「ウォーターボーイズ」や「スウィングガールズ」、「ハッピーフライト」など数々のヒット作を生み出してきた矢口史靖監督。親しみをわかせる登場人物が未知の世界に飛び込んでいく姿を軽快に描いた作品の数々は、いかにしてつくられているのか。国際交流基金主催の日本映画巡回上映会の一環として、最新作「WOOD JOB! 〜神去なあなあ日常〜」の英国上映に合わせて来英した矢口監督に話を聞いた。(梅谷英枝)
取材協力: 国際交流基金
矢口史靖 SHINOBU YAGUCHI
映画監督 / 脚本家。1967年5月30日生まれ、神奈川県出身。東京造形大学卒。93年、16ミリ長編「裸足のピクニック」で劇場監督デビュー。2001年に製作した「ウォーターボーイズ」が大ヒット。04年には「スウィングガールズ」で第28回日本アカデミー賞の最優秀脚本賞を含む5部門を受賞した。最新作「WOOD JOB! 〜神去なあなあ日常〜」では、林業研修に従事する青年の姿を描いている。来英されたのは今回が初めてですか。
今回が2回目です。最初にロンドンを訪れたのは、もう10年ほど前。そのときは演出家の鴻上尚史さんが留学のためロンドンに滞在されていたので、休みの日に彼にロンドン動物園に連れて行ってもらいました。当時は英国人と日本人は気質が近いのではないかといった印象を受けた覚えがありますが、今朝、路上でタクシーの運転手と自転車に乗った人がものすごい怒鳴り合いをしているのを見て、「もしかしたら英国も変わり始めたのかな」と(笑)。
今まで海外で作品を上映した際に見聞きした、外国ならではの感想として印象に残っているものはありますか。
カナダのトロントで上映会を行ったときのことなのですが、1作目の映画「裸足のピクニック」に、女の子がおばあちゃんの遺骨が入った骨壺を道路に落としてしまうというシーンがあるんです。この骨壺が割れてお骨が道路に散乱し、通りがかった清掃車が掃除してしまうというギャグを用意したのですが、そこで観客のおばあさんに「死者を愚弄するにもほどがある!」と激怒されてしまいました。文化の違いというか、伝わらないこともあるんだなと。
最新作の「WOOD JOB! 」で最も苦労した点は何ですか。
今回の作品は作家の三浦しをんさんによる原作があったのですが、それでも自分で調べなければ分からないことがたくさんあったので、三重県の山奥に9カ月間くらい取材に通い、色々なお話を聞くという苦労はありましたね。そうした取材を通して見えてきたテーマが、人々の暮らしとエロティシズムです。人々の生命力にあふれたシーンを入れつつも、今まで僕がつくってきた映画ではほとんど扱ったことのない、「エッチな生命力」とでも言うべきものを前面に出しました。
最新作「WOOD JOB! ~神去なあなあ日常~」の一場面
監督の作品にはひと癖あるのに憎めない人物が登場します。
欠点や弱点がたくさんある人が好きです。完璧な人にはあまり面白みを感じないですね。「WOOD JOB!」の主人公である勇気君もダメなところだらけです。ただ痛い目に遭ってもつらい目に遭っても、前向きな明るさがあるので、物語の舞台となっているあの村に残ることができたのでしょう。
矢口監督の映像からは和やかな空気が伝わってきます。実際の撮影現場はどのような雰囲気なのでしょうか。
出来上がった映画と同じくらい和やかです。僕は現場で怒鳴り声を出さないんですよ。監督が怒鳴らなければほかの人も怒鳴りづらいらしいです。だから常にくだらないギャグや、ダジャレが飛び交う現場になりますね。
「WOOD JOB!」以外の矢口監督の作品では主人公の名前がすべて「鈴木」となっています。
鈴木って、日本ではとてもポピュラーな名字ですよね。つまり「鈴木さん」って、どこにでもいる人の象徴であるわけです。僕のつくる映画では、主人公は天才やスーパーヒーローではなくて、どこにでもいる普通の人にしたいという理由から、「鈴木」という名字を付けてきました。「WOOD JOB!」に関しては三浦しをんさんの原作で使われた氏名をそのまま使うことにしましたが、次にオリジナル脚本で映画を撮るとしたら、主人公の名前はまた鈴木に戻ると思います。
矢口監督の作品はほぼすべてオリジナル脚本です。
大学生のときに自主映画を撮っていたのですが、脚本を書いたことはなくて、絵コンテだけを描いてそれを基に撮っていたんです。自主映画だったらそれでも問題ないのですが、プロの世界では脚本がないと話が前に進まない。だからデビュー作をつくるときに、本屋さんで「脚本の書き方」といったような本を何冊も買って読み、書き方を覚えました。
邦画と洋画では、どこに一番の違いがあると思いますか。
まず、予算が違いますよね。邦画の予算は本当に少ないです。ただ最近ではフィルムとデジタルの両方で撮ることがそれなりにできるようになっており、若い監督たちは低予算向きのデジタルで撮ることが多いので、邦画において予算の壁を感じる状況はいずれ変わるのかもしれません。
ただ自分が観るのは、洋画の方が多いです。僕は映画を娯楽としてのみ考えるようにしていて、楽しむために映画を観に行こうとすると、どうしても日常とはかけ離れた要素の多い洋画を選んでしまいます。僕にとって邦画は日常に近過ぎるという側面があるのかもしれませんね。だったら日常の方が面白いんじゃないか、と思ってしまうのです。だから僕の作品は、日常的なんだけれども、そこから飛躍して、普通の暮らしをしていたのに気が付いたらこんなところに着地しちゃった、という内容のものが多いのかもしれません。