のハンガー・ストライキの後に衰弱が原因で釈放されたが、これは政府が「殉教者」を出すことを恐れたからだという。これをきっかけに示威運動により収監されたサフラジェットたちは次々に刑務所内での食事を拒否し始める。それに対し政府はチューブを使い食物を強制摂取させた。

爆弾
1911年12月、郵便ポストの中に自家製爆弾が放り込まれる。翌年11月にはロンドン中心部やいくつかの地方都市のポストに、インクやタールなどの黒い液体や酸などが注ぎ込まれ、何千通もの手紙がダメージを受けた。これまでWSPUは一般市民を対象にしなかったが、これをきっかけに市民を巻き込む方針に転換。次第に運動は激しさを増していく。

放火
1912年7月、イングランド南東部オックスフォードシャーにあるハーコート植民地相の別宅と、アスキス首相が観劇中だったアイルランドのダブリンにある劇場シアター・ロイヤルが狙われた。別宅への放火は未然に防がれたが、犯人には9カ月の禁固刑が言い渡される。劇場では2人のメンバーがカーテンに火をつけ、燃えた椅子をオーケストラに向かって投げ込むなどして禁固5年の判決が下った。

自殺行為
1913年6月4日、戦闘的なサフラジェットの中でも特に過激派と言われたエミリー・ワイルディング・デービソンは、国王の馬が出場するというエプソム・ダービーへ出掛け、レースの最中にコースへ飛び出し、馬に蹴られて頭蓋骨を骨折。数日後に死去した。デービソンが死を意図していたかは不明だが、公衆の前でショッキングな行動をとることで、運動に光が当たることを望んでいたとされる。

器物破損
1914年5月、ロンドンのナショナル・ギャラリーに展示されていたスペインの画家ベラスケスの「鏡のビーナス」を含む5点と、ロイヤル・アカデミーに展示された作品1点が刃物で切り裂かれるなどの被害を受ける。さらに大英博物館では展示されていたミイラを覆っているガラスが破壊された。これにより、各地の美術館・博物館では女性の入場に条件を付けるところも出た。

ダービーでコースに身を投げたエミリー・デービソンダービーでコースに身を投げたエミリー・デービソン

QWSPUは過激な行為しかしなかった?
巧みなマーケティング戦略を展開

WSPUが有名になったのは、過激な示威運動のせいばかりではない。全国的な運動を展開するには資金が必要だったため、英国中の都市にWSPUグッズを販売する店をオープン。「Votes for Women」(女性に選挙権を)というブランド名で、紅茶、チョコレート、マーマレード、マグカップなどを販売した。WSPUの会員証やポスター、バッジといった品も会員がデザインし、WSPUのメンバーは紫(尊厳)・白(純潔)・緑(希望)の三色をシンボルにして身にまとった。こうしたビジュアルやマーケティング戦略の成功がWSPU、そして女性参政運動の拡散にもたらした影響は大きい。また、1907年には機関紙「Votes for Women」を創刊。数年後には週4万部を売り上げたといい、単に運動に参加している女性のみでなく、多くの国民が女性参政権に興味を持ち始めたことを示している。

サフラジェッツのカレンダー、ブローチ、ポスターなど当時のカレンダー、ブローチ、ポスターなど。現在、ロンドン博物館で販売されているサフラジェット・グッズの多くは、当時の商品のレプリカ

Q女性運動家はみな過激だった?
ほかにも様々なグループが存在していた

戦闘的なWSPUの活動が目立つため、すべての女性運動家が騒ぎを起こしたかのように見えるが、穏健なグループも活動していたほか、女性参政権を求める男性団体もいくつか存在していた事実も見逃せない。ここでは特によく知られた2つの団体を紹介する。

NUWSSのポスター
NUWSSのポスター

女性参政権協会全国連合
National Union of Women's Suffrage Societies(NUWSS)

1897年に誕生。それまで存在していたいくつものグループが統合されてできた団体。政治家との結び付きも深く、穏健なロビー運動を根気よく展開した。初期のWSPUと行動を共にしたこともあるが、参政権は合法的な手段で獲得するべきだという考えを持つ。そのため、WSPUのサフラジェットと区別して「サフラジスト」と呼ばれた。1914年には国内に500カ所以上の事務所を持ち、男性を含む10万人ものメンバーが在籍。1919年には「National Union of Societies for Equal Citizenship」と改名し、女性参政権獲得に尽力した。

女性自由連盟
Women's Freedom League (WFL)

WSPUがロンドンに本拠地を移してから、労働者階級の女性ではなく上流階級の女性たちと親交を深めたこと、団体の運営が民主的でないことなどに不満を持つ古参メンバーが、ほかの1/5のメンバーと共に結成。彼らの運動は過激なWSPUと穏健なNUWSSの中間に位置し、1914年までに4000人のメンバーを持つ団体に成長した。

Qどんな人物が運動を率いていた?
過激 VS穏健、キャラクターの異なる2人の女性

求めるものが同じであるにもかかわらず、WSPUとNUWSSがとった手段は大きく異なった。運営方法が時に独裁的と言われたWSPUのエメリン・パンクハーストと、民主的なやり方を貫いたNUWSSのミリセント・ギャレット・フォーセット。2人の経歴を紹介する。

過激派

エメリン・パンクハースト
Emmeline Pankhurstエメリン・パンクハースト
Emmeline Pankhurst
(1858月7月14日~1928年6月14日)

戦闘的な参政権運動を唱え、第一次大戦以前の女性運動に大きな影響を与えたWSPU創設者。実業家の父、女性運動家の母のもとにマンチェスターで生まれる。24歳のときに、女性参政権の支持者で、1870年の女性財産法案の起草者でもある弁護士のリチャード・パンクハーストと結婚。以後自らも運動に身を投じ、1903年にWSPUを結成。長女のクリスタベルや、のちに意見の相違で袂を分かつことになる次女シルビアと共に参政権獲得に情熱を傾けた。

右写真)1909年のエメリン・パンクハースト(写真左)と長女のクリスタベル

穏健派

ミリセント・ギャレット・フォーセット
Millicent Garrett Fawcett
(1847月6月11日~1929年8月5日)

「氷河のように少しずつ、でも決して途切れることなく動き続ける」とNUWSSの参政権運動の方針を表現したフォーセットは、イングランド東部サフォークの大商人の家庭に生まれる。若いときにキリスト教社会主義を唱えるF・.D・モーリス牧師に影響を受け、リベラリストであるジョン・スチュアート・ミルの思想に共鳴した。女性の大学就学に力を入れ、ケンブリッジ大学のニューナム・カレッジ設立に貢献。その後、1897年にNUWSSを結成した。

ミリセント・ギャレット・フォーセット1909年、女性参政権同盟会議に出席するフォーセット(下段左から4人目)

Q女性参政権運動は社会からどう見られていた?
賛成/反対に性別は関係なかった

すべての女性が参政権運動に賛成したわけではなく、逆にそうした動きに反対する女性グループさえ存在した。また、女性参政権運動を支持した男性もいる。彼らの意見をいくつか見てみよう。

反対する女性たち
サフラジェットのポスター
意図的に醜く描かれた
サフラジェットのポスター

ビクトリア女王
1870年5月29日の手紙で、「『女の権利』なる狂った邪悪な愚行」と突き放し、「神は男女を違うように作ったのだから、彼らはそれぞれの立場にとどまるべき」と書いた。

ガートルード・ベル
イラク王国建国にも携わった頭脳明晰な考古学者で、オックスフォード大学を卒業。ほとんどの女性が政治討論に必要な教育を受けていないので、参政権は無用の長物だと主張した。

メアリー・ハンフリー・ワード
熱心な反女性参政権論者で、1908年には「Women's National Anti-Suffrage League」のトップとなり、女性に向け参政権反対を説いた。彼女は「女性解放のプロセスはいまや、女性の体質の限界に達している」とし、大英帝国の問題は男性のもつ特別な知識によってのみ解決され得るものだとした。

賛成する男性たち

バートランド・ラッセル
哲学者、数学者として知られるバートランド・ラッセルは若いころから平和運動に熱心で、1907年のウィンブルドン地区の補欠選挙では、サフラジストとして立候補した。ケンブリッジ大学で教鞭をとっていたラッセルは、女性参政権運動にのめり込み過ぎたことが原因で1916年に大学を解任された。

フレデリック・ペシック・ローレンス
労働党議員。女性活動家エメリン・ペシックと結婚後、WSPCの機関誌「Votes for Women」の編集に携わる。男性はWSPCに参加できないが、様々な方面で献身的に団体をサポート。WSPCに協力したかどで何度も禁固刑となり、ハンガー・ストライキを行うなどした。

ヘンリー・ネビンソンとヘンリー・ブレイルズフォード
2人の左派ジャーナリストが、女性参政権施行を求める男性団体「Men's Suffrage League for Women's Suffrage」を1907年に設立。彼らのリストによると、E・M・フォースター、トマス・ハーディー、H・G・ウェルズなどの著名作家も、女性参政権に賛成していたという。

年表 - 女性に選挙権が与えられるまで

1868 女性参政権を求める初の集会がマンチェスターで開催
1870 女性参政権の法案が国会に提出されるが否決
1897 女性参政権協会全国連合(NUWSS)が結成
1903 女性社会政治連合(WSPU)が結成
1905 クリスタベル・パンクハースト、アニー・ケニーが自由党の集会を妨害したとして投獄される
1906 WSPUが女性参政権を求め、国会へ向け初めてのデモを開催
1907 WSPUの過激な運動に異議を唱えたメンバーが組織を脱退し、新たに女性自由連盟(WFL) を結成
1908 女性参政権運動の反対者である自由党党首、ハーバート・ヘンリー・アスキスが首相に就任
1909 ショーウインドーへの投石、獄中でのハンガー・ストライキなどWSPUメンバーの行動が激化。政府は食物の強制摂取を実行
1913 ハンガー・ストライキで体を壊した者を仮釈放し、回復したら再収監する、俗称「猫とネズミ法」が施行
1913 エミリー・デービソンがエプソム・ダービーのレース・コースに身を投げ死去
1914 第一次大戦勃発。戦闘的な抗議行動は休止
1918 選挙法改正により、30歳以上の女性(世帯主、世帯主の妻、5ポンド以上の不動産所有者、大卒者、のいずれかに限る)が選挙権を得る
1919 ナンシー・アスターが女性初の下院議員に
1928 国民代表法により、21歳以上のすべての女性に選挙権が与えられる

Source: www.bl.uk

 

官邸を闊歩する猫たち

官邸を闊歩する猫たち - 毛皮をまとったダウニング街の4 本足の住人 

欧州連合(EU)離脱を決める国民投票やそれに続く政権交代と、重大ニュースが続いた昨年の英政界。その緊張を和らげるかのように、官邸には次々と「ネズミ捕獲長」の役職に抜擢された猫たちが登場し、その様子が連日メディアをにぎわせている。果たしてこの猫たちは単にマスコットの役割しかないのだろうか。今回は、英国の官邸で活躍している猫たちを紹介するとともに、官邸と猫の長い歴史についても触れる。

官邸猫の歴史

ロンドン中心部のダウニング街10番地は、300年近く歴代英国首相の住む官邸として利用されており、その番地から別名No.10とも呼ばれている。英国の古い建築物はネズミに悩まされることが多く、これは例えエリザベス女王や英国首相の住居であっても変わりはない。17世紀の建築とされる首相官邸では、正式な公務員としてこれまで、「首相官邸ネズミ捕獲長」(Chief Mouser to the Cabinet Office)の名でハンフリー、シビル、ラリー、フレイアの4匹が登録されている。だがそれ以前から首相官邸では猫が飼われており、ヘンリー8世の時代までさかのぼることができるとも。これまで、1924年のトレジャリー・ビルことスモーキー、チャーチル首相の愛猫ネルソン、初のメスのネズミ捕獲長ピーター、史上最高のネズミ捕りの誉れ高いウィルバーフォース、ブレア元首相夫人シェリーさんとの不和説がささやかれたハンフリー、ダーリング元財務相のペットだったシビル、一時期は現捕獲長ラリーとともに官邸に住んだフレイアなどがネズミ捕りの任務を果たしてきた。

根深いネズミ問題

ここでは、ロンドンのネズミ問題がいかに深刻であるかを、ダウニング街にほど近い国会議事堂の例を挙げて紹介しよう。2020年の大改修を目前にするこのゴシック建築もまた、ダウニング街同様、ネズミに悩んでいる。国会はネズミの駆除費を国民の税金から捻出していることもあり、ニュースとして取り沙汰されることも。見かねた議員がネズミ退治のために自分の愛猫を持ち込む例もあるという。下記にその被害の模様を挙げてみる。

  • 2015年のレポートによると、1年間で実に11万ポンド(約1571万円)がネズミ駆除費として使われた。
  • 国会内に設置してあるネズミ取り(毒エサ入り)の箱数は合計で1755個。加えて128個がドブネズミ(Rat)専用。
  • 2015年には最初の4カ月だけで、目撃情報が75件。ケーブルを齧られる問題が悩みの種とか。
  • 下院内のスタッフ向け告知ポスターには、「ネズミの数を減らすためご協力ください」という題で、「食べ物やティーバッグ、コーヒーなどは蓋付きの入れ物へ」「必要のない紙類、ビニールなどは破棄すること」などと、まるで学校の生徒へ向けたようなメッセージが書かれている。なお、そのポスターには「Get Us a Cat」と赤ペンで落書きが加えられており、院内がかなり切実な状況に陥っていることがうかがえる。
官邸猫たちのテリトリー・マップ

官邸で権力をもつ(?)現役の「ネズミ捕獲長」

現在多くのメディアで取り上げられている、性格も気質も異なる各省の猫たちは以下の通り

首相官邸 Number 10 趣味は昼寝と散歩
Larry
ラリー

性別:オス 
年齢:10歳ぐらい
就任:2011年2月15日
https://twitter.com/number10cat

Larry
官邸前でパトロール中(?)のラリー

ふさふさとした毛並みが立派なトラ猫のラリーは、元々は野良猫。ネズミ捕獲長のシビルが2009年に死去したのを受け、2011年に動物保護施設「バタシー・ドッグズ・アンド・キャッツ」からやって来た。官邸に暮らすようになったラリーは「ただ寝ているだけ」なことが多く、「殺し屋としての才能がない」と嘆かれ、キャメロン首相が夕食の最中に、ネズミに向かってフォークを投げつけたという噂もある。2012年にはついにジョージ・オズボーン財務相の愛猫フレイアが新ネズミ捕獲長として就任。フレイアが2014年に官邸を去るまで、ラリーは彼女とその座を分かち合った。2015年7月、キャメロン首相が「ラリーは公務員であり、一家のペットではない。これからも首相官邸で勤務を続ける」という言葉を残して官邸を去った後、ラリーは現首相メイとともにNo.10に暮らしている。「バタシー・ドッグズ・アンド・キャッツ」はラリーのおかげで知名度が上がり、引き取られる猫の数が15%も増えたとし、かつてラリーが住んでいたスペースの脇に、彼のブルー・プラークを掲げている。

外務省 Foreign Office 働き者で紅茶好き
Palmerston
パーマストン

性別:オス 
年齢:3歳ぐらい
就任:2016年4月13日
https://twitter.com/DiploMog

パーマストン
物怖じしないパーマストン

ラリーの登場から数年後に外務省へやって来たのがパーマストン。外務省内でラリーのような専属ネズミ捕獲長を、と望まれて就任が決まった。彼もまた「バタシー・ドッグズ・アンド・キャッツ」出身で、「大胆で、社交的」な性格が選ばれた理由だという。その名前は19世紀に外務相や首相を務めた、パーマストン卿にちなんでいる。首相官邸のラリーとは犬猿の仲であり、夜な夜な激しい権力争いをしているところを報道されたことも。公式ツイッターでは常にカメラ目線のりりしい姿や、飼い主である外務省高官のサイモン・マクドナルド氏との仲良しぶりを披露するほか、「日本の皆さん、こんにちは。どこかにネズミはいないかにゃ?」といった流暢な日本語も交えた呟きを発信、官邸猫の中でも高い人気を誇る。好んで紅茶を飲むことでも知られる。チャリティーに対して積極的で、「オープン・ハウス・ロンドン」のイベントで外務省が一般公開された際は、自らの姿を印刷したカップを販売し、その売り上げをバタシーヘ寄付した。パーマストンの生活費はスタッフが支払っているとのこと。

財務省 HM Treasury サービス精神旺盛なハンサム・キャット
Gladstone
グラッドストーン

性別:オス 
年齢:2歳ぐらい
就任:2016年6月28日
https://twitter.com/hmtreasurycat
www.instagram.com/treasury_cat/

グラッドストーン
赤が良く似合うグラッドストーン

ラリーやパーマストンに影響を受けた形で、財務省の元事務次官代理ジョン・キングマン氏が「バタシー・ドッグズ・アンド・キャッツ」から迎えた黒猫のグラッドストーン。施設では「ティミー」という名で呼ばれ、早食いで知られていたそうだが、19世紀に財務相を務め、のちに首相になったウィリアム・ユワート・グラッドストーンにちなんだ立派な名前を持つことになった。グラッドストーンの就任は、英国がEU離脱を決めた国民投票のほんの5日後であったため、就任のニュースは1カ月後に延期されたという。赤と白の水玉蝶ネクタイ姿で赤いカバン(財務相が予算案を国会へ運ぶのに使われる。ちなみに初めて使ったのは、グラッドストーン氏だった)から出て来てみせるなど、メディアへのサービス精神に溢れている。グラッドストーンは財務省の正式なネズミ捕獲長だが、公務員ではなく、生活費は財務省のスタッフたちによってまかなわれているのだとか。

内閣府 Cabinet Office 広い館内を親子でパトロール
Evie & Ossie
イービー&オジー

性別:メス(母)とオス(息子)
年齢:?
就任:2016年12月
https://twitter.com/hmcabinetcat

イービー
白いソックスのイービー

内閣府が親子猫イービーとオジーを迎えたのは、動物保護施設「ザ・シリア・ハモンド・アニマル・トラスト」から。内閣府のオフィス外に出ることはないものの、4階建ての建物の中を親子で走り回っているそう。口元と足の白い白黒猫のイービーの名は、初の女性事務次官エブリン・シャープから、フサフサした毛を持った黒猫の息子オジーは、公務員が特別委員会の証言を行う際などに用いられる規定を策定したエドワード・オズマザリーから取られたものだとか。内閣府が作られてちょうど100年という区切りに、記念の意味を込めて呼び寄せられたとも言われている。彼らもまたパーマストンやグラッドストーン同様、公務員ではなく、スタッフによって養われているのだそう。

番外編 名前は非公開
アサンジの大使館猫

内部告発サイト「ウィキリークス」の創設者で、2012年以来、ロンドンの駐英エクアドル大使館に政治亡命中のインターネット活動家、ジュリアン・アサンジも2016年5月から大使館内でメスの子猫を飼っている。アサンジの子供たちからのプレゼントだという。同11月、事情聴取のためスウェーデンの検察官が大使館を訪れた日、この猫が赤地に水玉のネクタイを着用している姿をメディアがとらえ、話題になった。猫の名前は知られていないが、ツイッターのアカウント(@EmbassyCat)がある。

Battersea Dogs & Cats Home
バタシー・ドッグズ & キャッツ・ホーム

1860年に創設された、ロンドン南部バタシーにある動物保護施設。官邸の猫たちの多くは元野良猫で、この施設に収容されているところを引き取られた。野良犬や野良猫、様々な事情で飼い主と一緒に住めなくなった犬猫が収容されている。保健所などと違い、期限がきても殺処分ということはされず、飼い主や新しい飼い主が現れるまで保護される。現在はバタシーのほかに、ウィンザーとブランズ・ハッチ(ケント)にも施設があり、年間8000匹近い犬猫がシェルターを利用。スタッフ403人、ボランティア1200人がその世話に当たる(2015年時点)。施設の維持費、運営費などはすべて寄付金による。

10:30-17:00 入場料: £2
4 Battersea Park Road, London SW8 4AA
Tel: 0843 509 4444
最寄駅: Battersea Park
www.battersea.org.uk

英国史に残る猫たち

官邸猫のみならず、英国の著名な人々に愛されたことで、現代にも様々な形でその名を残す猫たちがいる。気が向いたら私たちも、彼らに会いに行くことができる。

チャーチルのジョック

1940~45年、1951~55年に英国首相として活躍したウィンストン・チャーチル(1874〜1965)は、猫好きとして知られている。首相官邸にはネルソンと呼ばれる愛猫を住まわせており、官邸別館にはスモーキーという猫もいた。だが、チャーチルと家族にとりわけ愛されたのが、チャーチルが88歳の誕生日に、秘書官の一人ジョン・ジョック・コルビルからもらった猫。送り主の名を取ってジョックと名付けられたその猫は、マーマレードやジンジャーなどと呼ばれる茶トラ系で、胸と足元は白かった。ジョックはチャーチルが1924年から住んでいたケント州のカントリー・ハウス、チャートウェル・ハウスに暮らすようになる。

チャーチルが1965年に死去し、チャートウェル・ハウスは歴史的建築物の保護団体「ナショナル・トラスト」が管理することになったが、ジョックがこれからもずっとチャートウェルで暮らせるようチャーチルと遺族の希望があったことから、ジャックはトラストのスタッフの世話を受けながら、その後も10年間この邸宅に住んだ。更にジョックの死後、チャーチルの遺族の希望で2代目ジョックが邸宅に住むことに。この慣習は今も続けられ、現在のジョックは6代目。ロンドン南部の動物保護施設「クロイドン・アニマル・サマリタンズ」出身で、代々のジョック同様、胸元と足の白い茶トラのいたずらっ子だという。

Jock
チャートウェル・ハウスの入り口で日向ぼっこをする6代目ジョック
Chartwell House, Mapleton Road, Westerham, Kent TN16 1PS
www.nationaltrust.org.uk/chartwell/features/jock-vi-of-chartwell

サミュエル・ジョンソンのホッジ

猫を愛するのは、政治家ばかりとは限らない。ロンドンの中心部、フリート・ストリートに近い小さなスクエアの一角に、黒い猫の銅像が建っているが、これは 「ロンドンに飽きた者は人生に飽きた者だ」の言葉で知られる、「英語辞典」の編集者サミュエル・ジョンソン(1709~1784)の愛猫ホッジ。銅像が見つめるのはかつてのジョンソンの自宅で、現在「ドクター・ジョンソンズ・ハウス」という博物館になり、一般公開されている。

ジョンソンは独力では無理と言われながらも、9年で辞書を完成させたが、その傍らには常に忠実な愛猫ホッジがいたという。伝記作家ジェームズ・ボズウェルの「サミュエル・ジョンソン伝」には、ジョンソンは何匹も飼っていた猫の中でも特にホッジを愛し、ホッジが死の間際に苦しんでいたとき、痛み止めの薬であるセイヨウカノコソウを買いに走ったと記されている。

Hodge「英語辞典」の上に座るホッジの像
Dr Johnson's House, 17 Gough Square, London EC4A 3DE
www.drjohnsonshouse.org

ディック・ウィッティントンの猫

最後に紹介するのは、英国人なら誰もが知っている童話に出てくる架空の猫。グロスタシャーの商人からロンドン市長になったリチャード・ウィッティントン(1354~1784)をモデルにした17世紀の童話「ディック・ウィッティントンとねこ」は、今でも家族向けの芝居などで人気の高い、立身出世の物語だが、この話の中にも、猫が登場する。

ロンドンで一旗揚げようと地方から出て来たウィッティントンが、困難にくじけて故郷へ帰ろうとすると、ロンドン東部ボウ教会の鐘の音が「ディック・ウィッティントン、ロンドンの市長さん」と鳴ったように聞こえ、気を取り直す。一文無しのウィッティントンには相棒の猫しかいなかったが、この猫の見事なネズミの捕りっぷりを偶然見ていた外国の王様が、自分の宮殿でネズミを捕らせようと大金を払って猫を買い取ったことから、ウィッティントンは政界へ進むきっかけをつかむ……*。ウィッティントンがボウ教会の鐘の音を聞いたと言われる場所には、猫の像が載ったウィッティントン・ストーンが設置されている。

*童話にはいくつか展開の異なるパターンもあり

ウィッティントンの猫 教会の方角を向くウィッティントンの猫
Whittington Stone, Highgate Hill, London N19 5NF

 

三浦文彰x辻井伸行 - エイベックス・リサイタル・シリーズ

ヴァイオリニスト三浦文彰xピアニスト辻井伸行

昨年、個性豊かな俳優陣の硬軟取り混ぜた演技や豪華なセットが人気を呼んだNHKの大河ドラマ「真田丸」。ドラマの展開に加え注目を集めたのが、番組冒頭で毎回流れるテーマ曲のヴァイオリン・ソロと、エンディングの「真田丸紀行」のピアノ・ソロを務めた2人の若き音楽家、三浦文彰と辻井伸行の瑞々しい音色だった。昨年、ロンドンのウィグモア・ホールで行われたエイベックス・リサイタル・シリーズが好評を受けて今年も開催。今回は「真田丸」コンビの三浦と辻井、そしてベルリン・フィルの第1コンサート・マスターである樫本大進が登場する。音楽活動に加え、プライベートでも親交があるという三浦と辻井、2人から話を聞いた。

ショパン:エチュード & バラード

辻井 伸行 Nobuyuki Tsujii 東京都出身。幼少期よりピアノを始め、7歳で全日本盲学生音楽コンクール器楽部門ピアノの部第1位受賞。2005年、ショパン国際ピアノ・コンクールでポーランド批評家賞を受賞。09年にヴァン・クライバーン国際ピアノ・コンクールで日本人初となる優勝を飾った。11年には米ニューヨークのカーネギー・ホールでリサイタルを開催するなど世界各地で活動中。英国での演奏経験も豊富で、13年には世界有数の音楽祭プロムスで絶賛を浴び、昨年はエイベックス・リサイタル・シリーズに続き、ロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニー管弦楽団との共演も話題を集めた。
左)ショパン:エチュード & バラード
avex-CLASSICS AVCL-25913

ツィゴイネルワイゼン~名曲コレクション

三浦 文彰 Fumiaki Miura

東京都出身。ヴァイオリニストである両親の元に生まれる。2009年、難関として知られるハノーファー国際コンクールにおいて、史上最年少の16歳で優勝。聴衆賞、音楽評論家賞も合わせて受賞するという快挙を成し遂げる。09年度第20回出光音楽賞受賞。16年NHK大河ドラマ「真田丸」テーマ音楽のヴァイオリン・ソロを演奏。現在はウィーンを拠点に、日本を含む世界各国で音楽祭への出演やコンサート活動を行っている。今回、6月に行われるリサイタルがロンドンでの演奏家デビューとなる。
左)ツィゴイネルワイゼン~名曲コレクション
avex-CLASSICS AVCL-25902

まずはお二人が知り合われたきっかけを教えていただけますか。

三浦

昨年2月に行われた読売日本交響楽団との「究極の協奏曲コンサート」というツアーで初めて辻井さんにお会いしました。お互いにコンチェルト(協奏曲)を一曲ずつ弾くというものだったのですが、その際に間近で辻井さんの音楽に触れることができて。10公演くらいあったのですが、毎回本当に感動して、非常に楽しいツアーでした。

辻井

「究極の協奏曲コンサート」での三浦さんはやはり素晴らしい演奏で、一緒にツアーを回っていて楽しかったですし、なかなか若い音楽家の方と出会う機会はないので、こうして知り合うことができてうれしかったです。そのときにはアンコールで2人一緒に演奏もしましたし、20代同士で共演することができて本当に良かったです。今後もまた2人で共演できたらいいな、なんて思っています。

三浦さんはご両親がプロの音楽家で、お母様の指導を受けられたことから演奏家への第一歩を踏み出したと伺っています。一方、辻井さんのご両親は音楽とは直接関係のない仕事に就かれていらっしゃいました。こうした環境の違いが、演奏家としての違いを生み出していると思われますか。

三浦

僕の場合は両親がヴァイオリンを弾いているのですが、恐らくお腹の中にいたときからヴァイオリンの音は聴いていたのではないかな、と。最近、親から聞いた話なのですが、母はお腹がかなり大きくなったときに、アンネ=ゾフィー・ムターのリサイタルを聴いたそうなのです。ベートーヴェンの「クロイツェル・ソナタ」を弾いていたらしいのですが、そのときに僕が初めて足でお腹をぼんぼん蹴ったと言っていました。でもヴァイオリンを始めたのはたまたま。水泳やサッカーなどほかの習いごとと同じような感覚でスズキ・メソード*を始めました。結局は自分が好きになれないと続けられなかったことですけど、その点は母がうまい具合に教えてくれたのではないかなと思います。まあ、すごく怖くて厳しかったのですが(笑)。

*スズキ・メソード 子供向けの音楽による情操教育を行う活動で、教室はヴァイオリンやピアノなどいくつかの科に分かれている

辻井

僕も三浦さんと似たような感じで、母のお腹の中にいるときからクラシックは聴いていたようです。そして生後8カ月のころにはショパンが大好きで、特に(スタニスラフ・)ブーニンの弾く「英雄ポロネーズ」に合わせてリズムを取っていたので、ピアノが大好きなのだなと母が感じたそうです。うちは両親とも音楽家ではなく、「ピアノが好きなら習ったら?」という感じで好きなようにやらせてくれたので、それが良かったのではないかなと思っています。こうした辺りは多少、三浦さんと共通している部分もありますね。

左:三浦文彰さん、右:辻井伸行さん

音楽家としてのお互いの印象をお聞かせください。自分と似ている、異なると思われる点はありますか。

三浦

辻井さんの印象は何と言っても美しい音色、そして毎回、演奏会での熱い演奏に感動します。自分と似ている点といえば、食べることが大好きというところでしょうか(笑)。

辻井

三浦さんはすごく明るく、いつも堂々として落ち着いている印象です。舞台度胸が良いところや、いつも完璧な音楽性と技術で、毎回素晴らしい演奏ができるところを尊敬しています。

音楽を離れてみるといかがでしょう?

三浦

僕たちは普段、演奏会で色々なところに行きますが、例えば辻井さんとツアーで一緒になったときは、本番の後にものすごい量を食べるんですよ(笑)。おいしいものを食べたり、お酒を一緒に飲んだりして、コンサートの緊張感から離れてリラックスします。楽しい時間ですね。

辻井

僕も三浦さんと同じく、一緒にお酒を飲んだりご飯を食べたり、コンサート以外にプライベートでも一緒にいて、楽しい時間を過ごしています。カラオケにも行ったことがあるのですが、お互い色々な歌を歌いました。プライベートでオフの姿、例えば楽しそうにお酒を飲んでいる三浦さんの姿を見る機会もあって。せっかく知り合えましたので、これからも音楽以外でも一緒に遊べたら、と思っています。

三浦

そうですね!

お二人ともクラシック音楽以外の演奏活動にも携わっていらっしゃいます。記憶に新しいところでは、三浦さんはNHK大河ドラマ「真田丸」メイン・テーマのソロ・ヴァイオリンを、辻井さんは「真田丸紀行」のピアノを担当されました。

三浦

僕はこのNHK大河ドラマで、初めてドラマのための音楽を演奏させていただきました。大変光栄なことです。服部隆之先生が作曲された音楽は素晴らしく、実は僕としてはクラシック音楽と全くの別物とは思っていません。クラシック音楽の作曲を根本から勉強されたということが演奏していても分かりますし、自分が弾いていてもどんどんアイデアが出てくる。本当に今回、演奏することができて良かったです。

辻井

僕は作曲も少しやっておりまして、映画音楽やTVドラマの音楽なども手掛けたことがありますが、大河ドラマは初めてでした。僕はエンディングの「真田丸紀行」のテーマを担当させていただいたのですが、ゆったりとしていてかつメリハリがあり、本当に素晴らしい曲でした。メイン・テーマも格好良くて、こうして三浦さんとも仕事を一緒にできて、大変光栄です。

三浦 文彰 Fumiaki Miura

辻井さんは過去に何度も英国でコンサート活動を行われていますが、三浦さんはこれまで、英国で演奏されたことはありますか。

三浦

僕はこれまで演奏したことがなく、英国でのコンサートは今回が初めてとなります。

旅行で英国を訪れたことは?

三浦

あります。僕はヴァイオリンを弾いていて、楽器商の人たちと関わることが多かったので、そういうときには日帰りで英国に行ったりしていました。

辻井さんは昨年に引き続いてのウィグモア・ホールでのリサイタルとなりますね。

辻井

僕は英国で演奏させていただく機会がかなり多く、指揮者の佐渡裕さんがBBCフィルと一緒に演奏したときに、僕をソリストとして呼んでくださったときが最初です。あとは(ウラディーミル・)アシュケナージさんの指揮でフィルハーモニア管弦楽団と共演したり、BBCプロムスにも出演しました。昨年初めてウィグモア・ホールで演奏しましたが、今回もこうしてまた同じホールでリサイタルをさせていただけるなんて非常にうれしいです。イギリスの聴衆の方たちは集中して聴いてくださるので、とても素晴らしいなと感じています。

特に思い入れのある英国の作曲家はいますか。

三浦

僕はこれまで結構、(ベンジャミン・)ブリテンの曲を演奏する機会があったのです。ヴァイオリン・コンチェルトを今年の3月に初めてワルシャワで演奏したのですが、本当に素晴らしい曲で、ドイツ音楽とはまた違った魅力があり、音楽の山場になる箇所をエモーショナルにしているなという印象があります。実は今年、(エドワード・)エルガーのヴァイオリン・コンチェルトも演奏する予定が何回かありまして、それも非常に楽しみにしています。もともと聴くのが大好きな壮大な曲なのですけれども、エルガーにしてもブリテンにしても似たところがあると感じています。僕が思うにドイツ音楽は起承転結が完璧にできている音楽が多いのですが、イギリス人作家の音楽はエモーショナルで熱いと言いますか、ロマンティックな印象があって、僕はすごく大好きですね。

エモーショナルで熱い、というのは具体的にどういうことでしょう?

三浦

言葉で説明するのは難しいことですが、ブリテンやエルガーは作品がどれも雰囲気がとても独特です。ブリテンの作品は第二次大戦が始まったころに書かれていることもあり、戦争の激しさを表現しています。それに対しエルガーの音楽は全く逆で、本人の言葉で「この曲は実にロマンティックであり、私はそれが大好きである」と残されています。ドイツ音楽は言うまでもなく常に自分の中で軸になっていますが、最近はこういったイギリスの作曲家たちの魅力にも惹かれています。

辻井

僕はピアノ曲ではこれまでイギリスの作曲家にはあまり縁がないと言いますか、残念ながらまだ弾いたことがないのです。オーケストラでもエルガーなどの曲は素晴らしいですし、もしピアノ曲で自分に合う作品と出合えたら、ぜひ弾いてみたいと思っています。

三浦

今度、エルガーのヴァイオリンとピアノのソナタをやってみますか。

辻井

じゃあ一緒に(笑)!

辻井 伸行 Nobuyuki Tsujii

コンサート以外で、今回の来英で楽しみにしていること、または英国でお好きな場所がありましたら教えてください。

三浦

さきほども「日帰りで」と言いましたが、実は長くて1~2泊しかしたことがなく、大英博物館やそのほかの美術館などを凄まじい勢いで訪ねたりしています。イギリスには素晴らしいところが色々あるので、これから自分の好きな場所を見つけていければいいなと思っていますね。楽しみにしています。

辻井

ロンドンは何回も訪れていますし、マンチェスターや、リヴァプールではビートルズの住んでいたところにも行きました。イギリスには縁があるので、まだ行ったことがないようなところも訪れてみたいです。

それでは最後になりますが、今回のコンサートに対する意気込みをお聞かせください。

三浦

ロンドンの歴史的なコンサート・ホールであるウィグモア・ホールでのリサイタルということに加え、僕にとってはロンドン・デビューにもなりますので、本当に楽しみにしています。共演するイタマール・ゴランとは既に色々なところで共演させていただいていまして、過去に彼と演奏した曲の中から特にお互いが毎回、楽しんで演奏できている曲でプログラムを作りましたので、たくさんの方々にお越しいただきたいと思っております。

辻井

僕は去年に引き続き2回目のウィグモア・ホールでの演奏となります。大変、響きの良いホールで、また素晴らしいお客様の前で演奏できることが楽しみです。今年は「バロックと古典」というテーマで初めてバッハにも挑戦します。バッハは音楽の原点とも言える作曲家なので、ぜひその素晴らしさを皆さんに伝えていきたいです。

2017年春夏 ウィグモア・ホールで再び
エイベックス・リサイタル・シリーズが開催

ウィグモアホール
昨年もウィグモア・ホールで演奏した辻井さん

昨年、大好評のうちに幕を閉じたエイベックス・リサイタル・シリーズが再びロンドンのウィグモア・ホールに戻ってくる。今回は、前回に引き続いての参加となる辻井伸行に加え、三浦文彰と樫本大進の2人が登場。それぞれ4月、6月、7月の土曜日の午後にリサイタルを行う。既にチケットは発売中。

Wigmore Hall
36 Wigmore Street W1U 2BP
Tel: 020 7935 2141 
料金: 各20ポンド
最寄駅: Bond Street 駅 / Oxford Circus 駅
http://wigmore-hall.org.uk

辻井伸行 ピアノ・リサイタル
4月1日(土)13:00

演奏: 辻井伸行(ピアノ)
曲目: バッハ「イタリア協奏曲 BWV971」
モーツァルト「ピアノ・ソナタ第17番 変ロ長調 K.570」
ベートーヴェン「ピアノ・ソナタ第14番 ハ短調『月光』」
ベートーヴェン「ピアノ・ソナタ第23番 ヘ短調『熱情』」

三浦文彰 ヴァイオリン・リサイタル
6月17日(土)13:00

演奏: 三浦文彰(ヴァイオリン)
イタマール・ゴラン(ピアノ)
曲目: ドヴォルザーク「ロマンス Op.11」
ストラヴィンスキー「ディヴェルティメント」
ベートーヴェン「ヴァイオリン・ソナタ第10番 ト長調」

樫本大進 ヴァイオリン・リサイタル
7月22日(土)13:00

演奏: 樫本大進(ヴァイオリン)
アレッシオ・バックス(ピアノ)
曲目: モーツァルト「ヴァイオリン・ソナタ第25番 ト長調 K.301」
シマノフスキ「神話 Op.30」
グリーグ「ヴァイオリン・ソナタ第3番 ハ短調」


 

英国・ドイツで影響力を発揮する女性政治家たち

英国・ドイツで影響力を発揮する
女性政治家たち

昨年11月に行われた米大統領選で敗れた民主党のヒラリー・クリントンは、「今回は最も堅く、最も高いガラスの天井を打ち砕くことはできなかったが、1800万のヒビが入った」と述べた。女性にとって越えねばならないハードルはまだ多いが、近年では世界各地で女性のリーダーが活躍している。英独の政界を率いるのも2人の女性。2017年の幕開けとなる今回の特集は、メイ英首相、メルケル独首相を始め、両国の政界で活躍する女性政治家たちに注目した。
(英独ニュースダイジェスト編集部)

現内閣の概要と政治運営システム

英国英国 メイ内閣

メイ内閣

英史上2人目の女性首相となるテリーザ・メイ率いる内閣が誕生したのは昨年7月のこと。英国の欧州連合(EU)離脱(ブレグジット)決定後、間もなく与党保守党の党首として残留派を率いたデービッド・キャメロン首相が辞任。新党首選では離脱派の大物が裏切りや自滅で脱落し、メイ内務相とアンドレア・レッドソム・エネルギー閣外相という女性同士の一騎打ちに。経験の差に加え、子供のいないメイと比べ母である自分が適任と示唆し批判を浴びたレッドソムが撤退、メイが頂点に立った。残留派だったメイは、離脱派の旗振り役ボリス・ジョンソンを外務相に据えるなどバランスを重視した内閣を組閣。困難が予想される離脱交渉に向けて歩を進めた。なお、英国はイングランド、ウェールズ、スコットランド、北アイルランドという4つの国(地域)で構成される連合王国であり、上院、下院からなる議会(中央国会)のほかにイングランドを除く各地域にも議会が置かれ、それぞれ自治政府を持つ。

ドイツドイツ メルケル内閣

メルケル内閣

現在の第3次メルケル内閣が発足したのは、2013年12月17日。選挙の投開票が同年9月22日に行われ、メルケル首相が率いる保守のキリスト教民主同盟(CDU)とキリスト教社会同盟(CSU)が第1党を維持した。しかし単独過半数にはわずかに届かず、第2次内閣で連立していた自由民主党(FDP)は惨敗。そこで、第1次内閣で組んでいた最大野党・社会民主党(SPD)と再び大連立を組むことになったのだが、この交渉をまとめるまでに3カ月もすったもんだがあった。とは言え、2期を務め上げたメルケル首相への国民の期待と支持率は、このとき最高潮に達していた。連邦制を採っているドイツには、国レベルの決定をする連邦議会のほかに、16ある州それぞれに州議会があり、首相がいる。国政においては二院制を採用しているが、国民の選挙によって選ばれるのは連邦議会議員のみ。一方、連邦参議院は、国の決定に地方の意見を反映させるため、各州の代表により構成されている。

女性政治家たちの今昔

英国 ドイツ
女性議員数
日本の衆議院に当たる下院では、総議席650のうち女性は195人。参議院に相当する上院は世襲貴族や一代貴族(国への貢献度が高い人物に与えられる)らで構成され、総議席809のうち209人が女性。現内閣では23人中、女性閣僚は首相含め8人。 第1~3次メルケル内閣では、15ある閣僚ポストに一貫して6人の女性政治家が並んでいる。日本の衆議院に当たる連邦議会では、総議席630のうち女性が232人。連邦参議院は定数69人中、28人が女性議員となっている。
女性政治家の誕生
女性参政権運動が始まったのは19世紀中ごろ。1918年には30歳以上の女性の一部が国政選挙での投票権を獲得。男性と同等の投票権(21歳以上)を得たのは1928年だった。被選挙権は1918年に下院議員への立候補が可能に。長年にわたり世襲貴族が占めていた上院で女性議員が認められたのは1958年。しかしこのときは一代貴族のみで、世襲貴族は1963年まで待たねばならなかった。 女性に参政権が与えられたのは、第一次大戦の終戦直後。ドイツ帝国末期の1918年に法改正が行われ、1919年1月19日の国民議会選挙には、300人以上の女性が立候補し、37人が当選した。その後、女性議員が10%に満たない時代が続いたが、1979年に緑の党、1988年にSPD、1994年にCDUが、党の綱領に女性比率を規定するクオータ制を導入。参政権獲得から約100年で女性議員比率4割をほぼ達成した。
著名な女性政治家
女性の政治参加の礎を築いた一人が、20世紀初め、時に放火など過激な手段も用いて女性参政権運動を展開したエメリン・パンクハースト。1919年に初の女性下院議員となったナンシー・アスターは米国出身。英貴族と結婚、夫は上院、妻は下院議員として活躍した。1979年に初の女性首相となったマーガレット・サッチャーは「小さな政府」を標ぼう、強固な姿勢で「鉄の女」と呼ばれた。 ドイツ史上初の女性大臣は、エリザベート・シュヴァルツハウプト(CDU)。1961年、西
ドイツのコンラート・アデナウアー内閣に保健大臣として入閣。新時代の女性の役割を示
した。政界の貴婦人と称され、その政治手腕だけでなくファッションでも注目を浴びたア
ンネマリー・レンガー(SPD)は、1972~76年まで女性初のドイツ連邦議会議長、76
~90年まで同副議長を務めた。

英・独を率いる2人の女性首相

ヒョウ柄パンプスで虎視眈々と獲物を狙う
テリーザ・メイ首相(60)保守党

テリーザ・メイ首相スタイリッシュなスーツにニーハイ・ブーツやヒョウ柄パンプス、自信に満ちた微笑。髪型も垢抜け、首相就任半年足らずで既に堂々たる風格を見せるテリーザ・メイは、1892年以来、史上最長となる6年にわたり移民やテロ問題などを取り仕切る内務省を統括した人物だ。

不法移民には厳しい姿勢で臨み、2013年には「家に帰れ、さもなくば逮捕する」というスローガンを掲げキャンペーンを展開。多方面から批判され撤退という空回りを見せたこともあったが、ブレグジット騒動ではEU懐疑派ながら残留派として静かに状況を見極め、悠々トップの座に収まった。

1997年に40歳で下院議員に。当時の「喫煙室で座って話し合う」風潮など我関せずと仕事に打ち込む彼女に付いたあだ名は「氷の女」。一方で2005年には保守党の女性党員の政界進出を促進する組織「Women2Win」を共同設立、1997年には13人だった同党の女性議員が現在68人となる布石を敷き、独自の人脈を築いた。EU諸国と対峙する今後の舵取りは困難を極めるだろうが、鋭い目付きで獲物を狙い、ヒール音も高らかに望む道を切り開いていくに違いない。

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生年月日 / 家族
1956年10月1日生まれ。父は英国国教会の牧師、母は保守党びいきの一人っ子。父の奉仕精神が自身の人格形成に影響を与えたと語っている。

学歴 / 職歴
名門パブリック・スクール(私立校)出のエリートが多い歴代保守党閣僚の中では珍しく公立校出身(ただし教育レベルの高い選抜式)。オックスフォード大学で地理学を学び、イングランド銀行勤務などを経て政界へ。

ファースト・ハズバンド
20代で父を交通事故で、母を病気で亡くしたメイが全幅の信頼を寄せるのが金融街シティで顧客担当マネージャーを務めるフィリップ氏。大学時代、後のパキスタン初の女性首相ベナジル・ブットの紹介で知り合った。

趣味
ファッションや料理が好き。スタイリストはつけず、夫の助言を受けつつ買い物するのだとか。高級ブランド品を身に着けることも多く、「一般庶民」とのかい離を指摘する声も。

党のゆるキャラ的存在から世界のリーダーに
アンゲラ・メルケル首相(62)CDU

アンゲラ・メルケル首相ドイツ初の女性首相、アンゲラ・メルケルは、第8代ドイツ連邦共和国首相として現在3期目。「世界で最も影響力のある女性」では6連覇と記録更新中だが、現在、向かうところ敵ばかり。ドイツ経済の好調を受け、無敵状態だったのは支持率70%超を記録した2015年夏まで。押し寄せる難民に門戸を開いた人道的決断に、世界からの称賛を浴びるも、100万人規模の人の群れに国民はパニックに陥った。2016年には、難民申請者による犯罪が増加し、難民を装って入国したIS系テロリストによるテロやテロ未遂が相次いで発生。メルケルはついに、「時間を巻き戻したい」と難民受け入れ政策が準備不足であったことを認めたのだ。

2017年の秋には、連邦議会選挙が実施。メルケルは熟慮の末、4選を目指す。ドイツにもポピュリズムの波は到来しているが、その防波堤としての役割をメルケルは期待されている。米国次期大統領トランプ氏へのつれない祝辞、ロシアへのけん制と、国外の敵への目配せも忘れない。人道主義と民主主義を守る最後の砦として戦う孤高のムッティー(母)の理想は、国民からの支持を得られるだろうか!?

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生年月日 / 家族
1954年7月17日生まれ。プロテスタント牧師の父ホルスト・カスナー(2011年他界)と、ラテン語と英語の教師の母ヘルリントの長女。3歳下の弟と、10歳下の妹がいる。

学歴 / 職歴
ライプツィヒのカール・マルクス大学卒。ベルリンの科学アカデミー付属物理化学中央研究所に紅一点の学術助手として就職。1986年、博士号を取得。1990年、東ドイツ(DDR)デメジエール内閣の政府副報道官に。

ファースト・ハズバンド
ヨアヒム・ザウワー氏。著名な量子化学者。ベルリン・フンボルト大学の教授。妻の仕事には、興味を引かれたときだけ同行する。「メルケル」は、アンゲラが23歳のときに学生結婚した元夫の姓。

趣味
料理やガーデニングが好き。インドア派かと思いきや、サッカー観戦や登山、スキーにも熱心。「重要なのは見た目より政策」と言うが、オペラ鑑賞のときはお洒落も楽しむ。

英国の政界 注目の女性政治家 Who's who

内閣閣僚編

アンバー・ラッドメイ首相、期待の星
アンバー・ラッド(53)
内務相

メイ首相の後を継ぎ内務相となったのが、前気候・エネルギー変動相のアンバー・ラッド。メイが共同設立したWomen2Winの出身者でもある。そんなメイ期待の星であるラッドが不本意にもその名を広めたのが、昨年10月の保守党大会。移民減、英国人雇用推進のため、企業に外国人雇用者の数を公表するよう定める案を発表したラッドに対し批判が続出。「私を差別主義者と呼ばないで」と悲鳴を上げる事態に陥った。ヒュー・グラント主演映画「フォー・ウェディング」のエキストラ調達役を務め、ついでに自分も出演した経験あり。

ジャスティン・グリーニング窮地に立たされた庶民の代弁者
ジャスティン・グリーニング(47)
教育相

誰もが入れる公立校を出て教育相へ。エリート教育を受けた富裕層出身者が幅を利かせる英国政界にあっては少数派の道を歩み、最もコスト・パフォーマンスの良い下院議員9位に選ばれた経歴も手伝って、庶民の味方的な印象のあるグリーニング。だがイングランドで新設が禁じられている公立選抜校の拡大案を発表したことで「公立校出身のくせに教育格差を広げる気か」と集中砲火を浴びてしまった。昨年6月、性的少数者のイベント開催に合わせ、同性愛の関係にあると公表、同性愛または両性愛者であることを公にした初の女性閣僚。

 エリザベス・トラス司法と行政の板挟み!?
エリザベス・トラス(41)
司法相 / 大法官

司法相にして、かつては国璽(こくじ)の管理を司り、上院議長の役目も担った大法官の座に就いたトラスは、史上初の女性大法官*として話題に。石油大手ロイヤル・ダッチ・シェルなどに勤務後、政界へ就任直後には、元大法官らが弁護士資格を持たないトラスの適性を疑問視、それに対し女性蔑視との声も上がった。EU離脱手続き開始には議会承認が必要との高等法院の判断を不服とした政府が上訴、最高裁の判決待ちという現在は、裁判官への嫌がらせも増えており、司法の長として毅然とした態度を示すべきとのプレッシャーが増している。*ヘンリー3世の妻エレノア・オブ・プロバンスが1253年に大法官の座に就いたとの説も

地方政党党首編

ニコラ・スタージョン小柄な体に秘めた情熱の炎
ニコラ・スタージョン(46)
スコットランド自治政府首相 /
スコットランド民族党(SNP)党首

スコットランドの英国からの独立を目指す地方政党党首なのに、英全土で評価の高いスタージョン。理由は反緊縮、核軍縮、親EUとぶれない姿勢にある。地元産業にサッチャリズムが大打撃を与えた20世紀後半に16歳でSNP入党。今も小柄な体に打倒保守党政権の炎を燃えたぎらせる。2014年のスコットランド独立を問う住民投票では独立派のけん引役を担い健闘、同11月に女性初のSNP党首及び同国自治政府首相となった。ブレグジット決定直後にはスコットランドのEU残留を実現すべく奔走、今後も一挙手一投足に目が離せない。

リアーン・ウッド郷土愛は誰にも負けません!
リアーン・ウッド(45)
ウェールズ/ プライド・カムリ党首

生まれも育ちもウェールズ、地元の公立校、大学で学んだ生 粋のウェールズっ子のウッドは、20歳でウェールズ独立を目指す地方政党のプライド・カムリに入党。地元労働者による1831年のマーサー暴動を率いた人物をヒーローと崇めるバリバリの闘士だ。2012年に初の同党女性党首となる。2015年の総選挙では、テレビ党首討論会に参加し全国区の顔に。こてこてのウェールズ・アクセントで奮闘するも、複数の世論調査で最下位となった。ちなみにウェールズ語を流暢に話せない初の党首でもあるウッド、現在勉強中なのはご愛嬌!?

アーリーン・フォスター「紛争」を肌で知る若き女性リーダー
アーリーン・フォスター(46)
北アイルランド自治政府首相 /
民主統一党(DUP)党首

英国との連合維持派と独立派が激しく対立した北アイルラン ドの「紛争」期に多感な時期を過ごしたフォスター。2015年に前者の強硬派で宗教右派のDUP党首、翌16年には45歳で北アイルランド自治政府の史上最年少、初の女性首相に任命された。8歳のとき自宅で父親がIRA(アイルランド共和軍)に狙撃され、16歳でスクール・バスの爆破騒動に巻き込まれるという壮絶な過去を持つフォスターだが、現在は元IRA司令官のマーティン・マクギネス副首相とタッグを組む。若さとウーマン・パワーで同地に新たな風を吹かせる。

ドイツの政界 注目の女性政治家 Who's who

与党議員編

ウルズラ・フォン・デア・
ライエン次期首相候補の呼び声高い7児のママ
ウルズラ・フォン・デア・
ライエン(58)
連邦国防大臣(CDU)

第3次内閣のサプライズ人事と言われたのが、フォン・デア・ライエンのドイツ史上初の女性国防相就任。家庭相、労働相を歴任したやり手。国防相としても「軍をドイツで一番魅力的な職場に」と、家庭と仕事の両立を重視する。彼女自身、7児の母。父親が政治家の二世議員だが、その印象は薄い。政治家になる前は産婦人科医として勤務する医学博士。2015年には博士論文盗用疑惑にさらされ、一応は無罪となったが、次期首相候補としては汚点が付いた。メルケル首相とは真逆のタイプ、異論反論おかまいなしに我が道を行く。

アンドレア・ナーレス労働者の味方、じわり支持を拡大中
アンドレア・ナーレス(46)
連邦労働大臣(SPD)

ドイツ初の全国統一の最低賃金法を導入し、注目を集めたナーレス。次の目標は、「18時以降の労働禁止」「8時間労働は長すぎる」など、労働者の健康を重視した労働法の抜本改正と息巻く。18歳のときの作文に将来の夢は「専業主婦か連邦首相」と書き、SPDの青年部に所属。28歳で国会議員に初当選し、労働者の党SPDで労働政策を磨いてきた。支持率が低下しているSPDで、他党の政治家も認める実力者。2010年に結婚し、娘もいるが、2016年1月に離婚したことを発表。家事と仕事の両立は、彼女にとっての難題でもあった。

ハンネローレ・クラフト政界のユーチューバー
ハンネローレ・クラフト(55)
ノルトライン=ヴェストファーレン州首相
(SPD)

人口数も経済規模も国内最大であるノルトライン=ヴェスト ファーレン(NRW)州の州首相。2010年の就任当初、短命 に終わるとみられていたクラフト政権は現在、2期目。元銀 行員で元経営コンサルタントという肩書きから分かるように、経済が得意分野。州首相に再選した2012年の世論調査では、一時的にメルケル首相よりも高い人気を獲得、SPDの連邦首相候補へとの声もあるが、「今はNRW州に集中したい」と一蹴した。2016年から始めたビデオ・ブログ(Vlog)で、ユーチューバー・デビュー。疲れた顔や弱音も見せ、親近感が沸くと市民から好評だ。

フラウケ・ペトリーポピュリスト政党のジャンヌ・ダルク
フラウケ・ペトリー(41)
ドイツのための選択肢(AfD) 共同代表

ギリシャ危機の際に反EUを標ぼう、難民問題の混乱を機に反移民へと矛先を変え、確実に支持を増やす右派ポピュリスト政党AfDを象徴するのが2015年7月から代表を務めるペトリー。東独生まれの化学者という経歴からメルケルとの共通点を指摘されるが、思想的には対極の立場にある。「私には4人の子供がいるが、メルケルにはいない。子供が人生の視野を広げてくれる」とメルケルを批判し、逆に非難を浴びた。2015年秋から夫と別居中、AfD幹部の一人との不倫関係を認めた。公私ともに激情型のようだ。

クラウディア・ロート平和を愛する現代のヒッピー
クラウディア・ロート(61)
緑の党 共同代表

カラフルなファッションにくっきりメイク、大きな笑顔がトレードマークのロートは、2004年から5期連続で共同代表を務める緑の党の顔。ボブカットのカラーリングはブロンドから赤、オレンジ、シルバーと変わるが、政治思想はグリーンな人権派。劇場の演出助手、ロック・バンドのマネージャーという経歴の持ち主で、党発足当時のヒッピーな雰囲気も。同性愛者や女性の権利獲得運動に熱心で、2004年6月30日には仏政府よりレジオンドヌール勲章(騎士級)を授与された。秋の連邦議会選は、党の首相候補として戦う可能性が高い。

ザーラ・ヴァーゲンクネヒト禁断の関係からのし上がった美魔女
ザーラ・ヴァーゲンクネヒト(47)
左派党 元共同代表 / 連邦議会院内総務

連邦議会で舌鋒鋭くメルケル批判を繰り広げるヴァーゲンクネヒトは、そのエキゾチックな美貌と革命家ばりの迫力ある演説で人気。2011年、左派党結成の立役者オスカー・ラフォンテーヌが、ザールラント州の大会演説で、「妻とは別居中、ザーラと付き合っています」と既婚者同士であるにもかかわらず恋人宣言し、時の人に。2016年には、議長を務めていた左派党の党大会中、彼女の発言に反発した左翼活動家から顔面にパイを投げつけられた。現在の民主主義に未来はないと断言、現代のドイツに合った共産主義のあり方を模索中。

 

角田光代さんインタビュー

作家
角田光代さん
インタビュー

1990年のデビュー以来、数々の文学賞を受賞している人気作家の角田光代さんが訪英し、ロンドンで国際交流基金主催のトーク・イベントにゲストとして出席した。このイベント前の忙しい時間の合間を縫ってインタビューに応じてくださった角田さんに、翻訳について、そして現代社会で女性が置かれている立場について、お話を伺った。

Profile


かくた みつよ: 神奈川県出身。早稲田大学第一文学部文芸専修卒業。1990年に「幸福な遊戯」で第9回海燕新人文学賞を受賞し、プロ・デビュー。以来、「空中庭園」で第3回婦人公論文芸賞、「対岸の彼女」で第132回直木三十五賞、「八日目の蝉」で第2回中央公論文芸賞、「紙の月」で第25回柴田錬三郎賞などを始め、多くの文学賞を受賞。また作品の多くがテレビ・ドラマ化、映画化されている。

今回、英国のあと、すぐスペインへ行かれるそうですね。

スペインのバルセロナで「サロン・デル・マンガ ※1」というイベントがあり、吉本ばななさんと一緒に出席する予定です。

※1 今年で22回目を迎えた、日本の文化を紹介する大規模 なイベント。マンガだけに留まらず、今年は「日本文学」がテーマだという。

角田さんの作品は英語だけでなく、スペイン語やブルガリア語など様々な言語に訳されています。ご自身も絵本の翻訳をされますが、英語に訳されたご自分の作品をチェックすることはありますか。英語では現在、短編5作がキンドルの形で発表されています。

読んでも、そのニュアンスが正しいかどうか分かるほどの英語力はないので……。ただ読んで感激するばかりです(笑)。

海外の読者が、翻訳されたものを通してどのように角田さんの作品を理解しているか、気になり ますか。例えば角田さんの作品の幾つかは、日本ならではと思えるような独特な状況に置かれた女性を主人公にしています。

最初に英訳された作品は「対岸の彼女」ですが、このプロモーションのため米国へ行き、現地で大学生の人たちとトークをするイベントに出席する機会がありました。このとき、彼らから「 いじめ」が日本ではこんなにすごいのかというような質問をたくさん受けました。実は話の大筋とはあまり関係のないこの「いじめ」に大きなスポットが当たったのは意外に思いました。また、ヨーロッパでは「八日目の蝉」に対して、「日本で女性はこんなに虐げられているのか」というようなことを言われたりもしました。

違和感のみに目がいってしまったということでしょうか。では、あえて海外の読者に向けて書いてみるというチョイスは考えたことはありますか。

いえ、それはありません。日本の社会の中で女性として生きて、何が息苦しく、何が問題なのか。その空気の中で書くのが私の基本になっているのです。翻訳されることを前提にして書くというのは考えられません。ただちょっと思ったのは、先ほどの米国でのトークで気が付いたのですが、彼らは翻訳された小説を読むこと自体に慣れていないのではないかと。日本では、私もそうですが、皆が小さいころから海外の翻訳本を読んでいます。例えばキリスト教的考え方というのも、それが何かよく分からなくても、そういう宗教や文化があるとして、日本人はそのまま受け入れる。米国などではそういう読書感覚が薄く、文化の違いに戸惑う場合もあるのかもしれません。

翻訳といえば、角田さんはNGOのプラン・インターナショナル・ジャパンで、ボランティアで翻訳活動をされているそうですが、これはどういった経緯で始まったのですか。

2009年に女性誌の依頼で、プラン・インターナショナルの「Because I'm a Girl ※2」というキャンペーンの取り組みを紹介するため、アフリカのマリを視察したのが最初です。それがきっかけでこのキャンペーンに賛同し、サポーターになりました。2年に1度、女性が虐げられている国へ行き、視察リポートを書いています。そんな中、「Because I'm a Girl」という本が英国で出たので、これを訳してほしいという話になったのです。

※2 Because I am a Girlは、国際NGOプラン(本部は英国)が展開する世界的なキャンペーン。女性であるゆえに、様々な困難に直面する途上国の少女たちの問題を訴え、彼女たちが生きていく力を身に付け、途上国の貧困が削減されることを目指す。角田さんが訳したのは、キャンペーンの主旨に賛同した7人の作家がそれぞれ異なる国を取材し、その体験を基に執筆した短編集「Because I am a Girl ―― わたしは女の子だから」。

角田さんの作品は、多くの女性の読者が主人公に自分を重ね合わせて、「自分でもこう行動するだろう」「こんな風に思うだろう」と共感しています。女性について描くことが多いのは、自然にそうなるのでしょうか。それとも、次はこのプロジェクトでいこうという風に決めるのですか。

女性に興味があります。今の日本で生きていると、やはり女性の方が大変だと思うし、立場としての変化が激しいので、描くのが面白いということもあります。女性ばかり描くと言われて反発して、男性を主人公にしたこともありますが、基本的にはやはり女性を描きたいという気持ちの方が強いです。

では最後に、今後のご予定をお聞かせいただけますか。

去年から始めたのですが、2018年までは3年掛けて「源氏物語」を現代語に訳しています。これは河出書房の日本文学全集の一環で、現代作家が古典を訳すシリーズのうちの一つです。2018年までは自分の小説は連載も入れず、こちらに集中する予定です。2019年には、新聞連載が決まっています。東京オリンピックが2020年なので、何かオリンピックに関連したものをと言われていますが、まだきちんとした構想は立てていません。

 

フォトコンテスト2016受賞者発表!

ニュースダイジェスト主催フォトコンテスト2016受賞者発表!

フォトコンテスト2016日常のふとした発見から、欧州ならではの伝統と歴史を切り取ったものまで、各自の解釈に基づく多くの力作が届いた、ニュースダイジェスト主催のフォトコンテスト2016、いよいよ受賞者の発表です。審査員によると今回は例年以上にレベルが高く、選考が非常に難しかったとのこと。では応募者の皆さんの思いがこもった作品を早速、見ていきましょう。

テーマ「海外生活の一コマ」

王冠 マチュア部門大賞

「見て!!」
クリチンスキ グジェゴジュさん英国

「夏。」カステルノー キミコさん

息子の2歳の誕生日に、家族で彼の大好きな蒸気機関車に乗りに行ったときに撮影しました。初めて聞く汽笛の音にワクワクしている表情がガラス越しに見えているところが、とても気に入っています。思い出に残る写真をこれからも撮っていけたらと思います。

審査員コメント

汽車の窓から外を見る男の子の本当に幸せそうな顔が窓に映っていますが、この表情が作品の主役ですね。喜びと期待に満ちた様子が見事に捉えられています。親御さんとしても誇れる一枚ではないでしょうか。 by Canon Europe

大賞 キッズ部門大賞

「負けた~」
加藤 仁菜さん(7歳)英国 

「負けた~」加藤 仁菜さん(7歳)

ロンドン日本人学校の運動会で、白組の私は勝ちました。負けてしまった、赤組のお兄ちゃんとお友だちは、芝生に寝転んで悔しがっていました。大賞に選ばれたと聞いてびっくりしたけれど、すごくうれしかったです。これからは自分のカメラで、お友だちや家族の面白い写真をたくさん撮りたいです。

審査員コメント

小さなフォトグラファーの視点で世界を見つめ直すのは新鮮ですね。疲れ切った少年たちのうちの一人の妹さんによって撮影されたという点に興味惹かれました。才能ある妹さんによって、非常に親密な瞬間が捉えられています。 by Canon Europe

大賞 マチュア部門特別賞

「お誕生日おめでとう!」
関根 祥二郎さんイギリス 

「「実感、夏の終り。」留岡忠雅さん

カメラ歴は50年程です。王室の公式行事には、英空軍アクロバット・チーム「レッド・アローズ」のフライパスがあるので、以前にも撮ったことがあります。エリザベス女王90歳誕生日の今回は、今までの失敗と経験が生かされ、タイミング良く撮れたと思います。

審査員コメント

この作品は要点を押さえ、構図もほぼ完ぺきです。あっという間に飛び去るレッド・アローズと、スマートフォンを構える観客の姿が絵になっており、煙とユニオン・ジャックの色彩も鮮やか。新聞の1面にも使えそうです。by Canon Europe

「ある雨の日の偶然」
高橋 志帆 さんイギリス

「ある雨の日の偶然」高橋 志帆 さん

イギリスに着いたばかりで知り合いも少なく、物思いにふけることが多かったときに撮った写真です。イギリスの街には建築も雰囲気も、雨の日だからこそ気付く美しさがあるように思い、その一瞬を写真にすることができました。今回 の入賞を自信につなげていきたいです。

審査員コメント

石畳の水たまりに映った風景を切り取るアングル、カメラ・ポジションが素晴らしい。人・建物・空の構図と、モノトーンの画像の中に建物の装飾の煉瓦色だけを写し込んだ色の構成が印象的です。by JSTV

「Union Jack and London Bus」
渡邉 一正 さん英国

「Union Jack and London Bus」渡邉 一正 さん

初応募初受賞でチョーうれしいです。もう宝酒造しか飲みません(笑)!ロンドンに駐在して約1年。あまりに街並みが美しいので一眼レフを購入して写真を始めました。夜ご飯を食べた帰り道に撮ったのが、ユニオン・ジャックに2階建てバスという、いかにもロンドン!な光景です。

審査員コメント

夜空の群青色とバスの赤色が国旗にぴったりとマッチして、ネオンのきらびやかさと対照的な落ち着きと重厚感を醸し出しています。バスから中段、上段に位置する国旗へと、逆三角形に広がっていくダイナミックな構図が絶妙です。by Takara Shuzo

「Happy Birthday!! エリザベス女王陛下」
牟田 彩乃 さん英国 

「Happy Birthday!! エリザベス女王陛下」牟田 彩乃 さん

競馬ロイヤル・アスコットの開会式で今年90歳を迎えられた女王陛下の乗る馬車が到着されたときの写真です。会場からハッピー・バースデーの合唱が湧き上がり、温かい空気に包まれました。絵のように美しいこの瞬間のすべてを残しておきたいと思いシャッターを切りました。

審査員コメント

新聞に使えそうな程、完璧な構図。手前の観客の配置も良いです。御者の制服や山高帽の客など伝統的なものと、現代的なスマートフォンの対比が面白く感じられます。ユニオン・ジャックも効いています。 by Baltic Trader

キッズ部門入賞

「おとうと」
塩田 愛菜さん(5歳)イギリス 

「おとうと」塩田 愛菜さん

弟の3歳のお誕生日プレゼントだったバランス・バイクを初めて外に下ろした日に撮りました。場所はフラットの共有ガーデン・スペースです。普段は旅行先で目に付いたものを写真に撮ってみたりしています。これから撮りたいものは、弟とその友達が楽しく遊んでいるところです。

審査員コメント

自転車に乗れたところではなく、奮闘しているところを撮ったというのがユニーク。少しだけ見えている保護者の方の足から、ちょっと離れて見守っている様子なども想像でき、物語性があります。 by Kanada-ya

キッズ部門入賞

「My Sisters」
ピラヤ 治美さん(9歳)英国 

「My Sisters」 ピラヤ 治美さん

賞をもらったことを、外から帰ってきたお母さんに教えたら「えっ!」と言って驚いたのが一番面白かったです。応募して良かった! と思いました。私と妹たちのrelationship を撮りました。撮るときに、バランス良くしないといけないと思ったら緊張したので、リラックスするように気を付けました。

審査員コメント

スコットランドに泊まっていたときに撮影したということですが、ギュッと手を繋いでいる2人の妹さんたちの様子から、真夏ではないちょっと寒そうな温度感が伝わってきます。空と砂浜のバランスも良いと思います。 by Kanada-ya

審査員総評

今年も素晴らしい作品が勢ぞろいし、大変審査の難しいコンテストでした。マチュア部門では、構図など技術的な面が洗練されていることに加え、写真の背景にあるストーリーを感じさせる作品が多く、見るものに訴える力を持つハイレベルな作品が集まりました。キッズの作品についても、大人とは異なるピュアな視点で世界を切り取っており、才能溢れる注目すべき作品が数多くありました。 by Canon Europe

受賞者と賞品

    大賞・特別賞

  • マチュア部門大賞 :「 見て!! 」 クリチンスキ グジェゴジュさん(英国)
    Canon Europe より
    デジタルSLR カメラ Canon EOS 750D レンズ:EF-S 18-55mm f/3.5-5.6 IS STM
  • キッズ部門大賞:「 負けた~」 加藤 仁菜さん(英国)
    Canon Europe より コンパクトデジタルカメラ Canon IXUS 175
  • マチュア部門特別賞 : お誕生日おめでとう! 」 関根 祥二郎さん(英国)
    Canon Europe より インクジェット・フォトプリンター Canon PIXMA MG6850
  • 英国マチュア部門入賞

  • 「ある雨の日の偶然」 高橋 志帆さん
    NHK Cosmomedia (Europe) Ltd. より JSTV無料視聴3カ月分
  • 「Union Jack and London Bus」 渡邉 一正さん
    宝酒造株式会社より 清酒・焼酎・みりんのセット 100ポンド相当
  • 「Happy Birthday!! エリザベス女王陛下」 牟田 彩乃さん
    Baltic Trader Ltd より ポーリッシュ・ポタリーのバウチャー 100ポンド相当
  • 英国キッズ部門

  • 「おとうと」 塩田 愛菜さん
    金田家ラーメン・バーより バウチャー 25ポンド相当
  • 「My Sisters」 ピラヤ 治美さん
    金田家ラーメン・バーより バウチャー 25ポンド相当

受賞作品は日本語テレビ局 JSTV で、2017年1月より順次放送予定

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次点作品

惜しくも受賞には及ばなかったものの、審査で高い評価を得ていた次点作品をご紹介します。

「 もう少し若ければ……」
英国マチュア「 もう少し若ければ……」

「 幸せな瞬間」
英国マチュア「 幸せな瞬間」

「夏のそりすべり」
英国キッズ 「夏のそりすべり」

「鳥の想い」
英国キッズ「鳥の想い」

 

【フランス】フォトコンテスト2016受賞者発表!

ニュースダイジェスト主催
フォトコンテスト2016受賞者発表!

フォトコンテスト2016日常のふとした発見から、欧州ならではの伝統と歴史を切り取ったものまで、各自の解釈に基づく多くの力作が届いた、ニュースダイジェスト主催のフォトコンテスト2016、いよいよ受賞者の発表です。審査員によると今回は例年以上にレベルが高く、選考が非常に難しかったとのこと。では応募者の皆さんの思いがこもった作品を早速、見ていきましょう。

テーマ「海外生活の一コマ」

王冠 マチュア部門大賞

「見て!!」
クリチンスキ グジェゴジュさん英国

「夏。」カステルノー キミコさん

息子の2歳の誕生日に、家族で彼の大好きな蒸気機関車に乗りに行ったときに撮影しました。初めて聞く汽笛の音にワクワクしている表情がガラス越しに見えているところが、とても気に入っています。思い出に残る写真をこれからも撮っていけたらと思います。

審査員コメント

汽車の窓から外を見る男の子の本当に幸せそうな顔が窓に映っていますが、この表情が作品の主役ですね。喜びと期待に満ちた様子が見事に捉えられています。親御さんとしても誇れる一枚ではないでしょうか。 by Canon Europe

大賞 キッズ部門大賞

「負けた~」
加藤 仁菜さん(7歳)英国 

「負けた~」加藤 仁菜さん(7歳)

ロンドン日本人学校の運動会で、白組の私は勝ちました。負けてしまった、赤組のお兄ちゃんとお友だちは、芝生に寝転んで悔しがっていました。大賞に選ばれたと聞いてびっくりしたけれど、すごくうれしかったです。これからは自分のカメラで、お友だちや家族の面白い写真をたくさん撮りたいです。

審査員コメント

小さなフォトグラファーの視点で世界を見つめ直すのは新鮮ですね。疲れ切った少年たちのうちの一人の妹さんによって撮影 されたという点に興味惹かれました。才能ある妹さんによって、非常に親密な瞬間が捉えられています。 by Canon Europe

大賞 マチュア部門特別賞

「お誕生日おめでとう!」
関根 祥二郎さんイギリス 

「「実感、夏の終り。」留岡忠雅さん

カメラ歴は50年程です。王室の公式行事には、英空軍アクロバット・チーム「レッド・アローズ」のフライパスがあるので、以前にも撮ったことがあります。エリザベス女王90歳誕生日の今回は、今までの失敗と経験が生かされ、タイミング良く撮れたと思います。

審査員コメント

この作品は要点を押さえ、構図もほぼ完ぺきです。あっという間に飛び去るレッド・アローズと、スマートフォンを構える観客の姿が絵になっており、煙とユニオン・ジャックの色彩も鮮やか。新聞の1面にも使えそうです。by Canon Europe

「真夏に咲く笑顔」
キドグチ タツヤさんフランス

「真夏に咲く笑顔」キドグチ タツヤさん

7月下旬、近所の公園でのひとコマです。噴き出す水に始めは恐る恐るの息子でしたが、慣れてきていたずらをするようになったときの様子です。息子の笑顔と妻の苦笑いが非常に印象的で、夏ならではの良い思い出になりました。

審査員コメント

画像の中から子供の歓声が聞こえてくるような躍動感がありますね。動画を観ているようです。ハイスピード撮影による水しぶきの広がりに包まれた母子の表情に、さわやかな夏の一瞬を感じさせてくれました。by JSTV

「築200年の家と猫」
木曽 綾子さんフランス

「築200年の家と猫」木曽 綾子さん

この写真は、彼の親戚のお宅にお邪魔したときに撮影したものです。郊外にある築200年の家と、のんびり気ままに過ごす猫がフランスの日常らしいなと思い応募しました。初めて応募したコンテストで入賞するとは思っていなかったので、驚いていますが光栄です。

審査員コメント

まず、猫の表情(あくび)にくぎ付けになりました。バックになる夕陽が反射し築200年と言う家の感じも暖かく写っていて、ほのぼのとした気持ちになれる作品ですね。 by Fromagerie Hisada

キッズ部門入賞

「パパ撮るよー!」
池田 小桜さん(3歳)フランス 

「パパ撮るよー!」池田 小桜さん

プロヴァンス地方の小さな村々を車で巡っていたとき、お外でお弁当を食べたあと、車に向かったパパの後ろを追いかけて、「パパ、撮るよー!」と言ったらパパが急いでポーズを取ったのが面白かったです。ブレないようにギュッとカメラを持ってボタンを押しました。賞をもらえてうれしいです。いつもパパとママの写真を撮ってあげているので、今度はパパとママ2人の写真で賞をもらいたいです。

審査員コメント

車もお父さんもしっかり大きく画面に入っている上、余計な空間もなくインパクトがあり、撮影者が3歳というお歳を考えると驚きです。急いでポーズを取ったお父さんの自然な表情も良いですね。 by Paris Miki

キッズ部門入賞

「おもちゃの街に行ったら……」
菊池 ゆりさん(10歳)フランス 

「おもちゃの街に行ったら……」菊池 ゆりさん

賞を取れてとてもうれしいです。賞をもらえたと知ったとき、これは夢なんじゃないかと思いました。この写真は、夏休みにベネツィアのブラーノ島に家族で行ったときに撮りました。そこが載っている記事を読んで、どうしても行きたくなったからです。私がこの写真で好きなところは、橋の上から撮ったので、人がカラフルなおもちゃの街に住んでいるお人形のように小さく見えるところです。普段は家族の写真を撮るのが好きで、これからはカメラのいろいろな機能を使いこなしてみたいです。

審査員コメント

建物の色はもちろんですが、青い空もはっきり美しく撮れています。この写真を見て、今度ブラーノ島へ行ってみようと思う人がいるかもしれませんね。運河の先はどうなっているのか見たくなります。 by Paris Miki

審査員総評

今年も素晴らしい作品が勢ぞろいし、大変審査の難しいコンテストでした。マチュア部門では、構図など技術的な面が洗練されていることに加え、写真の背景にあるストーリーを感じさせる作品が多く、見るものに訴える力を持つハイレベルな作品が集まりました。キッズの作品についても、大人とは異なるピュアな視点で世界を切り取っており、才能溢れる注目すべき作品が数多くありました。 by Canon Europe

受賞者と賞品

    大賞・特別賞

  • マチュア部門大賞 :「 見て!! 」 クリチンスキ グジェゴジュ さん(英国)
    Canon Europe より
    デジタルSLR カメラ Canon EOS 750D レンズ:EF-S 18-55mm f/3.5-5.6 IS STM
  • キッズ部門大賞:「 負けた~」 加藤 仁菜 さん(英国)
    Canon Europe より コンパクトデジタルカメラ Canon IXUS 175
  • マチュア部門特別賞 : お誕生日おめでとう! 」 関根 祥二郎 さん(英国)
    Canon Europe より インクジェット・フォトプリンター Canon PIXMA MG6850
  • フランスマチュア部門入賞

  • 「真夏に咲く笑顔」キドグチ タツヤ さん
    NHK Cosmomedia (Europe) Ltd. より JSTV無料視聴2カ月分
  • 「築200年の家と猫!」木曽 綾子 さん
    Fromagerie Hisadaより チーズの食べ放題ご招待券1組2名様(70ユーロ相当)
  • フランスキッズ部門入賞

  • 「パパ撮るよー!」 池田 小桜(こはる)さん
    Paris Miki より 子ども用レイバンのサングラス(80ユーロ相当)
  • 「 おもちゃの街に行ったら……」 菊池 ゆり さん
    Paris Miki より 子ども用レイバンのサングラス(80ユーロ相当)

受賞作品は日本語テレビ局 JSTV で、2017年1月より順次放送予定

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ヨーロッパのクリスマスの伝統と今 - 英国とドイツのクリスマスを比較

英国・ドイツで過ごす聖なる季節 - 欧州のクリスマスの伝統と今

キリスト教が生活に根付く欧州で、イエスの生誕を祝うクリスマスは1年の中でも特別なイベント。 シーズン目前の今号では、英国とドイツの過ごし方を徹底比較!その祝い方は国や地域によってさまざまだが、クリスマスにまつわる伝統文化や風習からは一様に、身近な人の幸せと平和を願う市民の顔が見えてくる・・・・・・。 (ニュースダイジェスト編集部)

クリスマス英国とドイツを徹底比較
クリスマスの過ごし方

クリスマスのスケジュール

UKクリスマス商戦開始のゴングが鳴り響き……

11月上旬には早くもクリスマス商戦が開始。日を追うごとに街は賑やか、華やかになっていく。学校が休みになると、ロンドンの劇場街ウェスト・エンドで子ども向けのミュージカルや、クリスマスならではの大衆演劇パントマイムなどが増える。12月24日、クリスマス・イブは翌日の用意のためスーパーで買い物をする人の長い行列ができ、プレゼントの用意をしていなかった人が最後のショッピングに走る日。また、パブやレストラン、クラブなどで友人同士で過ごすことも。25日、クリスマス当日。あらゆる公共交通網がストップし、動いているのは特別料金のタクシーのみ。基本的にほぼ全てのショップやデパート、美術館などが閉まってしまう。人々は家族や親戚などと腰を据えて飲み食いし、午後3時ごろにテレビで放映されるエリザベス女王(2023年からチャールズ国王が行う予定)のクリスマスのスピーチを観たり、プレゼント交換をしたりと、地味で家庭的なクリスマスを過ごす人が多い。明けて26日はボクシング・デー(祝日)。元々は、クリスマスに忙しく働いた使用人たちをねぎらうための休日だった。教会が貧しい人たちのために寄付を募ったクリスマス・プレゼントの箱(box)を開ける日であったことからBoxing Dayと呼ばれるのだそう。現在ではバーゲン・セールの初日としても知られ、ハロッズなど有名デパートの前には朝から行列ができる。

ロンドンのクリスマス

UK4週間かけてクリスマス・ムードを盛り上げる

クリスマスの4週前の日曜の朝、4本のろうそくを飾り付けたアドヴェンツ・クランツ(リース)の1本目に火を点けて、クリスマスへのカウント・ダウンが本格的にスタートする。12月1日~24日まで、毎日1つずつ小さなプレゼントをもらえるアドヴェント・カレンダーも欠かせないアイテムだ。ドイツでは、「アドヴェント(降待節)」の1カ月こそが、クリスマスの醍醐味。そして、日本からの観光客の期待を裏切るように12月24日の午後から26日までのクリスマス本番は、街中が静まり返る。交通機関は間引き運行、一部地域では運休。店のシャッターは固く閉ざされ、クリスマス・マーケットも終わっているところがほとんど。皆、家族や大切な人たちと、温かい部屋の中で特別な時間を過ごしている。12月24日は、朝から教会を訪れたり、夕方から始まるプレゼント交換や食事を楽しむ「Bescherung(贈り物)」の時間の準備をする。意外にも、家庭用のクリスマス・ツリーの飾り付けもこの日に行うことが多い。25日の朝食も大切な家族の行事。レストランやホテルを予約する家庭もある。24、25、26日は、日本の三が日のような感覚で、親戚へあいさつへ行ったり、家でゆっくり過ごす。クリスマスには欠かせないクラシック音楽と言えば、バッハの「クリスマス・オラトリオ(BWV248)」。

ドイツのクリスマス

クリスマスの食事

英国TVで女王陛下のメッセージを聴きながらいただく

家族そろってのクリスマス・ディナーは、英国では25日の午後以降。それぞれの席にはクリスマス・クラッカーが置かれ、隣人と引っ張り合って、中から出てきた紙の王冠を被って食事をするのがお約束だ。テーブルに載るのは、メインがローストしたターキーかガチョウ。クリスマスにターキーを食べることが定着したのは17世紀ごろで、それ以前の中世の英国ではクマや白鳥などを食していたのだとか! ロースト・ターキーとその詰め物(スタッフィング)には赤いクランベリー・ソースか白いブレッド・ソースをかけるのが定番。ローストしたポテトやパースニップ、スェードなどの根菜類、色が変わるまでクタクタに茹でた芽キャベツが付け合わせに並ぶ。デザートはクリスマス・プディングやミンス・パイなどのドライ・フルーツを使ったリッチな菓子が伝統で、明かりを消した部屋に、ブランデーをかけ火を付けたプディングが運ばれるころにはパーティーも最高潮。切り分けたものにブランデー・バターやラム・バターをかけていただく。また、プディングを作る際にコインを1枚入れておき、食べていてそれが出てきた人には幸運が訪れるとも。シェリー酒、モルド・ワイン、シャンパンなどを手にしながらエリザベス女王のクリスマス・メッセージを聴いて、ハッピー・クリスマス! 2022年に女王が亡くなったため、この伝統はチャールズ国王になっても引き継がれる予定だ。

イギリスのクリスマス:女王のメッセージ、ローストターキー、クリスマス・プディング

ドイツ肉とシュトレンとグリュー・ワインと

クリスマスのメイン・イベントとなる12月24日のディナーのメイン・ディッシュは、ガチョウや鴨のロースト、いつもよりもご馳走感のある牛肉料理が人気で、北部ではコイ料理(カルプフェン・ブラウ)が定番という地域もある。「ソーセージとジャガイモ・サラダ」と、いつものメニューでクリスマスを祝う家庭も。アドヴェント期間中は、焼き菓子もいっぱい。家庭で作るクッキー「プレッツヒェン」、香辛料の効いた「レープクーヘン」やジンジャー・ビスケットの「シュペクラティウス」、三日月型の口溶けなめらかなアーモンドのビスケット「バニラキプフェル」など、家庭でも職場でも、常時、焼き菓子やチョコレートに手を伸ばせるような「ヴァイナハツ・テラー」で来客をおもてなし。ドイツのクリスマス・ケーキ「シュトレン」は、ドライ・フルーツとマジパンたっぷりのどっしりとした焼き菓子。薄くスライスして、クリスマスまで少しずつ食べ進めるのだが、だんだんと味がなじんでいくのが分かる。クリスマスの代表的な飲み物はあつあつの「グリュー・ワイン」。凍てつくような寒さがこたえる夜のマーケット探索で身体を温めるには、これが一番。温かいアイヤープンシュ(エッグノック)も、お試しあれ。カップはデポジット制だが、屋台や街ごとにデザインが違うので、いろいろ集めるのも楽しい。

ドイツのクリスマス

クリスマス・プレゼント

英国寝る前に靴下を吊るして

英国ではファーザー・クリスマスと呼ばれているサンタクロース。子どもたちはクリスマス・イブに大きな靴下(英語ではクリスマス・ストッキング)を吊るし、サンタとトナカイがやって来てくれるのをワクワクして待ちながらベッドに入る。靴下の横にはサンタ用にミンス・パイやシェリー酒、トナカイのためにはニンジンを用意するが、子どもが寝た後、「サンタ」がこっそりそのミンス・パイを一口だけ食べたり、ニンジンをかじったりする。朝起きた子どもは、一目散にプレゼントへ。彼らにとっては、この瞬間こそがクリスマス! だろう。その一方で、家族や親戚、恋人など大人同士のクリスマス・プレゼント交換は、商業主義が幅を利かせており、義理でプレゼントをそろえることもしばしば。総じて毎年のプレゼント選びに頭を悩ませる人が多い。また、カラフルな包装紙があちこちで売られ、自力でプレゼントを包むのが基本。そのため、時々セロテープだらけの工作のようなプレゼントに遭遇することもあるのは、ご愛嬌だ。サイズの合わない服や気に入らないプレゼントをもらった人のために、返品サービスを行う店もあるなど、夢のない合理性がみられるのはちょっと残念。一方で、ホームレスの人々のために、ボランティアによってクリスマス・ランチが供されるなどの、チャリティー活動も静かに行われている。

英国のクリスマス

ドイツプレゼントをもらうチャンスが2度来る!

12月に入ると毎日、アドヴェント・カレンダーで小さな贈り物を楽しむドイツだが、12月のプレゼント攻勢はそれだけに留まらない。12月6日は、紀元270年ごろ、貧しい者たちに施しを与えたとされる聖人ニコラウスの日。サンタクロースのモデルとなった人物とも言われており、子どもたちはこの日、靴下を下げてニコラウスからのプレゼントを待っている。一部地域では、クネヒト・ループレヒトという強面の従者も、ニコラウスと一緒に子どもたちの前に現れ、良い子にはプレゼントを、悪い子にはクネヒト・ループレヒトからのお仕置きがあるという、日本の「なまはげ」的な演出も。そして、24日の夜には、クリストキント(幼児キリスト)というクリスマスの天使からプレゼントが贈られる。24日に来るのが、クリストキントだったり、ヴァイナハツマン(いわゆるサンタクロース)だったり、地域や家庭によって違いがあるのもドイツの特色だろう。質素な倹約家というイメージのあるドイツ人だが、この時期は財布のひもがゆるくなる。ドイツ小売業連盟(HDE)は、今年の1人当たりのプレゼントの予算は昨年から40ユーロアップし、500ユーロになると予想している。大切な人へプレゼントを準備するのは、楽しみでもあり、プレッシャーでもあるようで、近年はデパートや通販の商品券の人気も高まっている。

ドイツのクリスマス

クリスマスの風景

英国クリスマス・ツリーの露店が街角に現れる

クリスマス・イルミネーションが街を飾るころ、街角ではクリスマス・ツリーにする生のモミの木が売られ始める。手ごろなサイズのものを買い求め、時に2人掛かりでモミの木を担いで帰る人々は心なしか皆にこやか。ツリーの飾り方に特に決まりはないようで、デパートなどで売られるオーナメントを付ける家庭、ライトだけの家庭と様々。玄関ドアには赤いリボンを付けたヒイラギのリースを打ちつける。白っぽい実の付いたヤドリギ(ミスルトゥ)の枝を室内に逆さに吊るすのは、ケルトのドルイド信仰からきており、元々は魔除けだったそう。だがどう変化したのか、「ヤドリギの下に立つ女性は男性からのキスを拒めない」など、ロマンティックな習慣となって、別名クリスマス・キッシング・ボールとも呼ばれている。また、ロンドン中心部のトラファルガー・スクエアには巨大なツリーが飾られるが、そのモミの木は毎年ノルウェーからやって来る。これは第二次世界大戦時に英国がノルウェー軍を援護したお礼に送られたのが最初だと言う。ツリーは十二夜に当たる1月6日の公現祭の夜直前まで飾られる。これを過ぎて飾るのは不運を呼ぶとされ、クリスマスが過ぎたら早々に始末してしまう家庭も。道端に無造作にうち捨てられたツリーは物悲しさを誘うが、これもまたこの時期の見慣れた風景の一つであることには違いない。

トラファルガー・スクエアのもみの木とミスルトゥ(ヤドリギ)

ドイツドイツ全土が大小のクリスマス・マーケットで彩られる

ドイツのクリスマスの風景は、クリスマス・マーケットなしには語れない。大都市のマーケットだけでも2500以上を数え、自治体の大小を問わずドイツ全土にマーケットが立っている。一番有名なニュルンベルクの「クリストキンドレスマルクト」は、毎年200万を越える訪問者を数えるほどの人気だ。ドイツの冬を明るくロマンティックに彩るマーケットは、長い冬を越すために必要不可欠な市民の心の支えでもある。マーケットや教会には、キリスト生誕の馬小屋を人形で再現した「クリッぺ」も出現する。家庭用のミニチュア・サイズのものもあり、ジオラマのような本格的な装飾をほどこす人も。くるみ割り人形やスモーク人形、クリスマス・ピラミッドなど、木製のクリスマス用装飾品は職人の手仕事が光る品質の良さから、国内外で根強い人気を誇る。また、クリスマス・ツリー発祥の地と言われるドイツではこの時期、約3000万本のツリー(生の木)が出荷される。伝統的なオーナメントは、りんご。そしてりんごを模したガラスや陶器で出来た球体(クーゲル)。ツリーは1月6日の公現祭までリビングや庭に飾られる。その後は、英国と同様、道端に放置され、ごみ収集業者が回収。2階より上の階の住人がツリーをバルコニーや窓から投げ捨てるのも許されているとのこと。頭上注意!

クリスマス・マーケット、クリッペ、くるみ割り人形

クリスマス休戦の奇跡「1914年12月25日」
Christmas Truce / Weihnachtsfrieden

クリスマスは奇跡を起こす時間。誰もが幸福と平和を想い、「クリスマス・キャロル」のスクルージが最後に心を入れ替えたように、隣人にとって少しでも良い人間でありたいと願う。それは、絶望の中で迎えた1914年のクリスマスでも同じだった。

1914年7月に勃発した第一次世界大戦は、短期決戦を想定していたドイツの目論見が外れ、また、「クリスマスは故郷で過ごせるだろう」という兵士たちの願いむなしく、フランス・英国との西部戦線、ロシアとの東部戦線ともに泥沼の持久戦に突入していた。

12月24日、西部戦線。塹壕(ざんごう)の中で夜を明かそうとしていた英国兵は、ドイツ語で歌われる「きよしこの夜」を耳にする。戦場で声を発することは、敵に自分の居場所を知らせる危険な行為。すぐに攻撃を受けることになりかねないが、このときは違った。銃弾のかわりに、英語で歌う声がドイツ兵に届いたのだ。戦争に疲れきっていた両軍の兵士は、武器を置き、顔を出す。お互いの距離を縮め、ついには一時的な休戦が実現したのだ。

とても奇妙なクリスマスだった。数時間前まで互いの命を奪い合う激戦を繰り広げていた者たちが、一緒にクリスマス・ツリーを飾り、戦友の遺体を共同で埋葬。さらには、友人に語るように自分の妻や恋人を自慢し合い、たばこの火を交わし、プレゼント交換まで始めた。ドイツ兵と英国兵によるサッカーの試合が行われた記録もある。

「クリスマス休戦」は、西部戦線の各地に広がり、一部では数日間の休戦が実現した。世界に向けて休戦を提案した人物は、当時のローマ教皇ベネディクトゥス15世。ドイツ軍はこの提案を承諾し、戦場で決死の覚悟で敵兵に呼び掛けたのだった。

当時の写真が残っている。そこには、違う軍服を着た、同じ人間が並んでいる。

その後、4回のクリスマスを戦下で迎えたが、二度と奇跡は起こらなかった。犠牲者1500万人とも推定される第一次世界大戦は、1919年にベルサイユ条約が締結され、ようやく終結。世界は、その未曾有の被害を前に不戦の誓いを立てたが、それが守られなかったことを、私たちは知っている。

クリスマス休戦

 

劇作家 / 演出家 永井 愛さん インタビュー

劇作家 / 演出家
永井 愛さん インタビュー

永井 愛さん日本のとある都立高校の音楽講師が、卒業式で「君が代」斉唱推進派と反対派の対立に巻き込まれる騒動を描いた芝居「歌わせたい男たち」のリーディング(朗読)公演が10月12日、ここロンドンで、日本人を始めとするアジア系の俳優たちによって英語で行われた。なぜこのような内容の作品が、英国で、英語で上演されたのか。上演に合わせて来英された作・演出の永井愛さんに、話を伺った。

Profile


ながい あい:東京都出身。桐朋学園大学短期大学部演劇専攻科卒。1981年に大石静と「二兎社」を結成。2人で同劇団の脚本、演出、出演をこなす。1991年の大石退団後、二兎社は演劇ユニットとして永井の作・演出作品を手掛けるようになる。1999年には「兄帰る」で日本の劇作家にとっては最も栄誉ある賞とされる岸田國士戯曲賞を受賞。「君が代」斉唱という社会問題に真正面から取り組み、ブラック・ユーモアとともに描き出した2005年「歌わせたい男たち」は、第13回読売演劇大賞最優秀作品賞 / 女優賞、及び優秀演出家賞を含む多数の演劇賞を獲得した。

今回リーディング公演された「歌わせたい男たち(英題: Got to Make Them Sing!)」は、「君が代」斉唱をめぐる都立高校内の騒動を描いた作品ですが、どのようなきっかけでこのようなストーリーを書こうと思われたのでしょうか。英国での上演が前提にあったと伺いましたが、なぜ海外公演でこのようなテーマを?

2004年の春、公立学校の式典で「君が代」の斉唱や伴奏を拒否したために、先生方が大量に処分されたという新聞記事を読んだことがきっかけでした。民主主義の世の中でこんなことが起きるのかと驚愕しました。処分された「250名」の数字の背後にある人間ドラマをどうしても知りたくなって書こうと思ったのです。  

もともとは、英国ブッシュ・シアターの当時の芸術監督から新作を依頼され、「日本で起きている問題なら、(国が変わっても)人類の普遍的な問題であることに変わりはないので、自由に書いていい」と言われました。これは非常に日本的な問題なのだけれども、「ローカルはかえってグローバルである」ということもあるのかなと思って。海外公演優先というよりは、日本語の公演を想定して書いています。

その後、「この芝居をロンドン市民に理解させることは不可能」という芸術監督の判断で、当時はロンドンでの上演には至りませんでした。今回、リーディング上演が実現したのにはどのような経緯があったのでしょうか。

まず、日本劇作家協会が海外に日本の戯曲を紹介するために発行した「ENGEKI」という雑誌に、マリ・ボイドさんがこの作品を選んで英訳してくださったこと、その英訳をイエロー・アース・シアター*1の芸術監督、クミコ・メンデルさんが読み、今回のリーディングで取り上げたいと推薦してくださったという幸運な流れがありました。さらに、この企画に大きく関わっていた白坂恵都子さん、演出のキム・ピアースさん、主演の森尚子さんなど、女性たちの連携プレーと、ストーンクラブズ・シアター*2、イエロー・アース、国際交流基金にご尽力いただけたことが大きかったと思います。

*1 イエロー・アース・シアター: Yellow Earth Theatre。英国に在住する東アジア系俳優の役柄の多様化を目指すカンパニー
*2 ストーンクラブズ・シアター: StoneCrabs Theatre。世界の演劇作品を紹介することを目的とする、ロンドン南東部ルイシャム拠点のカンパニー

歌わせたい男たち2005年、東京のベニサン・ピットで初演された「歌わせたい男たち」

今回の公演は英国在住の翻訳者、演出家が手掛けられました。また、英語上演でアジア系の俳優たちによって演じられるという形態でしたが、永井さんはどの程度、制作プロセスに関わられたのでしょうか。

私は制作プロセスには全く関わっていません。「こういう企画がありますが、どうですか?」と言われたので、「喜んで!」とお返事しました。キャスティングにも関わっておらず、滞在中は慌ただしくて、アジア系の俳優を選んだ理由を詳しく聞くことはできませんでした。

ロンドンでの上演ということで、戯曲の内容や演出などで大きな変更点などはありましたか。数人の登場人物が話す名古屋弁を英語公演でもあえて織り交ぜていましたが、それはなぜでしょう。

戯曲の内容を変えることは全くありませんでしたが、翻訳をアメリカ的な英語からイギリス的な英語に変えるということで、「台詞をマッサージする」という面白い言い方をして、演出家と主演俳優の森尚子さんがイギリス的な話し言葉になるように直されたと聞きました。名古屋弁をあえて残すのも(名古屋出身の)森さんから出された提案で、私は名古屋弁が英語にできるとは思わなかったので、面白いなと。グッド・アイディアでした。

日本人以外の観客も大勢いましたが、作品の意図は伝わったと思われますか。

私がアフター・トークで(参加者の感想を)聞いた際には、よく理解してくださったと思いました。日本で上演したときと同じところで笑いが起きたので、ホッとしましたね。

日本と英国で、観客の反応に大きな違いはありましたか。

観客は大体、同じところで笑っていましたけれど、細かい部分、まだ言葉がよくこなれていなくて、伝わらなかったのかな、という部分はありますね。もうちょっと稽古を積めば、もっと面白くなったかなと感じたところはありました。

日本で初演した際には、(「君が代」斉唱を訴える)校長先生の演説の場面で客席からずいぶん笑いが起こりましたが、再演では笑いが少なくなったのです。校長の演説が作者の言いたいことだと誤解した人がいましたので、ちょっと心配になりました。ロンドンの人たちはそのような誤解はなかったようですが、笑い声はあまり聞こえず、ここをブラック・ユーモアと受け止めていただけたのかどうかはよく分かりません。

今回はリーディング公演という形になりましたが、近い将来、ぜひ通常の公演の形でも拝見することができればと思いました。

私もぜひ公演できたらと望んでいます。実現した場合は、ディスカッションを重ねて、よりロンドンの観客に通じる言葉を探っていくのが翻訳公演の場合には非常に大事なことだと思いました。もし機会があったらアジア系以外の俳優にも出演してもらえたらうれしいです。

英国における昨今の演劇事情についてはどのようにお考えですか。最近は日本でも映画館で英国の演劇作品の映像を鑑賞することができるようにもなりました。

私は英語が苦手なのですが、日本でもナショナル・シアター・ライヴを通して日本語字幕付きで英国の演劇作品を観ることができるので楽しんでいます。「The Curious Incident of the Dog in the Night-Time(夜中に犬に起こった奇妙な事件)」も先に字幕付きで観ていて、衝撃的でした。デービッド・ヘア作の「Skylight(スカイライト)」も良かったです。

翻訳もたくさんされているので、日本語で観られるイギリス演劇は多いと思います。イギリス演劇は、シンプルでありながら多彩な仕掛けが施されているなど、舞台機構も優れていますし、身体性のあるステージングでも、その中心には会話劇としての面白さがあり、言葉を大切にする国としての伝統を感じます。ブロードウェイのお芝居ほど派手ではないのもいいですね。大人っぽい感じがしますし、幅広い年齢層の人たちが観に来ていて、日本と比べて演劇文化を人々が豊かに享受していることが客席からも感じられました。

 

演出家・蜷川幸雄が英国演劇にもたらしたもの

専属通訳を務めたジャーナリストが語る
演出家・蜷川幸雄が
英国演劇にもたらしたもの

舞台演出家の蜷川幸雄が今年の5月12日、永眠した。自身が芸術監督を務める彩の国さいたま芸術劇場でシェイクスピア全37作品の上演を行う「彩の国シェイクスピア・シリーズ」を手掛ける一方で、井上ひさしや村上春樹など様々な日本人作家 / 劇作家の作品も積極的に取り上げてきた蜷川は、演劇大国である英国でも多くのファンを魅了し続けてきた。蜷川幸雄が英国の演劇界に遺したものとは何なのか。長年にわたり専属通訳として蜷川の英国上演作品に携わってきたロンドン在住のジャーナリスト秋島百合子さんに、英国における蜷川幸雄について語ってもらった。
(取材・文: 本誌編集部 村上 祥子)

参考文献: 秋島百合子「蜷川幸雄とシェークスピア」(角川書店)

蜷川幸雄(写真右)と通訳を務める秋島百合子さん
1991年、「タンゴ・冬の終わりに」の制作現場にて。蜷川幸雄(写真右)と
通訳を務める秋島百合子さん(同左) / 秋島百合子さん提供

蜷川幸雄蜷川幸雄(にながわ・ゆきお)略歴
1935年埼玉県生まれ。2016年5月12日死去。(財)埼玉県芸術文化振興財団芸術監督、Bunkamura シアターコクーン芸術監督などを兼任。1983年「王女メディア」のイタリア・ギリシャ公演以降、ヨーロッパ、米国など世界各国で数多くの作品を上演しており、英国では85年「NINAGAWA マクベス」以来、数多くの作品を発表。シェイクスピア作品のみならず、寺山修司作「身毒丸」や村上春樹原作「海辺のカフカ」など、日本の作家 / 劇作家の作品も演出し、日本国内外で高い評価を受けた。英国では87年に英国の演劇賞ローレンス・オリビエ賞演出家部門ノミネート(「NINAGAWA マクベス」及び「王女メディア」にて)。2002年、大英帝国勲章(CBE)の叙勲を受ける。
秋島百合子秋島百合子(あきしま・ゆりこ)略歴
1950年生まれ。青山学院大学文学部英米文学科卒。米経済紙「ウォール・ストリート・ジャーナル」東京支局勤務後に来英、75年から78年まで、BBC で日本語放送に携わる。その後はジャーナリストとして活躍。1985 年には「この世はすべて舞台」で第1回ノンフィクション朝日ジャーナル大賞優秀賞を受賞。「蜷川幸雄とシェークスピア」(角川書店)ほか著書多数。

物語と現実をつなぐ枠組み

今年の5月、英国のメディアに一人の日本人演出家の死を取り上げる記事が踊った。「ガーディアン」紙の大物劇評家、マイケル・ビリントンは「驚くべき視覚的華麗さと、東洋と西洋を融合させる力を備えた作品を手掛けた偉大な日本人演出家」と評し、その業績を称えた。1985年、スコットランドのエディンバラで「NINAGAWA マクベス」を上演。以来、昨年2015年に藤原竜也主演「ハムレット」と村上春樹原作「海辺のカフカ」をロンドンのバービカン劇場で連続上演するまで、ほぼ毎年英国で公演を行い、追っかけと自認する英国人ファンもいた蜷川幸雄は、ここ英国の演劇界でも大きな存在感を放っていた。

1985年、鮮やかに舞い散る桜の禍々しいまでの美しさがエディンバラの観客の心をわしづかみにした「NINAGAWA マクベス」、その観客席に秋島さんはいた。英語に堪能で、過去にはBBC の日本語放送を担当していた秋島さん。当時、友人が蜷川の演出補で、日本では舞台関係の通訳や制作の仕事を時折手伝っていたこともあり、次の英国公演である1986年の「王女メディア」から制作現場やプレスのインタビューなどで通訳を担当する現地スタッフとして英国における蜷川作品に携わるようになった。

蜷川が手掛けたシェイクスピアと言うと、舞台上に巨大な仏壇を設け、その中で武士の衣装に身を包んだ登場人物たちが物語を展開する先述の「NINAGAWAマクベス」を始め、佐渡の能舞台や京都・龍安寺の石庭を舞台とするなど日本的な視覚的要素が強調された作品が複数みられる。一部からは海外向けの「ジャポネスク」であると言われたこうした演出はしかし、決してそのような意図に基づいたものではなかったと秋島さんは語る。「あのような演出は、むしろ日本人にとって分かりやすくするためのものでした。当時は海外へ持って行こうという話もなかったのですから。元々アングラ*1 出身で、日本人が西洋人の格好をしてシェイクスピアを演じることは『格好悪い』と考えていた蜷川さんが、ではどうしたらいいかという観点から生み出したのが『枠』を付けることだったのです」。ここで言う「枠」というのは、芝居の本編が始まる前に、これから日本人の役者たちがシェイクスピア劇を演じます、と芝居の中で「宣言」することで、初期の「NINAGAWAマクベス」から昨年の「ハムレット」まで、蜷川はいくつかの作品で採用している。それはこうすれば「短い足で白いタイツを履いた日本人がシェイクスピアを演じてもリアルなんじゃないか」という、日本人がシェイクスピア劇を演じるジレンマを解消する一つの方法だったというわけだ。

*1 アングラ(演劇): ヨーロッパの近代演劇を手本とした新劇に対抗する形で1960~70代に興隆した演劇のスタイル

こうして実際の芝居と現実の間にワンクッションを置く枠付けは、日本人が西洋劇を演じるための入り口としてのみ使われたわけではなかった。例えば、イラク戦争勃発直後の2003年にナショナル・シアター(NT)の大劇場オリビエで上演された「ペリクリーズ」では、現代の戦場と思しき荒地に心身に傷を負った旅役者たちが集まって「ペリクリーズ」を演じるという枠を設定した。これは特にイラク戦争を念頭に置いた演出ではなかったそうだが、離ればなれになった家族があり得ない偶然の積み重なりで再び相まみえるという幻想(ファンタジー)と、厳しい現実をつなげる架け橋の役割を果たした。

1999年の「リア王」のリハーサル風景
1999年の「リア王」のリハーサル風景。ナイジェル・ホーソーン演じるリア(写真右から2人目)と、道化役の真田広之(同右端)

数十年後に下された 「評価」

これまで蜷川は、20を優に超える英国公演を行っているが、その大多数は日本で制作されたプロダクションだ。だが中には英国の役者を使い、英国制作もしくは日本と英国で共同制作されたケースもある。1991年に上演された清水邦夫作「タンゴ・冬の終わりに」では、人気と実力を兼ね備えた英国人俳優の故アラン・リックマンを迎え、エディンバラに加え英国随一の劇場街ウェスト・エンドで長期公演を敢行。1994年の「ペール・ギュント」は英国人キャストの中に蜷川作品常連の壌晴彦(じょうはるひこ)が加わるという構成だった。そして驚くべき制作過程を経て生まれたのが、シェイクスピア演劇の本丸とも言えるロイヤル・シェイクスピア・カンパニー(RSC)との共同プロジェクトである1999年の「リア王」である。出演者は一人を除き英国人、制作チームは日本という混合編成。稽古は出演者を日本に数週間滞在させて行い、日本公演の後にバービカン劇場、そしてRSC の本拠地であるストラトフォード=アポン=エイボンのロイヤル・シェイクスピア劇場でも上演するという、壮大なスケールだった。制作現場ではさぞや多くの紆余曲折があったことと思われるが、まずは唯一の日本人キャスト、真田広之が出演に至った経緯を秋島さんに聞いてみた。

「『リア王』における道化の役というのは異質な存在でしたから、始めから蜷川さんは日本人俳優にしようと思っていました。真田さんの名前を出したのは、(リアを演じる)ナイジェル・ホーソーン*2。その前年に真田さんが『ハムレット』を演じていたのを観て、『僕のフール(道化)には彼がいい』と言ったのです。それで蜷川さんとセルマ・ホルト(プロデューサー)、私の3人で真田さんのところに行って話したら、『えっ……僕……!?』って(笑)。最終的に彼に決まって、真田さんは演劇専門の発声 / 発音のベテラン・トレーナーについて発音などを猛特訓。元々、英語を話すのは上手だったけれど、演じるのはまた別でしょう? アメリカでも色々活躍されていますが、あれだけ訓練したことが役に立っているのではないでしょうか」。

*2 ナイジェル・ホーソーン: BBC ドラマ・シリーズ「Yes Minister」で人気を博し、映画、舞台で活躍。ローレンス・オリビエ賞、トニー賞の受賞経験もある実力派俳優

鳴り物入りで開幕した「リア王」だったが、当初、英国における劇評家の評価は、決して高いものとは言えなかった。「ナイジェル・ホーソーンの俳優としての資質がリアとしては優しすぎる、と。リア王と言えば、獰猛な専制君主というイメージがありますから。ナイジェルなんて打ちひしがれてしまって大変でした」。では、この蜷川版「リア王」は英国では受け入れられなかったのか。まず、観客の反応は劇評とは対照的に翌日も満席、キャンセル待ちの行列ができたほどだった。そして劇評も、先に出る日刊紙こそ厳しいものが多かったが、その後は日曜紙などで絶賛する評も出て持ち直したのだと秋島さんは言う。そしてもう一つ。「ナイジェルが蜷川さんにね、老人の病気を専門にするお医者様から手紙をたくさんもらったんですよと言いに来たんです。老人の頑固さや獰猛さといった点だけでなく、混乱し錯乱する部分まで良く出ていて良かったって」。この話を聞いて思い出したことがある。英国演劇界にあってシェイクスピア俳優の名をほしいままにする名優サイモン・ラッセル・ビールが2年前にタイトル・ロールを演じ称賛されたNTの「リア王」。この中でラッセル・ビールは、手を小刻みに震わせて激高し、哀れさを伴う混沌を纏う老齢の王を演じ、まさに認知症の要素を押し出したのである。すると間髪入れず、秋島さんもこのラッセル・ビールのリア王について言及した。

「サイモン・ラッセル・ビールも、認知症を研究してああいう役柄をつくり上げたのですよね。今でこそ『ディメンシア(認知症)』と言われるけれど、シェイクスピア の時代にはそういった言葉はなかった。けれども実際にそうした人たちは大勢いたわけで、それを取り上げたシェイクスピアはすごい、それも一つの解釈だ、と最近になって医学の専門家からの説も出たと言います。だからある意味、蜷川さんは時代を先取りしていたとも考えられる。今、蜷川さんがあの舞台を上演していたら、また評価も違っていたのではないかと思うんですよ。でも芸術とは時代、時代で受け取られ方が変わってくる。そういうものですからね」。

2つの才能が出会う

数十年にわたり、通訳という立場で蜷川の制作現場を見続けてきた秋島さん。制作過程はもちろんのこと、それ以外でも心に残る思い出があるだろう。それはもう色々ありますよ、そう笑う秋島さんに、2つのエピソードを伺った。

まずは2003年、NT で上演された「ペリクリーズ」でのこと。当時の同劇場トップである芸術監督は、過去にはRSC で芸術監督を務め、ミュージカル「レミゼラブル」の演出などでも知られるトレバー・ナン。「『ペリクリーズ』はやりにくいから俺にやらせたんだよ(笑)」と蜷川が冗談交じりに語ったという通り、英国の演劇ファンの間でも地味な存在である同作をナンの肝入りで上演することになった蜷川だったが、初日の休憩中、ナンが息せき切って蜷川のところにやって来たそうだ。「蜷川さんは本番中、客席に座らないんですよ。後ろに立ってうろうろしている。たぶん落ち着かないのでしょう。それで私も蜷川さんと一緒に立って観ていたら、トレバー・ナンが駆けつけてきて涙を流して感動しているんです。『こんなに分かりやすいペリクリーズは初めてだ』って。まだあと半分ありますよ、という感じだったですけれどね(笑)」。

そしてもう一つが、格調高い文体で英国の生活や文化を綴ることで定評のある作家、カズオ・イシグロとのエピソードだ。2007年に出版社の社長の厚意でイシグロと会食をする機会があった秋島さんは、彼から蜷川について、「こういう名前の演出家は知っている?」と聞かれた。なんでもイシグロは演劇好きで、同時期にバービカン劇場で上演された「コリオレイナス」を鑑賞していたのだという。以前から蜷川がカズオ・イシグロのファンだったことを知っていた秋島さんは、2人を引き合わせようと思い立った。「片方だけだったらそんなことは考えなかったでしょうが、両想いだったから(笑)、それだったらと思ったのです。『コリオレイナス』の次の英国公演となった『NINAGAWA十二夜』のときでしたか。休憩時間に3人だけで会いました。その後は毎回、会っていたみたいですよ」。この2人の交流は2014年、彩の国さいたま芸術劇場の開館20周年記念に、蜷川がイシグロの著作「わたしを離さないで(Never Let Me Go)」を基にした同名の芝居の演出を手掛けるという形で花開いた。イシグロは蜷川が亡くなった際にも、日本の演劇雑誌に追悼文を寄せている。

蜷川「コリオレイナス」2007年にバービカン劇場で上演された「コリオレイナス」。舞台全体を覆う大階段が圧巻

蜷川幸雄、カズオ・イシグロ、秋島百合子2009年、蜷川、イシグロとともに写真に収まる秋島さん

シェイクスピアの「矛盾」を楽しむ

ロンドンの街には至るところに大小の劇場が点在し、 観劇文化が一般に浸透している。国内に才能あふれる演出家が星の数ほどもいるのに、日本人である蜷川がなぜここまで受け入れられ、長年にわたり愛され続けたのか。その理由の一つは、「リア王」などの稽古場で蜷川が目の当たりにした、日英の演技手法の違いにありそうだ。

「イギリス人はまるで実際にそこで物事が起こっているかのようにリアリズムで演じようとする。大きな劇場でも3、4人でぼそぼそとしゃべっていて本当にナチュラルに見える芝居ってあるじゃないですか。彼らは発声が上手だから、ぼそぼそしゃべっていてもはっきりと声が聞こえるし、それが良い芝居と考えられている。一方で、蜷川さんが言うには、日本人はどんなにナチュラルにやろうとしても様式が出てくるって。身体にしても、話し方にしても、骨の髄まで様式が入っている。どんなに日本人がナチュラルにやってもイギリス人のようにはならない。だったら逆に様式をやろうというのが彼のポイントなわけです」。

様式とリアリズム。日英の演技手法の違いを逆手に取って、日本人が演じるシェイクスピアを、そして英国人が演じる日本のプロダクションをつくろうと蜷川は考えた。「日本人が演じるシェイクスピアを演出するときは様式を生かし、歌舞伎のような技術も取り入れた。一方でイギリス人を使う場合には、基本的な枠組みは日本的な部分もかなりあるのだけれど、そこにイギリス人のリアリズムをぶち込んで衝突させた。蜷川さんは『能の舞台に泥のついた長靴を履いてどかどか上り込んでほしい』という言い方をしていましたね」。

今でこそ英国でもフィジカルな芝居が増えてきたが、まだまだ言葉や台詞を重視する傾向が強かった数十年以上も前、珠玉の言葉が散りばめられたシェイクスピア作品に様々な「型」をはめ、視覚的な演出を施したプロダクションを見せつけられた英国の観客は、「逆カルチャー・ショック」とでも言うべき衝撃を受けたことだろう。そしてもう一つ、「シェイクスピアの作品自体、必ずしもナチュラリズムを追求したものではない」という点がある。

「特に『シンベリン』のようなロマンス劇*3や『間違いの喜劇』などの喜劇は矛盾だらけじゃないですか。ここでこんな偶然が起こるなんてあり得ない。ナチュラリズムでやっていたら行き詰ってしまうわけです。例えば『シンベリン』で生き別れた兄妹が出会うときに「あら、お兄さん!」「ああ、お前!」とかリアルに演じると逆に不自然なことになってしまう。でもイギリスでは矛盾を少しでも矛盾ではなくなるようにナチュラリズムで解決しようとした。だからシリアスになる。『それじゃ笑えなくなっちゃうじゃないか!』っていうのが蜷川さん。『これはおかしいんだよ。こんな偶然続きっこないんだから』って。シェイクスピアの喜劇には結構ドタバタ要素もあるのですが、おかしいところはどんどんおかしくして、これでもかこれでもかってやったら、こちらの観客にもすごく受けて。蜷川さんが手掛ける余地がシェイクスピアにあったということかしらね」。かつては一般市民の娯楽として愛され、時には馬鹿馬鹿しくも、下世話でもあったシェイクスピアの世界の埋もれていた一面が、時代を経て、期せずして異国の演出家によって蘇ったということなのかもしれない。

*3 ロマンス劇: シェイクスピアの後期の4作品の総称。家族の別離から再会、和解までの過程を空想やスペクタクルな要素を織り込み描いていく

来年、ロンドンのバービカン劇場では、英国の観客の度肝を抜いた「NINAGAWAマクベス」が再び上演されることが決まった。スコットランドの残虐な栄枯盛衰の物語を荘厳な日本の伝統美で彩り、現在の英国人のシェイクスピア観を吹き飛ばした蜷川の桜が、30年ぶりに英国の劇場に舞う。

蜷川「ハムレット」のひな壇2015年にバービカン劇場で上映された「ハムレット」では、劇中劇のシーンにひな壇が登場した

蜷川幸雄、英国公演の軌跡


*赤は英国または日英制作作品
1985年 「NINAGAWA マクベス」 エディンバラ
1986年 「王女メディア」 エディンバラ
1987年 「NINAGAWA マクベス」 ロンドン(ナショナル・シアター、リトルトン)
王女メディア」 ロンドン(ナショナル・シアター、オリビエ)
-両作品で1987年ローレンス・オリビエ賞演出家賞ノミネート
1988年 「テンペスト」 エディンバラ
1989年 「近松心中物語」 ロンドン(ナショナル・シアター、リトルトン)
1990年 「卒塔婆小町」 エディンバラ
1991年 「Tango at the End of Winter」(タンゴ・冬の終わりに)
エディンバラ、ロンドン (ピカデリー劇場)
-アラン・リックマン主演
1992年 「テンペスト」 ロンドン(バービカン劇場)
1994年 「Peer Gynt」(ペール・ギュント)
ロンドン(バーピカン劇場)、マンチェスター
-マイケル・シーン主演
1995年 「夏の夜の夢」 プリマス、ニューカッスル
1996年 「夏の夜の夢」 ロンドン(マーメイド劇場)
1997年 「身毒丸」 ロンドン(バービカン劇場)
1998年 「ハムレット」 ロンドン(バービカン劇場)
-真田広之主演
1999年
〜2000年
「リア王」 ロンドン(バービカン劇場)、ストラトフォー ド=アポン=エイボン
-ナイジェル・ホーソーン主演
2001年 「近代能楽集」 ロンドン(バービカン劇場)
2003年 「ペリクリーズ」 ロンドン(ナショナル・シアター、オリビエ)
2004年 「ハムレット」 プリマス、ノーリッジ、プール、エディンバラ、サルフォード、
ロンドン(バービカン劇場)、ノッティンガム、バース
-マイケル・マロニー主演
2006年 「タイタス・アンドロニカス」 ストラトフォード=アポン=エイボン、プリマス
2007年 「コリオレイナス」 ロンドン(バービカン劇場)
2009年 「NINAGAWA十二夜」 ロンドン(バービカン劇場)
-歌舞伎版
2010年 「ムサシ ロンドン・NY バージョン」 ロンドン(バービカン劇場)
2012年 「シンベリン」 ロンドン(バービカン劇場)
2015年 「ハムレット」 ロンドン(バービカン劇場)
-藤原竜也主演
2015年 「海辺のカフカ」 ロンドン(バービカン劇場)
 
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