第91回 お散歩編: 小さなガラス箱とガーデニング天国
英国の暗くて長い冬はあまり気分の良いものではありません。こんなとき、シティのバービカンの植物園が快適です。ロンドンで2番目に大きい温室が無料で開放されていて、たくさんの植物に癒されます。英国固有の植物は花を咲かせるものが47種しかなく、それ以外の大半がシダやコケ類(それらを含むと430種)。花が咲き乱れる庭園は英国には存在せず、大航海時代に海外の植生豊かな地の見聞録が広まって世界が一変しました。
バービカンの植物園は日曜開園
例えば16世紀に西欧に伝わったチューリップは、名前の由来がトルコ語の「Tulipa(ターバン)」であることからも分かる通り、トルコ原産。鑑賞用植物だけでなく胡椒や香料からコーヒー、茶、タバコ、綿花やインディゴなどの工業原料まで、自国にはない様々なものが西洋の人々を魅了しました。手っ取り早く原産地を支配したいと願うスペインやポルトガルは先を競って植民地獲得に取り組みますが、英国は少し違うアプローチをとります。
チューリップ、確かにターバンにも見える
シティの薬剤師ギルドが設立したチェルシー薬草園。大英博物館の生みの親、ハンス・スローン医師は海外から多くの薬草を取り寄せ、内科薬を研究しました。後に王立キュー植物園の顧問となるジョセフ・バンクスもここで有用植物の効能を見出し、種の保存・交配を研究します。これを国の政策として拡大、つまり、海外の植民地に植物園を作って栽培された苗や種子を送り、品種改良と移植の研究を進めたのが王立キュー植物園です。
海外から薬草を集めたチェルシー薬草園は1637年設立
でも植物は根の張った生き物。どうやって持ち運んできたのでしょう。ここでシティの隣町ワッピングの開業医で薬剤師ギルド会員のナサニエル・ウォードが登場します。彼は偶然にも汚染から守るために作ったガラス箱の中で植物が繁殖することを発見。後に「ウォードの箱」と呼ばれるようになるガラス箱により、中国の茶がアッサムに、アマゾンのゴムがマレー半島に、ペルーのキニーネ(マラリア薬)がインドに、それぞれ移植されて大成功を収めます。
植物の持ち運びを可能にした「ウォードの箱」
大航海時代の幕開けは英国が植物に目覚める機会になった
司令塔の王立キュー植物園は最先端の植物研究機関へと変わり、貴族もこぞって庭に温室を建てて珍しい植物を自慢し始めます。当時はまだ写真がなく、植物の分類は繊細な植物画が頼り。植物画は芸術の領域に広がり、陶磁器や服飾品、室内デザインにも取り入れられ、造園技術や庶民のガーデニング熱も高まりました。英国式庭園は、商業主義や国の政策と手を結びながら、植物採集家が運んだ小さなガラス箱から始まったのです。