第1回 人生に「Road」は要らない
皆様、こんにちは。シティ公認ガイドの寅七と申します。平日は銀行マン、週末はシティのガイド・ツアーを行っています。これから「シティを歩けば世界がみえる」を通じて、シティの面白さをご紹介して参ります。
「シティって、いつからあるんですか?」――よく尋ねられます。シティとは、俗にいうワン・スクエア・マイル(=3㎢に満たない)で、30万人超のビジネスマンが働き、300以上の言語が話され、500以上の金融機関が鎬(しのぎ)を削る、世界の金融取引高の3割超を取引する世界一の金融センターです。シティ市役所(City of London Corporation)に、シティがいつから存在するのかを尋ねると、決まって「はるか昔からある」と真顔で答えを返してきます。この地域が「シティ」と呼ばれるようになったのも、自由な経済活動が許されるようになったのも、シティの紋章やこの役所が出来たのも、「はるか昔から」なのです。
もちろん、ローマ人が「ロンディニウム(Londinium)」という植民地を築いた西暦40年代、ここはまだシティと呼ばれていません。当時はこの地こそがロンドンそのものでしたから。ところが11世紀半ばにノルマン人がウェストミンスターに都を建設して以来、政治の都と経済の都は分かれ始め、シェイクスピア時代には明確に「The City」と記録が残されるようになります。
Guildhall
このギルドホールは1411年建築。
地下にローマ時代のコロセウムの遺跡があり、見学可能
先日、シティで郵便配達をしている老人から話を聞きました。「シティには『Street』や『Lane』、『Alley』がたくさんあるけど『Road』はない。もし、宛先に『Road』と書いてあれば間違いじゃ」。なるほど、「Road」という言葉は、エリザベス1世やシェイクスピアが活躍した時代、「街と街を結ぶ、馬で駆け抜けるハイウェイ」という意味で造られたそうです。当時のシティは既に出来上がった街でしたし、シティとその外の新しい街を結ぶ馬車道が「Road」なのです。老人は重ねて言いました。「シティの『通り』の名前だけで情景が浮かんでくる。ポストの色や形も、一つ、ひとつ。人生、駆け抜けるべからず」。
シティの多くは歴史保存地区(Conservation Area)に指定されています。世界一の金融街ですから競争は厳しく、迅速で抜本的な変化が望まれますが、その一方でシティは「通り」の名を変えませんし、「駆け抜けるハイウェイ」もありません。何を捨ててはいけないか、良く分かっている大人の場所です。人生に「Road」は不要、駆け抜けるべからず、なのです。
Street
騎士が乗馬で決闘に向かう通り
Alley
フェンシング学校の近くです
Lane
シティの「通りゃんせ」通り