第134回 サザックのホップ取引所と白い馬
かつてテムズ川流域にはたくさんのビール醸造所が並んでいました。シティからロンドン橋を渡ってすぐのサザック・ストリートには、ビクトリア時代に栄華を誇った旧ホップ取引所があります。ビールの原料であるホップの英国最大生産地である英南東部ケント州と道一本で直結していたので、ここがホップ取引の中心地になりました。でもホップ入りのビールが英国に普及するのは17世紀以降のことで、英国のホップの歴史にはビールの泡の様には消えない、大人の渋みが今も残っています。
サザックの旧ホップ取引所
中世の英国では、ハーブで味付けされたグルートと呼ばれるエール酒が普及していました。グルートは教会や為政者が生産を独占し、酒税と共に権力者の貴重な財源でした。英国に初めてホップ農園が出来たのは1520年ごろ。ケント州カンタベリー近郊で、宗教改革でドイツやネーデルランド地方から逃れてきたプロテスタント教徒が栽培を始め、ビールの生産を開始したようです。
当時の英国はカトリック教を支持し、ホップ入りのビールを悪魔の飲み物として禁止。ホップ入りのビールとホップを入れないエール酒は宗教改革の代理戦争の一面がありました。でも宗教改革の終わりと共にホップ入りビールも公認され人気を博します。以降、エール酒にもホップを入れるようになりました。
エールとビールは宗教改革の代理戦争
旧ホップ取引所には白馬のついたケント州の旗があふれていますが、この白馬はケント王国を建国したジュート人兄弟ヘンギストとホルサの象徴だそうです。1世紀初頭にローマ帝国がケルト人の住む英国を植民地化しますが、4世紀末に起きた東西ローマの分裂のため410年ごろにローマ人は全員撤退。その後、居残ったケルト人の間で内乱が起きます。そこへ、傭兵としてか、ゲルマン民族の大移動の余波か、いち早くケントに駆け付けたのがユトランド半島(現在は北がデンマーク領、南がドイツ領)出身のジュート人でした。
ケント州の旗は白馬
ケント王国を建国したヘンギストとホルサ兄弟
ジュート人はケント王国を建て、更にユトランド半島南東のアンゲルン半島からアングル人、半島西南部からサクソン人を呼んで部族国家を建国。これがアングロ・サクソン七大王国の成立に繋がり、イングランド(=アングル人の土地)の誕生となります。ちなみに、欧州大陸にいたサクソン人が作ったハノーファー王国の旗の象徴も白馬ですが、こちらはケント王国の親戚です。ホップ入りビールもイングランドの建国も、白馬に乗った王子様のお陰なのでしょう。
ハノーファー王国の旗