第178回 シェイクスピア時代の英語
寅七の夏の楽しみはグローブ座を訪れ、舞台の最前列から役者のセリフを聞き取ることです。台本を片手にセリフを目で追いかけますが、決まって「Thou(汝)」「Thy(汝の)」「Thee(汝に)」という単語が出て来るとその意味を考え込み、その間に劇が進行してしまいます。毎年、同じ失敗を繰り返し、来年こそは聞き取るぞと奮起しますが今年はコロナ禍で演目は休演中。気分は穏やかです。
ロンドンのグローブ座
そんな話を知人の英語教師にしたところ、シェイクスピア時代(16世紀後半から17世紀前半)の英語は英語史のなかでも著しい変化の過程にあったことを教えてくれました。英語史には主に3段階あるそうで、それは古英語(5世紀から1066年ごろまでゲルマン語派の時代)、中英語(1066年から16世紀前半の宗教改革のころまで)、近代英語(16世紀以降。20世紀以降を現代英語と4段階にする説もある)です。英語は英国の歴史に連動して変化しています。
動詞の活用語尾は近代英語では三単現のSだけ残った
古英語には欧州大陸の言語と同様に動詞の活用語尾、つまり一人称、二人称、三人称の単数と複数により動詞の活用語尾がありました。
ところが英国は1066年にノルマン・フレンチに征服され、仏語の影響を受けて中英語が生まれます。中英語の二人称には仏語と同じく親称と敬称が持ち込まれ、下層階級のゲルマン人は上層階級のフランス人に対して敬称の「Ye( You)」を、ゲルマン社会では親称の「Thou」を使うようになりました。その際、親称と敬称では動詞の活用語尾が異なるので動詞の語尾変化は複雑を極めました。また、仏語と同じく単語の語頭にあるhや語尾のtを発音しなくなりました。
1066年のノルマン征服を描いたタペストリー
ところが16世紀の宗教改革で神の前の平等が唱えられ、庶民は二人称の親称・敬称の区別をしなくなり、「Thou」が日常生活から消え、「You」で統一されます。こうして動詞の活用語尾もすっかり簡素化された近代英語が生まれ、印刷術や演劇とともに広まっていきました。
宗教改革で提唱された神の前の平等を描く銅版画
ただ、三人称単数形のときにつく活用語尾のSは残りましたし、引き続きシティを中心に話されていたコックニー(ロンドン方言)でも、語頭のhや語尾のtを発音しませんでした。語頭のhや語尾のtが有音に復活するのは18世紀の啓蒙時代のころです。言語は時代とともに変化しますが、シェイクスピア演劇のセリフを追いかけることで、社会や生活が大きく変化した時代がより一層透けて見えてきます。来夏の観劇に向けて闘志が湧いてきました。
近代英語は「You」で統一された
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