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Sat, 23 November 2024

知って楽しい建築ウンチク
藍谷鋼一郎

リージェンツ運河 Regent's Canal

産業革命を機に、英国の運河システムは爆発的に広まった。まだ鉄道や道路による交通網が発達していなかった当時、水運は物資輸送の要だったからだ。だが、かつては延長6000キロにも及んだ運河も、現在では3000キロあまりに減小。大英帝国の栄華を偲ばせる運河は、現在では市民の憩いの場となっている。

パディントンからライムハウスまで

カムデンロックいつも人々で賑わうカムデン・ロック

リトル・ベニスにほど近いパディントン・ベイスンからライムハウス・ベイスンまでの運河を「リージェンツ運河」という。運河工事は1812年に着工し、労働者の事故死や資金枯渇などの憂き目をみながらも、8年後には開通した。このマスター・プランを作成したのは、リージェンツ・ストリートの設計者でもあるジョン・ナッシュという建築家だ。ナッシュは、プリンス・リージェント(後の国王ジョージ4世)の懐刀として暗躍し、数多くの国家プロジェクトを手掛けている。

キングス・クロスナロー・ボートが停泊するキングス・クロス駅近郊

産業革命が起こったころ、ロンドンの市街地はすでにロンドン北西部のパディントン周辺まで広がっていた。そのため、運河をテムズ川まで延長するにはリージェンツ・パークを迂回する、つまり市街地の北端沿いに西から東へと掘り進んでから南下し、ライムハウスの辺りでテムズ川に合流するルートが経済的だったわけだ。ライムハウスまで来れば、あと少しで現在のキャナリー・ワーフに到達する。当時の運河は、ドックランド付近の一大貿易港と、イングランド中部の諸都市を内陸で繋げていたのだ。

ロックに見る開発史

西から東へと続く運河沿いの風景は、ロンドンの開発史をも雄弁に物語っている。刻々と変化する風景は、高級住宅地が立ち並ぶロンドン西北部、下町の続くイースト・エンドと言う具合に。この運河は、途中、パンキッシュな街、カムデンを通過する。カムデンといえば、いつも活気に溢れる「カムデン・ロック・マーケット」が有名だが、この「ロック」とは、運河の水位を調節する水門のこと。大地には高低差があるため、水面の高さが同じ運河を建設することは、不可能に近い。海抜0メートルに合わせて運河を掘り続けると、山中ではまるで谷底を抉(えぐ)るようになってしまうからだ。そこで水位を簡単に調節できるロックが採用されたというわけだ。

ライムハウス・ベイスンマリーナのようなライムハウス・ベイスン

さて、このロックのメカニズム、そして構造物が圧倒的に素晴らしい。2カ所のゲート間に船を停泊させ、高い方から低い方へ、低い方から高い方へと、水量を調節しながら船を垂直に移動させる。水を使ったエレベーターと言ったところだ。現在では、水運の衰退と共に、運河システム自体の需要は激減した。しかし、水辺空間の再開発が活発になり、運河沿いにはコンドミニアムが立ち並ぶようになった。特にドックランズの開発により、米国を思わせる近代的な高層ビルも出現している。

ライムハウス・ベイスン テムズ河からライムハウス・ベイスンへの入り口

また、東端のライムハウス・ベイスンも、ペンギンが並んでいるような集合住宅が建ち並び、まるでマリーナのような情景だ。古い倉庫を改装したロフトやオフィスも数多く並び、新旧、高級・B級入り乱れた味わい深い風景を作り出している。このルートは散歩やジョギングにも打ってつけで、多くの市民に親しまれている。ロンドンという都市の懐の深さを感じさせる場所のひとつだ。

 

藍谷鋼一郎:九州大学大学院特任准教授、建築家。1968年徳島県生まれ。九州大学卒、バージニア工科大学大学院修了。ボストンのTDG, Skidmore, Owings & Merrill, LLP(SOM)のサンフランシスコ事務所及びロンドン事務所で勤務後、13年ぶりに日本に帰国。写真撮影を趣味とし、世界中の街や建築物を記録し、新聞・雑誌に寄稿している。
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