欧州経済の停滞
欧州経済の停滞が、世界の中で目立ってきている。米国の消費は、昨夏から大きく落ち込んだとはいえ、新車の販売台数が1000万台前後で推移しており、昨年のピーク比7割を保つなど下げ止まった感じがある。中国の景気も、公共投資がテコになり、大きく落ち込む可能性は小さくなっている。このため日本や韓国を始め、アジア諸国は生産を前年比7割くらいまでは回復しつつある。
欧州でもアジア向け、米国向け輸出を行っている製造業の生産の回復が見られているが、一方で欧州ではもともと、欧州域内で生産と消費が見合って完結する割合が高い。欧州内の景気回復のためには、米国やアジアの需要回復だけでは足りず、欧州域内での消費回復が不可欠であり、そのためには欧州における製造業の生産回復が鍵となる。
しかし、欧州の消費には現在、何か重苦しいムードがある。このためか欧州企業の生産態度は、各国の財政による刺激策にもかかわらず、慎重なものになっている。この重苦しいムードの理由とは何だろうか。
金融機関の不良債権処理
米国では不十分と批判を浴びつつも、金融機関は不良債権の金額を精査し、不足となる資本額の外部調達や国からの調達を行った。しかしながら、英国を始めとする欧州各国ではこうした処理が十分行われたとは言いがたい。日本の不良債権処理を経験した立場から言うと、まず①不良債権額の査定のための基準の明確化→②現時点での不良債権額の確定→③不足となる資本額の公的資本または自力による調達、のプロセスが重要となる。現実には金融機関の資本不足から貸出が十分ではなくなり、景気はどんどん悪化するので、①から③のプロセスが2、3回繰り返されることになる。これが日本の「失われた10年」というものであった。
米国の不良債権処理とそれによる公的資本注入は、①が甘いゆえに問題なしとはしないが、少なくとも一応の基準を立て、③までの1サイクルを実践した。しかし、欧州各国でこのプロセスを実践した国はない。どうして米国のようにできないのか。いくつか原因が考えられる。
第一には、欧州域内での統一的な金融監督当局がないことにある。銀行、証券、保険監督当局の統一協議会はそれぞれあるが、全体を統括する機関がなく、今度初めて作ろうということで合意したばかりだが、査定基準の目線統一までには時間がかかる。第二には、そういう目線ができたとして、不良債権額を確定すると途方もない公的資金投入が必要になる可能性がある。これを恐れるのは英国、ドイツ政府だ。第三は制度問題なのだが、査定目線作りが、当局ではなく会計基準、つまりはロンドンにある国際会計基準機構(IASB)に委ねられており、実際査定するのも当局ではなく、会計士であることが多いことである。貸出査定は借手企業やマクロ経済についての知識を要する極めて高度な作業であるし、証券化商品の値決めは金融市場やモデルへの精通を要するが、そうしたことのできる会計士の数は限られている。会計士の企業を見る目は会計面からだけであり、総合的に見ている金融機関に気兼ねがあるのではないか。当局でもそうした人材の養成は十分ではない。
結局、金融機関は不良債権額を未だ把握できていない。金融機関は貸出に慎重になるし、株価が冴えないのは当然であろう。
解決策は政治問題に
原因が明らかなのだから、解決策も明らかだ。欧州当局は、米国の査定基準でも借りてきて、金融機関の不良債権を思い切って処理すべきである。
もっとも、それが出来なかったところに10年前の日本の悩みがあった。あまりに損失が大きい場合、国費投入額が大き過ぎて、国民のコンセンサスが得られず、政権が倒れるためである。日本では、小泉政権で柳沢大臣の首が飛び、竹中平蔵氏が金融担当大臣となった。ブラウン、メルケル、サルコジ政権にそうした覚悟はあるのだろうか。
今の欧州における各政権の姿勢は、外交軍事などでは威勢が良いが、とりわけ金融システムの安定については内向色が強く、欧州連合(EU)の枠組みでの解決法は、監督当局作りにとどまっている。本質は、損失を穴埋めする財政問題、すなわち政治問題である。この火中の栗を拾うことが、政権の支持回復、さらには欧州大統領への道である。ブラウン氏は、このポストに興味を示しているとされているブレア氏を、みすみす大統領に据えて良いものか。
(2009年6月21日脱稿)
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