第85回 お散歩編:ホワイトに秘められた歴史
ロンドン塔がホワイト・タワーと呼ばれていることを知り、不思議に思ったことがあります。塔が白くないからです。調べてみますと、この塔は11世紀末、シティを監視する軍のために建てられ、13世紀半ばにヘンリー3世が自らが住む宮殿として敷地を拡大、建物中に漆喰を塗って真っ白にしました。それでホワイト塔の呼称が定着したものの、手入れ不足で漆喰が剥げ落ち、現在に至ります。
もう白くない「ホワイト塔」
漆喰を塗ることを「whitewash」と言いますが「表面を厚化粧してごまかす」という意味もあります。白塗りには注意が必要です。ふと思ったのが英国の官庁街ホワイトホール。元々はヨーク大司教の大邸宅、ヨーク・プレイスでしたが、宗教改革の際、ヘンリー8世が没収してしまいました。シェイクスピアの「ヘンリー8世」にはこんなセリフが登場します。「もう、ここをヨーク・プレイスと呼ぶな。ホワイトホールと呼べ」。ヘンリー8世はここを欧州最大の宮殿に改築します。
官庁街はホワイトホール宮殿の跡地
ホワイトホール宮殿は約3万坪の敷地に1500を超える客間や大広間、室内テニス場や闘鶏場(現在の内閣府)、馬上槍試合場(現在のホース・ガーズ)、大ワイン蔵(現在の国防省)を有しました。ホワイトホールの名の由来は外壁が白い石灰岩製という説と真っ白な大広間の説があります。ところが1698年の火災でほぼ全焼。後に多くの建物がポートランド島の石灰岩製の白壁で再建され、白い官庁街になりました。
ホワイトホール宮殿の一部、バンケティング・ハウス
ホワイト塔、ホワイトホール宮殿に続き、シティの隣町、ホワイトチャペルにも白くて大きな教会、聖メアリー・マットフェロンが13世紀から第二次大戦後までありました。この教会が町の名の由来ですが、切り裂きジャック事件の起きた治安の悪い場所としても有名。近くのホワイトチャペル・ベル・ファウンドリー社は1570年設立の英国最古の製造業者。たくさんの教会やビッグベンの鐘、米国独立の象徴リバティー・ベルを作りました。
ホワイトチャペルの名の由来はここ
思えば、ローマ時代のブリテン島の呼称はアルビオン=白い国。ローマ人がドーバー海峡を渡ってくるときに見た、連なる白い断崖が語源と言われます。断崖が白いのは学校でおなじみのチョーク製だから。チョークは白亜紀(約1億4500万年前から6500万年前)に海底に堆積した生物の沈殿物が微化石になったもの。地球の生命史からみれば、私たちの祖先の生き物の栄枯盛衰がその白さの中に詰まっているわけです。まぁなんと地上の白さの歴史の儚(はかな)いこと。
アルビオンの語源となった白い断崖