第3回何でもありの取材が横行する英新聞界
英メディア界の内情を暴露した本の数々
マックス・モズレーと言う人物をご存知でしょうか。2009年まで16年間、自動車レースの最高峰フォーミュラー・ワン(F1)などを主催する国際自動車連盟(FIA)の会長を務めました。モズレー氏には秘密がありました。それはサド・マゾ的な性行為の愉しみです。
08年3月、日曜紙「ニューズ・オブ・ザ・ワールド」はモズレー氏と売春婦たちが「狂ったナチスと売春婦」を演じながら、SM乱交パーティーを行ったと報じました。ウェブサイト上にはロンドンのアパートで撮影された動画が掲載され、モズレー氏が鞭むちで打たれたり、売春婦らとドイツ語で会話を交わしたりする様子を映し出しました。リアルな映像が撮影できたのは新聞社側が売春婦の一人にカメラを持たせていたから。モズレー氏はニューズ・オブ・ザ・ワールドの仕掛けに引っかかってしまったのです。社会的に重要な地位にある人の性的スキャンダル、しかも「ナチスを演じた」可能性があったことで話題となりました。
著名人に愛人がいた、麻薬を吸っていたなどの事実を暴露するため、自宅前に監視用の車を置いて取材相手を見張っていたり、失言や失態を引き出すために「仕掛け」を行う手法は大衆紙でも高級紙でもよく利用するようです。探偵事務所を使って取材対象の個人情報を探ることもあります。当人の同意を得ずに個人の機密情報を取得して公開する行為は個人情報保護法第55項の違反となりますが、特殊法人「情報コミッショナー事務所」が06年に発表したレポートによると、ある探偵事務所に対して寄せられた情報取得・売買の要請の大部分が大手新聞や雑誌の記者からのものでした。
ゴミ箱漁りさえタブーではありません。スターの自宅のゴミ箱に手を突っ込めば、ゴシップの種が見つかるかもしれません。
情報を買うのも英新聞界の特徴の一つです。大衆紙はスクープ情報を市民から募集し、情報の精度によって一定の報酬を支払っているようです。高級紙「デーリー・テレグラフ」は下院議員の経費使いについての情報が入ったディスクをある人物から高額で購入し、多くの議員が経費を水増しして請求していた事実を報道しました。
潜伏取材もよく使う手です。例えば介護施設の虐待などは通常の取材では表に出てきませんから、看護師として中に入り、秘密裏にカメラを回す、といった行為は真っ当な取材方法として認識されています。
日本経済新聞社の傘下にある「フィナンシャル・タイムズ」紙はこういった手法は使わない、唯一の「真面目な新聞」(社史を書いた歴史家談)と言われています。それでも、どの新聞も政治家や著名人にとって怖い存在であることには変わりがありません。欺瞞があれば「公益」という理由で徹底的に暴露されるからです。
公益と言う理由付けがいかにあやふやなものであるかを証明したのが冒頭のモズレー氏の事件でしょう。当初の報道から4カ月後、英高等法院は「ナチス的な要素はなかった」として、新聞社に6万ポンド(現在のレートで約900万円)の慰謝料の支払いを命じました。「パーティーの詳細を大々的に報じることには何の公益性も正当性も見出せない」(判決より)。
ただし、怖いもの知らずの英国のメディアでさえ怖がるものがあります。次回、詳しく見てゆきましょう。