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Tue, 03 December 2024

第256回 英国トランプのハートのクイーン

前号の特集号で英国トランプの歴史を紹介したところ、ハートのクイーンのモデルについて友人と話題になりました。英国トランプは絵札モデルを特定できないように作られてきましたが、時代によってはさまざまな議論があったようです。元をたどれば、英国でトランプの存在が初めて記録されたのはエドワード4世の時代、赤バラが徽章のランカスター家と白バラが徽章のヨーク家が王位を争ったバラ戦争(1455~85年)の最中でした。

ヘンリー・ペインによるフレスコ画「テンプル・ホールでの赤と白のバラ選び」ヘンリー・ペインによるフレスコ画「テンプル・ホールでの赤と白のバラ選び」

英仏百年戦争(1339~1453年)後の英国では、仏王家との和平を推進するランカスター家と、再び開戦を求めるヨーク家の間で意見が対立しました。戦闘の指揮を執ったのは、ランカスター家はヘンリー6世で、ヘンリー6世が病に倒れると王妃マーガレット、一方、ヨーク家はエドワード4世でした。そしてこのバラ戦争で最終的に勝利を収め、ランカスター家とヨーク家の和睦を実現させて、チューダー朝を開いたのがヘンリー7世です。

ヘンリー7世(右)は赤バラのランカスター家と白バラのヨーク家を和睦させ、紅白のチューダー・ローズにヘンリー7世(右)は赤バラのランカスター家と白バラのヨーク家を和睦させ、紅白のチューダー・ローズに

実は、ヘンリー7世は王妃エリザベス(エリザベス・オブ・ヨーク)と共にトランプ・ゲームが大好きでした。不幸にも王妃エリザベスは37歳で 産褥死 さんじょくし してしまい、悲しみに暮れたヘンリー7世は王妃エリザベスをハートのクイーンのモデルとして、チューダー・ローズと共に描くようトランプ製造者に指示したそうです。それ以降、英国ではハートのクイーンは王妃エリザベスを指すものといわれるようになりました。

17 世紀のトランプのハートのクイーン(右)とエリザベス・オブ・ヨーク(左)17 世紀のトランプのハートのクイーン(右)とエリザベス・オブ・ヨーク(左)

ところが19世紀後半、ルイス・キャロル原作の「不思議の国のアリス」が出版されて大人気になると、ハートのクイーンのモデルはエリザベス・オブ・ヨークではなく、ヨーク家と戦ったヘンリー6世の王妃マーガレットだといわれるようになりました。なぜならアリスが迷い込んだ逆さまの世界では、赤バラを愛するハートの女王(ランカスター家)が白バラ(ヨーク家)を果敢に攻撃し、誰もがハートの女王を恐れたからです。

ランカスター家のマーガレット王妃(右)と「不思議の国のアリス」のハートのクイーン(左)ランカスター家のマーガレット王妃(右)と「不思議の国のアリス」のハートのクイーン(左)

さらに小説では、白バラを植えてしまった兵士が咲き始めたバラを慌てて赤く塗る場面があります。白バラを植えたことが女王様に見つかったら処刑されてしまうからです。作者キャロルは「Painting the roses red」(バラの花を赤く塗ろう)という表現を使って、支配者を恐れて隠ぺいする当時の英国社会を 揶揄 やゆ したかったのかもしれません。ハートのクイーンが赤バラでも白バラでも、皆が平和で心豊かに暮らせる社会が一番ですね。皆さま、本年も大変お世話になりました。どうぞ紅白歌合戦でも見ながら良いお年をお迎え下さい。

バラを赤く塗る兵士たち(右)と処刑宣告をするハートのクイーン(左)バラを赤く塗る兵士たち(右)と処刑宣告をするハートのクイーン(左)

寅七さんの動画チャンネル「ちょい深ロンドン」もお見逃しなく。

 

シティ公認ガイド 寅七

シティ公認ガイド 寅七
『シティを歩けば世界がみえる』を訴え、平日・銀行マン、週末・ガイドをしているうち、シティ・ドラゴンの模様がお腹に出来てしまった寅年7月生まれのトラ猫


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