スパイ事件の容疑者特定、調査報道サイト「べリングキャット」とは - 公的な情報を中心に「探偵」作業
このところ、ロシアのスパイについての話題が多いですね。きっかけは今年3月です。英南部ソールズベリーでロシアの元情報員、セルゲイ・スクリパリ氏とその娘ユリアさんが、有毒の軍用神経剤「ノビチョク」を浴びて意識不明となりました。2人は命を取りとめましたが、毒殺未遂事件として大きな衝撃を持って受けとめられました。スクリパリ氏はロシア連邦軍参謀本部情報総局(GRU)の元大佐で、英国に亡命した人物です。メイ首相は議会で「ロシア国家による我が国に対する直接的行動」であった可能性を示唆しました。続いて6月、ソールズベリー近くで拾った香水瓶の香水を身に振りかけた女性が、翌月病院で亡くなります。捜査後、香水にはノビチョクが入っていたことが判明しました。
9月上旬になり、英当局はノビチョク事件の容疑者はロシア軍情報機関の職員「アレクサンドル・ペトロフ」と「ルスラン・バシロフ」であると発表しました。2人がソールズベリーを訪れた際に撮影されたCCTVの映像も公開されました。ロシア政府は2人が「一般市民」で「犯罪性はない」としており、英当局の発表から約1週間後、ロシアのテレビに出演した2人は「観光でソールズベリーに行った」と説明しました。2人はスパイなのでしょうか、それとも一般市民なのでしょうか?
ここで登場したのが英調査サイト「べリングキャット」です。ロシアの調査サイト「ザ・インサイダー」と協力し、「バシロフ」とされた人物が、実はGRUのアナトリー・チェピガ大佐であると特定しました(9月26日)。続いて「ペトロフ」はGRUの軍医アレクサンドル・ミシュキン医師と断定(10月8日)。ロシア政府はいずれも否定していますが、英当局は異論を示していません。
「べリングキャット」のサイト名には「猫に鈴を付ける(belling the cat)」から転じて「危険なことに挑戦すること」という意味が込められています。創設者はイングランド中部レスターに住むエリオット・ヒギンズさん(39)です。2012年、失職中だったヒギンズさんは、自宅で娘の面倒を見ながらソファの上でラップトップを開き、シリアの内戦やその時々の国際ニュースの動きを追いました。複数のウェブサイトで「ブラウン・モーゼズ」という名前でコメントを書き込むようになり、同名のブログを開設しました。ブログ名は米ロッカー、フランク・ザッパの曲のタイトルから来ています。次第にヒギンズさんは、中東の武器識別専門家として知られるようになりました。2014年にはクラウド・ファンディングで資金を集め、新サイト「べリングキャット」を創設。その目的はオープン・ソースの情報を使って世界の様々な問題を調査・報道する市民記者同士の繋がりを作ることでした。オープン・ソースの情報とは政府の公式発表、メディア報道、ソーシャル・メディアなど、だれでも使える状態にある情報のことです。同時に、べリングキャットは情報の使い方を公開して互いに学ぶ機会を作り、調査報道ができる市民記者を育てることも目的としました。現在までに、10人ほどの中心メンバーがいますが、ボランティアで協力するジャーナリストや専門家は世界中に散らばっています。運営費は寄付金や調査報道のやり方を教える公開講座の受講料です。今回、ロシア人男性らの身元特定では通常の検索エンジンでは該当する人物を割り出せなかったため、「仮説を立ててこれが正しいかどうかを証明する」手法を使ったそうです。2人の容疑者が「西欧諸国で秘密工作を行うGRUの将校」と仮定し、どこで特殊訓練を受けたかを探り出すことで一人はチェピガ大佐であることが判明し、容疑者を知る人物と容疑者のパスポート画像からもう一人がミシュキン医師であることを割り出しました。べリングキャットはウェブサイト上で調査過程を公開しています。英当局が特定できなかった容疑者の身元を一人の元ブロガーが解明した……なんだか痛快ですね。