ギリシャ建築と共に、西洋建築の礎を築いたローマ建築。これらは建築様式の2大古典と崇められ、後生の建築様式に強い影響を与えている。特に、ルネサンス様式やバロック様式は、発祥がイタリアということもあり、ギリシャ建築よりも、むしろローマ建築を手本にして作られている。
ギリシャ建築とローマ建築
バービカンにある城壁の
遺跡
初期のローマ建築は、ギリシャ人やギリシャで建築を学んだ建築家によって作られた。それゆえ、双方を明確に区分するのは困難だ。しかし、時が流れローマ帝政期になると、今日言われる「ローマ」らしさが現れる。一般的にギリシャ建築を「柱」の建築とすると、ローマ建築は、「壁」の建築である。つまり、柱と梁による配列を基調とした軽快で美しいプロポーションが特徴的な前者に対し、後者は、重厚な壁面が威圧感を醸し出すフォルムを持つ。ギリシャ神話の神々を称える神殿から、帝王の権威を象徴する建物へと表現の対象が変わっていったことも、変貌をとげた重大な要素と考えられる。
ローマ帝国は、現在のヨーロッパとほぼ同じ大きさの範囲にまで勢力圏を延ばしていた。すなわち、それらの地域には歴史の足跡として、ローマ時代の遺構が残っている。また、ローマの支配下にあった英国にも、ローマ時代の遺構は点在する。ロンドンの語源といわれるロンディウムの中心は、ローマ時代に築かれた城壁の中で発達した。金融街シティとほぼ同じ大きさの面積に張り巡らされた城壁の遺構は、今でも、バービカン周辺に残っている。
どことなく彫刻的な建造物であるギリシャ建築に比べ、ローマ建築は内部空間が飛躍的に発達している。アーチを直線状に引き伸ばしたヴォールト、あるいは、アーチの頂点を中心に一回転させたドームなど、アーチを基本形とした「新要素」の発明こそ、ローマ最大の功績である。
コンクリートまで?
直径6メートルのオクルス(開口部)
から神聖な光が差し込むパンテオン
古代ローマでは数々の土木技術も発達したが、水道橋を構築し、遠方から水を引くことで居住可能な都市国家を建設したことも、帝国の巨大化に貢献している。この水道橋にも往時の技術が散りばめられている。アーチを連続させることで自在に高さを調整し、一定の勾配でもって水を運んでいたのだ。その他、代表的なものに220メートルX114メートルの大きさを誇るカラカラ帝の大浴場や、長径が190メートル、防壁の高さが50メートルにも達する闘技場「コロシアム」、そして直径43.2メートルもの球が内接するドーム建築「パンテオン」などがある。2000年もの昔、すでにコンクリートが建材として使われていたのは驚きだ。ちなみにパンテオンのドームは、英国のシンボル、セント・ポール寺院のドームよりも遥かに巨大である。
石を積み上げる技術の発達は、後続の西洋建築の発達に明確な道標を残した。しかし古代ローマ以降、時代の潮流は建築物の巨大化とは別の方向に進んでいく。何しろ産業革命以降、鉄とガラスによって超巨大空間の建設が可能になるまで、ローマ建築を超える規模の建築物は現れなかったほどだから。
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