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Fri, 13 December 2019

実はよく知らないシャーロット・ブロンテに関する8つの疑問 - Charlotte Brontë 1816-1855 生誕200周年

3月21日に、英国を代表する女流作家シャーロット・ブロンテの生誕200周年を迎える。ブロンテ姉妹の名や彼女の代表作である 「ジェーン・エア」の題名を耳にしたことはあっても、実際にその著作を通読したり、彼女がどんな人物であったかを知っている日本人は数少ないのではないだろうか。「ジェーン・エア」はいかにして英文学の金字塔となったのか。有名なブロンテ姉妹はなぜそろいもそろって文才を発揮したのか。シャーロット・ブロンテにまつわる8つの豆知識を紹介する。

1代表作「ジェーン・エア」が
人気を集めるのはなぜ?

シャーロット・ブロンテシャーロット・ブロンテの代表作「ジェーン・エア」は、1847年の発表直後に話題の一冊となった。同作に描かれていたのは、仕事を持ち、社会的階級の壁を乗り越え、自由恋愛を追い求めながら、困難な状況の中でも信念を持って自らの人生を歩んでいく女性の姿。女性の社会的な役割が限定されていたビクトリア朝の価値観においては、異色の物語として受け止められた。また本 作が発表されるまではシャーロット・ブロンテが無名の存在だったことや、劇的な展開を見せる物語の筋書きなどがあいまって、シャーロット・ブロンテは瞬く間に時代の寵児になったという。

「ジェーン・エア」の主人公が
生きた波乱万丈な人生

孤児として生まれる

寄宿舎学校で出会った親友が結核で死んでしまう

貴族の屋敷で家庭教師として働き始める

屋敷の当主から求婚される

当主には既に妻がいて、しかもその妻を屋敷の一室に幽閉していたことが発覚

路頭に迷っていたところを牧師に助けられる

牧師から求婚される

牧師からの求婚を拒否して、再び当主の元へ戻る

火事のために妻そして片腕と視力を失った当主と結婚することを決意する

2ジェーン・エアとシャーロット・ブロンテの
人生はそっくり?

「ジェーン・エア」の主人公ジェーンとその著者シャーロット・ブロンテの間には驚くほど共通点が多い。まるでこの物語は、著者の人生がそのまま反映されているかのようだ。

ジェーン・エアとシャーロット・ブロンテの人生の相似点

ジェーン・エアシャーロット・ブロンテ
伯父の夫人に育てられる 実母の姉に育てられる
寄宿舎学校で勉強する 寄宿舎学校で勉強する
親友を結核で失う 姉妹を結核で失う
家庭教師として働く 家庭教師として働く
既婚者の貴族と恋に落ちる 既婚者の教師と恋に落ちる
聖職者から求婚される 聖職者と結婚する

3シャーロットと
父親の名字はなぜ違う?

ネルソン提督
シャーロット・ブロンテの父親が
英雄視していたというネルソン提督

シャーロット・ブロンテの父親の名は、パトリック・ブランティ。娘と父の名字が微妙に違うのは、父親が後年になって名字を「ブロンテ」に変えたから。パトリックは、北アイルランド北東部ダウン州の農家に生まれ、鍛冶屋や織工などの職を転々とした末に、名門ケンブリッジ大学を卒業。最終的には牧師となった。識字率が低い地域で生まれ育ったために、「パトリック・ブランティ」という氏名は持っていたものの、その綴り方はきちんと決まっていなかったという。そこでケンブリッジ大学時代に「ブランティ」という名字に「ブロンテ(Brontë)」という綴りを当てた。この綴りとなった理由には、①貧しい出自を隠すため、②ギリシャ語の教養を生かすため(「ブロンテ」はギリシャ語で「雷」の意) 、③トラファルガー海戦で活躍したネルソン提督(初代ブロンテ公爵)に憧れていたから、などの説がある。

シャーロット・ブロンテの生涯シャーロット・ブロンテの父親は変わり者?

シャーロット・ブロンテの死後、父親であるパトリックの依頼を受けて、彼女の親友だった同じく女流作家のエリザベス・ガスケルは「シャーロット・ブロンテの生涯」と題した伝記を執筆。この伝記では、父パトリックが過去にブロンテ家において銃を発砲して威圧したり、ドレスを切り裂くといった奇行を繰り広げたりしていたとの記述がある。

左)「シャーロット・ブロンテの生涯」の表紙

4「ジェーン・エア」を執筆したのは
シャーロット・ブロンテではない?

カラー・ベル Currer Bell
ジェーン・エアの表紙。著者名が
カラー・ベルと記されている

「ジェーン・エア」が発表された当初は、その著者名には本名のシャーロット・ブロンテではなく、カラー・ベルというペン・ネームが使われていた。また「嵐が丘」を執筆した妹のエミリー・ブロンテも同作の発表時にエリス・ベルというペン・ネームを使用。「アグネス・グレイ」を著したもう一人の妹アン・ブロンテはアクトン・ベルと名乗っていた。それぞれ「ベル」という名字を用いた上で、本来の氏名と同じイニシャルを維持し、男性的な名前へと変更したのだ。しかし、作品への注目があまりに大きくなったためにやがて本名を公表せざるを得なくなり、その結果、シャーロット・ブロンテの名前は瞬く間に英国の文学界に広まっていったという。シャーロット・ブロンテは後年になって、自分たちの作風や考え方が、当時の社会が思い描く女性像とは相容れないと考えたため、世間の偏見から逃れようと男性的なペン・ネームを使ったと説明している。

5無名の姉妹の作品が
なぜ突然ベストセラーとなったのか

セント・ジェームズ
シャーロット・ブロンテがウェリントン公爵の姿を
一目見ようと出掛けたとされる教会

シャーロット、エミリー、アンの俗にいう「ブロンテ姉妹」は、無名の存在から突如としてベストセラー作家となった。そもそもブロンテ姉妹は教職を本業としており、地元に新しい学校を開校する計画さえ進めていた。しかし十分な数の生徒が集まらなかったためにこの計画を断念。次に3姉妹は詩集を自主出版するが、売れたのはわずか2部だった。さらには「ジェーン・エア」を始めとする姉妹の作品群を各出版社に持ち込むも、ことごとく拒否されている。

そんな中、出版社を父親から受け継いだばかりの23歳の青年社長が「ジェーン・エア」の手書き本の内容に注目。シャーロットとアンがロンドンまで上京して必死の売り込みをかけたこともあって、ブロンテ姉妹による一連の作品が出版されるに至った。

「ジェーン・エア」の大ヒットを受けて、シャーロット・ブロンテは出版社の社長への挨拶などを目的にその後も何度かロンドンを訪問。この社長の自宅に宿泊した上で、ナショナル・ギャラリーや王立芸術院といったロンドン市内の美術館やロイヤル・オペラ・ハウスなどに連れて行ってもらったりした。さらにこの社長は、シャーロット・ブロンテが幼少時に創作したミニチュア本 の登場人物である憧れのウェリントン公爵の姿を一緒に見るために、ロンドン中心部のセント・ジェームズ宮殿内にあるチャペル・ロイヤルで行われた礼拝に共に出掛けたこともあったという。

6ブロンテ一家はなぜ誰もが
早死にしているのか

短命に終わったブロンテ一家
名前死亡年齢死因
マリア 11歳 結核
エリザベス 10歳 結核
シャーロット 38歳 妊娠中毒症*
ブランウェル 31歳 過度な飲酒*
エミリー 30歳 結核
アン 29歳 結核
*結核との説も

シャーロット・ブロンテの兄弟姉妹は皆そろって若くして死を迎えている。衛生状態が悪い学校の寄宿舎で生活していた長女 マリアと次女エリザベスは結核にかかり、幼くして死去。またシャーロットが「ジェーン・エア」、エミリーが「嵐が丘」、アンが「アグネス・グレイ」を立て続けに発表して話題を呼んだ翌年にブラ ンウェル、エミリー、アンがそろって30代前後で亡くなっている。シャーロットの没年齢も38歳だ。

ブロンテ博物館の運営などを担うブロンテ協会によると、一家が生まれ育ったイングランド北部ハワース地域の当時の平均寿命は25.8歳。赤痢、コレラ、チフス、天然痘などが流行していたため、若くして命を落とす者が多かった。ブロンテ一家は大通りの上方で暮らしていたため汚水被害を受けることが少なく、また恐らくは裏庭の井戸を通じて清潔な水を汲むことができたために、むしろ比較的長生きした方だという。

7ブロンテ姉妹は
なぜそろって文才があるのか

シャーロット・ブロンテは、マリア、エリザベス、シャーロット、ブランウェル、エミリー、アンという6人兄弟姉妹の第3子として生まれた。長女マリアと次女エリザベスは幼くして病死。残った4人は後にすべて芸術家となり、シャーロット、エミリーとアンは小説家、また一人息子のブランウェルも画家や詩人として活動していた。  

兄弟姉妹がそろって芸術の才能を発揮した理由の一つとして、彼らが幼少期に兄弟姉妹そろって本作りに熱中していたことが挙げられる。きっかけは、父親のパトリックが長男のブランウェルに買い与えた木製の兵隊の人形だった。兄弟姉妹は、この人形を主人公とした物語を次々と創作。それらの物語の数々を、人形の大きさに合わせたという5×4センチのミニチュア本に記していった。日本語で言うところの豆本を彷彿とさせるこのミニチュア本に書かれた文字は非常に小さいために、大人たちは全く判読できず、秘密の物語を自由につくり出すには格好の素材となったという。

8シャーロット・ブロンテについて
もっと知りたいと思ったら?

ロンドン中心部にあるナショナル・ポートレート・ギャラリーでは現在、シャーロット・ブロンテの生誕200年を記念した展示会を開催。本稿で紹介したシャーロット・ブロンテが幼少時に制作したミニチュア本や、長男ブランウェルが描いた3姉妹の肖像画、エリザベス・ガスケルが資料として使用したシャーロット・ブロンテの手紙などが展示されている。

Celebrating Charlotte Brontë: 1816-1855
無料 10:00‐18:00(木・金は21:00まで)
National Portrait Gallery(Room 24)
St. Martin's Place, London WC2H 0HE
Tel: 020 7306 0055
Leicester Square / Charing Cross駅
www.npg.org.uk

ブロンテ博物館 The Brontë Parsonage Museum

ブロンテ博物館

ブロンテ一家が暮らした家は現在、博物館として一般公開中。また周囲には妹のエミリー・ブロンテ執筆の「嵐が丘」の舞台となった荒野などブロンテ一家にまつわる名所が点在しているため、この一帯は「ブロンテ・カントリー」と呼ばれている。

The Brontë Parsonage Museum
£7.5(12カ月間有効)
10:00-17:00(4月1日から17:30まで)
Church Street, Haworth, West Yorkshire BD22 8DR
Tel: 01535 642323
Kings Cross駅からKeighley駅まで約3時間。
同駅からバスまたは蒸気機関車でハワースへ。街の中心部に博物館がある。
www.bronte.org.uk

 
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