そんな認識しか持たずに彼の曲の数々を聴いたら、きっと驚くことだろう。
挫折しつつも前に進む大切さをまっすぐに語る曲があるかと思えば、
失恋した女性の女心をエロティックに歌い上げる曲もある。
そしてそれらの曲の底辺を支えるファンク・ビート……。
ポップ至上主義の日本の音楽シーンにあって、多くの人々に受け入れられつつ
「ファンク」の精神を貫き続けるミュージシャン、 スガ シカオは特異な存在だ。
独自性溢れる言語感覚とメロディラインで土臭さ(ファンク)と洗練を両立させる
「ジャパニーズ・ファンク」の 第一人者が今年12月、海外デビューとなる
ロンドン公演を行うことになった。
日本にファンクのビートを定着させた男は果たして、海外に日本のファンクを
広めることができるのか。
(本誌編集部: 村上 祥子)
スガ シカオ プロフィール
7月28日生まれ。東京出身。大学卒業後はイベント制作会社で勤務。退社後、1997年に「ヒットチャートをかけぬけろ」でメジャー・デビューを飾る。翌98年には、SMAPのシングル「夜空ノムコウ」の作詞を担当。同楽曲の大ヒットとともに、スガ シカオの名と楽曲の認知度が一気に高まった。2001年発売の5thアルバム「Sugarless」はオリコンのアルバム・チャート初登場1位を獲得。これまでにリリースしたアルバム12作品のすべてがアルバム・チャートのトップ10入りを果たしている、日本を代表する男性ソロ・アーティストである。
スガ シカオのロンドンでの日々
今年12月、ロンドン中心部の現代アート・ギャラリーICAでの海外デビュー公演が決定したスガ シカオ。スガにとって、今回の英国公演は2度目の渡英となる。前回、英国に来たのは2005年のこと。デビュー後初となる長期休暇を取り、米ハワイとロンドンにそれぞれ約1カ月間、滞在した。単身で海外に渡り、レコーディングを敢行する「海外音楽武者修行シリーズ」の第2弾と銘打たれたこのロンドン滞在は、スガにどのような印象を残したのだろうか。
─ なぜ滞在先にロンドンを選ばれたのですか。
ロンドンが一番面白そうだったからです。素敵なミュージシャンもたくさんいそうだし、音楽の歴史も深い。何かが起こりそうな気がしたんです。あと、ヨーロッパに行ったことがなかったので、単純にヨーロッパに行きたかった。
─ ロンドンではレコーディングを行い、後に「コノユビトマレ」のカップリング曲となる3曲などが生まれたそうですが、音楽活動が英国滞在の元々の主目的だったのでしょうか。音楽活動以外には、どのような日々を送られたのでしょう。
曲は「出来たらラッキー」くらいの気楽さでやるつもりでした。ギター1本以外、たいした機材も持っていかなかったですし。でも、実際やり始めたら夢中でやってしまいましたけど……。ですので、ロンドンではかなり遊びまくってました。ミュージカルもたくさん観たし、ライブにも行きました。特に歴史的なイベント「LIVE AID」をハイド・パークで見ることが出来たのは貴重な経験でしたね。あとはマーケットに出掛けたり、ベルギーやフランスに足を伸ばしたり……。
─ ロンドンでレコーディングされた曲は、作詞、作曲ともにロンドンで行われたのでしょうか。その場合、日本で作る時と比べてメロディーや歌詞に何らかの違いが出ましたか。
アルバム「FUNKAHOLiC」収録曲の「宇宙」という曲は、ロンドンで作詞、作曲、演奏まで全部やったのですが、自分が知らない国に来ていて孤独なエイリアンなんだなぁ……と思っていたからこその詞が書けたと思います。ロンドンにいると、気持ち的に作る作品のニュアンスは変わっていきますね。
─ ロンドンで生活する上で、最も驚いたこと、面白かったこと、憤りを感じたことを教えてください。
驚いたのは、まずい料理店はトコトンまずいというところ(笑)。美味しい店は探せばいくらでもあるし、そういう点は東京に似ているのですが、まずい店のまずさレベルは凄まじかったです。食べ物というカテゴリーを越えていた気が……。
あとロンドンの方(というか英国の方なのでしょうか)は、時々すごく日本人気質な行動をするのが面白かったです。ちょっとした気の遣い方やジョーク、気持ち的なところで、日本人と似ている部分が多い気がしましたね。
憤りを感じたのは、町中にスリが多いこと。市内のバスでスリを発見したので「スリだ~!スリ~!!」と思わず叫んだら、「なにがThreeなの?」と英国人のおばさんに話しかけられました (実話です)。
─ そしてスガさんにとって初となる海外公演もロンドンで行われることになりました。ロンドンで公演するということに対して、どのように感じていらっしゃいますか。
海外でライブをやるのは、ミュージシャンになってからの一番大きなユメでした。「やるなら絶対UKがいい」と、外国の友人たちにも言われていたので、初海外公演がUKで本当にうれしい!!この喜びは、言葉では表現できないです。
─ 今回はICAという、インディーズの香りが漂う小規模なスペースで公演されるとのことですが、全体としてのテーマはありますか。
ライブのテーマは、どんな場所でも、どんな環境でも一つです。自分を最大限に歌で表現して、あとは徹底的に楽しむ。ぼくらのスタイルはエレクトロ・ファンクなダンスビート。思い切り歌って、踊って、暴れて、スパークしたいです。
─ スガさんの魅力として、歌詞に取り込まれている独特な言葉遣いを挙げるファンの方が多いようですが、ここロンドンで、英国人の聴衆にもスガさんの音楽の魅力は伝わると思われますか。
(言葉という面では)無理です(笑)。さすがに日本語の意味は伝わりません。ですが、日本語でしか出せないグルーブには絶対の自信があるので、そこは伝わると思う。ダンスビートは、世界の共通言語だと思います。曲が始まってしまえば、場所も国も関係ないです。
─ 「Englishman in New York」や「桜坂」のように、特定の場所をテーマに書かれた曲がありますが、ロンドンという街をテーマにした曲をつくりたいというお気持ちはありますか。
面白いですね。つくりたいです。そのためには最低半年は滞在しないと……。お休み取れるかしら??
スガ シカオの描く詞世界
独特の詞世界で多くのファンを魅了するミュージシャン、スガ シカオ。至ってシンプルな言葉で、時に心がヒリヒリするような痛みを、時に情けないまでの男の本音を表現する詞の数々には、女性のみならず、同世代の男性からの共感が集まる。人間の醜さや美しさ、ありとあらゆる感情を矛盾することなく内包するその詞世界は、一体どのように生み出されるのか。
─ スガさんの書く詞は、等身大の男性のありのままの姿が投影されていることで定評がありますが、歌詞を書かれる際には、実体験を元にされることが多いのでしょうか。また、曲 をつくられる際には、詞が先なのでしょうか、それとも曲が先なのでしょうか。
90パーセント曲が先です。歌詞は一番最後。歌う直前に書きます。歌詞の書き方は、一生懸命考えて書くタイプと、スルスル天から降りてくるタイプの2つに分かれますね。どちらも書き始めは、実体験や原風景からのスタートです。
─ 「スガ シカオ」というお名前の表記もさることながら、スガさんの歌詞には、「夜空ノムコウ」「ユメ」「イタミ」など、通常ならば漢字やひらがなで表記する箇所をカタカナで表しているケースが多く見られます。日本語では、例えば「あお」という言葉一つとってみても、青、蒼、碧など、様々な表現方法がありますが、スガさんがあえてカタカナを使われるのにはどのような理由があるのでしょうか。
漢字やひらがなは元々が象形文字に由来する分、イメージや固定概念が文字そのものにつきやすいと思っています。例えば「イジメテミタイ」というセクシャルな曲の場合、「いじめてみたい」と表記すると密室の思い詰めた感じがなくなるし、「虐めてみたい」だと昭和の日活ロマンポルノのイメージになってしまいます。カタカナ表記は、いわば匂い消しみたいなものでしょうか。
─ スガさんの書かれる歌詞は、日常のリアルをさらりと表現されているように思います。メッセージ色を出しすぎず、平易な言葉でまとめつつも、そこにはぽろりと零(こぼ)れる心情の吐露が見える。こうした歌詞作りにおける、逆説的とも言えるバランス感覚は、意図的に出されているのでしょうか。
歌詞については、短時間でさっと書いているものが大半で、バランスとか逆説といったようなことは考えないうちに書き上がってしまいます。難しいことを考えるのは苦手なんで、シンプルにやっているつもりです。歌詞を書く上で、一つだけ気を付けていることがあるとすれば、それは時代感です。日常生活の中にある空気や人間を感じて、歌詞を書きたいと思っています。
スガ シカオが生まれるまで
スガ シカオのミュージシャン・デビューは30歳。大学を卒業後はイベント制作会社に就職、サラリーマンとして新規事業開発部で激務をこなす日々を送っていた。努力の甲斐あってか出世も早く、20代で主任になり、係長昇進も決定。そんな矢先の退社だった。音楽界を含めた芸能界におけるデビューの低年齢化が進む中、30歳という節目で収入の安定した生活を捨て、ミュージシャンの道を選んだその背景には何があったのだろうか。
─ 音楽はどんなジャンルを、いつ頃から聴き始めましたか。
高校生の終わり頃からブラック・ミュージックばかりを聴いてきました。ロックやジャズ、J-popなど、他の音楽は全く通らずにデビューしました。最近は幅広く雑食性で、何でも聴きます。
─ スガさんと言えば「ファンク」ですが、ファンクに傾倒されたのはいつ頃ですか。またファンクのどの部分に惹かれたのでしょうか。
高校生のときに先輩がファンクのバンドをやっていて、それが素晴らしくいかがわしくて、エッチで、カッコよかったのを覚えています。
─ 作詞、作曲を始めたのはいつ頃からですか。
初めて曲を作ったのは18歳くらいです。ちゃんと作曲が出来たのは22歳くらいからでしょうか……。その頃、作詞は全く出来なかったので、いつも友人に頼んでいました。作詞第1号は25歳のときにつくった「ココニイルコト」という曲です。
─ 大学では何を専攻されましたか。在学中に、音楽のプロとしてやっていきたいという思いはあったのでしょうか。
大学は経済学部です。公害と環境問題を専攻していました。プロになれる自信がなかったので、あっさりと就職しました。
─ 大学卒業後はイベント制作会社で企画制作を担当されていたとうかがいました。何故、この業界に進もうと思われたのですか。またサラリーマン時代はかなり多忙な日々を過ごされていたようですが、そうした日々をどのように感じていらっしゃいましたか。
ミュージシャンという職業は特にそうだと思うのですが、ぼくは誰かの心の中に「何か」を残せるような生き方がしたかったので、最初は建築家になりたかったんです。でもIQがついていかずに断念……。会社員時代はイベントや企画を通して、誰かに「何か」を残せる仕事が出来ていたので、満足でした。
─ 音楽のプロになろうと決意されたのはいつ頃ですか。「プロとしてやっていきたい」「プロとしてやっていける」と思った瞬間があったのでしょうか。
28歳の秋です。やっていけると思う足がかりは何もありませんでした。でも自信だけはあったんです。音楽がやりたかったし、何もしないであきらめちゃうのもどうかなと思って、とりあえず会社を辞めました。
─ デビューする前はご自身の音楽に非常な自信を持っていたと、これまで多くのメディアで語っていらっしゃいますが、実際にデビューに至るまでにはご家庭の都合で家業を手伝われたり、インディーズ・レーベルから発売したCDの売上が芳しくなかったりなど、様々な困難があったとうかがっています。デビューが決定するまで、その自信が揺らぐことはなかったのでしょうか。不安を感じたことはありましたか。
あまり自信が揺らいだり、不安になったりすることはなかったですね。デビューしてから急に正気に戻りましたが……(笑)
─ ミュージシャンとして活動する上で、サラリーマン時代の経験が役立ったと思うことはありますか。あるとすれば、具体的にはどのような点でしょう。
どこの世界も金と政治……ということを、会社員時代にあらかじめ経験していたのは大きかったです。もし、大卒でいきなりデビューしていたら、音楽という神聖なものと音楽ビジネスという2つが、自分の中で共存できなかったと思いますね。
─ デビューの翌年にはSMAPの「夜空ノムコウ」が大ヒット。その後は順調にミュージシャンとしての道を歩まれているように見えますが、現在までの間に、スランプに陥ったことはあったのでしょうか。
2000年に限界まで追い込まれた大きいスランプが1回、ありました。その時は1カ月間、一人で山の中にこもって外界と接触せずに、徹底的に自分と向きあって脱出しました。小さいスランプなら頻繁にあります。その度に、地獄の苦しみを味わいます。
─ 弊誌の読者である英国在住邦人の方々の中には、一度日本で社会に出た後に、新しい人生を掴むために20~30代という年齢で留学を決意され、渡英された方が大勢いらっしゃいます。30歳という遅咲きとも言えるデビューを果たされたスガさんにとって、夢を掴むために最も必要なものは何だと思いますか。
ひたすら愛すること。
耳に心地良い柔らかさを持ちつつ、ざらりとした余韻を残す高めの声に、シンプルながら、心に引っ掛かる歌詞の数々。どこか割り切れない、掴み切れない部分が独特の魅力となっているスガ シカオとの言葉のやり取りは、やはりどことなく不思議な、浮遊感漂うものとなった。何のてらいもない、まっすぐな答えが返ってきたかと思えば、こちらが肩透かしを食らうような飄々(ひょうひょう)とした発言でこちらを煙に巻く。こうした二面性こそが、ファンクとポップという2つの世界を自由に行き 来する、彼のしたたかとも言うべきミュージシャンとしての才能を支えているのかもしれない。このスガ流ファンクが、英国の聴衆には、どのように受け止められるのか。それは12月7日、明らかになる。