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Tue, 16 July 2019
吉崎アドさん映画プロデューサー
吉崎アドさん

[ 後編 ] 金策に走り、時間に追い詰められ、スタッフや出演者からは苦情が寄せられる。映画業界という華やかな世界にあって、プロデューサーとは重要なのに地味で、かつ苦労の絶えない役割だ。映画の世界を間近に見てきた吉崎さんは、いくつもの節目を越え、この仕事にたどり着く。全2回の後編。
プロフィール
よしざきあど - 1979年、東京都新宿区生まれ。イタリア人の父、日本人の母を持つ。生後数カ月で、映画プロデューサーとして活躍する母親とともにロンドンへ。名門パブリック・スクール、ウェストミンスター校を経て、キングス・カレッジ・ロンドンで古代史を専攻。卒業後は母親が運営する映画製作会社、NDF Internationalでアシスタントやアソシエート・プロデューサーとして映画製作に携わる。2013年10月、初めてメイン・プロデューサーを務めた「ラスト・パッセンジャー」が英国各地で公開(14年には世界80カ国以上で公開)。14年1月にはDVDも発売予定。
www.ndfinternational.com

 

映画と歴史に魅せられた少年

10月に映画「ラスト・パッセンジャー」でプロデューサー・デビューを果たした吉崎アドさん。プロデューサーという、いわば影の存在になることを選ぶまでの軌跡には、彼の人格を形成するいくつもの人生の断片がある。

イタリア人の父親と、日本人の母親の下に生まれた吉崎さん。東京で生まれ、数カ月間を過ごしたものの、その後の生活はすべてロンドン。日本の大手映画製作会社を経て、ロンドンを拠点に映画プロデューサーとして活躍する母親の下で育った吉崎さんは、幼いころから国や分野を問わず、とにかく様々な映画を観ていたという。「映画は子供のときから身近な世界でした。イギリスやアメリカ、イタリアの作品、昔の映画もよく観ました。日本映画では黒澤の初期のコメディーから『はだしのゲン』まで。12歳のときにピーター・ウィアー監督の『ガリポリ(邦題: 誓い)』を観たときには泣いて泣いて、映画のもつ力を感じました」。よどみない日本語でゆったりと語るその口調が、映画の話となると一転、熱を帯びて饒舌になる。

幼少期、母親や友人とともに(左から2人目)
幼少期、母親や友人とともに(左から2人目)

地元の小学校を経て、英国有数の名門パブリック・スクール、ウェストミンスター校へ。ウェストミンスター寺院の隣に位置するこの学校での日々は、吉崎さんに多大なる影響を与えた。「ロンドンの中心が、自分の世界になる。13歳の僕にもこれはすごい、ということは分かりました。毎日、女王が戴冠したその場所で礼拝が行われ、夜には寺院にイルミネーションが灯って昔の世界に戻ったかのように静かになるんです」。日頃歩いている石畳の道の真ん中がくぼんでいるのは、何百年も前から何百万人もの人たちが歩いてきた証。僕の前にこの道を歩いたのは、どんな人たちだったんだろう――歴史が今に息づく環境で育った少年は、古代史を学ぶため、ロンドン中心部にあるキングス・カレッジの門を叩くことになる。

最後にたどり着いた結論

しかし大学に通った3年間は、授業の内容に満足できず、将来への道筋も見えない苦悩の日々となった。「バンドでギターを弾いていたのでミュージシャンかなと思ったのですが、考えてみると、僕が一番上手だったのは音楽そのものではなくて、人を集めるといったオーガナイズの部分だったんです。人を集めて、スケジューリングして、コミュニケーションを円滑にする。実際、アルバムを一つプロデュースしたのですが、この業界は合わないと思って。じゃあどうしようと考えたとき、映画ならば、好きな音楽も、歴史も、何でも取り入れられると思ったんですね。それまでは母とは違う道に進みたいと思っていましたが、母の会社で2、3年インターンを体験して、最後に分かったんです。一番作りたいのは映画だ、と」。

アソシエート・プロデューサー時代にロケ地のキューバで
アソシエート・プロデューサー時代にロケ地のキューバで

数年、映画プロデュースのいろはを学んだ後に「ラスト・パッセンジャー」でデビュー。現在は同時進行で進めていた次回作の準備中だ。「2007年から準備していて、上映予定は15年。監督はピート・トラヴィス、『シティ・オブ・タイニー・ライツ』という小説を基にした作品です」。英国らしさが随所に感じられた第1作目に続き、英国人作家による英国を舞台にした本を英国人監督が映像化するわけだが、今後も「英国らしさ」を追求するのだろうか。「まずはロンドンで地位を確立したい。最初の映画を作ったばかりですからね。僕らしさが出てくるのはその後。将来的には絶対、絶対に日本人としてのアイデンティティーを生かしていきたい」。日本人の血を引き、映画を浴びるように観て育ち、古(いにしえ)に想いを馳せ、ギターをかき鳴らしたそれまでの人生の一粒ひとつぶが映画作りで光り輝いていくのは、これからだ。

 
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