「プライド」パレードから50年英国におけるLGBT+
ロンドン中心部で交通を遮断し、大々的に開催されるプライド・パレード
世界各地でLGBT+(レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー、クィアなど)コミュニティーのためのフェスティバル「プライド・パレード」が毎年開催されているが、英国でのフェスティバルは2022年でちょうど50年を迎える。昔に比べLGBT+に対する人々の理解は深まったように思えるが、今なおLGBT+がマイノリティーであることには変わりがない。この特集では、この50年でLGBT+に対する英国人の意識がどう変化したのかを検証してみたい。(文:英国ニュースダイジェスト編集部)
参考: www.stonewall.org.uk、www.pinknews.co.uk、、BBC ほか
「プライド・パレード」の始まり
「プライド・イン・ロンドン」(かつては「プライド・ロンドン」)は、毎年推定150万人が訪れるロンドンの人気イベント。ロンドン中心部のオックスフォード・ストリートを開放し、性別、民族、セクシュアリティーを問わずさまざまな人びとが参加する大規模なパレードは、人間の多様性をアピールする、祝祭的雰囲気にあふれたイベントだ。だが今でこそ万人に開かれているが、50年前に開始されたときは「同性愛者の権利を求めるデモ」の一つだった。
初めてパレードが開催されたのは1972年7月1日。当時は「UK ゲイ・プライド・ラリー」と呼ばれ、700人余りが参加したといわれる。1969年6月に米ニューヨークで起きたストーンウォール反乱に影響を受けて開催された。この反乱事件は、NYのゲイ・バー、ストーンウォール・インへの警官による踏み込み捜査にLGBT+当事者たちが立ち向かい、5日間にわたる暴動へと発展したもの。同性愛者の権利を求める運動の象徴的出来事として各国に知られるようになり、これをきっかけに米国でゲイ解放戦線(Gay Liberation Front)が設立。翌年には英国にもロンドン・ゲイ解放戦線(London Gay Liberation Front)が立ち上げられ、「UK ゲイ・プライド・ラリー」もそうした運動の高まりから生まれた。
1972年ロンドンで開催された「UK ゲイ・プライド・ラリー」
英国のLGBT+に今起きていること
LGBT+は、個々の違いを受け入れ、認め合い、生かしていくダイバーシティー&インクルージョンの動きとセットで語られることが多い。だが、その理想を語ることに重きが置かれ、実現のための地道な試行錯誤が見落とされがちだ。人々の意識を変えるには一朝一夕にはいかず、時間もかかる。
ここ数年は政府などの行政機関もダイバーシティー&インクルージョンに努めているといえるが、現在英国で起きているLGBT+をめぐる動きをピックアップして紹介する。
LGBT+とは一言ではくくれない複雑多様なアイデンティティー
LGBT+ コミュニティーといってもさまざまな種類があり、レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー、クィアのほかに、次のようなものがある。
・クエスチョニング
自身の性自認や性的指向が定まっていない、もしくは意図的に定めていない
・インターセックス
身体的性が一般的に定められた男性・女性の中間もしくはどちらとも一致しない
・ノン・バイナリー
自身の性自認と性表現を「男性・女性」という二つの枠組みに当てはめない
・アセクシャル
他者に対して恋愛感情も性的欲求も抱かない
・ポリセクシャル
男性・女性だけでなく複数のジェンダーに恋愛感情を抱く
・ジェンダークィア
ジェンダーが性別二元制を超越し、男性でも女性でもない
・ジェンダー・ヴァリアント・ピープル
既存の性別に属さない
このほかに、アイデンティティー的にはマジョリティーに属していることをシスジェンダー(出生時に判断された身体的性別と、自分の性自認や性表現が一致している)といい、LGBT+に理解があり支援する人々のことをアライ(ally=同盟)と呼ぶなどしている。
サッカーと同性愛
遅れがちなLGBT+の共存
英サッカーのブラックプールFCに所属するジェイク・ ダニエル選手(17)が2022年5月、自らがゲイであることをカミング・アウトし大きな話題を集めた。
LGBT+の共存が進んでいるように見える世の中だが、スポーツ、特にサッカーはPKを失敗した選手に対し、観客から人種差別的中傷が飛んだり、選手も相手チームに対する中傷に同性愛者を指す言葉を使うなど、マイノリティーに対する差別が残る世界として知られる。
その中でのダニエル選手のカミング・アウトがいかに勇気を伴うものだったかは、現役中にカミング・アウトした英サッカー選手がダニエル選手で2人目に過ぎず、1990年に公表したリーズFC ジャスティン・ファシャヌ選手についでほぼ30年ぶりであることからも分かる。
ダニエル選手は、今回のカミング・アウトでクラブやチームメートから多大なサポートを受けたそうで、同性愛のサッカー選手にとっての前向きな先例になりそうだ。
カミング・アウトしたジェイク・ダニエル選手(写真右)
同じくクィアを公表している飛び込み競技の英代表でオリンピック・ゴールドメダリストのトム・デイリー選手は、米ニュースサイト「デーリー・ビースト」のインタビューで、「本当に素晴らしいこと」と称え、「LGBT+の子どもたちはこれを聞いて、自分たちもやれるんだ、仲間に入れてもらえるんだ、と勇気付けられるはず」と語っている。
ジャスティン・ファシャヌ選手
1980年代から98年に自死するまで、イングランドの複数のクラブでプレーしたサッカー選手。黒人初の移籍金100万ポンド(当時約5億円)の選手として知られた。現役だった90年に、自分が同性愛者であることや保守党議員と関係を持ったことを告白。
まだ同性愛に対して開放的ではないその時代、風当たりが強まるなか、98年3月に米国で、未成年者への性的暴行の容疑で起訴される。同年5月にロンドンで無実を訴える遺書を残し、37歳で自らで命を絶った。近年のLGBT+容認の風潮からファシャヌ選手に再び注目が集まり、2020年には英北部マンチェスターの国立フットボール博物館への殿堂入りを果たした。
トランス女性の競技参加
女子スポーツにおけるLGBT+の共存は、男子スポーツとはまた違った難しさを持っている。男性の体を持つトランスジェンダーの女性(以下トランス女性)が、女子スポーツの種目でほかの選手と競い合う際、トランス女性の体力の優位性やほかの競争相手への怪我の脅威なしに、女子競技で競争できるのか、という問題だ。
ボリス・ジョンソン首相をはじめとする多くの人は、トランス女性には体力や体格的に利点があるため、女子競技に参加すべきではないという立場をとる。現に、自転車競技のエミリー・ブリッジ選手(21)は、国際自転車競技連合(UCI)から女子部門での出場を認められなかった。
一方でスポーツはもっと包括的であるべきだと主張する人もいる。LGBT+の慈善団体ストーンウォールはジョンソン首相の発言について、「トランス女子は、ほかの人々と同様にスポーツの利益を享受する機会を持つべきだ。トランスジェンダーの人々を一括で除外するのは根本的に不公平だ」と述べている。
BBCによると、国際オリンピック委員会(IOC)が昨年11月に改訂した最新のガイダンスでは、トランスジェンダーの選手が女子競技で不公平な優位性を持つと「自動的に推測」するべきではないとしている。
また、陸上競技や重量挙げ、体操、水泳といったオリンピック競技については、それぞれがトランスジェンダー選手についてのルールを定めるよう推奨している。
陸上競技の国際団体「ワールドアスレティックス」は、テストステロン(男性ホルモン)の血中濃度を1リットル当たり5ナノモールに設定している。イングランドのラグビー・フットボール連盟も、一定のテストステロン値であることを条件に、トランス女性の出場を認めている。先の東京オリンピックでは、陸上女子の一部種目でテストステロン値を基準に参加資格を制限し、オーバーした場合はトランスに限らず女子選手として出場できないという新ルールを導入した。
しかし2022年1月、38人の医療専門家がテストステロン値抑制をめぐる方針に疑問を投げかけた。トランスジェンダーの選手に関しては、急速に展開している新しい問題のため、引き続き議論が続くとみられる。
トランスジェンダーとシスジェンダー
2021年、生まれつきの身体的な性別よりも心理的な性自認の方が「社会的に重要」であるという考え方にかねてから疑問を投げかけていた、サセックス大学で哲学を教えるキャサリン・ストック教授が辞職を余儀なくされる事件があった。トランスジェンダー支持の活動家の学生たちから「トランスフォビア」と非難され、同教授の解任を求める運動が展開。教授は一時、殺人予告すらも受けていたという。
ストック教授は、トランス女性が更衣室などの女性専用施設を利用したり、女性専用のスポーツ・チームに参加したりすることを認めるべきという考えにも疑問を呈していた。これに同意見の「ハリー・ポッター」シリーズの作者、J・K・ローリング氏は同教授を支持するツイートをし、同氏もまた批判された。
トランスジェンダーは、出生時の身体的性別と性自認が同じであるシスジェンダーと同じ権利が欲しいと訴えているが、トランスジェンダーで女性を自認する人の権利行使が、生まれつき女性の人の権利を侵食する場合もあると懸念する人たちもいる。こうしたトランス女性をめぐる発言がこれまで何度も議論の的になっており、問題はフェミニズムの領域にも達している。
だがこうした問題は、トランス男性には起きていないのはどうしてだろうか。体が女性であるトランスジェンダーの男性は、生まれつき男性であるシスジェンダーから性的暴力の被害を受けることが多いと聞く。トランス男性が更衣室などの男性専用施設を利用したり、男性専用のスポーツ・チームに参加したりすることは可能なのかということは、話題にされていないようだ。
こうしてみるとトランスジェンダーの問題は、そのまま男女、シスジェンダーの問題でもある。男女の性差を抜きに、トランスジェンダー問題だけを解決することは難しいだろう。英国では2004年に、法的に性を変更できる「性認識法」が制定された。数年前には医療診断なしに個人が性別を変更できるよう改正の動きがあったものの、政府は20年に改正案を却下している。
EVENT
Pride in London
セクシャル・マイノリティーであるLGBT+の社会的地位向上を目指す毎年恒例の大規模なパレード。ハイド・パーク・コーナーを12:00に出発後、グリーン・パーク、ピカデリー・サーカス、トラファルガー広場などを経由し、ホワイトホールへ進む。有料席のグランドスタンド・シートも用意されるほか、トラファルガー広場やレスター広場などには特設ステージやストールが設置される。
2023年7月1日(土)
Grandstand Seat £60
ロンドン中心部、Oxford Circus / Piccadilly Circus駅など
www.prideinlondon.org
20世紀後半から現在に至るまでの同性愛者をめぐる時代の変遷
1957年 | ウォルフェンデン委員会が軍人以外の21歳以上で合意ある成人同士の同性愛行為を非犯罪化するよう提言 |
1967年 | 第三者がいると思われる場所を除き、同性愛行為が非犯罪化。性的同意年齢は21歳(異性愛及びレズビアンは16歳) |
1969年6月 | 米NYでストーンウォール反乱。ゲイ解放戦線(GLF)がニューヨークで設立 |
1970年 | ロンドン・ゲイ解放戦線(ロンドンGLF)が設立 |
1972年7月 | プライド・パレードの第1回がロンドンで開催 |
1980年 | スコットランドで同性愛行為が非犯罪化(条件は1967年と同様) |
1982年 | 欧州人権裁判所の判断に基づき、北アイルランドでも同性愛行為が非犯罪化 |
1994年 | 同性愛の男性の性的同意年齢が18歳に |
2000年1月 | 同性愛者の軍隊勤務を禁じる規則が廃止 |
2001年1月 | 上院における3回にわたる否決ののち、労働党政権が同性愛の男性の性的同意年齢を16歳に引き下げ |
2004年 | 性認識法が制定され、性同一性に違和感を持つ人は法的な性を変更可能に |
2005年12月5日 | 同性愛カップルに結婚とほぼ同等の権利を与える2004年シビル・パートナーシップ法が施行 |
2005年12月30日 | 同性愛カップルが養子を迎え、共同親権を持つことが可能に |
2009年9月10日 | ブラウン首相(当時)が同性愛者だった数学者のアラン・チューリングに対して、刑務所への収監と引き換えにホルモン療法を施したことを正式に謝罪 |
2013年12月 | エリザベス女王がアラン・チューリングに死後恩赦を与える |
2014年3月29日 | イングランドおよびウェールズで同性間の結婚が可能になる2013年結婚(同性カップル)法が施行 |
2014年12月16日 | スコットランドで同性間の結婚が可能になる2014年結婚およびシビル・パートナーシップ(スコットランド)法が施行 |
2017年1月31日 | イングランドおよびウェールズにおいて、過去に同性愛行為で有罪になり亡くなった人々が放免に。また、有罪となり生存している人たちは、内務省に届け出ることで記録が抹消されるされる通称「アラン・チューリング法」が制定 |
パレード当日の様子
公共施設や企業も参加しイベントを盛り上げる