第29回 振付家デビューは突然に(きっかけ編)
4 October 2012 vol.1372
めぐり合わせが自分の人生を変えるなんて言葉をたまに耳にするが、ひょんなことから振付家としてデビューすることになった。
さかのぼること約1年前、山梨県清里で行われたバレエの野外公演にゲスト出演したときのこと。舞台監督から、あるバレエ・コンサート・プロデューサーが自分と連絡を取りたがっていると聞いた。その方の名前を聞いてびっくり。久光孝生先生と言えば、バレエ界では知る人ぞ知る大先生で、自分はもう20年のお付き合いがある。先生は毎年夏に北海道札幌市でバレエ・コンサートを開催していて、自分も小さなころから何度か出演させてもらっていたのだが、自分がロンドンに留学してからいつしか疎遠になってしまい、約10年間、連絡が途絶えていた。
先生の携帯電話に連絡すると、昔と変わらない温かい声が耳に飛び込んできた。先生は興奮した口調で、自分との電話での再会を心から喜んでくれ、いつしか話はコンサートの内容に変わっていった。「来年の8月4、5日に開催されるコンサートに出演してほしい。実は20年間、毎年続けてきたこのコンサートを次回で終わりにしたい。フィナーレなので少しでも良いから出演してほしい」とのこと。実はこの時期に札幌で別の仕事が入っていて、幸いにも公演当日はスケジュールが空いている。先生の話を最後まで聞く前に、自分の腹は決まっていた。出演を約束し電話を切り、少しの間興奮していたのだが、我に返るとこの出演にはいくつかの問題があった。
まず、スケジュールにかなりの無理がある。出演自体に問題はないが、掛け持ちになるので、リハーサルのための時間が取れない。しかもこのタイトなスケジュールで自分の都合に合わせリハーサルをしてくれるパートナーを見つけるのも難しいと言えた。
そこで数日後にはまた電話で先生と話をすることに。先生は、「好きな演目をソロでも良いから踊ってほしい」と言ってくれた。普段は作品構成を自ら考える先生が、自分の好きな作品を踊っていいと言ってくれたことは、本当にうれしかった。期待してくれる先生の気持ちに応えたい。そしてフィナーレ公演で、今までの感謝の気持ちを込めた「ありがとう」をどうしても舞台から伝えたい。しかし頭の中でイメージする過去のレパートリーは、どれも自分の感覚とはずれている。結局、今まで演じたソロでは、今の自分の気持ちを伝えることはできないと悟り、半ばやけくそのような気持ちで振り付けをすることにした。
ソロを作るに当たり最初に始めたのは、曲選び。これはすぐに決まった。ここ数年の飲み仲間であるパンク・ロッカーのマイケル・オールガーがギターで弾くバッハの「トッカータとフーガ二短調」。マイケルは世界でも有名なパンク・バンド「トイドールズ」のボーカルで、パンク界では有名なギタリストでもある。この曲は彼がライブでも必ず弾く十八番だ。初めて演奏を聴いたとき、曲から伝わるエネルギーに圧倒され鳥肌が立ったのを今でも忘れることができない。著作権の問題が心配だったが、彼は「健太の仕事だから何も問題ないよ」と言ってくれ、自身の仕事の合間に、曲作りのすべてを無償で引き受けてくれた。
そしていよいよ創作開始。ロイヤル・バレエ団のリハーサル・スタジオは通常、リハ終了後は使い放題。舞台開始までの休憩時間を利用して、アイデアをひねり出す日々が続いた。ダンサーとしての経験上、アイデアはたくさん出るのだが、ステップをつなげる作業は一苦労。おまけに、朝から団のリハーサル、その後、さらに頭と体をフル回転させての作品作りは体力を半端なく消耗させた。
ステップが徐々に決まっても、全体の流れが気に入らない。毎日バレエのビデオを観たものの、他人の真似はしたくない。もやもやが続いたある日、カレーを作ろうとキッチンに立ったときに転機が訪れた。(次回に続く)