世界デビューしてから早10年近くが経った今も、初めて楽器を触った子供のような仕草で演奏するスタイルは一向に変わらない。あどけない笑顔を浮かべ、ときには直立して踊りながらピアノの鍵盤を叩く。そして、即興演奏で、楽譜として再現することは決して無理だと思わせるようなリズムと、人類がいまだ発見できていなかったかもしれない深く美しい和音を奏でるのだ。上原ひろみが、ロンドンの老舗ジャズ・バーの耳の肥えた聴衆たちを魅了する。
上原さんは、インタビューやMCなどのときに見られる華奢な印象とは別人格になったかのように、ピアノに手を触れたその途端に、突然大きく輝きが増しますよね。
演奏することの方がMCよりは自信があるというか、MCはとにかく当日来てくださったお客さんに感謝の言葉を伝えることができればいいのではないかというか。確かに、ピアノの演奏よりも、MCの方が自分に課するハードルは低いかもしれませんね(笑)。
演奏中はどんなことを考えているのですか。また即興演奏に関しては、日によってその内容が随分と異なるものなのでしょうか。
毎回新しいステージをつくりたいと考えていて、だから演奏の内容は本当に毎日異なります。同じ晩でも数セットあったら、そのセットごとに内容が随分違いますし。演じている私たちの方でさえも、どのようなものになるかは計り知れない部分があります。そして、まさにその「本当にどうなるか分からない」というところこそが即興演奏の醍醐味だと思うので。だから、いつも冒険です。毎回「これが最初で最後のステージだ」という気持ちで演奏しています。今日は初日だからとか、最終日だからと思うことは全然ないんです。あとは公演というのはそのときにいらしていただいたお客さんと一緒につくっていくものですから、その意味でも本当にやってみないと分からないという部分はありますね。
10月4日から予定されているロンドン公演の会場となるジャズ・バーの老舗「ロニー・スコッツ・ジャズ・クラブ」に対してはどのような印象を持っていらっしゃいますか。
同じ街の中にあるのに、ロンドンの会場は場所によって随分と趣が異なりますよね。ロニー・スコッツは、聴衆の方々との一体感を間近で感じることができる会場です。お客さんがすごくリラックスした状態で音楽を楽しむ姿勢を持っているというイメージ。もちろん演奏している最中は無理ですが、MCなどをしているときはお客さんの様子がよく見えます。
今回のロンドン公演で上原さんと共演されるミュージシャンについて教えてください。
ベースのアンソニー・ジャクソンとドラムのスティーブ・スミスを伴ってのトリオです。2人とも世界の第一線で活躍してきた方たちなので、実力も貫録も十分。一度観たら忘れられなくなるミュージシャンだと思いますよ。テクニックだけではなくて、彼らが持つ芸術性や、彼らの全身から溢れ出るものを楽しんでもらうことができるはずです。
演奏の良し悪しをめぐってメンバー同士で話し込んだりすることはありますか。またそうした長年のキャリアを築いてきた方たちにNGを出したりするのは難しくないのでしょうか。
「こうしたらもっと良くなるね」という点が見られるライブであればお互いきちんと伝え合います。納得いくステージができたときはあまり話さないかもしれません。良かったときの方が短く、改善を目指す話し合いの方が長くなりがちですね。同じ舞台に立つ上で、きちんと自分たちの求めるものを言い合える関係でないと一緒に演奏できないので。ステージを下りてしまったら、つまり音楽という分野からいったん離れてしまえば、もちろん私が一番年下ですから、年功序列というか(笑)、皆さんが過ごしやすいように、自分なりに気を遣って色々とやっているつもりですけれど、音楽の上では年齢とかキャリアの長さとかは全く関係ないですね。
音楽界におけるご自身の立ち位置などについて考えをめぐらすことはありますか。
それは全くないです。自分の信じる音楽というか、自分の好きな音楽をやって、それを好きと分かち合える人を探す旅をしているんだと思いながらいつもステージに立っていますから。どんな音楽が好きか、どんな音楽を目指すかというのは、一人一人にとって違うと思うので。
世界各地で公演を行なっていらっしゃいますが、年にどのくらいの日数をツアーに割いていますか。
ちゃんと数えたことはないので正確な日数は分からないのですが、毎年およそ100日を費やして150公演を行っています。移動日を含めると、一年の半分以上はツアーに出ていることになる計算です。
一年の半分以上を世界各地での演奏旅行に費やすというのは体力的に大変ですね。
確かに長距離の移動は大変です。演奏にも相当な集中力を要するので、体力的に厳しいと感じることもあるし、体調管理も難しい。でもとても不思議なもので、各地での公演に出掛ける度に、体力はどんどん消耗していくのに、ステージに立つことで精神的にはどんどん満たされていくと実感するのです。結局、根本的に心から音楽が好きなんですよね。だから、私にとってはステージが最高のご褒美。逆に言うと、ステージの上で演奏するたった数時間のために、短くない時間をかけて世界各地を回っているというか。こんな達成感を覚えさせてくれるものって私にとってほかにない。本当にありがたい仕事だなあと思っています。
ロンドンという街についてはどのようなイメージを持っていますか。
街を歩く人々の姿がおしゃれだという印象を持っています。ロンドンのファッションはすごく好きです。それぞれの人々が思い思いのファッションを楽しんでいるというか。一人一人が流行に流されることなく、自分が好きなものを選んで着ているという感じ。だからロンドンに来たときは、街を行き交う人々を人間ウォッチングするのが楽しいです。
1979年静岡県浜松市生まれ。6歳からピアノを習い始める。米マサチューセッツ州ボストンのバークリー音楽院を首席で卒業。17歳のときに米国のピアニストであるチック・コリアとの共演を果たす。2003年にアルバム「Another Mind」で世界デビュー。2011年には米国のベーシスト、スタンリー・クラークとのプロジェクト「スタンリー・クラーク・トリオfeaturing上原ひろみ」で、第53回グラミー賞の「ベスト・コンテンポラリー・ジャズ・アルバム」を受賞。矢野顕子、東京スカパラダイスオーケストラなどとのコラボレーションも多数。現在、米国在住。
featuring Steve Smith and Anthony Jackson
日時: 10月4日(木)~6日(土)18:00開場
(金土は22:30のセッションもあり)
場所: Ronnie Scott's Jazz Club
47 Frith Street, Soho London W1D 4HT
最寄駅: Leicester Square, Tottenham Court Road
Tel: 020 7439 0747
料金: £25~45(リターン)
www.ronniescotts.co.uk