まず、プロになることを決意した。歌も歌えず、楽器も弾けない18歳の少年の音楽人生が始まったのは、そこからだった。独学で楽器を学び、ロスのストリートで歌い、いつの間に、映画主題歌もこなすシンガー・ソングライターとして活躍する存在に。ミュージシャン、さかいゆうの歩んできた道は必然だったのか、幸運(ラッキー)だったのか。その答えは11月、ロンドンで、聴く者の心の琴線にさらりと触れる歌声が、教えてくれる。
プロを目指す前には、どのような形で音楽と接していたのですか。
小さなころは、テレビから流れてくる歌謡曲とか演歌ばっかり聴いてましたね。美空ひばりさんとか、谷村新司さんとかをカセット・テープに録って。うちの地元は田舎すぎてCDがなかったんですよ。
本格的に音楽を始めたきっかけは?
18歳のときに、ミュージシャンを目指していた友達が交通事故で亡くなったんです。それをきっかけにミュージシャンになろうと思ったんですけれども、どうやって目指していいのかも分からない。それで1年間くらい働いて、20歳くらいで東京に上京して、そこからですね。
ご自身が音楽が好きで、というよりは、友人の遺志を継いだ形だったのですね。
そうですね。目指し始めた後で次第に音楽にはまっていったという感じですね。最初は彼(友達)が聴いていたような、ロックなんだけどブルースっぽい、クラプトンなんかを聴いていたんですけれど。ブルースとかロックって、元々の基礎になるものと言うか、ルーツ・ミュージックと言いますか。ゴスペルにも繋がるような、そういう土臭い音楽が好きで、何も分からずにずっとブルースとかジャズを聴いてましたね。
東京ではどのような音楽生活を?
友達もいなかったんで、ずーっと家で音楽を聴いてました。楽器も弾けなかったし、歌もそんなにうまくなかったんで、ひたすらずーっと聴いてましたね(笑)。歌を本格的に練習したり、ピアノを練習したりするようになったのは、21歳のときにLA に行ってからです。
なぜ海外、それもロスに行こうと思ったのですか。海外で成功してやろう、という気持ちで?
自分の好きな音楽がブルースとかジャズだったんで、その発祥地とも言える国に行きたくて。現地のライブ観たさに行ったって感じです。成功してやろうなんて、これっぽっちも思ってなかった。(ミュージシャンの)卵にもなってなかったですし。ピアノもアメリカ行ってずいぶん経ってから弾き始めたくらいですから。
ピアノはどのように学ばれたんですか。
ルームメイトがクリスチャンで、あるとき教会に連れて行ってくれたんですけど、教会の人たちって色々な音楽を演奏するんですね。ブルースもやったり……まあ彼らはブルースって言わずにゴスペルっていう言い方をするんですけど、ジャズやったり、ちょっとポップスやったり、R&Bをやったり。そういうのを聴きつつ、鍵盤の人とか、オルガンの人の指を見て、録音して家に持って帰って練習する、といった形が多かったですね。あとはCDで耳コピー。生譜もコード譜も読めなかったんで、耳で学びましたね。
ロスではどのような演奏活動を?
カバーやコピーをしていましたね。スティービー・ワンダーとか、ダニー・ハサウェイみたいな鍵盤弾きのピアノ弾き語りや、シンガー・ソングライターの曲とかを主にコピーしてました。あとは自分のオリジナル曲も1曲だけあったんですけれど――今では覚えてないんですが――、それと、「上を向いて歩こう」みたいな有名な曲とか。最終的に20曲ぐらいレパートリーがあって、それを一日4時間とか5時間ぐらいストリートでやって、通行人が置いていってくれるお金で生活してました。毎日毎日、ピアノと曲を覚えることで精いっぱいでしたが、ライブも2日に一回は観に行ってたんで、すごく楽しかったですね。
その後、日本に戻られて、メジャー・デビューするまでにはどのような経緯が?
メジャー・デビューをしたいしたいと思って音楽をやっていたわけではなくて、アンダーグラウンドでやっていたんです。とあるジャズ・バンドのフィーチャリング・ボーカリストをやったり、別のバンドのバック・コーラスをやったり。バイトもやりつつ、ぎりぎりの生活を送っていたとき、ある日、ラジオに招待されたんですね。そこでライブをやったんですが、それを聴いていた今のマネージャーが、その後、CD を買いに行ってくれて、(事務所の)皆に聴かせて、「いいじゃん」ということになって、結果、出会ったという感じですね。
現在でもたびたびカバーをされているようですが、なぜですか?
曲ってすごい不思議で、自分の曲ももちろん歌うんですけれど、過去の曲を歌うことで自分が助けられること、教えられることもすごく多いんです。ブルースやジャズのミュージシャンって、実はオリジナルの曲をそんなに持っていなくて、アルバムの中の3分の2ぐらいはカバーだったりするんですけど、それを全部自分の曲のように解釈している。元々作った方々へのリスペクトも忘れず、でも新しい解釈で――例えば昔のジャズの曲を今のビートで、メロディーはそのままっていう曲もたくさんありますし、そういう、音楽っていう遊び場、曲っていう遊び場の中で遊んでる感じがすごく好きなんですね。
それでは、ご自身が曲をつくる上で大切にされていることは?
自分の場合、音楽から音楽が生まれることってあまりなくて。何か物事を見たり、例えばすごい抽象的なんですけど、海に行ったときに波の音と風がハモったりしたときのコード進行とかタッチとかを弾くと、自分の見た風景や頭の中のイメージが膨らむんですね。その自分のイメージに(曲を)近付けるようにはしてます。歌詞は、皆が分かると言うか、共通言語なんで、例えば日本人だったら日本語があるわけじゃないですか。なので、自分のイメージよりは親切に書いてるんですけどね。でもあくまで自分のイメージを伝えるために、それと自分の日頃思っていることを伝えるために、メロディーと歌詞があるんだと思います。
11月にはロンドン公演が控えていますが、これまでロンドンに来られたことは?
初めて行きます。ロンドンのイメージは、自分より建物が圧倒的に年上というのが、メトロポリタンっていう感じ。東京だとその「メトロポリタン感」が、自分と同い年だったり、自分より年下だったり、古い建物はなくしていっちゃうというイメージなんですけど、ロンドンだと、普通の家が150年前に建てられていてっていうようなのが結構あると聞いたことがあって、そういう風景を見るのが楽しみですね。
ロンドンの昨今の音楽シーンについてはどう思いますか。
僕はR&Bとかクラブ・ミュージックが好きなんですけど、アメリカとはかなり違うと思います。イギリスの方がよりメロディーや曲の風景を大切にするイメージ。だから同じR&Bでも、イギリスの方が自分としては共感できますね。
ロンドンではどのようなライブになるのでしょう。
イメージはあるんですけど、まだ決めてないですね。10月くらいにリハーサルに入るので、それまでゆっくり考えようかなと思いまして。日本語の曲も何曲かやりたいです。せっかくだから、日本ではできないようなスペシャルなライブにしたいなと思っています。
高知県清水市生まれ。18歳で音楽に目覚め、20歳のときに上京。翌年から1年間、米ロサンゼルスに滞在し、ピアノを独学で学ぶ。帰国後、2009年にメジャー・デビュー。デビュー・シングル「 ストーリー」は全国の FMラジオ43局でパワープレイを獲得するなど、大きな注目を集める。その後も、自作の楽曲が TVアニメ「のだめカンタービレ フィナーレ」のオープニング・テーマ曲や、映画「パーマネント野ばら」主題歌に起用されるなど、順調に活躍の場を広げつつある気鋭のシンガー・ソングライ ター。今年5月に発売されたアルバム「How's it going?」がロングセールス中。
さかいゆう LIVE IN LONDON
日時: 11月11日(日) 19:00開場
場所: Jazz Cafe
5 Parkway, Camden Town
London NW1 7PG
最寄駅: Camden Town
料金: £10