第99回 硬貨の灯台が照らすもの
前号に引き続いて硬貨のお話です。2014年製造の2ポンド硬貨には、ヘンリー8世から1514年に勅命を受けて誕生したトリニティ・ハウスの設立500周年を記念して、灯台が刻印されています。元々、シティにあるトリニティ・ハウスはテムズ川の無法者を取り締まるギルド組織でした。現在はイングランド、ウェールズ、ジブラルタル、チャネル諸島の灯台、ブイや海上通信システムの管理を行い、水先案内人の免許を交付する非政府部門の公共機構です。
2ポンド硬貨に灯台の刻印
シティに位置するトリニティ・ハウス
欧州の小国だった英国が大国に台頭するきっかけは、1588年、スペイン無敵艦隊を破ったことにあります。ドーバー海峡や北海は流れが急なことで有名ですが、戦闘の日に悪天候が重なり、船の操縦に秀でた地元海賊を擁していたことが英国勝利の一因と言われます。外敵の到来は、沿岸に作られた多数のビーコン(狼煙)から伝えられ、これが英国の灯台の始まりと言えるかもしれません。
1696年、プリマス沖のエディストーン岩礁に木製の灯台が建設されました。木製は傷みやすく、1759年にジョン・スミートンがオークの木をイメージして花崗岩とセメントで再建設しました。このデザインが海外に普及、現在の灯台の標準の姿になったようです。一方、陸地から離れ、かつ航路上重要な位置に浅瀬がある場合は、灯船が使われました。1734年に英国が近代的な灯船を作って以来、灯船は赤色が世界標準になります。
この灯船は現在、音楽スタジオとして再利用されている
1858年、電気工学の父、マイケル・ファラデーが灯台に発電機とアーク灯を持ち込み、電灯時代が到来。彼が実験した灯台はロンドン唯一の灯台として、今もテムズ川で活躍中です。日本では古来、海岸沿いの神社の常夜灯や石灯籠、あるいは薪を燃やす「かがり屋」が灯台の役目を果たしていました。西洋式の光力の強い灯台は幕末の開国時、欧米4カ国との灯台条約が始まりです。観音埼など8カ所に灯台、函館と本牧に2隻の灯船が設置されました。
ロンドン唯一の灯台。前にある小屋はファラデーの実験室
明治政府は灯台建設の技術者派遣を英国に依頼します。ここで「灯台の父」リチャード・ブラントンが登場。彼は犬吠埼(いぬぼうさき)や御前埼など日本全国に26の灯台を建設、横浜公園を設計し、初の舗装道路を横浜に導入しました。寅七が学生のころ、三浦半島の三崎から「岬めぐり」の歌を口ずさみながら、城ヶ島灯台→剱埼(つるぎさき)灯台→観音埼灯台と巡りましたが、いずれもルーツは明治初期の西洋式灯台。硬貨の灯台は、遠い思い出まで照らします。
「灯台の父」リチャードは横浜の街の設計者