第163回 中世の意外なリサイクルと火薬製造
シティのシェルボーン・レーン
シティの市長(ロード・メイヤー)の公邸近くにシェルボーン・レーンという細道があります。16世紀前半の地図ではシットボーン・レーンと書かれており、かつてここに肥溜めがあったことがうかがえます。当時はまだ市長公邸が近くに建っていませんが、周囲が街の中心部だったことには変わりありません。そんなところに排泄物のリサイクル・センターがあったのでしょうか。調べてみると意外なことが分かりました。
下肥を回収する職人ゴング・ファーマー
昔のロンドンには下水処理施設がなく、排泄物は家の窓から投げ捨てられたという説明をよく聞きます。でもそれは17世紀以降、人口が急増してから起きたことで、以前はこのシェルボーン・レーンを始め、各家の裏庭にも肥溜めがあり、夜になるとゴング・ファーマーという職人が下肥(しもごえ)として回収し、シティから船で運び出して農業肥料に利用していたようです。そして人口が増え始めてからは、1つの大きな場所に集めるようになりました。
マウント・プレズントの郵便局
シティ北西側に位置するクラーケンウェルにはマウント・プレズント(楽しき山)という広い敷地があります。そこはつい最近まで世界最大の郵便仕分けセンターがありましたが、18世紀初頭までシティの排出物が集積される場所でした。当時はまだフリート川が近くを流れていてそれらを輸送するのにとても便利だったからです。さらに驚いたことに排出物は農業肥料として利用されていただけでなく、黒色火薬の製造にも使われたようです。
硝石は黒色火薬の原料
黒色火薬は8世紀ごろまでに中国で発明され、モンゴルやオスマン帝国を経て欧州に13世紀ごろ伝わったと言われます。黒色火薬を作るには硫黄、木炭、硝石が必要ですが、欧州ではあまり硝石が採れません。火薬兵器が急速に普及すると硝石をいかに入手するかが勝利の決め手になり、皆が硝石探しに躍起になりました。16世紀初め、ヘンリー8世は軍事力強化のため硝石の輸入に奔走し、硝石を国内生産できないかと考えます。
下肥で人工硝石を製造する様子
やがて下肥は草と土のバイオの力により硝酸カリウムを生み、結晶化すれば硝石になることが分かりました。そこで全国の肥溜めに硝石採取人が派遣され、さらにドイツから硝石の人工製造法(下肥を草と土に混ぜて何層も積み上げて乾燥させて作る)を習得し、下肥の需要が高まります。でもその後、東インドに硝石の鉱床が見つかると輸入品があふれて国内生産は衰退。硝石を求めて「尻に火が付いた」活発な状況は短期間で終わってしまいました。