第2回 シティにカモメが翔んだ日
「シティの灯りが 朝日に変わる そのとき 一羽のカモメが翔んだ」――すみません、古い歌を(しかも少々もじりあり)。シティのビル街には驚くほどたくさんのカモメが翔び交っています。初めてシティに来てカモメを見たとき、ここは港町か、と我が目を疑ったほどです。
そう、実はシティは港町なのです。私が通ったガイド育成学校の最初の授業では、テムズは「川」ではなく、「海」だと習います。ローマ人が何故、この場所にロンディニウム(Londinium)を築いたのか。それは当時、ここが感潮限界(海の潮汐現象を受ける境界)だったからです。ローマ人としては、海辺の近くはバイキングの攻撃にさらされやすいので川を上って内陸に入りたい、でも上流に行きすぎると、動力の無い時代、不便で交易の場所になりえない。満潮に乗ってさかのぼれる限界地、かつ、緩やかに曲がって川幅十分な場所――そう、それが現在のシティでした。
ブラックフライアーズ橋が建設されたのは1769年。
ローマ時代はここが感潮限界
それではシティは北海に近いのかと思いきや、そこは平べったい国、約50キロ以上河口から離れていても、シティの標高は最高21メートル、最低0メートルですので、潮は上ってきます。でも当時、テムズ最大の支流、フリート川が北部ハムステッドから現在のブラックフライアーズ(Blackfriars)橋付近に流れ込んでいたため、それ以上、潮は上ってきませんでした。ですから、この橋の橋脚には、感潮限界の印として下流向きに海鳥と海藻、上流向きに水鳥と草花の彫刻が施されています。
もちろん、この感潮限界は2000年前の話で、フリート川の水量はその後どんどん細り、今では道路下の下水管からチョロチョロ流れる程度です。感潮限界は上流に移っていき、現在ではロンドン郊外の街ハムに位置するテディントン・ロック(Teddington Lock)にあります。ウィンザー城近くのステインズ(Staines)には、シティ管轄の境界を示す石碑があります。これは、第3次十字軍派遣でお金に窮したリチャード1世がテムズの感潮域の漁業権をシティに売却したこと、さらに1285年、エドワード1世から確認の勅令を受けたことの証拠とされています。
その後、産業革命を迎えたテムズの水質は極端に悪化し、生物がほぼ絶滅します。シティは19世紀中ごろ、その管轄権を返上、国を挙げて水質改善に取り組みます。そして今や、サケを含む100種以上の魚類がテムズに戻り、再びシティにカモメが翔ぶようになったのです。
橋の上流向けの橋脚には水鳥(白鳥)の彫刻
下流向けの橋脚には海鳥(カモメ)の彫刻
ステインズにある石碑。右側の窪みは
運搬時に馬で引っ張った縄の跡