第261回 桜の土手とライオンの堤防
3月5日に啓蟄を迎えました。暖かさに誘われるのは土の中の虫だけではないようで、寅七の気分も朗らかです。ロンドンにはアレクサンドラ・パレスやグリニッジ・パーク、バタシー・パークなど桜の名所がありますが、東京でみる光景とはどこか違う印象があります。先日、歌川広重の「名所江戸百景」から1枚の浮世絵を見つけ、違いはこれだと思いました。そう、東京の桜は水辺に多く、土手に咲くイメージがあります。
歌川広重の「玉川堤の花」
東京には桜土手と呼ばれるような、川の土手に植栽された桜並木がとても多く見られます。それは、もともと湿地帯だった江戸を大都市に改造する過程において、江戸幕府が治水対策として積極的に土手に桜を植えたからです。川から水を引いて田んぼを作り、大雨で川が氾濫しても田んぼや江戸の町に水害が起きないように、強固な堤防を築くことが幕府の責任でした。でもなぜ、あえて桜が選ばれたのでしょう。
そこには、今から約4000年前、中国で氾濫を繰り返す黄河の治水事業を行った夏朝の禹王の次の教えがありました。「堤防は石を盛って固め、木を植え、祭りをせよ」。つまり、土手に桜を植えれば桜の根が張って土手が固まり、さらに毎年、花見を楽しむ見物客が土手を踏み固めてくれます。しかも梅雨が訪れる直前に、というわけです。町民の花見が災害対策になり、それが現在の東京にある桜の名所の背景につながっています。
現在の玉川上水の桜土手
堤防の神様、禹王
では、江戸と同じく湿地帯だったロンドンはどうでしょう。約2000年前にローマ人がロンドンに植民地を作ったころは、高い堤防が設置された形跡はありません。当時のテムズ川は広く浅く、氾濫する危険があまりなかったようです。ところが、ロンドン粘土層の上を流れるテムズ川は、年間数ミリの地盤沈下を続けていくうちに、干満時に潮が流出入するようになり、中世以降、高潮と降雨が重なると海抜ゼロメートル地帯で水害が起きました。
高潮と降雨が重なりロンドン中心部で水害が発生した
19世紀半ば、ロンドン中心部にヴィクトリア・エンバンクメント・ガーデンという、下に雨水管や下水道や地下鉄が走る堤防公園が整備され、その横を流れるテムズ川の堤防の壁には、古代エジプト文明のナイル川氾濫の危険信号だったライオンの頭像が設置されました。もしライオンの口まで水位が上がれば警戒水域を示す赤信号です。市内ではこれに加え下水道と雨水管用に、テムズ・タイドウェイ・トンネルが地下75メートルに来年完成予定です。東京の土手では桜並木、ロンドンの堤防ではライオンが、川の氾濫から市民を守ってくれています。
テムズ川の水位を監視する堤防のライオン
寅七さんの動画チャンネル「ちょい深ロンドン」もお見逃しなく。