第25回 理髪店のサインポールとハーブの香り
「スミレの花咲くころ、初めて君を知りぬ」――こんな歌を口ずさむ季節になりました。スミレは古くから薬用の効能が伝えられ、森の妖精が五月祭の花摘みに来た若者にスミレの搾り汁を利用した惚れ薬を垂らしたのは、シェイクスピアの「夏の夜の夢」でした。実は今、ロンドン博物館近くにある理髪師ギルドのハーブ薬草園に来ています。理髪師にハーブ薬草園とは意外な組み合わせに思われるかもしれませんが、結構、深い歴史があるのです。
「紳士を作るのは身嗜み」「女房変えても床屋と仕立屋は変えるな」。そんなお国柄、身嗜みの仕上げに使う香水は、最重要アイテム。王室御用達の2大香水商は理髪店からの創業ですし、ジェームズ・ボンドやルパン3世が通うとされる高級理髪店で良い香水をつけ、英国男子は男を磨きます。そもそもオーデコロンは、イタリアの理髪師がドミニコ修道会の水薬のレシピをドイツ・ケルンに持ち込んだことから生まれたものでした。
理髪師と教会? そう、昔の教会は病院の役割も兼ねていたのですが、1163年、仏のトゥール教会会議で教会内の瀉血(しゃけつ)や出血を伴う行為が禁止されると、修道士に代わり、理髪師が瀉血や抜歯、簡単な外科手術を請け負うようになりました。14世紀中ごろにはシティに理髪師ギルドが組織され、理髪店が外科病院を兼ねました。一方、外科手術を専門に行う外科医ギルドも14世紀末に組織され、両者は病院のライバル関係になってしまいます。
下は流血を受け止める器、上にはヒルを入れる器
これを束ねたのがヘンリー8世でした。1540年、勅命によって両者が理容外科医ギルドに統合された際、外科手術は外科医に、瀉血と調髪は理髪師に、という住み分けとその目印も決まりました。瀉血しやすいように患者に握らせていた瀉血棒をヒントに、外科医には赤と白、理髪師には青と白の棒を法律で使わせました。1745年、両者は再び分離しますが、理髪店は統合前の赤白の瀉血棒を店前に掲げ、それが理髪店のサインポールの発祥になりました。あのサインポールの由来が瀉血棒だったとは、床屋談義の極みです。
さらに両ギルドの統合の際、ヘンリー8世は公開解剖を合法化しました。それは教会が固く禁じていた行為でしたが、理髪師ギルドのホールで年4回行われた公開解剖は大人気。医学の発展に大きく貢献しました。もちろん、外科医も、理髪師も、薬用に、香水に、たくさんのハーブを利用してきました。このハーブ薬草園は、そんな歴史のひとかけらを担ってきているのです。
理髪師ギルドのホールで公開解剖が行われていた