第44回 未来はそんなに悪くない~フォーチュン座
シティにあるバービカン・センターは、1982年にオープンした欧州最大の複合文化施設。居住・商業区であるだけでなく、ロンドン交響楽団とBBC交響楽団が本拠を構えるコンサート・ホール、映画館、劇場、アート・ギャラリーなどが入居しています。「バービカン」の名の由来は、ラテン語の「要塞」ですが、この周辺はローマ植民地時代、兵士の駐屯地でした。第二次大戦で破壊されても文化遺産の砦として現代に甦ったわけです。
バービカン・センターにはシティ全住民の半分近く、約4000人が住んでいる
この界隈にはサクソン時代からの教会、聖ジャイルズもあります。護国卿になったオリバー・クロムウェルがシティの商人の娘と結婚式を挙げた場所ですが、探検家マーチン・フロビシャー、英国初の地図帳出版者ジョン・スピード、「失楽園」のジョン・ミルトンが埋葬され、「天路歴程」のジョン・バニヤン、「ロビンソン・クルーソー」のダニエル・デフォー、名門ダリッジ・カレッジの創始者エドワード・アレンが通った教会でもあります。
バービカンの一角から長い歴史を見守ってきた聖ジャイルズ教会
このエドワード・アレンは当時、珍しいほどの長身でイケメンでした。演劇が流行した16世紀後半、シェイクスピアが属する宮内大臣一座の看板スターがリチャード・バーベッジなら、そのライバル劇団、海軍大臣一座のスターがアレン。特にクリストファー・マーロウの戯曲「フォースタス博士」や「タンバレイン大王」を演じたアレンは大人気で、若かりしころの詩人ジョン・ミルトンを含め、多くの人が憧れる人気俳優だったそうです。
教会の窓には右にアレン、左にフォーチュン座
アレンが活躍した劇場の一つが、バービカンの北にあったフォーチュン座。1599年に宮内大臣一座が円形のグローブ座を建設した翌年、彼の属する海軍大臣一座がそこに四角いフォーチュン座を建てました。劇場の入口には運命の女神フォルトゥナの像。幸運は後から掴めない、という意味から彼女の髪は後ろ髪を掴めないよう前に束ねられ、当時、観劇に来た女性も襞ひだえり襟のためか、幸運を祈ってか、髪を高く結い上げていました。
フォーチュン座の跡地。早稲田大の演劇博物館はそのレプリカ
これらの劇場は清教徒革命で閉鎖されてしまいますが、アレンは17世紀初めに役者を引退してロンドン南部のダリッジで慈善活動を開始。貧しい子供のために建てたダリッジ・カレッジは今や屈指の名門校ですし、彼の財団も社会に貢献しています。アレンの姿とフォーチュン座は、聖ジャイルズ教会の北側ステンドグラスの中で今も輝きを失わず、彼の髪型がどうであれ、劇場の幸運が後世にしっかりと教育や文化の形で継承されていることを示しているのです。
屈指の名門校、ダリッジ・カレッジ