第117回 緑色の橋、赤色の橋、そして白い獅子
前号の第116回で英国会は議長の右側に与党が陣取り、左側は野党が座ると説明しました。更に面白いことには下院(庶民院)の座席の色が緑色、上院(貴族院)の座席が赤色に統一されています。法案に「進め」を出すのが下院、それに「止まれ」を出すのが上院の役目。二院制の役割も信号と同じというわけです。下院に近いウェストミンスター橋が緑色、上院に近いランベス橋が赤色に塗られているのも、両院の座席の色にちなんでいます。
緑色のウェストミンスター橋
赤色のランベス橋
さて、ウェストミンスター橋の南端には白い獅子の像があります。実はこの像は、当時サウス・バンクにあったライオン醸造所の屋上にありましたが、会社は買収され、後に閉鎖。1949年に醸造所が取り壊された際、獅子像はウォータールー駅入口に、その後、現地点に移されました。この像は耐久性の優れた英国特有の白いコード石から出来ています。コード石とは18世紀後半、エレノア・コード氏がテムズ川南岸、ランベスの工房で開発した 炻器(せっき)(陶器と磁器の中間)で造られた人工石のことです。
コード石を使った玄関口の装飾
エレノアは英南西部ドーセットで繊維業を営む家庭に生まれ、その後、ロンドンに移住。シティで生地屋を営みますが失敗。後に彼女はランベスの工房に移り、炻器の開発に取り組みます。生まれ故郷で産出されるボール・クレイと呼ばれる粘土には磁器の製造に必要なカオリン鉱石が含まれ、ほかの粘土と混ぜ、二度焼きすることでコード石を開発。この石材は当時人気を呼び、貴族の邸宅の装飾、教会や大学の庭園の石像に多く使われました。
しかし、一世を風靡したコード石も、19世紀前半にポートランド・セメント(現代において最も一般的なセメント) が発明されると、それに代替されて行きました。エレノアが亡くなった2年後に工房も閉鎖。現在のロイヤル・フェスティバル・ホールの南西側にあった工房はその跡形もなく、原料の調合に使われた石臼だけがホールに保管されているそうです。
コード石の白い獅子像
そうそう、ランベス橋のこと。カンタベリー大司教公邸のランベス宮殿周辺は、ウェストミンスター宮殿の対岸にありながら、湿地帯で貧しい地区でした。産業革命で干拓が進むとガラス産業や窯業で栄え、18世紀後半はコード石の成功を受け、1815年にジョン・ドルトンが炻器工房を作り、後の「ロイヤルドルトン」に発展します。往来激しいウェストミンスター橋が緑色、割れ物をゆっくり運ぶランベス橋が赤色、やはり、進め・止まれです。
ドルトンの最初の工房