第262回 英国の馬と経営マネージメント
自宅近くにグッドマンズ・フィールズ(Goodman's Fields)というおしゃれな高層住宅街が開発されました。その広場に生き生きとした6頭の馬のブロンズ像が飾られています。この辺りは中世まで染物屋の物干し場や修道院の農園でしたが、16世紀の宗教改革で裕福な商人のローランド・グッドマン氏の手に渡り、牧地に変わり駿馬を産出するようになりました。2015年、この土地の繁栄は馬と共にあるという歴史を忘れないよう、彫刻家のハミッシュ・マッキー氏が馬の像を制作しました。
サラブレッド・シャイア(左)とアイリッシュ・ドラフト(右)
マッキー氏の馬は5馬種をモデルにしており、先頭がたてがみの長いアンダルシアン、その横で棹立ちする尾の長いロシアン・アラブ、水に浸かる力持ちのアイリッシュ・コブ、水辺を疾走する2頭が競走馬のサラブレッド・シャイア、そして最後部に頭脳明晰なアイリッシュ・ドラフト。いずれもそれぞれの特徴をつかんで精緻に作られています。
アンダルシアン(左)、ロシアン・アラブ(中)、アイリッシュ・コブ(右)
英国と馬の関係の始まりは1066年のノルマン・フレンチ公国による征服です。斧を持つ歩兵隊が中心だったサクソン人はノルマン人の騎馬隊に敗れ、その後は騎馬隊が英国軍の基本戦力になりました。ところが自慢の牡馬で構成された騎馬隊は、約百年後の十字軍遠征でイスラム軍のアラブの牝馬に惨敗します。以来、歴代の英国王家は牡馬の去勢法を習い、スペイン、北アフリカ、南イタリア、フランダースから駿馬を輸入しては馬の交配と品種改良に努めました。
ノルマン征服では騎馬隊が活躍
馬に求めるものが機動力か、持久力か、瞬発力か。育成目的が軍馬か、荷馬か、農耕馬か。馬はそれぞれの時代の要請に応じて改良されてきました。例えば18世紀に完成したサラブレッドはスピードを求めた最高傑作です。英国の王侯貴族が競馬ファンというのは、自らが品種改良した馬のお披露目会だからです。一方同時期の日本では、馬の品種改良がなかなか進まず、日露戦争後の富国強馬の政策と競馬をきっかけに全国に広まりました。
明治初期の日本の競馬の様子
馬の目線に立てば、人間の都合で勝手に品種を変えられるのはひどい話です。暴れ馬を飼いならすことをラテン語で「マネジャーレ」(maneggiare)といい、英語の「マネージ」の語源になりました。暴れ馬をむちで従わせるのではなく、意思疎通を図りながら手なずけるのがマネージメントの役割。グッドマンズ・フィールズの馬の像を見ながら、特徴ある部下を手なずける経営マネジメントとは何か、しばらく考え込んでしまいました。
マネジャーレとは馬を調教すること
寅七さんの動画チャンネル「ちょい深ロンドン」もお見逃しなく。