中学生のころ、群馬のレコード・ショップでUKロックの
妖しい臭いを嗅いだ瞬間からずっと、
彼の視線はロンドンに向けられていた――。
インタビュー中に披露したエピソードの端々から
零れ落ちるように出てくる
英国人アーティストの名前や曲名。
英国での滞在経験が決して少なくないことを窺わせる、
英文化についての豊富な話題と落ち着いた語り口。
そして、歴史的な建造物と緑に彩られた
ロンドンの風景に溶け込んでしまう独特の佇まい。
この人は、来るべきしてこの街に来たのだろう。
50歳を迎えた今年に英国で新たな挑戦を開始した
ギタリストの布袋寅泰氏に、ロンドン市内のホテルで話を聞いた。
The interview was taken at Pearl Restaurant and Bar,
Chancery Court Hotel, London.
1962年2月1日生まれ。群馬県出身。1981年にロック・バンド「BOØWY」のギタリストとしてデビュー。1988年の同バンド解散後はソロ活動を本格化。クエンティン・タランティーノ監督の映画「キル・ビル」のメイン・テーマとなった「BATTLE WITHOUT HONOR OR HUMANITY」は、英国のiTunes Store の音楽部門で1位を獲得したほか、欧州サッカー連盟の入場テーマに使用されるなどして世界的なヒット曲に。2012年8月より、家族とともにロンドンに移住した。
www.hotei.com
随分と昔からイギリスのロックを聴き込んでいたそうですね。
僕の少年時代は、日本にバンドはまだ数えるほどしか存在していなくて、ロックと言えば「外国のもの」だったから。そして外国の中でも、ビートルズとローリング・ストーンズがいるイギリスはとりわけロック発祥の地というイメージがあったな。アメリカからはエルビス・プレスリーの音楽なんかが入ってきていたけれども、ファッション、ファンタジー、アートといったものを内包したロックンロールを伝えてきたのはやはりイギリス、しかもロンドンだった。
僕は群馬の生まれなんだけれども、当時はインターネットもビデオもなくて、情報は本当に限られていて。だからイギリスのロックを聴きたいと思えば、レッド・ツェッペリンやビートルズのLPが並べられた街のレコード屋さんに出掛けた。70年代後半のあのころは、僕が好きだったT-REXのマーク・ボランが亡くなるちょっと前ぐらいで、つまりはグラム・ロック全盛期。イギリスの妖しい香りが、群馬の片田舎までレコード・ショップを通じて風として届いてきていた。
初めて買ったロックのレコードは何だったか覚えていますか。
エマーソン・レイク&パーマーの「恐怖の頭脳改革(Brain Salad Surgery)」っていうアルバム。いわゆるプログレッシブ・ロックで、あんまり歌が入っていない、クラシックとロックが融合したようなちょっと難解な音楽だった。僕は中高一貫校に通っていたのだけれど、生徒会長をやっていた3年上の先輩がロック・マニアで、その先輩と仲良くさせてもらっていたこともあって、中学のころからロキシー・ミュージックとか少しマニアックなイギリスのロックに触れていてね。中学・高校のころって、背伸びしたいじゃん。ロックには、優等生が入っていけなさそうな、なんかやばい感じがあるよね。アドベンチャー感覚っていうかさ。ロックを聴く度に少しずつ大人になっていくような気がしていた。
それからはもうロックにどっぷり。先輩と文化祭に向けてバンドを組んで、デヴィッド・ボウイのカバーとかやっていた。今思えば、あのころの曲名やバンド名から覚えた英単語って随分あるなあ。「Saturday」のつづりは、ベイ・シティー・ローラーズの「サタデー・ナイト」の歌詞にある「S、A、T、U、R、D、A、Y」で覚えていたりとか。外国語だから余計に、英語の言葉から色々と勝手なイメージを連想していたのかもしれない。そうして毎日を過ごしていくうちに、もう14歳、15歳のころから漠然とプロのギタリストになりたいと思い、ロックの本場であるロンドンに行くってことを夢見るようになっていた。
初めてロンドンを訪れたのはいつですか。
BOØWYのレコーディングでベルリンに行って、バンドのメンバーで「せっかくここまで来たんだから」って言って、その帰りにロンドンに立ち寄ったのが初めて。「Marquee Club」っていうライブ・ハウスで、たかだか100人にも満たない感じだったけどそこでライブをやって、空き時間にパンクの聖地であるキングス・ロードに、そして革ジャンを買うためにカムデン・マーケットへ出掛けた。といってもまだお金がない時代だったから、当時のプロデューサーから50ポンドを借りてね。そのお金で、脱いだらその形のまま地面に立たせることができるようなカチカチの革ジャンを買ったなあ。
初めてロンドンに来て、実際に呼吸してこの街の匂いを嗅いで、すっごい、すっごいうれしかったね。飛行機やロケットに乗るみたいに、ギターに乗って世界中を飛び回るというのが僕の少年のころの夢だったから。その夢がちょっと実現したような気がしたんだ。
ソロ活動開始後初めてのレコーディングをロンドンで行ったと聞きました。
BOØWYを解散した後もその熱のまだ冷めやらぬ東京にとどまるより、自分の大好きなロンドンで新たな人生のスタートを切ろうという気持ちで、アビー・ロード・スタジオで初のソロ・アルバムとなる「GUITARHYTHM」のレコーディングをすることにした。アルバム完成後も、ロンドンでフラットを借りて東京との間を行ったり来たり。まあほとんどすべてレコーディング絡みだったけれどね。一番長いときで、1年のうち3カ月ぐらいをロンドンで過ごしていたんじゃないかな。アビー・ロード・スタジオのほぼ斜め前みたいなペント・ハウスに住んでいたこともあった。
ロンドンでのレコーディング作業だと、ロックアウトして一日中音楽を楽しみながらレコーディングができる。昼間から冷蔵庫にあるビールを出して抜いてもいいし。日本でそれをやると何だかすごく不謹慎な行為のように思われちゃう。まあ一方で、こっちでは日本のように予定通りには物事がなかなか進まないんだけれども。日本を離れてみて日本の特異性に気付くというか、あそこまで分刻みで何もかもが成立している国はなかなかないんじゃないかなあ。
今年になり、家族を伴ってのロンドンでの生活がついに実現しました。
なぜこのタイミングでの渡英なのでしょう。
BOØWYを解散した直後に憧れの地であるロンドンに移住していても不思議ではなかったのだけれども、自分なりに日本でもっと面白い音楽シーンを作りたいと思っていたこともあって、東京での活動が長引いてしまった。今年になって50歳という年齢を迎えて、いよいよラスト・チャンスというか。60歳になると、体やメンタルの面で大きく変化するだろうし。
ギタリストとしての自分のギターそして音楽に今はとても自信がある。願わくばロンドンで今までと違った刺激を受けて、変化を吸収して、自分の音楽として表現したいなあと思うし、今はそれができる段階に自分はいると思う。もちろん、作品を発表したり、ツアーをしたりしながら日本での活動も続けるつもり。
まずはイギリスの人たちに自分のギターを聴いてもらうところから始めて、「HOTEIのギターって面白いね」って思ってもらいたい。BOØWYを始めたときのように、観客数が100人から150人になって、200人になって、まあたぶん500人ぐらいにはなると思うんで。そして、やっぱりオリジナリティーというか、HOTEIのギターは誰とも違う、ジミー・ヘンドリックスともキース・リチャーズとも違う。初めて聴くスタイルだ、初めて体験するスタイルだ、っていうのを自分のアイデンティティーにしたい。僕はあんまりギターが巧い方ではないけれども、他人と違うサウンドやメロディーやリフを弾いている自信はあるんで。
イギリスではどのような音楽活動を展開していく予定ですか。
映画「キル・ビル」のメイン・テーマとなった「BATTLE WITHOUT HONOR OR HUMANITY」が世界的に認知されるようになったお陰で、「HOTEI」という名前は知らないかもしれないけれども、どこかで僕の曲を聴いたことがあるという人はこのロンドンという街にきっとたくさんいると思う。ギターのカッコいいところが全部詰まったあの曲が世界的に愛されたってことは僕にとっても強い自信になっていて、あの曲が僕をここに連れてきてくれたって気がするし、あの曲がこれからもずっと僕を支えてくれるような予感がする。侍スピリットを持った、決して若くはない1人の男がギターを持ってこちらにやって来れば、こちらのロック・ファンやギター・ファンに何かを感じてもらうことができるんじゃないかな。あとはこっちのミュージシャンとも様々なコラボレーションをやっていきたい。ゆくゆくはバンドを組みたいな。
まあさっきは観客数が「500人ぐらいにはなる」なんて言ったけど、謙遜でゼロを1個減らしているからね(笑)。 夢は大きくっていう意味で言うと、僕はロンドンのロイヤル・アルバート・ホールが大好きで。いつかはあそこでライブをやりたいな。そういう憧れとか夢って大切だと思うんだよね。叶えようと思って叶わないときもあるけど、でもやっぱり叶えようとしないと。ロイヤル・アルバート・ホールでのコンサートはなるべく近いうちに。でも、ちゃんと一歩一歩積み重ねていって、あの場所にたどり着けたらいいなって。
12月に予定しているロンドンでのコンサートの構成はもう決まりましたか。
ぼちぼちね。もしかすると即興演奏の部分が増えていくのかもしれない。もう思いっきりギター弾きたいから。火が噴くようにギターを弾きまくりたい。僕はバンドを解散した後に歌うことを選んで、「歌うギタリスト」として30年やってきたけど、やっぱり自分はギタリストだと思っている。歌いながらギターを弾くのも好きだけど、やっぱりギターだけ弾いているときの方が自由。だからこっちではギターをメインにしたい。
随分前にロンドンで何回かライブをやったときは、若気の至りと表現できるような、自分の刀というかギターを振り回しているだけのものだったので。あれから数十年経って、今は全く違う自分のスタイルを持っている。自分のギターに自信があり、自分の演奏を皆さんに楽しんでもらえる確信がある。そういう状態でまたロンドンに戻って来られて、ラウンドハウスっていう本当に音響から何から素晴らしい環境の整ったステージで再スタートの第一歩を踏めるというのはとても幸せ。
今回のコンサートでチケット代を安く設定したのは、ロンドンに住んでいる若い皆さんにも足を運んでもらいたかったから。たくさんの観客と向き合うことでまた何かの発見があるだろうし、そしたらまた来年、単独ツアーなのかそれとも野外音楽フェスティバルへの参加という形なのか、ともかくイギリスでの音楽活動を充実させていきたいので、今回のスタートを皆に応援してもらいたい。やはり熱狂というのは皆で一緒に作り出すものなので、観客の皆さんにはすごく期待しているんですよ。
渡英後はどのような毎日を過ごしていますか。
ロンドンに引っ越して2週間経つけど、全く音楽に携わる時間はなく……。新居に運び入れた家具を組み立てるのに精一杯で。ギターは一本持ってきたけど、アンプはないし、これから機材をそろえる段階。家も借り家だから、近所迷惑にならないように気を付けないといけないし。だからギターを弾きたくなったら、どこか街のスタジオを借りて思い切り弾こうかなって。ただここでは機材から何から自分で運ばなきゃいけないしさ。ギターの弦を買うのもここ何十年は他人任せにしていたから、選び方もすごく下手になっちゃっているんで。ギターの弦の張り方から練習し直さなきゃいけない。そこからのスタート。
ご家族はロンドンでの生活をどのように捉えていらっしゃいますか。
渡英というのはまあ僕の勝手な思い付きなので、まずは家族を説得する必要があった。10歳になる娘には「パパは転勤することになった」と伝えて。それから「パパには夢があって、昔からの夢で、世界で挑戦したいってずっと思っていたんだ」って言った。そうしたら「パパの夢なんだからパパ一人が行けばいいんじゃん、なんで私たちも一緒に行かなきゃいけないの」って始めは猛烈に反対されちゃって。日本の学校には友達がたくさんいるからまあ当然の反応なんだろうけど、ともかく自分の気持ちを根気良く説明した。家内(歌手の今井美樹さん)は結婚するときに、「いつかは外国暮らしになると思うけどそれでもいいか」っていう承諾を取っておいたから。
昨日はリッチモンド・パークに家族で行って、またドライブもちょくちょくしている。あとは美術館に行ったり、公園に行ったり。東京にいると無意識に人混みを避けてしまうというか、娘と一緒にデパ地下なんてとてもじゃないけど行けないし。でもロンドンだと、ハロッズやホール・フーズなんかに一緒に出掛けている。便利な東京暮らしの中で失っていたものも結構多いから、それを取り返そうとしている部分もあるのかな。地下鉄に乗ったり、バスに乗ったり、自転車漕いだり。まずは朝起きて、頭ボサボサのまま日本から連れてきた愛犬と一緒に散歩に出られることに感動する。東京の暮らしでは、正体バレバレと分かりつつもキャップを被ってから外出しなければならなかったから。寝癖ついたまま外に出たっていうのは、もう何十年ぶりなのかな。
それにしても、50歳という年齢で新たな挑戦というのは大胆ですね。
自分の人生を彩っていくのは自分自身でしょう。ほんのちょっとした勇気が日常を変え、自分を生き生きとさせる。もしそういう選択肢があるのだとしたら、迷わず選択すればいい。夢を持って渡英してきたのだけれど、なかなか夢が叶わなかったり、滞在ビザが切れて帰らなきゃいけなくなったり、もう何十年も住んでいるのになぜロンドンに自分がいるのか分からないっていう人もたくさんいると思う。でも、どんな事情があったにせよ、結局今という未来を選択してきたということなんじゃないかな。僕の挑戦もそんな大それたものではなく、ただ僕は僕のために、僕が僕であるがために、もっと僕が僕らしくいるために、何かを捨てて何かを選んだというだけ。そして、既に僕はその決断を絶対に後悔しないという確信がある。
僕の方から偉そうに誰かに向かって、もっと夢を探せ、夢を叶えるんだ、挑戦しろ、といったようなことは絶対に言えない。夢とか挑戦っていうのは、それぞれの人々がそれぞれの生き方の中で毎日探していることだから。逆に言うと、僕がそういった皆さんからエネルギーをもらっている部分もあるしね。そうした人たちへの尊敬の念と、自分の挑戦を支えるエネルギーを音楽の中に閉じ込めて皆に送りたい。その音楽で皆がもっと自由になれて、自分自身を探しやすくなればうれしい。
最後に、布袋さんにとってのロックの定義とは何ですか。
人を真似しない、自分のスタイルで生きていくということかな。自分のスタイルを肯定するためには、自分自身を磨かなければならない。口だけや格好だけじゃだめじゃん。「俺、最高なんだよ」って言っても、ほかの誰かに最高だと思ってもらえなかったらね。「何がロックか」っていう究極の問いにあえて答えようとするならば、ちょっとした遊び心を忘れないこととか、ユーモアのセンスを磨くこととか、自分の意見を他人にきちんと伝えつつ、でも他人の意見にもちゃんと耳を傾けるっていうことでもあると思う。ロックというのは荒々しいだけじゃないから。優しくなければロックは格好悪いというか。
僕はスーツが好きで最近よく着ているのだけれど、「ロックの人がスーツを着るのはおかしい」と言う人が時々いる。でもロックは自由なものだから。だからスーツを着るのも僕の自由。やっぱり歳を重ねれば、円熟して、スマートになって、でも切れ味鋭い、光っているジェントルマンでいたいと思う。それはロックであろうが、板前さんであろうが、サッカー選手であろうが、ビジネスマンであろうが皆同じでしょう。自分のスタイルを探し、手に入れたら、それを磨きながらも誇示せず、自分の中の輝きとして、常にずっと抱きしめて、自分らしく誇らしく生きていく。それが、僕にとってのロック。
場所: Roundhouse Chalk Farm Road, London NW1 8EH
料金: £28.50*
*購入方法により、料金に多少の変動あり
Tel: 0844 482 8008(Roundhouse)
Tel: 0844 338 0000(24時間チケット・ライン)
BookingsDirect.com