紀元前27年に誕生し、地中海を取り囲むように巨大化したローマ帝国。やがて東西に分裂し、西ローマ帝国は西暦476年に滅亡する。一方、コンスタンティノープルを首都とする東ローマ帝国は、西暦1453年まで、1000年にもわたり存続した。この東ローマ帝国を中心に発達した建築様式が、「ビザンティン建築」だ。
数奇な歴史を持つ大聖堂
スレイマン寺院内部にある美しい
ペンデンティブ・ドーム
トルコ第二の都市イスタンブールにあるハギア・ソフィア寺院(アヤソフィア大聖堂)は、ビザンティン建築の中で最も華麗な建築であり、世界遺産にも登録される傑作だ。
西暦537年に竣工され、建設当初はキリスト教の大聖堂であったものの、後にイスラム寺院(モスク)の総本山に変貌するという数奇な運命を辿ることになる。東ローマ帝国を滅亡させたオスマン帝国の統治下で、大聖堂からモスクに大改修されたのだ。
だが改修とは言っても、偶像崇拝を認めないイスラム教の教えを実践するよう、キリスト教関連の彫刻などを取り除き、ミナレットと言われる4本の尖塔を四方に建てただけ。すなわち、ローマ建築の象徴とも言える、ドーム建築の空間的な美しさと重厚感のある姿をそのまま残し、より装飾的な派手さだけが加えられたのだ。興味深いのは、イスタンブール近郊の地域において、これがモスクの原型となったことだ。同じような形態で建てられたモスクが並ぶ独特の風景は、異文化の見事なまでの融合と言えるだろう。
異文化の融合と対立
一方、ジブラルタル海峡を境とするイベリア半島のスペインでは、逆にイスラム文化が滅ぼされ、キリスト文化による制圧が行われた。西暦756年、アフリカからジブラルタル海峡を渡ったイスラム教徒は南スペインを制圧し、コルドバに首都を置き、後のウマイヤ王朝を樹立した。キリスト教徒によるレコンキスタ(国土回復運動)によって、スペインから一掃される1492年までの約750年間、そこはメッカやカイロなど、他のイスラム都市を凌ぐほどの文化が繁栄した都だった。
このコルドバの大モスク(メスキータ)は、二重に架けられたアーチの連続の美しさで知られる。イスラム寺院の特徴は、メッカに向かう絶対的な空間軸や、アラベスク模様などの幾何学パターンの連続が創り出す無限性などに見られる。信者が床に跪き神に祈りを捧げるスペースを確保するため、床は水平に拡がるように設計されている。それに対し、キリスト教会では天に住まう神に祈るため、垂直軸を強調した空間形式となっている。メスキータの内部には、この相反する水平・垂直の建築空間が同居している。キリスト教の聖堂が連続するアーチ群の真ん中を占拠し、イスラム寺院の中に、忽然とその形式を挿入した感は否めない。
さて、話が異文化の融合と対立にそれたが、ビザンティン建築のその他の代表作には、ベネチアのサン=マルコ広場にそびえるギリシャ十字平面の上に5つのドームを冠するサン=マルコ教会や、モスクワの赤の広場に立つ、玉ネギ型ドームの聖ワシリー大聖堂が挙げられる。ロンドンでは、ビクトリア駅近郊に建つウェストミンスター大聖堂に、ビザンティンとロマネスクという2つの様式の折衷案を見ることができる。このように、異文化が交わる地域では、建築様式においても融合や制圧という現象が起こり、次世代のスタイルに多大な影響を与えている。
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