第264回 聖ジョージの竜とシティ・ドラゴン
先日、バッキンガム宮殿の前にあるヴィクトリア女王記念碑を見ていた知人が、女王が左手に抱いているものは何かと質問してきました。「ヴィクトリア女王の像が抱く宝珠には何種類かありますが、あれは聖ジョージ・オーブといって、宝珠の上にイングランドの守護聖人、聖ジョージが乗っています」と答えました。聖ジョージは古代ローマ末期の4世紀に殉教し、その命日である4月23日が聖ジョージの日とされています。
ヴィクトリア女王記念碑と聖ジョージの宝珠
聖ジョージが実在した人物なのかどうかははっきりしませんが、竜退治の伝説は有名です。それは聖ジョージが現在のトルコ、アナトリア地方のカッパドキアで毒を吐き散らす竜を退治して王女を救い、その国をキリスト教に改宗させたというものです。竜を異教、王女をキリスト教会に読み替えれば聖ジョージが異教徒を倒した正義のヒーローとなり、聖ジョージと竜退治の伝説は悪と戦う比喩としても欧州で広く使われました。
ラファエロ作「聖ゲオルギウスと竜」(ナショナル・ギャラリー蔵)
特にイングランドでは、エドワード1世が白地に赤十字の聖ジョージ旗を掲げてウェールズやスコットランドに軍事遠征を行いました。また、1348年にはエドワード3世が英仏百年戦争で国民の団結心を強めるためガーター勲爵士団を創設しましたが、ガーター勲爵士団の勲章には聖ジョージがかたどられ、聖ジョージをイングランドの守護聖人に定めました。つまり、聖ジョージが王家の味方について悪を退治するというわけです。
聖ジョージの前に跪くガーター勲爵士(W.ブルージュ紋章官の勲爵士団図録)
この聖ジョージの守護聖人化の動きをいぶかしく思っていたのがシティ・オブ・ロンドンです。戦争をすれば通常の商業活動が阻まれますし、戦費のために税金が高くなったり、奉加帳が回されて資金負担が増えます。そもそも聖ジョージ旗を掲げて竜を絶対悪と決めつけることもどうでしょう。正確な日付は未詳ですが、シティは遅くとも14世紀初めにはドラゴンをシティの守護獣に採用し、印章のサポーターにしていました。
シティの紋章を支えるドラゴン
もともと蛇に似たローマ軍旗をブリトン人が赤い竜の旗、サクソン人が白い竜の旗として使い、赤竜と白竜の戦いを描いたのが1136年ごろの「ブリタニア列王史」です。現在、ブリトン人の国を唱えるウェールズの旗に赤い竜が使われ、サクソン人の末裔を自称するシティで白い竜を市の守護獣とするのは、ノルマン・フレンチ公国に由来する今のイングランド王家に対する暗黙の抵抗かもしれません。戦いに勝った側だけに正義があるのではなく、戦いに負けた側にも別の正義がありますから。シティのドラゴンは悪の竜ではなく、別の正義の竜です。
「ブリタニア列王史」の赤竜と白竜
寅七さんの動画チャンネル「ちょい深ロンドン」もお見逃しなく。