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Thu, 14 November 2019

第6回 ゆっくりでいいんですよ。

英国に赴任する前と帰国後で、私の生活パターンで何か変わったところがあるのかどうか。過日、そんなことをつらつらと考えていた。

明確な変化が、一つだけある。「バスを利用する機会がずいぶん増えた」ということだ。

東京での生活は、あれやこれやで通算14年くらいになる。ただし、過去の移動手段といえば、たいがいが電車か地下鉄だった。帰国後は、バスの利用がぐんと増えた。特別の理由があったわけではない。東京はロンドンと同様、バス路線も網の目のように走っている。自宅から職場の近くへ地下に潜ることなく、乗り換え無しで行くこともできる。

バス利用が増えるにつれ、いろんなことに気付くようにもなった。その最たるものは「東京はお年寄りの利用が断然に多い」ことである。

過日、自宅近くのバス停で、「新橋行き」を待っていた。冬に入っていたけれど、ぽかぽかと暖かい、文字通りの小春日和である。

1時間に3、4本しかない「新橋行き」を目指して、お年寄りが、ぽつん、ぽつんと集まってくる。そして、突然、老女が「どこまで行きなさるの?」と話しかけてきた。

ええっ、という感じである。見知った顔でもない。ここは郊外でもなく、どちらかと言うと、都心だ。見知らぬ人に、いきなり言葉を掛けられるとは思いもしなかった。

ぼそぼそした声で「……新橋ですよ」と答えると、「あらあ、私と違うのねえ」という言葉が返ってきて、老女は自分の行き先を口にした。すると、別の老女が私たちの会話の輪に入ってきて、私はどこどこです、嫁のところへ行くんです、などと聞きもしないことを語り始めた。

バスが来るまでの10分足らず。停留所では、時ならぬ井戸端会議が始まった。私は適当に相槌を打ちながら、しかし、どこか、とても懐かしい感覚を抱いていた。

それから、数週間が過ぎたころ、私は夕方、渋谷から自宅近くへ行くバスに乗っていた。乗客がちょうど全員座ることができるほどの、ほどよい混み方である。

自宅近くの停留所まで、バス停は20カ所くらいだっただろうか。その半ばくらいのバス停で、背の低い老女が乗ってきた。70歳か80歳か、それくらいの年齢に見える。

老女は脚が悪いらしい。乗り口のステップを、実にゆっくりと、ゆっくりと進む。左足を上の段に乗せ、おそらくは体勢と呼吸を整えるためにしばらく同じ姿勢で止まって、そして右足を同じ段へ。もう一段上がるために、また左足を上へ。ようやく運転手の脇に立つと、紙袋やバッグやスーパーの袋を左側でまとめて抱えて、右のポケットからパスを取り出し(たぶん敬老パスか何かだ)、そして、ゆっくりと通路に歩み出た。

歩幅は、靴のサイズほどもない。乗り口から優先席に座るまでに、優に3分はかかったと思う。

老女は、バス停1つ分しか乗らなかった。次のバス停でも、同じくらいの時間をかけ、同じような動作で降りて行く。とくに、最後のステップから地上に降りるときが、一番辛かったようだ。なかなか次の一歩が踏み出せず、地面を見詰めている。ただ、近くの乗客(その彼も相当の年配だった)が手助けしましょうか、と言っても、老女はそれを丁寧に断り、ようやく地面に降りた。

やがてドアは閉まった。運転手は老女が十分にバスから離れるのを待ち、なかなかアクセルを踏まない。老女は、車道から歩道へ上がる10数センチの段差を前に、また立ち止まっている。

バスが動き出したとき、私は顔を動かし、老女の姿を目で追った。同じように、乗客の何人かも老女を目で追っていた。

おばあちゃん、気を付けてね。ゆっくりでいいんだよ、焦らなくていいから。杖が無くて、大丈夫かな。でも、ちゃんと家に帰ってね。バスはだいぶ遅れたけど、そんなこと、どうでもいいんだ……。たぶん、みんな、そう思っていたんだと思う。

この拙文が読者のみなさんの目に触れるころには、2010年が始まっている。

今年も、あるいは今年こそ、良い年でありますように。何よりも人の温もりが、実感できる1年でありますように。

 
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高田 昌幸:北海道新聞東京編集局国際部次長。1960 年、高知県生まれ。86年、北海道新聞入社。2004 年、北海道警察の裏金問題を追及した報道の取材班代表として、新聞協会賞、菊池寛賞、日本ジャーナリスト会議大賞を受賞。2006~09年、ロンドンに駐在。
E-mail: editorial@news-digest.co.uk
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