英国文化のルーツにあるもの
マザーグースの秘密
英国では庶民から貴族まで隔てなく親しまれ、聖書やシェイクスピアと並ぶ教養の基礎となっているといわれている、伝承童謡のマザーグース。現代においてもマザーグースからの引用や言及は頻繁に利用され、新聞記事、小説、映画にそうしたフレーズがしばしば登場する。本誌では、英国人の言語感覚に関わるマザーグースの歴史や、英国文化を知るうえで便利なマザーグースのフレーズなどを紹介する。(文: 英国ニュースダイジェスト編集部)
参考:「 マザーグースの唄」 平野敬一著 中公新書、「もっと知りたいマザーグース」 鳥山淳子 スクリーンプレイ、BBC、pookpress.co.uk、通訳品質協議会 ほか
がちょうに乗って空を飛ぶおばあさんが描かれた、マザーグース絵本の表紙
マザーグースとは
植民地化政策とともに世界中に広まっていった英国の伝承童謡の数々を指すが、「マザーグース」という言葉が定着したのは18世紀半ば以降。もともとは1697年にフランスで出版されたシャルル・ペローの童話集「昔ばなし」の口絵に「contes de ma mère l'oye」(がちょう母さんのお話)と書かれていたことから、1729年の英訳本ではこの部分を「mother goose's tales」と変えて同書の副題にした。これが後年独り歩きした形で、特定の作者がいない英国の伝承童謡や昔ばなし全体を指すようになった。また、米国や一部地域ではマザーグースを「グース家のお母さん」とし、童謡の作者として考えることもある。その場合、マザーグースはがちょうに乗って空を飛ぶおばあさんの姿をしている。
フランス版「昔ばなし」の口絵
英語版「昔ばなし」の口絵
マザーグースの唄
無邪気に口ずさみたくなるものの、毒を内包した作品が多いマザーグースの唄。ここでは特に昔から英国人に愛されている作品を選んでご紹介する。
Song of sixpence
Sing a song of sixpence,
A pocket full of rye;
Four and twenty blackbirds,
Baked in a pie,
When the pie was opened,
The birds began to sing;
Was not that dainty dish,
To set before the king?
The king was in his counting-house,
Counting his money;
The Queen was in the parlour,
Eating bread and honey,
The maid was in the garden,
Hanging out the clothes;
When down came a blackbird
And pecked off her nose.
6ペンスのうた
6ペンスの うたをうたおう
ポケットは むぎでいっぱい
24はのくろつぐみ
パイにやかれて
パイをあけたら
うたいだす ことりたち
おうさまに さしあげる
しゃれた おりょうり?
おうさまは おくらで
おかねかんじょう
おきさきは おへやで
はちみつと パンをもぐもぐ
じょちゅうは にわで
ほしものを ほしてる
そこへつぐみが やってきて
はなを ぱちんと ついばんだ
Lady Bird, Lady Bird
Lady Bird, Lady Bird,
Fly away home,
Your house is on fire,
Your children will burn.
テントウ虫、テントウ虫
テントウ虫、テントウ虫、
家へ飛んで帰れ、
お前の家は火事だ、
子供たちが焼け死ぬぞ。
Doctor Fell
I do not like thee, Doctor Fell,
The reason why I cannot tell;
But this I know, and know full well,
I do not like thee, Doctor Fell.
ドクター・フェル
フェルせんせい
ぼくはあなたがきらいです
どういうわけかきらいです
でもたしかです まったくたしか
フェルせんせい
ぼくはあなたがきらいです
London Bridge
London Bridge is falling down
Falling down, falling down
London Bridge is falling down
My fair lady
ロンドン・ブリッジ
ロンドン・ブリッジがこわれた、
こわれた、こわれた、
ロンドン・ブリッジがこわれた、
マイ・フェア・レイディー。
Goosey, Goosey, Gander
Goosey, goosey, gander,
Where dost thou wander?
Up stairs and down stairs,
And in my lady’s chamber.
There I met an old man
Who would not say his prayers,
I took him by the hind legs
And threw him down stairs.
がぁー、がぁー、鵞鳥さん
がぁー、がぁー、鵞鳥さん
わしはどこへ行こう。
上がったり、下りたり、
奥さんのお部屋へ。
そこに爺いがいたが、
お祈りをしようとしないんだ。
それでやつの左足をつかんで
階段の下にほうり投げた。
Humpty Dumpty
Humpty Dumpty sat on a wall,
Humpty Dumpty had a great fall;
All the king’s horses and
all the king’s men
Couldn’t put Humpty
together again.
ハンプティー・ダンプティー
ハンプティー・ダンプティーは
壁の上に座った、
ハンプティー・ダンプティーは
勢いよく落ちた。
王さまの馬を総動員しても、
王さまの部下を総動員しても、
ハンプティー君をもとに
返すことはできなかった。
Jack and Jill
Jack and Jill
Went up the hill,
To fetch a pail of water;
Jack fell down,
And broke his crown,
And Jill came tumbling after.
ジャックとジル
ジャックとジルは
山を登っていった。
バケツに水を汲むために。
ジャックはころび、
あたまに大けが、
ジルも続いてころころりん。
以上「マザーグースの唄」 平野敬一著より引用
マザーグースの歴史と魅力
身に付く読み聞かせのリズム
親が歌い読んで聞かせるそのリズムを聞いて子どもは育つ。英語の抑揚はまだその言葉の意味が分かる以前の幼少期に刷り込まれ、言語感覚が育っていくのだ。現代の子どもたちを取り巻く環境が昔と変わったとはいうものの、英国では幼少期の読み聞かせが重視されており、マザーグースの童謡は今でも人気が高い。
多くの関連絵本が出版されていて、ナーサリー・リズムとして保育園や幼稚園などでも歌い習う。韻を踏んだメロディーや詩が自然と身に付くうえ、古くは中世のものといわれる伝統童謡の文化を、子どもたちはそうと知らずに継承していることになる。その数800篇以上という、ほかの欧州の国に比べ異様に多くの童謡を抱えた英国は、文学、演劇、そして楽曲といった言葉のリズムに関し敏感という特徴を持つ国でもある。人々の中に生きるマザーグースゆえの文化、といっても良いかもしれない。私たち外国人にとっても、マザーグースは英国の文化や歴史、英国人の思考回路を知るための格好の教材になるはずだ。
権力を笑いナンセンスを愛する
マザーグースが長く愛され、何世紀にもわたり命を保っている理由の一つには、これまでの編者や解説者が「ナンセンスなものに常識や論理をあてはめてはいけない」、という暗黙の約束を守り、大事に育んできたからだといわれている。まず、世界初の児童書専門出版者であり、1765年に伝承童謡を編纂したジョン・ニューベリーは、マザーグースの捉えどころのないナンセンスな部分を無理に説明せず、とぼけて真面目くさって受け入れるという、英国人の笑いのセンスにも通じる態度で童謡に接し、当時の子ども用に内容を変えることなく52篇を編んだ。次の編者は文献学者のジェームズ・ウォーチャード・ハリウェル。古文書や稿本が大好きなハリウェルは、弱冠20歳で600以上の童謡を編纂し、1842年に「イングランドの童謡」、49年に「イングランドの俗謡と童話」を編んだ。
民間に没したままになっている伝承の発掘に取り組んだハリウェルはまた、マザーグースには当時のヴィクトリア朝の浅薄な道徳主義を伴った学校教育や合理主義に屈しない、でたらめでのびやかな、たくましい魅力があり、子どもたちには絶対気に入ってもらえるだろうと考えたのだった。そこにはズルをする王さまや、奥さんを二束三文で売り飛ばす僧侶がおり、牛が月を飛び越え、ネズミに食べられてしまう小人がいる世界があった。マザーグースは窮屈な学校生活をする子どもたちへの応援歌だった。
意外と不気味で危ない内容も
マザーグースは道徳に準じていない唄が多いと述べたが、今の時代ではタブーになりそうなものも多い。現に1952年に道徳的に好ましくない唄のリストが作られた。それによると、人間や動物に対する残酷な取り扱いが12件、盗みや嘘が14件、身障者への言及が15件、暴力23件、人種偏見2件、そのほか諸々で計200件にもなるという。当時ですらそれほどあるのだから、ウォーク・カルチャーの現代はもっと数が増えているだろう。全てをきれいに書き直してしまったら伝承童話の生命は絶たれてしまうが、出版社はやはり社会通念を無視したものは出しにくいという事情もあるようで、現在マザーグースとして出版されているものは、極端にガラが悪いものは掲載しないなどの体裁を取っている。
また、童謡という形で残ることの不思議さを禁じ得ないものもある。例えば「ガイ・フォークス・デー」の唄は、「覚えておいて 覚えておいて 11月5日のことを 火薬 陰謀事件のことを あの反逆事件を 忘れていい訳がない ガイ・フォークス ガイ・フォークス 彼の目的は 王と議事堂を吹き飛ばすこと」である。
日本ではいつも詩人が訳した
日本で初期のマザーグースは、文学者の鈴木三重吉が創刊した児童雑誌「赤い鳥」に、詩人の北原白秋による訳で、大正9年(1920年)に掲載された。「There was a little green house」(「胡桃」)と「Hickory, dickory, dock」(「柱時計」)の2篇だった。白秋はその後も情熱を傾けて訳出紹介に励み、翌年末までに132篇を訳して「まざあ・ぐうす」として発表。「不思議で、美しくて、おかしくて、馬鹿馬鹿しくて、面白くて、怒りたくて、笑いたくて、歌いたくなる」と自ら広告文も書いている。しかし、当時の日本では「子どもの童謡なんて」、という風潮があったようで、あまり話題にもならず、英国のマザーグースの文化も伝わらなかった。次に挑戦したのは同じく詩人で英文学者の竹友藻風で、「英国童謡集」として昭和4年(1929年)に87篇を発表した。だがこちらも話題にはならずじまいだった。
しかしようやく昭和45年(1970年)に詩人の谷川俊太郎が訳した「マザー・グースのうた」が大ヒットする。短く簡潔で日本語の言葉のリズムを大事にし、本来のマザーグース同様に唄いたくなるような117篇が訳出された。グラフィック・デザイナーの堀内誠一が挿絵を手掛け、日本でマザーグース・ブームが巻き起こった。それ以後も、劇作家の寺山修司、イラストレーターの和田誠などが一部翻訳。英語より言葉の流行り廃りが激しい日本では、すぐにまた新たな翻訳版が刊行されるかもしれない。
これもあれもマザーグースだった
マザーグースのフレーズは新聞記事、小説、映画などでもしばしば登場する。ここでは、わずかではあるがいくつかその例を紹介しよう。
映画
Birds of a Feather = 類は友を呼ぶ
Birds of a feather flock togetherを略したもの。同じ羽の鳥たちは群れる、つまり似た者同士の意。
シェイクスピアの「ヘンリー6世」やルイス・キャロルの「不思議の国のアリス」に出てくるほか、格言として日本語の「類は友を呼ぶ」のような使われ方をしている。また、ハリウッド映画「ダイ・ハード3」では、犯人役のジェレミー・アイアンが刑事を挑発して下記の一節を電話口でささやく場面も。
Birds of a feather f lock together,
And so will pigs and swine;
Rats and mice will have their choice,
And so will I have mine.
同じ羽毛の鳥は 群れつどう
豚だって 同じ
ドブネズミやハツカネズミすら
つれをえらぶ
わたしだって 同じ
All the king’s men = どうにもならない
欧州には古くから卵のようにいったん壊れたら元へ戻らないことを擬人化した唄が各地にあったそうで、英国ではハンプティー・ダンプティーがこれにあたる。壁の上から落ちて壊れたハンプティー・ダンプティーは、王様の家来を動員してももう元には戻せない。米国の政治スキャンダル、ウォーターゲート事件を扱った1976年の米映画「大統領の陰謀」の原題は「All the President’ s Men」。マザーグースを知っている人ならタイトルを見ただけで、大統領の側近たちがどう頑張っても、ニクソン大統領を救うことはできず、大統領がその座から転がり落ちていく様子を連想できる。
新聞
Who killed Cock Robin? = 誰が犯人だと思う?
新聞の見出しに使われる「Who killed ~」はたいていマザーグースのこの一篇から来ていると考えて差し支えない。英国の国鳥でもある胸の赤い小さな駒鳥は被害者を指し、スズメが犯人という構図。2017年に北朝鮮の金正男氏がマレーシアの空港で殺害されたとき、BBC、米CNNやABCの見出しはどれも申し合わせたように「Who killed Kim Jong-nam?」だったとか。
Who killed Cock Robin?
I, said the Sparrow,
with my bow and arrow,
I killed Cock Robin.
誰が駒鳥 殺したの
それは私 とスズメが言った
私の弓で 私の矢羽で
私が殺した 駒鳥を
また、殺人事件だけではなく、社会的に葬られた場合にも使われる。かつて詩人のジョン・キーツが「クォータリー」誌に酷評されたのち25歳の若さで結核で死去した際、友人のバイロンがキーツを悼んだマザーグース風の1篇を作っている。
Who kill'd John Keats?
"I" says the Quarterly,
So savage and Tartarly,
"Twas one of my feats."
誰がキーツを殺したか?
自分だと クォータリーがいう
手荒に 容赦なく
見事な手柄ぶりだったと
さらに、英政府が1948年に表明したインフレ対策のように、マザーグースのスタイルのみ引用した一文もある。ちなみにジョン・ブルとは英国を指す。
Who’ll kill inf lation?
I, says John Bull,
I speak for the nation –
We’ll work with a will.
And we’ll thus kill inf lation.
誰がインフレを止めるだろう?
私、とジョン・ブル
私が国を代表してこう表明します
我々は強い意志を持って奮闘し
そうやってインフレを止めます
小説
Oranges and Lemons = 古き良き昔
ジョージ・オーウェルのディストピア小説「1984年」には「Oranges and Lemons」が効果的に使われる。主人公は極端な監視社会に生きながら、正気を保つためお守りのようにこの唄の一節を唱え続ける。ロンドンの教会の鐘がたくさん登場し、英国で特に愛される一篇で、2人がアーチを作り、その下をほかの子どもがくぐり抜ける遊び唄として知られる。
Oranges and lemons,
Say the bells of St. Clement's.
You owe me five farthing,
Say the bells of St. Martin's.
When will you pay me?
Say the bells of Old Bailey.
When I grow rich,
Say the bells of Shoreditch.
When will that be?
Say the bells of Stepney.
I do not know,
Say the great bell of Bow.
Here comes a candle to
light you to bed,
And here comes a chopper to
chop off your head.
「オレンジとレモン」と
聖クレメントの鐘が言う
「おまえに5ファージング貸しがあるぞ」と聖マーチンの鐘が言う
「いつ支払ってくれる?」と
オールド・ベイリーの鐘が言う
「お金持ちになったらね」と
ショーディッチの鐘が言う
「いつなるの?」と
ステプニーの鐘が言う
「知らないよ」と
ボウの大鐘が言う
お前をベッドへ案内するろうそくが来たぞ
お前の首を切り離す首切り役人が来たぞ
曲
「ゴールデン・スランバー」はアルバム「アビイ・ロード」に収録
ビートルズの曲の歌詞が「不思議の国のアリス」やマザーグースに似ているとはよく言われていることだが、その世界観が同じだったり、韻の踏み方や言葉の繰り返し方が似ているだけで、あからさまに引用された曲は少ない。そのなかで例外的に、ほぼ丸々フレーズが使われているのが、アルバム「アビイ・ロード」(1969年)に収録された「ゴールデン・スランバー」だ。この曲はポール・マッカートニーが異母妹の家で絵本を読み、すぐその場でピアノに向かいメロディーを付けたのだとか。その際ピックアップされたのが「黄金の眠り」のこの部分だ。
Golden slumbers kiss your eyes
Smiles await you when you rise
Sleep pretty darling, do not cry
And I will sing a lullaby
黄金の眠りが おまえのまぶたに
キスをする
朝には ほほえみが 起こしてくれる
おやすみ いたずらっ子 泣かないで
子守唄を 歌ってあげよう
訳詩は右記以外は「マザーグースの唄」 平野敬一著より引用。「誰がキーツを殺したか」English Poetry and Literature、「誰がインフレを止めるだろう」通訳品質協議会