第35回 聖メアリー斧通り
シティを象徴する高層ビル「ガーキン」(=ピクルス用の「きゅうり」の意)の正式名称は「30 St Mary Axe=聖メアリー斧通り 30番地」と言います。2004年の完成時には酷評されたデザインですが、高層ビル周辺に起きる乱気流を低減したり、渦巻き模様のガラスに沿った換気システムが空調負荷を減らしたりと、環境対策が実現されていることが知られ、評価が高まりました。それにしても「聖メアリー斧通り」とは異様な名前です。
ビルの名称は住所と同じ「聖メアリー斧通り30番地」
実は「斧通り」の名称は敷地の南隣に1561年まであった「聖メアリー斧教会」に由来します。伝説によれば、4世紀ごろ、イングランド南西部にあったブリトン国の娘が異教徒との結婚を命じられ、婚礼前に1万1000人の乙女を引き連れローマ巡礼の旅に出ます。ところが道中、騎馬民族のフン族に襲われ、全員死亡。王女は聖人ウルスラとなり、そのとき使われた3本の斧のうちの1本を聖遺物として祀る教会=斧教会が建てられたのです。
今も世界の船積運賃の半分以上がバルチック取引所で取引
聖ウルスラと1万1000人の乙女の殺害現場とされるドイツ・ケルン市は聖ウルスラを市の守護聖人として祀っていますし、また、英領ヴァージン諸島は彼女を信奉するクリストファー・コロンブスによって発見され、この島の名の由来になりました。この自治領が有する紋章には、彼女と1万1000人の乙女を象る11個の燭台が描かれています。初の世界周航者フェルディナンド・マゼランが南米大陸の南端を処女岬と名付けたのも同じ理由です。
「聖メアリー斧教会」の存在を示すプラーク
敬虔な雰囲気に満ちたこの通りが急変するのは20世紀初頭。18世紀半ばに出来たヴァージニア & バルチック・コーヒーハウスが、船積運賃を取引したり、市況情報を提供するバルチック海運取引所に発展し、この場所に移転。用船主や貪欲なシティ商人がたくさん出入りするようになってからです。その後、1992年のアイルランド共和軍テロ爆破事件で取引所の建物が破壊されて北隣に移転、元の場所にガーキンが建てられました。
デルフト陶器の壁で囲まれたホランド・ハウスの船の意匠
ガーキンの東隣にあるのは、ホランド・ハウスというオランダの船会社のビルです。建物の壁は、本国から運んできた渋い色のデルフト陶器製。アール・デコ調の建物の設計はオランダ近代建築の父、ヘンドリク・ベルラーヘによるものですが、建物の角には船が意匠されています。ガーキンを洋上から引っ張る構図ですが、場所柄、ナショナル・ギャラリーの名画、クロード・ロランの「聖ウルスラの船出」を彷彿させます。