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Fri, 22 November 2024

愛するものに囲まれた人生 ピアニスト フジコ・ヘミング
フジコ・ヘミング インタビュー

ピアノ、絵画、パリ、猫、ファッション、そして恋 ──
ピアニスト、フジコ・へミングさんの生活は、
愛すべき様々なものに囲まれている。
長年にわたるヨーロッパ各地での生活を経て、
60歳を過ぎて日本に帰国。
その数年後にテレビ放映されたドキュメンタリー番組を
きっかけに一躍脚光を浴びる。
プロの音楽家としては遅咲きのその才能は、
人生における幾多の経験と、
何よりこうした愛するものたちに独自の「色」を与えられ、
誰にもない光を放つようになった。
人生にはピアノ以外にもやりたいことがいっぱいある、
そう語るフジコさんに、
彼女の人生を彩るものたちについて、聞いた。
(本誌編集部: 村上 祥子)

フジコ・へミング 略歴
Ingrid Fuzjko Hemming

日本人の母とロシア系スウェーデン人の父の間にベルリンで生まれる。5歳で日本へ帰国。父が母国へ戻ったことにより、ピアニストの母がピアノの手ほどきをしつつ、フジコを一人で育て上げる。16歳のとき、中耳炎により右耳の聴覚を失うが、東京音楽学校(現東京藝術大学)に進み、在学中より多数のコンサートで入賞。ピアノ留学を志すも、無国籍であった事実が発覚し、一時は断念する。30歳のとき、難民としてベルリン音楽学校への留学を果たし、卒業後はヨーロッパ各地で演奏活動を行う。世界的指揮者、レナード・バーンスタインに実力を認められ、リサイタルを行うことが決まるが、その直前に風邪をこじらせ、左耳の聴覚も失う。その後は演奏家としての活動を一時休止してスウェーデンのストックホルムでピアノ教師として働きながら療養生活を送る(現在、左耳は40%ほど回復)。1995年、日本へ帰国。日本国内でコンサート活動を行っていたが、99年、テレビのドキュメンタリー番組をきっかけに大きな注目を集めるように。以降、世界各地でリサイタルや一流オーケストラとの共演を行い、人気ピアニストとして多忙な日々を過ごしている。

原点はパリにある

フジコさんは、日本人の母とスウェーデン人の父を持ち、ドイツで生を受けた。30歳まで日本で過ごした後に、ドイツへピアノ留学、以降、ヨーロッパ各地で音楽活動を行うようになる。母の死後、日本に帰国。その後は日本のみならず、世界を舞台に活躍している彼女にとって、「国」とは何を意味するのだろうか。

── ヨーロッパ各地で生活されてきたフジコさんが、現在、パリに居を構えていらっしゃる理由は何でしょうか。

私は20代のころからパリに住むのを夢見ていました。たくさんの天才画家、そしてショパンやドビュッシー、ラベル、フォーレなど、私の最も好きな芸術家たちの集っていたところですから。でもパリは物価が高く、ベルリンの音楽大学からスカラシップが出たので仕方なくベルリンに行きました。私の父方のおばあさんはドイツ人、又は半分ドイツ人だったらしいのですが、なんともドイツ人のものすごい気性は、到着したときから私には合っていないようでした。1999年2月にテレビを通して一夜で有名になり、天からお金も降ってくるようになったので、パリに住むことができたわけです。

── パリの好きな場所とその理由をお聞かせいただけますか。

私の住んでいるパリのアパートの辺りは、夜更けまで遊びの天才と言われるフランス人のざわめきで賑やかです。私も夜遅くまでピアノを弾きますが、窓を開けっ放しでも音が聞こえないほどアパートの壁も厚く、動物も犬2匹、猫5匹飼っていますが、うるさいと迷惑がる人間は一人もいません。日ごとの犬との散歩道は、どの角もユトリロやゴッホの画のようで、住んで良かったとためいきのつきっぱなしです。

── 自分の原点はどの国にあるとお考えですか。またそのことがご自分の音楽活動にどのような影響を及ぼしていると思われますか。

私にとっては、ショパンやドビュッシー、ラベル、そしてユトリロやロートレックの国、パリ・フランスです。ショパンが毎週訪れて作曲をしたり、時々サロン・コンサートをしたと言われる、一般には非公開のランベール(LAMBERT)館が私の家の近くにあるのですが、今年9月にフランス人からそこでサロン・コンサートをするよう頼まれました。客は招待されたVIP(ほとんどがフランス人とポーランド人)。私一人でショパンのみのプログラムを組み、大成功しました。フランスに来て良かったのだとつくづく思いました。フランスのVIPが私のことを「3本の指に入るピアニスト」と評してくれたのもうれしい限りです。フランスならでは、とつくづく思います。

── コンサート等では着物を着られることも多いですが、フジコさんにとって、日本という国はどのような存在なのでしょうか。

日本人は自分たちの古い文化をもっとアピールするべきだと思います。戦争中、アメリカ軍が爆弾を一個も落とさず、わざわざ残そうとした素晴らしい京都の町も、日本人の手で次々に壊されていっています。とんでもないところのある国民ではないでしょうか。私のコンサートに何度も来てくださる人々は素晴らしい方たちだと思います。つまり、私の芸術、私の思い、動物や弱いものに対しての哀れみなどを、心で感じてくださる日本人たちで、心からありがたいと感謝しています。

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人生の達人

何十匹もの猫を飼っていたこともある動物愛護家で、絵画の腕前は個展を開くなど玄人はだし。西洋と日本のファッションを融合させた独特のファッション・センスも注目されているフジコさん。幼いころからピアノ以外の生活を知らず、「人生イコール・ピアノ」となってしまいがちな多くのプロの ピアニストに比べ、ピアノを含めた人生そのものを謳歌しているように感じられる。

フジコ・ヘミング

── ロンドンでフジコさんのお描きになった絵をいくつか拝見しましたが、重力とは無縁の浮遊感、線と線の間から漂う独特の空気感など、どこかフジコさんの音楽にも通じるものを感じました。フジコさんにとって、絵画と音楽には何か共通するものがあるのでしょうか。

もちろん、絵画と音楽はたいへん共通しています。ドビュッシーは(葛飾)北斎の海の画にひどく感激して「ラ・メール(海)」を作曲しています。音色というものは、演奏するのに最も大切なものの中の一つですから。

── いつも個性的なファッションに身を包まれていますが、フジコさんにとってファッションとはどのような意味を持つものなのでしょうか。

ファッションなしに私は生きていけないでしょう。高いお金を出すのとは関係なしに、裸足で歩いてもイキな人々が私は好きです。ダンディーにすぐ恋をしたりしますが、中身の方が悪い人も多くがっかりして冷めることもあります。でもうわべだけのかっこよさも悪くはないでしょう。みんな美しくあるべきと思います。鳥や犬、猫などは服など着なくとも美しいですが、裸の人間をビルの上から見たら、ウジ虫と同じくらいにしか見えないのではないでしょうか。

── 別のインタビューで、「恋は大切」と語っていらっしゃるのを何度か拝見したことがあります。恋することはなぜ大切なのでしょうか。また、大切、というのは、ピアノにとって大切、ということなのでしょうか。

恋をしているとピアノはあまり良く弾けませんが、恋はお酒に酔っ払っているようにすてきではありませんか。若さを保つのにも良いでしょう。

── 恋愛対象となる男性は、音楽に対し理解のある方が良いですか、それとも音楽とは無関係の人の方が良いですか。

恋の相手はやはり音楽をやっている人の方が良いです。

── これまでの人生で「これは失敗だった」という恋愛はありましたか。また逆に、「この恋は人生においてかけがえのないものだった」と思えた恋愛はありましたか。

ほとんどが「この人とではダメ」と言うシロモノばかり。結婚してくれとでも言われれば、「待てよ? もう少しマシなのが出てくるはず」と考えていっぺんに冷めてしまうものがほとんど。「一年でも結婚したら最高だろうに」と思えた相手は2人ぐらい。一人は天国に行ってるし、一人はまだケムに巻かれたままで分からない。私も彼も忙しすぎ。

── フジコさんは動物愛護家として知られていますが、中でも猫に関しては、本を出版されるほど深い愛情を捧げられています。なぜ、数いる動物の中でも猫が特にお好きなのでしょうか。

忙しい者にとって犬はちょっとやっかい。一日に2度も外へ連れていかないとならない。猫はその点、楽です。

世界的オルガニストで医者でもあるアルベルト・シュバイツァー(Albert Schweitzer)は、「人生の艱難辛苦(かんなんしんく)から逃れる道は2つある。音楽と猫である」と言っています。

── コンサート等のない、日常的な一日の過ごし方を教えていただけますか。ピアノには毎日、どのくらいの時間を費やしているのでしょうか。

毎日4時間、練習出来れば良い方ですが、客が来たりすると出来なくなることもたびたびです。画を描くと、次の日は手も痛く、疲れはひどいです。

── ピアノ以外にも様々な分野でご活躍されていますが、これらは皆、「ピアノにとってプラスになる」との思いから始められたのでしょうか。それともただ自然に好きだと感じられたのでしょうか。

ピアノにとってプラスになるからやっているわけではありません。人生にはやりたいこと、読みたい本、観に行ってみたいバレエ公演、他にもいっぱいありますよね。結婚してないで良かったと思います。人は前世でやったことを天国(悪者のいない完全なところ)へすべて持っていけるそうです(物質ではなく才能とか……)。

── かつてフジコさんが、波乱万丈の人生を「祈りがあったからやってこられた」とおっしゃっていたのを伺ったことがあります。いつから信仰を持たれるようになったのでしょうか。また信仰を持たれるようになった前と後で、フジコさんのピアノ、また人生全体に大きな変化はありましたか。

信仰は子供のときから自然についてきました。青山学院でクリスチャンの教育を受け、教会の日曜学校でも子供ながらに牧師の話と姿に心打たれたものです。もちろん、芸術家は信仰と宗教なしにはうつろなものです。

── フジコさんにとって、人生で最も大切なものは何ですか。

人生で最も大切なのは信仰と祈り、それに愛です。私は波乱万丈の人生の終わりに幸運を勝ち得ましたが、「遅くなっても待っておれ。それは必ず来る」という聖書の言葉は、私に訪れたのです。神のおきてはどんな宗教でも同じようなものです。どんな荒波の人生のときでも神の言葉を守り通した人に、神は必ず救いを与えて下さいます。

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一番大切なのは「音色」

様々なものに喜びを見出し、人生を謳歌するフジコさん。でもやはり、その核となるのはピアノという存在だろう。「ミスタッチを直そうとは思わない」と発言、同じ曲でも時に全く異なる演奏をする彼女に対し、否定的な見方をする向きもある。しかしその一方で、どんなピアニストの演奏よりも、彼女の音色こそが心に響くと深く共鳴する人も数多い。テクニック偏重の傾向にある現代の音楽界において、フジコさんは何を考えて、ピアノと向かい合っているのだろうか。

── 好きな作曲家、好きな曲とその理由を教えていただけますか。

どの作曲家でも、その人のつくった作品のどれか、あるいは人間としては好きでない部分はありますが、特に人間として好きなのはラベルで、パリ近郊にある彼の家を訪れたときには感激しました。猫を好きな、結婚しなかった男性ですね。

── ピアノの演奏には、早く弾く、間違いなく弾くといったテクニックよりも大切なものがあるとおっしゃっておられますが、そうした中であえて超絶技巧曲を好んで演奏されるのはなぜでしょう。

超絶技巧に中身(人間的、愛、頭)がなければ、うつろな響きしか出ませんし、そんなものは機械でやった方が良いでしょう。演奏家の人格と頭脳は、必ず演奏に出てきます。たくさんの国際コンクール優勝者たちの人気が薄れ、演奏者から指揮者に変わっていくのは、彼らの人格が薄っぺらいからです。

── ピアノを弾いている最中は、どんなことを考えていらっしゃるのでしょうか。

一人で弾いているときはとんでもないことを考えていることが多いですが(例えば今夜何を食べようとか)、コンサートのときは次の音を間違えなく弾くことのみ考えています。情感はつくったものでなく、自然に人格と才能から湧き出てくるものですから。

── ピアノ演奏には、音色やテクニック、作曲家の意思・意図を汲み取ることなど、様々な要素が必要になるかと思います。フジコさんにとって、ピアノを演奏する上で一番大切なものは何ですか。

作曲家の意思は霊感で自然に伝わるものです。一番大切と思うのは、私にとって音色です。

── かつての名作曲家たちは、その人生において貧困や革命など数々の辛酸を舐め、そのときの思いを曲に投影することで自らの存在理由を示していたように思います。片や現代を生きる音楽家の多くは、経済的には恵まれ、英才教育を施されています。フジコさんは、人生において様々な経験をすることはピアニストにとって重要だと思われますか。

運命を変えることは出来ないと思います。すべて神に任せ、祈り続けるより仕方ありません。経済的に恵まれて育っても、人格の気高い人は悪者がはびこるこの世の中で、辛酸を舐めなければならないでしょう。お金のみで通らないこともたくさんありますから。

── 現在、存命している演奏家の中で好きな方はいらっしゃいますか。

セシリア・バルトーリ(Cecilia Bartoli)*1イタリア人のメゾ・ソプラノ歌手とフィリッペ・ジャルスキー(Philippe Jaroussky)フランス人のカウンター・テナー歌手*2です。2人とも天真爛漫、エンジェルの様に無垢に歌いますし。

── 自分のピアノの魅力、個性はどこにあると思われますか。

音です。

── このオーケストラと共演したい、このホールで演奏したいなど、ピアニストとしての夢はありますか。

別にありません。ホールはショパンがそうであったように、サロン風が一番私に合っています。

── フジコさんにとって、ただピアノを演奏することと、「プロ」として聴衆の前でピアノを演奏することは、違うのでしょうか。

R.シューマンが本に書いてあることがあります。「よく 有名アーティストの受ける大々的拍手喝采に惑わされる な。真の芸術家、大家から受ける賛辞こそ信じるべき」。私 は、ウィルヘルム・バックハウス(Wilhelm Backhaus)*3スイス(元はドイツ人)のピアニスト、サンソン・フランソワ(Samson François)*420世紀のフランスにおける代表的なピアニスト、ブルーノ・マデルナ(Bruno Maderna)*5イタリアの現代音楽の作曲家・指揮者、シューラ・チェルカスキー(Shura Cherkassky)*6ウクライナ出身のユダヤ系米国人ピアニスト、ミーシャ・マイスキー(Mischa Maisky)*7ラトビア(旧ソビエト連邦)出身のチェロ奏者、マキシム・ベンゲーロフ(Maxim Vengerov)*8ロシアのバイオリニスト・指揮者から最高の賛辞を受けています。心ない評論家の言葉など、もう平気ヘイチャラです。

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10月上旬、フジコさんはバルセロナやリトアニア、ワルシャワ、ベルリンと、まさに目の回るような多忙なスケジュールで演奏活動を行っている最中だった。そこで今回のインタビューは、残念ながら実際にお会いすることはできず、文章を通じて行うことに。顔の表情やボディ・ランゲージ、声音など、その人の人となりを伝えてくれる要素がない分、文章でのコミュニケーションは、難しい。しかしフジコさんから届いた言葉は、どれもフジコさんの「色」を強く感じさせるものだった。ピアノにおいて、「音色」を何よりも大切にしていると言うフジコさん。その独特な「色」は、ピアノのみならず、絵画やファッション、彼女の人生のすべてを鮮やかに彩っている。そんな彼女の「色」に溢れた音が、10月31日、技巧や楽譜といった枠から飛び出し、ロンドンの街に広がる。

information

フジコ・へミング・ロンドン公演

フジコ・へミングが31日、ロンドンでリサイタルを開催。シューベルトの「即興曲変ト長調作品90第3番」を始め、ショパンの「夜想曲第20番嬰ハ短調」や、バッハ、リストの名曲を演奏する。

2010年10月31日(日)19:30 
£15 ~35
St John's Smith Square
Smith Square London SW1P 3HA
Tel: 020 7222 1061
Westminster / St. James's Park / Victoria駅
www.sjss.org.uk

絵画リトグラフ展

自らのCDジャケットを手掛け、絵画の個展を開くなど、画家としての一面も持つフジコ・へミングの絵画リトグラフ展が、ロンドン三越店内で開催中(購入も可能)。

14-20 Regent Street London SW1Y 4PH
Piccadilly Circus駅

 

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