ロンドンのゲストハウス
Tue, 23 October 2018
シティを歩けば世界がみえる 特別編

「受け継がれる支援の絆」
子供たちの救出劇、
再発見!

キンダートランスポートロンドン市内には、子供にまつわるメモリアルがひっそりと点在します。一つ一つの像が持つ歴史を知ると、不遇に見舞われた子供を助けるため、いかに人々が心を砕いてきたか、その姿が浮かび上がります。

リバプール・ストリート駅前の「希望の広場」には、「キンダートランスポート」と呼ばれる、第二次大戦前夜に欧州のユダヤ人難民の子供たち1万人を救出した移送大作戦のメモリアルがあります。また、英国小児専門病院のグレート・オーモンド・ストリート病院前にある「ピーター・パン」の像は、作者が病院にその著作権を永久寄贈した証し。更に、病院北部には2万5000人の捨て子を救った「捨て子養育院」があり、その設立者トマス・コーラム卿の銅像が建ちます。

今回、寅七はこうした子供たちを救った人々の軌跡をたどりました。そこで見つけたのは、スーパースターの成功物語ではなく、慈愛と互助の精神にあふれた無数の名もなき人々の姿。そして、その精神が今もロンドン市民にしっかり受け継がれ、支援の絆が世界に広がっていることでした。

寅七 シティ公認ガイド 寅七
『シティを歩けば世界がみえる』を訴え、平日・銀行マン、
週末・ガイドをしているうち、シティ・ドラゴンの模様がお腹に出来てしまった寅年7月生まれのトラ


キンダートランスポートとは

1万5000人の子供を救出する作戦

第二次大戦の直前にドイツ、オーストリア、チェコスロバキア(当時)からユダヤ人の子供たちを英国が救い出した作戦、「キンダートランスポート」は、1938年11月9日、ドイツ各地で発生した反ユダヤ主義者による暴動「水晶の夜」に端を発します。この事件で、ユダヤ人の住居や商店、シナゴーグなどが次々に破壊されたことから、英国のユダヤ人協会とキリスト友会は、欧州大陸にいるユダヤ人児童の救出を当時の英首相チェンバレンに直訴します。すぐに英民間団体「ドイツからの児童保護運動」が組織され、国も支援を開始。児童救出計画は1万5000人まで拡大されました。対象は幼児から17歳まで。50ポンドの保証金(将来の帰国代金)と健康診断書、英国に里親がいることが入国の条件です。欧州の各地から鉄道でオランダの港へ行き、そこから船で英国東部ハーリッチに。そして汽車でシティのリバプール・ストリート駅に移送させる計画でした。早速、12月2日に196人の児童が到着。それ以降、1939年9月1日にポーランド侵攻が始まり国境が閉鎖されるまでの9カ月間、計1万人を救出したと言われます。

この救出の影には、団体には属さず、個人で669人の児童を助けたニコラス・ウィントンや、里親になることで子供たちを救った、多くの名もない市民たちの存在がありました。マイケル・ボンドの児童小説「くまのパディントン」には、パディントンがルーシーおばさんから、「英国人は他国から来た見知らぬ子供を家に招き入れてくれるから心配いらない」と言われる場面がありますが、その言葉通り、英国には、自分より不幸な境遇にある人々に手を差し伸べるのが人間としての義務と考える、多くの市民が存在しました。

1938年、「水晶の夜」事件が勃発
1938年、「水晶の夜」事件が勃発
機関士から声援を受ける難民の児童たち
機関士から声援を受ける難民の児童たち
「水晶の夜」の暴動で襲撃された
ユダヤ人の商店
「水晶の夜」の暴動で襲撃されたユダヤ人の商店
くまのパディントン
くまのパディントンのスーツケースと名札は、作者がキンダートランスポート作戦から思いついたもの。(ロンドン・パディントン駅)

英国のシンドラー、ニコラス・ウィントン

ドイツのオスカー・シンドラーが、1200人のユダヤ人をナチス・ドイツによる虐殺から救ったことや、日本の杉原千畝がビザ発給により6000人の難民を助けた話は有名ですが、当時シティに勤務していた株の仲買人、ニコラス・ウィントンがチェコスロバキア(当時)の児童669人を救出した話はあまり知られていません。ここでは、ウィントンによる児童救出の軌跡をたどってみましょう。

ニコラス・ウィントン
難民の子供を抱く29歳のニコラス・ウィントン
ウィントンの旧宅と里親の迎えを待つ子供たちの像
左)救済本部となったハムステッドにあるウィントンの旧宅
右)里親の迎えを待つ子供たちの像(リバプール・ストリート駅)
汽車から身を乗り出して家族に別れを告げる子供たち
汽車から身を乗り出して家族に別れを告げる子供たち

669人の児童を救う

ドイツ国内でユダヤ人への迫害が強まり、「水晶の夜」事件が起きた1938年11月。ロンドンに暮らす当時29歳のニコラス・ウィントンは、クリスマス休暇に友人とスキー旅行を楽しむ計画を立てていました。ところがその友人から突然のキャンセルの電話とともに、プラハにある難民キャンプに来て手助けをして欲しいと言われます。既にナチス・ドイツはチェコスロバキア北東部のズデーテン地方を占領し、多くの難民が発生、収容キャンプでの過酷な暮らしを強いられていました。彼は現地の悲惨な状況を目の当たりにし、難民の児童受入れを懇願する手紙を各国政府に送ります。ところが誰からも返事が来ません。唯一、母国英国から条件付き受入れの返事が届き、ウィントンは英国にはキンダートランスポート計画があることを知ります。そうか、里親さえ見つかれば何とかなる。彼は英国に戻るとシティの会社を辞め、ロンドン北部ハムステッドの自宅から救済活動を始めます。戦争が始まれば救えなくなるから、とにかく急がないと。

ウィントンの苦闘

ドイツやオーストリアには既にキンダートランスポート計画を推進する組織がありましたが、チェコスロバキアはウィントンと少数のボランティアがその任を担いました。子供たちの写真を掲載したスクラップ・ブックを頼りに里親探しを行い、数千人の依頼の中から何とか合計8回にわたり、669人の児童を汽車に乗せることに成功しました。やがて1939年8月にはそれまでで最大数の、250人を一度に移送させる計画が立てられます。しかし手続が遅れて汽車の出発が9月1日に延期。まさにその日、ドイツがポーランドに侵攻して戦争が勃発します。国境が閉鎖され、250人の児童は出国できないまま汽車から降ろされました。ロンドンのリバプール・ストリート駅で児童を引き取る予定だった家族もウィントンも、失意のまま帰宅。あと少し、あとほんの少し早ければ助けられたのに。

その後、彼は英空軍に入隊しドイツとの戦いに参加。戦後は赤十字社や介護施設でボランティア活動に身を投じ、地域活動に貢献します。しかし、かつて自分が行ったユダヤ人児童の救出劇については多くを語りませんでした。ウィントンは過去の出来事を話すより、目の前で「助けを必要とする人」を見かけると、その支援活動に全力を尽くす人。そのため、彼の偉業の全貌は長らく封印されたままでした。

世界に広がったウィントンのレガシー

それから50年が過ぎました。1988年、ウィントンの奥さんが、英南西部バークシャーのメイデンヘッドにある自宅の屋根裏部屋から、埃を被ったスクラップ・ブックを見つけます。それは児童救出の苦難の記録でした。すぐにホロコースト研究家のマクスウェル女史に手渡され、同夫人の夫がチェコスロバキア難民(ミラー・グループ新聞社主であった故マクスウェル氏)だったことから大掛かりな調査が開始されました。当時は、救われた子供たちにもその関係者にとっても、50年前に誰が救助の手配をしたかは謎のままだったのです。このスクラップ・ブックはそれがウィントンの偉業だったことを明らかにしました。

このとき判明した200人の子供たちの行方とともに、当時79歳のウィントンがテレビ番組で紹介されます。しかし彼は、「自分の生命の危険を冒したわけでもなく、正しいと思ったことをしただけ。不可能でない限り何かやれる方法はある」と謙虚ながら力強い意志を覗かせました。

救われた669人の児童には今や沢山の子孫がいて、その数は6000人を超えるそうです。一人の青年と無数の支援者に救われた子供たち。今、彼らはその恩返しとして、難民支援、老人介護、障害者援助の活動を世界中で行っているそうです。ウィントンの思いは6000倍になり、世界に広がっているのです。

ウィントンの像
メイデンヘッド駅のホームにあるウィントンの像
ウィントンのメモリアル
ロンドン北部ゴルダーズ・グリーンのプリンスズ・パークにあるウィントンのメモリアル
ウィントンのモットー「やれる方法はある」
メイデンヘッドのメモリアル・ガーデン内に刻まれた ウィントンのモットー「やれる方法はある」
ウィントンの伝記
娘のバーバラ・ウィントンによるウィントンの伝記

ロンドン各地で繰り広げられていた互助と支援の輪

ここでは、貧困や病に苦しむ子供たちのために自らの才能を役立てた芸術家と、志を同じくする多くの支援者たちの物語を紹介します。時代が異なっても、人々の篤志の精神が変わることはありません。

「ピーター・パン」とグレート・オーモンド・ストリート病院

「ピーター・パン」の戯曲で知られるスコットランドの作家、ジェームズ・マシュー・バリ。幼いころに事故で兄を亡くして以来、母は哀しみのあまり病床に臥し、家族は心に深い傷を負ったまま。バリはロンドンで文筆家を目指しますがなかなか売れません。ある日、ケンジントン・ガーデンズで幸せそうなデービス一家に出会って彼の人生が変わります。「彼らの子供をモデルに、くじけない勇気を持った、永遠の子供が繰り出すファンタジーを描こう」。こうして戯曲「ピーター・パン」が誕生します。

1904年、「ピーター・パン」の上演が大ヒットしてバリは売れっ子作家になります。そんな折、彼が訪れたのは英国最初の小児専門病院であるグレート・オーモンド・ストリート病院。そこには難病のため大人になりたくてもなれない、たくさんの子供たちが入院していました。彼は「ピーター・パン」の著作権を病院に寄贈し、自分の死後も永久にその権利が病院に残るようにします。

1852年、病院創立当時のベッド数はわずか10床。しかしグレート・オーモンド・ストリート病院は今や400床を超える世界屈指の小児病院になりました。ただ、この病院が本当に凄いのはその支援網。100以上の領域でボランティアが登録、トレーニングを受け、病気の子供とその家族を支えます。例えば、院内には学校があり、精神や心の治療が必要な児童や、入院により学習の遅れた子供たちが、性別、能力、民族、社会階層にかかわらず学ぶことができます。無数の市民が、難病の子供たちとその家族を支援しているのです。

ピーター・パン像
左)ケンジントン・ガーデンズにあるピーター・パン像
右)グレート・オーモンド・ストリート病院前のピーター・パン像
グレート・オーモンド・ストリート病院
グレート・オーモンド・ストリート病院
ジェームズ・マシュー・バリ
ジェームズ・マシュー・バリ
ケンジントンのフラット
作品のモデルとなったケンジントンのフラット。屋根裏の窓から、ピーター・パンが飛び立つ

トマス・コーラム卿と捨て子養育院

英西部ドーセットに生まれた船乗りの息子トマス・コーラムは、1694年にプリマス植民地(現在の米マサチューセッツ州)に移住し、大西洋貿易で成功しました。1704年にロンドンに戻ると、市内の道端に捨てられているたくさんの赤ちゃんに衝撃を受けます。彼は養育院の設立に奔走し、1739年、シティ西のハットン・ガーデンに養育院を設立しました。ところがすぐに許容人数を超え、広い敷地を求めてシティ北のブルームズベリーに移ります。

施設に赤ちゃんを預けにくる親に付された条件はただ一つ、神から授かった子として育てる以上「自分が親であることを今後一切、明らかにしないこと」。ただし、何らかの目印を赤ちゃんに付けることが許されました。将来、我が子を引き取りたいとか、見に来る必要があるときに手掛かりになるからと。養育院は現在、博物館(Foundling Museum)になっていますが、このとき預けられた沢山の小さな目印が、今も博物館に展示されています。

また、この養育院の設立には貴族の寄付金だけでなく、芸術家の支援がありました。特に国民的画家のウィリアム・ホガースは自作を寄贈するだけでなく、トマス・ゲインズバラやジョシュア・レノルズなどの著名な画家たちにも声を掛け、養育院内に展示スペースを設けて、その入場料を養育院運営資金に充てました。

圧巻は音楽家のヘンデルです。礼拝堂建設資金調達のために慈善コンサートを開き、「メサイア」を熱演。復活の喜びを訴える児童のハレルヤの歌声は全国に大きな感動を与えました。それ以降、ヘンデルの「メサイア」は慈善活動を象徴する曲となり、国民に篤志の精神を呼び覚まします。その後、養育院は移設されましたが、創設者トマス・コーラムの遺志を継ぐコーラム財団は、今もロンドンの同地で里親と養育の支援を行っています。

トマス・コーラム卿
養育院跡に建つトマス・コーラム卿の像
敷地に建つ「捨て子博物館」Foundling Museum
敷地に建つ「捨て子博物館」Foundling Museum
ギャラリー
当時、画家が寄贈した作品が展示される有料ギャラリー
ボタンなどの小さな目印
親と子の絆になった、ボタンなどの小さな目印
「メサイア」の楽譜
へンデルが遺贈した「メサイア」の楽譜

参考資料や写真の出典:
Wiener Library (29 Russell Square London), "If it's not impossible…" by Barbara Winton, Sir Nicholas Winton Memorial Garden (30 Mulberry Walk, Maidenhead), Sir Nicholas Winton Memorial at Princes Park (Princes Walk, Golders Green), Great Ormond Street Hospital (Great Ormond Street, Bloomsbury), Foundling Museum (40 Brunswick Square, Bloomsbury)

 
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