現代に受け継がれてきた「奇妙な伝統」英国のフォークロア
日本の各地に伝承や祭りがあるように、英国にも一風変わったフォークロアが数多く存在する。目をひくコスチュームが目立つイベントや参加者同士が激しく戦う競技など、一見ミステリアスに思えるそれらも、歴史や参加者の背景を理解すればより面白く感じられることだろう。今回は、現在も開催されているフォークロアのイベント紹介に加え、現代社会で叫ばれている「多様性」が慣習にどのように影響しているかについて調べてみた。この夏以降に開催のイベントもあるので、ぜひ文化的な旅行先の候補として読んでいただけたら幸いだ。(取材・執筆: 英国ニュースダイジェスト)
参考: https://folklore-society.com、www.english-heritage.org.uk、https://www.edinburghlive.co.uk、www.wales.com ほか
イングランド南部ヘイスティングスのジャック・イン・ザ・グリーン。ダンサーやバンドがパレードに参加し、夏の到来を祝う
目次
英国のフォークロアとは
古代に作られた英雄伝説やきらびやかな神話とは別に、特定の地域で独自に発展していった民間伝承や慣習がフォークロア(Folklore)だ。その地域に住む人々は、祝祭への参加を通じて土地や人生に誇りを持つことができ、自身のアイデンティティーを定義してきた。英国は、あるときは異国に侵略され、あるときは新しい宗教の影響を受けてきた数千年の長い歴史がある。イングランド、スコットランドなど4つの地域で構成される連合国の英国だが、各地域の特色を色濃く反映してきたフォークロアが、表舞台の陰で静かに、そして脈々と育ってきた。
一般人が楽しむための祝祭
今でこそ「なぜこんな祭りやイベントを行うのか」という疑問も、事が起こった当時の情勢に立ち返ってみると単純明快だ。数世紀前は現在のように医療が充実しているわけでもなく、人々は日々の暮らしに苦労し、常に病気や死と隣り合わせの世界。来年の祝祭のために楽しく生きるというシンプルな動機が、決して裕福とはいえない一般市民の間で明るく共有されてきた結果、フォークロアは生まれるべくして生まれ、世代を超えて人々の希望であり続けた。
こういった民衆の文化は、識字率の低かった時代に著名な作家や国を動かす政治家の目に止まらない限り、完璧な情報が現在まで受け継がれてきたケースはほとんどないに等しい。よって限られた資料を頼りに民俗学者たちが自説を唱え、論争が永遠に終わらないのもこのためだ。正確なルーツ探しも大事だが、一方でまずは自分の目で見て純粋にイベントを楽しむのをお勧めしたい。
奇抜さに注目!衣装で見るフォークロア
英国にいるなら現地で見てみたいフォトジェニックなコスチュームが魅力のイベントを集めてみた。そのほとんどがはっきりとした起源は分かっていないものの、風変わりな見た目は、多くの写真家を魅了している。
「夏の精神」を迎え入れ人々を冬から目覚めさせる Jack in the Greenジャック・イン・ザ・グリーン
ヘイスティングスのジャック・イン・ザ・グリーン。最終日にジャック(写真中央)は群衆の前で殺され、手にすると幸運が訪れるというジャックの葉が観客に向かって投げられる
メーデーを祝い、葉で覆われたピラミッド型または円錐形のフレームに人が入り、街中を行進するイベント。その起源はやや複雑で、17世紀にロンドンで記録された乳搾りをする女性や煙突の掃除人から生まれた説や、似たような慣習が欧州各地に見られることからキリスト教以前の豊穣の精神を表す「グリーン・マン」(Green man)の名残である説などが挙げられる。
18、19世紀にかけて、ジャックに加えモリス・ダンサーや道化師など、多くの人物がパレードに登場。全盛期には英国全土で数百のジャックが行進したが、19世紀半ばには「騒々しく、労働者階級の下品な催し」として社会で否定的な報道が続き、一部地域では上品な趣向に無理やり改変し継続させたものもあったが、その形態は本来のものと大きくかけ離れたものであった。さらに1875年に煙突掃除人法が可決されたことでパレードの重要人物であった掃除人の参加数が激減。その結果、20世紀初頭には、英国中でほとんど見られなくなってしまった。第二次世界大戦後、英国各地でリバイバルの動きが見られるようになり、19世紀の伝統を復活させたり、過去の文献やイラストを参考にして新たに構成を組み直したりと、地域によって特色が出ている。
トナカイの角を使う英国で最も古いダンスの一つ Abbots Bromley Horn Danceアボッツ・ブロムリー・ホーン・ダンス
トナカイの角を支える顔部分は剥製ではなく木製のもの。イベント日以外は聖ニコラス教会で展示されている。教区以外でダンスを披露する際は代替の角を用いて行うそうだ
アボット・ブロムリーのホーン・ダンスは、数世紀にわたって続く農村の儀式。その起源をアングロサクソン人と結びつける説もあるが、狩猟の権利を認めるものとして、後に森林の管理者としての象徴に位置づけられるなど時代によって意味は変遷していった。6人のディア・マンが同地の聖ニコラス教会からトナカイの角を受け取り、朝8時にはダンスを開始。角をぶつけ合うような激しいものではなく、ダンサーが二列になってシンプルなステップを踏むのが基本。一行は道化師、棒馬(Hobby Horse)と弓を持った少年、ドレスを着た男のメイド・マリアン、ミュージシャンなどで構成され、教区の各地で踊りを披露しながら10マイル(約16キロ)の行程を歩き、角は夕方に教会に戻される。
1226年8月に上演された記録が残されており、英国では最も古い民族舞踊の一つ。使用されるトナカイの角は放射性炭素年代測定によると1000年以上前のものであることが分かったが、当時の英国のトナカイはすでに絶滅していたことから、おそらくバイキングによって持ち込まれた説が有力とされている。イングランドの内戦で、教会に角を隠した時期もあったというが、ダンスは同地に住む家系が引き継ぎ今日まで存続してきた。
跳ねたり戯けたり……愛嬌のある動き Straw Bearストロー・ベア
ストロー・ベアは大人が担当する「ビッグ・ベア」と子どもが担当する「リトル・ベア」の2体が登場し、1人または2人の交代制で街を歩く
名前の通り全身にワラをまとい、歩くホウキのような格好が特徴の「ワラのクマ」が登場する。農業従事者にとって、その年の農作業をスタートさせる「鋤の月曜日」(Plough Monday、十二夜の後の最初の月曜)は大切な日。19世紀、英東部ピーターバラ近くのウィットルジーでは、「鋤の月曜日」の翌日にストロー・ベアをパブや民家に立ち寄らせ、いたずらしたり戯けたりして人々を楽しませ、金やビール、タバコ、牛肉といったものをもらう習慣があった。ドイツなど欧州各地の類似の風習が早春を意識した伝統的な祭りであるのに対し、ウィットルジーのものはもっと気軽なイベントだった。農業従事者たちは鋤の月曜日まで一銭も稼がずクリスマスを楽しむため、仕事に戻る日になって人々から小金を巻き上げたが、中には門を解放し家畜を外に逃すという行き過ぎたものもあったとか。ストロー・ベアには厳選された最良のワラが使うことが大事とされており、遊び半分ながら農業従事者としての本気度が窺えるだろう。
これらの風習は警察によって一時厳しく取り締まられたが、1980年に70年ぶりに復活。現在はモリス・ダンサーなどが多数参加し、寒さの厳しい英国の冬を楽しむイベントの一つとなっている。
不気味な見た目の吟遊詩人 Mari Lwydマリ・ロイド
マリ・ロイドは夜に民家を訪れ詩のバトルを住民と行った。一度家に入ると、あごを鳴らしながら走り回って子どもたちを怖がらせるなど、楽しいひとときが繰り広げられた
マリ・ロイド(ウェールズ語でY Fari Lwyd)はウェールズ南部に残る民俗習慣で、装飾した馬の頭蓋骨に布をかぶせた棒馬のこと。数人のグループでクリスマスの時期になると民家やパブを訪れ、ウェールズ語の歌を歌い、住人と即興の韻と詩を競い合う「pwnco」と呼ばれる儀式を行った。マリ・ロイドを家に入れると幸運が訪れるとされたことから、マリ・ロイド一行が負けることはほとんどなかったという。19世紀に初めて言及され、以後ウェールズ南部で人気の行事だったが、18世紀に復活したウェーリッシュ・メソジストたちの活動拡大、またウェールズ語を話せない人が増加して、詩を返せなくなったこともあり、20世紀初頭には姿を消してしまったが、1960年代に復活した。
マリ・ロイドはリボンやロゼットで飾られ、本物の馬の頭蓋骨が使用されており、バネで固定された下あごは大きな音を立てながら口の開閉ができる。
ウイスキーを飲みまくる屈強な男 The Burrymanザ・バリーマン
スコットランドの港町でかつて同じような風習があったが、現在見られるのはサウス・クイーンズフェリーのみ。バリーマンとなる男性は、あまりに過酷なため過去には失神する人も
スコットランド、エディンバラ西部の町クイーンズフェリー(Queensferry、South Queensferryとも呼ばれる)で8月の第2週に行われるフェスティバル「フェリー・フェア」に組み込まれているイベント。12世紀ごろから始まった同フェアも十分古いが、バリーマンの起源は、はるか昔の数千年前の収穫を祝うための、異教の死と再生の祭りに関連しているとされている。しかし明確な起源は謎に包まれており、11世紀にマーガレット女王が同地からフォース湾を横断し、エディンバラから対岸のダンファームリンを訪れたことを記念して生まれた説もある。
街を練り歩くバリーマンになれるのは町出身の男性のみで、目と口、手と足の先以外をアザミに似たイガイガのゴボウの実(Burrs)で埋め尽くし、花やシダで飾り付けした独特のいでたちだ。歩く際は足を大きく広げた状態で、伸び切った腕を休めるための杖を常に携帯し、2人のサポーターを伴いながら7マイル(約11キロ)を9時間以上かけて回る。ただでさえタフな状況だが、この格好でたくさんのパブを訪れ、その度にストローでウイスキーを飲む。また、ウイスキーや寄付金をバリーマンに渡すと幸福が訪れるという伝承から、パブ間の住人からウイスキーをもらうこともしばしば。
黒塗りの馬が激しく踊る Obby Ossオビー・オス
とにかく騒々しい祝祭で、1837年には空中への銃の発砲を禁止。違反すれば罰金を科すと警告のポスターを町中に貼り、住民同士で抑制し合った
英南西部コーンウォールのパドストウで行われるメーデーのお祝い。正確な起源は不明だが、古代ケルトの祭りで、夏の始まりを祝うベルテイン(Beltane)に関連したものとされており、同地でのオビー・オスが資料に初めて言及されたのは19世紀初頭ごろ。男性の踊り手が交代制で「オールド」と「ブルー・リボン」の2頭の棒馬になりすまし、オビー・オスをからかうティーザーに導かれ、別ルートを行進する。1919年にはそれまで1頭だったオビー・オスが2頭になり、祝祭の最中に悪酔いする群衆を諌めるために投入されたものの効果はなく、その役割は薄れたまま現在も2頭が存在する。
オビー・オスは、様式化した馬の仮面に光沢のある黒い円状の大きな体が特徴で、円状の木枠を大ぶりに回しながら、群衆で混雑した狭い通りを激しく動き進んでいく。特に若い女性を捕まえようとするが、過去にはこの木枠がオビー・オスに対し背を向けて立っていた女性の首にあたり、事故の原因となったこともあった。オビー・オスはアコーディオンなどのバンドと「デイ・ソング」と呼ばれる特定の歌を歌うサポーターを従えて練り歩き、2頭は夕方ごろに町の中心部に建てられたメイポールで出会い、厩舎に戻って翌年の復活を待つ。
祝祭は体を張って楽しむ競技で見るフォークロア
昔は娯楽が少なかったせいもあるのか、伝統的なお祭りで行われるイベントには、力自慢のような競技系のものが多い。びっくりするほど乱暴なものもあるが、ばかばかしいと片付けるにはあまりにも惜しい、6つのイベントを紹介する。
謎めいた起源を持つ Morris Danceモリス・ダンス
1600年、モリス・ダンスを踊るエリザベス朝の道化師ウィル・ケンプ(右)
花の冠をかぶり、足首に鈴を付けた男性たちが、ハンカチを振りながら野外で踊る、英国の奇妙なイベントに遭遇した方はいないだろうか。モリス・ダンスと呼ばれるこのダンスは、中世イングランドの農村で発生したといわれる民族舞踊の一つだ。春分の日や夏至などに、特定のフェスティバルやイベントの際に踊られることが多く、イングランド各地で多様なスタイルが存在する。ダンサーたちは通常6人組で、アコーディオンや太鼓などの伴奏に合わせて、リズムを取り足を踏み鳴らして踊る。ウェールズに接する南西部では、ハンカチの代わりに手にステッキや剣を持つ、やや荒々しいスタイルの闘争系ダンスのほか、顔を黒く塗るタイプもあり、これらはボーダー・モリス(Border Morris)と呼ばれている。
モリス・ダンスの起源や歴史については諸説があり、正確な起源は定かではない。ただ、最古の文献は1448年。当時は大道芸の一種のような役割があったと考えられるが、17世紀半ばには教区で演じられる民族舞踊の性質を帯びるようになっていく。モリス・ダンスは宗教と関りはないものの、1970年代のリバイバル時に、当時人気のあった自然崇拝やネオ・ペイガニズムなどと一緒に語られたため、今ではそうした民衆信仰のフォークロアの系譜に組み入れられている。
現在では、ほとんどのイングランドの町や村にモリス・チームやサイド(グループを指す用語)が存在するといわれており、それらのチームはみな振興協会に属している。これらの協会はモリス・ダンスの保存や発展に尽力しており、今では参加者に女性や海外メンバーもいる。
英北部ヨークでハンカチを振って踊る、モリス・ダンス・チームの男性たち
けが人が続出! The Cooper's Hill Cheese-Rollingチーズ転がし祭り
急な斜面を転がり落ちていく参加者とチーズ。誤って観客がなぎ倒されることもあったという
参加者たちが、クーパーズ・ヒルの丘の急斜面を転がる大きな円形のチーズを追いかける、英南西部グロスターシャーで行われるイベント。春の到来を祝うペイガニズムの祭りをルーツに、同地方で少なくとも600年にわたり開催されている。当日計5回行われるレースは1回に20人が参加し、最高時速112キロで丘を転がる重さ約4キロのダブルグロスター・チーズをキャッチしようと急斜面に身を投じる。毎回捻挫や骨折、脳振とうなど一定数のけが人が出ることでも知られており、ふもとには救急チームが待機している。
近年は乾燥した天候が続き地面が固くなっていることに加え、けが人の多さから公式イベントは2010年を最後に中止。それ以降は警察の監視の下、有志によって運営されている。使用されるチーズは地元の伝統的なチーズ・メーカー「スマート社」のもの。振動でバラバラにならないよう、側面を木製ケースで保護されリボンで飾られている。この競技は海外でも知られており、多くの参加希望者と見物人でにぎわう。2013年には初めて日本人男性が優勝した。
ほかにやることなかったの Gurning contests変顔コンテスト
コンテストのために変顔をする男性
「変な顔をする」を意味するガーニングと呼ばれるコンテストは、英北部の伝統的な祭りやイベントで見られ、コンテストは通常パブやクラブなどで開催される。起源は13世紀にまでさかのぼるそうで、競技者たちはブラッフィンという馬の首輪を付けたまま、顔をしかめてグロテスクな形を作り出す。特に毎年9月の第3土曜日に開催される、カンブリア地方のエグレモンツ・クラブ・フェア(Egremont's Crab Fair)で開催されるものが有名。同大会主催者によると、ガーニングはかつて村の愚者(フール)に対する地元住民の扱いに由来している。愚者はビールを貰うために、馬の首輪を付けて変な顔をして見せたのだそう。現在の競技者たちは犬のように唸ったり、顔にペイントをしたりして、変顔をしたまま暴れまわる。大会には、幼児から高齢者まで幅広い年代の市民が参加し、子ども、女性、男性の3つの参加カテゴリーがあるという。ただ、変顔をするには歯のない方が適しているようで、入れ歯を外した老人が高得点を挙げることが多いのだとか。
ちなみに、エグレモンツ・クラブ・フェアの起源は1267年。世界で最も古い村祭りの一つであるとされている。ここでは、変顔コンテストのほかにも、油を塗り滑りやすくなったポールを速く登るコンテストなどが開催されている。
www.egremontcrabfair.com
血沸き肉躍る中世のラグビー The Haxey Hoodハクシー・フード
革の筒を掲げる参加者の男性。華やかな衣装と激しい競技のギャップが大きい
ハクシー・フードは、英北部リンカンシャーの小さな村、ハクシー(Haxey)で毎年1月6日に行われる伝統的な競技イベント。13人の男たち(フーダーズ)が、村の四つのパブに面した広場で、革製の筒を自分たちのパブに運びこもうと試みる。衣装は華やかだが競技は非常に激しいもので、筒はスクラムを組んだフーダーズたちによって引っ張り合いになる。フーダーズたちは泥まみれになり、観客たちはラグビーの試合観戦のように大いに盛り上がる。最終的に勝者のパブは、1年間その筒を次の年まで保管することになる。ちなみに、競技の際には愚者の扮装をした男性が、「家対家、町対町、男が男に出会ったら、ぶっ倒して、でも傷つけないで」という、大変物騒な古い英語の唄を唱える。この唄は、それでも以前のもっと過激なものから緩和されたバージョンなのだという。
この競技の起源にはいくつかの説があり、最も有名なものは14世紀にさかのぼる。その伝説によれば、地主である地元貴族の夫人が狩りの最中にフード(帽子)を風で飛ばしてしまい、13人の農民たちがフードを追いかけ、最終的に無事に女性の手に戻った。喜んだ夫人は、13エーカー(5万3000 平方メートル)の領地を農民たちに与え、そこで今回の出来事を競技として毎年開催するよう命じたというもの。以来、伝統的な行事として人々に愛されている。
英国フォークロア博物館
痛い目にあわせた方が勝ち Shin-Kicking World Championshipsすね蹴り選手権
コッツウォルズ・オリンピックのポスター。右上にすねを蹴り合う男性たちの姿が見える
昔のイングランドの面影を残したエリアとして、日本人からも人気の高い英南西部グロスターシャーのコッツウォルズ。ここでは毎年6月にコッツウォルズ・オリンピックという、古代競技を集めたイベントが開かれている。そのなかでも重要な競技が、400年以上の歴史を持つといわれる「すね蹴り」。その名の通り、向かい合った2人の男性が相手の肩をつかみ、すね(Shin)を蹴ることで相手をつまずかせたり、地面に投げたりする一種のレスリングのようなものだ。競技者は深刻なけがを防ぐため、クッションがわりに干し草をズボンの中に詰め込むことが可能。残酷なことに、昔は靴のつま先に金属を取り付けて蹴っていたそうで、相手のすねを傷付けるためにあらゆる工夫がされていたらしい。現在はもちろんそのような行為は禁止になっている。
また、かつては「目をえぐる」「噛む」行為は禁止という注意書きが残っているほどに深刻化する競技だった模様だが、地元の村々から選抜された選手による対抗試合で、村の威信がかかっていたという。「スティックラー」(Stickler)として知られる審判は棒を持っており、「ルールを守る」(Stick to the rules)というイディオムは、この競技に由来すると考えられている。現在は、現地の住人だけではなく誰でも参加のできる気軽なイベントだが、念のため救急チームが待機している。
すね蹴り選手権では羊飼いの白いジャケットを着て戦うのが決まり
コッツウォルズ・オリンピック
力と技を競い合う Caber Toss丸太投げ
丸太を持ち上げる競技者の男性
ケーバー・トスは、競技者が「ケーバー」と呼ばれる大きな丸太を、一回転させながら投げることを競い合う、スコットランドの伝統的なスポーツ・イベント。通常、5〜9月に開催される「ハイランド・ゲームズ」と呼ばれる祭りの一部として、スコットランド各地で実施される。参加者は伝統的なスコットランドのキルトを着用し、カラマツの木から作られた長さ約5メートル、重さ約80~130キロの丸太を扱う。この競技の起源は明確ではないが、伝統的な農作業や戦いの訓練の一環として行われていた可能性がある。競技のルールは、選手が1本の丸太を立てて持ち上げ、そのまま走りながら投げる。丸太は、尖った部分が下に来るように、空中で最低でも一回転しなければならない決まりがある。近年では、世界中で行われる競技大会やフェスティバルでも、この競技が取り入れられるようになっている。同様の競技はかつて16世紀のイングランドや北欧にも存在した。
また、ハイランド・ゲームズにはハンマー投げもあるが、これは近代オリンピックの祖、ピエール・ド・クーベルタン男爵がハイランド・ゲームズに感銘を受けたことから、ハンマー投げがオリンピック競技大会の種目に採用されたという経緯がある。男爵が丸太投げを推していたら、今ごろオリンピックの種目にケーバー・トスが入っていたかもしれない。
www.scotland.com/blog/caber-toss-scotland
英国に根付いた4つのフォークロア
私たちが英国で日々暮らすなか、毎年巡って来る季節のイベント。クリスマスやイースターなどの宗教色は少ないものの、普段の英国生活に密着したフォークロアを紹介しよう。
Pancake Race
1. パンケーキ・レース
毎年2月の告解の火曜日(Shrove Tuesday)にパンケーキを食べるところまではキリスト教に基づく伝統だが、フライパンに入ったパンケーキを持ったまま走る「パンケーキ・レース」は、15世紀に端を発する英国の風習。イングランド南東部バッキンガムシャーのオルニーに住む1人の主婦が、礼拝の時間に間に合わないと焼きかけのパンケーキが入ったフライパンを持ち、エプロン姿のまま大慌てで教会へ駆け込んだ。これがレースのきっかけになったという言い伝えがある。
May Day
2. メーデー
春の訪れを祝い、夏の豊穣を願う祭日として、欧州各地でキリスト教伝来以前にさかのぼる起源をもつ。当日5月1日は、野山で摘んできたサンザシを家に飾る。また、メイポール(五月の柱)と呼ばれるモミや白樺といった木を森から切り出し、その下を子どもたちが踊る。さらに、古代ドルイド教における供犠や人身御供の一種として、メーデー前夜には巨大な人形ウィッカーマンが焼かれる。モリス・ダンスが多く踊られるのもこの時期である。
ウィッカーマンは編み細工で出来た人型の構造物
Summer Solstice
3. 夏至の祭典
昼の時間が1年で最も長くなる夏至を祝う祭典が、英南西部にある古代遺跡ストーンヘンジで行われる。普段は遺跡保護の観点からストーン・サークルの中に入ることはできないが、毎年6月21日前後となる夏至の日は特別で、日没から日の出までサークル内に入ることが許される。ただえさえパワー・スポットとして人気の場所なため、世界中からこの瞬間を見届けようと多くの人が訪れる。夏至は世界各地で特別な日とされているが、英国ではドルイド教に由来し、男性神、女性神の出会いを祝う。
夏至の日にはさらに神聖な場所になるストーンヘンジ
Guy Fawkes Night
4. ガイ・フォークス・ナイト
深刻な宗教対立が続く16世紀の英国で、11月5日の議会開会日に国会議事堂を爆破することを決めたカトリック教徒たち。だがテロの動きを察知したジェームズ1世によって議事堂内に多数の衛兵が送り込まれ、テロは失敗に終わる。このとき、現行犯として逮捕された唯一の男の名前がガイ・フォークスで、以来11月5日はガイ・フォークス・ナイトとして英国中で花火大会が開催される。また、子どもたちはガイ・フォークスの人形を作り「ガイのために1ペニーを」と近所を回って花火を買う。
現在も変わり続けるフォークロア
民間伝承は世代から世代へと受け継がれていくものだが、それと同時に時代と共に変化もしている。昔はOKとされていた慣習が、現代の感覚では人種問題や性差別の観点から問題視される場合もある。
顔を黒く塗ったモリス・ダンサー
いくつかのボーダー・モリスや英北部のココナッツ・ダンスでは、参加者が顔を黒く塗って踊ることに対し、人種差別的であるという議論が起きている。モリス・ダンスの協会は、代替案を探すようダンサーたちにアドバイスしており、英南部ハンプシャーのモリス・ダンサーたちは黒の代わりに青色を顔に塗ることで対処。また、黒く塗っていたこと自体を500年余りも過去にさかのぼって謝罪する必要があるか否か、モリス愛好家の間でも話し合いが続いている。一方で英北部ランカシャーのダンサーたちは、顔を黒く塗るのは同地の伝統であるとしている。これはランカシャーが炭鉱の町であり、顔の黒さは炭鉱夫を表しているからなのだという。議論は続くに違いないが、黒塗りが良くないと安易にダンス自体を廃止する方向へは進まないはずだ。
女性の参加
モリス・ダンスは伝統的に男性のチームとされていたが、1975年には初の女性モリス・ダンス連盟(The Women Morris Federation)が発足。82年にはThe Morris Federationとなり、男女の性差にかかわらずどのダンスのどの役割も受け持てることとなった。現在はこうした伝統的な民間芸能に再度光が当たっていることもあり、新たな女性ダンサーたちが増加している。その結果、これまでのモリス・ダンスとは全く異なる、新しい動きやコスチュームが生まれており、新たなダンスの伝統が作り出されている過渡期にある。2015年に結成された女性ばかりのモリス・ダンス・チーム「ボス・モリス」(Boss Morris)は、現代音楽にインスパイアされた振り付けを披露するなど、狭かったフォーク・ダンスのジャンルに新風を吹き込んでいる。



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7日のストリート・パーティーの様子。近隣の住人が食べ物や飲み物を持ち寄り、和気あいあいとした雰囲気だ
ピムスやケーキ、カップ・ケーキなどデザートがいっぱい!
パイなど英国らしい料理も並んでいます
戴冠式2日前のザ・マルにはもう場所取りをする人の姿が
英国旗と戴冠式の記念旗が飾られたピカデリー・サーカス
ロンドン中心部のバーリントン・アーケード。足元には国王のロイヤル・サイファー(紋章)が
イースターの恒例行事「ロイヤル・マウンディ・サービス」でヨーク大聖堂を訪れたチャールズ国王夫妻
写真左上から時計回りに、支配者の宝珠、聖エドワード王冠、十字付きの王笏、鳩の付いた王笏、君主の指輪。1953年の戴冠式で使われたレガリアが再び使われる
大英帝国王冠(写真左)メアリー女王王冠(同右)
戴冠式スプーンは12世紀に作られた。2本の指先を浸せるよう、スプーン中央が分割されている
英国でも話題になった「ヘンリー王子回顧録 Spare」
戴冠式の行進ルート
2014年に初使用されたダイヤモンド・ジュビリー・ステート・コーチ
ウェストミンスター寺院
戴冠式の椅子は1297〜1300年に作られ、Coronation ChairまたはEdward's Chairと呼ばれる。座面の下のグレーの部分がスクーンの石


準決勝に進んだチームの組み合わせの抽選会が、英北部リヴァプールで行われた
今年のユーロヴィジョンの会場となるリヴァプールのM&S Bank Arena Liverpool
2023年2月1日、賃上げと労働環境の改善を求めて、4万人がロンドンの街で抗議デモを行った
教員や公務員も2023年2月1日のWalkout Wednesday(抗議の水曜日)と呼ばれるデモに参加。この日はあらゆる業種の50万人が一斉にストライキを実施した



賃上げを求めてユニバーシティ・カレッジ・ロンドン・ホスピタルの前で抗議するNHSスタッフ
デリバルーのドライバーはフリーランス・ワーカー。こうした非正規労働者のための新しい組合が生まれている
2009年のリメンバランス・サンデーにおいて、ホワイト・ホールの戦没者記念碑に献花するヘンリー王子(写真左)とエリザベス女王(同右)
終戦から100年:英国・ドイツ・フランスから見る第一次世界大戦
第一次大戦終戦100年、赤いポピーのアートで戦没者を追悼する
88万8246本のポピーで埋めつくされた休戦記念日
1863年のダンテ・ガブリエル・ロセッティ。撮影はルイス・キャロルの名で知られるC・L・ドジソン
若き日のロセッティの「自画像」(1847年)
かつてミレイのアトリエがあった大英博物館近くの建物。現在は「ラファエル前派が結成された場所」と記された銘板が掲げられている
クリスティーナの著作「ゴブリン・マーケット」の第2版
1863年にルイス・キャロルことC・L・ドジソンが撮影したロセッティ一家。母親を中心に、右から姉のマリア、弟のウィリアム、ロセッティ、階段に座る妹のクリスティーナ
ハイゲート墓地に眠るロセッティ一家(写真中央左、1番大きいもの)。ロセッティの両親、弟妹と共にシダルも埋葬されている



アプリ「PickUpMyPeriod」はスコットランド限定で稼働。生理にまつわる知識などの教育的サポートも担っている
ロック・ロモンド&ザ・トロサックス国立公園内の女子トイレに設置された無料の生理用品
ボタンを押すだけで紫外線を使った高度な殺菌ができる専用クリーナーが付くEmmカップ
バーガンディー色のショーツを着用し試合をするマンチェスター・シティWFCの選手たち
ヴァギナ博物館のウェブサイト



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壁いっぱいの鏡でスペースを広く見せているリブレリアの店内
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ハウスマンズでは「独裁者に立ち向かう方法」がスタッフのお勧め
店内も外も人でにぎわうブロードウェイ・マーケットのアートワーズ
かつては野良猫だったというポパイが店番をするブックモンガーズ
本好きが住みたくなるような空間、ジョー・サンドー・ブックス
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ロンドン・レビュー・ブックショップは話題の本が探しやすい
隠れ家のようなページズ・オブ・ハックニーの地下スペース
さまざまな団体のチラシやポスターが置かれたフリーダムの店内
入口には頑丈なドアが設置
ゆっくり本を選べる雰囲気のレビュー・ブックショップ。足元は人工芝






