第26回 プロへの登竜門での思わぬハプニング
28 June 2012 vol.1358
先日、あるテレビ番組に出演する機会があり、その番組の資料作りのために、自分自身の昔の写真やビデオを部屋いっぱいに広げた。自分の昔の写真を眺めると、どうしてなのか少し恥ずかしい気持ちになる。結局、使用した写真はバレエを始めた8歳のころから、17年前に留学したときまでのものだったのだが、16歳のときの写真を見つけた際には、少しの間、思い出に浸ってしまった。
前回のコラムで少し触れたのだが、恩師との出会いにより国内大会で賞を取り始めた自分は、次に国際大会に出場することになった。その大会の名前は「ローザンヌ国際バレエコンクール」。多くのバレエ・スターを輩出してきたこの大会は、海外で活躍するプロを目指す新人ダンサーの登竜門として知られていて、自分もこの大会で賞を取ることを最大の目標としていた。一度何かをやろうと決めたら、絶対に最後までやり抜く性格は、今も昔も変わらない。このときも、東京のバレエ・スクールやバレエ団での2カ月間に及ぶ練習を含め、毎日、朝早くから夜遅くまで稽古やリハーサルに励んだ。
この大会、普段はスイスのローザンヌで行われているが、その年はロシアの首都、モスクワにあるボリショイ劇場で開催された。スーツケースにおじいちゃんから送られてきたお守りを入れ、いざモスクワへ。初めての国際大会ということで、恩師の内山先生も同行してくれた。迎えた大会当日は2月の上旬。マイナス20℃と、口から出る息も白く、肌が凍り付くような天気だったのが、今でも忘れられない。大会期間は約1週間。体験したことの無い長丁場に、毎日の審査が待っている。街中に大きくそびえ立つボリショイ劇場を目の前にすると、北海道の冬山を登山したことが記憶に蘇り、ここから自分の戦いが始まるんだと、体を震わせながら覚悟を決めた。
準決勝、決勝で使った、コンテンポラリー審査用ソロ作品「マスク」の仮面
初日は大会までのスケジュール発表や合同レッスンのみで審査は次の日からだったのだが、いきなり困ったことが起きた。コンクールの間は劇場内の食堂を使えたにもかかわらず、そこに並ぶロシア料理をどうしても食べることができない。米、パン、スープなどシンプルなものから、コロッケなどの揚げ物までそろっているが、どれを食べても味付けが日本とは全く異なっている。今でこそ世界各国を回り、それぞれの国の食文化に向かい合うことができるようになったものの、当時の自分は、酸っぱいパンを口に入れただけで気持ちが悪くなってしまった。これでは最終日まで肉体的にも精神的にももたないと悟り、何とか夕食まで我慢して、通訳の方に日本食の店はないか聞いても、劇場の近くには日本食レストランはおろか、アジア系のレストランも全く無いと言う。一緒に来てくれた内山先生にホテルで相談してみると、先生は、こんなこともあろうかとお米を日本から持参してくれていた。
それから毎朝晩、ホテルで先生にお米を炊いてもらい、お昼も先生が握ったおにぎりを劇場に持っていった。先生がお米と一緒に持って来たふりかけも最後にはなくなり、日本に帰る前の日には塩むすびになったのも、今では良い思い出だ。これは大会後に聞いた話なのだが、日本やほかの国から来た出場者たちは皆、同じような問題で苦しみ、結局、当時モスクワに進出したてのマクドナルドなどに通ったらしいのだが、最終日まで体が持たず、自分の力が出し切れなかった人も多かったらしい。自分はこのおにぎりパワーのおかげで、その後は体調を崩すことも無く、順調に準決勝まで進むことができた。
そして迎えた準決勝当日の舞台で、ある事件が起きた。この事件の内容については、次回、お話ししたい。